1 藍玉のみち
つい先刻まで鮮やかな緋色に染め上げられていた空は、その光を失いつつあった。
ただでさえ陽の光が入りづらい森の中は、みるみるうちに暗くなる。背の高い木々が落とす影が濃く繋がり、地面を覆っていく。見えなくなる足元。じわりじわりと闇に呑み込まれていくような気がして、振り払うように歩みを速める。がさり、と草むらを蹴飛ばした。どうやら獣道を外れたらしい。そう気付いた時にはもう、戻ろうと目を凝らしても、細い獣道は草に埋もれて、どこにあるのか分からなくなっていた。
風が、ひやりと頬を撫でる。
木の葉のざわめきがいやに大きい。頭上でがさがさっと大きな音がして、思わず駆け出した。
ばしゃり。踏み出した足が、冷たいものの中に勢いよく突っ込んだ。跳ね上げた飛沫が頬にまで当たる。そっとしゃがんで足元に手を触れれば、さらさらと流れる水が指を濡らした。
(……川、だ)
森に降った雪が解けたものだろう、氷のような冷たさだ。慎重に数歩下がって水から上がり、濡れた布靴を脱ぐ。川岸の砂利も冷たく足を刺すが、そんなことに構ってはいられない。裸足のまま、足の裏の感覚を探り、微かな水音に耳をすませて、上流と思われる方向へと小川を辿る。
風が、濡れた足元を駆け抜ける。
木の葉のざわめきが、まるで笑いさざめくように頭上を通り過ぎる。その音を追うように、自然と足が動いた。
すっかり陽が落ちて、辺り一面が濃い木陰に飲み込まれた。何も見えない森の中で、ちらりと目の端を何かが掠めた。足を止め、目を凝らす。きょろきょろと視線を巡らすと、木々の間にかろうじて見えた。
闇の中にぽっかりと浮かぶ、小さな灯りがあった。
足の裏と伸ばした手に触れる感覚だけを頼りに、草むらに分け入り、木を避けて進む。見え隠れしながら近付く灯りは、どうやら幻ではないらしい。金色に輝く灯りは思いの外強く、揺らぎなく、静かにそこにあった。誰かの手持ちの灯りや焚き火ではない。だとすれば、おれが探していたものだろう。
風が、背中を押すように後ろから吹き付けた。
足が早まる。
不意に木々がふっつりと途切れ、視界が開けた。星が見える。
森の中にぽっかり空いた草地の真ん中に、小さな家がぽつんと建っていた。
「ほんとに、あった……」
見上げて立ち尽くしたまま、呆けたように呟いていた。
金色の灯りが、石壁に穿たれた大きな窓から溢れている。他にも灯りが見える小さな窓がいくつもあり、屋根にも空に向いた天窓があるのが見えた。小屋とも呼べるこぢんまりとした家だが、村の家々よりも屋根が高い。その屋根には煙突も立っていて、薄い煙を吐き出している。そういえばなんだかいい匂いもする、と思った途端、お腹の辺りがきゅうっと情けない音を出した。玄関へと繋がる石造りの階段を、木の扉の脇に下げられた小さなランプのようなものが照らしていた。普通のランプとは違って金属の油入れも枠も付いていない、不思議な形をしている。
玄関の方へ……向かおうとしたが、足がうまく動かない。ここまでたどり着いたと安心して、ずっと森の中を歩いてきた疲れが出たのだろうか。力が入らない。疲れたと自覚したら余計に手足が重くなった。膝が震える。今にも倒れそうだ。
でもあと少し、あの扉まで行かなければ。ここで止まってしまっては、声は家の中まで届かない。真っ暗な森の中をせっかく抜けてきたのが全部無駄になってしまう。
あとほんの少しだというのに。
それなのに、もう、動けない――。
絶望しかけた時、まるで奇跡でも起きたかのように、小屋の扉が開いた。
暗い森に四角く浮かび上がる光。その中に、確かに人影がある。
「誰か、いるのかい?」
ああ、優しい声だ。
もう大丈夫。きっと、魔法使いが助けてくれる――。
その思いを最後に、おれの意識は途切れた。




