第六十一話 『邂逅の……聖天騎士』★
みんなは俺の信頼に応えてくれた。
一生の思い出となったあの夕食の後、どうすれば良いか、どうしようか、みんなで考えた。ただ、一日で決められるほど簡単なことでもないので、ゆっくり話し合いながら考えていくことになった。
翠風期になったら出発する予定は変えないつもりでいるから、あと三節の時間がある。心が満たされた俺は焦燥感に駆られることもなく、ベッドに入った。
俺は三年半もみんなと一緒に暮らしていて、初めてみんなの前で涙を見せた。これまで隠していた脆弱な部分を完全にさらけ出して、それを受け入れてもらった。
なんだか随分と心が軽くなったと思う。
俺にとって、絶大な意味を持つ一日となった。
しかし同時に、苦難の非日常が始まった日でもあることを、このときの俺はまだ知らなかった……。
♀ ♀ ♀
翌朝。
昨日の余韻が残っているのか、穏やかで満たされた気持ちのまま目覚めた。
気張らなくなった俺は昨日の朝と同じようにメル巨乳化計画を推し進め、一緒に寝てくれたサラを含めた四人で起床する。
だが俺の心には気掛かりが一つあり、それを俺が口にする前に、リーゼが言った。
「アリア、元に戻ったかな?」
「見に行くわよっ」
珍しく寝覚めの良いサラに率いられ、俺たち四人と巨大ペットはまず真っ先にアルセリアの様子を見に行くことに。
この時間なら既に起床し、クレアたちと一緒に食事の準備をしているはずなのだが……。
「アルセリアさん、まだ戻れていないみたいなの。一度起きてきて、食事の準備をしようとしてくれたのだけれど……」
「ほら、あの状態ってかなり体力使うっていうし、実際疲れてるみたいだったから、部屋に戻って休んでもらってるわ」
厨房に入った俺たちに、クレアとセイディが不安げな様子で教えてくれた。
というわけで、俺たち四人と一頭はアルセリアの部屋へとダッシュで向かった。
「……すまないな、心配かけて」
部屋に駆け込んだ俺たちに、アルセリアはまずそう言ってきた。
彼女は露出した肌に昨日と変わらず翠緑の竜鱗を纏わせたまま、ベッドで横になっている。やや顔色が悪く、少なからず疲労感が伝わってくる。
「…………アルセリアさん」
「ローズ、そう不安そうな顔をするな。おれは大丈夫だ、昨日はこれまでより少し調子が悪かっただけで、今日中には戻れるさ」
いつものクールな微笑を添えてそう言ってくれるが、俺は不安感を拭えなかった。これまで一度も、日を跨いでまで竜戦の纏が解けなかったことはなかったのだ。
昨夜、俺はかつてない安心感をみんなから与えられ、充足していた。
だから、アルセリアが寝る前になっても全身竜鱗状態であることも、そんなに気にしなかった。楽観していたのだ。いつになくポジティブシンキングができてしまっていた。
どうせ明日の朝にはいつもの姿を見せてくれるだろうと、これまでの経験則もあって、半ば確信していた。
「朝食ができたら、食堂に顔を出す。四人はいつも通り、館の周りを走ってくると良い」
「今日はいいもんっ、朝ご飯までここにいる!」
「そうね、アリアが心配で走れないわ」
リーゼは伏せさせたアシュリンに背中を預けて座り、サラは野郎の背中に座る。
メルも当然のように椅子を持ってくると腰を下ろし、俺を膝の上に乗せてくれた。
「リゼット、サラ、ローズ、メレディス、それにアシュリンも、ありがとう。だが、本当にそれほど心配しなくても大丈夫だぞ」
アルセリアは双眸を細めて、穏やかな笑みをみせる。
俺たちは髪を梳き合ったり、雑談したりして、クレアが呼びに来るまでアルセリアの側にいた。
このとき、俺はなんだか無性に嫌な予感がしていた。
そして勝手に思考する脳は一つの可能性に気が付いたが……
すぐにあり得ないと一笑に付した。
♀ ♀ ♀
朝食を終え、昼が過ぎて、陽が沈んだ。
アルセリアはまだ通常状態に戻らない。
夕食のために食堂に来たとき、アルセリアは少しふらついていた。
おそらくは気丈に振る舞っていたのだろうが、立っているだけでもやっとの状態に見えた。
俺は彼女に竜人のことを色々と教えてもらったので、竜戦の纏がどういったものかは良く知っている。アレは戦闘時に一時的に使用するものであって、丸一日以上も連続して使用し続けるものでは決してない。
そんなことをすれば、体力の消耗が激しすぎて元も子もない状態になる。
今のアルセリアのように。
みんな、アルセリアを心配していた。
疲れているのが一目見て分かるほどで、この三年半以上の中で最も不調なのは明々白々だった。
「……ローズ、すまないな。今日はおれのせいで、レオナを探しに行く件を皆で話し合えなかった」
「そんなこと…………いえ、そうですね。早くみんなで話し合いたいので、良くなってください」
俺は敢えて頷き、そう言った。
本来なら気遣うところなのだろうが、病人ってのは気遣われると、それが負担になることが多い……っていや、病人ってなんだよ。
アルセリアは病気じゃない……はずだ。
その日も結局、就寝する頃になってもアルセリアの状態は元に戻らなかった。
「今日はアリアと一緒に寝る!」
「やめなさい、疲れてるんだから、しっかり休ませてあげるべきよ。リーゼと一緒だと、アリアも集中して良く眠れないかもしれないし」
リーゼは小脇に枕を抱えてアルセリアの部屋へ行こうとするも、サラが押しとどめる。もう十歳というだけあって、サラは割と冷静だ。
しかし、リーゼが「そんなことないもん!」と反論すると、サラは苛立ったように怒鳴った。
「あるわよっ、リーゼは早くアリアに元気なって欲しくないの!? だったらアリアが休む邪魔しないで、いつも通りにしてなさい!」
俺はどちらに加勢しようか迷ったが、サラに賛同しておいた。
彼女も本心では一緒に寝たいと思っているはずなのに、自分の感情よりアルセリアの体調を優先した。
その思いは無碍にできなかった。
そうして、まるで館全体が暗雲に覆われたような一日が終わった。
だが翌朝になっても、アルセリアは変わらず昨夜と同じ状態だった。
♀ ♀ ♀
十日が過ぎた。
未だにアルセリアの竜戦の纏は解けていない。
