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幼女転生  作者: デブリ
四章・日常編
85/203

第五十七話 『失われた肉を求めて 後』


 ヘルミーネとユーハに事情を話して同行してもらい、俺たち六人はディーカを囲う市壁からだだっ広い草原へと繰り出した。今日は快晴なので見晴らしも良く、空を行くセイディとサラも遠方まで索敵できるだろう。


「やっぱりそう簡単には見つかりませんね」


 俺は手を額にかざして、緩やかな丘陵となっている原っぱを見回すも、キングブルらしき姿は影も形も見られない。他の魔物は何体か散見されるが、今日は雑魚に用はないのだ。


「キングブルはあたしも数える程しか見掛けたことがない。駄目元で探すのがいいだろう」


 ヘルミーネは律儀に俺の独り言に応えてくれながら、俺の代わりに足を進めてくれる。

 俺は今、ヘルミーネの肩に乗っている。彼女は身長が八リーギスくらいあるので、かなり見晴らしがいいし、しかも歩幅が大きいから普通に歩くより格段に速い。尚、アルセリアとオッサンはヘルミーネの足下で馬を駆っている。

 

「ヘルミーネさんはキングブル食べたことありますか?」

「あぁ、昔に一度だけある。肉のくせに歯ごたえがなくて、そのくせ肉汁が凄かった。かなり美味しかったな」


 キングブルはたぶん霜降り肉なのだろう。

 思えば、俺はまだこの世界で霜降り肉は食っていない。

 というか、見掛けたことすらない。


 この世界にも牛や豚はいるが、魔大陸にはそうした家畜類がほとんどいない。

 放牧して魔物に襲われたら元も子もないという理由もあるが、魔物の肉がそこら中に溢れかえっているのだから、わざわざ飼育してまで食べようと思う人が少ないのだ。それに牛や豚は人の手で育てる必要があるから、それらの肉は基本的に高い。魔物は勝手に成長してくれるので、狩るだけで済むから安価だ。

 しかし、その魔物肉の中でも高値で取引されるのがキングブルだ。キングブルは人の手で飼育しようにも生まれながらに凶暴で、かつ図体がデカいため、自然にいるやつを狩るしかないが、生息数は少ない。だからこそ高級品とされている。


「ん、アレはベロウブルだな。ついでに狩っていこうか」


 ヘルミーネは左前方を見て、数百リーギスは先にいる魔物に目を付けた。

 しばらく徒歩である程度まで接近すると、彼女は俺をアルセリアの馬に乗せて走り出す。地震でも起きてるんじゃないかと思えるほどの震動を発生させながら駆け寄ると、全長四リーギスほどの牛と猪を掛け合わせたような巨大魔物も彼女に気が付いた。ベロウブルは猛牛さながらに突進し始め、ヘルミーネは立ち止まって背中の得物を抜いた。


 ヘルミーネの武器は剣だ。

 刃渡りは四リーギスほどで、柄は二リーギスほどと巨人サイズの巨剣である。それを軽々と右手で持ち、弓を引き絞るように剣を水平にして構えると、突進してきた魔物に真正面から剣をぶっ差した。ベロウブルの突進エネルギーは左手で受け止めて相殺したらしく、やや後退しながらもヘルミーネは健在だった。


「いつ見ても豪快すぎて笑えますね」

「はは、巨人族の戦いは力任せだからな。大抵の魔物は一撃だ」


 アルセリアは軽く笑いながら、ヘルミーネの方に馬首を向けて進んでいく。

 

「キングブルを見つけられなくても、アレだけたくさんベロウブルの肉があれば、リーゼも満足するんじゃないですか? 前に一抱えくらいの肉塊を丸焼きにしてあげたとき、凄く喜んでましたし」

