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幼女転生  作者: デブリ
四章・日常編
84/203

第五十六話 『失われた肉を求めて 前』


 猟兵デビューから半年近くが経った。

 現在は年が明け、光天歴八九五年、橙土期第八節。

 冬の寒さもだいぶ過ぎ去って、春の暖かさが滲み出てくる頃だ。


 ここ半年弱は……良くも悪くも平和だった。

 初狩猟した日の翌日深夜、リーゼが密かに持ち帰っていたアッシュグリフォンの卵が孵って、アシュリン(♂)という名の新しい家族が加わった。

 その数日後には、サラが幼女部屋から独立して一人部屋に移ったと思ったら、二年前の真実を知って引き籠もった末に号泣した。

 それから更に十日ほど経った頃、あの日猟兵協会で見掛けた獣人美少女ユリアナが館にやってきた。


 どうにも彼女は《黄昏の調べ》に襲われたところをディーカにいるらしい《黎明の調べ》の協力者たちに助けられたらしいのだ。俺たちザオク大陸西支部はディーカを活動拠点にしているため、《黎明の調べ》の一員となった彼女は安全のために東支部へ行くことに……なっていたんだが、リーゼに引き留められて残った。

 そして、まあ彼女にも色々と事情があったらしく、一緒に暮らし始めて四節半ほど経ったある日、ユリアナは偽名で本名はメレディスであると、彼女の本心と共に明かしてくれた。それまではどこかぎこちない表情を見せていた美少女が、明るい顔で朗らかに笑うようになり、俺としてもなんだか嬉しい出来事だった。


 しかし、メレディスことメルの一件を受けて、俺たちは町へ出ることを制限されていた。《黄昏の調べ》というクソ野郎共はメルを襲ったくせに、顔も名前も割れているであろう俺たちには不干渉だ。この不自然な状況を見極めるためにしばらく様子を見ることになり、俺たち幼女三人はおよそ一期と三節もの間、ディーカへの出禁をくらった。猟兵になるべく頑張ったリーゼには気の毒なことだった。


 最近ようやく再び町に出始めたが、結局俺たち《黎明の調べ》ザオク大陸西支部の面々はディーカに出て行っても、誰一人として襲われることはなかった。そんな気配すらなかった。メルも町へ出たが、特に怪しい奴からストーキングされるようなこともなかったようだ。

 ……正直、意味不明で気持ち悪いが、平和であることに越したことはない。

 そして今日も、俺は館で平穏な生活を送りつつ、自らの為すべき事を為していっている。


「ただいまー!」


 いつものように部屋で絵を描いていると、バルコニーの方から聞き慣れた元気な声が響いてきた。俺は絵筆を止めて、イーゼルに掛けた大きなキャンバスから窓の向こうへと視線を転じる。

 青空を背景にこちらへ飛んでくるのは二人と一匹……いや、一頭だ。セイディは一点の曇りすらない白翼を羽ばたかせ、サラは濃紫色の翼で空を切り、そしてアシュリンは灰色の翼で宙を駆けてくる。

 二人と一頭はバルコニーに着地して、各々の翼を休めた。


「やったよローズっ、サラねえにかったよー!」

「勝ったのはリーゼじゃなくてアシュリンでしょ」


 喜々とした様子でアシュリンの背中から飛び降りるリーゼに反し、サラはどこか憮然とした面持ちで素っ気なく反論した。


「ま、アタシにはまだまだだけどね」


 ない胸を張ってアシュリンの頭をぽんぽんと撫で叩くセイディに、アシュリンは「ピュェェッ!」と勇ましく鳴きながらその手を振り払う。


「もうサラより速く飛べるとか……やっぱり成長早いですね」

「ま、なんだかんだで魔物だからね。この調子ならあと半年もしないうちに、完全に成体と同じ大きさになるんじゃない?」


 セイディはサラと一緒に部屋の中に入ってくると、椅子とベッドにそれぞれ腰を下ろした。


 さて、我らがリュースの館唯一のオス野郎についてだが、こいつは生後半年程度の現在、ライオン並のデカさにまで急速成長している。生後間もない頃は小型犬程度の、リーゼでも抱き上げられるほどの大きさだった。それが日に日にすくすくと成長していき、三節もしないうちにリーゼでは抱き上げられなくなり、白かった体毛は灰色へと変わって、生後六節頃にはひとりでに空中散歩を始め、今尚その成長は留まるところを知らない。