四日目から、婆さんが天級の治癒魔法と解毒魔法を毎日掛け始めることになった。どちらも効果はなかったが、毎日掛け続ければ効果が顕れてくるかもしれない……という苦肉の策だった。
アルセリア本人にも博識な婆さんにも、原因と解決法が分からないのだ。
それくらいしか、できることがなかった。
「…………」
アルセリアはほぼ一日中、ベッドの上で過している。
体力の消耗が激しいので、無駄に動けず、眠って少しでも体力を回復させようとしている。彼女の寝顔はまるきり病人のそれであり、衰弱していることが否応なく伝わってきた。
午前の稽古時間。
アルセリアはリーゼとメルに槍術を教えていたが、今日もベッドの上なので、代わりに婆さんが監督している。婆さんも並以上に剣や槍を使えるので、今の二人のレベルなら指導できなくもない。
「ねえ、おばあちゃん……アリア大丈夫だよね?」
「大丈夫じゃから、そう不安そうな顔をするでない。アリアには笑顔を見せてやっておくれ。リゼットたちの笑顔が元気の素になるのでな」
木槍を持つリーゼにいつものやる気はなく、そんな彼女の頭を婆さんは普段と変わらぬ様子で撫でる。
婆さんと同じく、リーゼも毎日アルセリアに治癒と解毒の魔法を掛けている。ただ、幼狐はどちらも苦手で下級までしか使えないため、ほとんど意味はないが。
それでもアルセリアの心は大いにヒールされているはずだ。
「本当に、どうして元に戻れないんだろう……天級の解毒魔法でも無理だから、何かの病気ってわけでもなさそうなのに……」
メルも意気が消沈している。
そのせいか、同じ中庭にいる我が師匠にも暗さが伝播し、普段より二割増しで鬱っている。既にあれから三年半経つので、最近のユーハはなかなか好調だったのだが……。
「ローズ、アルセリア殿の調子は昨日と変わらぬのか……?」
「ええ、むしろ体力が落ちてきているので、昨日より動けなくなってきています」
俺はどうにも気分がのらず、ユーハとベンチに座って雑談する。
空は青く晴れ渡っているのに、最近の我が家は曇天模様だ。
「ここを発ち、レオナという友人を探しに旅立つという話は……どうなったのであろうか……?」
「いえ、そちらもまだ、特に話は進めてないですね。アルセリアさんがあの状態なのに、そんな話できませんし……」
ユーハには既に旅の話はしてあるが、あの日からレオナ捜索&プローン皇国行きの旅計画は進捗していない。
アルセリアは「おれのことは気にしなくて良い」と当然のような口調で言ってくれたが、家族が寝込んでいる状態で、ここを出て行く話の予定など立てられるはずがない。
もちろん、レオナのことは今でも大事に思っているし、ラヴィに会いたいという願いもある。だが、床に伏せるアルセリアから目を逸らして、そちらを優先するようなことなどできない。
みんなも俺に協力してくれるとは言ったが、現状ではアルセリアの不調の方が気に掛かっているようだった。俺にはそれを責めることはできないし、そんな気もない。
今更の話、この世界にも多種多様な病は存在する。
世間では病死する人だって多いと聞くが、我が家はずっと病魔とは無縁だった。
どんな負傷だろうと重病だろうと、治癒や解毒の魔法で一発解決だ。特に婆さんはどちらも天級まで使えるので、これまで全員が健康体で毎日を送っていた。
だから家族が何日も床に伏せるなんてことは、誰も経験してこなかったのだ。加えて、アルセリアの体調不良は解毒魔法でも治せない原因不明の何かときた。
これで不安になるなという方が無理だろう。
「…………」
俺がみんなに協力を頼んだのと、アルセリアの不調は同時だった。
だが、『タイミング悪すぎるだろクソ……』と安易に悪態など吐けない。
なにせ、本当に間が悪すぎるのだ。まるで図ったかのように、何か仕組まれているかのように、俺の協力要請とアルセリアの不調は重なっている。
神などいない……はずだ。
いや、聖神アーレや邪神オデューンは魔法や魔女や魔物の存在からしているのかもしれないが、アインさんの神はどちらでもないと言っていた。
俺の嘘を見破れなかったことから、その存在はともかく、神様らしい絶対性までは有していないはずで、だから千里眼めいたものもない……はずだ。
そのはずだ。
「まさか」とか「そんなはずない」と思いながらも、俺は頭の片隅に自責している己がいることに気が付いている。俺のせいでアルセリアがああなったのではないかと、疑いの色を日に日に濃くしている。
だからか、その日の剣術稽古はなかなか集中できなかった。
昼食を終え、ユーハを見送った後。
クレアがディーカへ買い出しに行くというので、同行することにした。
転移してヘルミーネ邸を出て、二人で町中を歩いて行く。
ちなみにユーハは一人で猟兵協会へ行っているらしい。
「クレア、アルセリアさんの様子はどうでしたか?」
「良くはない……かしら。お昼ご飯はきちんと食べてくれたけれど、身体を起こしているのも辛そうだったわ」
クレアは綺麗な顔に影を落とし、眉尻を下げている。
アルセリアがちゃんと昼食を摂ったとは言うが、食欲はなかったはずだ。ただ、食べないと体力が保たないから、なんとか食べたのだろう。
ここ数日のアルセリアは食堂にまで降りてこられないほど、体力がない。
もう十日以上も常に竜戦の纏を使い続けているのだから、その疲労感は相当なもののはずだ。今の彼女はフルマラソンを完走した直後の状態が常時続いているようなものだろう。
「ごめんね、ローズ」
「いえ、謝らないでください。私もアルセリアさんのことは心配ですし」
何を思われたのか、申し訳なさそうに謝られたので、俺は首を横に振っておいた。
クレアと共に市場に入ると、滋養強壮の効果があるとされる食材を中心に買い込んでいく。購入したものは大きなリュックへ詰め込んでいき、賑わう人混みの中を歩き回る。
大小二つのリュックが戦利品で一杯になると、俺たちは帰路に着いた。
「あの、クレア、さっき市場で聖伐とか聖天騎士団とかって何度か聞きましたけど……近々聖伐があるんですか?」
「ええ、そうね。今年は十年に一度の聖伐がある年だから。毎回、翠風期の第七節目くらいから始まるそうよ」
聖伐はイクライプス教国が行う大規模な魔物駆逐作戦のことだ。
