勢いで出かけたのは正しかった ①
『啓人さん、本当にやる気あるのかな?』
人が怒るときは怒鳴るよりも、静かに言葉を強調させていう方が怖く感じる。そう、今みたいに。
『ずっと家に引きこもってだらだら自堕落な生活送り続けて、この間大学辞めてようやく身辺整理してまっとうに生きてくれるかと思ったら、またニート生活に逆戻りですか? 綾音さんとのことだってそうだよ。ご飯一緒に食べるようになってちょっとは進展したんだって嬉しかったのに、あれから、何? 啓人さん何かしたの? 綾音さんに頼ってばかりで情けなさすぎでしょ。もっとリンカーとしての自覚を持ってもらわなきゃ』
反論する暇も与えずサインがつらつらと言葉を並べる。
正論すぎて返す言葉もない。
いつものように夕飯も食べ終えもう寝るかというときに、電気を消した部屋の中で電子音と共に手元が明るくなった。見るとサインからの着信が表示されていて、どうしたのだろうと思いつつ通話ボタンをタップしてサインとつながった。そうして今の状況に至る。
「けどさ、やり残したことなんてさっぱりだし」
『啓人さんがわからなくても、彼女はどうなのさ。一緒に住んでからけっこう時間経つけど、啓人さん彼女の事どれぐらい知ってる?』
「えっと……」
そう言われて俺は彼女のことをまるで知らない事を知る。年齢、好きな食べ物、趣味、苦手なこと、なぜこんな契約をしたのか。一つだってわからなかった。
『ちゃんと彼女の事を知る努力はした?』
「……まだ何も、してません」
『そんなことだろうと思ったよ』
サインのあきれ声が僕の頭に響いてくる。リンクギアでの通話は普通に話す時と違ってダイレクトに頭の中で聞こえるので、電話しているというよりも心の声と話しているような感覚に近い。
そんなだから、サインのストレートな言葉も心に刺さりやすく、俺のヒットポイントはもうゼロに近い。
「これからしっかり彼女のこと知っていくよ。やり残したこと叶えるためには彼女の協力も必要だしな」
これ以上サインの琴線に触れたくない俺は今考えられる最善の返答をする。
『そうそう、啓人さん。ちゃんとわかってくれてる!』
いつもの明るい調子のサインに戻り、俺はほっと胸をなでおろした。
『それで、これからって、いつかな?』
「へっ?」
『まさか君たちには一年しか猶予がないって言っているにも関わらず、先延ばしにするなんて考えてないよね』
布団に入っていた俺は脊髄反射でベッドの上に正座する。
「明日、明日ちゃんと橘さんと話すからさ」
『こういう話をするときに明日って言葉を使う人は、いつまでもその明日やるべきことをしないんだよ。啓人さんはそんなことしないよ、ね?』
「はい! しません、しませんから!」
正座の状態から見えないサインに向かって頭を下げる。この光景を誰かに見られたら、ひとりで勝手に土下座を始めた危ないやつだろう。見ている分には実に面白い。
『じゃあ、明日じゃなくて今日やろうか』
「それって……」
『これから綾音さんの所に行ってさ、二人で出かけようって誘ってきなよ。ずっと家にいるんだから、ちゃんと外に出て活動してきなさい』
「だけどもう二十二時になるよ?」
『もう! ぐだぐだ言ってないでさっさと行ってこい!』
「わ、わかったって」
サインの勢いに負けて隣の彼女の部屋に向かう。手が空中で止まったまま震えだしてノックできない。
『はーやーくー』
「ちょっと待って心の準備が」
落ち着こうと深く吸い込んだ息が詰まってむせかえる。一向に戸を叩かない俺にしびれを切らしたサインは
『こういうのは勢いが肝心なんだって! ほら行くよ! 3、2、1――!』
「ココッ、コンコン、コン」
震えたまま叩いたせいで変なリズムを刻んでしまった。
ドアの向こう側で布がこすれる音が聞こえ、その数秒後にドアが開いた。半分ほど開かれたそこから彼女がそろりと顔を出した。
「瀬尾君、どうしたの?」
「夜遅くにすみません。あの、ですね……」
ここまで来ても踏ん切りがつかず、次にどう話していいかうまく言葉にできない。
彼女は右手で左肘を掴みキュッと自分を抱きしめるようにして、不安げな様子だ。
『はい、3、2――』
「俺と明日出かけてくれませんか!!!」
「えっ?」
九十度に頭を下げて、勢いに任せ叫ぶように言う。彼女は驚いて肩をビクッとさせた。
「瀬尾君が、私と?」
「だめ、ですかね?」
顔だけあげて、彼女の方を見た。ただでさえ浅くなった呼吸のせいで息苦しくなっているのに、俺は彼女の返事を息を止めて待ってしまう。
「――うん、いいよ」
頭上から声が降る。止まっていた息が漏れて、安堵のあまり大きなため息が出た。
「よ、よかったぁ」
「私も瀬尾君とお出かけしてみたかったし、朝ご飯の後からでいいのかな?」
「はいっ! よろしくお願いします!」
「うん、こちらこそよろしくね」
彼女を誘うというミッションをクリアした俺は、それはもう上機嫌で彼女に答えた。扉の前の彼女は「それじゃあ」と言いながらドアノブに手をかける。
「また明日ね、おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」
誘いを受けてもらえた余韻が残り、すでにピタリと閉められているドアを立ったまま眺めてしまう。
『啓人さんって、実はかなりヘタレ?』
いきなり聞こえてきたサインの声に心臓が飛び出そうになる。まだ、通話は切れていなかったみたいだ。ということは、さっきまでの彼女との会話やなんかも全部、サインに筒抜けだったということで……。
「そんなことない!」
全力で否定して、自分の部屋へと戻る。
そのまま恥ずかしさと、いたたまれなさでベッドに飛び込んだ。布団に顔をうずめても、おかしそうに笑うサインの声は消えない。
『明日、がんばってね。報告よろしく~』
「そんなの、絶対しないからな!」
リンクギアに向かって言ってみたが、通話は切れているようだった。ため息をついて、天井を見上げる。
彼女を無事に誘うことができた嬉しさがじわりと内側の方から出てきて満たされる。こんなふうに誰かを誘うなんて経験はほとんどなかったから、うまくいったことが素直にうれしい。とはいっても、サインの手厚いアシストがなければ実現しなかっただろう。サインのお節介にも感謝しなくては――。
彼女と明日行く場所を思い浮かべ、俺は幸せな夢を見た。