第五十九話 『穏やかな日常』★
翠風期第五節。
麗らかな天気の下、俺は館西側の草地でユーハと剣を交えていた。
オッサンに師事して早くも一年以上が経過したので、一度真剣で切り結んでみることになったのだ。しかし、真剣といっても俺の真剣は魔剣だ。そして今回はユーハもクレアの魔剣――かつてエネアスというクソ野郎から鹵獲した《聖魔遺物》を使用している。
「――っ!」
まるで俺の意識の間隙でも突くようなタイミングで、ユーハが黄金剣を突き出してくる。無論、ユーハは実際に俺を串刺しにはせず寸止めするという話で、既にこれまで幾度か寸止めされてはきたが、どの剣撃にも迫力があった。
率直にいえば、戦い慣れていない俺でも分かるくらいの殺気が乗っているのだ。
ほとんど反射的に動き、迫る魔剣の刺突軌道を魔剣で逸らして、そのまま防御から攻撃への一撃に変えて繰り出した。こちらの攻撃は手加減などできないので、全力だ。だがユーハは余裕綽々に躱して見せて、右手に持った得物を閃かせる。
迫る剣閃をなんとか避けて、更に追撃してくる魔剣を魔剣で受け流しつつ、舞い散る燐光が消えぬうちに俺は風魔法による加速を得たスピードで一度大きく距離を取った。
「…………」
「…………」
俺もユーハも何も言わない。
というか、俺には言葉を発する余裕などなかった。息は乱れ、冷たい汗を全身から滴らせ、五リーギスほどの距離を置いて相対するオッサンが、次にどう出るのかを見極めるのに必死だった。
正直、ユーハは俺のことを本気で殺しに来ているのではと思えるほど、繰り出される剣には凄味が出ている。現に俺は死の恐怖を感じているし、静かに佇むオッサンからは敵意害意あるいは殺意が滲み出ている。
これは稽古で、もう何度も寸止めされているから、本当に殺す気などないことは明白だが……理性はともかく、俺の本能は警笛を鳴らし続けている。
まだ真剣稽古を始めて間もないが、こちらの体力は早くも限界を迎えている。
緊張感が無駄に体力を奪い続けているのだ。
俺は静かに深呼吸をした――瞬間にはユーハが目の前にいた。袈裟斬りを見舞ってくる魔剣を俺の脳は知覚するが、身体の方が反応しきれず、
死んだ。
と思ったら、肩口のところで寸止めされていた。
「……これで六度、ローズは死んだ」
「…………」
「相手に呼吸を読ませてはならぬ……隙を与えるだけだ。仮にそれを戦術に組み込むとしても、現在の技量では不可能である」
淡々と告げるユーハに俺は「……はい」と掠れた声で返事をする。
オッサンは魔剣を下ろし、俺と距離をとって、再び構えた。
どうやらまだ休憩させてはくれないらしい。
大きく息を吐き出して気持ちを入れ替えると、こちらも構えた。
魔剣は真剣と違い、軽い。
故に非力な幼女でも容易に振ることができるし、刃も峰もないので斬撃時に刃筋を気にする必要がなく、更に刃毀れなどの刀身の損傷を気にすることもない。刃に重量がないため必然的に一撃一撃は軽くなるが、高質な魔剣は岩だろうと鋼鉄だろうと豆腐のように切り裂ける。
魔剣を防げるのは同じ魔剣か、あるいは無属性魔法の盾か、耐魔性の高い素材で作られた物など、そう多くはない。
しかし、魔剣はその有能さに比例して、魔力の消費量が半端ではない。戦闘中は常に魔力を込め続けていなければ刀身を維持できないし、魔力が枯渇すれば刀身も消える。
その点、《聖魔遺物》の魔剣は反則だ。魔力を込める手間がなく、たとえ柄から手を放そうとも刀身は形成され続ける。俺の魔剣の柄には蓄魔石が組み込まれているので、柄頭のつまみを捻れば、魔力の供給を絶っても十秒程度は保持させることが可能だが、あくまでも一時的なものだ。
魔法具の魔剣は適性属性によって刀身の色が異なる。
俺の魔剣は白濁色――もとい白色だ。微妙に銀灰色っぽく濁っている気がするが、気のせいだ。良く見ないと分からないし、誤差の範囲だ。俺は白薔薇だ。
カラーは蓄魔石の色と同じなので、リーゼが使うと赤く、サラが使うと黒くなり、クレアは橙、セイディは青、アルセリアは緑で、メルは黄色になる。ユーハの魔剣は《聖魔遺物》なので眩い黄月色だが、これはメルのような光属性適性者の色合いとほぼ同じになる。
魔剣には増魔石が内蔵されているようで、それを核にしてビームソードになるよう作られてるっぽい。だから使用される増魔石の質によって刀身の質も決まってくる。ちなみに俺の使用している魔剣は最高級品だ。元は婆さんが十年以上も前にこの館へ来た際、念のためにと持ってきたものらしい。
現状のように魔剣使いと魔剣使いが相対し、斬り結んだ場合、低質な魔剣は高質な魔剣に打ち負ける。具体的にいえば、刀身を接触させ続けると低質魔剣の刀身を高質魔剣の刀身が徐々に浸食し、仕舞いには低質魔剣の刀身を維持する増魔石が過負荷によって割れてしまう。