「そうかもしれないが……どうだろうな」


 話しながらヘルミーネのもとまで駆け寄ると、彼女は早々に解体作業に移っていた。巨体をバラしていく様はグロテスクだが、俺も初めてというわけではない。

 ヘルミーネの作業を見守りつつ、俺たちは周辺警戒に努める。


「いやー、やっぱいないわね」


 ふと上空から翼人ペアが地上に下りてきた。

 サラは乱れた金髪を手櫛で整え、軽く溜息を吐きながら言う。


「この周りには見当たらないわ。そもそもこの辺ってディーカに近いから、いてもすぐに狩られちゃうでしょうし。もっと何日か掛けて、遠くの方までいかないといないんじゃないの?」

「でも、そんなに時間は掛けられませんし……」

「ま、ベロウブルが狩れたんなら、ひとまずはいいんじゃない? 七歳の誕生日なら量より質をって思ってたけど、ベロウブルならリーゼもある程度は喜ぶでしょ」


 ヘルミーネが肉を切り分けて巨大リュックに入れていく様を眺めつつ、セイディは陽気に笑う。俺もそう思わないでもないが、アシュリンが食べたのは最高級の肉だ。ベロウブルはせいぜい中ランク程度の肉で、日頃から口にしている。

 

 そもそもの話、リーゼの教育を思えば、失われた最高級肉を再び用意するべきではないのだ。アシュリンの過失は躾不足が原因で、リーゼは野郎の親だ。責任を取らせる意味でも、代替品を調達して甘やかすのは教育上よろしくない。

 が、そうは分かっていても、所詮理屈と感情は別物なのだ。リーゼの笑顔が見られるのなら、教育とか躾とか、そんなこと抜きにして用意してやりたいのだ。

 婆さんもアルセリアもクレアもセイディも、きっと同じはずだ。

 ……なんか俺、子供を甘やかす親の気持ちが今なら少しだけ分かるよ。


 ベロウブルを解体していると、近くにいた別の猟兵集団が近づいてきて、肉を分けて欲しいと言ってきやがった。この辺りの野原は点々と猟兵たちが活動しているので、俺たちは人目を気にして魔法が使えない。

 相手集団にはローブ姿の魔法士っぽいやつもいたので、後始末を任せる代わりに、肉の剥ぎ取りを八割程度で終わらせて、俺たちは移動を開始した。


 しかし結局、その日はキングブルを見つけることなど、当然のようにできなかった。




 ♀   ♀   ♀




 翌日、俺とリーゼの誕生日前日。

 その日は朝早くから昨日と同じメンバーでキングブル探しに行くことになった。


 ちなみに朝食のとき、アシュリンは昨日と違ってきちんとナマモノを食べた。

 丸一日の断食後だったので、たぶん否応はなかったのだろうが、それでも全部食べきっていた。まあ、美味しそうにはしていなかったが。


「リーゼ、昨日よりはマシでしたけど、今日も少し元気なかったですね」


 俺は昨日と同じくヘルミーネの肩に乗り、隣を飛ぶサラに話しかけた。


「リーゼもリーゼなりに責任感じてるんでしょうね、きっと。自分の分だけだったなら違ったかもしれないけど、アシュリンはローズとみんなの分も食べちゃったわけだし」

「私は気にしてませんけど……」

「でもリーゼは気にしてもいるんでしょうね、食べ物の恨みは怖いし。今日は……いえ、昨日の夜から少しアシュリンに冷たかったしね、リーゼ」


 サラは歩くヘルミーネの周囲を飛び回りながらも、少し悩ましげな顔でそう言った。

 

「まあ、これでアシュリンがきちんと躾られると思えば、いいとは思いますけど……てっきり今日は私たちについてくるって言うと思ったのに、普通にいってらっしゃいって言ってきましたから、なんだか少し心配です」

