108話 後悔
そこから話は半年後に飛ぶ。
ユキの視界には晴れ渡る空。
こん、こんっと響く音を聞きながら、草の上に寝転んでいた。
微かな潮風が嗅覚をくすぐる。
「キー君、頑張れー!」
庭付きの豪華な一戸建て。
その庭先で木剣を打ち合うのは片腕のアリアと、見違えるほどに小綺麗な姿となったキースだった。伸びてボサボサだった髪の毛はすっきりと短髪になり、着ている服もゴミ箱から漁ったようなものではない。
2人から少し離れたベンチに座っているフローラも、以前と比べると顔色も良く元気そうだ。
「ぐっ!このっ!やっ!」
もう三十分ほど木剣で打ち合っていた二人だが、キースがそろそろ限界か。汗が滴り落ち、息も絶え絶えである。それに対して、アリアはまるで清流の様に穏やかだ。
「ぶはぁっ!あーもうダメだ!動けねぇ!」
「あー。今日もキー君の負けかぁ」
「だいぶ動けるようになってきたけどね」
芝の上に倒れ込んだキース、そしてわかりきっていた結果をそれでも楽しそうに見届けたフローラ。
どちらも穏やかな顔をしていた。そしてそれはアリアとユキもだろう。
アリアの笑顔は彼女の両親がまだ生きていた頃のそれだ。
「よーし、今日の訓練はこれで終わり!それじゃユキ、行こっか?」
三ヶ月ほど前から住んでいるここは世界地図で見ると大陸の東端。
ブル帝国領とヤズール王国の国境付近。
各国から命を狙われているアリアとユキが選んだのがここだった。森に囲まれ、少しいけば海もある。
アリアとユキの力があれば十分に裕福な暮らしができる。
もし必要な物があれば、【空間転移】で街に買いに行けばいい。
「あ!みてユキ!この花綺麗!」
森でホーンラビットやらグリーンバードを狩った帰り道。アリアが道端にしゃがみ込む。
「白くて可愛い。ユキみたいだね」
「それはシオンの花じゃな。見た目は可愛らしいが、字で書けば死怨じゃぞ?死ぬまで怨むと言う意味の花が可愛いか?」
ユキの言葉にアリアの笑顔が引きつる。
しかしアリアはその花を摘み始めた。
「でも可愛いものは可愛いからいいの。それに、死ぬまで怨む?上等よ。私にぴったりの花だわ」
「確かに、言われてみればその花の香りはお主の香りとよく似ておるわ」
あの血みどろの日々からも、もう半年が経つ。
しかし今でもユキはあの頃のことを思い出す。
朝、目が覚めた時。
美味しいご飯を食べた時。
暖かいお風呂に浸かった時。
寝る前に目を閉じた時。
キースの相手をする時。
フローラに抱きつかれた時。
そして、アリアの無くなった左腕を見るたびに。
「アリア。後悔してはおらぬか?」
突然の問いかけに、アリアはひどく悲しそうな顔をした。ユキは何故そんな質問をしてしまったのか分からなかった。当時の事を話題にするのはかなり久しぶりだ。
シオンの花を片手で持てるだけ摘んで、それを花束にしながら、アリアは曖昧な笑みを浮かべながら、一つ一つ何かを拾い集めるように話し出した。
「そうね。後悔、はしてないよ。やっぱり私はこんな性格だから、結局ああせずにはいられなかったと思うし、遅かれ早かれ…だったとは思う。
ただ、復讐が終わってみて。こうして穏やかな、幸せな日々が戻ってきても、やっぱり父さんと母さんがいた頃とは違う。こんなに輝いてるはずの世界でも、やっぱり今もどこかモノクロに見える。それをキース達と同じ様に感じれないのは寂しい。
もしも復讐をしなかったとしたら。もしかしたら、少しずつその色は取り戻せたのかもしれない。キースやフローラとの出会いみたいな物が少しずつ積み重なって、素敵な出来事や思い出も増えていって、復讐なんて物を押し潰して小さくしてくれたのかもしれない。そうなれば、幸せという気持ちを、また感じる事ができるのかもしれない。
………例えそうだとしても、私は必ずやったわ。
だから答えとしてはやっぱり、後悔はしてない。でも今は、まるで自分が死人の様に思える。空っぽの人形。ただ時を止めて、動けてるだけ。まさにね。
もしも一つだけ過去を変えられるなら、あの故郷が襲われた日。あの時、街に戻らなければ。壁に吊るされた人たちを見ていなければ。あの文字を見ていなければ。
私は被害者の一人のままでいられたかもね」
アリアの言葉は、まさにユキの心中そのままだった。
妾も同じ気持ちだ。一人じゃない。片棒を担ぐと決めたあの日、この苦痛も、アリアと分かち合うと決めたのだ。
そうユキが口を開こうとした時。遠くで叫び声がした。
振り返る。
気のせい?いやそんなはずはない。
そっちには家がある。
あの叫び声はたぶん………フローラだ。
「アリア…!」
ユキの顔を見て、アリアは弾ける様に走り出した。
そのすぐ後をついていく。
それだけはだめだ。
今、このタイミングで、それだけはあってはだめだ。
祈る様に走る。
二十秒もしないうちに、たどり着く。
そこには、三人の人物がいた。
キースと、フローラ。
そして、あれは、誰だ…?
