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幼女転生  作者: デブリ
五章・竜人編
95/203

第六十三話 『渡りに変人』


「……気を付けるんだぞ」


 という言葉と共に、ヘルミーネは意外とあっさり送り出してくれた。

 クレアとセイディの様子を見る限り、俺たちを止めるものかと思っていたんだが、オッサンが根回ししていたのか、オルガ&ユーハという最強級のコンビが一緒だからか、とにかく行かせてくれた。

 理由は聞いてる暇がなかったからな。


 俺はユーハに預けていた男物の服に素早く着替えると、三人でヘルミーネ宅を後にした。

 既に朝日は昇っているので、人通りこそ少なめだが、町は動き始めている。


「ローズ、オレは一人で先に行く。部下に話付けなきゃなんねえし、クロクスからは船旅だ。先行して船と人員を確保しておく」


 ひとまずの目的地へ向かって通りを走っていると、併走するオルガがそう言った。ちなみに俺は風魔法で速力をブーストしている。


「それは良いですけど……あの、本当に一緒に来るんですか?」

「なんだ、まさかダメだってんじゃねえだろうな?」


 いや、もちろんオルガという戦力はこの上なく有り難いよ。

 正直なところ、ユーハよりオルガの方が真竜狩りには幾分も有用だろう。なにせ魔法は天級まで使えて魔法力も抜群、そのうえ剣も達人並の腕前で飛行も可能。

 対真竜戦で空を飛べるってのは好都合だ。


 だが、アインさんは言った。

 真竜狩りに同行者は一人だけ認める、と。

 もしユーハとオルガどちらか一人を選べと言われたら、俺はオルガを選んでしまう。

 

「……む、如何した、ローズ」


 俺は行使し続けていた風魔法を止めて、徒歩に切り替えた。

 すると二人とも足を緩め、訝しげに俺を見てくる。

 クレアとセイディが追ってくる可能性が高いから、急がなければならない。

 だから早々に町を出た方が良いのだが……。


「ユーハさん、実は昨日言い忘れていたことがあるんですけど……オルガさんも、聞いてもらえますか」


 俺はオルガに神のお告げの件を話した。

 真竜狩りでドラゴンレバーを入手し、それを食べさせればアルセリアは治るという話だ。加えて、お告げでは真竜狩りに同行者は一人だけと条件を出されたとも説明した。


 オルガは呆気にとられた顔でオッサンを見てから、頭をボリボリと掻いた。


「あー、ローズ、お前それを信じて出発しようと思ったのか?」

「いえ、完全には信じてないですけど、可能性はありますからね。それにカーウィ諸島へ行けば、竜人たちに話を聞けますし」

「なら良いんだが……とりあえずこれだけは言っておくぞ。たとえそれが本物の神だろうが知ったことか」

「でも、この条件を破ったら大変なことに――」

「仮にそうなるとしてもだ。神の野郎は『真竜狩りに』同行者は一人っつったんだろ? 出発に一人とは言ってねえんだったら、んなもんは後で考えりゃ良い。とにかく今は出発すっぞ」


 たしかにオルガの言うとおりではある。

 今回、アインさんは『一人で発て』とは言わず、『真竜狩りに同行者は一人』と言った。

 ……なら良いのか? うん、良いということにしよう。

 もしダメだったら、またアインさんが来て警告されるだろうし。


「分かりました。すみません、先を急ぎましょう」


 再度、風魔法を行使して疾走を再開した。

 俺が全力で走っても、二人の速力には到底及ばないため、二人は俺に合わせてくれている。

 

「とりあえず、オレはクロクスへ先行する。落ち合う場所は海鳴りの響き亭って宿だ、いいな?」

「了解です、けど……やっぱり、一緒に行った方が良いんじゃないですか? 〈霊引ルゥ・ラトア〉を応用すれば、オルガさん一人で私たち二人を抱えられますよね」

「ダメだ、無駄に目立つからな。町中だけならともかく、町から町への移動にその方法使う奴なんて滅多にいねえんだぞ? 一応言っておくが、オレやお前の魔法力が常識外だってことはちゃんと認識しとけ」

「は、はい」


 まあ、俺だって一応は自覚してるよ?

 でもさ、もったないじゃん、タクシー代が。

 とはいえ、オルガは聖天騎士様であり、この度は聖伐をすっぽかしていくので、確かに目立つのは不味いか。


「それと、今後オレはミランダって偽名でいく。人前ではそう呼べ、オッサンも良いな?」


 俺とユーハは共に頷いた。

 ついでだから、俺もこの機会に言っておくか。


「見ての通り私は男装してますから、私も人前ではローズではなくレオンでお願いします」


 偽名はもちろんレオナの名前からとった。

 それにレオンって凛々しくて格好良いしね。

 

「おう分かった。で、一応訊いておくが、金は十分か?」

「……うむ、問題ない。これまで貯めていた分を持ってきている」


 答えたのはユーハだ。

 俺も金は幾ばくかは持っているが、クロクスまで旅ができるほどではない。

 すまんな、世話になるぜオッサン。


「ん? ローズ?」


 ふと見覚えのありすぎる顔が視界の端を過ぎった気がする。

 思わず足を止めて振り返ってみると、その場で立ち止まったウェインも驚いた顔で俺の方を見てきている。

 俺は構わずすぐに走り出すが、野郎は後を追ってきた。


「おい、なんだよ、なに無視してんだ! こんな朝早くからなに急いでんだよっ!」

「ちょっと出掛けるだけですっ、話はまだ今度!」


 と言ったまま走り続けるが……ウェインがどんどん距離を縮めてくる。

 あいつ足速えな!

 いや速いことは知ってたけど、〈風速之理メト・リィエ〉を使った俺より速いぞ。


「ローズ、ウェインには話さぬのか……?」

「今そんな余裕はありません。ユーハさん、私を抱えて走ってもらえますか?」

「う、ううむ……承知した」


 ユーハは背後から追いかけてくるウェインをちらりと振り返って逡巡するように呻くが、結局は頷いてくれた。

 俺はユーハに抱えられて風のように移動しながら、背後のウェインへ向けて叫んだ。


「ウェインッ、すみません!」

「は? なにがだよ!? てかなんだよっ、なんで逃げんだよ!?」

「後で勘違いされそうなので一応言っておきますけど、私ウェインのこと嫌いじゃないですから! 好きか嫌いかでいえば、むしろ好きですからっ!」

「はあ!? 訳分かんねーよっ! なんだよもうっ、勝手にしろ!」


 ウェインはユーハとの速度差を知って諦めたのか、走るのを止めた。

 いや、遠目に見ても顔が赤いので、どうやら奴も体力的に無理があったようだ。

 人通りの少ない早朝、道の真ん中にポツンと立って、数節後には九歳になる少年がじっと見つめてきている。

 それもユーハが角を曲がると、すぐに見えなくなってしまった。


「なんですか、オルガさん?」


 併走していたオルガはなんか俺に意味深な笑みを向けてきていた。

 なんだろう、なんかからかわれているような笑い方だ。


「いや、べつに」


 が、姐御は気を取り直すように軽く肩を竦めて見せると、続けて言った。


「んじゃオレは行く。いいか、どんだけ遅くとも十日以内にはクロクスまで来い。下手打って死ぬんじゃねえぞ」

「分かりました。オルガさんも気を付けて」


 俺が返事をするや否や、オルガは走りながら両翼を羽ばたかせ、快晴の空へ飛んでいった。あっという間に臙脂色の翼は小さくなっていき、実にあっさりと俺たちの前から消えていった。