魔物は邪神オデューンがこの世界に呼び込んだものとされているため、聖神アーレを崇め奉るエイモル教会=イクライプス教国としては無視できない存在だ。
教国にとって、邪神の眷属ともいえる魔物共が、特に多く跋扈する魔大陸は看過できない土地といえる。しかし、いちいち戦力を派遣しなくとも猟兵=世界中の国々が魔物共を駆逐してくれており、何より魔大陸は政治的な思惑が深く絡んでいるため、永世中立国を謳うイクライプス教国は魔大陸の土地争奪戦に不参加だ。
代わりに、魔大陸のどの町にも例外なく教会と治癒院を置くことを許されており、他大陸より格安で治療を行っている。
そして十年に一度、十三人しかいない聖天騎士の一人が一団を率いて魔大陸までやって来て、完全ボランティアで前線押し上げに協力しているのだ。
どうやら今年はその聖伐がある年らしい。
俺も知識としては知っていたが、ここは前線の町からはほど遠いので、完全に他人事として今まで無関心だった。
「今回の聖伐はここ魔大陸北西部で行われるから、騎士団は今月の初旬にでもクロクスに到着するそうよ。だから今頃はもう、最前線のフリザンテの町を目指して南下してきているでしょうね」
「この町にも来るんですか? 聖天騎士が?」
「きっと補給のために寄ると思うわ。クロクスからだと……三節は掛かると思うけれど」
ディーカからクロクスまでは馬の足で一節半ほど掛かる距離にある。
聖伐に投入される戦力数は不明だが、行軍してくるわけだから、馬の倍は時間が掛かるのだろう。無論、フリザンテの西部沿岸まで海路を使って移動すれば大幅に時間は短縮できるだろうが、大陸西部の海は魔海域と通称される超危険海域なので船は使えない。
魔海域には最強クラスの水棲魔物が数多く棲息しているらしいので、いくら聖天騎士団といえどもハイリスクすぎて通れないのだ。
「ちなみに、今回の聖伐を行う聖天騎士は私たちの知り合いでもあるわ」
「――え!?」
クレアはどこか懐かしげな顔を見せ、何気ない口調で暴露した。
俺は思わず驚きに声を漏らしてしまうが……すぐに納得し直す。
その昔、婆さんは聖天騎士だったという話だし、同じ聖天騎士に知り合いがいてもおかしくはないだろう。
「私たちってことは、リーゼやサラとも面識あるんですか?」
「いえ、マリリン様とアルセリアさんと私……それとチェルシーも、顔見知りだったわね」
「へえ、なんか……凄いですね」
改めて婆さんの偉大さが理解できる。
まあ、普段は読書や菜園いじりばかりする八十過ぎの老婆だが。
「その人って、どんな人なんですか?」
「そうね……私たちが魔大陸に来てからは一度も会っていないから、なんとも言えないのだけれど……聖天騎士団では《蛇焰剣》っていう二つ名を冠されていて、たしか今年で二十八歳になるかしら」
「女性ですか? 男性ですか?」
「翼人の魔女ね。名前はオルガ・オリファント」
クレアは今年で二十六歳だから、その二つ上の翼人お姉さんか。
この町に来るまで三節は掛かるらしいから、お目にかかれる機会は……あるのかないのか。アルセリアが無事に回復すれば、俺は予定通り出発するつもりだが、そのときになっても今のままだったら……。
たぶん、俺は出発できない。
「その人、美人ですか?」
巡らせていた思考を強引に打ち切るため、どうでも良い質問を繰り出した。
いや……どうでも良くはないか、重要なことだ。
クレアはどこを見るでもなく、遠い眼差しで虚空に視線を彷徨わせながら「んー」と小さく唸った。
「美人……だと思うわ、きっとね。最後に見たのは私が十一歳くらいの頃だったけれど、綺麗な顔をしていたと思うし」
「具体的には?」
「え、具体的に? そうね……あの頃の印象だと、私にとってはお姉さんというより、お兄さんだったかしら。性格も女の子らしくなかったし、黒みを帯びた赤い翼も、どちらかといえば綺麗というより格好良かったわね」
格好良い系ってことはアルセリアみたいな感じなのだろうか?
凛々しいお姉さんな聖天騎士。
俺が得るはずだった専属美女騎士に通ずるものがある。
会えるものなら会ってみたいものだ。
「えーっと、あんな感じですか? あの猟兵っぽい女の人」
俺はふと視界に入った一人の翼人を指差した。
人通りの中、前方二十リーギスほど先から歩いてくる彼女は二十代半ばくらいで、女性にしては長身だ。
「え? あ、そうね。あの頃から大きくなっていれば、ちょうど……あんな、感じ……?」
なぜが後半は呆けたように呟きながら、クレアはおもむろに足を止めた。
人通りの中、俺もつられて立ち止まると、両の目を見開いて呆然とするクレアの視線を追う。先ほど俺が指差した女性をクレアは口を半開きにして見つめていた。
どんどん近づいてくる翼人の彼女におかしなところは特にない。
折りたたまれた翼は臙脂色の羽に覆われ、粗雑な感じに左肩にリュックを掛け、腰には少し変わった意匠の剣を帯びている。
闊達そうな目鼻立ちは良く整い、俺と同程度の短髪も相まって見た目は中性的で、クレアに迫る勢いで隆起した胸元は器のデカさを窺わせ、見るからに姐御って雰囲気を纏っている。如何にも猟兵風の機能性重視な動きやすそうな格好をしていて、堂々たる歩き姿からはなかなかの高ランク猟兵を思わせる。
「――あ?」
往来の只中で立ち尽くし、凝視するクレアに気が付いたのか、翼人の彼女は訝しげに見返した。すると向こうも次第に両脚の動きを止めて、クレアの顔をじっと見つめた。
かと思いきや、驚きと喜びが綯い交ぜになった顔で翼人猟兵が口を開きながら近づいてきた。
「おいおいマジかよ、着いて早々に町中で会えるとか……クレアだろ? いやクレアだ、間違いねえ」
「…………オ、オルガさん……?」
「え?」
俺は二人の顔を交互に眺めた。
というか、オルガって、つい今さっき聞いた覚えがあるだが……。
姐御っぽい翼人はたちまちクレアの目の前まで来ると、降り注ぐ陽光で天使の輪ができた黒髪に手をのせて笑う。
「ははっ、この真っ黒くて艶々した長い髪、相変わらず妙に姫っぽいな」
「あ、あの、本当に……オルガさん、なんですか……?」
「あん? 見りゃ分かんだろ、自分じゃそんなに変わってねえと思うんだが」
