105話 左腕
「合図は"交替"じゃ。間違えるでないぞ?」
「だぁかぁら!"スイッチ"の方がかっこいいって言ってるでしょ!?」
軽口を叩きながら、二人は背中合わせに構えた。
前の三人の方にアリア、後ろの二人の方にユキが向き直る。
「こっちは片手斧と盾、槍、それからおそらく暗器使い」
アリアの声が背中越しに聞こえる。
「こっちは長剣と短剣二刀流の二人じゃ。暗器使いは参戦せぬじゃろう。実質は四対二じゃの」
「上等よ。人数不利なんて常だもの。行くわ!」
アリアとユキは互いの背を弾いた反動で加速する。
ユキの前には剣が三本。長いの一つと短いの二つだ。それらとの戦闘は単純。全ての刃物を避けるか弾く。そしてその隙を通して相手の身体に刃を見舞えばいい。
ユキの持つ短剣は一本。
物理的に全ての攻撃を短剣で何とかするのは無理だ。
だからユキがまず攻撃したのは敵ではない。この部屋の入り口の扉。それに付いている豪華絢爛な金属の持ち手部分だ。
それによりユキは短剣より少し長めの鈍器を手に入れる。
「俺は生きてる方がいい!殺すなよ!」
「分かってる!」
ユキは二人と衝突する。
計四本の刃と一本の鈍器が連続的に交錯し、火花が宙に咲き乱れる。
ハッキリと言えばかなり劣勢。
この二人も、確実にレベルは50を超えている。
そしてスキルが使えないのが何より痛い。
既に百近いスキルを持っている二人にとって、それを封じられる事は片翼をもがれるに等しい。
単純に弱くなったと言う事に加えて、身体の感覚がズレる。
「スイッチ!」
その声はユキの背後から聞こえた。
ユキの目の前の敵は、ユキの背後を凝視して一瞬硬直する。その隙をついてユキは敵二人と強引に距離を取ると、背後に迫っていたアリアとすれ違う様に走った。
ユキの前には、今度は片手斧と盾を持った大男と、その奥で槍を構えている背の高い男が現れる。
互いに、相手が入れ替わった状況だ。
男達は不審がっている。
「なんだ?」
「今度はこっちが相手してくれんのか!?いいじゃねぇか、交互に楽しめるんだからよぉ!興奮するぜぇ!」
大男は、片手斧をユキの頭めがけて振り下ろしてくる。
それはなんとも直線的だが、かなり速い。大男にしてみればその片手斧は木の枝程度の振りやすさなのだろう。
そして片手斧を避けると今度は盾での押し出し。避ける事のできない攻撃に、ユキの体勢が崩れたのを見て、槍が横から迫る。
なかなかに互いの役割を理解している。
槍使いはもともとこの様な前二列目の様なポジションに慣れている武器だ。それなら大男の方はどうか、試してみよう。
ユキは目で捉えきれな程の速度で突き出される槍をほとんど直感レベルで転んで避ける。
その転ぶ方向は槍使いの懐だ。
槍使いの動きが驚きで止まったのは、一秒の百分の一にも満たない時間だっただろう。ここまで熟練の槍使いが、敵に槍の間合いの内側に入られた場合を想定していない訳がない。しかし、その百分の一秒を作ることが勝機に繋がる。
迷わずユキと距離を取ろうとする槍使いを猛追する。
ユキの剣撃に、槍を立てて応戦する。
刃と鈍器を合わせて四撃程入れるが、その防御を抜けない。
そして今度は槍使いの顔がはっきりと驚きに染まる。
ユキはその意味をいち早く悟って、横に転がった。頭のすぐ横を斧が通り過ぎていったのが分かった。
片手斧の大男が、槍使いに当たっても構わないと言わんばかりの間合いで斧を振ったのだ。
「貴様よくも!」
「うるせぇな、結果的に助けてやったんだろうがよ」
今だ。
ユキは再び二人に背を向けて走り出した。向かうはアリアの所だ。
「スイッチじゃ!」
アリアはすぐに、ユキの声に反応した。
盾の押し出しで無理やりに敵と距離を取り、ユキとすれ違っていく。
上手くいっている。
もしもこのスイッチの瞬間を敵全員で叩かれたら、恐らく袋叩きにされるだろう。
しかし相手はどうやら、負ける確率など微塵もないと思っている様だ。二人の奇行を、ニヤニヤとしながら窺っている。
ユキの相手はまた剣三本だ。
こっちの二人はとにかく手数が多い。致命傷は避けてるとは言え、身体に斬り傷が増えていく。そのうちに何本か深いのが入り、動きが鈍り始めてしまった。
スタミナ的にも、そろそろ限界か。
「アリア!まだか!」
苦し紛れに叫ぶ。
するとすぐに返事は返ってきた。
「"交替"ッ!!!」
来た。
"スイッチ"ではなく、"交替"!!!
