第五十八話 『魔石と魔法陣』
今回の話は設定説明回です。
ローズ視点なのでナンバリングこそしていますが、半分間話みたいなもので、今回の設定説明が活きてくるはだいぶ先になる予定。
今更の話、リュースの館は豪邸だ。
建物それ自体の大きさや堅牢さはもとより、様々な設備が整っている。広い厨房に浴場、中庭、バルコニーから地下室まであって、こんな山間部深くの森の中だろうと下水管も通っている。
庭は広いし、人気がないから、二十四時間どれだけ騒いでも問題ない。近所付き合いの煩わしさもなく、長閑な毎日を送ることが可能となっている。
「まるで貴族様の邸宅みたいだよ」
とはメルの言葉だ。
彼女はネイテ大陸のリーンカルン王国にあるロッソという大都市に住まう平民だったらしい。加えて三年も旅をしていたのでコモンセンスはしっかり養われているはずで、その感想は的を射ているはずだ。
俺も我が家が非凡であることは自覚できている。
そんな貴族的な館の環境の中でも、日頃から地味に役立っている設備がある。
「ごめんね、ローズ。わたし、みんなほど魔力多くなくて……」
「いいえ、気にしないでください。役割分担というやつです」
箒とちりとりを持つメルに、蓄魔石を両手に持つ俺はにこやかに応じた。
「それにしても、本当に凄いよね。部屋にも廊下にもランタンにも魔石灯を使ってるなんて」
「町でも全然見掛けませんよね、魔石灯って」
「うん、凄く高いからね。そもそも魔力を扱えないと使えないし。魔法士のいる家庭でないと、買おうとは思わないよ」
部屋を出て廊下にちりとりを置き、箒をはきながらメルは頷く。
俺は廊下の壁に背中を預け、掃除用エプロンを着けた垂れ耳美少女の姿を眺める傍ら、両手の魔石に魔力を込めていく。
アシュリン騒動のあった誕生日から、数日。
今日も今日とて日常の一環である家事をこなしていた。誰がどの家事をするかはローテーションで定期的に変わり、今日はメルが掃除、俺が蓄魔石への魔力充填だ。
我が家の照明はほぼ全てが魔石灯だ。部屋や食堂、廊下はもちろん、トイレから浴場まで魔石灯を使用している。
魔石灯という照明器具(もとい魔法具)は蓄魔石の魔力を光魔石に供給して発光させている。そのため、定期的に蓄魔石に魔力を補充する必要がある。
「うちで使ってる魔石って、やっぱりどれも上質なものなんですよね?」
「そうだね。わたしもそんなに見たことはないけど、少なくともわたしが通ってた学校の備品よりは間違いなく質がいいよ」
館の主だった部屋で常用している魔石灯の蓄魔石は直径五レンテほどの球形で、質も上々だ。お値段も相応らしく、一般庶民にはまず手が出せない。
そんな蓄魔石に満タンの魔力を込めても、魔石灯に用いると半日程度で空になる。魔石灯の消費魔力量はおおむね光魔石の質と大きさ=発光量により上下するので、暗いと長持ちするし、明るいと早く消費される。ちなみに主だった部屋の魔石灯は前世のLED電球並の光量を生み出す。
いま俺が魔力を込めている蓄魔石には、並の魔法士数人分の魔力が溜められるらしい。
メルは魔女とはいえ魔法適性も魔力量も平均的だ。通常、魔力量は三十歳くらいまで年々増加し続けて、その後は目立った増減もなく安定し、年老いて死期が迫ると減少し始めるそうだ。メルはあと一期で十六歳の少女だし、まだまだ伸び盛りだが、今の段階だとこの蓄魔石に半分も込められずに枯渇する。
尚、俺はもちろんのこと、リーゼもサラも余裕で満タンにできる。
我が家の住人を魔力量の多い順に並べてみると、
俺>婆さん>アルセリア=クレア>サラ>セイディ=リーゼ>メル
という感じになる。
現時点で既にサラはセイディより多いし、リーゼは同じくらいだ。セイディも並の魔女よりは幾分も高い魔法力を有しているらしいが、あの幼女二人はかなりの才能があるっぽい。婆さん曰く、このままいけば将来的にはクレアより多くなるようだ。クレアとアルセリアの魔力量は戦級魔法が三回ほど行使できるくらいらしく、婆さんは優にその倍以上はあり、俺に至っては未だに計測不能だ。
つまり、我が家の魔力事情はたぶんおかしい。
もう変態的なまでに、普通じゃない。