リーゼが生まれたてのアシュリンを見せたときも結構なものだったが、ここまでクレアが驚いている姿を見るのは初めてだ。
「え、いえ……でも、聖伐に来ることは話に聞いてましたけど、早すぎませんか……? それに、その格好は……?」
「あぁ、これか? 見ての通り変装だ。早くお前らと会ってゆっくりしたかったからな、部隊は部下に任せて、オレは一人で先行してきたんだよ」
「――――」
「ん? なんだクレア、お前疑ってんのか? まあ、もう十五年くらい会ってなかったし、そっちからすりゃ分からねえ話でもねえけどよ。だったらアレだ……ほら、神那島の一件のときによ、黄昏の連中からバアさんとお前を奪還しに行ったとき、お前オレらにビビって小便漏ら――」
「わ、分かりましたからっ、やめてください! どうしてわざわざそんな話をするんですかっ、ユリヒナと一言呼んでくれれば済む話でしょう!」
クレアが慌てた様子を見せるのも珍しい。
翼人の姐御――もといオルガは溌剌とした笑みを溢しながらクレアの頭をぽんぽんと撫でて、腰に手を当てた。
「にしてもお前、かなり色っぽくなったな」
「そういうオルガさんは随分とご立派になられたようで。本当に、久しぶりですね……まだ少し信じられません」
「ま、いきなりだからな、さすがにオレもかなりビビったわ」
二人は互いに懐かしそうな様子で笑みを見せ合い、久闊を叙している。
だがこんな人通りで突っ立っていては通行人の邪魔だろうし、何より俺がハブられている現状は早々に脱して欲しい。
「あの、クレア」
「あっ、ごめんねローズ、あまりに突然で驚いちゃって」
ようやく俺に目を向けてくれたクレアは未だ再会の興奮さめやらぬ様子だ。
クレアにつられたのか、オルガは「ローズ?」と呟きながら俺を見て、先ほどより何倍も意外そうに言った。
「なんだクレア、お前ガキ産んだのか? しかもこの見た目でローズって……やっぱ魔女なのか?」
「魔女ではありますけど、私が産んだわけではありませんよ。ですがこの子は私たちの家族で、ローズといいます」
「あ、えっと……どうも初めまして、ローズです。あと数日で八歳になります」
何はともあれ、しっかりと頭を下げて挨拶しておいた。
ウソかホントか、話の流れからすると目の前の姐御は天下の聖天騎士様らしいし、きちんとしておいた方がいいだろう。
が、なんかこの人には礼儀作法とか気にしなくてもいい気がする。
「おう、しっかりしてんな。オレはオルガだ、クレアの……まあ昔馴染みだな」
「あの、不躾ですけど、オルガさんって聖天騎士……様、なんですか?」
「まあな、この格好じゃそうは見えねえだろうが。それと聖天騎士にいちいち様なんて付けることねえぞ」
そう言って気安く笑いながら俺の頭をクレアにしたように気安く撫でてくる。
だが、俺は割と混乱していた。
噂をすれば影とはいうが……こんな偶然あり得るのか?
というか、聖伐に来た聖天騎士団はディーカに来るまでに三節は掛かるんじゃ……って、いや、そうか。オルガは翼人だから地形無視して馬より早く飛んで来られるし、先行してきたらしいから一人なのか。
「とりあえず、こんなとこで立ち話もなんだ。お前ら、デカい館に住んでんだろ? 話ならバアさんたちも交えてそっちでしようぜ」
「あ、はい、そうですね」
クレアはオルガの言葉に頷き、俺たちは三人で歩みを再開して、ヘルミーネ邸を目指す。
だが歩き始めて間もなく、ふとクレアがオルガに訊ねた。
「そういえば、私たちが魔大陸の館で生活していることはともかく、行き方も知っているんですよね? 誰から聞いたんですか?」
「キャロリンだ。バアさんの孫娘とは思えねえ、あのいけ好かねえババアから聞き出した。巨人の家から転移すんだろ? 貴重な転移の《聖魔遺物》を家と町の行き来だけ使うとか、無駄遣いもいいとこだな。どんだけ贅沢なんだっての」
呆れたように、でも可笑しそうに笑うオルガ。
こうして見ると、そこら辺にいる普通の女猟兵にしか見えない。
世界でも最高峰の魔法士であり戦士とされる聖天騎士という話だったから、もっと厳格そうなお姉さんを想像してたんだが……完全に真逆だ。
正直なところ、本当に聖天騎士なのか甚だ疑わしい。
偶然らしいけど、こんな町中で普通に会えるって、なんだか俺の中の聖天騎士のイメージが崩壊してしまった。
それにしても……うん、やっぱデカいな。身長を考えればそれほどでもないのかもしれないが、このサイズなら最低でもFはある。
セイディが見れば発狂しそうなほどに空気抵抗が大きそうだ。
「ふぅ……マジで懐かしいわ、やっぱ」
歩きながらオルガはクレアの横顔を見てノスタルジックな笑みを浮かべる。
そんなオルガに、クレアは嬉しそうに微笑みを返した。
♀ ♀ ♀
ヘルミーネは冷静だった。
彼女はオルガのことを聞いても「そうか」と一つ頷き、軽く自己紹介し合った後、転移して館へ。
「そういや、トレイシーの奴もいんのか?」
地下の転移部屋を出て、階段を上がりながらオルガがクレアに質問する。
「彼女は町の方に住んでいます。その方が色々と情報も収集し易いですし、動きやすいそうなので」
「はぁん、相変わらず真面目そうだな。明日辺り会いに行ってみるか」
どうにも先ほどから俺は話について行けないが、まあ仕方なかろう。
なにせ十四年ぶりほどの再会だというし、積もる話も色々あるはずだ。
落ち着くまでは黙って成り行きを見守ってやろう。
「ほぉ、こりゃまた立派な家に住んでんな、おい」
一階ホールに出ると、オルガはぐるりを見回して感嘆の吐息を漏らす。
彼女もその地位を思えば豪邸に住んでいそうなものだが……
「あっ、クレアローズおかえりー! ……ん? お客さん?」
開きっぱなしだった玄関扉の向こうから、アシュリンに乗ったリーゼが現れた。
その隣には自前の足で歩くメルの姿もある。
「……おい、クレア、なんだありゃ」
「うちで飼っている……ペットです」
「また随分と変わったペットだな」
リーゼたちはホール中央で立ち話をする俺たちに近づいてくるが、アシュリンが三リーギスほど手前で立ち止まった。微妙に重心を落として身構えているところからして、一丁前にオルガを警戒しているのだろう。
