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真夜中の来訪者

作者: Kuroro

先日、実際に体験した話を物語風に書いてみました。



大学3年の秋。


就活を間近に控えた俺は先日、中学時代の友人数名と集まり、当時を振り返りながら近況報告などを踏まえ、地元の居酒屋で共に酒を酌み交わした。


俺以外は皆、高校卒業すぐに社会に出て働き始め、本当の意味での大人の仲間入りを果たしていた。


大学生活も後半。


周りの奴らはインターンシップや就活セミナーに積極的に参加している中、俺は未だに自分が一体何をしたいのか分からずにいた。



将来どんな道に進み、誰のために尽力したいのか。



そんなことすら決まっていない状態に、俺は焦りや不安を感じていた。



思えば俺はいつもスタートが遅かった。



高校受験も大学受験も他の奴らがすでにスタートを切っているのに対し、俺はスタートラインにすら立てていない状態がいつも続いていた。


ようやくスタートを切った頃には、他の奴らは皆とっくにゴールを迎えていて、眩いほどの笑顔をゴールラインの向こう側から俺に向けて来るのだ。


十割十分、悪いのはスタートをうまく切れなかった自分だということを自覚はしているのに、怒りの矛先はいつも他人に向けていた。




「あいつがスタートの切り方を教えてくれなかったから」


「あいつが応援してくれなかったから」


「あいつが俺のことを心配してくれなかったから」



俺はそんな自分が嫌いだった。




彼らはそんな俺の就活に対する悩みに親身になって答えてくれ、励ましの言葉を多くかけてくれた。



酒が回っていたこともあって少しナーバスになっていた俺は、彼らの言葉一つ一つに涙しそうになった。



彼らと共有している時間がとても心地よくて、まるで毎日が幸せに満ち溢れていたあの中学時代に戻ったかのようだった。



そんな幸せを感じる時間が過ぎるのは早いもので、気がつけば時計の短針は天辺をすぎ、日付が変わっていた。


皆の中には、明日も早朝から仕事があるという者もいたため、その日はこれでお開きということになった。



地元がかなりの田舎ということもあり、終電はとっくに発車した後で、俺は酔いを覚ます目的も兼ねて家まで歩いて帰ることにした。


灯りの少ないこの街では、夜空に輝く星々の光がはっきりと目で捉えることができ、たまには1人で夜道を歩くのも悪くはないと思った。




30分ほどかけて家に帰った時には、家族はすでに皆眠りについた後だった。


物音を立てて起こさないよう、細心の注意を払いながら玄関の扉を閉める。


この時すでに時刻は深夜の2時を回っていた。



このまま俺も寝てしまおうかとも思ったが、時間をかけて夜道を歩いてきたこともあって体に溜まったアルコールはほとんど抜け切っていて眠気はなかった。


とりあえずシャワーだけでも浴びてこよう。


体を温めれば眠気を時期にやって来るだろう。



そう考えた俺は、着替えを持って脱衣所へ向かうと、洗濯機に脱いだ衣服を放り込み、産まれたままの姿で浴室へ入る。


浴室にある低い椅子に腰掛け、カランを捻ると水圧の強いシャワーが出た。



深夜ということもあり、シャワーから噴出される水の音さえもうるさく感じた。


とりあえず頭を洗うか……




そう思って正面にあるシャンプーに手を伸ばした時だった——



シャンプーやボディーソープが並ぶ台に”そいつ”がいた。





見るだけで背筋にぞわぞわと悪寒が走るような気色の悪いフォルム。


光を反射するぬらぬらとした体表の粘液。


伸縮を繰り返す特徴的な角。





——そう、ナメクジである。






アアァァァァァァァァァァァァァ!!!



そう叫びそうになるのをグッと堪え、俺はそいつから距離を取る。



ここで大声を出してしまえば、眠りについている家族を起こしてしまう。



焦りと恐怖を感じながらも、不思議と冷静を保てていた。



俺はもう一度そいつに目を向ける。




やはりいる。


間違いなくこいつはナメクジだ。


何かと見間違えたわけではない。




俺は別にナメクジが嫌いというわけではない。


しかし、セーフティースペースだと思っていた場所になんの前触れもなくこうして現れるとなると、やはり驚く上に恐怖もする。



そもそも、こいつは一体どこから侵入してきたんだ?