小柄な黒ずくめの男が、フローラを後ろから羽交締めにして、首にナイフを突きつけている。
「アリア!ユキ!フローラが!」
「あなた誰…?お金が欲しいなら好きなだけあげるから、その子には手を出さないで」
アリアが務めて冷静な声で呼びかけた。彼女も、男に見覚えは無いらしい。金目当ての強盗と判断したみたいだ。
しかしユキは、アリアを見る男の目を見て分かった。こいつは金目当ての強盗などではない。明らかに怨恨の類だ。
「あぁ、その口ぶり。俺が誰か分かってねぇんだな?俺はこの半年、会いたくて会いたくて恋焦がれてたってのになぁ?」
そしてユキはピンときた。【鑑定】で見たステータスのおかげもある。背中にじんわりと汗が滲む。
「なるほど。貴様、教皇に雇われていた暗器使いか。あの塔の屋上から飛び降りて、やはり死んではおらんかったか」
隣でアリアがハッとなる。
アリアの手には、まだシオンの花束が握られたままだった。
「そぉだ。やっと思い出したのか。寂しいぜ俺は。俺のことも忘れて、こんなところでガキ達と家族ごっこしてたなんてよぉ。そのお花はどこで摘んできたんでちゅかー?この子にプレゼントするんでちゅかー?」
わざとだろう、こちらの神経を逆撫でする様な話し方をする男。男自身も怒りを抑えられないのか、その腕に自然と力が入る。
フローラの首筋から血が滴り落ちた。
「フローラ!」
キースが近くに落ちていた木剣を手に取るが、アリアが片手で制する。
「一体何が目的なの?貴方は所詮、教皇に雇われてただけでしょう?どこの国の冒険者だか知らないけど、任務に失敗したのは貴方の実力不足だったと言う事よ。私達が逆恨みされる謂れは無いわ」
落ち着かせようとしたアリアの言葉は逆効果だった。男の身体はさらに強張り、顔が真っ赤になっていく。
「謂れは無いだと!?