「よお、オレはオルガだ。婆さんやクレアの知り合いだ。一応言っとくが、魔女だぞ」
「よーっ、あたしはリゼットだー! あたしも魔女だぞっ! こっちはアシュリンッ!」
「あ……初めまして、メレディスです。私も、その……一応、魔女です」
オルガのフランクな挨拶に、リーゼはそれを真似して堂々と、メルは慌てたように頭を下げた。
アシュリンは尚も警戒態勢を解こうとしないが。
「オルガは何しにうちに来たの?」
「婆さんたちに会いにな。ところで……こいつはアッシュグリフォンだよな?」
「そうだよ! ほらアシュリン挨拶は?」
リーゼは持ち前のコミュ力を遺憾なく発揮し、タメ口で普通にオルガと会話している。
アシュリンはママンから急かされると、「ピュェッ!」といつもより鋭い鳴き声を上げた。
「アシュリン、オルガのこと敵だと思って警戒してる」
「ほう、当たらずといえども遠からずだな。なかなか賢い魔物畜生だ」
「ピュェ、ピュェェェェッ!?(貴様、オレを魔物と言ったなっ!?)」
「あ、そういえばオルガさんって、聖伐をしに魔大陸に来たんですよね? それに魔物って、エイモル教的には神敵ってことになりますから……まさか……」
「え……聖伐で、オルガって……もしかして、《蛇焰剣》オルガ・オリファント……?」
俺の言葉にメルは感付いたのか、オルガを見つめながら半信半疑な様子で呟く。
「おっ、オレも意外と有名だな。いや、バアさんと一緒に暮らしてれば当然か」
「あ、あのっ、アシュリンは魔物ですけど、その……私たちの家族なんです! だだだからあの、み、見逃してあげてくださいっ!」
メルが緊張に強張った顔でアシュリンの前に出ると、頭一つ分は上背のあるオルガを見上げ、懇願する。
対して、オルガは悠揚とした動きで偉そうに腕を組み、迫力ある笑みを覗かせた。
「見逃す、か……邪神オデューンがこの世界に解き放った悪しき眷属を、このオレに見逃せと? 聖伐のためにはるばるこの地を訪れた、聖神アーレ様の威光を背負う聖天十三騎士が第五位オルガ・オリファントに、そう言っているのか?」
「――――」
「ピュェェピュェェェッ、ピュェピュェェェェン!? ピュピュェェピュェェ!(おいそこをどけ小娘っ、なんだこの偉そうな女は!? オレはもう女には屈さんぞ!)」
「うわっ!? なんかアシュリンがすごいやる気出してる!?」
メルは顔面ブルーレイ状態で震えており、その後ろの身の程知らずは妙に興奮して鳴き喚き、リーゼは状況が良く分かっていないのか純粋に驚いている。
無論、端から見守る俺は戸惑い、冷や汗を流していた。
オルガはかなり気安い姐御肌な姉ちゃんだが、聖天騎士なのだ。謂わば、教会の狗なのだ。そもそも、魔大陸攻略のために猟兵協会を組織する切っ掛けとなった国際会議を主催したのは、イクライプス教国だ。
俺も常識として、エイモル教会がそこまで魔物という存在を目の敵にしていないことは知っている。現に、町では普通に魔物肉が食べられているし、魔物の素材は生活用品や衣類にも活用されているし、聖伐だって十年に一度という熱心とは言い難い頻度でしか行われていない。
しかし、敬虔な信徒が魔物肉を食べないことも知っているし、猟兵連中の中にも熱狂的なエイモル教徒がいて利害計算抜きに魔物を狩りまくっている奴がいることも、知識として知っている。
オルガはイクライプス教国でも相当な地位にある最高位の騎士様の一人で、その信心深さは推して知るべきであり、彼女は魔物をぶっ殺すために魔大陸入りした。
……アシュリン、お前死んだな。
「小うるさい魔物だな、黙れ」
「ピュェェェェェェッ、ピュェピュェェェェピ――(おうやんのかコラッ、上等だぜ掛かってこ――)」
「なんだ、黙らせて欲しいのか」
「――――」
威勢良く鳴いていたアシュリンだったが、オルガの粛然とした力強い言葉を受けて、硬直した。
しばし見つめ合う一頭と一人。
数秒後、魔物畜生は聖天騎士様の威厳に屈し、身体を丸めて震え始めた。
「あぁ!? アシュリン怯えてる……オルガもっと優しくしてあげて、アシュリン身体は大きいけど臆病だからっ」
リーゼがアシュリンを抱きしめながら言うと、オルガは雑魚を嘲笑するように鼻を鳴らした。
そのとき、クレアが溜息を吐いて、僅かに探るような視線を覗かせつつ口を挟んだ。
「オルガさん、初対面の人にそうした冗談は通じないと思いますよ……?」
「ハハッ、やっぱそうか。いや、急に畏まられたもんで、ついな」
オルガは明朗闊達な笑みを溢し、肩を竦めた。
それを見てクレアはどこか安心したように吐息を漏らし、より一層の懐古の念を込めて彼女を見つめる。
密かに魔力を練って身構えていた俺と、竦んで棒立ちになっていたメルは、オルガに頭をワシャワシャと撫でられた。
「悪い、冗談だ冗談。べつに狩りゃしねえよ、安心しろ。あとオレを敬うのも止めろ、今ここにいるのは聖天騎士オルガ・オリファントじゃなくて、ただのオルガだ。いいな?」
「あ、はい……分かりました」
「わ、分かりました。えっと、あの、ありがとうございます……?」
皓歯を覗かせて気持ちの良い笑顔を見せながら、オルガは俺とメルの頭を乱雑に撫で回す。
婆さんもアルセリアも四十年ほど聖天騎士団で活動していたらしいが、エイモル教の信者というわけではない。どうやら聖天騎士とはいっても、必ずしも敬虔な信徒であるとは限らないらしい。
「おう、そんな怖がんな、お前それでも魔物か?」
オルガは次にアシュリンに近づくと、項垂れた頭を撫で始めた。
「――――(ただただ震えている)」
「あー、ちっと怖がらせすぎたか? にしたって、こいつビビりすぎじゃねえか?」
まあ、そう言ってやらんでくださいよ姐御。
これが女だらけの家庭で育ったオスの末路なんです……。
「さて……クレア、バアさんたちはどこだ?」
「おばあちゃんなら、たぶん中庭で本読んでるよ!」
「本か、ハハッ、そうか本読んでんのか。んで、アリアとチェルシーは?」
オルガは嬉し楽しそうに呟くと、更に問うてきた。
だが、俺もリーゼもメルもクレアも、一瞬押し黙ってしまう。
「なんだ、どうした?」
「あの、オルガさん。アルセリアさんはいますけど――」