《聖魔遺物》の魔剣は俺の使用する最高級品よりやや強いため、長時間連続して斬り結ばせ続けると、押し負けることになる。低質な魔剣だと、岩なら斬れても鋼鉄は斬れない、といったこともあるので魔剣の品質は重要極まる。
こうして比べてみると、魔法具の魔剣は《聖魔遺物》の魔剣より低スペックであることが分かる。魔力は馬鹿みたいに消費するし、手放せば刀身を維持できなくなるし、適性属性も明らかになってしまって、最高級品でさえ《聖魔遺物》の刀身強度には及ばない。
しかし、この四つのデメリットに対して、魔法具の魔剣には特有のメリットが二つある。一つは刀身の長さを自在に変えられることだ。魔力供給量を増やせば刀身は長くなり、減らせば短くなる。ただその分、刀身の長さを一定に保つのには結構な慣れが必要だし、長くすればするほど魔力の消費量も増大する。
「…………」
俺は手にしている魔剣の刀身を六十レンテほどから限界の三リーギスほどまで伸ばした。ユーハの魔剣は柄を合わせても一リーギス程度だ。
剣は近づかなければ当てられない。
まだこの戦法は試したことがなかったので、この機会に試してみることにした。
自分から攻め込むのは苦手だが、今度は俺から先制することにする。ユーハの間合いの外から、水平に魔剣を振り回してやるのだ。柄の重さしかないから、幼女な俺でも広範囲に素早く往復斬りできる。たぶん通常の剣を使う並レベルの剣士なら、これだけで剣や鎧ごと切り裂いて倒せるはずだ。
ユーハは一瞬眉をしかめたが、あっさりと俺の魔剣を魔剣で受け止める。火花の代わりに淡い燐光が舞い散り、オッサンは俺の剣を外側へ弾こうとした。が、俺はその前に刀身を消し、柄を真っ直ぐオッサンの胴体にロックオンして、如意棒さながらに一気に刀身を伸ばした。
不意を突いたはずの一撃は、しかし予定調和の如く躱される。そして目にも止まらぬ速さで間合いに入られる。鬱顔とパッツンヘアーとイエローアイパッチ姿なのに、背筋が凍るような殺気を感じ、俺は一瞬怯んで隙を晒してしまう。
寸止めする気配など微塵も感じられない唐竹割りを繰り出されたので、ほぼ無意識的に全身を大きく捻って回避する。
勢い余ってユーハに背中を晒してしまうが……俺はそこに勝機を見た。右手の魔剣で切腹するように、自分の腹越しに背後のユーハへ攻撃する。
魔法具の魔剣特有のもう一つのメリットが、これだ。
魔剣は使用者自身を傷つけられない。
剣の扱いは思った以上に難しく、初心者が勢い余って自分の足や胴まで傷つけることが間々あったりする。しかし魔剣なら、剣などろくに振れない奴が無茶苦茶に魔剣を振り回そうと、自傷する心配がない。
更に奇策としても使える……はずだが、
「ローズよ……半端な奇策は下策である。そなた、真面目にやっておるのか……?」
「……はい、すみません」
ユーハには当然のように意味を為さなかった。
簡単に受け流されて、首筋に魔剣を添えられ、少し呆れたようにそう言われた。
「ふむ……相当に疲れておる様子。少し休憩にするか……?」
俺は一も二もなく頷いた。
そしてその場に倒れ込み、仰向けになって青い空を見上げる。わたあめのような雲が漂っており、空の高さと深さが窺えた。
全身で呼吸を整えながら、俺は三年ほど前のことを思い出す。あの夏の日は蒸し暑く、大きな入道雲が浮かんでいた。順調に港町バレーナへの道中を消化していたのに、グラサンの白髪女に襲われて、刺された。
確かに、俺はあのとき刺されたのだ。
でも無傷だった。
単純に理由を考えれば、あいつの魔剣が俺に通用しなかったからで、ではなぜ通用しなかったのかといえば……と思考を進めることになるが、あの女が俺自身ということになるなど、さすがに飛躍しすぎているし意味不明だ。
そもそも俺の服は切れていなかった。
修繕した形跡もなく、新品の別物というわけでもなく、何事もなかったかのように無傷だった。そう考えれば、アレは全て俺の幻ということになる。
実際、俺はあのとき痛みなど感じなかった。しかし、それは今し方、俺が自分で自分の腹を刺して何も感じなかったのと同じだ。ということは、やっぱり俺は刺されていて、でもだったら服は……と堂々巡りに陥る。
三年経った今、あのときの襲撃は現実だったのか幻だったのか、俺は訳が分からなくなっていた。だから、もうそのことについての思考は止めている。いくら考えても分からないのだから、考えるだけ無駄だ。
「あー……気持ちいい」
俺は寝転がったまま、水魔法で服の上から全身に水を浴びせた。