「ではユーハさん、私たちも行きましょう」

「……うむ」


 俺たちは二人でタクシー営業所を目指して町中を駆けていった。




 ♀   ♀   ♀




 さて、今更の話だが、この世界には翼人がいる。

 彼らは背中の両翼を羽ばたかせて大空へと飛翔し、『ハッハッ、見ろ! 人がゴミのようだ!』と、地を行く者共を見下ろして愉悦に浸る種族である。


 という冗談はさておき、翼人がいるということは空輸も存在するのだ。

 

「予約していたオラシオである……」

「おう、昨日の。ばっちり準備はできてるぜ」


 ギレモル空輸という翼人タクシー営業所に入り、ユーハが受付に行くと、翼人のオッチャンが気さくそうに応対した。

 最近のユーハは鬱度も下がってきたので、相対的にパッツンヘアーとイエローアイパッチ姿のユーモア性が上がっている。

 つまり人から馴れ馴れしく接されやすいのだ。


 尚、オラシオというのは偽名だ。

 ユーハは諸事情あって、普段は偽名を名乗っている。まあ、一緒に町中を歩いているときなどは普通にユーハと呼んでいるし、そこまで気を付けているわけではないが、猟兵証はオラシオ名義だ。


「えーっと、それじゃ一応確認しておくぞ。行き先はクロクスで、大人一人と子供一人の計二人。子供の方は女に運んで欲しいんだったな。荷物持ちとお客と護衛を含めて計七名での空の旅になるが……間違いないな?」

「うむ……問題ない」


 確認が済むと、ユーハは金を払った。

 するとオッチャンが奥へと引っ込み、三人の翼人を呼んできた。

 二十代ほどの若造が二人、四十代ほどのオッサンが二人、二十代半ばほどの姉ちゃんが一人だ。


「バートです、お二人の荷物や食料なんかを運ばせてもらいます」

「ジョナスだ、アンタを運ばせてもらう」

「カミーユよ、君を運ばせてもらうわ」


 最後の姉ちゃんが片手を挙げながら俺にウインクしてきたので、俺もきゃぴっとウインクし返すと、微笑ましい顔をされた。


 空輸人三名が挨拶すると、次に護衛二人も続けて挨拶したが……まあこいつらは割愛する。

 俺とユーハも偽名を名乗って軽く挨拶を済ませ、早々に準備を始める。翼人タクシーは人ひとりを抱えて長距離を飛ぶため、きちんと固定しないと落っこちて墜落死する危険がある。腰回りと股と肩にベルトを通し、運ちゃんとドッキングするように身体を密着させる必要があるのだ。


「あら、あなたやっぱり女の子……?」


 翼人姉ちゃんカミーユが、俺の身体に固定ベルトを装着しながら首を捻る。

 股にも通す必要があるため、ズボンの上から息子が不在なことに気が付いたのだろう。

 というか……ん、ちょっ、そんな股間触るなよ!

 大胆な姉ちゃんだな、まったく。


「お、女ですよ、感触の通り」

「でも、その格好は? それにレオンって名前、男の子のよね」

「名前が男っぽいので、格好も男っぽくしてるんです」


 適当に誤魔化しておいた。

 ちなみにカミーユは特に美人というわけでもなく、普通だ。身長もさほど高くはなく、少し体格が良いくらいで、どこにでもいそうな女翼人といったところか。

 でも性格はセイディみたいに明るそうだし、笑顔も素敵よ。


 俺は背中をカミーユの前面と密着させるようにドッキングした。

 ちょうど首の辺りにクッションが当たるため、なかなか心地良い。こりゃDカップくらいだな。


 ユーハに目を向けてみると、十歳ほど年上のオッサンとドッキングしていた。

 え、やだ嘘……アレ入ってない?

 などと思うくらい端から見るとホモホモしいが、別段おかしくはない。

 形としてはスカイダイビングにおけるタンデムそのものだからな。


「では、出発だ」


 俺たち七人は営業所の屋上から飛び立った。

 軽く助走を付け、空へと飛び立って行く。

 セイディとアシュリンでの飛行に慣れているので、特に何かしらの感慨があるわけではない。オルガにも館滞在中に飛んでもらったこともあり、背中のクッションも特に新鮮味はない。


「怖くないかしら?」

「大丈夫です。気持ち良いですね」


 ただ、完全固定されての飛行はかなり感覚が違って、少し驚いた。

 さながら自力で飛んでいるような錯覚に陥るのだ。

 これは癖になりそうだな。

 というか、やっぱ翼人は羨ましいな。

 どうせなら翼人に転生したかったって、未だに時々思うよ……。


「何かあったら、遠慮なく言ってね」


 カミーユは明るく優しそうな姉ちゃんのようで安心した。

 実はテレーズのような運ちゃんだったらどうしようかと、密かに心配してたのだ。

 

 まあ、何はともあれ、こうして俺とユーハはディーカから旅立っていった。




 ♀   ♀   ♀




 翼人タクシーにはメリットとデメリットが存在する。

 まずメリットだが、これは当然ながら一日に進める距離の長さだ。


 俺たち翼のない種族にとって、陸地の移動は自前の足で行う。無論これは地形その他に左右されるため、目的地へと真っ直ぐ進めることなど滅多にない。

 一方、有翼の人々は違う。

 何の障害物もない空を目的地へと一直線に飛んでいけるため、地を行く者たちより圧倒的に速く移動することが可能だ。

 オルガはクロクスからディーカまで丸一日で来たらしい。

 驚異的な速さだ。

 

 目的地は港町クロクスだ。

 ディーカからクロクスへは馬の足でだいたい三節前後ほど掛かるらしい。

 だが翼人タクシーを使えば、二日で行ける。ただ、これは急いだ場合の日数で、特急便は値段も相応なため、今回は通常便にしておいた。

 旅程は三日か四日を予定しているが、特急便だろうと通常便だろうと、風や天候、魔物の出現など、状況次第で日数は前後するらしい。


 デメリットは幾つかあるが、最たるものは料金だ。

 高い。

 前世のタクシーなど比べるのも烏滸がましいほどで、飛行機よりも遙かに高い。

 しかし、それも当然といえば当然だろう。子供なら未だしも、人ひとりを抱えて飛び続ける行為は重労働だし、空にだって魔物はいるから危険はある。

 だから護衛も同行し、道中の食料も必要で、一日以上掛かる空輸は基本的に予約制だ。普通は二日以上前からの予約しか受け付けていないそうだが、前日予約の俺たちは料金割り増しで引き受けてもらえた。