いま俺が魔力を注いでいる蓄魔石は、何日も掛けて満タン状態にするのが普通だ。たしか以前、ラヴィたちに蓄魔石のことを教えてもらったとき、『毎日、寝る前なんかに溜めるのが一般的』と聞いた覚えがある。
魔力は休息(特に睡眠)により回復するので、その日に使わなかった魔力がもったいないというわけで、一日の終わりに蓄魔石へ魔力を移しておくのだ。だが我が家の住人はみんな魔力が豊富なので、一気に満タン状態までもっていく。
ただし、婆さんの魔杖についているような直径二十レンテほどの最高級蓄魔石には婆さん本人でも一日では満タンにできない。
俺? 俺はできちゃうんだよね……。
「あ、終わりました。次の魔石持ってきますね」
「次はどこの?」
「お風呂です」
俺は掃除するメルと一旦別れて、一階と二階のトイレに行き、満タン状態の蓄魔石を魔石灯の台座にセットする。つまみを捻ってちゃんと点くかどうか確認してから、脱衣所と浴場の蓄魔石を回収する。
全部で十個もある。俺は八個の蓄魔石をショルダーバッグに入れると、残り二個を両手にそれぞれ持って魔力を込めつつ、メルのところまで戻る。
「ローズって本当に魔力多いよね。七歳の今でマリリン様より多いんだから、もしかして世界で一番なんじゃないかな?」
「それはさすがに大げさですよ」
とは本心だが、実はその可能性も捨てきれないと最近は思っている。
なにせ使っても使っても、まともに減ったという実感すらなく、全く底が見えないのだ。婆さんによれば、自分より魔力の多い者と出会ったのは俺で三人目だという。一人は騎士団にいた頃の部下で、もう一人は同じ聖天騎士の魔女らしいが、俺はその二人よりも多いようなので、実質婆さんの知る中では最高だ。
「魔力って、やっぱり大事だよね……日頃から魔石を使うのなら尚更」
メルは箒の柄頭に顎を乗せ、しみじみと呟いた。
生憎と魔力が少なくて困ったことがない俺には実感が湧かないが、確かに魔力は大事だと思う。いつか俺も魔力が足りなくて嘆く日が来るのかどうか……。
そんなことを思い、メルと雑談しながらも、蓄魔石への魔力充填は続けていく。
通常、魔力を込める作業には時間が掛かる。更に両手が塞がって暇になるので、誰かと雑談しながらするが一番だ。
断唱波のように一瞬で大量の魔力を放出することは可能だが、蓄魔石への魔力充填は一瞬ではできない。
今更の話、魔力の出力量は各人の魔法力によって異なる。一度に天級魔法並の魔力を放てる人もいれば、下級魔法並の魔力しか放てない人もいる。
要は蛇口が大きいか小さいかという話だ。この出力量の上限値が中級魔法並だと、中級魔法以上の魔力を消費する上級魔法を使えないし、下級魔法に上級魔法並の魔力を込めて強化することもできないことになる。
これと同様に、蓄魔石への入力量は蓄魔石の質と大きさによって異なる。大きれば大きいほど、質が良ければ良いほど、一気に魔力を込められる。
要はペットボトルの口が広いか狭いかという話だ。ただし、口が広いと中身が漏れ出るのも早くなるというわけではなく、むしろ自然放魔量は反比例して少なくなる。だから高質な蓄魔石ほど高価なのだ。
仮に、俺が毎秒あたり1000の魔力を出力しても、魔石側に毎秒あたり1の魔力しか入力できない仕様ならば、999の魔力は無駄に溢れ出して大気中に霧散する。
いま俺が手にしている魔石は一つ満タンにするのに五分くらい掛かる。自然放魔量はおおよそ三十日で空になる程度だ。今は両手それぞれに蓄魔石を握って魔力を出力しているので、十個だと二十五分くらい掛かる計算になるな。
ちなみに、蓄魔石には同質の魔力しか込められない。半分だけ俺が込めて、残りをリーゼが込めるといったことはできないのだ。だから別の人が魔力を込めようと思ったら、蓄魔石に溜まった魔力を一度空にする必要がある。
自然放魔を待つか、魔石灯はもちろんのこと、魔杖などの魔法具を介して魔力を使い切るかするしかない。我が家には予備の魔石が大量にあるので、魔石充填係のローテーションが切り替わるときは予備の魔石に魔力を込め始めることもある。そして前の人が魔力を込めていた蓄魔石は最後まで使い切って、その後すぐに満タンの予備と入れ替える。
魔石灯は生活必需品で、俺たちにとってはあって当たり前のものだ。