前世の子供時代でも、ここまで疲れるほど身体を動かしたことはなかった。ここ一年以上の俺は実に健康的な幼女として成長できている。
「ローズ、すまぬが水をもらえぬか……?」
「あ、はい」
ユーハは少し離れたところで胡座を掻き、コップを手にしている。
俺はずぶ濡れのまま起き上がって近くに座ると、コップに水を入れてやった。
「……かたじけない」
「いえいえ、こちらこそ」
ユーハは汗一つ掻いていない。
今日の鬱度は……30%くらいか。まあまあ安定している。
「ローズよ、少々訊ねたいのだが……」
「なんですか?」
応じると、ユーハはコップの中に左目を落とし、呟くように言った。
「ローズは……某が怖いとは、思わぬのか? 厳しくしすぎて嫌いになったりは、せぬのか……?」
今のユーハは先ほどの殺気など微塵も感じさせない、ただのオッサンオーラを纏っている。いや、ただの鬱をこじらせたオッサンオーラだ。
「べつに思いませんけど……もしかして、私がユーハさんを嫌うと思ってるんですか?」
「あいや……そのような、ことは……」
オッサンは言いかけるが、ふと重たい吐息を口から溢して、ゆるゆると力なく首を横に振った。
「……すまぬ、正直に申せば、少し思っておる……いや、思っておったのだ」
「私、そんなに物分かりの悪い子に見えますか? ユーハさんが厳しくしてくれているのは私のためを思ってのことだと、ちゃんと分かってますよ。感謝こそすれ嫌いになんてなるはずがありません」
まったく、ユーハは心配性だな……とは言えない。
もうアレから三年近く経つのでオッサンの鬱も結構和らいできているが、まだ完治したとは言い難い。まあ、あの頃より確実に良くはなったが。
「ローズが人一倍賢く、優しいことは知っておる……これは、今まで黙っておったことだが……某は昔、ユーレンに厳しく教えすぎて、嫌われたのでな……」
「……そう、ですか」
暗澹とした面持ちで言われ、俺は深くは追及せず、軽く相槌を打つだけに留めた。
ユーレンとはオッサンの息子の名前だ。
これまで俺はユーハと色々なことを話してきた。
だからオッサンの過去も大まかにだが知っている。
忠誠を誓っていた主に見捨てられ、親友に妻をNTRされ、一人息子にまで見限られて右目を失い、挙句に誰からも誤解されて悪者扱いされて……という話は、ダイジェスト版なら出会ったその日に聞いたことだ。詳細も少しずつ聞き出してきたが、息子に見限られた理由までは聞いたことがなかった。気になってはいたが、こちらから無理には聞き出せなかったからな。
しかし……いま思えば、ユーハはよく俺に剣を教えてくれたな。厳しい稽古のせいで息子に嫌われたらしいのに、俺にもきちんと厳しくしている。
きっと辛いはずなのに。
「ありがとうございます、ユーハさん」
「……うむ」
ユーハは目を閉じて、微かに頷く。
表情は暗いが、口元はどことなく柔らかな笑みが浮かんでいる……ように見える。俺がそう見たいだけなのかもしれないが。
その後、俺たちはしばし休憩して、再びスパルタ式な稽古を始めた。
本音を言えば、師匠時のユーハは少し怖いし厳しくもあるが、俺は充実感を得ている。一年前に比べれば、確実に動けるようになってきている。たぶんそこらの農民のガキとチャンバラしても、余裕で勝てる。剣の心得のない大人と戦っても、たぶん勝てる。
昼頃になると剣術稽古を切り上げて、中庭で昼食となった。
ユーハは男なので食堂にこそ入れられないが、最近はサラ&セイディ組、リーゼ&メル&アルセリア組とも合流して、みんなで昼食をとることが多い。メルも護身術習得のため、アルセリアに師事しているのだ。でも正直、彼女は運動神経があまりよろしくないので、上達はリーゼより格段に遅い。
尚、俺は密かにランチタイムのハーレム効果でユーハの鬱が和らいでくれることを期待していたりする。まあ、女で元気になるなら、とっくに完治してるだろうがね。
「あっ、ちょっと待ってくださいユーハさん」
昼食を終えて、ユーハがディーカの町に戻ることになったとき、俺はふと思い出して引き留めた。ユーハは何も聞かず「うむ……」とだけ言って、一階ホールを歩いていた足を止める。
俺は階段を駆け上がり、自室からブツを抱えてホールに戻ると、オッサンに笑顔を添えてプレゼントしてやった。
「む、これは……?」
「絵です。ユーハさんを描いてみました」
「……某の、絵?」
ユーハは五十レンテ四方程度のキャンバスを持って、俺の作品を鑑賞する。
まあ、この絵も練習として描いたものだが、なかなかの出来ではあるはずだ。
「――――」
どうやらユーハは感動のあまり言葉が出ないようだった。