「カミーユさん、疲れてませんか?」

「大丈夫よ、ありがとう」


 俺たちは現在、快晴の空の下を順調に北上している。

 五人の翼人たちはこなれた様子でV字の陣形を組んでおり、飛行速度はそんなに速くない。陽があるうちは飛び続けるのでスタミナ管理が重要らしく、要はマラソンみたいなものなのだ。


 しかし……なんだろうね、この気持ちは。

 こうして空路で長距離移動をした経験がなかったら知らなかったが、街道をちまちま行く連中が妙に滑稽に見えてしまう。

 あいつらアホじゃねえの、ほんと愚図だな……という思いが湧き上がってくる。


「これを経験すると、もう街道を歩いて行くのが馬鹿らしく思えてきますね」

「ふふっ、そうね。私、前に一度、徒歩だけで町から町へ移動してみたことあるけど……もの凄く苛々したわね、他の種族の人たちを尊敬しちゃった」


 だろうな。

 一度空で長距離移動することを覚えたら、もう地上なんて歩けないはずだ。

 

「そういえば、こんなこと言うのもなんですけど」

「なに、どうかしたの?」

「翼人の人たちって、明るい人が多いですよね。やっぱり空を飛べるからでしょうか」


 思い返せば、俺が出会ってきた翼人連中で暗い奴は一人もいない。

 いや……ボッチのイーノスは暗かったか。

 オーバンの場合は仕事柄もあって厳格だっただけだろう。

 セイディに聞いたところによると、昔サラが俺と仲良くしてくれるようになったのも、彼女が空を飛べるようになったのが切っ掛けらしかった。

 大空を羽ばたいていれば、いちいち悩んでいることが馬鹿らしくなりそうだし、そう考えると翼人は他種族に比べて明るい人が多そうだ。


 俺の言葉に、カミーユは軽く笑いながら翼を羽ばたかせた。


「そうね、他の種族に比べると、翼人はみんな明るいわよ。ただ、さっきレオンちゃんも言ったとおり、地上を歩く他の種族が馬鹿らしく見えちゃうこともあるから、翼人以外の種族を見下してる人も中にはいるわ。浮遊双島の翼人たちは特にそういう傾向があるって聞くし」

「あー、まあ、分からないでもないですけどね」


 物理的に見下す形になるから、そう思っても無理はないだろう。

 空を自由に飛んで移動できるのは相当便利で有用だし、実際に各所で重宝されているはずだ。この世界にも空飛ぶ乗り物――飛空船はあるらしいが、たったの三機しか残っていないようだし。


 それから、俺は運ちゃんの姉ちゃんと色々雑談した。

 やることないし、暇だからな。

 中でも興味深かったのは仕事の話だ。

 

「ほら、私たち運び人って、お客さんとこうして密着するでしょ? だから色々と気を遣わなくちゃいけなくてね。女性のお客さんには女性の運び人でないと嫌って人は多いし、逆に若い男の人が良いって言う女性もいるわね」

「でも、カミーユさんみたいに女性の運び人も、男性客は嫌ですよね?」

「……ま、正直言うとね。お客さんの中にはエッチな人もいるから。幸い、うちは十歳以下の子供か女性でないと、女の運び人は選べないから良いけど」


 このクッション目当てに女の運ちゃんを指名する野郎は多そうだしな。

 だがどうやらカミーユの働くギレモル空輸はホワイト企業らしい。


「でも、他の大陸では少し違うわね。若い女性だけの運び人を売りにしたりとか、そういうことをしないと余所にお客さんとられちゃうから。ここは魔大陸だから、そういう方面のサービスより質実剛健なのが好まれるけど」


 要はただ運ぶだけではなく、それ以外の付加価値で勝負しないと、翼人タクシー業界では生き残れないってことだろう。

 美人で巨乳の運ちゃんとむさいオッサン運ちゃん。

 どちらを利用したいかと問われれば、野郎ならまず間違いなく前者を選ぶ。それにギレモル空輸は人だけでなく物も運んでいるそうで、今もディーカからの手紙を何通か預かっているらしい。俺たちは港町まで行くから、ついでに持っていけば一石二鳥だ。

 まあとにかく、異世界だろうと何だろうと、仕事は色々大変らしいね。

 前世ではクズニートだったから、それに共感することは難しいけどさ。


 そんなことを話しながら飛んでいき、しばらくすると休憩になる。

 休憩は割と頻繁に行われ、水を飲んだり、用を足したり、運ちゃんは翼を休めたりする。客である俺とユーハも、身体が凝ってしまうので、柔軟体操をして解したりする必要がある。

 

「今のところ、魔物には襲われてませんね」

「良いことである。抱えられていてはまともに戦えぬのでな……」


 護衛の二人は四級の猟兵らしく、大抵の魔物なら相手にできるそうだ。

 いざとなれば全力飛行で逃げる手もあるし、地上に下りてどこかへ避難すれば良い。

 だが、だからといって安全というわけではない。翼人がいて空輸が存在するということは、それを狙う空賊もいるのだ。脅威なのはなにも魔物ばかりではなく、むしろ人相手の方が余程厄介だといえる。

 だからこその護衛だ。

 

「いざとなったら、私も魔法を使います」

「うむ……かたじけない、よろしく頼む」

「ところで、さっきから少し気になってたんですけど、なんだか少し顔色が悪いように見えます。大丈夫ですか?」


 いや、ユーハは普段から顔色良好ってわけじゃないけどさ。

 最近は鬱度も下がってだいぶマシになってるし。

 しかし今のオッサンは……なんというか、たぶんメンタル的にではなくフィジカル的に顔色が良くない。普段から意識してユーハの表情を見てきた俺でなければ分からないくらい微妙な差だが。


「うむ、さすがローズの目は誤魔化せぬな……某、どうにも地に足が着いておらぬと落ち着かなくてな……」


 どうやらユーハは飛行が苦手っぽかった。

 まあ、気持ちは分からんでもないよ。特にユーハのような剣士は地上でこそ精強だが、足場のない空中では踏み込みさえままならない。

 武人のさがか。


「さすがにカミーユさんたちは元気そうですね」

「空を飛ぶというのは……なかなかに神経の磨り減る行為である、翼人たちを尊敬する」


 ユーハはカミーユたちの方を見て、少し疲れた声で言いつつ頷いた。

 地上を行く他種族を尊敬していると言っていたカミーユとは対照的な意見で、少し興味深いな。


 カミーユたちのタクシー会社ことギレモル空輸は魔大陸北西部にある全ての町に支部が置かれているという。だから俺たちをクロクスまで送った後、今度はクロクスからどこかの町まで客を送るのだそうだ。

 

 つまり、もし俺が魔幼女であると知られれば、噂は町から町へと拡散するだろう。それは可能な限り避ける必要がある。

 正直、俺は魔法を使えば三級までの魔物なら特級魔法の一撃で瞬殺できると思うので、護衛連中が気の毒ではある。だが奴らはそれが仕事なんだし、しっかりと料金分の働きはしてもらわねばならない。

