102話 壁に見たもの
「ねぇ!友達になってくれるの!?くれないの!?」
アリアは得体の知れないシオンにも臆することなく、ぐいぐいと詰め寄ってきた。大狐の姿を見ているにも関わらず、全くビビっている様子はなかった。
その時は、"こいつ、剛胆なのか阿呆なのか"と思ったものだが、そのどちらもあながち間違えてはいなかった事は後々知ることとなる。
その後、シオンはアリアに連れられて彼女の住む街へと向かった。そこで、アリアのスキルによってシオンが召喚された事を知った。
その時にアリアは、シオンがもし元の場所に帰りたいのであれば、恐らくそれは可能であるとも説明した。
シオンは選択肢を与えられ、そして自らの意思で彼女としばらく過ごす事を決めた。"ユキ"と言う名前も、その時にアリアにつけてもらった物だ。"ユキ"の髪の毛が白銀に輝いていて、雪を連想させるからだそうだ。
一応なんとなく理解はできていたが拙かった人間の言葉も、アリアに教えてもらったり、アリアの身近にあった書物などで勉強した。古めかしい話し方も、その時に読んだ書物の影響によるものだ。
本当は普通にも話せるのだが、その話し方が一番かっこいいと思ったのだ。
ユキと出会ったとき、アリアは二十歳だった。
アリアの住む街はそれなりの大きさがあった。アリアの父親は商人をしていて、裕福な家庭だった。よって、ユキ一人の食いぶちが増えたところで養うのに問題はなかった様だった。
そしてわざわざ異世界から召喚されてやってきたユキの役目についてだが。
………アリアは、召喚したユキに何をさせるわけでもなかった。
ダンジョンに向かわせる事もなく、それこそ雑用を押し付けたり、家事をさせるわけでもなかった。
ただただ、一緒にいて欲しがった。
共に起き、共に食べ、共に学び、共に寝る。それだけで良いと言われた。
ユキも今まで人生のほとんどを一人きりで過ごしてきた事もあり、アリアと、そしていろいろな人に囲まれての生活は心地よかった。
アリアは第一印象通り、天真爛漫な女の子だった。
好きなものは好きとハッキリ言うし、嫌いなものも嫌いとハッキリ言ってしまう性格で、友達はそんなに多くない様子だったが、もともと魔物であるユキにとっては分かりやすくて好きだった。
アリアとユキは、常に一緒にいた。
ユキの獣人の様な外見の事がなければ、仲の良い姉妹だと思われただろう。
毎日が平和で、ユキは今までに感じたことの無い、"平穏"や"幸せ"を感じていた。
しかし、それは起こった。
それは、ユキが召喚されてから、二年が経った頃だった。
その日は当たり前のようにアリアと一緒に起床して、午前中は家で勉強をした。主には商いについての内容だ。アリアは将来、父親の仕事を継ぐのが夢らしい。
午後からは市場へ行き、食材の買い出しをしたついでに本屋などを練り歩いた。
そしてアリアの母親が手によりをかけて作ってくれた夕食をいただくと、当たり前のようにふかふかのベッドで眠る。
ユキは、独りの時では考えられないほど、熟睡するようになっていた。安全の中で眠ることが出来る、それがどれほどありがたい事か。しかしそれは今思えば、大きな間違いだった。
あまりにも安心しきって眠っていたため、ユキはその騒ぎに、すぐには気付けなかった。
「アリア!ユキ!起きるんだ!」
それは、アリアの父親の叫び声だった。
夢を引き裂く様なその声は、一瞬誰の物かわからなかった。
しかし、暗闇の中で二人が飛び起きると、既に父親は部屋に入ってきていて、数秒かかって彼の声だった事を認識する。
そんな間にも、彼は外套を取って二人に投げ渡していた。
部屋がやけに明るいと思ったら、窓からゆらゆらと明かりが入り込んでいる。立ち上がって窓の外を見ると、火だ。街中のどこかで火の手が上がっている。
「ゴルゴン国が攻めてきた!二人は練習通りに馬を駆って近くの森へ向かいなさい!」
アリアの父親は二人を慌ただしく部屋から追い出すと、先に階段を降りていった。
「あぁ、アリア!ユキ!」
悲痛な顔で二人を抱き締めたのはアリアの母親だ。
父親はリビングの奥に納めてあった武器や防具を引っ張り出し、不慣れな様子で身に付け始めていた。
