104話 玉に瑕(きず)
生まれ故郷を取り戻した。
しかしアリアの復讐は、そこでは終わらなかった。
同じ体験をしたユキには分かっていた。今でも彼女の脳裏には、故郷を襲われた二年前。あの時の吊るされた人達が、あの壁に書かれた文字が、焼き付いて離れていないのである。
"異教徒は、皆殺し"。
その言葉の通り。アリアの復讐は"皆殺し"だ。
よって、彼女の次の標的は、ゴルゴン教国、本国へと移った。
つまり。街を一つ潰しただけでは飽き足らず、国を一つ。滅ぼそうとしたのだ。
ゴルゴン教国の首都の名は、ゴライアス。
その人口は約五十万人、広さと合わせて、アリアの故郷よりもかなり大きい。さらにはゴルゴン国全てを相手にするとなれば、難易度はその比ではない。
よって計画は以前とは違って、時間をかけて練った。
特に気を張ったのは、事前準備と、初動だった。
最初の五日。まずはそこで、首都ゴライアスにある出来る限りの教会を潰した。
それは昼夜問わず。必要最低限の食事と睡眠をとって、それ以外の時間はゴルゴン教徒をとにかく殺し回った。
首都と言っても、基本的に高レベルの人間が馬鹿みたいにいるわけではない。
暗殺者や暴動などから国のトップを護れる程度がいればいいからだ。加えてゴルゴン教国は、周囲の国と常に戦争状態となっている事で、本来は首都にいるべき軍隊すらも四方に散っている。
アリア達が暴れ始めて、首都が周りの領地に助けを求め、援軍が到着するまでの期間。それがだいたい五日間だった。
だからアリアとユキはその五日間で、約三十の教会を徹底的に破壊した。さらに、位の高い者も合わせて約五百人の教徒を殺した。
そして軍隊がある程度集まってきた頃には、逆に二人はそこにはいなかった。
隣国との国境付近にある最前線拠点へと移動し、今度はそちらで暴れ回ったのである。
高位の司祭や指揮官の暗殺を始めとして、兵糧に火をつけたり、武器庫の中身を丸ごと盗んで敵対国に売り払ったり、やれることは何でもした。
そして、拠点が弱体化している情報をいち早く敵対国へと伝える。すると、前もって準備していた軍隊があっと言う間に拠点を攻め落とす。
全て計画通りに事は運んだ。
事前準備として行ったのは、まずは他国とのパイプ作り。それはもちろん、ゴルゴン国と戦争状態にある四カ国すべてに行った。
二つ目は【空間転移】の準備。敵の情報網よりも速く行動を起こせる様に、重要な拠点には全て足を運んだのだ。
それだけに準備期間はかなりかかったが、効果は間違いなくあったと胸を張って言える。
その甲斐あって、そこからは炎が燃え広がるが如く。
アリア達のゲリラ的な撹乱に加えて、周囲の四カ国が一斉に侵略を始めたのである。みるみる内に、ゴルゴン国の領土は縮小し始め、三ヶ月ほどで、残るは首都だけと言う所まで敵対国の侵略を許したのだった。
もはや、どこの国が最初にゴルゴン国を攻め落とすか、と言う状態でさえあった。後は見ているだけでもきっとゴルゴン国は滅亡し、その名を地図から消すだろう。
しかし、アリアはその決定打を他の国に譲るつもりは毛頭なかった。
奇襲をかけたのは夜だった。
アリアとユキの二人は、教皇の住まう宮殿に潜入した。
流石にこちらの情報もある程度伝わっているためか、警備はかなり厳重だった。【気配察知】関係のスキルを持っている教徒も多数配備され、それこそネズミ一匹入れない程の体制だ。
だがもはや、そんなもので止まるアリアではない。
この時点でのアリアの、いや二人のレベルは58。
ゴルゴン国を攻め落とす過程で、Sランク冒険者を凌駕する実力を身につけていたのである。
それに加えて、もはや数え切れない程のスキルの数々。
二人はやすやすと、一時間もかからない内に教皇の寝室まで辿り着いた。
そこは宮殿の中でも一際高い所にある一室。地上まではおよそ数十メートルもある場所だ。
「いよいよか。ひどく長い道のりじゃった気がするの」
