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はざまの森の魔法使い  作者: 神無月 愛
第三章  Willow
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5  闇の刃

 森の夜は静かに更けてゆく。


 慣れない匂いのするベッドの中で、ウィロはそっと寝返りをうった。


 柔らかいベッドは、よく晴れた昼間の日だまりのような、乾いた風と草いきれがまざった匂いがした。嫌な匂いではないけれど、馴染みのない匂い。ウィロの暮らしている村の家の匂いとは全然違う。なんだか落ち着かない。


 時折吹き抜ける風が木々を揺らすが、枝葉のざわめきは厚い石壁に阻まれてほとんど聞こえない。隣で眠るチコリの小さな小さな寝息が聞こえるだけ。壁の向こう、魔法使いたちももう眠ってしまっているのだろうか。静まり返った家の中、自分の寝返りの音と息遣いが、妙に大きく聞こえる気がする。


 雪は溶けた季節でも、森の夜はまだ寒い。ひんやりとした空気が窓辺から家の中まで忍び込んできて、首筋をくすぐる。ウィロはベッドにごそごそと潜り込み、もうひとつ寝返りをうった。


 と、隣で何かがごそりと動く気配がしたかと思うと、パッと枕元の灯りがついた。


「ウィロ、ねむれないの?」


「チィ……」


 小さな灯りを映して煌めく星の瞳が、心配そうに彼の顔を覗き込んでいた。


「ごめん、起こした?」


「ううん、チィもおきてた。……だれかといっしょにねるの、はじめてだから、なんだかへんなかんじ」


 ふふふっと小さく笑うチコリに、ウィロは驚いて小声で尋ねた。


「初めてなの?」


「あかちゃんのころは、モナといっしょにねてたかもしれないけど、もうおぼえてないもん。チィ、もうおおきいから、じぶんのおへやでひとりでねられるよ」


「大きいって……チィ、いくつだよ」


「んとね、このまえ、むっつになったとこ」


 ウィロは何か言いかけて、口を開けたまま止まってしまった。その顔には戸惑いの色が浮かんでいる。小首をかしげるチコリに、ウィロはなぜか少し怒ったように言った。


「六つじゃ、大きくなんかないよ」


「えー、そうかなあ」


「そうだよ」


「じゃあ、ウィロはいくつなの?」


「十一」


「わ、すごい、おにいちゃんだ」


 瞳をきらきらさせるチコリに、ウィロはむすっとして黙り込んだ。


「ウィロ? どうしたの?」


「お兄ちゃんって言われるの、あんまり、好きじゃない」


 きょとんとしてウィロを見つめるチコリに、ウィロはぽつりぽつりと話し始めた。


「おれ、ほんとにお兄ちゃんなんだ。妹がいる。ユーっていって、チィより小さくて、まだ三つ。おれはもう十一だし、ユーの兄ちゃんだけど、おれ……チィみたいにひとりで寝られないんだ。チィが一人で寝られるのは、大きいからじゃないよ。強いからだよ。おれも、強くなりたい。強くなれば、お父さんとお母さんにも褒められるし、ちゃんとユーを可愛がって、ユーの良いお兄ちゃんになれる。良い子になれるのに」


「……よく、わかんない。ウィロはいいこじゃないの?」


「良い子じゃないよ。ユーもお父さんもお母さんも嫌いだもん」


「なんできらいなの?」


「お父さんもお母さんも、嘘つきだ。ユーもウィロも同じように大事だよって言うけど、絶対ユーの方が好きだもん。……きっと、おれだけ仲間外れだから。ユーはお父さんとお母さんと同じで、目も髪の毛も茶色なんだ。おばあちゃんもおじさんも同じ。青なんか持ってるの、おれだけ。だからみんな嫌い。嫌い、なのに……」


 不意に、その空色の瞳からぽろりと涙がこぼれた。


「嫌いなのに、会えないと嫌だなんて、知らなかった」


 少年は鼻をすすり上げ、袖で強く目元を拭った。けれど、いくら拭いても、その頬に枕元の灯りが反射して光るのは消えない。


「魔法使いになりたいって、それならみんなと会えなくなってもいいって、そう思ってたんだけど、おかしいね。おれ、弱いな。こんなのじゃ、魔法使いになんか、なれないよな」


「そんなことないよ」


「どうして。だって、チィは寂しくないんだろ」


「……わかんない」


 チコリは戸惑うように俯いた。


「チィはさみしくないよ。ここにはモナも、ダリアも、みんなもいる。でも、おとうさんも、おかあさんも、いもうとも、さいしょからいないから、いるのってどんなかんじだか、わかんない。わかんないから、さみしくないんだとおもう」


「……いないの? 最初から?」


 驚きのあまり涙が止まった。


「うん。さいしょから」


「赤い魔法使いは、お母さんじゃないの?」


「ちがうよ。あかちゃんのころから、ずっといっしょにいるけど、おかあさんじゃない。モナも、チィのおかあさんのことは、しらないって」


「そう、なんだ……」


 今度は、ウィロが戸惑う番だった。母を、家族を知らないと話すチコリの口調は淡々としていて、寂しさを我慢しての強がりではないことがウィロにも分かった。チコリの言葉はきっと全部が本心で、いないのがチコリにとっての「当たり前」なのだ。その「当たり前」は、ウィロには想像もつかない感覚だった。


「チィも、ウソつきはいやだよ。モナとけんかして、きらいっていったこともある。でも、あえなくなったら、もっといやだよ。チィ、バイバイってあんまりしたことないから、わかんないけど……いっしょにいるひととバイバイするのって、さみしいんじゃない?」


「……うん」


 ウィロは一瞬の間のあと、強く頷いた。


「俺も、やっぱり会えなくなるの、嫌だ。さっきは魔法使いになりたいって言っちゃったけど……やっぱり帰る、なんて言ったら、魔法使い、怒るかな」


「どうかなあ。ウソつきっておこられて、まほうをかけられちゃうかも……」


「えっ」


 神妙な顔で言うチコリに、ウィロの顔がさあっと青ざめる。それを見て、チコリは我慢できずに吹き出した。


「あっ、チィ! 嘘ついたな! チィも嘘は嫌だって言ったじゃないか!」


「あはは、ごめん。ウソじゃないよ、ジョーダンだよぅ。おねがい、おこらないで」


「怒った」


「えー! ウィロ、ごめん! ほんとうにごめん!」


「……なんてね。怒ってないよ」


「もー、びっくりした。あ、ウィロもウソついた!」


「へへっ。じゃあ、これであいこだ」


 笑い合う二人の声が静かな家の中に響く。風が鳴る音に我に返ったウィロが慌てて口を押さえ、チコリも気付いて自分の口を塞ぐ。お互いに自分の口を両手で覆ったまま顔を見合せ、それがなんだかおかしくて、また揃って笑い出した。


 森の夜は静寂に満たされ更けてゆく。


 静寂のすきまに取り残されたような小さな灯りの中、二人の笑い声とお喋りはしばらく続いていた。


 やがて、はしゃぎ疲れた子供たちが眠りに落ちる頃。家中の灯りは残らず消えて、天高く昇った月の光だけが、深い森と小さな家を静かに照らしていた。

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