「なにようるさいわね、勉強に集中できないでしょ」
ふとサラの不機嫌そうな声がホールに響いた。
俺たちは全員、二階の廊下から見下ろす金髪褐色の美少女に目を向ける。
そこでサラはオルガに気が付いたのか、微かに眉根を寄せた。
「誰……?」
「急に邪魔して悪いな、オルガだ。クレアたちの昔馴染みってとこだ、よろしくな」
「え、えぇ、わたしは……サラよ、よろしく……?」
人見知りがちなサラだが、オルガの勢いに呑まれたのか、ぎこちなくも挨拶を交わす。
そんな美少女をオルガは何か意味深な眼差しでじっと見つめるが、すぐに視線を切った。
「ま、とりあえず中庭行くか」
オルガは十年暮らした我が家とでもいうような微塵の遠慮もない堂々たる足取りで一階廊下の方へ歩いて行く。
俺たちはなんとなく、サラも含めてぞろぞろとその後を追った。
中庭に出ると、オルガはベンチに座って読書に耽る婆さんを発見し、声を掛ける。
「おい、バアさん」
「……む」
手元の本から顔を上げ、婆さんはオルガを見た。
オルガもまた、少し離れたところで立ち止まり、黙って婆さんを瞳に映す。
「お主……………………誰じゃ?」
「おいっ」
「ふふっ、冗談じゃ、良く来たのオルガ。お前さんが聖伐すると聞いて、来るとは思っておったが……早かったの」
「急いできたんだよ、これでも」
婆さんは顔中の皺を深くして、腰を上げると、オルガに歩み寄る。
オルガも足を前に出して婆さんに近づく。
そして彼女は婆さんに抱きしめられた。
「大きくなったの……うむ、見違えたわ。最後に会ったのは十三のときだったかの。本当に立派になった……」
「バアさんは背縮んだな……それに老けた」
どことなくショックを隠せぬ様子でオルガが呟くと、婆さんは小さく笑った。
「確かに縮んだがの、そう見えるのはお前さんが大きくなったからでもあるんじゃよ。本当に……大きくなったの……うむ、見るからに立派になっておる」
オルガと婆さんの身長差はだいぶある。
精強そうなオルガが側にいると、やけに婆さんが小さく弱々しく見えてしまう。
「こんな格好でも、見ただけで分かんのか?」
「分かるわい、あまり老人の目を舐めぬことじゃ」
「ハハ、そうか……そう見られてオレも一安心だ。ま、こうなったのもバアさんのおかげだよ、ありがとな」
「うむ、お前さんならそう言うだろうがの……全てはオルガが頑張ったからじゃ、うむ、良く頑張ったの」
なんか感動の再会っぽくて、俺たち五人と一頭はその様子を黙って見守った。
ややあって婆さんはオルガから離れ、目尻に浮かんだ滴を指先で拭い、しみじみとした顔でオルガを見上げた。
「まあ、何もないところじゃが、ゆっくりしてゆくと良い。いつまでいられるのじゃ?」
「あー、そうだな……部下たちがディーカに来るまでだから、来期の頭くらいまでか」
「ならば時間はたっぷりあるの。ここ十五年ほどのことは少しずつ話し合うとしようかの」
「おう、それは良いんだが……アリアとチェルシーはどうした? 姿が見えねえようだが」
訝しげに問うオルガに、婆さんは嬉しそうな様子から一転、表情に影を落とした。そしてオルガが何事かを言おうとする前に、婆さんは殊更何でもないことのように告げた。
「アリアは今、少し体調が悪くて寝込んでおる。チェルシーは……四年ほど前に、亡くなっての」
「…………あ?」
言葉の意味を理解しながらも尚、それが信じられないような様子で、オルガは眉をひそめた。
♀ ♀ ♀
ベッドに横たわるアルセリアを見て、オルガは何とも言えない顔を見せた。
驚愕、懐古、喜悦、悲哀、懐疑……混交しすぎたその表情は複雑怪奇とさえ言える。
「久しぶりだな……オルガ。随分と情けない姿で、申し訳ないが」
「……おう、久しぶりだな……っていや、おいおい、なんだよアリア、冗談だろおい」
オルガは憔悴した様子のアルセリアを前にして強張った顔に半笑いを浮かべ、緩やかに首を左右に振る。
アルセリアの側にいたセイディ共々、俺たちは全員集合してその様子を見ていた。
「おいバアさん、なんだよこれは。何がどうなってやがる?」
「……見ての通り、竜戦の纏が解けぬようでな。もう十日以上、連続してこの状態じゃから、体力の消耗を抑えるためにこうしておるのじゃ」
婆さんは落ち着いた様子で答えた。
ただ、もはや体力の消耗を抑えるためというより、まともに歩くだけの体力もないから、ベッドに横たわっているとも言えるのだが……婆さんはそうは言わなかった。言えなかったのだろう。
「治癒と解毒は……って、もう当然試してるか。戻れねえって、なんでだ? 治療法とか分かってんのか?」
「原因は分からぬ……が、おそらくは転移の《聖魔遺物》が原因じゃ」
「……なに?」
ここ最近のことを要約して婆さんは説明した。
すると話を聞き終えたオルガは豊満な胸の下で腕を組み、虚空を睨んだ。
「なんだそりゃ……転移した直後に……?」
「オルガは何か知らぬか?」
「いや……んな話聞いたことすらねえぞ。つか、本人とバアさんに分からねえんだったら、オレが分かるはずねえよ……」
そう言って片手で額を抱えると、オルガは力なく慨嘆するように続けて声を漏らした。
「何だよおい……チェルシーをクソ共にやられて、アリアも意味不明な状態って……チクショウが、今日ほど聖神に祈りを捧げてこなかったことを悔やんだ日はねえぞ……」
「……オルガ、そう心配するな。お前の顔を見て、かなり元気が出た。なんとかお前が帰るまでには……元に戻ってみせよう」
アルセリアは嬉しそうに微笑んで、先ほどよりも力強い語調で告げている。
しかし、それでも以前ほどの活力は感じられないが。
「頼むぜアリア……さっさと戻って模擬戦でもしてくれよ。魔法なしでもだいぶ強くなったんだぜ、オレ」
「あぁ、それは是非確かめてみたいな……」
二人の様子を端から見守りつつ、俺は少し期待した。
オルガの存在がアルセリアに元気を与えて、このまま回復してくれるのではなかろうか。
不安を押し込めて、俺は自分にそう言い聞かせた。
♀ ♀ ♀
オルガと一緒にみんなでディナータイムを過した。
