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幼女転生  作者: デブリ
五章・竜人編
97/203

 間話 『四年越しの哀情 後』★


 ■ Other View ■



「月がアッチにあるから、たぶん向こうが北西だ! 行けーアシュリーン!」

「ピュェェェ!」


 星空の下、館を飛び出したリゼットは威勢良く叫んだ。

 アッシュグリフォンの相棒もそれに同調して応じ、逞しい両翼を大きく羽ばたかせる。


 これほど夜更けに飛行した経験がないので、リゼットは些か興奮していた。

 闇色の空を色とりどりの星々が埋め尽くし、その壮大で鮮麗な煌めきの中を突き進んでいると思うと、否応なく心が躍った。不安や恐怖も少しだけ感じていたが、すっかり好奇心に埋もれてしまっている。


「上だけ向いて飛んでるとなんか凄い!」

「ピュェェ?」

「アシュリンはちゃんと前見て飛んでなさい」

「ピュェッ」


 ボーッと星空だけを眺めながら、夜風を突っ切り飛んで行く。

 だがしばらくすると、少し寒気を覚えた。


「アシュリン、地面に降りるんだ!」


 森の木々が薄い場所を発見し、一旦そこにアシュリンを着地させた。

 リゼットは温かな背中から飛び降りるや否や寝間着を脱ぎ、リュックから猟兵用の服を取り出して着替える。

 寝間着は適当にリュックへ突っ込むが、そこでリゼットは溜息を吐いた。


「うーん……ご飯がない……」

「ピュェ……」

「だ、大丈夫だアシュリン、途中で鳥とか魔物を見つけて狩ればいいんだ! あたしが魔法で狩って、お肉も焼いてあげるから、アシュリンは頑張って飛ぶんだぞっ!」


 泣く泣く食料は諦めて出発したが、今になってリゼットは悔いていた。

 だが食料庫に立ち寄っていれば、誰かに発見されていたかもしれない。

 そうは思っていても、リゼットの食欲は深い後悔を強いてくる。


「ま、でもしょうがないよね! お金はあるから、町に着いたら一緒においしいもの食べようねアシュリンっ!」

「ピュェェェェッ!」


 リゼットはリュックを背負い直すと、アシュリンの背中に跨がった。

 そして再び夜空に飛び上がり、満天の星空の下を進んでいく。




 ■   ■   ■




 一時間ほど毎に地上に下りて、アシュリンには小まめに休憩を取らせながら、ひたすら飛行させる。

 アッシュグリフォンの飛行速度は飛行型の魔物の中では、中程度の速さといったところだ。全力のセイディには負けるが、サラよりは速い。それに持久力ならセイディよりもある。


「もう水はいい?」

「ピュェ」

「よーしっ、じゃあ出発だー!」

 

 休憩を終えて飛行を再開して間もなく。

 次第に夜空が白んできて、ついに背後の方から暁光が差し込んできた。

 振り返ってみると、山々の稜線から太陽が顔を覗かせていた。

 

 現在、リゼットは結構な高空を飛んでいる。辺りには大小様々な山が乱立しているので、それらを飛び越えるためだ。

 山間には森や川はもちろん、深い谷や滝まで見られるが、人気は全くない。雄大な自然風景の数々はリゼットの好奇心を刺激し、色々な場所に立ち寄り見て回りたい思いを喚起させる。

 が、今は上空からの景色で我慢するだけの自制心が彼女にはあった。目的地である港町クロクスには少しでも早く到着しなければ、ローズと会えなくなるだろうことはきちんと承知しているのだ。


「うぅ、お腹すいてきた……」

「ピュェ……」


 リゼットの腹の虫が小さく鳴くと、アシュリンも釣られたように腹の中から大きな音を立てる。まだまだリゼットもアシュリンも元気ではあるが、普段通りならそろそろ朝食の時間だ。


 ひとまず地上に下りて食べ物を探そうかどうか考えているとき、そいつは現れた。

 ちょうど小高い山の中腹辺りを飛んで、また一つ稜線を超えようとしていると、眼下の木々から何かが飛び出すのが見えた。


「ん? なんだろ? 鳥……じゃないね、魔物だ!」

「ピュェェッ!」

 

 目測で翼開長が二十リーギスはありそうな、巨鳥の如き魔物だった。

 身体は見目鮮やかな黄色い羽毛に覆われ、アシュリンと同等以上に鋭い嘴と鉤爪を備え、両翼はセイディやアシュリンのような羽毛ではなく、サラのような翼膜が張られている。それだけなら未だしも、翼は鋼さながらの硬質な質感が感じられ、朝日が不気味に黄色く反射している。

 背中や足、尻尾付近には魚のヒレめいた小さな翼らしきものが数多く見られ、そんな未知の魔物が凄まじい速度で接近してくる。


「アシュリンっ、朝ご飯だ!」

「ピュェ!」


 一人と一頭は歓喜の声を上げて戦意を滾らせた。

 あの黄色い巨鳥型魔物は出発してから初めて見掛けた魔物だ。もう館からは相当離れたはずなので、魔物がいても全く不思議ではないが、もっと早く魔物には遭遇しても良かった。

 いや、あるいは夜の暗さに紛れて気が付かなかっただけかもしれない。飛行型の魔物も夜は巣かどこかで眠っているだろうし、アシュリンも大きな魔物なので端から見れば強敵だ。


 これまで魔物に遭遇しなかったのはそうした理由があったからか、単に運が悪かったからか、それはリゼットには分からない。

 だが、今の彼女にも分かっていることが一つだけある。

 

「なんかおいしそうなやつだ! たぶんあれ絶対おいしいやつだ!」

 

 リゼットはアシュリンの背中にしがみつきながら、爛々と輝く瞳で迫り来る怪鳥を注視する。

 威嚇でもしているのか、敵は大きな鳴き声を上げており、アシュリンも対抗するように「ピュェェェ!」と鳴いている。


「くらえー!」

 

 彼我距離が五十リーギスを切ったあたりで、リゼットは詠唱を省略した上級魔法〈爆炎バ・ラトス〉をぶっ放した。が、狙いが甘かったのか、獲物の斜め後方で爆発が起きてしまう。


挿絵(By みてみん)


 リゼットはアシュリンに乗って魔物と戦うことは初めてなので、互いに飛行することで常に距離感の変化する戦況には不慣れだった。


「アシュリンっ、あいつから離れるんだ! 攻撃はあたしがするから、アシュリンは飛ぶことに集中しなさいっ!」

「ピュェ!」


 まるで元から接近して攻撃する気などなかったかのように、当然の体で即答するアシュリン。あっという間に黄色い巨鳥型魔物との距離が縮まる中、アシュリンは右前方に旋回する。

 だが、敵の空中機動は鋭すぎた。

 アシュリン以上の高速で飛んでいたにもかかわらず、急旋回してアシュリンの翼に食らいつこうと嘴から鋭牙を覗かせる。


「――このぉ!」


 咄嗟に放たれたリゼットの〈火矢ロ・アフィ〉に驚いてか、魔物は急に速度を落として回避する。しかしアシュリンは左翼の一部を傷つけられ、灰色の翼に少しだけ血が滲んでいた。


「ピュェェ……ピュェェェン」

「よくもアシュリンを傷つけたなぁ!」


 リゼットは初級魔法の〈火矢ロ・アフィ〉を同時行使して連発した。

 二発同時に射出される攻撃を立て続けに十回――計二十発も連射したが、命中したのは三発だけだった。その三発の命中箇所は翼で、確かに当たったはずなのに、全くの無傷だ。更に敵の全長はアシュリンの倍程度もあるのに、見たこともない鋭角的な空中機動と見事な体捌きで、残り十七発を華麗に躱される。