蝋燭より明るくて金は掛からず、何度でも使い回せる経済的な便利アイテムではあるが、管理が面倒なものでもある。前世の俺は炊事洗濯の一切を親に頼り切っていたクズニートだったので、生活空間を維持する苦労をしたことがない。
しかし、この館に住み始めてから、日常生活を送っていくのも相応に大変なのだと実感している。
まあ、家事はみんなで分担してるから、そんなに苦労はしてないけどね。
むしろ楽しいくらいだ。
♀ ♀ ♀
リュースの館は人里離れた秘境に位置する。
だが、俺は日々の生活に不便を感じることはほとんどない。必要物資は転移盤で町に出て調達できるし、俺の最も重視する自己強化――勉強方面にも何一つ問題はない。
「さて、リゼットとローズも七歳になったことじゃし……今日は魔法陣について教えようかの」
「おおぉぉぉ、マホージーン!」
婆さんの言葉に、リーゼは琥珀色の瞳から好奇心の光を溢れさせ、喜々として叫んだ。俺としても少し楽しみではある。
我が家には最高の教師がいる。
婆さんことマリリンはその昔、聖天騎士という絶大な魔法力を持つ世界でも最高クラスの魔女だった御方だ。その実力は折り紙つきであり、魔法学だけでなくあらゆる学問に精通し、一人の人間としても八十年以上の経験を積んだ人生の大先輩だ。師事する相手としてはこれ以上ない人材だろう。
館には本も多いし、魔法具も色々あるので、学習環境としては申し分ないどころかお釣りがくるレベルに充実している。まあ、お釣りといっても授業料は無料だが。
「ようやく魔法陣の実践ができるのね。もっと早く習いたかったわ」
「でも、魔法陣の理論はともかく、実践は凄く手間が掛かるから……それにみんなで勉強した方が楽しいよ」
不満と期待の半々を垣間見せるサラに、メルは困ったような笑みで宥める。
サラは俺とリーゼより三歳――正確には二歳半ほど年上だが、俺たち三人の魔法学習はだいたい一緒に行われる。普段は婆さん監督のもと、三人(最近はメルも入れて四人)でそれぞれ好き勝手に魔法の練習をし、各々で婆さんから適宜アドバイスをもらう。生徒が三、四人しかいないので、そうした擬似的なマンツーマン指導が可能なのだ。
「ふむ、すまぬな、サラ。本当はあたしとしても、サラにはもっと早く教えてやりたかったんじゃが……如何せん、魔石は貴重なのでな。みんな一緒に教えた方が良いと思ったのじゃ」
「分かってるわ、ちょっと言ってみただけだから」
今日はいつものような魔法練習ではなく、魔法陣の実践学習だ。
メルの言ったとおり、魔法陣の理論はともかく、実践は手間が掛かりすぎるし、何より魔石がもったいない。なので教える側としては、三人一緒に纏めて教えてしまいたいのだろう。ま、大人の事情ってやつだな。
「さて、それではメレディス、魔法陣について簡単に説明してみてくれるかの」
昼過ぎ現在、俺たちは中庭に集合している。
メンバーは幼女三人+美少女、そして教師役の婆さんの五人だ。
ついでにアシュリンもいるが、まあこいつは今回どうでもいい。
「えーと、魔法陣は主に結界魔法を使うための技術ですね。種類によっては通常の属性魔法なども使えますけど、魔力効率は悪く、設置に費用もかさむのであまり用いられません」
「うむ。では、なぜ費用がかさむのか……サラ、分かるかの?」
老魔女教師マリリンはメルの言葉に頷き、今度はサラに目を向ける。
名指しされたデビル可愛い生徒は淀みなく答えた。
「魔法陣には大量の蓄魔石と増魔石を使うからでしょ。ちゃんと勉強して魔法陣のことは分かってるわ」
「そうだの、サラはよく勉強しておったしの。ではリゼット、蓄魔石と増魔石をどのように使って魔法陣を描くか、分かるかの?」
満足げに頷く婆さんは次にリーゼへ話を振る。
すると、幼狐の隣でお座りしていたアシュリンが「ピュェっ!」と鳴き声を上げ、それとほぼ同時にリーゼは手を上げて元気良く答えた。
「わかる! 蓄魔石と増魔石をね、溶かして混ぜて、それで描くんだっ!」
「その通りじゃ。付け加えるのなら、魔法陣を描くのに使う魔石を陣魔石と呼ぶ。リゼットもちゃんと勉強しておるの。ではローズ、蓄魔石と増魔石を混ぜるときの注意点はなんじゃ?」