無論……とは言いたくないが、アルセリアは食堂まで降りて椅子に座り続ける体力はないので、その日は特別にアルセリアの部屋で夕食となった。
幸い、彼女の部屋は広いので、九人と一頭が入っても問題なく食事できた。
その後、恒例のバスタイムとなった。
我が家に泊まることになる魔女は風呂を一緒しなければならないという暗黙の了解があるのだ(ということにしておく)。
婆さんはアルセリアの側で様子を見ているそうなので、それ以外の全員で入浴だ。
「オルガのおっぱい、クレアくらいおっきーね!」
全裸になって早々、リーゼがオルガのブツを見つめて驚嘆する。
しかしオルガは胡乱な眼差しで自分の胸を見下ろし、気怠くぼやいた。
「あぁ、コレか……デカいと邪魔なんだよなぁ。足下見えねえし、戦闘中は無駄に揺れて痛えし、乳の下に汗は溜まるし、出っ張ってっから飛ぶとき速度落ちてるだろうし……セイディが羨ましいぜ。なあ、クレア」
「い、いえあの、オルガさん、セイディに胸の話は……」
「――――」
セイディは虚な瞳でオルガとクレアの超兵器を眺めた後、自らの防壁を見下ろす。
そして妙に乾いた笑みを溢した。
「ハハ、まあアタシは足下バッチリ見えるし戦闘中は揺れないから痛みなんて当然ないし汗も溜まらないし出っ張ってないから飛ぶとき速度落ちないし……まさか天下の聖天騎士様に羨ましがられるなんてアハハハハハハハハなにこれ」
「セイディ」
俺は独り言のように淡々と呟く美天使の手を引っ張った。
純白の翼を力なく垂らした彼女はゆらりと俺に目を向けてくる。
「私はセイディのおっぱい、好きですよ」
「……でもローズ、そういえばアンタお姉様とかメルとかウルのは良く触ってるくせに、アタシのは全然触ってこないわよね」
「え、いや……そうですか? それはほら、なんて言いますか…………ね?」
「ね? じゃないわよおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
セイディは俺をきつく抱きしめてきながら悲痛な叫び声を上げた。
俺も悲痛な気持ちになってくるよ……この肋骨の感触を味わってると……。
「でも、大は小を兼ねるっていうし、どっちかっていえば大きい方がいいわよね」
顔を捻ってサラを見ると、自分の胸を両手で押さえていた。
サラは最近、胸が膨らみかけている……ような気がする。
なんかちょっと先端あたりが大きくなってきたし。
十歳半で大きくなり始めてるってのが、早いのか遅いのか普通なのかは分からんが、将来どうなるのかは楽しみだ。
「なんだ、サラはデカくなりてえのか?」
「べ、べつにそういうわけじゃ、ないけど……メルくらいにはなりたいわ」
まだオルガと打ち解けられないサラは少々ぎこちなく答える。
「まあ、確かにちょうど良い感じの大きさだわな」
「え、あの、そんなにじっと見ないでください……」
メルは俺たち全員から視線を向けられて恥ずかしいのか、腕で胸を隠した。
オルガの言うとおり、メルのは体格相応とでもいうべき普通サイズだ。
大きくもなく、小さくもなく、程良く実っている。
「あたしはセイディくらいがいい! クレア見てると、なんか重そうだし動きにくそうだからねっ!」
「リ、リーゼ、アンタって子は……」
セイディは複雑な表情を見せ、しみじみと呟く。
そして何を思ったのか、ようやく俺をアイアンメイデンの刑から開放してくれた。
「とりあえず、早く身体洗いましょうか」
クレアの一言で俺たちは協力して身体を洗い始める。
オルガの翼はセイディと同じく羽毛型なので、サラのような翼膜型より洗うのが大変だ。というか、やっぱりサラみたいな翼膜型の翼って他に見たことないな。
まあともかく、オルガはクロクスから飛んできたばかりだから、結構汚れが溜まっていた。
ちなみにアシュリンは毎日風呂に入っているので汚れも溜まっておらず、野郎の身体はすぐに洗い終えられる。
「おいローズ、べつに前までは洗わなくても良いぞ?」
「いえ、オルガさんも疲れているでしょうし、ゆっくりしていてください。私が全力でオルガさんの身体を隅々まで洗います!」
「お、おう、まあ良いけどよ……」
俺は聖天騎士様のお身体を丹念に洗ってやった。
柔らかな御山も触ってみたが、クレアと違って地盤が厚く、硬かった。全身もアルセリア並に筋肉質だし、どうやら胸筋による底上げがあるっぽかった。
いや、それでも十二分に柔らかかったし、デカかったんだけどね。
身体を洗い終えた後は全員で湯船に浸かる。
オルガは「あぁー……」と声を漏らし、リラックスしていた。彼女の御山もクレアのそれと同様に、湯にぷかぷかと浮いていた。
やっぱ乳トンの法則ってすげえな、おい。
風呂から上がると、色々雑談したりしたが、オルガは早めに寝ることになった。
どうやら結構急いで飛んできたみたいで、疲れているらしい。
時間ならたっぷりとあるので、婆さんたちと積もり積もった話をするのは明日以降になるようだ。
そうして、その日はオルガという来客を迎え、終わった。
尚、アルセリアは俺たちが寝る前になっても元には戻れていなかった……。
♀ ♀ ♀
オルガが滞在し始めて、五日後。
俺とリーゼの八歳の誕生日になった。
今年は去年のようにお祝いしたりせず、いつもより夕食が豪華な程度だ。
「初めまして、オルガ・オリファント卿。わたくしはウルリーカと申します、以後お見知りおき下さいませ」
夕食時、俺たちの誕生を祝いに来たウルリーカは仰々しくオルガに挨拶した。
婆さんに対するのと同様の態度だな。
ちなみにウェインも来ているが、あいつはもう三日前に挨拶を済ませている。
「おう、よろしくな。つか、そんなに気張らんでも良いぞ? 普通にしてくれれば良い」
「はい、ありがとうございます。それではわたくしなりに普通にさせてもらいますわね」
それほど臆した様子もなく、ウルリーカは素直に頷いた。
婆さんで耐性ができているのだろうし、ウルリーカはいま二十七歳でオルガと同い年だからという理由もあるかもしれない。
「あ、お姉様、こんばんは」
「こんばんは、メル。んー……やっぱりなんか良いですわね、この響き」
メルは館に来た当初に色々あって、ウルリーカに「お姉様」と呼ばせられている。初めこそぎこちなかったが、メルもすっかり慣れたのか、今ではセイディがクレアに対するように普通に呼んでいる。