無理もない、俺のような可愛らしい七歳の幼女から似顔絵をプレゼントされたのだ。癒やし効果抜群だろう。前世の俺が同じことをされたら失禁するほど喜んだはず。だから決して、俺の画風とそれによって描かれた自分自身に驚愕しているのではない……はずだ。うん、そのはずだけど、不安になるから何か言って欲しい。
「かたじけない……まことに……まことに、感謝する……ありがとう、ローズ……生涯の宝にしよう……」
「い、いえ、それほどでも」
俺はそう答えるだけで精一杯だった。
オッサンは感極まったように涙を流しているのだ。まさかここまで喜ばせるとはさすがに思っていなかったので、俺も戸惑ってしまう。
「えっと、その……では、また明日!」
とりあえず俺は笑顔を振りまいておいた。
「うむ、また明日も……明日からも、よろしく頼む……」
ユーハは感動に打ち震えた声でそう言い残し、去って行った。
幸いと言っていいのか、今のシーンは誰にも見られなかった。
俺はオッサン泣きの驚きが未だに抜けきらないものの、同時に言いしれぬ満足感を味わっていた。
誰かに泣かれるほど感謝されるなど、前世では到底あり得ないことだった。
オッサンの鬱が治ってきているように、俺も着実に変われてきているのだ。
♀ ♀ ♀
紅火期第一節。
その日も俺は最高のひとときから一日を始める。
目覚めると、右隣にはいつものように獣耳美少女が横たわっていた。垂れた獣耳と少女らしさの色濃い端正な容貌は綺麗というより可愛い部類に属する。彼女は先々節で十六歳になったばかり――前世でいえば高校一年生にあたる年頃だ。
寝起きのいい俺の脳は既に明晰な思考を繰り出せる。だがすぐに起きたりせず、隣で眠る美少女の感触を堪能する。横になったままメルのシャツの裾から左手を突っ込み、柔らかな御山を直に味わう。
何度手にしても飽きない、至高の感触だ。
クレアほど豊満ではないが、セイディほど寂しくもない。おそらくはBカップくらいだ。でもまだ発展途上なので、将来的にはもう少し大きくなるだろう。毎朝俺が頑張って揉んでるから、たぶんCくらいにはなるはずだ。すべすべの肌、独特の揉み心地、安心できる体温、なんかよく分からん甘い匂い。
毎朝がボーナスタイムだ。
「ん……ローズ……?」
左右交互にしばらく堪能していると、いつも通りメルが目を覚ました。
だが、彼女が俺を咎めることはない。
既にこれは習慣なのだ。して当然の行動として認知されているのだ。
「おはようございます、メル」
「うん、おはよう……ローズ、そんなにわたしの胸、好きなの……?」
答えは行動で示した。
するとメルは困ったような、でも愛おしいような柔和な笑みを浮かべて、髪を梳くように頭を撫でてくる。
「もう、朝のローズは甘えん坊だね」
優しすぎる。
前世でもこんな姉が欲しかった。
でも今まさに側にいるから、俺は満足だ。
「んぁ…………朝か!?」
数分ほど至福の時間を過すと、リーゼが自然と目覚める。
一日の活力を得た俺は三人で起きて、まずはぞろぞろとトイレに向かう。
「今日は私が起こしてきますね」
サラは自室で一人で寝ているが、誰かが起こさないとベッドから出てこない。
最近はリーゼのハイテンションでなくとも起こせるし、むしろ騒がしく起こすと少し不機嫌になるので、いつもはだいたい俺が一人で起こしに行っている。
ノックはするだけ無駄なのでそのままサラの部屋に入り、横たわる彼女を揺すって覚醒を促す。
「ほら、サラ、起きてください」
「……ん」
踏ん張って上体を抱き起こすと、サラは寝ぼけた瞳に俺を映した。
と思ったら、いきなりキスされる。何度目かはもう分からん。慣れるほどされてしまったので、カウントなんてとっくの昔にやめている。唇を合わせるだけのお遊びめいた可愛らしいキスなので、もはや気にならなくなっているのだ。
……俺も成長したな?
「ぉはょ……ローズ」
微睡みの抜けきらない声で言って、サラはゆっくりとベッドから降り立ち、ふらふらと部屋を出て行く。
部屋に戻って着替えた後は幼女三人と少女一人、更にデカいペットと一緒に館の周りを走り込む。朝から軽く汗を流した後はシャワー代わりに水魔法で行水し、サラに髪を梳いてもらったりした。いい加減、この長い髪は切ってしまいたいが、まだ時機ではないので今しばらくの辛抱だ。
いつも通りの朝を迎えて、みんなで朝食を食べ、みんなで家事をする。
その後から剣術稽古までは自由時間だが、だいたいはアシュリンの散歩に費やされる。
「行くぞーアシュリーン! ローズとメルも早く乗ってっ!」
アシュリンの背中に飛び乗って、リーゼが待ちきれないように身体を前後左右に揺らす。俺はリーゼの後ろに座り、俺の後ろにメルが騎乗した。
やっぱりアシュリン、三人乗っても大丈夫!