俺の番であることは予想できていたので、以前勉強したことを記憶から引っ張り出した。
「蓄魔石と増魔石は一対一の割合で混ぜ合わせます。混ぜ合わせる際、蓄魔石の方は完全に空の魔石を用いるのが無難です。誰かの魔力が込められていると、描いた魔法陣の魔力効率や効果が下がります。増魔石の方は同じ色合いの魔石で統一しないと、やはり魔力効率や効果が下がってしまいます」
「うむ、その通りじゃ。では今の説明を……メレディス、もう少し詳しくできるかの?」
メルは「はい」と頷くと、特に考え込む様子は見せず、しかしやや自信なさげに続けた。
「用いる蓄魔石に特定の誰か一人――例えばリーゼの魔力が込められたものばかりだと、それで描いた魔法陣はリーゼの魔力でしか反応しなくなります。逆に、空の蓄魔石だけで描かれた魔法陣は誰の魔力でも使用できますけど、リーゼだけの魔力にしか反応しないものと比べて、魔力効率も効果も低くなります」
「そして、増魔石の方は……サラ、説明できるの?」
「増魔石も蓄魔石と同じで、同じ色合いのものを使用した方がいいわね。例えば赤と黒の増魔石を混ぜて作るより、赤い増魔石だけの方が純度が高くなるから、魔力効率とか効果も高くなる。火魔法の魔法陣だと更に高くなるし、さっきメルが言ったみたいに混ぜる蓄魔石がリーゼの魔力が込められたものだったら、もっと良くなる」
「そうじゃ。仮に火属性上級魔法の〈紅円火〉の魔法陣を描く際は、火属性適性者の魔力が込められた蓄魔石を使用するのが良いな。そして増魔石の方は火属性魔法に効果的な赤い増魔石を混ぜ合わせるのが最も良い組み合わせじゃ」
婆さんの説明に、俺もメルもサラも相槌を打つように頷く。が、リーゼだけは小難しい顔で、首を捻っているのか頷いているのかよく分からない角度に傾けている。
「ふむ……リーゼ、何が分からぬじゃ?」
「えーっとね、あたしの魔力を込めた蓄魔石を使うのが、火魔法の魔法陣にはいいんだよね? それじゃあ、たくさんの火属性適性者の蓄魔石を混ぜて、それで魔法陣を描くのはいいの? さっきメルが言ってたみたいに、魔力効率も効果も低くなるんだよね?」
「うむ、そうじゃな。しかしその場合、リーゼ以外にも使うことができるようになる。その上、火魔法の威力も上がるから、場合によっては非常に有効的といえるの」
「なるほどー、わかったー!」
リーゼがすっきりした顔で首を縦に振ると、アシュリンまで親の真似をして「ピュェっ」と頷く。魔物畜生に理解できるレベルの話ではないし、そもそも野郎が人語を解しているのか甚だ疑問だが、とにかくアシュリンのことはどうでもいい。
「四人とも、だいたい分かっておるようだの。ではこれから、実際に魔石を溶かして混ぜ合わせて陣魔石を作り、魔法陣を描いてみようかの」
「おぉーっ!」
両腕を突き上げてやる気満々に叫ぶリーゼ。
既に必要な物資は中庭に揃っているので、俺たちは早速作業に取り掛かることになった。
「ねえ、おばあちゃん、これ全部で幾らくらいするの?」
サラが箱一杯に詰まった魔石の欠片たちを見て、思わずといったように質問する。ミリ単位――もといルス単位の蓄魔石の欠片は無色透明で、降り注ぐ陽光にキラキラと輝いている。
「その魔石の欠片は加工途中で出たものじゃから、そう高くはないの」
「具体的に幾らくらい?」
「ふふ、サラが成人したら教えようかの。今はお金のことは気にせず、魔法陣のことに集中すると良い」
子供に金の話はしたくないのか、婆さんは肩を竦めて誤魔化した。
サラの経済観は将来有望で頼もしい限りだとは思うが、親なら子供に教育費の詳細など教えたくはないと俺でも思う。
だが実際、婆さんの言うとおり、そう高くはないのだろう。
いま俺たちの前には三十レンテ四方の木箱が二つあり、一つは無色透明な魔石の欠片で一杯だ。もう一つはというと、色とりどりの魔石の欠片が、やはり箱一杯に詰まっている。
通常、鉱脈から産出された魔石は加工される。それは見た目の美しさのためだったり、魔杖や指輪用に整形するためだ。
しかし魔石というやつは大きければ大きいほど価値があり、一度砕いてバラバラにしてしまうと、もう元には戻せない。砕いた魔石は一度溶かして結合させても、以前までと同様の効果は発揮しないからだ。むしろ完全に溶かした魔石はもう通常の魔石としては使用できず、魔法陣を描く画材としてしか機能しなくなる。