 まあ、俺の金じゃなくてユーハの金だけどね。

 

 街道脇で俺とオッサンが雑談する一方、カミーユは荷物持ちの若造バートと談笑していた。俺の魔眼で見る限り、バートはカミーユに惚れてやがるな。

 そしてカミーユの方も満更ではなさそうな雰囲気だ。

 まあ、俺には二次元美少女との恋愛経験しかないから、そっち方面の機微なんてほとんど分からんけどな。

 

「オラシオさん、レオンちゃん、そろそろ行きましょうか」


 十五分ほどの休憩後、カミーユに呼ばれて俺たちは再び空の人となった。




 ♀   ♀   ♀




 空が茜色に染まり始めた頃。

 西日を受けながら飛行していると、その一団を発見した。


「あ、もしかして……聖伐に来てるっていう聖天騎士団?」


 カミーユが半信半疑な様子で呟いた。


 俺たちの眼下には街道脇の平原にテントなんかを設営している集団がいた。

 テントは幾つもあり、その近くに駐まっている馬車の数も一目見ただけでは数え切れない。人が虫のように蠢いており、その数はざっと見ても……千人いるかいないかくらいか?

 あまり多くいるようには見えない。


「あっちの人たちはなんでしょう?」


 その集団のほど近くには百名ほどの小集団もいた。

 上から見る限り、聖天騎士団らしき団体と違って、そちらは雑多な格好の人々で構成されている。


「きっと町からついてきている人たちね。もし魔物に襲われても聖伐隊の近くにいれば助けてもらえるだろうから」

「あ、なるほど」


 つまり、あの連中は小判鮫のようなものか。

 町から町へと移動するのに、聖伐隊の後ろをついていけば比較的安全だ。

 アレだけの人数が火を焚いて野営していれば、この付近を移動している連中も集まってくるだろう。身を寄せ合って、守り合おうというわけだ。


 俺たちは眼下の集団の上空を通り過ぎ、更に北上していく。今日はフォルカという町まで飛んでいき、そこの支社に泊まることになるらしい。

 

「この調子だと……日が暮れて、少し経った頃には着くわね。ちょっと予定より遅れちゃったかしら」


 それでも当初の旅程通りに進めているため、問題はない。

 アインさん曰く、アルセリアの余命は一年程度らしい。

 だからそれほど急ぐ必要もないが、のんびりと行く理由もない。


 クロクスからは海路になるので、移動速度は落ちる。

 しかし風魔法でブーストすればある程度の速度は保てるはずなので、順調にいけばディーカから約三節程度でカーウィ諸島手前まで行けることになるはずだ。

 それから真竜を見つけて狩る行為に……仮に一節半ほど掛けたとして、また三節掛けて戻ってくる。上手くいけば一期弱で帰ってこられることになるな。


 だが、あくまでも上手くいけばの話だ。

 旅にアクシデントはつきものなので、急げるところで急いでおいて損はない。

 特に真竜の発見と狩猟には苦戦しそうなので、注意する必要がある。

 それでも、せいぜい半年くらいで帰ってこられるはずだが。


 そういえば、オルガは部下に話を付けると言っていた。なので既に聖伐隊とは接触し、先へ進んだのだろうが……オルガは大丈夫なのかね。

 聖伐は翠風期の第七節頃から始まるらしいので、何もかもがトントン拍子に進めば、ギリギリ間に合わなくもないだろう。

 しかし、おそらくは無理だ。オルガもそれは分かっているだろうに、それでも彼女は聖天騎士としての任務よりアルセリアを選択した。任務を放棄する形になるのだから、何らかの罰則はあるはずだ。最悪、聖天騎士の称号を剥奪されるかもしれない。

 誰にでもできる選択ではないだろう。


 まあ、とりあえず出だしは順調だ。

 幸先は良い。




 ♀   ♀   ♀




 野を越え、山を越え、川を越え、町々で休息し……出発から四日後。

 昼過ぎ頃、俺たちは無事クロクスに到着した。

 

 道中では幾度か空飛ぶ魔物に襲撃されはしたが、いずれも俺が加勢する必要はなかった。ときに護衛二人が空中戦闘で撃退し、ときに全力飛行で逃げ、危なげなく来られた。ただ、三日目は強い雨にやられて足止めを喰らったため、計四日半の旅程となったが。


「じゃあね、レオンちゃん。またギレモル空輸をお願いね」


 出会ったときと同じく、別れ際にもカミーユは軽く手を上げてウインクしてきた。

 

「はい、ありがとうございました」


 俺もお礼にウインクしてやり、最後は手を振って別れた。


 五日間、カミーユとはほぼ密着して過してきたが、彼女は気さくで明るくて話も上手かったので、あまり退屈はしなかった。

 というか、色々と話してて分かったけど、カミーユ結婚してたね。この世界にもエンゲージリングはあるが、既婚者の皆が皆、着けているわけではないっぽい。

 やはり俺の魔眼は色恋方面には効かんな。


「この町……久しぶりですね、ユーハさん」

「……うむ」


 ギレモル空輸クロクス支社を後にし、通りを歩きながら、俺とユーハは共に神妙な顔になった。

 思えば三年半前、この町でリーゼとセイディ、クレアと出会ったのだ。あの日はろくに町を散策できなかったし、以来一度も来てなかったが……。

 この潮の香りや継ぎ接ぎしたような町並みにはやはり懐かしさを覚える。


「ユーハさん、改めて言っておきますけど、これから僕は男ですからね」

「うむ、レオンは男子だ……承知しておる」

「ちゃんと男扱いしてくださいよ?」

「無論である」


 ユーハがしっかりと首肯したのを見て、俺も本格的に意識を切り替えた。


 よし……これから俺は男だ。

 いや、元から男だけど、何分この数年は女として過してきた。

 精神が肉体の性別に引き摺られて女々しくなりそうだったし、これまで幾度となく脳内一人称も『私』に切り替えようかどうか、真剣に悩んだこともある。

 しかしその度に『俺は俺だ』と自分に言い聞かせてきた。

 だって心まで女になっちゃうと、色々楽しめなくなりそうだからね。

 

 だからこれまでの抵抗もあって、割とすんなり男らしく振る舞えるはずだ。

 たしか第二次性徴は十歳かそこらから始まるというし、そうなったら本格的に身体が女っぽくなってくるから、俺の精神もさすがに引き摺られて心身共に女として新生するかもしれない。今のうちに男心を思い出して、十分に養っておけば、抵抗力を身に着けられる。

 そういう意味でも、これからの振る舞いは真剣に男っぽくした方が良い。


「男子扱いはするが……レオン、某の側を離れぬようにな」

「がってんでい旦那」

「…………うむ」


 そんな複雑な顔すんなよ。

 俺だってさ、これまで散々幼女として振る舞っておいて、急に男らしく振る舞うのも少し照れるんだよ。


 というわけで、これから野郎二匹、海鳴りの響き亭とやらへ向かうぜ!

