19話 空間魔法の使い手
――――――――――遡ること、十数分前。
「雑魚は任せるがいい」
シオンはそれだけ残して、アルとリザードマンから距離を取った。臭いと気配を探しながら、迫り来る魔物達を素手で苦もなく処理していく。
ステータスはアルと同じであるが、シオンにはアルとは比べ物にならないくらいの経験があった。経験値という訳ではない。シオンにはおよそ千二百年分生きてきた経験がある。大抵の魔物であれば向かい合って目を見ただけでその感情が読み取れるし、動き出す前にでも姿勢や重心の位置で何をしようとしているのかさえ分かってしまう。
それに加えて、今のシオンには戦闘スキル【徒手空拳Lv3】があった。これを買ってきたアルには感謝している。久し振りのこの身体に、未だに慣れなかったが、このスキルはシオンの動きを補助してくれるのだ。
魔物を適当に相手しながら、アルの方もしっかりと様子を見る。アルの横顔から察するに、かなり怖じ気づいている。意を決して飛び掛かるが、腰が引けたままだ。体重も乗っていなければ、威力もへったくれもない。
今までの格下の相手であれば、ステータスが高い分それでもなんとかやってこれた。その程度の攻撃でも十分相手は崩せただろう。しかし今回は違う。
アルはその後の防御にも精一杯だ。挙げ句の果てには、尻尾で弾き飛ばされる始末。まるで遊ばれている。やはり強敵とぶつけたのは正解だった様だ。
リザードマンが飛ばされたアルに詰め寄る。シオンの身体がピクリと動くが、アルも反応できているのを見て抑えた。しかしそこからの剣の打ち合いの後、またもやアルは尻尾で飛ばされてしまう。
【盾】を使うにしても下手過ぎる。例えば双剣を止めるにしてももっとタイミングをずらして止めるとかすると、相手が体勢を崩したりもするだろうに。【盾】の特性を全く活かせていない。あれならまだ左手に盾を持っていた方がマシだ。
それに何より相手の剣ばかり見ている。相手の身体の動きが解っていないために剣がどこから襲いくるのかも反応勝負となる。それでもまぁ何とか耐えている方だが。
尻尾で吹き飛ばされたアルは、しかし今度はしっかりと立っている。
「ほう。やっと僅かばかりマシになったかの」
シオンはワイルドボアの首を手刀で落としながらため息をつく。
アルの表情が変わっていく。目付きが変わると同時に、先程までとは違って体幹にしっかりと力が入るのが見てとれる。
何を思っているのかは知らないが、やっと本来のパフォーマンスが出せる精神状態となった様だ。
アルが突っ込んでいく。出だしの一歩、踏み込みの一歩の"重さ"が違うため、先程までとはスピードがまるで違う。重心、体幹、肩甲骨、肩、手と力が連鎖していく様に短剣を振るうと、リザードマンの双剣を呆気なく弾く。苦し紛れの一撃も避け、蹴りを見舞った。
さらに攻める。先程とは逆の展開だ。
しかしそこにホーンラビットが割って入った。
「あ」
らしくない声がシオンから出る。アルの方にすっかり気をとられて、他の魔物を処理する手が止まっていたのだ。ホーンラビット一体だけでなく、トレントや、フォレストウルフまで混ざっているが、それでもアルは戦っていた。戦えていた。
いくらフォレストウルフが死角を突こうと、ホーンラビットが横から突進しようと、トレントの枝が頭上から迫ろうと。そちらを見もせずに躱し、いなし、斬りつける。視線は常にリザードマンに突き付けられている。
まるで全方位が見えているかのような。いや見えてはいないだろうが、恐らく"解っている"。彼はその小さな短剣一つで、その場の全てを掌握していた。魔法も使わなければ、スキルすら使っていない。
シオンは背筋に言い知れぬ感覚を覚えた。彼の姿に、シオンの記憶の中の影が重なって見える。
その空間は、既に彼のものだった。
まさか………こんなにも早く、【支配者】の片鱗を見せ始めたと言うのか。