「なんだあいつ!? なんか普通じゃないぞ!」


 リゼットの直感が激しく警鐘を鳴らしていた。

 名称不明の怪鳥は大きく鳴きながら追いすがってきて、とりあえずリゼットは最も行使速度の早い〈火矢ロ・アフィ〉を連発する。

 敵はほとんどを躱すが、両翼と背中の翼に当たる攻撃は無視して突っ込んでくる。現状、攻撃の手を緩めれば、またすぐに追いつかれて攻撃されるだろう。


 陽光に輝く両翼は見た目通り硬質なようで、既に六発は命中しているはずだが、焦げ付いた痕すら残らない。翼と同等に飛行速度も驚異的で、いまアシュリンは全力で宙を駆けているのに、リゼットが足止めして互角の状況だ。


「くそー、これならどうだっ!」


 得意の火魔法による攻撃を中断し、下級風魔法の〈風刃ラス・ドィウ〉を無詠唱で放った。ただしリゼットは初級魔法しか同時行使できないので、一発だけだ。

 不可視の攻撃ならば避けられまい……と思ったのに、黄色い怪鳥はあっさりと躱してみせる。

 

「あっちいけ!」


 もう十リーギスほど後方にまで迫っていて、リゼットは〈爆炎バ・ラトス〉を放った。ただし無理に敵本体は狙わず、その軌道上に炸裂させて目眩ましにする。

 爆発の余波で気流が乱れ、アシュリンは少々ぐらつきながらも体勢を立て直した――その瞬間。


「うわっ!?」

 

 爆炎を突っ切って、尖った嘴と鋭い牙が現れた。

 リゼットは反射的に〈炎盾ド・レイフ〉を行使するも、敵は恐るべき反応速度と鋭角軌道で真下に急降下して炎の壁を回避し、瞬時に急上昇して下方から襲い来る。

 アシュリンは急旋回して回避を試みたが、敵の背ビレめいた翼とアシュリンの右翼が掠った。すると剣で斬られたかのように、灰色の翼が小さく裂けて、赤い滴が宙を舞う。


 怪鳥はすぐに上昇から下降に切り替え、再び襲いかかってくる。

 リゼットはアシュリンの背中に強くしがみつき、上下左右に急旋回するアシュリンの空中機動に翻弄されつつ、がむしゃらに魔法を放つ。

 だが命中せず、命中しても翼にだけで、鋼の如きそれには傷一つつかない。


「アシュリン逃げろっ、こいつ危ないやつだ!」

「ピュピュェェェッ…………ピュェ!?」

「ぅわ!?」


 何度目かの急旋回で、アシュリンの背中からリゼットの矮躯が振り落とされた。

 追いすがる大きな鳥型魔物との激しい空中機動の負荷に、しがみついていたリゼットの体力は着々と削れていたのだ。

 大空に投げ出され、リゼットは一瞬、思考が停止した。 


 当然の如く、黄色い怪鳥は狙いをアシュリンからリゼットに変更し、おぞましい叫声を上げながら迫り来る。尖った嘴を大きく開けて、リゼットは呆然と鋭い牙の並んだ口内を見つめる。


「――っ!」


 あと二リーギスほどで喰われるというところで、幼い精神は我に返った。そして敵の生々しい口内へと詠唱もなく〈爆炎バ・ラトス〉を放つ。

 至近距離からの一撃は外すことも躱されることもなく、狙い通りに命中した。

 怪鳥の嘴は上下ともに頭ごと弾けて爆散し、リゼットは余波で木っ端のように吹き飛ばされる。


「ピュェェェェ!」


 アシュリンは宙を舞うリゼットを追いかけて、なんとか空中で矮躯を捕まえた。

 だが、右前足の鉤爪で掴んだ彼女の身体はぐったりとしたまま動かない。

 頭部のない黄色く大きな怪鳥は力なく落下していき、木立の間に消えていった。


「ピュェェッ、ピュェェ!」


 そんな敵の姿は一顧だにせず、アシュリンはリゼットを見つめて悲しそうに鳴き続ける。




 ■   ■   ■




 痛みがリゼットの意識を覚醒させた。


「……ん、っ」


 薄く目を開けると、青空と木々の緑が見えた。

 枝葉で幾分か和らいだ陽光が降り注ぎ、その眩しさと全身から感じられる痛みから、思わず目を眇める。

 

「ピュェ!」

「アシュリン……あたし……っ!」


 覗き込んできた相棒を見て、リゼットは飛び起きた。

 キョロキョロを辺りを見回すと、地面に何体かの魔物の死体が転がっていた。周囲には木々が多く、少し開けた場所で横たわっていたようだ。

 お座りしたアシュリンの嘴や前足は赤く濡れていた。


「怪我したのアシュリン!?」

「ピュェ! ピュェェェッ!」


 元気良く応じるアシュリンを良く見てみると、翼以外に怪我らしい怪我は見られない。辺りに転がった死体と付着した血痕は、リゼットが気絶している間に襲いかかってきた魔物を、アシュリンが倒した結果なのだろう。


「アシュリン、ありがと……っぅう、痛い……」


 リゼットは自分の身体を検めてみた。

 服はあちこちが焼け焦げてボロボロになっていて、それは身体も同様だ。火傷したような痕が散見され、それらはヒリヒリと痛み、全身からは鈍痛も感じる。更に先ほどから音の聞こえ方がおかしく、右耳の奥が痛かった。


「あれ、右だけが聞こえなくなっちゃった……?」


 おそらく〈爆炎バ・ラトス〉の衝撃にやられてしまったのだろう。

 以前、マリリンから〈爆炎バ・ラトス〉は離れて使うようにと注意されていた。


「とりあえず治癒魔法だ」


 リゼットは治癒魔法が苦手で、まだ下級を詠唱して使うので精一杯だ。


「我は苦鳴を厭う者なり、善悪問わず癒やしたもう――〈小治癒ルー・ルイ〉」


 何度か連続して行使していくと、全身の鈍痛は和らぎ、火傷の大半は消えた。

 ただ、特に酷い火傷の痕はまだ幾らか残っているし、身体の各部にも痛みはあり、右耳も聞こえないままなので、とても全快とは言えない。


「あいつ……」


 あの黄色い鳥型魔物との戦いはよく覚えていた。

 最後の瞬間、リゼットは生存本能の赴くままに、とにかく全力で攻撃しようと思い立ち、それ以外は何も考える余裕もなく〈爆炎バ・ラトス〉を放った。

 だが、おそらく十分な威力は乗っていなかったはずだ。もし全力で行使できていれば、あの至近距離にいたリゼット自身も死んでいただろう。


「うーん……やっぱりなんか変な聞こえ方だ……」


 耳の聞こえ方に激しい違和感を覚えるが、問題はそれくらいだ。

 リゼットの聴覚は元から良いので、左耳だけでも音は十分に聞き取れる。


「そういえば、あの黄色いやつはどうなった!? 倒せたんだよねっ?」

「ピュェェェ!」

「そっか、よかった……」


 敵は口内で炸裂させられたからか、不十分な威力の魔法でも倒せたようだ。

 結果的になんとか大きな負傷もなく勝てはしたが、今回は運が良かったとしか言えない。リゼットは言葉にならない思考の末、直感的にそう悟った。


「アシュリン、翼やられてたよね」


 リゼットは気を取り直して立ち上がり、相棒の調子を確かめていく。

 両翼共に切傷ができていたが、幸いにして軽傷で、下級治癒魔法でも直せる程度のものだった。


 それからリゼットは全裸になって、アシュリンと一緒に身体を洗うことにした。

 相棒の毛並みについた血を落とし、リゼット自身は残った火傷を洗い流して清潔にし、風魔法で全身を乾かす。それから下級水魔法〈氷弾ト・スア〉の小さな氷塊を生み出して、患部にあてて冷やしてみる。


「ちょっと痛いけど、とりあえず動けそうだからいっか」


 リゼットは数分ほど冷やした後、リュックから包帯を取り出した。

 治癒魔法で治せないような重症を負った際の緊急用として、館から持ってきた猟兵活動用のリュックに入っていたものだ。包帯の巻き方は以前にクレアから習っていたので、不格好でもなんとか巻くことができた。