 先ほどギレモル空輸クロクス支社の受付で場所は聞いておいたんだ。

 抜かりはねえよ旦那。


 オルガと落ち合う宿は港からほど近い場所にある。

 空から見た限り、クロクスはディーカの四倍くらいデカい町だ。半円形に広がる町並みには建築様式も高低も様々な建物が乱立しており、町全体の雰囲気が雑多で大味だ。ディーカよりエノーメ語以外の言葉も多く耳に入ってくるし、如何にも大陸の玄関口という感じがする。


「ここですね」

 

 幸い、タクシー会社からさほど離れていなかったので、歩いて十分ほどで宿に到着した。特に何の変哲もない、ただの三階建て石造りの宿だ。

 ユーハと二人で入ってみると、一階は酒場になっていた。昼食時はとっくに過ぎているが、半分くらいは席が埋まっていて、猥雑な空気が漂っている。

 とりあえず、カウンターにいるオッチャンに話しかけてみた。


「あの、すみません」

「おう、らっしゃい。なんだ注文か? それとも宿か?」


 ガキ相手にも気安く応じてくれたオッチャンは、しかしなぜか俺とユーハをじろじろ見てきた。

 そして何か思い出したような顔を見せ、小気味よく指を慣らした。


「おぉ、お前さんら、アレだろ? レオンとユーハだろ? 聞いてるぜ伝言預かってんだよ」


 見ただけで分かるって……まあ、分かるか。

 黄色い眼帯をしたパッツンヘアーのオッサンなんて、まずいない。

 

「とりあえず上の部屋で待ってろだってよ。ネエちゃんは日暮れ頃に戻ってくるっつってたぜ」


 オッサンはそう言って、ユーハに鍵を手渡した。

 宿代は既に払ってあるらしく、俺たちは三階の一室へと向かう。

 部屋は簡素なもので、ベッドは二つあった。

 俺は荷物を下ろし、まずは腰を落ち着ける。


「ユーハさん、どうしますか? このまま待ちますか?」

「うむ……下手に動かぬ方が良かろう。まずはオルガ殿と落ち合い、状況を聞こう」


 そういうわけで、俺たちは休むことにした。

 いくら六日間、タクシーで運ばれていただけとはいっても、それはそれで疲れるのだ。風にも当たり続けていたし、疲れが溜まっていないといえば嘘になる。

 

 本当は夕方まで町を散策しても良いんだが、下手に動いて厄介事にでも巻き込まれれば面倒だ。今回のクロクス訪問は観光のためではなく、アルセリアのためだし。何事もなくカーウィ諸島へと向かうため、余計なことはしない方が良い。




 ♀   ♀   ♀




 ベッドの上に横たわって英気を養っていると、ドアがノックされた。

 それと同時に「オレだ」という呼び掛けが響いてくる。

 新手のオレオレ詐欺ということもなく、オッサンがドアを開けると姐御は「よお」と言って入ってきた。


「無事に着いたみてえで何よりだ」

「オルガさんの方も。それで、準備はどうですか?」


 再会の挨拶は早々に済ませ、状況の確認をする。

 オルガは椅子にドカッと腰掛けると、小難しい顔で腕と脚を組んだ。


「ダメだな、全っ然ダメだ。船を借りようにもカーウィ諸島に行くっつったら、どいつもこいつも断りやがる」


 まあ、そうだろうな。

 カーウィ諸島近海には水竜が生息しているのだ。竜人たちしか乗っていない船なら航行できるらしいが、それ以外の種族の乗る船は相識感の識別によって襲撃されるという話だ。

 魔大陸近くの一部海域には魔海域があるが、危険度でいえばそこと同等かそれ以上らしい。そして魔海域は聖天騎士団でも避けるような超危険海域だ。

 船だけ貸してもらおうにも、大破どころか沈没する可能性が濃厚なのだから、貸しても良いという奴はいないだろう。


「水竜の縄張り手前まで行って、そこからは飛んで行くって話でも……ダメだったんですよね?」

「上陸せずに近海まで行くだけで良いって説得しようが、金を積もうが、死んだら元も子もねえってな」


 苛立たしげに鋭い溜息を溢すオルガ。

 元が凛々しい顔立ちだし、仕草も性格も男勝りだから、しかめ面は結構怖い。

 しかし姐御はふっと顔から力を抜くと、肩を竦めて見せた。


「ま、だが安心しろ。お前らが来るまで粘ってはみたが、ダメならダメで手はある」

「と言いますと?」

「騎士団の船を使う。船の管理に人は置いてってるからな。魚人たちは丸々残ってるし、問題はねえ」


 いや……問題はあるだろう。

 いくらオルガが聖天騎士様とはいっても、騎士団の船と人員を私用で使って良い道理はないはずだ。だからこそ、俺たちが来るまで民間の船をチャーターしようと動いていたのだ。


「……本当に良いんですか?」

「良いも悪いも、仕方ねえだろ。それにオレは聖伐ほっぽり出すから、何らかの処罰が下るのは確実だ。どのみち罰せられんだから、今更躊躇うこともねえよ」


 オルガは平然とした顔で、何でも無いことのように言う。

 

「でも、まだ聖伐に間に合わないと決まったわけじゃないですよね? 急げばギリギリ間に合うかもしれないじゃないですか」

「間に合わねえよ。そういう前提で行動しねえと、焦ってアホな失態演じるかもしれねえだろ。オレはもう完全に聖伐のことは諦めてる。だからお前もんなこと気にすんな」

「…………」


 本当に、それで良いのだろうか。

 たしかにオルガの言うことはもっともだ。

 俺もおそらくは間に合わないだろうと思っている。それに、アルセリアとオルガ、どちらの事情を優先するかと問われれば、俺はアルセリアを選ぶ。なにせ人命が懸かっているのだ、たとえオルガが失脚しようとアルセリアを救う方をとる。

 

 しかし、それで助けられた当人はどう思うのだろうか。

 俺たちはアルセリアを助けられて満足するだろうが、きっと彼女は多大な罪悪感を覚えるだろう。まあ、それも生きていればこその苦しみだろうが……。


「ユーハさんはどう思いますか?」

「……オルガ殿が良いと申すのであれば、某からは何もない」


 オッサンは瞑目しながら、静かな口調で答えた。


「もう本当に、それしか手はないんですか? 全部の船と交渉してみたんですか?」

「あぁ、当然したが、それでダメだったんだ。いいからローズは気にすんな、これはオレがテメェの意志で決めたことだ。任務放棄も騎士団の私的利用も後できっちり責任はとるつもりだし、大丈夫だ。お前はオレよりアリアの心配しとけや」


 力強く頼もしさの感じられる笑みを浮かべ、姐御は俺の頭をポンポンと撫でてくる。俺はそんな彼女に黙って頷くことしかできなかった。


 もしオルガが一緒に来てくれなかったら、俺とユーハは船をチャーターできず、行き詰まっていたはずだ。だから、これで納得するしかない。

 大人で美女で積極的なオルガが動いてダメだったなら、俺にはどうすることもできないのは明白だ。ここはとりあえず、何とかカーウィ諸島まで行ける手があることを喜んでおくべきだろう。