我が家の浴室にはナメクジが入ってこれる隙間なんて存在しない。


排水口にも網目の細かいネットが取り付けられているため、そこからの侵入も不可能だ。



俺は一度そいつの侵入方法について考えるのをやめ、通常の3倍のスピードで頭と体を洗うと、適当にシャワーを浴びてすぐに浴室を出た。


一刻も早くそいつと同じ空間から脱したかったのだ。


浴室を出て、服に着替えた俺はそいつの侵入経路を探ることもせずに自室へ戻った。


虫すら素手で触れない俺にナメクジの駆除なんて出来るわけもなく、その日は諦めて眠りについた。





あくる日。


俺は同じ家に住む祖母に昨晩の出来事を話し、ナメクジの駆除を依頼した。


塩を持った祖母と共に、昨夜そいつと出くわした浴室へ向かうと、不思議なことに奴の姿は無くなっていた。


天井や浴室の隅、浴槽や窓の溝まで隈なく捜索したが奴は見当たらなかった。


機動力に優れたカエルやゴキブリなどならともかく、相手はあのナメクジだ。


たった数時間で元いた位置からそんな遠くに移動することが出来るとは考えにくい。



しかし、やはりどこを探してみても奴の姿は見つからなかった。



最終的には、俺の見間違いということになり捜索は打ち切りになった。



いくら俺が「あれは見間違いなんかじゃない!」と抗議したところで、現実問題、そいつはどこを探しても見当たらないのだ。


俺は渋々部屋に戻った。





それから3日ほどたったある日、俺はまたもや浴室でそいつに出くわした。


今度は浴室の壁にベッタリと張り付いていた。



その日も時刻は深夜だった。


家族が入浴している時には出現しないのに、俺が決まって深夜に浴室へ入ると、突如としてそいつは現れる。


さらにそれから3日後。


やはり深夜になると、そいつは浴室に現れた。



最初は心底気持ち悪いと思っていたが、こう何度も遭遇するとなんだが愛着のようなものが湧いてくるようになった。


別に俺に対して何か危害を加えるというわけでもない為、そいつに対する恐怖心も薄れていった。



それからもそいつは度々深夜に現れた。


4度目に遭遇したあたりから、俺はそいつに語りかけるようになっていた。



「今日はこんなことがあったんだ」


「最近はやたら肩が凝る。お前は肩とか凝りそうにないよな」


「お前はいいよな……就活とか無くて」



そいつはそんな俺の一言一言に対し、角をピコピコと揺らして応えてくれた。



ひょっとするとこいつは、俺だけに見える我が家の守り神なんじゃないか?


そいつと遭遇するたびに、そんなことを思うようになっていた。






しかし、そんな事が続いたある日の朝。

俺が目を覚まし、朝食を摂るために居間へ向かうと祖母が「あぁ、そうだ」と声をかけてきた。




「お前が言ってたあのナメクジ、今朝発見したから駆除しておいたよ」





俺はそれを聞いて愕然とした。


俺が依頼し、俺が望んだことのはずなのに、その報せを受けて真っ先に浮かび上がった感情は安堵ではなく悲哀だった。



俺だけに見える友が命を落とした。


その事実を知り、心にぽっかりと孔が空いてしまったかのような虚無感に駆られた。




「あぁ……そう。……ありがとう」




俺は引きつった笑顔でそう言った。




朝食を食べ終え、自室へ戻った俺は酷く後悔した。


俺の一言のせいで、あいつは殺されてしまった。駆除されてしまった。


塩をかけられ、溶けるように干からび、そして消えてしまった。




命の価値は平等ではない。


なんの罪悪感もなく俺たちは当たり前のように牛や豚の肉を喰い、虫を殺す。


だから、祖母があのナメクジを駆除したことを誰も咎めることはできない。



俺はただ、俺自身をひたすらに責めた。



あいつはただそこに居ただけで、何も悪いことはしていないというのに、『気持ちが悪い』というただ一時の感情で、儚い命の炎を俺が掻き消してしまった。



謝っても済むことではない。


それでも俺は、天に旅立ったあいつに謝ることしか出来なかった。




もし、叶うのであれば、今度は人間として生まれて来てくれ。


そして、今度は本当の友として俺と接してくれ。



俺は塩をかけられ萎んでいったあいつを思い浮かべながら、秋晴れの空をジッと眺めていたのだった——









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