我が家のペットは驚異的な成長速度によって、既に図体は三リーギス近い。たぶん今年中には成長しきるだろう。どこぞの物置のように百人乗るのは面積的に無理だが、三、四人くらいなら騎乗できるキャパがこいつにはある。
サラを加えた四人と一頭で空中散歩に出掛け、森の中も少し歩かせてから、家に戻る。散歩中は割と暇なので、俺はメルから軽くネイテ語を教わっている。毎日だいたい三十分くらいのネイテ語講座だが、一年続ければ約百八十時間の勉強になる。馬鹿にはできん。
館に戻った後、俺は絵を描き、リーゼはアシュリンと遊び、メルとサラは一緒に本を読むことが多い。ちなみに以前俺が描いたみんなの集合絵はホール二階の階段前に飾られてしまった。必然的に階段を上るときはいつも目に入ることになる。なぜか婆さんがいたく気に入り、半ば強制的にそこへ飾られてしまったのだ。
まあ、俺としても当然悪い気はしていないが、少し恥ずかしい。
武術の稽古に打ち込み、昼食を食べ、少々の休憩を挟んでから魔法の練習をして、その後は勉強時間になる。館には山ほど本があり、博識な婆さんとアルセリア、隠れS属性な黒髪美人教師がいるので、学習環境は非常によろしい。
俺の脳は自分でも驚くほど記憶力が優秀なので、大人になって衰える前に可能な限り知識を詰め込んでおいた方がいい。
そして勉強後、俺たち幼女三人組とメルは厨房に立っていた。
「さて、それじゃあ作ろっか」
「あたしお肉焼くー!」
一日料理長をメルが宣言すると、リーゼが威勢良く応じた。
本日はクレアの二十五歳の誕生日だ。毎年誕生日を祝っているわけではないが、二十五というややキリの良い歳なので、俺たちが晩飯を作ることになった。普段から美味しい食事を用意してくれるクレアに恩返ししようというわけだ。
俺もリーゼもサラも、日頃から交代で料理は手伝っているので、腕前は……まあ問題ない。メルはほとんど毎日クレアたちと作っているので大丈夫だ。
初めての四人だけの調理に色々とあたふたしつつも、順調にサラダやらスープやらを作っていく。途中でクレアが心配そうに覗き込んできたが、リーゼとサラが全力で追い出した。
「ローズ、本当に大丈夫?」
「任せてください、これでも自信はあります」
そう答えながら、俺は溶いた卵をフライパンに少量流し込んだ。
俺が作ろうとしているのはみんな大好き卵焼きだ。驚くべきことなのか微妙だが、この世界にも普通に卵焼きはあった。というか、前世の料理は和洋中問わず似たようなのが結構あるっぽい。
「ローズ上手いわね……」
俺の腕前を見てサラが唸っている。
実際、かなり上手に作ることができた。
これでも日本人を三十年やってたからね、簡単な和食くらい作れますよ。まあ、さすがにクレアほど上手ではないが……。
四人で楽しく料理して、食堂へ運ぶと、ディナータイムになる。
俺は卵焼き、リーゼはステーキ、サラはスープ、メルは他の細々としたものを作った。クレアは並ぶ料理を見て、しみじみとした笑みを浮かべ、感極まった声で言う。
「みんな、ありがとう。とても嬉しいわ」
両の瞳が潤んでいることからも、喜んでいることは確かなようだった。
というか、感動しすぎてどう反応すれば良いのか困っている感じがする。
俺とメルは未だしも、クレアはリーゼとサラが物心付く前からずっと面倒を見てきている。そんな実の娘同然の二人が、自分たちだけの力で、料理を作ってくれたのだ。その感動は当人でなければ味わえないものだろう。
食事を終えると、みんなで風呂に入る。
今日は婆さんもアルセリアも一緒だ。
無論、アシュリンも。
我が家の巨大ペットは生まれて間もない頃から毎日風呂に入り続けてきたせいか、風呂が大好きだ。幸いにも湯船は大きいので、アシュリンの巨体も収まってしまう。ちなみに、アシュリンはしばしばデカい図体で小さなリーゼに擦り寄り甘えているので、このままではグルメで風呂好きのマザコン野郎になってしまうだろう。みんなを害したりする気配がないのは良い事だが、なんかペットとして色々とヤバい気がする。
風呂から上がった後、俺はアルセリアと一緒に竜人語の勉強となる。
しかし、もう竜人語はほとんどマスターしてしまった。竜人という種族や彼らの住まうカーウィ諸島についての知識も深まったし、最近はあまり教えてもらうことがない。代わりに最近は竜人語で雑談しているのだ。
「そういえば、アルセリアさん。私とリーゼの誕生日から何度か、また竜戦の纏を無意識的に使ってますけど、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ、そう心配することはない。普段の体調にも特に異常はないしな」