 服はボロボロになってしまったが、替えは寝間着しかない。

 逡巡しつつも、そのままボロボロの服を着直した。


「あれからそんなに経ってないよね……?」


 太陽の位置からして二、三時間ほど気絶していたようだが、まだ正午まで数時間はある。リゼットは痛みの残る身体で準備を整えると、アシュリンに向き直った。


「よしアシュリンっ、ご飯にするぞ! あたしたちが倒した黄色いやつはどこにいる!?」

「……ピュェェェ」

「えっ、わかんないの!?」


 仕方がないので探すことにした。

 アシュリンが倒した魔物が何体か転がっていたが、そいつらではダメだった。リゼットは何としてでも、あの黄色い鳥型魔物が食べたかった。それは苦労して倒したからでもあるし、食欲に端を発する直感が囁いていたからだ。

 奴は旨いはずだ、と。


 アシュリンに乗って飛翔し、空から辺りを見回してみる。眼下は森なので視界が利くとはいえないが、あれだけ大きな魔物が落ちたのだから少しは目立つはずだ。

 その推測は正しく、黄色い体色と相まって、すぐに見つかったが……。


「あああぁぁぁぁ、もう食べられちゃってるーっ!」

「ピュェェェ!」


 絶望的な悲鳴がクラジス山脈に響き渡る。

 地面に横たわる名称不明の怪鳥の死体は既に食い荒らされた後だった。黄色い身体の大半は鮮血色に染まり、胴部は粗方の肉が食べられて、ほとんど骨だけになっている。ただ、両翼だけは傷一つなく無事なようだが、そもそも翼は硬そうで肉もなさそうなため、救いにはならない。


「くそー、命懸けで倒したのに……誰だあたしのお肉を食べたのは!?」 

「ピュェェンッ、ピュェェェェェェ!? ピュェェェ!」


 一人と一頭は既に何処かへ去ったであろう食い逃げ犯に怒った。どこぞの魔物か動物が、空から降ってきた肉をこれ幸いとばかりに貪ったのだろう。

 しばらく憤懣やるかたない思いを声にして吐き出した後、リゼットは死体の食い残しに目を向ける。

 

「ちょっとでも食べるんだ! 待ってろアシュリンっ、なんとか剥ぎ取ってやる!」


 リュックから剥ぎ取り用の短剣を取り出し、僅かに残った肉片を切り取っていく。集めた肉たちはそのまま短剣に突き刺し、火魔法で焼いてアシュリンと一緒に食べてみた。


「うまぁぁぁぁぁぁぁ!」

「ピュェェェェェェェッ…………ピュェ?」

「んっ? どうしたアシュリン! こんなにおいしーお肉なんだぞっ!」

「ピュェ、ピュェェェェェェェ!」 


 アシュリンはどこか焦ったように、再び歓呼の鳴き声を響かせる。

 少々疑問は覚えたが、リゼットは大して気にせず、予想以上の美味しさに歓声を上げながら、僅かな肉を相棒と一緒に腹に収めていった。

 黄色い怪鳥の胴体は完全に白骨と化すも、両翼だけ傷一つない奇妙な死体が出来上がる。


「この翼、なんか凄いぞアシュリン! めちゃくちゃ切れそうっ、アサルトマンティスの鎌より凄そうだっ!」


 硬質な翼は薄く、硬く、切れ味は抜群そうだった。よく見てみると翼膜の表面は極小の鋭利な突起が斜めに生えていて、ざらざらした質感を醸し出している。

 もし飛行中に翼膜へ体当たりしていれば、すり下ろされていただろう。


「なんなんだろー、こいつ。この翼欲しいけど、大きすぎるなぁ……あ、そうだっ、背中に小さい翼みたいなのがあったはずだ!」


 リゼットはハッと息を呑むと、アシュリンに死体を裏返すよう命じた。

 二本の足にも小翼は生えていたが、1リーギス以上もあるので、やはり持ち帰るには大きすぎる。

 アシュリンは死体の周りをウロウロした後、「ピュェェェ……」と気まずそうに呟く。


「んー、そっか、たしかにこの翼はひっくり返すのに邪魔だし、危ないね。じゃあまずは翼を切ろう!」


 考えを即座に実行するべく、リゼットは魔力を練る。

 初級魔法の〈火矢ロ・アフィ〉に必要以上の魔力を込めて火力を上げ、翼を焼き切っていく。幸いと言っていいのか、翼は燃えず、ただ金属のように溶けているだけだ。

 少し手こずりながらも両の翼を切断すると、アシュリンにひっくり返してもらう。


「ピュェェェ」

「そんなに重いの? あっ、もしかして地面に刺さってるからかな?」


 背中の小翼も大きな両翼と同じく硬質で鋭利な感じだったので、落下して地面に突き刺さっているのだろう。

 リゼットはアシュリンに死体の骨を前足で掴ませ、そのまま真上に飛んで引っ張り上げさせた。あっさりと持ち上がったので、適当に放り投げさせると、今度はちょうど背中が上になって落ちた。


「よしっ、いいぞアシュリン! これとかちょうどいい大きさだし、持って帰ろうっ!」


 背中から尻尾にかけて生えた幾つかの小翼は全長三十レンテから二リーギスのものまで様々だった。三十レンテほどの手頃な小翼を三枚焼き切って、リュックに詰め込もうとするが、

 

「軽いし硬いけど、切れ味よすぎるなぁ……リュックが破れちゃいそうだ。ま、そのときはそのとき考えよー」


 脳天気に言って、三枚の小さな背翼をリュックに入れ、リゼットは満足げに頷いた。その直後、小さなお腹が可愛らしい音を鳴らして、空腹感を助長させる。


「行くぞー、アシュリーン! お腹いっぱい食べて、また元気良く飛ぶんだっ!」

「ピュェ!」 


 アシュリンの背中に跨がって、一人と一頭は元気良く声を上げる。

 今はローズを追いかけることが重要だが、それをするには先ほどの場所に戻って食事を再開する必要がある。

 リゼットもアシュリンも、まだまだ食べ足りていなかった。


「おいしいお肉だといいなぁ……」


 もう謎の黄色い怪鳥の死体には見向きもせず、リゼットは先ほど目覚めた現場へと戻っていった。




 ■   ■   ■




 怪鳥めいた魔物との空中戦に辛くも勝利した翌日。

 曇り空の下、リゼットとアシュリンはまだクラジス山脈の雄大な山々の中を飛んでいた。相変らず人気の皆無な大自然の只中を、北西方向に飛んで行く。


「うーん、天気が良くない。また雨降ってきたらやだなぁ」


 昨日は怪鳥との戦闘後、日暮れ前の夕立にやられてしまった。冷たい滴が無数に降り注ぐ中、それでもリゼットは先を急いで突っ切った。雨雲から抜け出た後は地上に下りて火を熾し、服を乾かしながら、全裸でアシュリンにくっついて身体を温めていた。そのおかげか、風邪はひいていないが、時間と体力は無駄にした。


「曇ってると太陽もよく見えないし……北西ってあっちだよね?」

「ピュェ」


 天を覆う暗雲はアシュリンの毛並みより色濃く、数時間前から頭上に重たく居座っている。既に昼過ぎで、本来なら強い日差しが降り注ぐはずなのに、陽の光はほとんど差し込まない。

 また雨が降ってこないか不安が募る。


「やっぱりちょっと寒い……この辺の山、雪が凄い積もってるよ」

「ピュェェェ!」

「アシュリン、遊びたいの? 今はダメだよ」

「ピュェ……」


 これまで飛び越えてきた山々にも雪化粧が施されたところは幾つもあったが、現在飛行している周辺はほぼ真っ白だ。

 既に猟兵服の下に寝間着を着込んでもいるが、まだ寒い。だがアシュリンの身体が温かいので、なんとか凌げていた。

 降るとしたら、雨ではなく雪かもしれない。


 昨夜はアシュリンと交代で睡眠をとり、食事は魔物の肉を適当に食べて過した。少し寝不足ではあるが、昨日の死闘はまだ鮮明に覚えているので、警戒心が眠気を抑え込んでいる。