「何言ってるの、これからよ。これでやっと、あの時に止まったままの私の時は動き出すんだから」
アリアの目には、確かに光が戻りつつあった。復讐の先にあるその光。何千にも及ぶ命の果てにある幸せ。その光は、本当に彼女が求めていた物なのか。
ユキはこの戦いに結末が訪れる事に、嬉しさだけでなく、哀しさも感じていた。
「やって」
武器を構えたアリアから合図があり、ユキは教皇のいる寝室の扉を蹴破った。
扉の奥には、教皇がいた。
中肉中背、長い白髭。腐った色をした目。曲がった鼻と口。間違いない。
しかし、教皇は一人ではなかった。
教皇以外に、その部屋には三人の男達がいた。そしてアリアとユキがやって来た方向からもさらに二人分の気配。
「まずいアリア!罠じゃ!【空間転……」
実際にはユキの言葉よりも早く、アリアはその詠唱を始めていた。
【詠唱短縮Lv4】のスキルを所持しているアリアが、【空間転移】の詠唱にかかる時間は、約二秒。しかしそのごく短い時間ですら、二人には命取りだった。
「"展開"」
教皇が何か大きな玉を天に掲げ、その二文字を唱える方が余程早かった。
その玉を中心として、多少の衝撃波が身体を突き抜ける。攻撃性のあるものではない。しかしそれは確かに二人の身体に異変を引き起こした。
身体が重たい。
いや、正しくは、力が半分ほどしか出せない様な、そんな脱力感だ。
少し遅れてアリアの詠唱が完成した。
しかし二人の身には何も起こらない。詠唱失敗の可能性が頭に浮かぶが、魔法スキルに関してはたとえ失敗したとしても何かしらの反応はあるはずだ。それすらないと言う事は、魔法スキル自体が発動していないことになる。
「ユキ、今の何か分かる?」
「恐らくじゃが、スキルが使用できなくなっておる。身体の脱力感もそれが原因じゃろう。【筋力上昇】や【素早さ上昇】などの強化スキルも無効になっておる」
ユキは試しに大理石の床を踏みつけてみる。
本来であればクレーターができるほどの威力はあるはずだが、結果は一部分が割れるに留まった。
逃げるにしても、退路にはすでに二人の護衛が立っていた。
「なんだ。スキル無効?それだけ?ならもういいよ。このままやっちゃおう。スキルが使えないのは向こうも一緒でしょ?」
アリアがにらみつけた先には教皇と、それから護衛が三人。
アリアとユキの二人は、寝室に足を踏み入れると、これから戦場となる部屋の中を確認した。
人一人の寝室にこれほどまでに広さと豪華さが必要かと言いたくなる程の造りに呆れたのはユキだけではないはずだ。
アリアが武器を構える。それは片手剣と小さな盾だ。それを見て、三人いた護衛のうち、一人が前に進み出る。片手斧と丸盾を持った、巨漢の男だ。
敵は一騎討ちを御所望の様だ。
何故か教皇も逃亡する様子は無いので、それに興じることにした。アリアが前に出る。
先手はアリアだ。
大理石の床を粉々にしながら距離を詰め、獲物である片手剣を光速とも言える速度で閃かせる。それは間違いなく、直撃した者を即死させる一撃。
あと二人もいる。早く片付けてしまおう。
ユキにはアリアのそんな心情が手に取るようにわかった。
しかし巨漢は笑っていた。盾を引き上げ、絶妙なタイミングでアリアの剣を受け流し、体勢が崩れた所で斧を振り下ろす。
ヒヤリとした。
アリアは体勢を崩しながらも盾でそれを受け止め、衝撃でユキの足元まで弾き飛ばされた。
巨漢は片手斧を担ぎ直すと、下卑た笑いでこちらを煽って見せた。
二人は【鑑定】スキルを持っているが、今は使えない。
しかし確実に、こいつは強い。二人と同等か、もしくはそれ以上か。
今までは暗殺が主で、正面からの決闘は未経験だった弊害がここで現れる。二人はこの時、相手の実力を推し量ることができず、さらにはビビってしまった。
「こんなにレベルの高い戦士がおるとは聞いておらぬぞ。それにあやつ、どうみてもゴルゴン教徒ではない」