「でも、たまに転移した直後に、ああなってますよね? あの転移盤、大丈夫でしょうか? 何か体調に問題が出たりとか……」
俺たちが日常的に使用している転移盤は《聖魔遺物》だ。
《聖魔遺物》の大半は解明されていない謎技術の塊でできているらしいので、今更の話、使用してどんな副作用があるのか分かったものではない。
「マリーも言っていたが、アレを使用して体調不良になるという話は記録にも残っていない。そもそも人体に悪影響が出るようなら、初めから使ってはいないさ」
アルセリアは相変わらず格好良い微笑みを浮かべながら、俺の頭を撫でてくる。
なぜかアルセリアから言われると妙に説得力があるように聞こえるし、そうだろうなと納得できてしまえる。きっと騎士団時代は相当な人徳があったに違いない。
「ところで、ローズ」
「なんですか?」
「ここを出て行くという話、以前に聞いたが……その考えはやはり変わらないか?」
何でもないような口調で突然訊かれたので、少し虚を突かれてしまう。
だが、俺は自分に言い聞かせるように、はっきりと答えた。
「はい、変わりません」
「そうか……そうだろうな。来年の翠風期に発つということだったが、そうなるとあと二期半くらいか。皆にはいつ言い出すつもりなんだ?」
「三節くらい前にしようと思ってますけど……アルセリアさんはどう思いますか?」
「そうだな……いや、ローズがそうしようと思ったのなら、それでいいと思うぞ」
何か言いかけたが、アルセリアは微笑の奥にそれを隠してしまう。
もしかしたら、本当はもっと早く言った方がいいのかもしれない。みんなにも別れを受け入れるだけの時間が必要だろう。
しかし、リーゼとサラはほぼ確実に俺を引き留めてくるか、同行を申し出てくるはずだ。それはまず間違いない。べつに今生の別れになるわけではないが、しばらく会えなくなることは確かなのだ。
一期ほど前から話してしまうと、それだけ長く二人の要求に晒されることになり、俺はそれに耐えられる自信がない……やはり、三節前でいいか。
それから俺はアルセリアと他愛もない話をした後、リーゼとサラ、それにメルの四人で少し勉強して、ベッドに入った。
館を出て行けば、もうメルやリーゼと一緒に寝られなくなる。
一人になるのだ。
そう思うと決意が鈍りそうになるが、俺はもうこの想いを貫くのだと決めている。今のうちに人肌の温もりをたっぷりと堪能しておこう。
というわけで、今日はこの手に至福の感触を味わいながら寝ることにする。
「もう、ローズはほんとにおっぱい好きだね?」
「違います、私はメルが好きなんです」
正確には美少女のおっぱいが好きなんです。
「わたしもローズのこと、好きだよ。リーゼもサラも……みんな大好き」
メルは愛おしげに両の目を細めて、俺の頬に掛かった髪に触れ、そのまま梳くようにゆっくりと撫でてくれる。
甘ったるいまでの優しさを持つのがメレディスという美少女だ。
俺は心身共に完全にリラックスして、心地良い微睡みに浸った。
この安らかな日常を堪能できる時間も残りは半年と少しだ。
来たる非日常に向けて、今のうちにたっぷりと英気を養っておこう……。
♀ ♀ ♀
紅火期第八節。
俺がリュースの館で生活し始めて三年以上が経った。既に俺はその十倍以上を生きてきたが、ここ三年に勝る幸福な思い出は存在しない。それほどこの日常は甘美で心地良く、俺もすっかり異世界での生活に慣れきってしまった。
今の俺なら、もしゲームや漫画といった二次元的娯楽があっても、目の前にある三次元を迷わず優先するだろう。前世とは違い、俺は現実の世界に正しく生きている。だからこそ、胸の奥底にあり続ける後悔めいた心残りを無視できない。
俺がローズとして今を生きているのはレオナ、そしてラヴィたちがいたからこそなのだ……ということを思いながら、昼食後の現在、俺はレオナ絵をまた一枚完成させた。これで五枚目だ。
一枚目から順に並べて比較してみると、着実に画力が上がっている。
「ねえ、ローズはなんでレオナの絵ばっかり描いてるの?」
休憩がてらに見比べていると、俺の作業を魔物野郎と共に端から見ていた幼狐が疑問を投げかけてきた。リーゼやみんなにはレオナが俺の奴隷幼女時代の友達だとは話したが、それ以上は話していない。
……そろそろ、ここらでそれとなく別れを匂わせておいた方が良いだろう。
「私はレオナが忘れられないんです。また会いたいなと思っているので、こうしてその気持ちを表現しているんです」
「会いたいなら、会いに行けばいいよっ。レオナはいまどこにいるの?」
「それは分かんないですけど、探せば見つかるかもしれませんね」
かもしれない。
あくまでも可能性の話だ。