「あ、ローズたちも呼んでみてくださらない?」
「ウルねーさまーっ!」
「お姉様」
「お姉様……って、そんなに良いものなの?」
俺たちがそれぞれ呼んでやると、ウルリーカは両頬に手を当てて身体をくねらせ、もっさりした頭髪を左右に揺らす。
「ほら、ウェインもお願いしますわ」
「なんでだよ……」
「つべこべ言わないで、さあほら」
「お姉様……これでいいのか?」
来期で十歳になるショタから呼ばれても、ウルリーカは変わらず満足げな顔で悶えている。
「リーゼ、わたしのこともお姉様って呼んでみて」
「サラねーさまーっ!」
「……よく分からないわね」
「そういえば、オレも昔は年下の魔女からそんな風に呼ばれてたが……何が良いのかさっぱり分からんぞ」
姐御もお姉様呼ばわりされてたのか。
外見的にも性格的にも同性からモテそうだし、なんか納得だ。
しかし、俺はウルリーカの気持ちが分からんでもないぞ。
なにせ前世では女装主人公がお嬢様校に潜入する系のエロゲもやってたからな。
もしリアルで美少女からお姉様と呼ばれることを思えば……
うん、なんか感動するかもしれん。
ウルリーカの場合はセイディがクレアをお姉様と呼び続けてきたのを見てきて、密かに憧れてでもいたのだろうか。
俺もいつか年下の美少女からお姉様と呼ばれたい。
「来たわね、ウル」
俺たちが一階ホールでくだらない雑談をしていると、セイディが食堂から顔を出す。
「そんなとこで突っ立ってないで、準備手伝って。ほら姐さんも」
セイディはこの前、オルガとクレアの三人で飲みニケーションを行い、持ち前の明朗さもあって、すっかりオルガと仲良くなっていた。
まあ、俺も一緒に寝たりして仲良くなったけどね。
それから俺たちはみんなで夕食を頂いた。
リーゼはアルセリアの部屋で食べようと言ったが、アルセリア本人が食堂で食べてくれと言って断った。
あまり気遣われすぎるのも心苦しいのだろう。
「ところで、アルセリアさんのご様子は如何ですか?」
食事の半ば頃、ウルリーカが空席となっている場所を憂い顔で見つめ、訊ねた。
「うむ……良くはなっておらぬの。一応、治癒と解毒の魔法も毎日掛け続けておるが、効果は出ておらぬ」
「わたくしの方でも色々調べてみましたけれど、やはり分からず仕舞いですわ……」
「ねえ、おばあちゃん、アリアずっとあのままなの?」
不安を煽られたのか、リーゼが心配そうな顔を見せる。
「じきに戻るはずじゃ。それに……最悪戻れずとも、今の様子を見る限り死ぬことはない。大丈夫じゃ」
だが最悪のケースを口に出すってことは、もう婆さんはそれを想定してるってことだ。
今のアルセリアは体力を激しく消耗し続けている状態なので憔悴している。
が、言ってしまえばそれだけだ。
ベッドの上で安静にしていれば生き続けられるだけの体力は保っているし、婆さんの言葉通り死ぬことまではないだろう。
代わりに、以前までのように動き回れなくなり、ほぼ一生ベッドの上だ。
……クソッタレ。
「同じ竜人たちなら、何か知ってたりしませんかね? 前線の町の方には修行に来てる竜人たちがいるっていいますし、訊きに行ってみるのはどうでしょう?」
俺は妙な焦燥感に背中を押され、そう提案してみた。
しかし、婆さんは苦い顔を見せる。
「訊きに行っても、素直に教えてくれるとは思えぬの。ローズもアリアから聞いて知っておろうが、竜人族は基本的に他種族に対して友好的とは言い難い種族じゃ」
「でも、アリアだって同じ竜人でしょ? 同じ竜人が困ってるって言えば、力になってくれるんじゃないの?」
「いや……アリアは既に一族から抜けておるからの。たとえ名を出さずとも、他種族と行動を共にしておると見られた時点で、一族を抜けた者と判断されるじゃろう」
「それってつまり、一族から抜けた奴は助けてくれねーってことか?」
ウェインが訝しげに問うと、婆さんは重苦しく頷いた。
「竜人族は同族の仲間に異常なほどの執着を見せるが、その反面、一度仲間から外れた同族には逆の対応をされると聞く。まともに取り合ってさえくれぬじゃろうな」
「なんだそれ、竜人族って意味分かんねー……アルセリアは全然そんな風に見えねーのに」
「だからこそ、一族を抜けてここにおるじゃ」
アルセリアの症状の原因も解決法も分からないし、何か知っているかもしれない竜人族は頼りにならない可能性大で、自力で調べても分からない。
いったい、どうしろと。
アルセリア本人の頑張りに期待するしかないってのか?
俺たちにできることは何もないのか?
「こうなったら、やっぱ星級か神級の治癒解毒か? オレとバアさんが頼み込めば、魔弓のババアも動いてくれんだろ。アリアとだって知らねえ仲じゃねえんだ」
「じゃが、フィロメラ本人の意向がどうであれ、聖天騎士という立場上、そう簡単には動けまい」
婆さんもオルガが渋い表情になって話し合う傍ら、メルがぽつりと呟く。
「でも、そもそもあれって、何かの病気なのかな?」
「うーん、そこからして分かんないのよねぇ……」
みんな心配している。
どうにかアルセリアが元に戻って元気にならないか、頭を捻っている。
だが、解決策は出てこない。
結局、その日も特に何の進展もないまま、終わってしまった。
アルセリアの状態は良くも悪くも安定しており、俺の旅予定も相談できず、前にも後ろにも進んでいない。
そしてなんだか、ここ数日は現状に少し慣れてさえいるように思う。アルセリアがベッドにいることが普通だと、そういう雰囲気が館に漂い始めている。
……俺はどうすれば良いのか、どうすべきなのか、分からなくなっている。
♀ ♀ ♀
それから、オルガという客人のいる日常が始まって、十日以上が過ぎ……
橙土期第九節。
状況が変化した。
悪い方へ、変わった。
ここ三節近く、アルセリアの全身は竜鱗で覆われていた。
しかしその日の朝、様子を見に行った俺たちは彼女の左腕の一部が変色しているのを見た。鮮やかな翠緑の竜鱗が、如何にも不安を駆り立てる黒色に変じていた。
そこでようやく、俺は認めた。
こうなったのは全て俺のせいなのだ、と。