 

 だが、やはり俺には素直に喜ぶことができなかった。

 



 ♀   ♀   ♀




 既に外は日が沈んでいる。

 早速オルガはこの町に滞在している聖天騎士団に接触すると言った。

 今日と明日で出航準備をさせ、明後日出発するという。

 

 オルガにもアルセリアの余命は話してあるが、たぶん信じていない。

 神のお告げという話だし、無理なきことだろう。

 俺自身も完全に信じているわけではないが、急いだ方が良いのは間違いない。


「べつにお前らはついてこなくても良いぞ」

「いえ、一緒に行きます、行きたいんです。それとも邪魔ですか?」

「ま、来たいってんなら好きにすりゃ良い」


 オルガばかり動いていて、俺は何もしていない。

 邪魔にならないのなら、せめて同行するのが筋というものだ。

 ……いや、単なる自己満足か。


 何はともあれ、俺たちは三人揃って宿を出ようと、一階の酒場に下りた。

 数時間前に来たときより繁盛しており、席はほぼ一杯だ。

 料理の匂いが胃袋を刺激してくるが、メシは後回しだ。


「――ぅわぷ!?」 


 と思いながら酒場宿を出ようとしたとき、俺は尻餅をついた。

  

「あっらぁ、ごめんなさぁい、大丈夫かしらぁ?」


 妙に背筋がぞわぞわとする気色悪い声が上から降ってきて、俺は顔を上げた。

 すると、そこには変人がいた。

 背丈は見上げるほど高く、長身のオルガより頭一つ分ほど大きい。手足は丸太のように太いが、筋肉質な全身はよく引き締まり、逆三角のマッチョ体型だ。頭髪は角刈りのように短く、それだけなら普通の巨漢で済ませられるが……。

 そいつの角張った顔には、一目見て分かるほどのケバケバしい化粧が施されていた。


「よいしょっと……んー、怪我とかしてないかしらぁ? ごめんなさいねぇ、お嬢ちゃん大丈――ってあらやだ、随分と可愛らしいわねぇ」


 思わず硬直してしまった俺の身体を巨漢は軽々と優しく持ち上げ、立ち上がらせた。その際、少しキツめの香水の匂いが鼻腔を突く。

 そしてアイシャドウの色濃い双眸が俺のことを不気味に見下ろしてきた。


 この時間になると繁盛するからか、酒場の扉は開きっぱなしになっている。

 おそらく俺は、入店しようと扉の影から現れた目の前の筋肉野郎と運悪くぶつかってしまったのだろう。が、んなことはどうでも良い。

 なんだ……こいつ、ユーハ以上にヤバい見た目してやがる……。

 ユーハ本人も珍しく驚いたように左眼を見張り、奇異の眼差しを巨漢野郎に送っている。


「あらぁ、そんな立ち尽くしてお嬢ちゃんどうかしたのぉ? ハッ!? まさか……どこか痛むのかしら!? 大変だわすぐ治療しなくっちゃっ! どこが痛むの? 大丈夫よおネエさんがすぐ治してあげるからっ。とりあえず怪我の程度を見るために服を脱いで……ってダメねこんなところじゃっ、とりあえず部屋を取って診療を――」

「おいこらカマ野郎、なに勝手に興奮してんだ。ただ尻餅ついただけだろ、いいからそこどけ、通れねえだろうが」


 オルガは辟易とした顔でシッシッと手を払ってみせた。


「んまぁっ、アタシをカマ野郎ですって!? ってあら貴女、自殺志願者の人じゃない」

「誰が自殺志願者だおい、その気色悪い面ブン殴られてえのか」 

「気色悪い!? 貴女ねぇ、人には言って良いことと悪いことがあるのよ? って違うわ今は可愛らしいお嬢ちゃんの治療よっ! ねぇお嬢ちゃん、どこが痛いのか言ってごらぁん」

「…………い、いえ、どこも、痛くないですから」


 カマ野郎が腰を曲げて俺の顔を覗き込んできたので、俺は一歩下がりながら首を横に振った。そして直視し続けるのがキツい顔から、隣に立つ姐御の不機嫌面に視線を移した。


「オ、オルガさん、お知り合いですか……?」

「ッ……んなわけねえだろ。昨日、船を頼んだとき少し話しただけだ」


 なぜか舌打ちを溢し、俺を睨み付けながら答える姐御。

 それで俺も、ついオルガと本名で呼んでしまったことに気が付いた。


「んなことより行くぞ、レオン、ユーハ。おらオッサンもそこどけよ」

「あらぁ、このお嬢ちゃん、貴女の知り合いなわけ? って、そうなるとまさか……こんな可愛らしい子も連れてカーウィ諸島まで行く気なんじゃないでしょうねぇ!?」

「だったらどうした、テメェには関係ねえだろ…………おいカマ野郎、なんの真似だ?」 


 オルガは面倒臭そうに巨漢のカマ野郎を迂回して出て行こうとしたが、その進路を更に塞がれた。

 カマ野郎は世の終わりとでも言い出しそうな面で、酷く慨嘆の籠もった溜息を吐く。


「貴女ねぇ、まだ十にも満たないような女の子を超危険な目に遭わせようって……人として、大人として恥ずかしくないの!? ほら見なさいっ、この可愛らしいお顔を! 純粋な瞳を! どんな宝石よりも価値ある輝きを放ってるわ!」

「いや、お前……オッサン、なんだよテメェ……?」


 あの姐御が、カマ野郎の意味不明な力説に困惑し、引いている。

 しかし野郎はそんな様子に構わず俺の両肩を掴んで引き寄せると、オルガの前に突き出してみせた。


「こんな幼気な女の子をっ、貴女は危険な目に遭わせようとしてるのよ!? おかしいと思わないの!? 愚かなことだと分からないの!? 正しく教え導くべきこの美しい輝きをっ、貴女は自分勝手に壊そうっていうのよ!?」

 

 オルガは眼下の俺を見下ろし、ユーハに目を向けた後、力なく溜息を吐いた。それから俺の右手を掴むと、もうカマ野郎には一瞥もくれずに歩き出そうとした。

 しかし、その矢先にカマ野郎が俺の左手を掴んできた。


「行かせないわよっ、アタシにはこの子を守る義務があるの! 貴女みたいな危ない人の側にこの子は置いておけないわっ!」

「あ、あの、離してくださ――」

「ダメよっ、お嬢ちゃん、この人との関係は知らないけど、この人の言うことに従っちゃダメよ! 危ないのっ、死んじゃうわっ、アタシそんなの我慢できないわっ!」


 なんだよ……マジでなんなんだよ、このオッサン。

 見た目通りの変人らしいが、ちょっと度を超えてんぞ。

 というか俺、一応男装してるんだが……全く効果ねえじゃねえか。


 俺が唖然としていると、不意にオルガの片手が霞んだ。

 と思ったら、パシンッという快音が俺の頭上で小さく響く。


「待たれよ……ミランダ殿。どうやらこの御仁、本気でレオンのことを案じておる様子。まずは暴力より話し合いである」

「おいユーハ、今はこんなオッサンに時間とられてる場合じゃねえだろうが」

「……では、ここは某に任されよ。ミランダ殿は予定通り、話をつけに参られると良い」


 オルガはユーハの掌から拳を引き戻すと、しかめ面でカマ野郎を睨みながら溜息を吐いた。更に俺とユーハの顔を眺め回し、また一つ苛立たしげに嘆息すると、腰に片手を当てた。


