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はざまの森の魔法使い  作者: 神無月 愛
第三章  Willow
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6  願いの星

 翌朝……とは言っても陽は空のだいぶ高くまで昇った頃、目を覚ましたウィロとチコリが一階へ降りると、居間には魔法使いの姿があった。窓辺に佇み、窓枠に止まった青い小鳥を見つめて、まるで何か話し合っているようにも見えた。


「おはよう、モナ、アイ。ソホとダリアは?」


 チコリが声をかけると、小鳥は逃げるどころかパタパタと飛んできて、チコリの頭に止まった。驚いて声もなく小鳥を見つめるウィロを、小鳥はきらきらとした目で見つめ返す。赤い魔法使いはそんな様子を見てくすりと笑った。


「おはよう、寝坊助なお二人さん。ダリアたちならもう外に出てるよ。さ、二人も早く朝食を食べてしまいなさい」


「うん」


 素直に頷いて食卓につくチコリに続いて、ウィロも昨日と同じ椅子に座る。熱いスープとまだほんのりとあたたかいパンとの朝食を済ませ、口火を切ったのはチコリだった。


「ウィロ。モナにおはなしすること、あるんだよね」


「う……うん」


 ウィロは頷き、躊躇いがちにモナルダをそっと見上げる。魔法使いは黙ったまま、彼を促すように小さく一つ頷いた。


「あのね……あのね、おれ、昨日、魔法使いになりたいって言ったけど……あれ、やっぱりなしにしてもいい?」


「やっぱり、なし?」


「うん。……あのね、昨日の夜、魔法使いのこと教えてもらって、チィとも話して、おれ考えたんだ。魔法使いになったら、ずっとこうしてお父さんやお母さんや、妹のユーと離れて暮らすんだなって。……それは、まだ、ちょっと嫌かもしれない。ユーはまだ小さいし。それに、これを嫌だなって思っちゃうおれは弱くて、魔法使いになんかなれないと思う。だから、もうちょっと大人になって、強くなってからもう一回来てもいい?」


「……そうかい」


 魔法使いはそれだけ言って、何かを考えているようにじっと少年を見据えた。少年は、魔法使いの視線に一瞬だけ怯んで、それでもしっかりと見つめ返して、必死で言葉を続ける。


「おれ、この目なら魔法使いになれると思ってた。そうじゃなきゃだめだって、この色を持って生まれたのはそのためだって思ってた。そうすれば、色が違うことを誰かに言われても大丈夫になるって。……でも、違うんじゃないかなって……上手く言えないけど……だから、魔法使いになるのは、もうちょっと、考えてからがいいんだ。……ごめんなさい」


 ウィロは深く頭を下げた。怒られるかもしれない、とドキドキして、少し怖くて、なかなか顔を上げられない。と、その頭の上にぽんと手が置かれた。驚いて顔を上げると、赤い魔法使いが笑いながらウィロの頭を優しく撫でていた。


「……そうかい。良かった」


「え?」


 ウィロはきょとんとして魔法使いの顔を見上げた。


「簡単にやっぱりやめるだなんて……って、怒らない?」


「怒らないさ。むしろ、あんたをどうやって家に返すか考えていたんだよ。……アイ、ウィロに見せておやり」


 魔法使いの言葉に答えるように、窓枠に止まっていた小鳥がぱたぱたと羽ばたく。と思ったら、窓枠から飛び立ち、ウィロに向かってまっすぐに飛んできた。


「うわっ」


 驚いて肩をすくめ、思わず避けようとしたウィロに構わず、小鳥は器用にその頭の上に止まる。小さな爪に髪が軽く引っ張られるのを感じた。


「……えっ?」


 その時、ふと風景が見えた。目に見えたのではない。頭の中に直接絵が思い浮かぶように、森の中の風景が見えたのだ。木の上だろうか、どこか高いところから木々の間を見下ろしていて、動き回る人影がいくつか見えた。


「なに、これ……」


「これはね、アイが昨日の夜見た景色だよ。アイは喋れないけど、目で見たものをこうして伝えることができる。音は聞こえないけどね。……ほら、じっとして、よく見てごらん」


 立ち竦んだように固まったウィロの頭の上で、小鳥はやっと落ち着いたように羽を畳む。


 安定したからだろうか、ウィロの目に見える風景がだんだんとはっきりしてきた。見えてきたのは、木々の間を歩き回る二人分の影。何かを探しているように、同じところを何度も歩き回り、時折口元に手をやって叫ぶような仕草が見える。二人が近くを通ったとき、その顔が見えた。


「……お母さん?」


 見慣れた顔に見えて、ウィロは思わず声を上げた。薄暗い森でぼやけて見えるけれど、間違いない。ということは、一緒に見える男の人は……


「お父さん? 二人とも、なんで……」


「あんたを探してるんだよ。暗くなっていたし、この先は森が深くなって危ないから、家に追い返したけどね、なかなか帰ってくれなくて往生したよ」


「おれを探して? でも、ユーのこと置いて二人とも森に来るなんて、そんなわけないのに、なんで」


「そんなこと私に分かるわけないだろう。ウィロ、あんたの両親だよ。あんたの方が、会ったこともない私より二人のことを知っているはずだよ」


 ウィロはただじっと、森の中の二人を見つめていた。暗い木々の間を歩き回り、鬱蒼と茂る枝の陰を覗き込み、息子の名を呼ぶ二人の表情は、偽りなど何一つない必死なものだとウィロにも分かった。