だからこそ、蓄魔石も増魔石も希少ではあるが、削ったり砕いたりして、加工できるのだ。加工の過程で出た欠片や粉末状の蓄魔石、増魔石は集めて溶かせば魔法陣に使える。とはいえ、それでも魔石は魔石だし、魔法陣という用途がある以上、決して安くはないはずだ。俺としても、当初は魔法陣の実践ができるとは期待していなかった。
「それじゃあ、まずは魔法陣の下書きから描き始めましょうか」
サラが仕切りたそうだったので、サラ主導のもとで作業を進めることに。
魔法陣の土台は中級土魔法〈岩壁〉を横に倒したものだ。厚さ三十レンテ、一辺三リーギスのそこに、チョークと本を使って描いていく。
「リーゼ、ちゃんと押さえておくのよ」
「わかったー!」
木の棒と紐によるコンパスを使って、中心にいるリーゼの周りをサラが一周し、チョークで綺麗な円を描いた。魔法陣はだいたいが円形だが、三角形や四角形などの多角形型魔法陣もあり、中には複雑怪奇な積層型魔法陣までと様々だ。
今回描くのは簡単な――等級でいえば下級にあたる結界魔法の魔法陣だが、それでも結構複雑な文様をしている。
四人でせっせと作業する中、婆さんは監督役として見守るだけだ。
手順は俺もサラもメルも分かっているので、まずは自分たちの力でやる。もし間違っているところがあれば、婆さんがアドバイスをくれるというわけだ。
「そういえば、魔法陣を描いて、溝を掘るのって結構な時間が掛かるわよね? だったら作業は分担……はしない方がいいわよね?」
「ですね、みんな一通りのことは経験しておいた方がいいですし」
「でも、メルは前いた学校で少し習ってたんだよね」
「そうだね。でも少しだけだし、最後まで自分の手で描いた経験はないから……だから遅くなってもいいから、みんなで進めていこう?」
本来なら、魔法陣を描く係と陣魔石を作る係に分けた方が効率は良く、早く終わる。だが今回はみんなが実際に経験することが大切なので、効率は度外視だ。
「あ、リーゼ、ちゃんと全部文字……というか線は繋げてね。そうしないと魔力が行き渡らないから」
「そーいえばそーだったねっ」
「ちょっとリーゼ、あんたの描いてるところ大丈夫なんでしょうね?」
「まあまあ、最後にみんなで各自の箇所を見直せばいいじゃないですか」
直径二リーギス以上の円を四分割して、事前に紙に書き写した魔法陣を四人でそれぞれ描いていく。メルも言っていたとおり、魔法陣は全ての描線を少しでも連結させる必要がある。
例えば、あちこちにクラード語で詠唱代わりの文言を描いているが、それらは全て筆記体で繋げている。そして頭文字と語尾を近くの線に繋がないと、魔力が循環せず機能しなくなる……らしい。
「できたーっ!」
「まだ下書きだけだけどね」
四人で全体を見直し、書き忘れや線の歪みなどに修正を加えていく。
魔法陣は精確に描かなければ、陣に魔力を通しても効果が得られない場合があり、発現しても効果が安定しなかったりするという。
隅から隅まできっちりチェックした。
「次は下書きに従って、魔石を流し込む溝を掘るわよ。これは……リーゼとメルには難しいから、わたしとローズでやるわ」
「あたしもやりたーいっ!」
「やってもいいけど、魔法なしでやると凄く時間掛かると思うわよ」
別段、溝は掘らなくても魔法陣は描ける。
溶かした魔石は粘性流体となるので、上手くすれば描けるには描けるだろうが、やはり溝に流し込んだ方が簡単確実だ。幸い、下級土魔法の〈岩弾〉を詠唱省略で行使すれば、形状変化によりドリル状にして、回転力を加えることで簡単に岩を削れる。だがリーゼは無詠唱でこそ魔法が使えても、そうした細かいコントロールが苦手なのでできないし、メルに至ってはそもそも詠唱省略ができない。
本来、この段階の正攻法としては杭と金槌を使って地道に溝を掘り出していく。
土台が土なら溝なんて手早く作れるが、陣魔石の再利用を考えるのなら、土台は岩の方がいい。固まるまでの陣魔石は粘性のある流体なので、再び溶かして回収する際に土という異物が混ざり、純度が下がってしまうからだ。
