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俺と彼女の正しい逝き方  作者: クルハ
3/13

なんとなくで契約するのは正しかった ③

 あの夜、俺はサインと会い、そして今はマンションの一室にいる。あれから渡されたのは錠剤とペットボトル。ひどく苦くて毒でも盛られたかと思ったが、なんとか飲み下した。すぐに激しい眠気に襲われ(うつ)ろになっていく意識の中で、次にやるべきことの手筈は整えるからとサインが言ったところまでは覚えているが、そこから先の記憶はない。


 起きた時は、そう。ベッドだった。うっすらと開いた目には見慣れない部屋といくつかの見慣れたものがあった。見慣れない部屋というのはもちろんこの無駄に立派なマンションの部屋のことを指し、見慣れたものというのは俺がかつて生活していた部屋にある私物のことだ。


 本が数冊と、ウォークマン、わずかな衣服。俺の部屋ではあまりなじめていないようだったガジュマルも、今は日当たりのいい窓際におかれ嬉しそうに葉を伸ばしている。そしてご丁寧に俺が書いた遺書までも机の上に置かれ、面白がっているのか、律儀なのかわからない。


 とにかく、それは俺の部屋だった。


 持っていたもの以外の物はすべて黒で統一され、モデルルームのように全体の調律を取りながらあるべき場所に収まっている。しかし、あまり多くない俺の持ち物のせいかその部屋はとても広く、がらんとして見えた。


 次にしたことはこの家の中を見ることだった。


 部屋に一つしかないドアに手をかけ、引く。リビングだ。ぐるりとそこを見渡してみる。椅子が二つ向かい合った広いダイニングテーブル。その奥には清潔感を漂わせるキッチンが見える。試しにいくつか戸を引いてみたが、そこにはボウルや鍋、フライパン、皿、スプーンなどが丁寧に納められていた。ダイニングから続くリビングはグレーのラグが敷かれたところに大きなソファーが置かれ、シンプルながらも高価なものだとはっきりわかる。そしてその前には六〇インチはありそうなテレビが鎮座しており、その両脇にはそれに劣らない大きさのスピーカーが並んでいる。必要なものはそろっているようだったが、十全なまでに揃えられたそれらは俺に使うのをためらわせる。


 俺が今出てきたのを除いてここからは二つドアが見える。リビングの先、ソファーの後ろ側に見えるのが一つ、俺の部屋のすぐ隣に一つだ。


 リビングの向こうのドアはバスルームにつながり、それは期待を裏切らず高級感にあふれたものだった。

 正直一人で住むにはこの家は持て余してしまう。俺は決して豪華な生活を送りたいわけではないし、それはやり残したことにも含まれていないはず。広すぎる部屋に住むのは寂しさを深めてしまいそうで苦手だ。


 戻ってきたところで残ったドアを見る。この流れで行くと書斎かと推理して、俺は慎重に中をのぞいた。


「――へっ?」


 間の抜けた声が出た。


 激しい既視感に襲われる。唯一の違いは白を基調としていることで、それ以外は一緒といってもいいほど俺が今見ている部屋は酷似している。まるでそこにもう一人誰かの部屋があるとでも言うかのように。

 ロックが解除される音が部屋に響く。


 そこには『誰か』がいた。


 先ほどまでの推測が確信に変わる。気配を消すように浅くなった俺の呼吸が、迫る足音を大きくさせる。確実に近づいてくるその音に、俺は何もできずただ立ち尽くすばかりだった。


「えっと、ここが私とそのリンカーの家であってるかな?」


 彼女は俺がここにいることに何の疑問も抱いていない様子だった。(うかが)うように、けれどもはっきりとした声で俺に問いかける。


「あの……?」


「はっ、はいっ!」


「おじゃまするね?」


 彼女はこの家に馴染んでいる。なぜだかわからないが、不意にそう思った。ここが彼女の居場所であり、この家も彼女を受け入れている、そんなような気がした。俺はというと、全て外側にあって入り込めない、どうしようもない疎外感だけが残る。


 ダイニングテーブルに向かい合うように座った僕らは、お互いに話すタイミングをうかがっていた。

 初対面の人と話すのが苦手な俺にとって、このような状況はできるだけ避けてきた。口の中の水分が何処かに消え、何か言おうとしていたはずの言葉も乾いた喉を潤すために飲み込んだ唾液と一緒に奥へと滑り込み、戻らない。


 やはりというべきか、最初に口を開いたのは彼女だった。


「橘……橘綾音(たちばなあやね)といいます」


「瀬尾啓人です」


 人に名前を聞くときはやはり自分から名乗るものなのだ。彼女は常識人である。


「瀬尾君もやっぱり、契約したんだよね?」


「あの、やり残したことを叶えるってやつ」


「うん、私もそう聞いてる。リンカー……瀬尾君と一緒にやり残したことを叶えるようにってサインが」


「さっきから言ってるリンカーって……?」


 疑問に思っていたことをようやく伝えられた俺は、浅くかけていた椅子に深く座り直した。


「リンカーは契約者たちのやり残したことを叶えたいこと、それが似ている人をそう呼ぶの」


「それってサインが言ってましたか?」


「……そうだけど?」


 大事なことを伝えなかったサインに文句を言ってやりたかった。彼女には伝えておきながら、俺にはかなり重要だと思われるこのことに触れすらしなかったのだ。仕事なのだから、もう少し平等に情報を与えて欲しい。