「お母さん……お父さん……」


「ウィロ、よかったね」


 笑顔のチコリを見て、ウィロは頷いた。いつの間にか溜まっていた涙が頬を伝う。濡れた頬をごしごしと拭って、少年は空色の瞳で真っ直ぐに赤い魔法使いを見上げた。


「帰るかい?」


「うん。……ありがとう、ございました」


 言い慣れていない丁寧なお礼の言葉がどこかたどたどしい。ぺこりと頭を下げる少年に、魔法使いはひとつ頷いて手を差しのべた。


「森の端まで送ろう。チィも一緒に行くかい?」


「……うん」


 いつの間にやら、チコリの表情は少し曇っていた。


「どうしたの、チィ?」


「ううん、なんでもない」


 笑顔で首を振ってみせたけれど、ウィロと手を繋いで森の中を歩く間も、昨夜のお喋りが嘘のように口数が少なかった。何か考え事をしているようにも見える。魔法使いも黙ったまま、じっと前だけを見て木立の間を歩いていく。そんな二人に挟まれて、ウィロも口を開くきっかけのないままだった。三人の間に、奇妙な沈黙が続く。


 やがて、木々が少しずつ疎らになり、遠くに村の建物のような真っ直ぐな影が見えてきた頃。


「……やだな」


 チコリが、聞き取れないくらい微かな声でぽつりと呟いた。


「チィ?」


「ウィロとバイバイするの、やだな……」


 チコリは俯いたまま、唇をきゅっと結んで眉間にしわを寄せていた。


「チィ。ウィロとずっと一緒にはいられないよ、ウィロにはウィロの家があるんだから。そう、昨日もお話ししただろう?」


「わかってる! さいしょからわかってるけど……でも、さみしいよ……」


「チィ……」


 ウィロは、泣きそうに顔を歪めたチコリの小さな手を、両手でぎゅっと握った。


「チィ、おれ、また遊びに来るよ。またチィに会いに来るよ。だから、泣くな」


「でも、もりにくるのはあぶないよ」


「大丈夫、次は明るいときに来るから。それに、何度も森を越えてくれば、そのたびに強くなれるだろ? 早く強くなって、大人になって、そしたら魔法使いにもなれる。チィと一緒にいられるよ」


「ウィロ……」


 屈み込んで幼子に視線の高さを合わせ、優しく笑ってみせる少年は、その年齢よりも少しだけ「おとな」のようだった。チコリはくすりと笑う。


「ウィロ、おにいちゃんみたい」


「そう……かな?」


 いつもの笑顔を見せたチコリにつられて、ウィロもふにゃっと笑う。


「あ、ごめん、おにいちゃんっていわれるの、あんまりすきじゃないんだっけ」


「……ううん。チィにならお兄ちゃんって言われるの嫌じゃないな。いいよ、おれ、チィのお兄ちゃんにもなってやるよ。ふたりの妹を守れるような、強くてかっこいいお兄ちゃんになってやるからな」


 力強く、半分自分に言い聞かせるようにして、ウィロはチコリの小さな手をぎゅっと握った。


「ありがと。チィ、ウィロみたいなおにいちゃんがいたら、すごくうれしいよ」


「お兄ちゃんだから、また絶対チィに会いに来るからな」


「うん」


 お互いの手をぎゅっと握って、ふたりは笑い合う。


 子供たちのやり取りをずっと黙って聞いていた魔法使いが口を挟んだ。


「ほら、もう村はすぐそこだよ。ウィロ、ここまで来れば分かるだろう?」


「うん、ばあさまの家が見えた」


 魔法使いにとんと背中を押されて、ウィロは振り向いて魔法使いの顔を見上げた。


「ここまで? 村までは一緒に行ってくれないの?」


「森に入った迷い子が、よりによって火の魔法使いなんかに連れられて現れたら大騒ぎの元だよ。私たちはここまで。チィ、帰るよ」


「うん。ウィロ、またね」


「……分かった。またね、チィ」


 チコリと繋いでいた手を離して、少年は思い切って駆け出した。うっかり振り返ってチコリを見たら、また寂しくなって、涙を見せてしまいそうだった。木漏れ日の射す細い道を、村の端まで一息に駆けた。


「ウィロ、げんきでね!」


 後ろからチコリの聞こえた。ウィロは振り向かずに、駆けながら手だけ振り返す。


「チィも、元気で!」


「うん! あ、いいわすれてたけど、チィはいもうとじゃなくって、おとうと、だよーっ!」


「えっ!?」


 驚いて思わず振り向いた。


 けれど、もうそこには誰もいなかった。背の高い赤い魔法使いと、宵闇の髪に星の瞳を持つ小さな子供は、まるではざまの森の幻だったかのように姿を消していた。


 薄暗く静かな森がだけが、何事もなかったかのように、風に枝を揺らしていた。

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