*
気付けば肩で息をしていた。瞼の裏には、リザードマンの死に際の目が焼き付いている。アルの正面で音がした。その足音がシオンのものだとは解っている。彼女が途中から魔物を倒すこともせずに、アルを見ていた事も。
もし今、何かに襲いかかられても対応できる自負があった。一体何故だかわからないが。例えばすぐ側からナイフを投げつけられたとしても躱す事が可能だと感じた。
「見事。と言うべきか」
大きく息を吐き出すと、身体の感覚が戻ってくる感じがした。正確には、感覚が狭まって来る感じが。
「珍しいね誉めるなんて。そもそも途中から他の魔物も割って入ってきてたし、シオンも傍観してたでしょ」
「傍観と見守るのとは違うぞい、子狐よ」
シオンは不敵に笑った。彼女のそんな顔初めて見た気がする。
まぁ大丈夫だと思ったから手を出さなかったんだろうけど。そこは喜んでおこうかな。
アルは辺りを見回すと、そこら中に魔物が転がっていた。アルの【保管】でも、ワイルドボアを三体入れただけで一杯になってしまうだろう。
「あぁーさて。剥ぎ取るかぁ」
だから懐かしの剥ぎ取りタイムだ。時間はまだ昼の三時頃。魔物は全部で五十体程だ。勿論全ては持って帰れないため、その中でも高く売れる所を中心に持って帰る。他は申し訳ないが燃やすしかない。【保管】から巨大なリュックサックを取り出す。重たいものは【保管】に、比較的軽いものはこれに入れて背負って帰ろうという魂胆だ。リュックサックは今回アルテミスで購入した物だが、実はこいつで二代目だ。一ヶ月前までの森で使っていた先代よりも、サイズと強度、共に向上している。
「アルよ。袋をもう一つ出せ」
シオンが近寄ってきて、何を言うのかと思ったら。アルは【保管】から先代リュックサックを取り出す。シオンはそれを受け取ると、トレントの枝を一つ折って入れた。
「どうするの?」
「妾も背負ってやろうと言うのじゃ。要らぬならよいぞ」
「いやいやお願いします!」
どういう風の吹き回しだろう?あんなに重たいのは嫌だって言ってたのに。でもトレントの枝は安いから後回しだよ?
そこからアル達は魔物の剥ぎ取りを始めた。正確にはシオンは汚れたくないとの事で、基本的にはアルが一人でせかせか動いていた。
まずは大きな穴を掘る。そして剥ぎ取った素材と、余分なものを分ける。売れる素材は【保管】か鞄の中へ。要らないものは穴の中へ。余裕が出てきたら持って帰りたいものは穴の縁に置いておく。依頼達成のために、討伐した事を証明する部位を提出しなければならないらしいので、それらも忘れずに取っておく事になる。その最中で血の臭いに釣られてやってきた魔物はシオンが倒してくれた。
【保管】とリュックサック二つがいっぱいになる直前で、シオンを呼ぶ。久しぶりに新しい魔物を倒したと言う事で、シオンの【吸収】スキルを使うのだ。
「よし、がちゃぽんの時間じゃな」
「がちゃぽん?」
「こっちの話じゃ。さぁ今回初めて倒したのは、リザードマンとミニゴーレム。フォレストウルフもじゃな」
シオンが三体の死体に順番に触れる。
「【吸収】。よいぞ」
スキル【吸収】は、当初は倒した魔物を食べなくてはいけないのかと思いきや、触ってスキル名を唱えるだけで良いと言うお手軽さだった。ゴブリンや蛇や蛙みたいな魔物の肉を食べないといけないなんて事にならなくて本当に良かったと思う。シオンはもともと狐だから、そんなに抵抗感はないらしいんだけどね。
「いくよ。ステータスオープン」
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名前:アルフォンス
職業:短剣使い
Lv:19
生命力:2100
魔力:2150
筋力:2050
素早さ:2200
物理攻撃:2100
魔法攻撃:2150
物理防御:2000