「こんな訳分からんカマ野郎相手に、お前ら二人だけじゃ心配だっつの……」


 そうして、俺は訳分からんカマ野郎に手を掴まれたまま、なぜか四人で酒場のテーブルを囲むことになった。




 ♀   ♀   ♀




 明日出航するのなら、早く聖天騎士団の方に指示を下した方が良い。


 というわけで、オルガと俺でさっさと誤解を解くことにした。

 何やらカマ野郎はオルガを悪い奴だと思っているようだったため、簡単に事情を説明してやったのだ。姐御の見た目はちょい悪風な格好良いお姉さんだからね、仕方ない。

 その間、野郎は大きな手で俺の小さな左手を握りっぱなしで、正直かなりキモかった。


「そ、それじゃあ……こういうことかしら……?」


 カマ野郎は真っ赤な口紅で彩られたタラコ唇を震わせながら、信じがたい目で俺を見てきた。


「その竜人の女性を助けようと、危険を承知でカーウィ諸島に行こうと……?」

「そうだ、そもそもこいつが言い出した話だ。分かったらさっさとその手を離せオッサン」

「まさか、そんな……なんてこと……」


 カマ野郎は呆然と呟きながら首を左右に振り、驚愕の表情で俺をじっと見つめてくる。

 俺は手を振り払おうとするも、痛くない程度に握られた手はビクとも動かない。


「なんて、なんて美しいのかしら……」

「……ぇ?」


 不気味な化粧の施された角張った顔に一筋の涙が流れた。

 かと思いきや、カマ野郎はつぶらな瞳から次々と雫を溢れさせ、両手で顔を覆った。


「あぁ、そんな……こんな小さな女の子が、血の繋がらない家族のために……命を懸けて……でもそうよ、これが……この純真さこそが、アタシたちが愛して止まない輝きなのよ……」

「うし、行くぞ」


 オルガはどこまでも冷めた顔でオッサンの号泣を見遣った後、そう言って席を立った。


「ぅひゃっ!?」


 俺もそれに続こうとしたが、またもや手を掴まれた。

 っておい、なんかネチョってしてんぞ!?

 汚ねえな離せよオッサンっ!


「お嬢ちゃん……レオンちゃんっ、考え直すのよ!」


 しかし、当のカマ野郎は涙と鼻水と崩れた化粧で酷い有様な顔をずいっと近づけてきて、そのあまりの不気味さに俺は動けなくなってしまった。


「本当に危ないのよっ、一級猟兵でも行けば無事に戻ってこられないようなところなのよ!? レオンちゃんの想いは素晴らしいけどっ、何よりも美しく尊いものだけどっ、そんな貴女が死んでしまったらどうするのっ!?」


 このオッサン、俺のことを本気で心配してやがる。

 ただ情に脆いからかは知らんが、とにかくこの妖怪めいた面のカマ野郎は悪い奴ではないのだろう。

 しかし、だからといってハイワカリマシタと頷いてやるわけには当然いかん。


「危険なのは分かっています。竜人語を習ったときに竜種のことなんかも色々教えてもらいましたから」

「だ、だったら――」

「それでも僕は行くんです。貴方が僕のことを本気で心配してくれているのは分かりますけど……良い迷惑です、僕たちの邪魔をしないでください」


 俺は毅然と言い放った。

 相手が本気なら、こっちも本気でビシッと言ってやらんと通用しないだろう。

 

「――――――――」


 カマ野郎は息を呑んで固まったので、その隙に俺は全力で野郎の手を引き剥がした。ヌメっていたおかげで滑るように抜け出せたが……ぅえ、気持ち悪い……。

 あとで水魔法で洗わないと。


 俺たち三人は呆然とするカマ野郎に背を向けた。

 ユーハだけは何やら気掛かりそうにチラチラ振り返っていたが、俺とオルガは一度も振り返らなかった。

 そうして、今度こそ酒場を出た。


「……ったく、なんだったんだあのカマ野郎は」

「まあ……世の中には色んな人がいるってことですかね……?」


 人通りの中を歩きながら、俺は軽く水魔法を使い、手を洗った。

 こんな町中で魔法を使うのも何だが、一応は男装してるし、堂々と使っていれば大丈夫だろう。まあ、あまり効果はないようだが……。


「待ってぇ~っ、待ってちょうだぁ~い!」


 風魔法で乾かしていると、アレから一分と経たないうちに、また気色悪い声が聞こえてきた。本来は男らしい低い声音を裏返し、図々しまでに女々しい口調をしている。


 振り返ってみると、不気味な面のマッチョメンが腕を気持ち悪く振りながら、夜の町を内股で駆けてきていた。

 どこのホラーだ、道行く人たちがビックリしてんぞ。

 しかしシュールな走法のくせに意外と俊足で、俺たちが逃げ出す前に野郎は追いついて回り込んできた。


「アタシっ……だったらアタシが連れて行ってあげるわ!」

「……あ?」


 前方を塞ぐカマ野郎をオルガは疲れた顔で声を上げた。


「だから、どうしても行くっていうのなら、アタシが連れて行ってあげるわよ!」

「テメェ……いったいどういうつもりだ、おい」

「だって、だって見捨てておけないものっ! 本当なら止めたいわよっ、でもこの子のあんな目を見ちゃったら、止められないじゃないっ! だからもうアタシはアタシの矜持にかけて、この子を支えてあげるしかないじゃない!」


 カマ野郎は崩れた化粧でグチャグチャになった妖怪面で、苦しそうに胸を抑えながら叫んだ。通り過ぎていく人々が何事かと目を向けてくるが、相手が変人だと見るや、我関せずの態でそそくさと去って行く。


「意味分かんねえっつの、テメェなに企んでや――いや、そうかなるほど、テメェ、オレに恩を売る気かコラ?」

「貴女こそなに言ってるのよ!? アタシはただその子が心配なのっ、一人の賢人として、栄えある会の一員として、放っておけないの!」


 野郎も興奮しているのか、何を言っているのかサッパリ分からん。

 テメェは賢人じゃなくてオカマだろ。

 

「あの、どうして連れて行っても良いって思ったんですか? 昨日、ミランダさんに頼まれたときは断ったんですよね?」

「ええそうよっ、だってあのときはこんな可愛らしくて純真な子が一緒だなんて知らなかったもの!」

「…………え?」


 あれ、それって、つまり……こいつロリコンってことか……?