「リーゼはリーゼで気分が乗らない日だってあるわよ。あの子お肉が大好きだし、よっぽどショックだったんでしょ」


 もうこの辺りにキングブルがいないことは確認済みなのか、サラはヘルミーネの肩に降り立ち、俺の隣に腰掛けた。


 今日はディーカの町から南西方向へ移動しながら、キングブルを探している。現在は昼前なのに、陽光を遮る曇天の空が重々しく、気分を萎えさせてくる。

 ディーカ周辺なら未だしも、既に結構な距離を歩いて離れた。現在の進行方向に町がないこともあってか、ここ一時間ほどは魔物に襲われる頻度が跳ね上がり、いちいち退治しているため、ストレスが溜まる。周囲に人気はないので、主に俺とサラが練習の意味合いも兼ねて、魔法で相手をしているのだ。


「ローズ、サラ、魔物だ」


 しばらくアレコレと話していると、ヘルミーネが右前方を指差した。

 目を凝らして良く見てみると、確かに何か魔物の集団がこちらにやってきている。


「パックファングね、今日はこれで三回目よ。あの魔物弱いくせに数が多いから面倒だわ」


 サラの言葉通り、それは黒い毛並みを持つ狼のような魔物、パックファングだ。

 遠目に確認するかぎり、二十匹くらいいる。この魔大陸ではメジャーな八級魔物で、サラは弱いと言うが、実際は結構強いとされている。なにせ常に群れて行動しているので、囲まれれば一斉に攻められて、強靱な顎と鋭い爪牙で連中のエサにされる。

 魔法だと遠距離から一方的に攻撃できるし、初級魔法でさえ凡俗の剣士が振るう剣撃と同等かそれ以上の威力がある。今更だが、魔法という力は本当に強大なものなのだ。それこそ俺たち幼女が扱うには手に余る力であることは言うまでもない。


「あいつらに近づかれると色々面倒だから、わたしとセイディで狩ってくるわ。もし取り逃がしたのがいたら、ローズお願いね」

「分かりました」 


 サラは飛び立って行き、上空のセイディに近づいて何やら話した後、二人でパックファングの集団へ向かっていく。

 俺はそれをボーッと眺めながら、なんとはなしに溜息を吐いた。

 天気が悪いと、どうにも気持ちまで暗くなっていかんね。

 

 その後、サラとセイディは二人で魔物共を殲滅し、こちらには一匹も近づいてこなかった。




 ♀   ♀   ♀




 まあね、現実は甘くないってことを再認したよ。


 結局、俺たちの狩りは無駄足に終わった。

 ダメで元々だったとはいえ、途中で雨に降られながらも俺たちはキングブル探しを頑張った。が、やはり最高級肉は発見できず、更に町の店々を回って購入しようともしたが、どこにも売っていなかった。


 求めたからといって、必ずしも手に入れられるわけではない。

 探したからといって、必ずしも見つけられるわけではない。

 その当たり前で非情な現実は、なんだか俺の意識へ嫌な感じに突き刺さった。


「ミーネ、ユーハ、昨日と今日はありがとね。わざわざ付き合ってくれて」

 

 ヘルミーネの家に帰り着き、地下の転移部屋に行く前、セイディは二人に礼を述べた。彼女に引き続き、俺もきちんと頭を下げておく。


「気にしていない。ローズとサラと一緒に散歩したと思えば、楽しいものだった」

「……某、礼を言われるようなことは何もしておらぬ。また必要とあらば、いつでも声を掛けてくれて構わぬ故……」


 ヘルミーネもユーハもどちらも気にした様子などなく、快くそう応じてくれた。

 まあ、オッサンの方は鬱度40%くらいの顔で言われたけど。

 実際、昨日今日とユーハは何もしておらず、ただ俺たちに同行しただけで、それを心苦しく思っているのかもしれない。しかしユーハの役目はいざというときの護衛役で、一緒にいるだけで安心感を与えてくれるので、十分役に立っている。