「溝は幅も深さも一レンテくらいで大丈夫ですよね?」
「そうね、この大きさの魔法陣はそれくらいが限界でしょうし」
結局、リーゼとメルには少し見学してもらった後、魔石の計量作業をしてもらうことになった。蓄魔石と増魔石はきちんと一対一の割合で混ぜ合わせる必要があるので、天秤を使って精確な割合にするのだ。
用意された天秤はあまり大きくはないので、二人は何回かに分けて計測していく。片方の皿に蓄魔石の欠片、もう片方の皿に色とりどりの増魔石の欠片を乗せて、釣り合いがとれたところで両の皿の魔石を大きな箱に入れていく。それを何回か繰り返した後、どうやら増魔石の方が先になくなり、蓄魔石は少し余ってしまったようだった。
金の無駄だからきっかり等分に用意した方がいいだろうに、たぶん婆さんは俺たちがしっかり計量しなかった場合を考慮して、わざと蓄魔石だけ多めに用意したのだろう。さすが婆さんだ。
俺とサラの溝掘り作業の方が時間が掛かったが、なんとか終える。
「さて、次はいよいよ魔石を溶かして混ぜ合わせるわよ。リーゼとローズは火魔法を使い続けて、わたしとメルで魔石をかき混ぜるわ」
本来、魔石を溶かすのには炉を使う。
が、うちに鍛冶設備はないので、火魔法で溶かす。
まずは土魔法で簡単に石窯っぽいのを作り、その上に平たく大きな鍋を置く。蓄魔石と増魔石の欠片を鍋に入れて、俺は下から鍋に火を掛け、リーゼは上から魔石に直接火魔法を当てる。魔石の融点は鉄ほど高くはないので、魔力を込めて火力をブーストした火魔法ならば融解させることができる。
溶け始めてきた魔石をサラとメルが長い棒でかき混ぜていく。しばらくすると無数の欠片だった魔石は溶けきって、どろどろの陣魔石は熱を放つ。様々な色合いの増魔石を混ぜ合わせたせいか、陣魔石の色は灰色だ。
「それじゃあ、陣魔石を溝に流し込んでいくわよ」
鍋には火を掛け続け、柄杓めいたもので陣魔石をすくい取り、魔法陣の溝に流し込む。サラ、メル、リーゼ、俺の順番で全員が経験し、全ての溝を陣魔石で埋めると、完成だ。
「うん、よし。ようやくできたわね」
「何十リーギスもある魔法陣だと、もっと大変なんだろうね……」
「大変以前の問題として、魔石代がもの凄いことになりそうですけどね」
「でっきたぁぁぁぁぁ!」
リーゼが飛び跳ねて喜びを露わにすると、これまで退屈そうに作業を見守っていたアシュリンがリーゼに近づき、じゃれつき始める。
俺もメルも中庭にあるベンチに腰掛けて脱力し、サラは両手を腰に当てて満足げに魔法陣の前で頷いている。
「四人とも、よくできたの。見ていた限り、特に問題なく作れておったぞ。あとは陣魔石が冷めるまで、休憩しておると良い」
婆さんは喜ぶリーゼの頭を撫でつつ、俺たちを労ってくれる。
陣魔石は固まらないと魔力を通せないので、冷めて固まるまで待っておく。水魔法で冷ましたりはせず、ちょうどいいので婆さんの言うように休憩することにした。
魔法陣の作製は昼食後すぐに始め、だいたい三時間ほど掛かった。
一旦、俺たちは部屋に戻ってクレア謹製のピーチパイを食べながら歓談し、糖分がいい具合に眠気を誘ったので昼寝をする。
それから日が沈む頃になって、再び中庭に集合した。
「さて、では魔法陣の効果を確かめてみようかの。まずは誰から試してみるんじゃ?」
「はいはいはいはーいっ、あたしからー!」
「何言ってるのよ、まずはわたしからでしょ」
挙手するリーゼの隣で、サラも一番を主張した。すると、健気にもアシュリンがママンの味方でもしているのか「ピュェェェっ!」と威勢良く声を上げる。
「うるさいわよアシュリン」
「……ピュェ(はい)」
「あたしが一番がいーいーっ」
末っ子根性を発揮し始めるリーゼ。
サラはそんな妹を悩ましげな顔で見つめた後、頷く。かと思われたが、思い直すようにかぶりを振って、仕方なさげに苦笑した。
「それじゃあ、じゃんけんね」
たぶんサラとしてはもう譲る気でいるはずだ。
だがリーゼのために甘やかさず、じゃんけんで決めることにしたのだろう。
尚、リーゼはだいたいの場合、最初にグーを出す。興奮しているときは特にだ。
「やった勝ったー!」