「馬鹿な奴等だ。どうやら自分達が裏切られる事は考えなかったらしい」
ユキの言葉に反応したのは、それまで息をひそめるかのように成り行きを見守っていた教皇だ。
どうやらアリアと巨漢の一幕を見て、身の安全を感じ始めたらしい。
「こやつはSランク冒険者だ。………レムスター王国から招待した、な」
その一言に、アリアとユキは絶句する。
「そしてこちらはブル帝国から。こっちは我がゴルゴン教国の。それから、おぉ、やっと来たか、君達の後ろに来た二人はヤズールとファレオから。
全員がSランク冒険者か、それに匹敵する実力の持ち主だ」
アリアの背後からも、もう二人、護衛が現れる。護衛は全部で五人。彼が言うに、その全員がアリア達と同等の実力者らしい。
そして丁寧に教皇が説明してくれている間に、ようやくこの状況に理解が追いついた。
ヤズール、ブル帝国、ファレオ、そしてレムスター王国。
どれもこのゴルゴン国と敵対し、今もまさにこの首都を包囲している四カ国だ。
つまりアリア達はその四つの国に、最後の最後で裏切られたのだ。
理由はわからない。
もしかするとアリア達の力が、彼等の目にも脅威と映ったのかもしれない。
「ふふふ、あははははは…。そう。こういう展開は考えて無かったわ」
アリアの高笑いが部屋に響いた。
その笑いはどこか諦めや、呆れを含んでいた。
「でも教皇さん。あなた、本当に救いようのない人ね。あなたはこの状況で、自分がただの"餌"だと言うことにまだ気づいていないんだもの」
アリアの言葉に反応したのは、教皇の横に立っていた護衛の一人。アリアと同じくらい小柄なその人物は、なんの躊躇いもなく、まるで朝食にフォークを刺す様に、教皇の喉にナイフを突き立てた。
そしてその護衛は、倒れる教皇から例のスキル封じの玉を奪い取った。
「まったく。他の四国からしたら、あなたを生かしておく価値なんて皆無でしょうに。おとなしく死んでいればいいものを。余計な事をしてくれたわね」
アリアが武器を構え直すと同時に、護衛達全員が臨戦体勢となる。
ユキも気合を入れ直して、懐から短剣を取り出した。普段は武器など使わないが、スキルが無いのであれば少し頼るしか無いだろう。
「オイオイ。もう止めとけよ。この面子相手じゃ無理だぜ?そっちは女二人ってのが意外だったが、悪いようにはしねぇぜ?俺達も男だからなぁ。頼み方次第じゃ脱がして、いや逃がしてやらん事もねぇぜ?」
「けっけっけ、本音が漏れてるぞ?」
「おい、お前等やめろよ。俺はそう言うのは好きじゃねぇ。ひと思いに殺してやれよ。そっから好きにしろ」
護衛達はすでに勝ったつもりらしい。その後の事しか頭にない様子だ。
まったく。男と言うのは。
揃いも揃ってクズばかりだ。
ただ笑い事では無い。こうなればユキとアリアは戦うしか無い。こいつらを皆殺し、少なくとも戦闘不能まで持っていくか、隙を見て逃げ出すか。
しかし、ユキが選択を迷っている隣で。
アリアはそんな男達の下種な軽口を上品に笑い飛ばした。
「残念だけど。貴方達みたいな人はタイプじゃないの。もっと白馬の王子様みたいな人がいいのよ。優しくて、丁寧で、気遣いができて、声が低くて、イケメンで、細マッチョで、背が高くて脚も長い人。貴方達みたいな筋肉と性器に脳みそが少しだけついてる様な人達じゃなくて。
それに自慢じゃないけど。私達の取り柄は可愛いってだけじゃないの。薔薇に棘があるみたいにね?いえ、私達の場合は、玉に瑕かな?
まぁなんにせよ、ただでは殺られないわ」
アリアがこちらをみながらにっこりと笑う。
そのいつもとは様子の違う笑い方。アリアのその笑顔と言葉でシオンは彼女の意図を理解した。
【共有】が使えない今。アリアがユキに伝えようとした言葉が。
「その話、乗ったぞ。死んでなお辱められるのは嫌じゃからの。好きなだけ暴れるが良い。その隙に、妾がこいつらのタマを全て潰してまわろうぞ」
そしてユキも、アリアにそう答えるのだった。