「では、また」


 俺たちは二人に別れを告げ、転移盤の上に乗り、黄金光の発生と共に転移する。

 既に幾度となく転移を経験したせいか、転移時に発生するフリーフォール的な落下感には慣れてしまった。それに中級幻惑魔法〈幻墜ルー・ムァフ〉の方が比較するのも馬鹿らしいくらい酷いしね。


 落下感が収まるのに比例して眩い光も薄れていき、俺たちは館地下の見慣れた転移部屋に出た。

 俺は思わず大きく伸びをしようと腕を上げかけるが……


「アリア、どうしたの?」


 隣にいたサラが後ろを振り返り、驚いたようにそう問いかける。つられて俺もアルセリアに目を向けると、なぜか彼女の全身が竜鱗に包まれていた。


「…………いや」


 咄嗟に言葉が出てこなかったのか、ごく短く答えたアルセリアは俺やサラ、セイディ以上に驚き、戸惑っているようだった。その様子はまざまざと顔に表れていて、目を見開き、眉根を寄せ、口を半開きにしたまま自らの身体を見下ろしている。


「あの、アルセリアさん、大丈夫ですか? 何かありました?」

「いや、分からないが……」


 アルセリアは訊ねたセイディに目を向けることなく、呟くように答えてから、おもむろに目を閉じた。何度か大きく深呼吸をしていると、アルセリアの手足から次第に竜鱗が剥がれ落ちていく。しかし、そのスピードは以前見たときよりも格段に遅く、およそ一分ほどかけて元に戻った。

 俺たちは集中しているようなアルセリアに声を掛けるに掛けられず、それを黙って見守っていた。


「…………」


 怪訝そうな顔で自らの腕を見て、アルセリアは手を握りしめ、ゆっくりと開く。

 

「アリア、なに、大丈夫……?」


 その様子を見てサラが心配そうに見上げると、アルセリアは「あぁ」といつもの冷静な声で頷いた。


「すまない、驚かせてしまったな。正直、おれ自身もよくは分からないんだが……とにかく、大丈夫だ」

「大丈夫って、自分の意思で竜戦の纏を使ったわけじゃないですよね?」

「まあ、そうだが……そう心配そうな顔をするな。自分でも気付かぬうちに、好戦的な気分にでもなっていたのだろう」


 俺の頭を撫でてくるアルセリアの顔に憂いは見られない。完全にいつものクールな面持ちをしているが……どことなく彼女自身、腑に落ちていないような様子が感じられる。先ほどのアルセリアは珍しく動揺していたように思うし。


「後で掃除しなくてはな。とりあえず、今は戻ろう」


 微苦笑するアルセリアは俺とサラの背中をやんわりと押して歩き出したので、俺たちは困惑が抜けきらない中、転移部屋を出た。そして階段を上がっていると、リーゼの声が微かに聞こえてくることに気が付いた。


「……リーゼ、泣いてる?」

「みたいね、いったいどうしたのかしら」


 サラとセイディは顔を見合わせ、俺も気になりつつ、一階ホールに出る。

 すると玄関扉が開いていて、その向こうにクレアとメル、そしてリーゼがいた。


「アシュリィィィンっ、なんでもどっでごないのぉぉぉぉぉ! ぅ……っ、もうずぐごはんだよぉぉぉ、きょーはみんなとおなじのでもいーからぁぁぁぁっ!」


 リーゼは泣きながら森へ向かって叫んでいる。

 俺たちは駆け寄って、クレアとメルに声を掛けた。


「あ、みんな……」

「メレディス、クレア、いったいどうした?」


 先ほどの自身の一件など引き摺った様子もなく、アルセリアが落ち着きのある声で二人に訊ねた。


「えっと……アシュリンが、帰ってこないんです」

「帰ってこないって……え? どういうこと?」

「みんなが町に行って少し経った頃、リーゼがアシュリンがどこにもいないことに気付いてね。はじめは勝手に散歩に行ったのだろうと思っていたのだけれど、この時間になってもまだ帰ってこなくて」