「いい?馬で森まで行くのよ?何度も練習場したわね?そこからはテスおばさんのいるロンデスの街を目指すのよ?」
「おい!ちょっとここを手伝ってくれ!」
母親は防具の装着を手伝いに行ったが、遠目に見てもその手は震えていて、それを寝ぼけながら見ていたアリアの顔に恐怖の色がみるみる増えていった。
「………ちょっとお父さん?何してるの?」
「父さんと母さんは少しでも時間を稼ぐために応援に行かなきゃならない!」
父親が装備をつけ終わると、今度は母親が防具を身に付け始めた。
「え??………ダメだよ!………逃げなきゃ!!お母さんは主婦でしょ!?お父さんだって商人なんだよ!?勝てるわけ無いよ!!!」
「アリア………」
母親が涙ぐみながら駆け寄ろうとするが、父親がそれを強引に引き留めて防具をつけていった。
「………勝つために行くんじゃない。子供達を少しでも遠くに安全に逃がす。そのために行くんだ」
アリアも、きっとその意味は分かっている。
もう二十二だ。子供じゃない。
「アリア、必ず生きてくれ。可能ならば、幸せに生きて欲しい。運が良ければまた会える。いつも言っているだろう?"長生きしろ。早死にするほど"………?」
「………"損な事はない"」
「そうだ。いい子達だ!さぁ!これ以上に火が近付くと、馬が興奮して扱いが難しくなる!行くんだ!」
装備を付け終わったアリアの両親は、アリアとユキをまとめて抱き締めると、すくに扉に向かって背中を押した。
玄関から一歩外に出ると、そこは起きた時より何倍もうるさくなっていた。慌てふためいて、走り回る人達でいっぱいだ。
「二人は馬のところへ!幸運を祈っている!」
「アリア!ユキ!後から必ずロンデスに迎えに行くからね!」
「アリア!行くのじゃ!」
両親を目で追い続けるアリアを引っ張って、ユキは馬小屋まで行った。二頭のうち一頭は盗まれていたが、幸いアリアとユキなら二人で一頭に乗れたので、そのまま街を脱出した。
脱出ルートはもともと決められており、何ヵ月かに一回は練習させられていたので、頭に入っていた。
手綱を引いていたのはユキで、アリアはユキの背中に顔を埋めて泣いていた。だから、道に転がる悲惨な光景を見ずに済んだのは幸いだったかもしれない。
森まで辿り着くと、街中が炎で明るく照らし出されていた。
本当であればそこからロンデスまでは休むことなく走る予定だったのだが、アリアがそれを拒否した。朝までで良いから、両親が追って来るのを待つと言って聞かなかった。
ユキは幸い夜目が利くので敵が来ればすぐに分かるし、確かに夜の森の中を馬を走らせるのはリスクもある。ゴルゴンの兵士が追って来ない限りは、ここから見ていても大丈夫だと思った。
そして、数時間で夜が明けた。
その頃には火の手も少しおさまっており、うっすらと街の城壁が見えるほどになったのだが、その城壁に異変があった。
とてもではないが、アリアには見せられない様な異変が。
「アリア。明るくなれば追手が来るやもしれん。もう限界じゃ。ここを離れるぞ」
ユキはいち早くそれに気付いて、アリアをロンデスの街へと向かわせようとした。しかしそのユキの言葉と様子に、アリアは違和感を感じらしい。
「もう少し近くに行って見てみるわ!」
馬に飛び乗ったアリアはユキの制止を振り切り、街へ向かって馬を駆った。ユキはそれを見送るしかなかった。
その時、数秒の間でさえ涙を隠し切れなかった事、そして街へ向かうアリアを全力で止めなかった事を、ユキは生涯後悔する事になる。
そして数十分後。
アリアは戻ってきた。
二人は何も会話せず、言葉すら発することもなく、ロンデスの街へと向かった。
アリアの後ろで馬に揺られながら、ユキは後ろを振り返る。
街の城壁には、至るところに文字が書き殴られていた。
"異教徒は皆殺し"。
そしてその城壁の上からは、年齢や性別すら分からなくなるほどに真っ黒に焼かれた遺体が、所狭しと吊るされていたのだ。
話はそこから二年後に飛ぶ。
ロンデスに居を構えるテスおばさん。
彼女の所での二人の生活は、以前とは大きくかけ離れた物だった。