 

「だからお願いよっ、アタシの知らないところで勝手に行かないで! どうしても行くっていうなら、アタシの目の届くところで、アタシに支えさせてよっ! じゃないとアタシ……もう心配で夜も眠れないわっ!」


 自分を抱きしめて身をくねらせる筋肉男(推定三十五歳)を、オルガは目を細めて見つめている。表情は引き締まり、怖いくらい真剣な顔をしている。


「オッサン、見返りはなんだ? オレとの繋がりか? 金か?」

「見返りなんていらないわっ、こんな可愛らしい女の子を助けるのは当然のことなんだから!」


 あくまでもそう断言するカマ野郎。

 隣ではユーハが小さく息を呑んだ後、「……うむ」とか言って頷いている。

 っていや頷くなよ、こいつたぶんロリ専門だからっ、ユーハとは違うから! 


「なにが当然だ、誤魔化すな。正直に言え、それ次第ではテメェの話に乗ってやらんでもねえ」

「……そうね、アタシの想いが常人に理解されないだろうことは、分かってるわ……見返り……そうよね、純真さを失ってしまった大人には、それがないと信用してもらえないのよね……」

「なにブツブツ言ってんだ、もう行っちまうぞ」

「あぁ待って! そうね、見返り……それじゃあ、昨日貴女が提示した金額を受け取ろうかしら」

「当然、それだけじゃねえんだろ?」


 オルガが無感情な声で問い質すと、カマ野郎は嘆かわしげに溜息を吐いた。

 そして悲しげな目でオルガを見返した後、俺を見下ろしてくる。


「本当はいらないだけれど……そうね、分かったわ。お金以外の要求が二つあるの、聞いてもらえるかしら?」

「内容次第だ」

「一つ目は、この子にちゃんと可愛らしい服を着せてあげて」

「…………は?」


 オルガはポーカーフェイスを崩し、眉根を寄せた。

 しかしカマ野郎はそれに構わず、俺を見つめながら、なぜかモジモジとし始めた。


「二つ目は……その、一晩だけ、この子に添い寝させて欲しいの」

「――――」


 そうかすごいな、何言ってんだお前。

 お巡りさんこいつですっ、早く来てください!


「そ、そんな純真な目でアタシを見ないでっ! そりゃあアタシだってね、こんな子に要求なんてしたくないわよ!? でもアタシたちは本来、影ながらそっと手を差し伸べて足下の小石を拾ってあげるようなことしか、しちゃダメなの! それでも思いっきり手助けするなら、相応の代価が必要になるってことをきちんと教えてあげないと、ただの甘やかしになってこの子の将来のためにならないじゃないっ!」


 恥ずかしげに、あるいは悩ましげに両手で顔を覆い、往来の只中で身体を捻るオッサン。

 うん、ただの不審者だ。


 俺はオルガの手を引っ張り、小声で話しかけた。


「オルガさん、この人本当に船持ってるんですか?」

「あぁ……それは間違いねえ。ちょうど昨日入港して下りてきたとこを捕まえたからな。船員からもこいつが船長扱いされてやがった」

「ど、どうするんですか……?」

「どうするって、いやお前……」


 オルガはカマ野郎に目を向けた。

 奴は指の間から瞳を覗かせ、俺をチラチラ見てくる。

 キモいからやめてくれ。

 

「……ダメだな、こいつはダメだ。やっぱ騎士団の船で行くぞ」

「私もダメだとは思いますけど……でも、本当に良いんですか?」

「いやこいつは良い悪い以前の問題だろ、変態だぞこいつ。お前このオッサンにヤラれ――いや、とにかくダメだ、行くぞ!」


 オルガは俺の手を引いて来た道を引き返し始めた。

 

「あぁ待って、じゃあやっぱり添い寝はやめるから! 可愛らしい服着てくれるだけで良いから!」

「うっせ、もうテメェ話しかけてくんな! 次オレらの前に現れてみろ、全力で灼き――」

「待たれよ、ミランダ殿」


 俺を抱えて飛び立とうとしていたオルガに、ふとユーハが声を掛け、引き留めた。


「この者……おそらく悪人ではなかろう。そうした者特有の邪さが感じられぬ」

「そうよっ、アタシは邪な想いなんてこれっぽっちもないの! アタシはただ見守り、ときに影ながら手助けするだけのオンナよっ! 悪辣な性犯罪者なんかじゃ断じてないわ!」

「テメェは男だろうが……」


 オルガの呟きをスルーして、ユーハはカマ野郎に問いかける。


「某はユーハ、お主の名は?」

「アタシはヒルベルタよ」

「うむ、ではヒルベルタ殿……そなたの船、護衛の者は如何ほどおるのだろうか?」

「エノーメ大陸からここまで来たんだもの、カーウィ諸島近くまでは安全に行けるだけの護衛が揃ってるわ! それに全員アタシの手下だから、アタシが行くと言えばどこへでも着いてくるわ!」 


 カマ野郎ヒルベルタ曰く、奴の船には一級猟兵の魚人が四人、二級が二人。それに二級猟兵の翼人が二人、獣人が四人、人間の上級魔法士が二人、そしてヒルベルタ自身も二級の猟兵らしい。


「うむ、そこに某らが加われば、おそらくは十分に近海までは行けるであろう……ミランダ殿、如何か?」

「いや、如何かって……」

「こうして船のあてがあるのだ、何も無理して最後の手段を使わずとも良かろう。アルセリア殿の心情を思えば……そなたの被る損害は、より軽微であることが望ましい」


 まあ、たしかにユーハの言うことも一理ある。

 しかし、ヒルベルタというロリコンオネエが信用できるかどうか、それは無視できない問題だ。

 とは思うものの、こいつはどうにも悪人には見えない。もはや滑稽なまでのカマ野郎だから、そう見えてしまうだけなのかもしれないが……。


 オルガは俺を抱きかかえたまま、睨み付けるようにヒルベルタを凝視する。


「テメェが変態野郎だから、レオンのために船を出しても良いってのは……百歩譲って納得してやる」

「それじゃあ――」

「だがっ、テメェが変態野郎であることは事実だ。そっちの話に乗ってやっても良いが、こっちからも一つ条件がある」

「なにかしら?」


 あれ、なんだろう……なんか立場が逆転してる……?

 

「そんなにこいつのためを思ってんなら、テメェのイチモツ、切り落とせや」

「え? あの、ミランダさん?」


 オルガは面倒臭そうな、どことなく冷めた顔をしていた。

 十中八九、ヒルベルタを頼る気などないのだろう。

 でなければ、こんな無理難題を口にするはずがない。

 

「あら、そんなこと? それならもうないから、条件は満たしてるわね」

「…………は?」


 平然と安心したように宣ったオネエに対し、オルガは聖天騎士様とは思えない間抜け面を晒した。


「それじゃあ決まりねっ! あぁもう、ホント良かったわぁ……こんな健気で可愛らしい子が超危険なことをしようとしてるのに、それに気付かなかったらと思うと……これも聖神様の思し召しかしら、とにかくよろしくねぇっ、レオンちゃん!」


 こうして、俺たちは船をゲットさせられた。



 

 『渡りに変人ふね

 

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