 懸念の滲み出た声で、メルとクレアは説明してくれた。

 なんでも、三人でお昼過ぎに森へ探しに行ったらしいのだが見つからず、おやつの時間にも帰らず、今の今までアシュリンは行方不明状態らしい。そして小一時間ほど前からとうとうリーゼが泣き出してしまい、森へ向かって叫び続けているという。


「アシュリィィィィィィンっ、がえっでぎでよぉぉぉぉぉぉ!」

「リーゼ」


 サラが呼び掛けると、リーゼはバッと振り返った。

 幼い顔はもう完全にボロ泣き状態で、涙と鼻水で顔中が濡れていた。


「サラねえ、セイディ、アシュリンがぁぁぁ……おねがいざがじにいっでぇぇ!」


 リーゼはサラに泣き付き、顔面を彼女の胸にこすりつけて懇願する。

 これが下らないことで泣いていたら、サラは「ちょっ、汚いでしょ!」と声を上げているところだが、事態の重さは既に十分に伝わってきている。

 姉は妹の頭と背中を撫でながら、優しい声で答えた。


「分かったから、泣き止みなさい。探しに行ってくるから、ね?」

「とりあえず、完全に日が暮れる前に一回りしてみましょうか」

 

 サラは軽くリーゼをあやしてから身体を離すと、早々にセイディと一緒に夕焼け空へと飛んでいった。幼狐は鼻をすすりながら、服の袖で涙やら鼻水やらを拭いつつ、後悔にまみれた声を漏らす。


「あたしが、アシュリンにつめたくしすぎたから、でていっちゃったんだ……」

「そんなことないですよ、リーゼ。昨日今日と少し冷たくしたくらいで、あのアシュリンが家出なんてしませんよ」

「いえで…………いえでぇぇぇぇぅわああぁぁぁアシュリィィィィン!」


 ミスった、また泣き出してしまった。

 家出は禁句だったらしい。


「大丈夫だから、そんなに泣かないの。きっと少し散歩に行っているだけよ」


 クレアが不出来な俺のフォローを始めたので、俺はメルの横でそれを一緒に見守ることにした。そして彼女にしか聞こえない声で話しかける。


「メルはどう思いますか?」

「うーん、どうなんだろう。アシュリン、リーゼに遊んでもらえなくて凄く寂しそうにしてたから、家出したってことはないと思うけど……あの子、リーゼのこと大好きだし」

「まあ、そうですよね」


 しかし……正直なところ、俺は家出という線が濃厚だと思う。

 突然のことだし、まだ状況を良く把握し切れていないが、たぶんあの野郎は親に叱られて冷たくされて、ふて腐れやがったのだ。

 俺をして『こいつ自分のこと人だと思ってんじゃねえか?』と思えるくらい、アシュリンは妙に人間臭いところがある。しかもあの図体のくせに、リーゼやサラ、クレアに対してはかなり打たれ弱い。これまで勝手に散歩へ行ったことなどなかったし、可能性としては十分あり得るだろう。

 あの魔物畜生、リーゼを心配させやがって……。


「大丈夫、大丈夫よ、リーゼ。アシュリンはリーゼのこと大好きだから、そのうちひょっこり帰ってくるわ」


 クレアの慰めの言葉に俺は内心で同意しながらも、妙な不安感を拭えなかった。

 そして案の定というべきか、サラとセイディの捜索でもアシュリンは見つからなかった。陽が落ちて夜闇が館周辺を覆ってしまったので捜索は打ち切られ、夕食時になっても野郎は帰ってこない。

