生き物と古い家の奇妙な話
夏休み、田んぼで白骨化した遺体が発見された。
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延々と続く田んぼの真ん中に、ポツンとある父方の祖母の家。茅葺き屋根で、囲炉裏に竃まである。物心つかないうちから何度も来ている賢一には、何の変哲もない光景。しかし、まるで映画のセットみたいな古すぎる建造物には、時折来客がある。
「この人、ここらの写真でカレンダー作るんだってよ。ばばも撮ってくれたら嬉しいねぇ」
ばぁちゃんが名刺を俺に渡して、笑い皺を深くした。春夏冬と長期休みのたびに来るとはいえ、電車とバスで五時間もかけて会いに来る孫と会った時より嬉しそう。なんかちょっとムカつく。
「そろそろだ。柿をむこう。賢一好きだもんなあ」
立ち上がったばあちゃんを見上げて、また少し小さくなったなと感じた。相変わらず背筋は伸びていて、頭もしっかりしている。しかし、もう85歳で、高校生の俺とは真反対。確実にばあちゃんの命の灯火は削られている。
「俺がやるよ」
俺が立ち上がろうとした時「ごめんください」と野太い声がした。俺は縁側から外へ出た。誰もいない。ああそうか、と使われていない玄関へ足を進めた。
「こんちわ。前川さんっすか?」
「はい。お孫さんですか?」
熊みたいな大男に俺は「うっす」と軽く頭を下げた。しかし目線は前川の隣に釘付けだった。大人しそうな女子が立っている。
「賢一と言います。えーっと」
チラリと女子に目線を向けてすぐ前川に視線を戻した。微笑みが眩しくて直視出来ない。
「娘の奈緒です。父共々よろしくお願いします。ご迷惑はかけません」
「いえ。ばあちゃん喜ぶと思います」
年が近そうな美少女の登場で、ウキウキして顔が緩みそうなのを我慢しながら、俺は二人に背中を向けた。
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前川奈緒は同じ高校二年生だった。しかも住んでる所も近い。超ラッキー。二重まぶたの丸い目に、少し厚くて小さい唇。最近話題のたぬき顔女優に似ている。残念なのは、可愛いが俺のタイプではないという点。もっとキリッとした美人タイプが好きだ。そんな贅沢を言うと、バチが当たるだろう。貴重な可愛い女子との出会い。俺は速攻で近所の案内を買って出た。
近所といっても田んぼばっかり。「1時間くらい歩けば森があるけど」と言うと、前川奈緒は行きたいと目を輝かせた。小さな神社がある綺麗な森だが、オドロオドロしている。はっきり言って、俺は苦手だったけど、言い出しっぺは俺。仕方ない。
ばあちゃんの家を出て五分もしないうちに、初めて見るという田園風景に見惚れた前川奈緒は、カメラを構えたまま田んぼに直進してすっ転んだ。しかも頭からベシャッと田んぼに突っ伏した。高級そうなカメラだけは腕を折り曲げて必死に守ったようだ。
「気をつけてって言う暇もなかった!」
古典的すぎるドジに、俺は涙が出るほど笑い、前川奈緒の手からカメラを取って首から下げた。それからカメラを背中に回した。起き上がった前川奈緒の腕を引っ張る。早速好感度アップだ、何て運の良さ。思わずニヤニヤしそうなのを、カッコイイ感じの笑みに変えた。
「おたまじゃくしがいる! 凄い! 空も高い!」
小学生みたいな感想を述べて、前川奈緒はあははっと無邪気に笑った。中身は好みだ、可愛いぞ前川奈緒。いや奈緒ちゃん!一目惚れしなかったが、二目惚れ。俺はデレデレしながら奈緒ちゃんの顔を、汗拭き用に持ってきていたタオルで拭いてあげた。
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俺が小さい頃、ばあちゃんは生き物についての話をよくしてくれた。奈緒ちゃんを見ていて思い出した。俺はばあちゃんの独断と偏見の感想が好きだった。
蛇は家を守るから殺したらなんねえ。鳩は豆の脳みそだから何にも考えてねぇんだよ。狐は賢いけど狡いから近寄ったら駄目だ。熊は器が大きいが優しすぎて傷つきやすい。かちかち山のたぬきと違って、本物のたぬきは頭が悪くて鈍臭いが人情がある。猪は山の主だから怒らせんなよ。馬は気高く誇り高いんだ。牛はおっとりしすぎて、ばばは好きでねえ。
確かにたぬき似た奈緒ちゃんは鈍臭い。だからきっと、奈緒ちゃんは優しい子だろう。
