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着替えを取りに部屋に戻るとスマホに着信が残っていた。相手は香澄だ。
「何だ、あいつまだ何かあるのか?」
折り返すと、ワンコールもしないうちに香澄は出た。
「あ、悪ぃ電…」
『ちょっとどこ行ってたのよ!!何度も鳴らしたんだから!!』
あまりの大声にスピーカーがキーンと音を立てる。よくわからないが、相当ご立腹らしい。
「大声出すなって。さっき雫が家に来て部屋にいなかったから気づかなかったんだ」
『え……雫ちゃんが!?本当に?』
「あぁ。ついさっき来てな」
雪斗は、ことの一部始終を香澄に話した。
「――そんなわけで、これからスーパー行くことになったんだ」
『そうなんだ』
「で、何なんだ?用があってかけてきたんだろ?」
『あっ、いーのいーの!やっぱり店手伝ってもらおうかなって思っただけだから。じゃぁ、後でね!』
そう言って電話を切った香澄は、不思議と上機嫌だった。もしかしたら、俺の家の事情を知っているから、雫と一緒にいることが嬉しかったのかもしれない。
着替えて外に出ると、温度差に体が震えた。部屋の中の気温も低いと思ったが、外は更に冷え込んでいる。このままだと、手袋をしていても指先の感覚が無くなりそうだ。俺は持ってきたカイロをポケットに入れた。中の鉄粉が空気に触れて少しずつ熱を帯びていく。この寒さでは気休めかもしれないが、それでも無いよりはずっとマシだった。
ふと隣に目をやると、雫は手袋もせずにすたすたと歩いている。
「お前も使うか?」
そう言ってカイロを振って見せた。昔から寒がりな雫は、きっと飛びついて来るだろう。しかし、雫は手を伸ばそうともせず元気に前を歩いて行く。
「しぃ寒くないから大丈夫だもーん!」
気温一桁でも平然としている。その様子を見る限り、強がりではなさそうだ。一年経つと人はこんなにも変わるものらしい。
そんな雫の姿を見ていると、歩く度に背負っているリュックが重そうに揺れるのが目に止まった。学校以外ではいつも小さな鞄しか使っていなかった雫が、今日は珍しく遠足にでも行くような大きなリュックを背負っている。
「そのリュック何が入ってんだ?」
「あ、これ?お花だよ!」
雫はくるっと振り返りながら答えた。
「花?そんなもんリュックに入れて大丈夫なのか」
「へーきへーき」
そう言って、またくるっと前を向いて歩いて行く。
絶対平気じゃない。しかし、花にしてはやけに角ばっているように見える。箱か何かに入っているのかもしれないが、それにしては薄っぺらい。考えれば考えるほど違和感ばかりが増していく。
「まぁどーでもいいか。どうせ俺には関係無いんだし」
こいつが何を考えているのか増々わからなくなってきた。カレーのことについても謎だらけだ。
十分ほど歩いてスーパーの裏手に着くと、突然雫が走り出した。
「お兄ちゃん、見て!」
走った先にあったのは小さな公園だ。スーパーの裏にあるこの公園では、小さい頃買い物をする両親を待ちながらよく遊んでいた。申し訳程度に置いてあるカラフル遊具。そこにはしっかりと雪が積もっていて元々の色はほとんどわからなくなっていた。そしてその周りには、まるで真っ白なキャンバスのように一面に雪が広がっていた。
公園の中心に駆け出して行った雫は、何かを思いついたようにまた俺の方を振り返る。
「ねぇお兄ちゃん、雪だるま作ってよ!」
「雪だるま? この寒いのに元気だなおまえ」
皮肉交じりに言いつつも、足は公園の方へ踏み出していく。そして、真っ白なキャンバスの上に一本の道筋ができた。
「…あれ」
その時、何か違和感のようなものを感じた。でも、それが何なのかわからないまま、俺は雫のいる所まで歩いて行った。
「あんま大きいのは無理だぞ」