 初狩猟のときに見たアッシュグリフォンの成体――つまりアシュリンの親はサイくらいの巨体を誇っていた。既に肩高はリーゼの肩くらいあるので、成長しきればセイディやクレアの身長と同程度になるだろう。

 頭から尻尾までの全長ではおそらく三リーギスを超えるはずだ。


 現時点でさえ、俺たち幼女なら爪や嘴の一撃でオーバーキルできるだろうそいつは、リーゼに頭を撫でられて癒されている。一丁前にお座りして目を閉じ、顔をリーゼの身体に擦りつけて甘えている。

 こいつは結構マザコンなのだ。

 まだ生後半年だから仕方ないのかもしれないが……。


「どうしましょう……これ大きさ変えた方がいいですかね? サラはどう思いますか?」

「いいんじゃない、そのままで。大きいと描ききれないかもしれないんでしょ」


 サラは俺の後ろからキャンバスを覗き込んできて、割とどうでも良さげに言った。


 現在、俺はみんなの絵を描いている。

 既にレオナの絵は二枚ほど描いたが、やはりというべきか、俺の画力のヘボさが滲み出る出来となった。俺は前世で亜麻などの繊維を使ったマジモンのキャンバスに絵を描いた経験などなかったし、絵筆を握ったのなんて二十年ぶりくらいだ。だから練習と思い出作りを兼ねて、一枚だけこの館に住まう全員の集合絵を描いてみることにした。

 ちなみに画材費は猟兵デビューしたことで与えられるようになった俺の小遣いで賄っている。


 木炭で軽く下書きをして、大体それに沿って毎日コツコツ少しずつ色を塗り重ねていっている。しかし、描き始めて六節ほどが経った今、その頃より確実にアシュリンは成長を遂げている。あと三節もしないうちに完成するだろうが、その頃には更に大きくなっているだろう。

 改めて悩むが……やはりサラの言うとおり、このままでいいだろう。一度描き始めてから変更すると、全体のバランスが崩れて駄作になりそうだ。

 まあ、そもそもあんまり上手くないんだけどね。


「ふぁ……ねむくなってきた……」


 リーゼが大きな欠伸を漏らすと、それを見たアシュリンはその場に横たわった。そして当然のようにその柔らかな毛並みをベッドにして、幼狐は温かな陽光の下でうたた寝を始める。

 

「アタシも寝ようかなぁ……季節の変わり目って、なーんか眠くなるのよね」


 セイディはそう呟きながら俺たちのベッドに寝転がった。サラはそんな二人の様子を見て、逡巡するように両者を見比べた後、アシュリンの方へ向かった。リーゼはアシュリンの横っ腹に背中を預けており、サラもその隣で脱力する。

 

 ややもしないうちに、部屋の中は再び静かになった。

 俺は午睡に耽る三人を見遣った後、キャンバスに向き直ろうとしたが、そこで「ピュェ……」と声が聞こえてそちらを見た。

 アシュリンはなんだか物欲しそうな顔で俺を凝視してきている。


「……水か?」


 三人は寝てしまい、野郎同士ということで気安く話しかけてみる。

 するとアシュリンはさも人語を解しているかのように「ピュェ」と頷きやがる。


「こいつほんとに魔物かよ……?」


 婆さん曰く、アッシュグリフォンは魔物の中でも賢い方らしいとは聞いている。前線の町の方ではアッシュグリフォンを捕獲して調教し、魔物狩りに活用しているとか。

 約半年前、シリエの町の猟兵協会がアッシュグリフォンの巣を襲撃したのも、危険排除と卵奪取のためだったらしい。成体を調教するのは難しいが、生まれた直後の幼体からなら比較的簡単だそうで、現に我が家のペットもペットらしく大人しい。まあ、従順さに関しては相手により差異があるが……。