 リーゼは何を思ったのか、好物の肉が出ていたのに夕食は一口も食べることなく、自室のバルコニーで膝を抱え、森の方をじっと見ていた。


 アシュリンは毎日欠かさず、リーゼと一緒に風呂に入っていた。

 だが風呂の時間になっても、就寝時間になっても、アシュリンは館に姿を見せず、結局その日は行方不明のまま終わってしまった。




 ♀   ♀   ♀




 翌朝、俺はいつものようにメルとリーゼの三人で起床した。


「アシュリン……」


 目が覚めたらアシュリンが帰ってきている……という淡い期待を打ち砕かれ、リーゼは朝からしょんぼりしていた。毎朝のランニングはせずにバルコニーから森を見つめ、朝食は普通に食べたが、いつもの元気さが回復することはない。

 リーゼは我が家のムードメーカーなので、彼女がローテンションだと自然と俺たちもどことなく気持ちが萎えてしまう。


「サラ、どうします?」

「とりあえず……気分転換させましょ。遊んだり、魔法の練習をさせたりすれば、少しは元気になるかも」


 俺とサラはクレアたちから家事を免除され、リーゼに構ってやって欲しいと言われていた。リーゼは本格的に待つためか、バルコニーに椅子を置き、その上で膝を抱えて微動だにしない。


「リーゼ、アシュリンならそのうち戻ってきますよ。ずっとそうしているのも何ですし、何かして遊びませんか?」

「……アシュリンとあそびたい」

「じゃあ魔法の練習でもする? それともアリアに言えば魔物狩りに行けるわよ」

「……アシュリンがいないとやだ」


 俺たちの誘いを断る声は小さく、無駄に元気な普段と違って表情は暗く、寂しげだ。リーゼはその場から動きそうになかったので、俺とサラも椅子を持ってきて、リーゼの隣に座った。

 特に会話することなく、三人で静かに時間を過していく。

 館はいつもよりだいぶ静かだ。


「私も混ぜてくれないかな?」


 しばらくすると、メルがやってきた。

 垂れ目がちな眼差しからはいつもの優しさが感じられるが、表情は曇り気味だ。

 メルはリーゼを膝の上に乗せて、俺たち同様に口は開かず、リーゼの身体に手を回して支えていた。

 昼食まではそんな感じに四人でボーッと過した後、ウェインがやって来る。


「おう、クレアたちに聞いたけど、アシュリンがいなくなったんだって?」


 最近のウェインは以前に比べて館に来る頻度が低くなっていた。

 こいつが館に来ていたのは魔法練習のためが主で、既に初級水魔法と火魔法は習得している。だが魔法は本気で習う気がないらしく、数日おきに来て俺たちと魔法の練習をし、ついでに遊んで帰っていくのが常だ。


「とりあえず、いつも通り魔法の練習でもさせればいいんじゃねーの? リーゼならそのうち気が紛れて元気出るだろ」

「ウェインはアシュリンのこと、心配じゃないんですか?」

「べつに、あいつ俺には偉そうにしてくるからな。ま、そのうち帰って来るだろ」


 ウェインはメル同様に舐められている節があるので、反応は淡泊だった。


 俺たちは習慣として、リーゼには普段通りに魔法の練習をさせた。

 その後は昼寝をする。リーゼは昨夜なかなか眠ろうとしなかったので、少し寝不足だ。割とすぐに寝てくれたが、目を覚ましてからはベッドの上から動かず、ただ横たわっていた。


「あれはもう重症ね……」

「くそ、なんか調子狂うな」


 リーゼをメルに任せ、俺とサラはホールの階段に座り、溜息を吐いた。

 ウェインは気障ったらしく階段の手摺りに背中を預けて肩肘を乗せ、天井を見上げている。


 予想以上にリーゼは落ち込んでおり、俺たちとしてもどう対処すれば良いのか分からない。チェルシーのときのように、もう明確に帰ってこないと分かっているわけではないので、その中途半端さが何とも釈然としない微妙な状況を作り上げていた。