「うん!四つね!」
「四つ?まぁ、いいか」
こうやって雫とこの公園にいると、昔のことを思い出す――
俺がまだ小学生のころ、雪が降った次の日は、家族でこの公園に遊びに来た。雪合戦したりかまくら作ったりもしたけど、一番楽しみだったのは雪だるまを作ることだった。体育教師の父さんは、三段重ねの大きいのを作るのが得意だった。俺は、自分の背丈より大きな雪だるまに夢中になった。母さんは美術教師をしていて、綺麗な丸い形の雪だるまを作った。形ができると、集めた花や枝で雫と飾りをつけた。俺は雫の分も作っていたのだけど、いつも形が歪になってしまった。それでも、そんな雪だるまを雫はいつも喜んでくれた。仕上げに雫が顔を付けると、なんだかムンクの『叫び』みたいになってみんなで笑った。
「――あの時は、楽しかったな」
「どーしたのお兄ちゃん?」
「別に…。ほら、できたぞ」
ハンドボールを二つ重ねたくらいの少し小さい雪だるまを、四つ並べて雫に見せる。最も、作った雪だるまはボールのような綺麗な丸ではなく、やっぱり少し歪だ。
それでも、雫は喜んで駆け寄って来た。
「すごーい雪だるま久しぶりー!お兄ちゃんありがとう!」
「満足したか」
「うん!これ、雪だるまの美波家だね」
大喜びで雪だるまを見つめる雫。その姿は、昔と少しも変らなかった。でもそこに聞える笑い声は、今は一つだけだ。
公園を出たところで着信が鳴った。画面を見るとまたしても相手は香澄だ。今日はやたらとかけてくる。どのみち買い物が終わったら店に行くつもりだ。俺は一旦着信を止め、スマホをポケットにしまった。
スーパーはなんだか普段より閑散としていた。普段は隙間なく並んでいる自転車は今日はまばらで、店の中にもほとんど客の姿がない。この寒さで外に出るのは気が重いのかもしれない。
材料の指示は雫に任せて、俺は雫の言った材料をかごに入れていく。
「にんじんと、じゃがいも」
「にんじん、じゃがいも」
父さんと二人で暮らすようになってから、お互い外食やコンビニで済ませていたから、こんな風に買い物をすることはなくなっていた。
雫は楽しそうに後ろを歩いている。こいつはこの一年、母さんとどんな暮らしをしてきたのだろうか。そんなことを考えていると、雫が横を抜けて走って行った。
「牛さん!」
と、牛肉を指さす。まぁ無難だろ。
「はいはい、牛」
肉のパックを取り、かごに入れる。
そして雫は、今度は隣の棚を指差す。
「豚さーん!」
「はい、豚……は?」
「鶏さんもー!」
「……」
「あと、イカさんとエビさんとホタ…」
「ちょっと待て!」
「え?」
ホタテを指差す雫にストップをかける。
「なんでだよ!肉ばっかこんなにいらねぇだろ!」
しかし雫はふざけるでもなく、当たり前の様に答えた。
「いるよ?仲良しカレーだもん」
「仲良しカレー?なんだそれ?」
すれ違った客が振り返り首を傾げる。そりゃそうだ、仲良しカレーなんて聞いたことがない。
「もー覚えてないの?昔お兄ちゃんが作ってくれたやつだよ!お肉いっぱい入れてくれたじゃん」
「…あー、そういやそんなの作ったっけ」
たしか、俺がまだ小学生の時に作っためちゃくちゃなカレーのことだ。何を入れようか迷って、牛肉とか豚肉とか何種類も入れて作ったのだ。
仲良しカレーとは、その時に雫がつけた名前だ。たぶん、いろんな具材が仲良く入ってるからとかそんな理由だと思う。
「わかったよ。イカとエビとホタテな!」
「ありがとう!」
本当に、こいつは変なことをいちいち覚えている。
「でも、何であの時カレーなんて作ったんだっけ…」
そのことは、記憶を辿ってもすぐに思い出すことのできなかった。きっと、調理実習の練習か何かだろうがはっきりしない。思い出せないモヤモヤを抱えながらも、とりあえず買い物を続けることにした。