 アレから既に十回は飛行型の魔物共から襲撃を受けたが、いずれも例の黄色い怪鳥ほど強くはなく、上級火魔法を一撃二撃食らわせれば地上に落ちていく程度だ。

 それは地上で休憩しているときに襲ってくる魔物も同様である。

 

「今度あの魔物が来たら、また口の中に火魔法を食らわせてやる!」

「ピュェェ……」

「え、逃げたい? なに言ってるんだアシュリン! もうあいつの倒し方はわかったんだから、怖がるこ――お?」


 弱気を見せるアシュリンの背中をバシバシと叩いて檄を入れているとき。

 リゼットは山間の谷底に気になるものを発見した。

 そこは谷というより、大山に挟まれた小さな平原地帯で、木々は少なく小さな湖まである。

 

「なんだあいつ……すっごいでっかいっ!」

「ピュェェェ!」 


 興味津々に驚くリゼットとは対照的に、アシュリンは怖じ気づくような悲鳴を上げる。

 小さな平原には青く大きな魔物が闊歩していた。その体躯は遠目に見ても立派で、犬のように四足で歩行しており、全長は三十リーギスほどもあるだろう。

 立派な角が一本だけ頭から生えていて、疎らに雪の残った草地をのしのしと歩いている。


「あっ、そうだ、あいつ本で見たことある! たぶんカイザーベヒーモスだ!」


 魔大陸の魔物の中でも特に精強な魔物として知られている特二級の魔物だ。

 勇壮かつ凶悪な青い巨躯と雄々しい一角が特徴的で、気性は荒く、力強く俊敏に動いて敵を喰らい、青い硬皮は生半可な攻撃では傷一つ付けられないと言われている。飾り気のない外見が覚えやすいせいか、魔大陸の猟兵で知らない者はいないほど有名だが、見掛けることは滅多にないという。

 もし見掛けたとしても絶対に近寄ってはならず、存在に気付かれたら翼人でない限りまず命はないらしい。


「すごいぞアシュリン! あっちだっ、近づいてみるんだ!」

「ピュェェェェェッ!」

「もうっ、なに怖がってるんだ! こっちは空にいるんだから攻撃はされないよっ」

「ピュェェ、ピュェェェンッ、ピュピュェェェェェェ!」

 

 泣き叫ぶように声を荒げるアシュリン。

 さすがのリゼットも禍々しさの感じる青い巨躯には恐怖を覚えるので、相棒の気持ちは理解できた。それに今は一秒でも早く先を急ぐ必要がある。

 しかし、せっかくの機会なので、近くで見てみたい衝動は抑えられなかった。


「じゃあ……あそこっ、あの大きな岩の上から眺めるだけにするから! 攻撃もしないし、それ以上近寄らないし、見つからないようにするから!」


 どうにかこうにか、嫌がるアシュリンを従えて降下する。

 ちょうど平原の中心付近に横たわる台地状の大岩に着地して、三百リーギスは先にいるカイザーベヒーモスの偉容を眺める。


「すごい……あんな強そうな魔物初めてみた! 世界にはまだまだもっとたくさん、あんな魔物がいるんだよね!? すごいぞアシュリンっ、早くすごい猟兵になって、いつかあいつを狩るんだ!」

「ピュピュピュピュェェェェ……」

 

 アシュリンは緊張に身体を硬くして震えている。

 一方でリゼットは未知への好奇心と世界の広さに心を躍らせ、瞳を爛々と輝かせている。


「ん? あいつの足下にもなんかいるぞ……あっ、たぶん子供だっ、あんな小さいのからあんな大きくなるんだね!」


 指差しながら叫んでいると、カイザーベヒーモスの一角がこちらに向けられた。まだまだ距離は離れているから安心だが、リゼットは少し身体を強張らせてしまう。

 だがそれを誤魔化すように、大きく震えるアシュリンの背中を叩いた。


「こ、こらアシュリンっ、いくらなんでも怖がりすぎだぞ! あんなに向こうにいるし、こっちに来たら飛んで逃げればい――ぅわっ、だからアシュリン震えすぎ!」

「ピュェッ、ピュェェェ!」

「え? 違うってなにが?」


 アシュリンの背中に乗ったままのリゼットは大きな揺れを感じている。

 しかし、アシュリンは身震いしてこそいるが、その程度ではこの揺れに釣り合わない。

 

「もしかして、地面が揺れて――った!?」

 

 急に足下の岩が大きく傾いて、アシュリンが逃げ出すように飛び立つ。

 リゼットは急な動きのせいで舌を噛んだ。


「――――」

 

 だが痛みに顔をしかめることもできず、呆然としてしまった。

 大岩が動いているのだ。

 高さ三十リーギス以上、幅は優に百リーギスはある巨岩が、身じろぎするように小さく震えている。リゼットは直感的にこの岩も魔物なのだと悟った。

 

「ピュェェェェェェッ!」


 アシュリンは全速力で逃げ出した。

 それをリゼットは注意せず、ただ眼下の岩にしか見えないものを凝視して、ポカンと口を開けたままだ。

 小さくなって見えなくなるまで、リゼットは無言で背後を見遣っていた。




 ■   ■   ■




 動く巨岩に遭遇した翌日。

 ちょうど正午頃に山地を抜け出た。周囲が背の高い山々ばかりの光景から、どこまでも広がる草原地帯に取って代わる。

 

「ここ、どの辺なんだろ? どこかに町はないかな?」


 とりあえずリゼットは街道を探していく。

 天気は晴れ晴れとしているので、遠方までよく見通せる。

 しばらく北西方向に漫然と飛んでいると、緑地を突っ切る茶色い線が見えた。街道だろう。それは南北の方向に伸びていたので、北へと辿っていく。


「あっ、人だ」


 地上に通行人を発見した。馬が数頭、人も数人いる。

 だが声は掛けず、気付かれないように高空を飛んだまま、街道という目印を頼りに進んでいく。

 

 本当は声を掛けたかったが、リゼットはアシュリンに乗っている。

 アッシュグリフォンの素材は高く売れるそうなので、相手が悪人だと襲いかかられる危険があった。それに相手を怖がらせる可能性が非常に高い。


「町を見つけたら、アシュリンは外で待ってるんだぞ」

「ピュェェ……」


 そんなことを話しているとき、街道の先から飛んでくる翼人たちを発見した。

 人数は五人だ。

 アシュリンより下を飛んでいるので、まだ向こうには気付かれていない。

 と思ったら、翼人たちはアシュリン目掛けて上昇してくる。


「あいつら、もしかしてアシュリンを狩る気か!?」


 遠目に見ても、翼人たちは弓や剣、槍を持っているのが分かる。

 彼らは途中で五方向に別れると、まるで獲物を追い詰めようとするかのように、それぞれが際だった動きで距離を詰めてくる。

 

「ピュェ!?」


 下方から飛来した矢をアシュリンが咄嗟に回避した。

 

「こらーっ、なにするんだー! アシュリンは魔物だけど魔物じゃないぞーっ!」


 アシュリンの背中から顔を出し、接近してくる翼人たちを見下ろして叫ぶ。すると翼人たちはその空中機動に戸惑った様子を見せながらも、尚も接近してくる。

 リゼットはこのまま逃げようかどうか迷ったものの、相手は成人男性の翼人なので、追いつかれる危険がある。

 逡巡した末、きちんと翼人たちに注意しておくことにした。


 リゼットとアシュリンは降下して、翼人たち五人は上昇して、互いに距離を縮めていく。両者の間には奇妙な緊張感が漂っており、どちらも身構えたまま同じ高度にまで達した。


「こいつは驚いたなっ、人が乗ってるとは思わなかった!」


 槍を持った翼人が声を掛けてきた。未だ片耳が聞こえない状態には慣れていないが、問題なく聞き取れている。

 相手は三十代半ばの男で、他の翼人たちも似たり寄ったりな感じだ。

 彼らはリゼットを中心に半円状に広がっている。


「なんだお前はっ、猟兵か!? いきなり攻撃してくるなぁ!」

「そいつは悪かったな、お嬢ちゃん。てっきりただのアッシュグリフォンだと思ってな」

「アシュリンはあたしの家族だっ! ちゃんと調教されてるんだぞ!」

「ピュェ!」


 獣人女児と魔物の息の合った様子を前にして、翼人の男は破顔してみせた。

 リゼットは尚も警戒心を持ったまま、男が口を開くのを見る。


「どうやらそのようだが……しかしな、お嬢ちゃん。使役している魔物なら、ちゃんと首輪着けないと分からんだろ」


 男の言う首輪とは、猟兵協会公認の使役魔物証明証のことだ。

 魔大陸には他大陸より比較的多くの魔物が使役されており、実際にリゼットもディーカで何体か見たことはある。それらには例外なく白革の首輪と丸い徽章、場合によっては鎖が付けられてもいた。野生の凶暴な魔物と間違えて狩られてしまわないように、目印となっているのだ。