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汚れたままでは散策出来ない。なので一度家に戻った。
泥まみれの奈緒ちゃんは風呂に入った。風呂場から「五右衛門風呂だーー!」という感嘆の声が響いてきた。ばあちゃんが手土産のラスクを齧りながらニコニコと笑った。
「すみません。迷惑をかけないというから連れてきたんですが……」
前川カメラマンは熊みたいな巨体を小さく小さくして、ばあちゃんにペコペコと頭を下げた。
「いんやあ。可愛いくて良い。孫は男ばっかなんでなあ」
ばあちゃんがラスクの袋をもう一枚開けた。かなり気に入ったようだ。
「賢一くん以外のお孫さんは?」
前川カメラマンに聞かれて、ばあちゃんはテレビ台を指差した。俺は写真立てを取って前川カメラマンに渡した。
「ありがとう」
「俺は末っ子です。こっちが上の兄貴で、こっちは下の兄貴。この二人は従兄弟です」
むさ苦しい男ばっかりの親戚。ちなみにみんな性格はバラバラ。
「今日は賢一君だけみたいですね」
感心したように、前川カメラマンが俺を見た。大抵の大人はこういう顔をする。
「俺、夏休みはばあちゃんの手伝いに来てるんです。この家をもらおうかと思って」
おお!と前川カメラマンの顔がさらに感心を表した。だから「人に貸して楽してお金を稼ごう」と計画しているのは内緒。
「賢一、田舎は好きでねぇのになぁ」
含み笑いしているばあちゃん。多分、バレている。
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急に天気が悪くなってきたので、奈緒ちゃんとの散策は中止。前川カメラマンは屋内の撮影を始めた。手伝うのかと思ったら、奈緒ちゃんはばあちゃんの夕飯準備を撮影したいと言い出した。
「普通にしていてくださいね。とっても絵になる」
ばあちゃんは、嬉しそうに、鼻歌交じりで野菜を切った。
「写真の部活なんだってねえ」
「はい。コンクールに出す写真を撮りにきたんです。こんな素敵なところ初めて来ました」
俺はふーん、こんな田舎がね、としか思わなかった。自分が暮らす場所を褒められて悪い気はしないので、ばあちゃんはとても嬉しそうに皺を深く刻んだ。
「父も母も東京が実家なんです」
「そうかあ。何もねえけど、気になったらなんでも見せてやるからな」
奈緒ちゃんは御礼を言って、ニコニコしながらばあちゃんや台所を撮影した。俺はエアコンの冷風が届かないのに、使われていない竃に火をくべさせられた。
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そんな風に楽しく過ごしていたのに、翌朝になるとばあちゃんがいなかった。鴉の群れにより、すぐ近くの田んぼに白骨が発見された。
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白骨死体は、歯からばあちゃんだと判明した。俺と前川カメラマン、そして奈緒ちゃんが三人揃ってばあちゃんと1日過ごしたというのに。なら俺達と話していたのは誰なんだ? その後はとんでもなく大変だった。
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「お父さんご飯出来たよーー!」
「すぐ行く!」
トラクターから降りて、俺は愛娘の奈菜の元へ、茅葺き屋根の自宅へと向かった。
「お父さん、またたぬきいたよ!」
クレヨンを握った奈菜にせがまれたので、俺は胡座をかいて膝に乗せてやった。机の上の画用紙には、たぬきと老人が書いてある。俺はちらっと外を見た。ふさふさした落ち葉色の毛が見えた。何故かばあちゃんに化けただろうたぬき達。
天井を一瞥すると、白い蛇が現れてすうっと消えた。初めて見たので心底驚いた。それで合点がいった。
「家を継がせたかったわけね」
田舎暮らしに憧れた嫁のせいで、俺の計画はおじゃんになった。奈菜が俺の呟きにキョトンと目を丸めた。
「いいか菜奈、蛇は家を守るって言ってむやみに殺したら怖い……」
「なな、へび好きだよ」
「へ?」
飛び跳ねるように菜奈が立ち上がった。台所から奈緒が出てきてニコニコと笑う。
「お父さん蛇顔だものねー、菜奈」
言われてみればそうかも。蛇だけじゃなくてばあちゃんの仕業かもしれない。
「うん!だからなな、へび好きだよ!」
可愛い娘に首を抱きしめられて、ど田舎の暮らしもまあ悪くないかと俺は菜奈の小さな頭を撫でた。