当然の如く勝利したリーゼは魔法陣の上に飛び乗って、早速魔法陣を起動させることに。陣の中心部に手を突いて、小さな身体から魔力波動を放ちながら魔法陣に魔力を込める。すると、陣魔石で描いた魔法陣が淡く光り出し、陣の外縁部に沿って紗幕のような薄い壁が半球状に出来上がる。
「すごいっ、できたー! できたよおばーちゃんっ!」
「うむ、きちんと結界魔法が発動しておるな」
「へぇ、こんな感じになるのね」
「良かったぁ……ちゃんとできてる」
「強度ってどれくらいなんでしょう?」
試しに結界をノックしてみると、硬質な感触が伝わってきた。
本で読むのと実際に触れてみるのとでは大違いだな。
「この結界って、魔法も防げるのよね? ちょっと試してみましょうか」
サラが無属性の初級魔法〈魔弾〉を放つ。
だが結界はビクともせずに魔法を防ぎ、〈魔弾〉は弾けて燐光となり、空気中に溶け入ってしまった。その一方でアシュリンが嘴で軽く突いたり、前足でひっかいたりしているが、結界は破られず維持している。
「魔動感の感じ方に変わりはありませんね」
「うむ、この結界は外側の防御に特化しておるからの。いま内側におるリゼットには、あたしらの声は届いておらぬじゃろう」
結界魔法のいいところは細かく条件を設定できる点にある。
例えば内側からの衝撃に強い結界として魔法陣を描くこともできるし、物理は通しても魔法(魔力)は通さないという設定も可能だ。そして結界魔法だけに限らず、魔法陣の利点の一つに、行使者が直接魔力を込め続けなくてもいいところにある。
婆さんがジェスチャーでリーゼに止めるよう伝えると、リーゼは結界を解いた。
「次は蓄魔石を使ってみると良い」
「うんっ」
魔法陣の中心部は少し窪んだ形に作ってある。リーゼがそこに真っ赤な蓄魔石をセットすると、先ほどと同じように結界魔法が発動した。
婆さんが手招きすると、リーゼは結界をすり抜けて外に出てくる。
「もう一度入ってみると良い。この結界はリゼットの魔力で維持されておるからの。リゼットなら阻まれることなく出入りできるはずじゃ」
「やってみる!」
アシュリンが興味津々に半透明な結界を突いたりする横で、リーゼはすんなりと再び中に入っていった。それを見た魔物畜生が「ピュェ!?(ママン!?)」と声を上げて、たぶん驚いている。
リーゼが結界の内側からアシュリンを呼ぶと、野郎は中に入ろうとするが、結界に阻まれて行けない。
「ピュェピュェピュェェェっ!(なんだこれは邪魔するなっ!)」
興奮し始めたアシュリンが無茶苦茶に結界へ攻撃し始めた。すると何撃目かの嘴攻撃で結界にひびが入り、続く一撃でガラスが割れるように、しかし音もなく砕けてしまった。
結界の欠片はすぐに空気中へ薄れて消えていく。
「あ、消えちゃった」
「この結界は物理的な衝撃より、魔法的な攻撃に対する効果が強いからの。それに魔石の質もそこまで良くはないし、色々な増魔石を混ぜて使っておる。生後半年程度のアッシュグリフォンならば、破れてしまっても不思議はない」
魔大陸基準で四級魔物とされているアシュリンは喜々とした声を上げながら、リーゼに頬をすり寄せている。奴ももうかなりの大きさなので、その巨躯より幾分も小さな幼女に甘える姿はシュールだ。
「って、ここヒビ割れちゃってるじゃない!」
サラの言うとおり、魔法陣の何カ所かにヒビが入っている。
といっても、土台ではなく冷めて固まった陣魔石の描線にだ。
「すぐに直せるから、安心すると良い。火魔法でひび割れたところだけ溶かして、また繋げれば再び使えるようになる」
結界魔法が破られたことで、魔法陣に負荷が掛かって断線したのだろう。
火魔法で溶接するだけなので、修復は数分と掛からずに終わり、風魔法で冷ました。その後にサラが試して、俺、メルの順に結界魔法を発動させていった。
「もっと色々な効果の結界を試したいわね。今度は誰も出入りできないようにしてみたいわ」
「陣魔石はまた溶かして再利用できるのでな。何度でも試してみると良い」
「次はもっと凄いの作ろーっ!」
リーゼもやる気だった。俺も結界魔法にはかなり興味がある。