 アシュリンをディーカの町に行かせたことはなく、行かせる予定もなかったので、首輪は持っていない。アッシュグリフォンを使役しているとなると否応なく目立つからだ。クレアたちは常日頃から目立たないように活動している。


「首輪はない!」

「いや、なんで堂々と答えてるんだ……それよりお嬢ちゃん、酷い格好だな。こんなとこ飛んで、どうしたんだ?」

「クロクスに行くんだ! オジサン、ここからどれくらい掛かるかわかる? ていうか、ここってどこっ!?」


 翼人の男たちは怪訝そうにリゼットを見て、互いの顔を見合わせる。

 それからまた槍の男がリゼットと向き合い、なんとも対応に困った表情で言った。


「えーっとだな……俺はパオロっていうんだ。ここから北に行ったところにあるアージスって町を拠点してる猟兵だ。お嬢ちゃん、名前は? どこから来た?」


 アージスという町に聞き覚えはあった。

 たしかディーカの北東に位置する町の名前だ。

 どうやら上手いこと飛んで来れたらしい。


「あたしはリゼットだっ、あっちから来た!」


 と言ってリゼットが指差したのは南東だった。

 しかしその方角に町はなく、クラジス山脈が広がっているだけなのを、パオロたちは知っている。


「山から来たのか?」

「そうだ、山に住んでるんだ! それでパオロっ、あっちに飛んで行けばクロクスに行けるんだよね!?」

「あ、あぁ、そのはずだが……」

「そっかっ、ありがとー! じゃあねっ!」


 リゼットはあっさりと別れを告げ、飛び去ろうとした。

 しかしパオロが慌てたように身振り手振りで制止するよう言ってきた。


「ちょちょっ、待て待てお嬢ちゃん。まさかそのままクロクスまで行く気なのか?」

「あたりまえだっ!」

「あー……リゼット、お前がどこの誰かは知らんが、ちょっと俺の話を聞いていけ。いいか、このままだと、また俺たちみたいな連中に勘違いされて襲われるぞ? 悪い事は言わないから、まずはここから一番近いアージスの猟兵協会に寄って、首輪を買った方がいい」


 娘を案じる父親のような口ぶりで忠告するパオロ。

 彼の言葉に一理あることはリゼットも分かっていたが、しかし今は先を急いだ方がいい。

 リゼットは滞空した状態で、風に声が攫われないように大声で応じた。

 

「でも早くクロクス行きたいから! それじゃあねっ!」

「あーっ、待て待て待て!」


 再三にわたって引き留めてくるパオロを面倒臭そうに振り返るリゼット。

 アシュリンは早く先に行きたそうに身体をうずうずさせて羽ばたいている。

 そんな女児と魔物を見て、パオロは顔をしかめて後頭部をガリガリと掻きながら、舌打ち混じりに溜息を吐いた。


「ったく、いいか、リゼット? 今回は俺らだったから良かったが、中には乱暴な連中だっているんだ。アッシュグリフォンの素材は高く売れるし、無理矢理殺そうとする奴だっている」

「大丈夫っ、あたし強いから!」

「そうかもしれないが、それでもちゃんと首輪を付けて、できれば猟兵協会で翼人の護衛を雇った方がいい。金がないなら、アージスでクロクス行きの商隊にでも同行させてもらえ。アッシュグリフォンは力もあって強いし飛べるから、周辺警戒用の護衛として一緒させてもらえるはずだ」


 商隊に同行したりすれば、到着は確実に遅れるだろう。

 護衛を雇うにしても、そんなにお金は持っておらず、探す時間ももったいない。

 という論理から、リゼットは即座に首を横に振った。

 その返しにパオロは更にリゼットに言葉を掛けようとしたが、仲間の男が口を挟む。


「おいパオロ、もういいだろ。本人が大丈夫だって言ってんだ」

「んなわけねえだろっ、まだ十にもならないガキだぞ。はいそうですかって見捨てて行くには寝覚めが悪すぎる」

「お前、相変らずお人好しだな……」


 仕方なさげに苦笑する仲間の男にパオロは鼻を鳴らし、リゼットを見た。


「おう、リゼット、仕方ないから俺がアージスまで一緒に行ってやる。そこで首輪を買ってやるから、クロクスへ行くとしても、せめて首輪を付けてから行け」

「……なんでパオロ、そんな親切みたいなことしてくれるの?」

「みたいじゃなくて、普通に親切だ。俺の娘もちょうどリゼットくらいだからな、なんとなく見過ごせんだけだ」


 リゼットは魔女であることを告げようか迷った。

 相手が魔女だと分かれば、パオロも余計な心配はせず、リゼットを放っておこうとするだろう。だが魔女であることは誰にも言ってはいけない決まりだ。

 それに首輪はあるに越したことはなく、首輪があればクロクスの上空を堂々と飛行して、ローズを探せる。

 

「アージスって町まで、どのくらいかかる?」

「ここから一時間も掛からんくらいだ」


 それくらいならいいか。

 リゼットはそう判断して、パオロと一緒にアージスの町へ行くことにした。




 ■   ■   ■




 パオロは三人の仲間と別れた。

 一人はパオロに賛同したので、アシュリンは二人の翼人と並んで北上していく。

 彼ら曰く、こうして翼人が並行して飛んでいるだけで、猟兵たちから襲われることはまずないという。


「もしかして、リゼットちゃんはアレか? 調教師の家の生まれだろ」


 パオロと同い年ほどのビューズという男はアシュリンを指差して言った。

 リゼットは突然のことに小首を傾げる。


「なんだそれ?」

「あれ、違うのか? 調教師の家は町から離れた森や山の中にあるっていうし、てっきりそうだと思ったんだけどな」

「首輪もなくアッシュグリフォンに乗って町に行こうとしてるから、おおかた家出でもしてきたんだろ?」


 パオロも同感なのか、笑いながら戯けたように訊ねてくる。

 リゼットは二、三度ほど瞬きしてから、無言でうんうんと頷き肯定しておいた。

 ここで否定すれば、色々と訊かれるだろうと思ったのだ。

 リュースの館のことも魔女であることも話してはいけない決まりだし、リゼットは嘘が苦手なので、自分で上手く話をでっち上げることもできない。

 相手が勝手に勘違いしてくれるのなら、好都合だった。


「なんだ、やっぱりそうか」


 パオロとビューズはおかしそうに破顔して、肩を竦めている。

 

「まあ、深くは聞かないけどさ、あんま危ないことはしない方がいいぞ」

「そうだぞ。何か事情はあるんだろうが、親は心配させるもんじゃない」 

「ハハッ、さすが子持ちが言うと説得力あるな。ところでリゼットちゃん、そのアッシュグリフォン、よく調教されてるな」


 高速で飛行しながら、ビューズがアシュリンの様子をしげしげと眺める。

 現在は眼下に街道はなく、原っぱの上空を真っ直ぐに飛行している。


 地上だと地形のせいで直線的に進めず、道が曲がりくねったり、大きく迂回していたりするが、大空に道などない。ただ目的地へと直進できるので、周辺の地理に明るいらしいパオロに任せれば最短距離でアージスまで行ける。


