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俺と彼女の正しい逝き方  作者: クルハ
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義理を通して大学を辞めに行ったのは正しかった ①

 彼女と一緒に過ごすことになってから、気が付くと次の日が来ているような生活が続いていた。これが良くない事だと分かっていながら、どうしたらいいのかなんてわからず、今日したことを聞かれたとしても言葉に詰まるような日々が過ぎていく。昨日カレンダーの月を変え忘れていたことに気が付いて二枚分(めく)ったが、その間に俺がしたことは限りなくゼロに近い。


 相変わらず俺は彼女にどう話していいのかわからずにいたがそれは彼女も同じだった。日常生活であいさつを交わすことはあったが、食事や風呂に入るとき以外はお互い自室にいることがほとんどで、何かを隔てたぎくしゃくとした関係が続いている。


 それもそうだろう。同居なんて言うものは家族であったり、恋人、最近では友人とのシェアハウスなんてものもあるらしいが、それらは家に安寧を求める自身と近しい間柄でするものだ。もしくは罪を犯さねば入ることのない独房、経験することが極めて(まれ)な監禁といったケースもあるが、秩序や恐怖に支配されることを自ら望んでするなんてことは、ない。


 一緒に住むということは、ある程度の前提条件が必要なのだ。


 だから少なくとも、俺たちのように会ってその場で生活を共にするなんてことは「普通」ありえない事で、どこまでも「普通」な俺たちがそれを受け入れられないことは当たり前だ。


 そのかわり、リンクギアにはだいぶ慣れてきた。


 俺は起き上がってベッドのふちに座り、ギアを起動させる。


「今日の天気はどうなっている?」


『はい、本日の気温は三十二度。一日を通して晴れ間が続くでしょう』


 こんなふうにリンクギアに手をかざして要件を言うだけでだいたいのことは済んでしまう。その種類や大小にかかわらず、インターネットデータベースにありそうなことならほぼ間違いなく答えてくれる。ICチップが内蔵されているので、改札をかざせば潜ることもできるし、買い物もリンクギアさえあれば際限なく買うことができてしまう。


 俺は寝ていた服を着替えながら寝癖のついた頭を撫でつける。なかなか戻らない左のぴょこんとはねた髪を戻すのをあきらめ、いつも着ているシャツにそでを通しボタンを留めていく。


 要するにだ、このリンクギアを持っていればある程度の望みはなんでも叶えられるということだ。


 ある程度と言ったのはもちろん例外もあるということである。


 あの日受け取った紙には「生命にかかわること」と「やり残したことを知ること」はできないと記されていた。


 リンクギアを人殺しには使えないし、死んでしまった人を生き返らせることもできない。そんなことができてしまったら、「やり残したこと」を叶えるどころではなくなってしまう。あくまでも、この世界では俺たちの行動によって未来が決まり、俺たちの判断でやるべきことを決めなくてはならない。生き死にはそんなに簡単に扱えるものではないのだ。


 サインの言うところの、現実は都合よくできておらず、できることはできるし、できないことはできない、ということなのだろう。リンクギアは恐ろしく便利だが、万能ではない。


 カーテンを勢いよく開けて、すでに漏れていた光を部屋に取り込む。朝だ。背骨がキューっとする伸びを一つしてから俺はリビングに向かうことにする。




 ◇ ◇ ◇




 扉の向こうは朝の香りがした。

 香ばしく深みのある独特なフレグランス。そこにわずかに混ざる甘さ。鼻腔を潜り、肺までため込んだ芳香を、流れるようにゆっくり、そして静かに吐き出していく。


「おはよう、瀬尾君」


 俺に気が付いた彼女は先ほどまではそこに視線を置いていた文庫本から顔をあげて、こちらを見る。


「橘さん、おはようございます」


 彼女が読んでいた本には見覚えがあった。高校生の友情を描いたよくある、あれだ。話題の感動作としてちょっとしたブームになり、本屋では平積され、書店のイチオシなんてポップを付けて売られていた。本が出た当時高校生だった俺もその本を読んでいた……はずなのにどうしてもタイトルが思い出せない。


「となり、座る?」


 羽で撫でるような彼女の声に促されるままに、少し沈んだソファーに腰を下ろす。そこは人ひとり横になれる長さがあり、僕が選んだ場所はあっているのか分からない。

 そうしている時にも俺は記憶にあるはずの本の名前を頭の中で探していた。が、ぽっかりとそれだけが無かったように抜け落ちて、見つかりそうになかった。もう数年前の話だ、記憶があいまいになってしまったのかもしれない。けれども、その物語の最後は覚えている――。


 彼女のすらりとした指が栞を挟み、静かに音をさせて閉じられた。目の前の上がガラスになって下が見えるセンターテーブルにそっと本を置く。そのまま手はマグカップに移り、カップの端に口が付けられ小さくのどが動いた。まだほとんど減っていない琥珀(こはく)色の液体が揺れ、波を残す。


「今日、ちょっと出かけてきます」


 そう言ったのは俺だ。今日の慣れない早起きもそのためだった。


「そうなんだ、わかったよ。帰りは遅くなりそう?」


「いえ、大学までなのでそんなには……」


「瀬尾君って大学生だったんだね」


 彼女は驚いたようにこちらに肩を向ける。俺はそんな彼女と目を合わせられなくて、足元を見た。ひざの上にあった両手が固く握られ、その隙間から汗がじわりと染みていく感覚が伝わっていく。


「一応、ですけれども」


「一応……?」


 彼女は言っている意味がわからないようで、俺の言ったことを繰り返した。次に続けるべきなのはこの『一応』の言葉の意味になるのだろうと決心し、俺は口を開く。


「あまり……というか全然大学行けてなくて。しかも浪人しているのでまだ一年で、大学にもほとんど通ってないので大学生って言えるのかどうか……」


 俺があそこに通えていたのはいつまでだっけ?

 思い出そうとすると激しい不快感に襲われた。喉が張り付いたようになってうまく息ができない。入学してからそんなに時間は経っていないはずなのに、俺があそこに通っていたのはずいぶん前のことのように感じてしまう。


 そっか。と彼女はつぶやいて


「じゃあ瀬尾君は大学、辞めに行くんだ」


 そう続けられた言葉は俺が今日これからやろうとしていたことのはずなのに、あらためて彼女の口から聞くとひどく難しいことのように思えた。

 二つ揃った足が映る。ただ黙っているだけ。きっと彼女は困った顔をしているんだろう。どうしようもないな。情けない。

 痛くなるほど奥歯を噛みしめた。


「そんな苦しそうな顔してまで行かなきゃいけないところなら、辞めた方がいいもんね」


 固く横に結ばれていた俺の口が開く。すっぱり言い切った予想していなかった反応。彼女はどこまでも真っ直ぐに生きてきたのだなと、その時俺は思った。今まで俺がためらってきた事を簡単に言葉にできてしまう。


「今の俺にあの場所は、合っていないんだと思います」


「せっかくの一年だしね。瀬尾君のやりたいことをしていけばいいよ」


「俺のやりたいこと……」


「そう、やりたいこと」


 言ってコーヒーを飲む彼女。白くなった底が見え、俺たちが話していた間に過ぎていた時の流れに気が付く。

 彼女の顔を見ても何を考えているのか、俺に何を伝えたいのかはわからなかった。俺はこれから大学に行き、辞めてくる。わかっているのはそれだけ。


 家を出るとき、俺の後ろから「いってらっしゃい」と声がした。急にこみ上げたなつかしさに似た何かに、俺は「いってきます」と返すので精いっぱいだった。


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