魔法防御:2100
スキル:【空間魔法】…【斬撃】【盾】【保管】【召喚】
召喚:妖狐
武器:コーク鉄の短剣【魔力量上昇Lv2】
防具:ダイアボアの革防具【軽量化】
その他:ミスリルの指輪【魔力吸収Lv3】
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名前:シオン
種族:妖狐
Lv:19
スキル:【筋力上昇Lv5】【変身Lv5】【吸収】
【風魔法】…【風鎧Lv2】【風加護】
【雷魔法】…【感電】【雷】
共通スキル:【素早さ上昇Lv3】【瞬間加速】【運上昇Lv1】【ステータス成長率上昇】【隠蔽】【鑑定】
武器:サーベルナイフ
防具:ダイアボアの革防具【軽量化】
その他:ミスリルの指輪【徒手空拳Lv3】
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「おー!二つも増えてる!しかも【鑑定】!」
今回増えたのは【鑑定】【素早さ上昇Lv3】の二つだった。三体のうちどれかはハズレだったらしい。
ハズレと言うのは、【吸収】を使ってもスキルを得られなかったという意味だ。シオン曰く【吸収】で能力を得られるかどうかは確率の問題らしい。
そして【吸収】スキルは、魔物一種類に対して一度しか出来ない。一つの種類から一つスキルを得られるかどうか。ホーンラビットを例に挙げると、ホーンラビットには一度【吸収】を既に使っている。それでスキルを得られたかどうかは関係なく、【吸収】はもう二度とホーンラビットには使えない、という訳だ。
しかし今回はかなり"当たり"だ。なんと言っても【鑑定】が出ている。あのセシリアさんが持っていた、人や魔物のステータスを見ることができるスキル。そして【素早さ上昇Lv3】も有難い。
ここまでは全て戦闘向けのスキルばかりが出ているが、これも【運上昇Lv1】の恩恵だろうか?
「さて、無事終わった事じゃし、残りの素材を放り込んで、暗くなる前にご飯にするでの」
「そうだね」
その後、【吸収】した三体の素材を【保管】に入れて、残りは燃やした。
アル達は【保管】に入れていた夕食を食べる。今回はダンジョンと違って周りの目を気にしなくてもいいため、屋台で買った物やお店からテイクアウトしてきた物だ。串肉やサンドイッチ。ご飯類も買ってあるため、ちょっとしたピクニック気分だ。死体の焦げた臭いが漂っている事を除けば。
そうこうしていると、周りもかなり暗くなってきた。だいたい夜の八時頃だろうか?明かりは、焚き火で確保している。時期も夏に差し掛かって来ているので少し暑い。アルは寝袋を取り出し、中には入らずその上に横になる。これも今回買い足したものだ。冒険者向けの寝袋は、完全な袋タイプではなくいざと言うとき左右どちらからでも出られる様になっている。
今回購入したものは、普段はあまり使われない、横幅がセミダブルくらいある大きなものだ。
「ほんとに周りを警戒しなくていいの?」
「構わんと言うておろう。この姿の妾に近づいて来る様な魔物はこの森にはおらん。それに何か近寄る気配がすれば寝ておっても分かるわ。それより向こうを向いておけ。顔を真っ赤にしたくなければな」
アルはシオンと逆方向に座り直す。既にその顔は真っ赤だったが、焚き火の明かりのお陰でバレてはいないはずだ。アルの背後でごそごそと音がするが、意識しない様に意識する。
「もうよいぞ」
シオンの声で振り向くと、そこには小型犬くらいのサイズの狐が座っていた。狐の足元には、シオンが着ていた服が落ちている。銀色の見事な毛並みに紅の目。半年前に山の中で見た巨大な狐を思い出すが、今回はかなり小ぢんまりとデフォルメされていて、正直に言ってかなり愛くるしい。
「お主、なんじゃその目は。妾の偉大な姿をもっと敬わんか」