ユキがまたしても相手と無理やり距離を取り、振り返ると、アリアがこっちに向かって来ていた。
アリアも相当な傷だ。特に、盾を持っている左腕の傷が深い。やはりここからの数秒が大一番。
アリアとユキの視線が交錯し、言葉の無い意思疎通によって互いの覚悟を確認する。
二人が何度かと同じ様にすれ違う瞬間。
アリアが呟いた。
"抜けて"。
そして、アリアがもう一度。
切り返す。
つまり、ユキとアリアが並走する。
二人の背後でニヤついている計剣三本コンビを放置して、斧槍コンビに向かって二人で突貫する。
「はっ!!瞬間的に二対二にするのが狙いかぁ!!!浅はかなり!!!」
斧持ちが叫ぶ。確かに、数秒後に背後の二人に詰められれば、アリアとユキは確実に殺される。しかしチャンスはこのタイミングしか無い。全力かつ最速で、数秒の内にこちらに有利な状況を作り出さなければ負けだ。
ユキの前に出たアリアが叫び返す。
「本当に馬鹿ね!私達が作るのは、一対一よ!!!」
「馬鹿はお前だ!!二対二も一対一も大して変わらんわ!!!」
勝負は一瞬。
ユキはアリアの後ろで自分以外の三人の動きを予測する。アリアは盾。状況打開の決定打は、ユキが捻り出さねばならない。
二人を迎え撃つのはやはり斧盾男。
風切音と共に振り下ろされた斧をアリアが盾で受ける。
その一撃は重く、加えてアリアは左腕を負傷している。返しとしてアリアが繰り出した剣撃では、斧盾男に大したプレッシャーをかけられない。
そしてまだ、斧盾男の奥で、槍男が致命的な一撃を狙っている。
これは無理か…?
躊躇ったとも言えない程のユキの逡巡。
しかしアリアは叫んだ。
「行け!!!信じろ!!!」
その檄で、ユキは逡巡するだけ勝機が少なくなる事を自覚する。そしてまるでアリアに背中を蹴り飛ばされた様に加速した。
アリアの背後を飛び出して、その奥の槍男に突撃する。
しかし、槍男はそれを読んでいたのだろう。完璧なタイミングで槍がユキの喉元目がけて迫っていた。
ユキはただ、ただ信じて進んだ。
アリアの言葉を信じて。
槍の穂先を避けようと首を捻るが、無理だ。
間に合わない。殺られる。
槍の穂先があと十センチまで近づいた時。
槍男の顔面を何かが直撃した。アリアが左手に持っていた盾だ。盾を投げつけたのだ。
その反動で槍の進路が僅かに逸れ、ユキの首に一条の斬り傷を残した。
「あああぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
ユキは槍男の横を通り過ぎながら、仕返しとばかりに槍男の喉を斬り裂いた。
しかしそれで止まらない。
ユキの本当の目的はさらにその奥。
スキル封じの玉を持った暗器使い!!!
これこそアリアとユキが真に狙っていた一対一。
まさか自分にまで戦闘が及ぶとは思っていなかったのだろう。
肩を跳ねさせる程に驚いていた暗器使いの顔面に短剣を投げつける。
だが彼もトップクラスの冒険者。流石の反射神経で、どこからともなく取り出したナイフでそれは弾かれた。
だが、目的は達成した。
この攻防においては、アリアとユキの勝ちだ。
両腕と視界が塞がれた暗器使い。混乱した頭の中で"それ"の優先度は著しく順位を下げているはずだ。
ユキが持つ扉の取手を一閃すると、スキル封じの玉は粉々に打ち砕かれていた。
「ぐっ!玉を割られた!!」
暗器使いの声が響くと同時に、ユキの身体に力が漲った。
スキルが、使える!