俺がしようとしていることは、いま目の前にある安息を捨てて、微かな希望を追い求めることだ。安定志向の俺は博打が嫌いだが、ずっともやもやした気持ちのままでいるのも我慢できない。
リーゼは俺の言葉を聞いて何を思ったのか、いつもの天真爛漫な笑みを満面に咲かせた。
「レオナはきっと生きてるんでしょ? 死んじゃったらもう会えないから、ローズが会いたくて、探せば見つかるかもしれないなら、探した方がいいかもね! もし探すならあたしとアシュリンも一緒に探すよっ!」
「……ありがとう、ございます」
なんとなく気まずくて、俺はただそう答えるだけで精一杯だった。
密かに溜息を吐いて気持ちを入れ替えると、俺は六枚目を描くために木炭を手に取った。暗い気持ちになったり、深刻になったりしても仕方がない。
人生は明るく楽しくいかなきゃね。
笑顔を忘れちゃいけないよ。
リーゼとアシュリンはバルコニーで日向ぼっこをし、俺は一人黙々と作業していく。しばらくすると、サラと婆さんが部屋に入ってきた。
「ローズ、リーゼ、魔法の練習するわよ」
「あ、もうそんな時間ですか」
婆さんが寝入ってしまったリーゼを起こす傍ら、俺は軽く片付けて、過去作をベッドの下に仕舞っていく。
「ローズ、そんなに同じ絵ばっかり描いてて、楽しい?」
「え、まあ……楽しいですよ」
「ふーん、そっか」
サラは思案げな顔で先ほど描き終えたばかりの五作品目をじっと見つめている。
「ローズ、こういう子が好きなの?」
「え?」
「わたしとは全然似てないわね……」
独り言のように呟くサラの言葉を、俺は深く考えないようにした。
現在、サラは十歳だ。
顔立ちも少しずつ大人びてきていて、身長もどんどん伸びている。もう幼女というより少女と表した方がいいかもしれない。実際この前、風呂でサラの胸を軽く触ったら、痛いとか言って怒られたけど、微妙に柔らかかった。
ちなみに俺の身体も順調に成長している。
今の身長はおよそ百二十レンテくらいだと思う。
リーゼは俺より十レンテくらい小さい。
婆さん監督による魔法練習にはたまにクレアやセイディも参加する。メルは俺たちと同じレギュラーメンバーだ。この三年で俺の魔法はかなりレベルアップし、もはや館では婆さんとアルセリアに次ぐ魔女となった。といっても魔法が巧く使えるだけで、魔法戦闘となると話は別だ。俺は魔法士としての実戦経験がほとんどないので、未熟であることに変わりはない。
最近は上級魔法の同時行使を練習しているが、なかなかできないでいる。
中級魔法の方は欠伸しながらでも可能となったが、上級魔法はまた格段に難易度が上がっているので、全然できない。
尚、他のみんなは、リーゼが初級、サラが下級、メルが初級、クレアが上級、セイディが中級、アルセリアが特級、婆さんが覇級までの魔法を同時行使できる。
やはりというべきか、メルくらいが年齢に見合った一般的な魔女レベルらしい。
この状況を思えば、俺は結構優秀ということになる。
しかし、満足感など覚えることはできない。せめて特級魔法まで同時に使えるようにならなければ、安心できないからな。
婆さんから聞いた話によると、魔法士の中でも人間は特に、下級風魔法の〈風速之理〉を好んで使う傾向にあるらしい。これは移動速度を速めることのできる大変有用な魔法だ。しかし、行使中は常に一定の集中を保つ必要があるため、魔法の同時行使ができない魔法士は高速移動中に他の魔法を使うことができない。それは水上移動を可能とする上級水魔法〈浮水之理〉や、壁面などを重力無視して移動できる上級闇魔法〈邪道之理〉でも同様だ。
つまり、もし水上で戦うことになったとき、上級魔法を使いながら他の魔法を使えなければ、魔法という超パワーを攻撃や防御に回せなくなる。
プローン皇国までの道中は長く険しい道のりになるだろうし、何が起こるか分かったものではない。あらゆる状況を想定して、できる限り万全の準備を整えておかないと、あとになってきっと後悔する。もう後悔の苦味は二度と味わいたくないので、俺は日々の練習を真剣にこなしていく。
「川に行こう!」
久々に全員参加で魔法の練習をしていると、何を思い立ったのか、いきなりリーゼがそう叫んだ。みんなは練習を中断して、セイディが微苦笑しながら俺たち全員の気持ちを代弁する。
「また突然ね、この子は。どうしたの、いったい」
「そろそろ寒くなってくるから、今のうちにいっぱい川で遊んでおきたい! だからみんなで川に行こーっ、そして泳ぐんだっ!」
リーゼの主張に賛成するように、婆さんの隣でお座り見学していた巨大ペットが「ピュェェ!」と声を上げる。
「アシュリンも遊びたいって言ってる!」
「今日は天気もいいし、まだ少し暑いくらいだから、わたしはいいと思うな」
案の定というべきか、まずメルが賛同する。