小型狐が吠えるが、生意気で可愛らしい以外の感情は湧かない。そんな姿でそんな事言われてもなぁ…。と言うかその姿でも話せるんだね。
「その姿になったら本当に魔物が近寄ってこないの?正直言ってかなり嘘くさいんだけど」
「妾は滅多な事では嘘はつかん。さて、もう寝るぞ」
その小型狐、いやミニシオンと名付けよう。ミニシオンは寝袋の上へパフッと横たわる。
うーんお腹なでなでしてみたいけど、怒られそうだな…。いや、人の姿の時で言う頭と同じだったなら、別に嫌がらないかも知れないけど。
アルはそんな事を考えながら、ミニシオンの隣で横になった。
向き合う形で横を向き、前足を軽く握る。どこかに触れておかないと魔力を渡せないためだ。ぷにぷにの柔らかい肉球の感触がたまらない。
今日は疲れたな………。いろいろあった一日だった。やっぱりダンジョンの中で一日を過ごすのとはまた違う経験だった。そしてちゃんと、受けた依頼を全て達成出来るだけの素材も集まった。あとは期限内に帰るだけだ。明日はそこまで早起きしなくても良い。
帰ったらお風呂に入ろう。おいおい、お風呂なんて言ってて大丈夫か?贅沢に慣れちゃったら冒険者なんて………。
アルはすぐに眠りについた。
*
翌日。
目を覚ました時には、太陽は既に頭上にあった。シオンはどうだったか分からないが、アルは普段ベッドで寝るように一度も目を覚ますことは無かった。普通はここまで暢気に熟睡できる訳も無いのだが、シオンの索敵能力は身に染みている。完全に信用しきっているのだ。
二人は荷物を背負うと、とりあえず森の中を突っ切る街道まで出ることにした。あわよくば通りがかる馬車に乗せてもらおうと言う魂胆だ。勿論シオンも人間の姿に戻っている。また姿を変える時にはアルは後ろを向いていたのだが、向き直った時にナイスバティな姿になっている事を少しだけ期待したのは内緒だ。いや、別に今の姿が嫌いな訳じゃないよ?ちょっと気になるなーくらいだよ?
荷物を担いで二十分ほど歩くと街道に出ることが出来た。そしてそこから一時間ほど街道沿いに歩いた所で、森を抜ける。このままこの街道を歩いていけばアルテミスに着くはずだ。
「やはり妾が狐に戻るのはどうか?せこせこ歩くのは性に合わん」
「だめだって。誰かに見られたらどうすんの。シオンの討伐依頼があの掲示板に貼られるの嫌だからね?」
太陽が真上から少し傾いた頃。二人の後ろから馬車がやってくる。馬を操っているのは見覚えのある男だった。向こうもアル達に気付くと、手綱を引いて馬車を止めた。
「おぅ、誰かと思ったら。昨日の坊主と嬢ちゃんじゃないか。昨日は助けてくれてありがとうな。どうだ。アルテミスに帰るんなら、乗ってくか?」
シオンと顔を見合わせて笑った。本当に"運"が良い。
礼を述べて荷台に乗り込むと、竜人のガルムさんはいなかったが、用心棒のロバートさんは乗っていた。この馬車のお抱えなのだろうか?
「ん?お?おぅおめぇ達!何だ、何だ。帰りも一緒か!こりゃあ心強ぇな!」
ロバートさんは笑顔で近寄ってきてくれた。彼と握手を交わし、アル達は巨大な荷物を降ろす。乗客は昨日よりも少なく五人程なので、アル達とは別に二人分くらいあるリュックサックも乗せてもらえた。勿論料金はちゃんと多めに払ってある。
「ちょうど客が少なかったから良かったなぁ。これから首都は魔闘祭っつう、ちょっとしたお祭りだからな。アルテミス行きの便は人が少ねぇんだ。それよりお前ぇら、一体何の魔物を狩ってきたんだ?えれーデケェ荷物だなおい。まさかワイルドボアが丸々入ってんじゃねぇだろうな?」
ロバートさんは無口だった昨日とは打って変わって、アル達に対して好意的だった。そこからアルテミスまでの数時間、いろいろと役立つ情報を交えながら話をしてくれた。
幸い、帰り道では盗賊に襲われることもなく、二人はしばしの馬車旅を楽しんだのだった。