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俺と彼女の正しい逝き方  作者: クルハ
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義理を通して大学を辞めに行ったのは正しかった ②

 久しぶりに来た大学は、人がまばらだった。いつもなら学生が講義の間や二限の終わりに集まってちょっとした憩いの場になっているここも今日はその姿がない。そうして俺はようやく世間一般の人たちにとって、ちょうど夏休みであると思い当たる。自主的な長期休暇を作っていた俺はそのことをすっかり忘れていた。けれど思い出したところで取り残されたような虚無感は無くならない。


 こうしてみると俺は本当にここに来たかったのかと疑ってしまう。というのは「目的を果たす」という意味でなく、「入学したかったか」という視点からである。浪人して入ったここは本来俺が入るべきだった場所とは正反対の場所だった。


 なんてことはない、よくある話だ。


 父が医者である俺は幼い頃から医者になることが正義のだと思っていた。医師の資格を得るには国家試験がある。その前だって医学部のある大学に入学しなければならない。だから俺はいつだって、いい成績を保ち、人格者としてふるまい、正しくいた。それが両親の望みであり、俺が生きる意味だった。疑問を抱くことなんてなかった。俺にとって父親の跡を継いで医者になることは、人生の決定事項だった。


 けれども、俺が今いるのは三流――とまではいかないが両親が期待していた所には遠く及ばない。もっと言うと医学部ですらない。名前を言っても「ああ、そんなようなところもあったね」と薄笑いと共に(かわ)されるような私立の文学部。

 それなのに、何も言わずに進路を変えたことに父さんも、母さんも「啓人のやりたいようにすればいい」と言う。怒りもせず、落胆するでもなく。


 そのすべてを受け入れてくれる優しさは、俺の心に強く抉る痛みを残すだけだった。


 花が散り葉の生い茂る桜の木々の間を鈍い足取りで通り抜けていく。見事なまでに晴れた空から無遠慮に浴びせられる光線に、しばらく外に出ていなくて慣れない目を細める。アスファルトがため込んだ熱は足を()うように伝ってじっとりとした汗が噴き出す。


 もうずいぶん歩き続けているのだが、目的の場所にはまだたどりつけていない。さっきも見たような道にあたり今度は左に曲がる。大きな通りの裏に入ると建物の影が俺の上に覆いかぶさって、じりじりと焼ける肌に一呼吸させた。


 入学した時の手続きで何度か来ていたはずなのに、しばらく来ていなかったせいか道をすっかり忘れてしまっていた。このままだと手続きの前にこの暑さにやられて家に帰ってしまいそうだ。俺は観念して


「教務課への道を教えてくれ」


『はい、かしこまりました。ルート案内を開始します。直進し、次の棟を左です』


 起動させたリンクギアに聞く。俺よりもこの大学に詳しい案内人だ。

 その声に従いながら俺は溶けてしまいそうな暑さから逃れるために、足を速めた。




 ◇ ◇ ◇




 体にしみた汗が気化して、エアコンがよく効いた部屋でさらに涼しさを増す。


「あっ、あの……退学の手続きをしたいのですが」


「退学のお手続きですね、少々お待ちください」


 特に驚いた様子もなく事務的な対応で、受付の人が奥へと消える。こんな風に辞めていくやつは俺だけではないのかもしれない。


 外観に比べて少し……いや、かなり古びた建物の中で俺は落ち着かず「これからどうなるんだろう」なんてことばかり考えていた。心臓が痛い。

 もともとは白かったのだろう壁も、すすけた灰色ともつかない色に変色してまだらに模様を作っている。そろそろ建て替えてもいいんじゃないか。耐震工事くらいしておかないとぐしゃっと潰れてしまいそうな脆さが見える。


「お待たせしました。こちらの退学届けに必要事項を記入してください」


 気配をさせずに近づいていた彼女の存在に、やっと気が付く。


「ありがとうございます」


 早口になって対面式のカウンターから逃げるように左手に見えていた筆記スペースへ向かう。といっても折り畳み式の長テーブルにプラスチックのボールペン立てが置いてあるような簡易的なもので、受付からの移動距離、十歩と言ったところなのだが。

 背中に視線が刺さる、若干気まずい状況から抜け出したくて手早く必要事項を埋めていく。名前や住所などの項目を順番に書き終えたところである欄が目に留まる。


「退学理由、か」


 どう書いたらいいのやら。インクの出がいまいちなボールペンを、コツコツと打つ。正直に、見知らぬ少年と契約してあと一年しか生きない予定なので大学辞めに来ました……なんて書いても、大学を途中でやめるだけあって頭がどうにかしていると思われるのがオチだ。

 俺は「一身上の都合」とだけ書いてペンを置いた。


 それからはあっという間だった。


  もっと複雑な手続きがこれから待っているのかと思っていたのだが、受付の女性は記入項目を指でなぞりながら確認し、それが不備なく書かれたことを認めると「確認いたしました」と書類は受理された。その後に退学証明書の発行の話や、学費の話なんかもされたような気もするが、それだって十分とかからずに終わった。


  俺を表すもの、瀬尾啓人、ニート、謎の人物と条件付きで契約中。以上おしまい。

  ずいぶんさっぱりとしたプロフィールになったが、うん、悪くない。


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