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はざまの森の魔法使い  作者: 神無月 愛
第二章  Viola
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11  冬の足音

 寒い朝だった。いつものようにまだ薄暗い中ごそごそと起き出したダリアは、床に足を下ろした次の瞬間ベッドに逆戻りしそうになった。あまりの冷たさに、石の床ではなく氷の上に立とうとしたのかとすら思ったほどだ。着替える気にはとてもならなくて、厚手の上着だけ引っ掛けてベッドから這い出す。布靴越しにも伝わる冷たさを感じながら、廊下を進み、階段を下りる。冷えきった居間の暖炉の前には、大きな茶色い毛皮の塊がいた。


「ソホさん、おはようございます」


「おう。今日はまた一段と冷え込んだな。お前、寒くないか」


 ソホは丸まったままちょっと顔だけ上げて答えた。ふさふさと長く豊かな毛に覆われたその姿はとてもあたたかそうで、冬に入ってからより一層輝いてさえ見える。


「寒いです。ソホさんは寒くなさそうですね」


「この毛皮だからか? それもそうだが、そもそも俺は血が通った生き物とは違うからな。寒さも暑さも感じはするが、動きに支障が出るものではない」


「それは……ちょっと、羨ましいかも」


 ダリアは肩をすくめながら、やっと灯した種火を暖炉に投げ込んだ。小さな火は乾いた薪にゆっくりと燃え移り、消えそうになりながら少しずつ少しずつ大きくなっていく。ダリアは冷えきった手をさすりながら、それを見るともなく眺めていた。


 近頃ダリアもだいぶ魔法に慣れてきてしまって、「魔法の種火」なら火の精霊の力であっという間に暖炉いっぱいに燃え上がるのに……ともどかしく感じるようになった。この家で普段使っている種火は精霊の力を宿したもので、モナルダがいつも作っている。出掛ける前には多めに置いていってくれのだが、予定が伸びたので使いきってしまったのだ。それがなくても火は起こせるが、あまり器用ではないダリアには時間がかかる。寒い朝には少しつらいものだった。


 と、ソホが不意に立ち上がり、ダリアに体をすり寄せた。


「俺はお前らと違って熱を持っていないが、この身体なら綿入れの代わりくらいは出来るだろう。どうだ、少しは冷えが和らぐか?」


「とても、あたたかいです。ありがとうございます」


 顔を綻ばせるダリアを見上げるトパーズの瞳は、父親が小さな娘を慈しむように優しかった。


 暖炉の火が少しずつ大きくなり、あたたかな空気が部屋を満たし始める。窓の外は曇っていて朝陽は射さないが、それでもだんだんと雲が白み、明るくなっているのが分かった。


 そろそろ食事の支度をしてチコリを起こそうか、とダリアが思い始めた時。遠く空の向こうから、何か、呼ぶ声が聞こえたような気がした。でも、なんの音も聞こえない。


 同じ感覚に、覚えがあった。


「……もしかして、アイちゃん?」


「お前にも聞こえたのか」


 窓に駆け寄り、冷たい空気を少しでも振り払うように勢いよく開け放つ。小鳥の姿はもちろん見えない。この間はチコリが指笛で応えて呼んでいたけど、今はまだ寝ている。呼んであげた方が良いのだろうけど……迷うダリアを見上げながらソホが歩み寄ってきた。


「おい、どうした?」


「ソホさん、どうしたらいいでしょう。アイちゃんを呼んであげたいけど、私は指笛は吹けないし、チィちゃんはまだ寝ているし、待つしかないんでしょうか」


「……まあ、応えなくてもあいつなら帰ってこられるけどな。呼ぶんだったら指笛じゃなくても、あいつにお前の声が届けば問題ないぞ」


 ダリアはその言葉に思わずきょとんとしてソホを見た。指笛が、もしくはチコリの出す音が特別なのだと思い込んでいたのだ。


「聞こえるように大声で叫べば良いんですか? 私でもいいんですか?」


「実際の音でも良いが、音にしなくても届く。あいつが人の「想い」を感じ取れることは知っているだろう。物は試しだ、声に出さずに、あいつのことを強く思ってみろ」


 戸惑いながらもダリアは素直に頷き、真っ白に曇った空を見上げて、心の中で呼んだ。


(アイちゃん……!)


 思い浮かべるのは、アクアマリンの瞳。木彫りの小さな体。繊細に作りこまれた、しなやかな翼。その体を滑らかに動かして羽ばたく姿。小首をかしげてモナルダやダリアの瞳を真っ直ぐに見つめる仕種。


 ひゅうっと吹き込んだ強い風がダリアの髪を巻き上げた。


「ひゃっ!」


 冷気に突き刺されて思わずぎゅっと目をつぶる。その時、ばさばさと力強い羽音と共に、何かが窓から飛び込んできた。


 目を開けると、居間のテーブルの上に青い小鳥がいた。


「アイちゃん! おかえりなさい!」


 駆け寄るダリアにアイは小さな足を突き出して見せる。括りつけられていた紙を取り外してやると、小鳥は満足そうに体を軽く振るい、再び窓から外へと身軽に飛び出した。


 ダリアは急いで手紙を開ける。それは手紙というより、端切れに書いた言伝てを丸めて括っただけの本当に小さなもので、書かれていたのはたったの一言。けれどその「たった一言」を目にしたダリアの表情がぱっと晴れた。


「あれ、ダリア? いま、アイがよんでた……?」


 眠そうな声とともに、ぼさぼさの黒髪を重たそうに傾げた小さな姿が踊り場に現れた。ダリアは思わずくすりと笑う。


「チィちゃん、おはよう。アイちゃんがいいもの持ってきてくれましたよ」


「いいもの?」


「モナさんのお手紙です」


 ダリアは広げた紙をチコリの方に差し出す。小さな小さな手紙には、走り書きで簡潔に一言だけ書かれていた。


『これから帰るよ』


「チィちゃん、今日は久しぶりに三人でお茶になりそうだから、モナさんが大好きなお菓子を焼きましょう!」


「やったー! チィもすき! チィもおてつだいする!」


 急に目が覚めたようで、瞳を輝かせたチコリは勢いよく階段を駆け下りる。そしてそのまま洗面所へと駆け込んでいった。それを笑って見送るダリアの額に不意に冷たいものが当たる。窓から吹き込む強い風に交じって、ちらちらと白いものが踊っていた。


「わあ、雪……!」


 森の木々の上をどんよりと覆う空を仰いで、少女は微笑んだ。

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