「アシュリンは家族みんなで調教したから、言うことは聞くよ!」

「ほう、やはり凄いな、調教師ってのは。野生のアッシュグリフォンはなかなかに凶暴な魔物なんだが……」

「ピュェ!」


 不躾な視線に耐えかねたのか、アシュリンが鋭い鳴き声を上げた。

 不意打ちのような威嚇に二人は身体を強張らせ、得物を構えかける。


「怖がらなくても大丈夫だよ! アシュリンは臆病者だからねっ!」

「ピュピュェ!?」

「ハハッ、面白い嬢ちゃんだな」


 そうして適当に雑談しながら飛行していくと、町が見えてきた。

 ちょっとした丘の上に町並みが広がっていて、ディーカよりは小さいが、景観は十分に立派だ。

 

「んじゃ、俺が首輪買ってくるから、ビューズはここでリゼットちゃんと待っててくれ」


 町へと続く川の上空でひとまず止まり、パオロが一人で町の方へ行こうとする。

 だがリゼットは待ったを掛けて、彼に問いかけた。


「首輪、いくらするの?」

「ん? 3000ジェラくらいだったと思うが……なんだリゼット、金持ってるのか?」

「持ってる!」


 リゼットはリュックから財布を取り出した。財布には全部で5000ジェラしか入っていないが、3000ジェラを取り出してビューズに渡す。

 

「持ってないって言えば、俺が買ってやったのに」

「それはダメだっ、アシュリンの首輪だから、あたしが買ってあげなくちゃダメなんだ!」

「んー、オレなら黙ってる自信あるね」

「ビューズ、お前と一緒にしてやるな。リゼットは意外としっかりしてるんだな」


 感心したように頷いて、笑みを浮かべるパオロ。

 三人と一頭は一度地上に降り立って、リゼットは3000ジェラを手渡した。

 パオロは受け取るや否や、軽快に飛び立って再び空の人となる。


「さて、オレらはここで待ってるか。もし魔物が来たりしたら、適当に空に逃げればいいし。ところでリゼットちゃん、なんでそんなボロボロなんだ?」

 

 ビューズの言うとおり、リゼットの格好は綺麗とは言い難い。

 服はあちこちが焼け焦げ、ほつれているし、手足には一部だけ包帯も巻いてある。

 

「魔物と戦ったからだ!」

「おいおい、危ないなぁ。でもここにいるってことは、なんとか勝ったんだろ? どんな魔物だったんだ?」

「おっきい鳥みたいな黄色いやつ! すごい速くて、翼が剣みたいに鋭くて、めちゃくちゃ強かった! でもあたしとアシュリンの敵じゃなかったけどねっ!」


 リゼットが胸を張って自慢げに答えると、ビューズは眉根を寄せて小難しい顔になった。そして独り言のように思案げに呟きは始める。


「いや……それって、聞いた限りじゃセイバーホークだと思うけど……でもあいつ相手にアッシュグリフォンじゃ勝てないはず……子供も乗せてるし……」

「なにぶつぶつ言ってるの?」

「まあ、なんだ……大変だったな、それで怪我したのか? もしかしてだけど、親とか兄弟にいじめられたりとかしてなかったか? それで家出してきたとか……?」

「あたしの家族はみんな優しいんだぞ! 誰もいじめたりなんかしないっ! なんで急にそんなこと言うんだ!?」


 大好きな家族が悪い人のように言われて、リゼットは怒った。

 するとビューズは身体の前に両手を上げて、笑いながら肩を竦める。


「いや、ごめんごめん、ちょっと気になっただけだ。それじゃあ、なんで家出してきたんだ?」

「それは…………あ、そうだっ、あたしは家出した子を追いかけてるんだ!」

「そうだ?」


 そうして二人は適当に雑談しながら、パオロが戻ってくるまで時間を潰す。

 川が綺麗だったので、アシュリンには川の水を飲ませて、全身を洗わせておいた。

 

「待たせたな」


 一時間もしないうちにパオロが戻ってきた。 

 小脇に大きな首輪と革紐を抱えていて、リゼットたちの近くに降り立つ。

 

「これが首輪だ、つけるの手伝ってやる。……こいつ、噛みついたりとかしてこないよな?」

「アシュリンお座りっ、待て!」


 警戒心を見せるアシュリンを大人しくさせてから、リゼットはパオロと一緒に大きな白革の首輪を装着していく。白革の表面は魚のような鱗状になっていて、如何にも丈夫そうだ。

 正面にあたる部分には直径三十レンテほどの円盤が吊り下げられ、表面には猟兵協会のマークが刻印されて、陽光に眩く光り輝いている。


「こいつはホワイトヴァイパーって魔物の革だ。凄く丈夫だし、汚れに強いから白さも保てる」

「その紐はなに?」

「これは……こうして首輪に繋げれば、とりあえず手綱代わりになるだろ。手綱も鞍もないままだと、うっかり落ちるかもしれないから、今度からちゃんと用意して乗れよ。まあ、調教師の子ならさすがに分かってることだとは思うが」


 以前にクレアたちからも、アシュリンには手綱と鞍をつけるよう言われたことがある。どちらも町で買ってきて着けてはみたものの、アシュリンがすこぶる嫌がったことで、結局は倉庫行きとなった。

 別段、なくとも普段の空中散歩では十分安全に乗れていたので問題はなかったのだ。だが今のリゼットには、二日前にアシュリンの背中から振り落とされて死にかけた経験がある。


「わかった、今度から飛ぶときはちゃんと着けて乗る」

「ピュェェ……」


 アシュリンはさも嫌そうに鳴いてみせる。

 首輪を着けられた今も落ち着かない素振りで首を動かし、どうにかして首輪を取ろうとしているほどだ。

 館に帰ったら首輪は外してやるつもりなので、アシュリンにはそれまで我慢してもらうことにする。


「んじゃ、とりあえず町に行くか?」


 ビューズが腰に手を当てて、一息吐きながら提案する。

 しかしリゼットは頷かず、代わりに頭を下げた。


「首輪をどーもありがとーございました! あたし急いでるから、もう行くね!」

「おいおい、だから一人じゃ危ないぞっ!」


 パオロが心配そうな顔を向けてくる。

 きちんと首輪を買ってきてくれたこと然り、未だ男に少々の偏見を持つリゼットでも、パオロたちが善人であることは分かる。

 親切にしてもらったことだし、正直に言って納得してもらおうと思った。


「あたし魔女だから、一人でも平気!」

「なに?」


 突然の告白に戸惑う二人に、リゼットは川面に向かって〈火矢ロ・アフィ〉を放ってみせた。

 詠唱もなく片手間に魔法を放った女児を前にして、二人の男は言葉もなく驚いている。


「ほら、だから大丈夫! もし悪いやつが襲ってきても、返り討ちにしてやる! それじゃあね、パオロっ、ビューズっ!」


 呆然とする二人に別れを告げて、リゼットはアシュリンの背中に飛び乗った。

 が、そこでふとクレアの教えを思い出し、地面に降りてリュックを開ける。

 先日、例の黄色い魔物から剥ぎ取った小翼を二枚取り出して、二人に差し出した。


「これあげる!」

「なんだ、これ……?」

「お礼だよ! 誰かに親切にしてもらったときは、お礼をしなきゃいけないからねっ! 今はそれしかあげられるものないから、あげる!」


 笑顔を弾けさせて両手でそれぞれに差し出すと、二人の男は困惑した面持ちながらも受け取った。薄く硬く鋭い板状のお礼を見て、ビューズが何か気が付いたように瞠目する。

 が、そのときには既にリゼットはアシュリンの背中に乗っていて、二人に手を振っていた。


「じゃーねー、親切にしてくれてありがとーっ!」


 アッシュグリフォンに跨がった小さな魔女は何度も手を振りながら地上を離れ、その後は振り返ることなく、風のように去って行った。

 残された二人は何とも言えない表情で顔を見合わせた。


「なあ、おいビューズ、魔女でもやっぱり追いかけた方がいいと思うか?」

「いや、あの嬢ちゃん詠唱もせずに魔法使ってただろ。本人の言うとおり、大丈夫なはずだ」


 そう言ってビューズは黄色いお礼を掲げると、やけに渇いた笑みを溢す。


「それにこれ、たぶんセイバーホークの背翼の一つだ」

「まあ、そうだろうな……ってまさか……」

「あぁ、お前を待ってるときに戦ったと聞いた。あのときは嘘か冗談だと思ったけど、本当だったとはな」


 セイバーホークは刃翼怪鳥じんよくかいちょうという異名で翼人猟兵たちに恐れられている三級の魔物だ。飛行型の中でも特に精強で知られ、鋭角的で高速な空中機動と刃のような翼の組み合わせは非常に危険とされている。