 だが、サインは正しかったのかもしれない。俺がこのことをあらかじめ知っていたらほぼ間違いなく、NOと答えていただろうし、その前に川にダイブしていた確率も高い。


 俺がサインに怒りをとわずかな賞賛を覚えていたその間、腕を組んで数秒止まったままだった橘さんがぽつりと呟いた。


「瀬尾くん、サインってどんな人だった?」


「えーと、ぶかぶかのパーカー着た、子どもでしたね。暗くてあまりよくわかんなくって」


 たどたどしくも答える。


「そっか……いや、ありがとう」


 何かに納得したように彼女はそう言うと、机の上に置かれている茶封筒をちらりと見やった。

 先ほど家の中を見て回った時に見つけたそれは、たぶんこれからのことについて書かれているのであろう。何となく開ける気にならなくて置かれたままにしておいたのが、今となってはちょうど良かった。


「これ、開けてもいいかな?」


 そう言った彼女に目で答える。それを確認した彼女は長く細い指で丁寧に開けていき、それを俺は見守った。

 中には数枚、紙が入っているだけだった。拍子抜けしてしまうが、俺の次にやるべきことを知るためにも開いて置かれたその紙を、遠慮がちに覗き込んだ。




 ◇◇◇




 橘綾音様、瀬尾啓人様


 この度はご契約、誠にありがとうございます。

 契約にあたっての諸注意を記させていただきますので、ご確認ください。


 1.契約期限は本日八月十五日より一年間となります

 2.契約内容は『やり残したことを叶える』達成次第、契約は終了となります

 3.契約期間は監視員が付きます

 4.契約期間内の自殺行為は禁止です

 5.契約内容を達成した場合、お好きな願いを一つ叶える権利を有します。


 ご用意したお部屋のセキュリティーは万全です、リンカーの同居を推奨します。何かありましたらリンクギアを通してお申し付けください。

『やり残したこと』は共通カウントになります。どちらか一方の『やり残したこと』をすべて叶えても達成とはなりません。

 契約にはリンクギアを用います。

 リンクギアは橘様にお渡し済みです。

 リンクギアは契約中外すことを禁じます。外された場合はしかるべき措置を取らせていただきます。

 装着できましたらお互いのリンクギアを合わせ「リンク・イン」と言いましょう。

 それをもって、契約のすべてが完了。本件にも同意したこととみなします。

 それでは、悔いのない一年を。


 サイン



 ◇◇◇




 顔を上げると、先に読み終わっていた彼女は持ってきていたネイビーのバックから十センチ四方の箱を取り出していた。手がこちらに伸びてきて、それをそのまま滑らすように僕の前に置く。


   彼女が俺の方を見る。視線を読み取り、手をかけると、できるだけ慎重にそれを開けた。


 紙でできた箱の中には 、さらに箱が入っていて上下に開くようになっている。パカリと音を立てて現れたのは時計のようなものだった。


「これが、リンクギア」


 こぼれた声になぜだか彼女が頷いた。よく見てみるとすでに彼女には俺が今見ているものと同じものがつけられている。きっと俺が彼女に確認したと捉えたのだろう。

 細く華奢な彼女の腕には大きく見えるそれは、しっかりと彼女の左手にある。彼女は白で、俺は黒だ。ここでも色が分けられていることに、管理する時に何かと都合がいいのかなと、ぼんやりと思う。

 手に取ってみると、それは樹脂でできたスポーツタイプの代物で、円形の文字盤は正確に時間を刻んでいた。一見すると普通の時計と変わらないが、監視と言っているのだから、GPSぐらいはついているのだろう。


「これをつけたら、契約できるんですよね」


「そうなるね」


 左手を撫でて小さく息を吐く彼女。


「瀬尾君、瀬尾君は本当に契約、するの?」


 次に放った言葉は不安に揺れ、わずかにためらいが見えた。

 人生をかけた契約。どんなものかも分からない組織の思惑に、飲み込まれてしまいそうな感情は、あのサインと会った日の空とよく似ていた。

 ほとんど見えない中での鈍い光。


「俺はもうしたようなものなんです、って言っても契約ではなくて約束なんですが」


「それって……?」


「俺は生きてやり残したことを見つける、それまでサインは俺の生きる意味になる。そういう約束です」


 何も持っていない俺には、このサインとの約束だけがここにいる意味になっている。今さら後には引けないし、もうとっくに覚悟はできていた。

 俺は手の中にあったリンクギアを腕へと付ける。再び取り戻した重さは枷のように俺を縛っているのだろうが、拒絶はなく、むしろ体の一部のように溶け込んでいくのではないのかとさえ思う。


「じゃあ、しよっか。契約」


 俺がつけ終わるのを待ってくれていた彼女が、立ち上がってこちらに近づき、腕を差し出してくる。俺はその腕にまっすぐリンクギアに重ねた。

 短く息を吸い込む。


「「サイン・イン!」」


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