「アリア!成功じゃ!」
暗器使いに牽制の一撃を入れて退かせ、アリアの方まで下がる。
槍男は首から血を噴き出しながら、床で痙攣していた。きっと、もうすぐ死に至るだろう。
アリアは三人に囲まれているかと思いきや、スキルを取り戻したと言う事実が、斧盾男と剣三本コンビの詰めを押し止まらせていた様だった。
アリアと三人の睨み合いに参加する。
「ふぅ、これで勝機が見えたの。玉に瑕。良いメッセージじゃった」
「えぇ、子供騙しだけどね。こいつらがそれ以下で助かった。ただ、そこそこの代償を払ったわ…ゔっ…!!」
アリアから苦悶の声が漏れる。
ユキはそれでも敵三人から注意を逸らさない様に気をつけながらアリアを盗み見る。そして絶句した。
アリアは、左腕を失っていた。
上腕を半ばから断たれている。
ぼとぼとと流れ出る鮮血が、彼女の足元に黒い水溜まりを作っていた。
アリアの左腕はと言うと、斧盾男の足元に転がっている。きっと槍男に盾を投げ付けた事で、斧をまともに左腕に喰らったに違いない。
アリアは【保管】から最高級の回復薬を取り出して左腕にぶちまけた。
それを悲痛な目で見る。
一度回復薬で傷を塞いでしまえば、その腕は上級の回復魔法でももう元には戻らないと二人は知っていたからだ。
「やってくれるじゃねぇか…、一人やられっちまったが、一人補充でまた四人だぜ?どうするよおい?そっちは四本ある腕が三本になっちまったしなぁ?おっと!ここに落ちてるぜぇ?」
奴の言う通り、今度は暗器使いが戦闘に加わってくるだろう。
しかし、たとえアリアが片腕を失おうと、こちらは百種類ものスキルを取り戻した事を奴等は知らない。
今度はアリアとユキの溜まっていた怒りが牙を剥く番だ。
しかし奴等はまだ、自分達が優勢だと思っていた。
でなければ、そんな行動は取らなかっただろう。
「あぁあ、もったいねぇなぁ…」
斧盾男がアリアの左腕を拾い上げたのだ。
そして、あろうことか、その左手の小指を噛みちぎったのだった。
ユキの頭の中で、ブチッと音がした。
「【風刃】!」
斧盾男の左腕が飛ぶ。
装着していた盾と、掴んでいたアリアの腕と共に。
「ゔゔぐあああああぁぁぁぁぁ!!!」
ユキが放ったのは風属性の上級魔法。
本来であれば十数秒の詠唱が必要な大技だが、【詠唱短縮Lv5】の効果で多大な魔力と引き換えに詠唱なしでの発動が可能だ。その魔力消費ですら、【魔力消費軽減Lv4】のスキルで軽減されている。この二つのスキルの組み合わせだけで、Sランクパーティで十分活躍できる程に強力。ユキの場合はこれに【魔法威力増大Lv3】と、【魔法速度上昇Lv4】などのスキル等々が発動するため、ほぼノーリスクで一撃必殺の魔法が撃てる状況だ。
そして奴等も、今のが上級風魔法だと知っているのだろう。そのたった一撃を見ただけでも、全ての状況が覆った事を理解している。
いや、別に上級冒険者でなくとも、腕が何の前触れもなく切断されれば嫌でも分かるか。
「アリアの手に触れるな。貴様等、ここまでの事をしておいて、覚悟は出来ているのだろうな?」
四人を素早く【鑑定】すると、有用スキルは持ってはいるが、レベルも下で、スキルを取り戻したアリアとユキの敵ではない。
しかも事前にユキ達の事を調べていたのか、装備に魔法耐性がほとんどない。それは恐らくユキが人前で魔法をほとんど使って来なかった事が原因だろう。魔法を使わない相手であれば、物理防御を積む方が良いと言うのは常識だ。
それにあぁそうか。あのスキル封じの玉でスキルの発動が必須となる魔法攻撃は完封出来ると言うのもあったのかもしれない。
「すまんのぅ。飛ばした左腕は非常にもったいない事をした。残った右腕は、ゆっくりと一センチずつ、アリアと同じ所まで短くしてくれようぞ。【刃嵐】」
ユキの詠唱無しでの風魔法が、部屋の中を蹂躙する。それは風属性の最上級に位置する魔法。
先程の【風刃】の様な風の刃が、四方八方から四人に襲い掛かる。
これを防げるのは、盾職レベルの防具を装備した者か、高い魔法耐性のついた装備を着ている者くらいのものだ。
そしてユキの予想通り、突然の最上級魔法に、四人はなす術なく斬り刻まれていく。
耐えきれず、暗器使いと双剣使いが窓を突き破って飛び降りた。確かに賢明な判断だ。この塔の頂上から落ちて生き延びる自信があれば、それが最も有効な逃走ルートだ。
残ったのは斧盾男、そして長剣使い。
長剣使いは風の刃の当たりどころが悪かったのか、もうすでに死んでいる。
そして斧盾男は、なまじ魔法防御の装備を身につけていたためか、その場で耐えると言う選択をしていた。
ユキが、殺さない程度に、しかし身動き出来ない程度には魔法を集中させていたのもあるが。
風魔法が終わると、斧盾男は膝をついた。
右手に握っていた斧すら取り落とし、命乞いをする。
「悪かった!俺が悪かった!!!もうあんた達には手を出さねぇ!!!だから命だけは助けてくれ!命だけは!!!」
ユキは右手を翳し、いつでも魔法を食らわせるぞと威嚇しながら男を見下して答えた。
「では命は助けてやるから、自分自身で性器を切り取ってこちらに投げるがいい。アドバイスをするなら、しっかり根元から断つ事じゃ。その大きさ次第で許してやらんこともないからの」
「いや!そ、それは困る!!!命…命と股間も助けてくれ!!!」
「安心せぃ。妾達は貴様が死んだ後も、その死体を辱める事はせん。せいぜい四肢を切断して裸にして冒険者ギルドに置いてきてやる程度じゃ。何にせよ、絶対に後世に語り継がれる様にしてやるからの」
ユキはアリアの了解を得ず、男の四肢を切断した。
一度では断ち切れなかったので、複数回【風刃】を撃ち込む事になったが、四肢全てを切断し終えた時には、既に男は死んでいた。
そしてユキがアリアを振り向くと、アリアはその場に倒れ、気を失っていた。