ならば教えてやろう!俺はゴルゴン教国に所属するSランク冒険者、暗器のドニーだ!俺は生まれも育ちもゴルゴン教国だ!そして、約八ヶ月前!俺の家族は皆!ゴライアスにいた!」
ゴライアスはゴルゴン教国の首都。アリアとユキが全ての教会を破壊し、そこにいた信徒を殺して回った。
「お前等は知っていたか?お前等が教会に放った火が、その辺りの民家までも燃やし尽くしていた事を!その火で死んだ中に、誰かの親や子どもがいた事を…!俺の両親や!妹や!その赤ん坊までが巻き込まれて死んだ事を!!!」
隣で、アリアの手が震えているのが見えた。
その手に持ったシオンの花が、その香りを辺りに振り撒いている。
「だって…そっちが先に………。私は、私だって………。子ども…。でも………」
なんと言っていいのか分からなかった。
ユキはもともと魔物だ。アリアほど、ショックを受けてはいない。だからこそ、アリアになんと声をかけていいのか分からない。
「今さら、自分のしたことに気がついたのか…?それが戦争だと、今さらに痛感したか…?やり返されると言う恐怖に、今頃になって怯えているのか…?」
ドニーと言う男はアリアの反応に満足気に言葉を続けた。
「それを差し引いても、その子は今回のことに関係ないじゃろう。これはゴルゴン教国と、妾達の戦争じゃ。やるなら妾をやれ。火をつけると案を出したのは妾じゃ」
「ユキ…?ち、違うわ!私が!私がやった事よ!私だけやりなさい!」
ドニーは今度は呆れた様に首をすくめると、アリアでもユキでもない三人目を指名した。
「そういうのはいらねぇんだよ。よし、そこのガキ。お前、こっちに来い。来なければこの少女を殺す」
「え…?お、俺…?」
指名されたのはキースだった。
アリアとユキの視線に、戸惑いが返ってくる。
「だめじゃ!殺されるに決まっておる…!」
「私が行く…!私が行くから…!」
「お前等は近くに寄るんじゃねぇ!」
「いたっ…!」
怒りでさらにフローラにナイフが食い込む。
「分かった分かった!行くから…!」
持っていた木剣を取り落とし、両手を上げてキースがフローラ達に近づいていく。
アリアとユキもどうしたら良いのか分からず、それをただ見ていた。
そしてキースがドニーの前まで着いた時、ドニーはまるで自分の子供に語りかけるように優しい声を出した。
「お前等も災難だったなぁ?知らなかっただろ?こいつらが、千人にも登る人を殺した大罪人だなんてよ?」
キースがこちらをチラリと振り返る。
その目は、ユキ達を非難しているようにも、憐んでいるようにも見える。
しかしキースから出た言葉は、ユキの想像していたものとは違った。
「それでも、フローラを治してくれた。それからこの半年間は人並みの幸せを知れた。ありがとな」
その言葉を聞いたドニーは、怒りのままにキースの喉を一閃した。
「やめろ!!!」
「キース!!!!!キース!!!!!」
何が起きたのか分からなかった。いや、信じたくなかった。
崩れ落ちるキース。
ドクドクと流れ出る血に、見ていることしかできなかった。
気付けば膝から崩れ落ちていた。
こんなにあっさりと。大切な物は失われるのだ。
躊躇っているうちに、大切なものはあっという間に消えていく。
もうだめだ。立ち直れない。
「チンケなガキめ。あとはお前等。そこで二人で殺し合え。そうしたらこいつは助けてやる」
ドニーの言葉も、虚しく響くだけだ。
身体から力が抜け、頭がからっぽだ。
「ユキ………。ごめんね………。」
やっとのことでアリアを見ると、彼女は涙を流していた。彼女の涙は久しく見ていない。最後はいつだったか。あぁ、あの日馬に乗って逃げながら、叫ぶ様に泣いていた、あの時以来だ。
「私………、嘘をついたの。今まで…ずっと………後悔してきた………」
後悔…。あぁ、そうか。
これが後悔か………。
取り返しがつかない。そんな簡単な事。分かっていたはずなのに。
いや、頭で知っていただけで、体験した事は無かったんだ。
「私…。ユキだけは………ユキだけは守らなきゃ………。ごめんね」
アリアからの突然の謝罪。
これ以上の最悪があるという事を、すぐには気付けなかった。
間違いに間違いを重ねていく。判断が、行動が遅れるたびに、より状況は悪くなっていく
「待て…。待て!何をするつもりじゃ!」
アリアに手を伸ばす。しかしそれは遅すぎた。
何もしていない。何もできていない。何もできなかった。アリアを………アリアだけは一人にさせたくない。
最後の一言は、ユキの耳をもってしても聞こえなかった。しかし、アリアは確かにそう言った。
「ほんとにごめん………【召喚解除】」
「やめっ…
身体の周りに現れる魔法陣。
一瞬の暗転の後…。
雨の降りしきる森の中にたった一人、ユキはいた。
『職業"ゲーマー"でも、努力すればチート高校生達に勝てますか? 』という作品もよろしくお願いしまーす!