「今日はリーゼの七歳の誕生日ですから、何とか元気になって欲しいんですけど……」

「ローズの誕生日でもあるのよ」

「私は……まあ、リーゼのついでみたいなものですから」


 なんとなく高い天井を見上げながらそう答えると、サラが両手で俺の顔をぐいっと引っ張り、真っ正面から目を合わせてきた。


「次そんなこと言ったら怒るわよ」

「え……あ、はい」


 予想外に真剣な顔でそんなことを言われ、俺は呆然と頷いた。

 サラはすぐに手を放して、恨めしげな、あるいは懇願するような口調で呟く。


「まったく、アシュリンなにやってるのよ……」

「厳しくされれば、家出しても不思議じゃねーだろ。これまで甘やかされてたんなら、余計にな」


 ウェインは七歳児(そろそろ八歳児)らしからず冷めた意見を口にする。

 俺としても同じ考えを持ってはいるが、口にはしなかった。


 それからも悶々とした時間が流れ、陽が沈み、何事もないままに夕食となった。

 今日は俺とリーゼの七歳の誕生日だ。例によって例の如く、ウルリーカがやって来て俺たちの誕生日を祝ってくれた。ウェインを含んだ十人で食卓を囲み、クレアたちが作った料理は普段より明らかに豪華で美味しそうだ。

 一昨日ヘルミーネが仕留めたベロウブルの肉は分厚いステーキとして出されている。しかし、リーゼは全く嬉しそうな顔をしていない。


 何はともあれ、まずは食べ始めようか……ということになったとき、ふとリーゼが俯きがちだった顔を勢い良く上げた。力なく垂れかけていた両の獣耳をピンと立てて、目を見開いて天井を見上げている。


「リーゼ、どうしたの?」


 サラが不思議そうに訊ねるも、リーゼはいきなり立ち上がって食堂を駆け出て行った。


「あっ、ちょっとリーゼ!?」

「……たぶん、帰ってきたのかも」


 サラが叫ぶその傍ら、メルが半信半疑に呟いた。

 彼女の垂れ耳がピクピクと動いている。


「とりあえず、リーゼを追いかけてみましょう」

 

 メルとウルリーカ曰く二階へ行ったようなので、俺たちは全員でリーゼの後を追い、俺とリーゼの部屋に行った。

 すると、いた。我が家のペットがバルコニーで薄汚れた巨躯を晒し、お座りしてリーゼと対面していた。


「アシュリン……?」


 リーゼがふらふらと近づきながら、野郎の名を呼んだ。

 当のアシュリンは項垂れるように頭を下げ、大きな身体を縮こまらせて、「ピュェ……」と鳴く。それを受けてリーゼは足を止めると、今にも泣き出しそうな、か細く震えた声を出す。


「ごめんね、アシュリン……つめたくして……あたしもうおこってないから、こんどからちゃんとあそんであげるから、もうどこにもいかないで……?」


 アシュリンもまた不安げな様子で「……ピュェェ」と鳴き、足下へ向けていた嘴をゆっくりと前方へ動かした。すると何かが嘴に押されて、差し出されるようにゴロッとリーゼの方へ転がり出る。

 それは鳥のような何かの死骸だった。全長五十レンテもない程度の、魔物だか野鳥だかよく分からない、血塗れの鳥だ。


「…………もしかして、それ、とってきたの……?」

「……ピュェ」


 アシュリンは恐る恐るといったように小さく鳴いた。

 リーゼは呆然としたまま動かず、アシュリンはそんなリーゼを俯きがちな顔で覗き見るように見つめていた。


「ア……アシュリィィィィィィィン!」

 

 リーゼが突進するように抱きつくと、アシュリンはそれをもろに受けて嬉しそうな鳴き声を上げた。灰色の身体は泥か何かで汚れていたが、リーゼは気にした風もなく大きな身体にしがみついている。