 荒くれ者が特に多い魔大陸の猟兵社会において、セイバーホークを単独で倒せる翼人猟兵は、誰憚ることなく一流を自称できるほどだ。

 しかし刃翼怪鳥を見掛ける事は少なく、その肉は最高に美味で、刃翼は貴重な素材として高値で取引される。

 

「いくら魔女とはいえ、本当にあんな子供が倒したっていうのか……?」

「あの歳で詠唱省略できる魔女だし、倒せても不思議はないだろ。本人はセイバーホークだとは知らなかったみたいだけど……特徴はよく言い当ててたし、格好はボロボロだった」


 中年の男二人は手元の小さな刃翼を改めて見つめる。

 そして無言のまま再び顔を見合わせ、次いで小さくなっていく後ろ姿を見遣り、ぽつりと言った。


「……じゃあ、いいか」

「……あぁ、いいよ」


 二人は頷き合って、町に戻っていった。

 そして貰ったお礼を金に換えて、別れた仲間三人と日暮れ頃に合流する。

 三人が今日一日で稼いだ金は、パオロとビューズより少なかった。




 ■   ■   ■




 親切な翼人猟兵と別れたリゼットは、ひたすら北西方面へ直進していった。

 空が茜色に染まる頃には海が見えて、それからは海岸線に沿って西へ西へと飛んでいく。

 飛行中や地上で休憩中に襲い来る魔物を魔法の力で蹴散らし、その肉を食べて身体を休める。

 

「うー、なんか疲れた……眠い……」


 パオロと出会った翌日――館を出発して四日目の夜。

 焚火の前で水を飲み、リゼットはアシュリンの身体に背中を預けた。

 これまでの道中では魔物を警戒して熟睡できておらず、小さな身体には疲労が溜まっている。肉以外には適当に見つけた木の実や果物しか食べていないことも、原因の一つだ。


「でも、行かなきゃ……ローズが行くなら、あたしも一緒に行くんだ……でも……でも、そうしたらクレアが悲しむし、でもローズを止めたらアリアが……」


 微睡む頭に様々な思考がぐるぐると回っていた。

 出発した当初、リゼットはローズと一緒にカーウィ諸島に行くつもりだった。

 しかし飛行中は暇なので、柄にもなく色々と思索に耽ることが多くなっていたせいか、やはりローズを連れ戻した方が良いかもしれないという考えも無視できなくなっていた。


「あー、どーしよー……どーすればいーんだーアシュリーン……」

「ピュェェ」


 相棒の温もりに意識を溶かされ、リゼットは眠りに就いた。

 が、それから間もなく近づいてくる足音を片耳が拾って、勢い良く目を開ける。

 魔物を蹴散らすと、再び目を閉じる。

 それを何度か繰り返して断続的に身体を休めた後、深夜でも構わず出発した。


 とにかく早くクロクスまで行かないと、ローズを見つけられない可能性が高くなる。そう思うと、おちおち眠っていられず、先に進みたかった。

 幸い、アシュリンの体力はリゼットの何倍もある。相棒は疲労感こそ見せながらも、へばることなくリゼットを乗せて飛行する。


 海沿いを飛んでいると、幾つか港町を見掛けた。

 だが、どの町も無視して通り過ぎていく。

 目的地のクロクスは魔大陸の最も北西に位置する、ディーカの何倍も大きな町だ。西に陸地が続いている限り、そして如何にも広大な町でない限りは確認すらせず素通りする。


 ローズがクロクスから出港するという確たる根拠はない。

 しかし港町クロクスは魔大陸北西部の玄関口とされているので、他の大陸や島へ行く場合はクロクスを利用するのが一般的だ。リゼットとてその常識は知っているので、他の町には見向きもしない。


 そうしてひたすらに西進すること、一日半。

 館を出発して五日目の昼過ぎ頃、リゼットは目的地らしき町を発見した。

 半円形に広がる町並みは遠目に見ても立派なもので、港湾部には無数の船舶が停泊している。


「アシュリンっ、あれだ! たぶんあれがクロクスだっ! 着いたぞっ、着いたんだアシュリン!」

「ピュェェェェ!」


 穏やかに綿雲が漂う青空の下で、リゼットとアシュリンは歓声を響かせた。

 

「よーしっ、港の方に行くんだ!」


 当初の予定ではアシュリンを町の外に待機させ、リゼット一人で町中を探す予定だった。しかし首輪を入手した今、堂々とアシュリンに町の上空を飛行させて、ひとまず人気の少ない場所に着地させた。

 周囲の人がぎょっとした目を向けてくるが、首輪のおかげか、誰も襲いかかってきたり、話しかけてきたりもしてこない。


「ローズたちの匂いは…………わかんないなぁ」


 鼻に意識を集中させてみても、雑多な匂いと潮の香りしかしない。

 潮の香り。

 四年近く嗅いでいなかった海の匂いに、昔日の記憶が喚起される。

 

「そーいえば、ずっと来てなかったっけ……」

 

 アシュリンを歩かせながら、ぼんやりと呟く。

 道行く人々の視線など意にも介さず、リゼットの無意識は否応なく記憶を掘り起こしていく。

 当時はまだ四歳で、あの頃の記憶は曖昧なものばかりだ。

 それはチェルシーのことも例外ではない。チェルシーという人がいて、大好きだったことは覚えていても、顔はよく思い出せないし、当時どんな話をしたのかもほとんど記憶に残っていない。

 だが、初めてクロクスを訪れた日のことはよく覚えていた。


 あの日はクレア、セイディ、チェルシーと共に四人で買い物に来ていた。まずは商店に行ってサラの誕生日に贈る特別な櫛を買い、それから四人で町を見て回っていたのだ。

 しかし突然、見知らぬ男たちに襲われた。追いかけてくる男たちを前に、クレアが足止めすると言って、リゼットはセイディとチェルシーの三人で一緒に逃げた。

 その後すぐに別の男たちが現れたので、今度はセイディが足止めして、チェルシーと二人で逃げた。またもや男たちが襲ってきたので、チェルシーから逃げろと言われた。リゼットは嫌がったが、珍しく怒ったように叫ぶチェルシーには逆らえず、走って逃げた。


「そーだ、たぶんこの辺でローズとユーハに会ったんだ……」


 巨人や水夫たちが忙しなく行き来して荷揚げをしていたり、奴隷と思しき人々がぞろぞろと移動している。

 あのときは青く広い海原と大小様々な船が居並ぶ偉容に圧倒されて、クレアたちのことが頭から吹き飛んでいた。

 代わりに、母親のことに思いを馳せていたのだ。自分のために世界を旅しているらしい母親が、船に乗って今にも現れるかもしれない。そんな幼子特有の夢想に意識の大半をもっていかれているとき、見知らぬ男に話しかけられた。

 一緒に来て欲しいという言葉でクレアたちのことを思い出し、叫ぼうとしたが口を塞がれた。そこにユーハとローズが現れて、助けてくれた。


「たしか、それであっちに行ったんだ」


 ユーハに抱えられて走った道を、アシュリンに乗って歩いていく。

 雑踏の中、無意識のうちにユーハとローズの匂いや声を探しながら、当時のことを思い出す。

 あのときローズにもらった乾果の味、ユーハの怖い顔、再会したセイディに抱きしめられた温もり、エネアスという男の声。

 そして、宿の部屋でチェルシーは遠くへ行ったと告げられたときの哀しみ。

 