今回は魔法陣の直径と結界の直径が同じだが、描き方によっては何倍にも大きくすることだってできるし、蓄魔石などを利用すれば魔法陣から離れた場所に結界を張ることもできるという。かなり応用が利き、今でも世界の国々で研究されているようなので、結界魔法はかなり有用な技術だ。
しかし、魔石を使用するというブルジョワな問題もさることながら、魔法陣は魔力の消費量が多い。例えば治癒魔法の魔法陣などもあるようだが、その魔力消費量は詠唱して使用する場合の何倍もの魔力を必要とするという。そのくせ効果は通常より低く、コストパフォーマンスで考えれば最悪といっていい。
その反面、必要な魔力さえ注げば治癒魔法の使えない人でもその恩恵を受けることができるという点で、コストパフォーマンスの悪さを補って余りある汎用性の高さを誇る。
「凄いのといえば、三日月島の結界は有名だよね。最盛期の終わり頃に作られて以来、ずっと張られてて、誰も中に入れないんだよね」
メルが思い出したように言うと、婆さんは頷き、遠い眼差しを見せる。
「三日月島の結界魔法にはあたしも近づいたことがあるが、アレは実に不思議なものじゃった」
「たしか、近づこうとしても近づけないのよね?」
「うむ、船を結界に近づけていくと、この魔法陣の結界魔法のように、弾かれることもなく前に進めはするのじゃ。しかしいつの間にか、結界が船尾方向にあり、何をしても決して島の方へは近づけぬ」
感心どころか畏怖の念を滲ませながらも、婆さんはおかしそうに小さく笑う。
魔人族の住まうカプナス島――俗に言う三日月島には、絶対不可侵の結界魔法が張られているとされている。三日月島全域と周辺海域までカバーする超巨大なそれは結界魔法の中でも世界最高の完成度を誇るとされ、未だかつて破られたことは一度もないという。三千年近くの長い歴史の中で常に展開され続け、誰一人として結界の内側へと至れた者はいない。
「やっぱり魔人族って凄いんだね……戦乱期に彼らがいたら、きっと他の種族はみんな負けてたんじゃないかな」
「いや、魔人族は魔法力こそ秀でておるが、反して身体能力は低いからの。それに……いや、ともかく、三日月島の結界魔法は歴代のどんな偉大な魔法士にも破られぬ至高の結界じゃ。いつかそんな結界魔法を作れるくらい、四人とも勉強に励むと良い」
婆さんは穏やかな口調で言い、張り切るリーゼとサラを見て微笑んでいる。
以前に聞いた話によると、婆さんが聖天騎士団にいた頃から今でも、一人だけ魔人の聖天騎士団員がいるという。《魔弓の癒手》という異名を持つ聖天十三騎士の一角を担う魔女で、名前はフィロメラ・エスクード。近年では世界で唯一、星級の治癒魔法が使える人物とされているようで、それ故に結構な有名人だ。
その存在からも分かるとおり、魔人族は基本的に三日月島に籠もっているが、この三千年の間に何人かは結界の向こうから出てきて、人里で暮らしていたらしい。ただ、その数は合計しても十人いるかいないかの少数で、魔人でも一度結界から出ればもう二度と三日月島に戻ることはできないという。
先ほどの反応然り、魔人のことか結界のことかは不明だが、たぶん婆さんは何かもっと知っているはずだ。同じ聖天騎士として活動していたならば、一般人が知らないことを山ほど知っていても何らおかしくはない。が、守秘義務でもあるのか、まだ俺たちが子供だからか、婆さんは詳しく語らない。
「ご飯まで結界魔法であそぼーっ!」
「今度は魔法に対する強度を調べてみましょうか。ローズ、蓄魔石で結界で張って」
「分かりました」
こういうとき、魔力の多い俺が魔力消費係になるのはいつものことだ。
俺は先ほど使った自分の蓄魔石に再び魔力を補充して結界にセットし、外に出た。
結界に魔法を撃ち込んでいくのならば、リーゼの要望も叶えられるし、一石二鳥だ。これからしばらくは通常の魔法練習と結界魔法の研究で忙しくなるだろう。だが知的好奇心を満たせる忙しさは大歓迎なので、俺はサラに負けず劣らずやる気が漲っている。
最高の教師がいて、高価な教材も用意してくれる学習環境というのは、本当に恵まれている。この恩恵を無駄にしないためにも、婆さんのお望み通り、いつか三日月島の結界魔法くらい凄いものを作れるほど、気合いを入れて勉学に励むとしよう。
俺はみんなで楽しく学びながら、そんなことを思った。