「まあ、川なら川で水魔法の練習できるから、いいかな」
「お姉様、どうします?」
「私はいいと思うわよ。今のうちに思い切り遊ばせておかないと、寒くなってからも行きたいって言うだろうしね」
サラもセイディもクレアも反対せず、アルセリアと婆さんは頷いたり肩を竦めたりしている。俺も特に反対というわけではない。
魔法の練習は大事だが、みんなとの思い出も作っておく必要がある。リーゼたちともっと遊んでおけば良かったと、後になって悔いても遅いからな。
そんなわけで、魔法の練習を一旦打ち切って、午後のピクニックと洒落込むことが決まった。ここクラジス山脈のあるリュースの森には幾つか川が流れており、そのうちの一つへ向かう。
移動にはアシュリンという我が家の優秀な乗り物を利用する。既に身体はほとんど成体なので、リーゼ、メル、クレア、アルセリア、婆さんの五人が騎乗した。
五人も乗せると無茶な飛行はできないため、リーゼは安全運転だ。サラとセイディは自前の翼で、俺は天使に抱っこされて空を移動する。
「あたしが一番だーっ! あはっ、冷たい!」
「相変わらず豪快な脱ぎっぷりですね」
リーゼは川岸に到着すると、あっという間に全裸になって、穏やかにせせらぐ清流に吶喊していく。アシュリンは空からダイブして大量の水飛沫を散らし、リーゼはそんなペットと歓声を上げて戯れている。
絵面的に、美女と野獣ならぬ幼女と魔物って感じだ。
川幅は広く、二十リーギスほどある割りに、水深は一番深いところで七、八十レンテくらいだ。大自然の只中を流れているだけあって水質は抜群に良好で、この三年の間にも何度か来たことがある。人気など当然皆無なので、全裸でどれだけ騒ごうと、俺たち以外の誰かに見られる心配はない。
「メル、あっちで魔法教えて」
「うん、いいよ」
サラはメルと魔法の練習をするらしい。
二人は靴を脱ぐと、浅瀬の方で上級水魔法の練習を始める。
「ローズ早くこっちっ!」
リーゼから呼ばれたので、俺も服を脱いで泳ぐことにする。
こうして大自然の中で全裸になると奴隷幼女だった頃を思い出すが、あのときと違って俺は自由だ。しかし、この解放感を伴う気持ちよさは、なんか癖になりそうで少し怖いな……。
「お姉様、アタシたちも足くらいは入ってみましょう」
「はじめはそれだけのつもりでも、リーゼに水を掛けられて全身びしょ濡れになりそうだけれどね」
セイディとクレアも靴を脱いで素足を晒し、それぞれズボンとスカートを捲り上げて入水する。天使のような白翼美女と大和撫子的な黒髪美女、どちらも脚線美が見事すぎて、実に絵になる光景だ。
「こうした場所で読書をするのも、また一興じゃな」
「マリーは相変わらずだな」
婆さんはデカい石に腰を下ろして、足を水に浸けて涼みながら読書を始める。
その隣にアルセリアも座って足だけ流水に晒すと、石の上に寝転がって深く息を吐く。
俺とリーゼとアシュリンは水を掛け合って、きゃっきゃ言いながら遊んでいく。
だが途中から白熱しすぎて水魔法を使用し始め、クレアの予言通りに美女二人も俺たちの遊びに巻き込まれた。リーゼが挑発したことでサラも参戦し、メルも引っ張られて合流して、結局は六人で川遊びに興じていくことに。
クレアとセイディ、サラ、メルの四人は途中から服を脱いで下着姿になったので、全身ずぶ濡れの半裸美女たちというエロティックな光景はしっかりと脳裏に焼き付けておいた。これで一人の夜にも寂しい思いをせずに済みそうだ。
「アシュリンッ、魚を獲ってくるんだ!」
「ピュピュェ?(オレ一人で?)」
「これは訓練なんだっ、一人で行かなきゃダメなんだぞ! 上流の方にいけばたぶんいるからっ、なるべく大っきいのを獲ってきなさい!」
「ピュェェ、ピュェ!(分かったよ、ママン!)」
全裸の幼女に命令されて、アシュリンは上流の方へ飛んでいった。
リーゼはその姿を見送ることなく、先ほど俺とセイディで作った氷製滑り台で遊び始める。実に良いご身分だった。
三十分ほど経つと、アシュリンが戻ってくる。
「おおおぉぉぉっ! アシュリンすごいっ、二匹も獲ってきた!」
野郎の嘴と鳥類めいた鉤爪状の右前足には五十レンテほどの大きな魚が見られ、リーゼは大喜びでそいつらを受け取った。クレアが森から適当な香草を採ってきたので、それを添えて火魔法で焼き、一匹を丸ごと功労者に進呈して、もう一匹はみんなで食べた。
それから日が暮れ始めるまで、各人は川で思い思いに過して、火魔法と風魔法で身体を乾かした後、帰宅した。
日々は楽しく、容赦なく過ぎ去っていく。光陰矢の如しとは良く言ったもので、時間はどんどん流れ行き、二度と戻ることはない。
俺は平穏な日常を堪能しながらも、来たる日のために備えていく。