「ローズ……チェルシー……」


 適当に入り組んだ道を進んでいく。

 当時の感情が湧き上がりかける中、リゼットはぶんぶんと頭を振って記憶を振り払い、鼻と耳に集中する。人通りの中にローズの姿がないか、通り過ぎる人たちにも意識を割く。赤い髪が見える度に期待しかけるが、すぐに全くの別人だと気が付く。

 ローズの匂い、ローズの声に似た感じを知覚して、その元へと行ってみても、ローズの姿は見られない。


「…………」


 ひたすら無言で探していく。

 リゼットには町の喧噪がどこか遠くに聞こえていた。意識が身体から遊離したような錯覚に陥り、町全体に自分を同化させるようにローズを探す。

 ときにアシュリンを歩かせ走らせ飛行させ、空腹感も忘れて広大な町の中を巡っていく。


「……………………」


 ふと我に返ったとき、リゼットは突っ立っていた。

 いつの間にか初めてローズと出会った場所に戻ってきていて、ぼんやりと大小様々な船と広大な海原に臨んでいた。既に頭上は夕暮れの色合いに染まり、斜陽で海面がキラキラと輝いている。

 夕焼け空に綿雲の影が伸びて独特の陰影を描き、丸い太陽が水平線の向こうへ沈もうとしていた。


「ピュェェ……」


 隣でお座りしていたアシュリンが、顔を寄せてくる。

 だがリゼットは呆けたように棒立ちになったまま、暮れなずむ港の光景を瞳に映したまま動かない。


「ローズ」

 

 もっとよく探せば見つけられるかもしれない。

 まだクロクスに到着していないだけかもしれない。

 だが、リゼットは直感的に理解していた。

 もうローズは行ってしまった。


「ローズ……チェルシー……」


 べつに死んだわけではない。

 四年前は死の意味をよく理解できていなかったが、今のリゼットは違う。

 今回ローズが遠くへ行ったというのは言葉の通りで、死を意味しているわけではない。

 だが、チェルシーと同じくローズも死んでしまい、帰ってこないかもしれない。

 そう思うと苦しくて、心の奥底から溢れ出る哀しみに呑まれ、ずっと堪えていたものがとうとう決壊した。




 ■ Other View ■



 ディーカの町を出発して、五日目。

 クレアは四年ぶりにクロクスの地を踏みしめていた。


「リーゼが来るとしても、何日か先よね?」

「そのはずだけれど……念のため探してみましょう」


 サラは疲労感を覗かせながらも、クレアの言葉にしっかりと頷く。


 クレアとサラの二人は翠風期第一節四日の午前中に出発し、八日の日暮れ前――つまり今し方、到着した。本当はクレア一人だけなら、精強な空輸人による特急便を利用してもう少し早く来ることはできた。だが同行するサラの体力を考えると、これが限界だった。

 それにリゼットは館から方角だけを頼りにクロクスを目指して出発したはずなので、辿り着くにしても、もう少し掛かるはずだ。


「ローズはもう、出発しちゃったわよね……?」

「……でしょうね」


 そう言葉を交わしながらも、二人は長旅に疲れた身体を動かして港に向かう。

 ローズとユーハはオルガに抱えられていったか、特急便を利用したはずなので、もう何日も前に到着し、既に出港していることだろう。

 だからクレアはサラの同行を許したし、リゼットがいなくなった時点で既にローズのことは半ば諦めてもいた。それでも念には念を入れて、まずは船舶の停泊する一帯へと足を伸ばしてみる。

 あるいは、もしかしたら、ローズがいるかもしれない。


「あれ……この声、リーゼじゃない……?」


 緩やかな坂道を下り、赤らむ海原と幾多の船が一望できる港湾部まで来たとき、サラが訝しげに呟いた。

 なんだか聞き慣れた声が微かに耳朶を突き、クレアも耳を傾ける。

 間延びした哀しげな響きには聞き覚えがあって、クレアは走り出し、サラは両翼に力を込めて飛び上がった。


 そして、リゼットを見つけた。

 彼女は沈み行く夕陽の方を向き、声を上げて泣いていた。二本の足で立ったまま、哀しみに塗れた声を上げて、ただ泣いていた。隣でお座りするアシュリンが顔を寄せても一顧だにせず、小さな身体に収まりきらない哀情を溢れさせている。

 周囲の人々は何事かと注目しながらも、アッシュグリフォンが側にいるせいか、遠巻きに様子を窺っているだけだ。


挿絵(By みてみん)


「リーゼ……」

 

 クレアは沈痛な面持ちで哀しげな背中を見つめ、思わず立ち止まった。

 本当は今すぐにでも駆け寄って、手足に拙く包帯が巻かれた小さな身体を、ぼろぼろの服ごと抱きしめてやりたい。

 だが、クレアは気が付いてしまった。


 リゼットは無茶苦茶に声を上げて泣いている。ローズの名前だけでなく、チェルシーの名前まで口にして、かつてない勢いで号泣している。

 四年前でさえ、ここまでの悲哀は見せていなかった。


「リーゼ! アシュリン!」


 飛んでいたサラが地面に降り立ち、リゼットを抱きしめていた。

 それでもリゼットは一向に泣き止まず、涙に濡れた声でローズとチェルシーの名前を叫んでいる。


 四年近く前、家族の一員だったチェルシーという少女が突然いなくなった。

 そして同時に、ローズという女の子が家族の一員になった。彼女の存在はリゼットの哀しみを紛らわせ、心に空いた穴を塞ぐ大きな一助となったはずだ。しかし、果たしてそれはリゼットにとって、必ずしも良いことだったといえるのだろうか。

 当時のサラはローズを受け入れられなかった結果、チェルシーの死と真正面から向き合っていた。そして心底から哀しんで苦しんだ末に、何とか心に整理をつけて、ローズを受け入れた。

 だが、リゼットは違った。チェルシーの消失をローズという存在で補うことにより、心に整理をつけた。今回、ローズが突然いなくなったことで最も心が掻き乱れたのはリゼットだろう。


 クレアは今の今まで、リゼットの気持ちに全く気が付けていなかった。

 リゼットは当時まだ四歳だったし、元々が天真爛漫な性格だったので、もうチェルシーのことはほとんど覚えていないか、完全に吹っ切っているのだと思っていた。

 しかし、それはローズの存在があってこそなのだ。そのローズがチェルシー同様に突然いなくなったと知ったときの心境は、クレアにも痛いほど想像できた。


「リーゼ、サラ」


 クレアは歩み寄り、我が子同然の二人を優しく抱きしめた。

 リゼットの影響か、サラも涙ぐんでいたが、泣くまいと堪えるように顔を引き締めてリゼットを抱き留めている。

 その姿を見ていると妙な感慨深さも覚えて、リゼットが無事だった安堵感と相まって、クレアも思わず泣き出しそうになってしまう。


「ローズはきっと帰ってくるわ。だから、私たちは家で待っていましょう。そして帰ってきたら、みんなでいっぱい叱ってあげましょう」

 

 クレアの言葉にリゼットは号泣しながら、サラは無言で、頷いた。

 

 クレアにとって、数日前からの一連の出来事は不安しか覚えないものばかりだった。それはリゼットも同様のはずで、だからこそ無茶な行動を起こしたのだろうが、しかし幼い彼女には少なからず意味のある一大事だったはずだ。

 リゼットはかつての哀しみと向き合って、乗り越えて、成長してくれるだろう。

 しかし、それもローズが無事に帰ってきてこそだ。


「ローズ……」


 二人を抱きしめながら、クレアは声にならない囁きを溢した。

 ローズ本人のためにも、リゼットのためにも、そしてサラたち全員のためにも、きちんと無事に帰ってきて欲しい。

 

 日が沈み、リゼットが泣き疲れて眠るまで、クレアは一心にそう思っていた。



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