「もう、かってにどっかいっちゃ、だめだからね」


 アシュリンの身体に顔を埋めて、半泣き声でリーゼが言うと、アシュリンは申し訳なさそうに小さく鳴いた。

 その様子を端から見て、俺たちは全員立ち尽くしていた。


「まさか代わりの肉を獲りに行ってたなんてね」

「はぁ……なによもう、心配させて」

「う、うぅ……アシュリンいい子すぎるね、良かったねリーゼ」

「なんだよあいつ、獲りに行くなら行くって報せてから行けよな……」


 セイディは感心したように呟き、サラは呆れたような安心したような溜息を吐き、メルは感動しているのか涙ぐんでおり、ウェインは舌打ちしつつも笑みを覗かせている。

 ウルリーカも小さく鼻をすすっており、クレアとアルセリアと婆さんは優しい眼差しで静かに見守っている。

 俺もアシュリンの予想外の行動に胸を打たれるが……ちょっと待って欲しい。


 確かにね、アシュリンは健気だと思うよ。

 自分が食べてしまった分の肉をなんとか埋め合わせようと、野郎単独で肉を獲りに行っていた。この辺りに動物やら虫やらはいても魔物はおらず、あいつは温々と育ってきたこともあって、今まで一度も狩りをしたことがなかった。

 たぶん相当苦労したはずだ。それは一日半も帰らなかったことと、あの薄汚れた全身を見れば分かる。


 でもね、みんな忘れないで欲しい。

 元々はアシュリンが最高級肉を食べたことが原因なんですよ。

 マッチポンプだよ、なんだよあいつ、自作自演かよ、なに感動的な場面演出してんだよ……と、心の汚れた俺はつい思ってしまうが、まあいいかと流せてしまえた。何はともあれ、アシュリンは無事に帰ってきた。

 きちんと自分のしでかしたことの責任をとろうと、あいつなりに頑張ったんだ。

 なら、それでいいじゃないか。 


「アシュリィィィィィィィンっ!」

「ピュェェェェェェェェェンッ!」

 

 感動的な再会シーンもそこそこに、俺たちは食堂に戻って夕食を始めた。

 リーゼの隣にはアシュリンがお座りして控えており、既に本日の主役……の一人は晴れやかな笑みを浮かべている。

 

「リーゼ、ローズ、七歳の誕生日おめでとう」


 俺たちはみんなから祝福され、美味しい夕食を楽しく頂いていった。

 クレアたちからはプレゼントとして櫛をもらった。サラが持っているような、鼈甲っぽい素材でできた目の細かな半円型の櫛で、リーゼとお揃いだ。

 不覚にも涙が出そうになったが、プレゼントに櫛を贈られるという状況に、改めて自分は女なのだと実感して、なんとも複雑な気持ちになってしまった。


「……ほ、ほらよ」


 なんとウェインからもプレゼントをもらった。

 リーゼとお揃いの髪飾りだ。


「似合いますか?」


 特別にその場で着けて訊ねてやると、ウェインはぶっきらぼうに顔を背けた。


「さあな、知らね……」

「似合ってるじゃないローズ。ウェインもちゃんと言いなさいよね」

「なんでだよ、知らねーっつってんだろ!」


 そんな恥ずかしがってちゃ女にモテないぞウェイン君。

 とは思ったが、それで何ら問題ないので深くは追及しないでおいた。


「おにくおいしー! おいしーぞアシュリーンっ!」


 我が家のペットが苦労して獲ってきた肉は、リュースの館のあるクラジス山脈ではメジャーな野鳥のものだそうで、魔物ではないようだった。

 その鶏肉は丸焼きにして、みんなで仲良く頂いた。アシュリンにも切り分けて、リーゼが直接食べさせてやっていた。

 その日のアシュリンには俺たちと同じものこそ食べさせなかったが、アシュリン用に出した生肉はリーゼが火魔法で焼いてやっていた。


 これからのアシュリンの食事は、野菜はともかく肉だけはリーゼが焼いて、おまけとして香辛料も振りかけて与えることになった。

 ちなみに、あのグルメ野郎の好きな焼き加減はミディアムウェルだ。


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