テスおばさんがとてつもなく意地悪だったり…と言った事はなく、彼女は二人を本当の子供の様に愛してくれた。それに有名な冒険者だった彼女の父親の遺産もあった事で、暮らしもそこそこ裕福だった。
変わったと言うのは、アリアだ。
アリアは、"冒険者"になっていた。
「【斬撃】!ユキ!奥のヘルハウンドを牽制して!」
「うむ!それから交替じゃ!」
「【盾】!"交替"じゃなくて、"スイッチ"だって言ってるでしょ!その方がカッコいいんだから!【斬撃】!」
「あーうるさい!それよりまたスキルに頼りすぎじゃぞ!」
「いいのよ!精神回復薬ならまだ持ってる!」
二人はロンデスから遠く離れた所にある、21~29レベルのダンジョンの中にいた。他にパーティメンバーはおらず、常に二人だけで数匹の魔物を相手にしている。
二年前、アリアのレベルは16だった。
一般的に見て、二十歳の女の子としてはなかなかに高い方だ。しかし、今のアリアのレベルは29。中堅の冒険者と言われる程の実力を備えている。
冒険者になると決めたのが一年前。
そこからロンデスの街の近くでレベル上げを開始し、【空間転移】を使えるようになってからは遠方のダンジョンにも足を伸ばしている。
アリアが冒険者になると言い出した事は、ユキにとってはそこまで意表を突かれる内容でもなかった。両親の事と無関係でないのは明白だったからだ。
アリアは特殊なスキルをもっているものの、それ以外は普通の女の子だった。それが、いきなり血生臭い冒険者になると決意したのは、生半可な覚悟では無かっただろう。
実際に、初めて冒険者ギルドに登録に行った際には、多くの冒険者から好奇の目で見られ、心無い言葉を投げ掛けられたものだ。
しかし、アリアは折れなかった。
他の冒険者の助力を借りようとはせず、自身とユキの力のみでそのレベルまで登り詰めた。もはやロンデスの冒険者ギルドに、ユキの相手になる様な冒険者はいない。皆から一目置かれ、尊敬すらされ始めていた。
ただそれすらアリアの眼中には無かった。
アリアには、目的があった。絶対に譲れない目的が。
ユキはそれにも気付いていた。
気付いていて、目を逸らしていたのだ。
ある晩。
ユキの隣で眠っていたアリアは、ユキにバレないように家を抜け出した。その動きに、ユキはすぐに気付いた。あの二年前の夜以来、熟睡はしていなかったからだ。
そしてアリアは、家からかなり距離を取った所で、【空間転移】を使ってどこかへ行ってしまった。
ユキは胸騒ぎがした。
しかし、【空間転移】はアリアしか使えないスキルだ。もしユキが使えたとしてもどこに飛んでいったのかも分からない。
つまり、待つしかなかった。
ユキはベッドの中で、狸寝入りをして待っていた。そして結局、その夜アリアは帰ってこなかった。
次の日の朝、何食わぬ顔で挨拶した彼女からは、うっすらと血の臭いと、何かか焦げた様な臭いがした。
そしてそれは毎晩の様に続いた。
初めはかなり慎重な動きで抜け出していたアリアも、ユキが気付いていて何も言わない事を知っているかの様に、大胆に出ていく様になった。
そしてその頃からだ。
レベルアップの速度が嘘のように上がったのは。
アリアは夜中に抜け出してまで、魔物と戦っている。ユキを起こさないのは、オーバーワークは怪我をするリスクも高いとユキが口酸っぱく言っているからか。
しかし、夜までと言うのは、やはりやりすぎだ。
数ヶ月もそんな生活が続くと、アリアの様子は徐々におかしくなっていった。表情は冴えず、以前はよく笑う明るい性格だったのが、今や廃人寸前だった。
そうなってようやく、ユキは意を決してアリアに進言した。
"夜までレベリングをするのはやめた方がいい。何のために強くなろうとしているのかは知らないが、目的を達成するよりも先に病気になってしまう"と。
しかしそのユキの言葉に、アリアは久しぶりに笑った。
"何言ってるの。これこそ私の目的よ。でもそろそろ、いいかもね。今日の夜はユキもついてきて"
そう言って、アリアは微笑んだ。
今作品中に登場する人物、宗教団体は実在するものとは一切関わりはありません。
あくまで素人の想像により生まれたものですので、それ以上の意味は有りません。