 アシュリンは俺とリーゼの部屋に住んでいるので、水飲み用の器も部屋の中にある。俺は両手でそいつを抱え上げ、アシュリンに近づく。


「アシュリン、くれぐれも勘違いするな。俺はお前のパシりじゃない、いいな?」


 主従関係ははっきりさせる必要がある。

 リーゼとサラにもたれ掛かられて動けないアシュリンは「ピュェェェ、ピュェ」と気安い声で返事しやがった。

 偏見に満ちた意訳をするのなら、『分かってんよ、ダチ公』。


「俺はお前のダチじゃない、ご主人様の一人だ」

「ピュェン、ピュェェェェェ!?(おいおい、何言ってんだよ!?)」

「お前こそ何言ってんだよ、俺はお前のママンの姉妹だぞ」

「ピュェピュェ、ピュピュェェェェェェン(ここは男同士、上下関係なしでいこうぜ)」

「黙れ魔物畜生」

「ピュェンピュェェェェ!? ピュェン!(オレを魔物と言ったな!? エセ幼女!)」

「えへっ、私は正真正銘、どこからどう見ても可愛らしい女の子そのものですよ」

「ピュェ(キモ)」

「……うん、何やってんだろうね、俺」


 正直、アシュリンが何を言っているのかは欠片も分からない。

 今のは全て俺の妄想による意訳だ。

 魔物と会話するように話しかける幼女とか、それはそれで微笑ましいんだろうが、自分を客観視してもそうは思えない。リーゼやサラなら和む光景に見えるだろうが。

 そのリーゼだが、彼女は本当にアシュリンと意思疎通できてるんじゃないかと思えるほど、息が合っている。獣人だからといって、動物や魔物と会話できるという種族特性はないらしいが、ほんとかどうか疑わしく思えてくるよ。


「ピュェッ!」


 俺が突っ立って自らの行動を省みていると、急かすように声を掛けられた。

 

「ほらよ」


 器を置き、ほとんど空になっていたそこに水魔法で水を注ぎ入れてやると、アシュリンは嘴を突っ込んで飲み始める。

 頭を撫でてやっても邪険にされないということは、こいつも少しは俺を敬っているはずだ。そう思いたい。そうであってくれ。


 俺はイーゼル前の椅子に戻ると、再び筆をとって絵を描き始めた。みんなの集合絵は早く完成させて、レオナ絵に時間を掛けたい。とはいえ、習作でもクオリティには妥協せず、真剣に描いていくが。


 しばらく静かな環境で創作活動に没頭する。

 そして、どれほどの時間が経ったのか、不意に部屋のドアが開いた。


「あれ、みんな寝てるの?」

「今日は暖かいからね。ローズは絵描きを頑張っているようだけれど」


 入ってきたのはメルとクレアだ。

 二人ともシルバートレイを持っており、その上には茶器やら菓子やらが乗っていた。


「二人とも帰ってたんですか」


 クレアとメル、アルセリアの三人は朝から町に出ていた。

 軽く魔物を狩った後、買い物をして帰ると言っていたが、帰宅したことに全く気が付かなかった。


「うん、少し前にね」


 メルは答えながらテーブルにトレイを置いて、ベッドとバルコニーに目を向ける。

 ちなみにメルは館に来た当初はエノーメ語があまり話せなかったが、三節ほど前から結構上手に扱えるようになっていた。

 

 率直に言ってしまえば、メルは良くも悪くも普通の少女だ。

 いや、普通の可愛い魔少女だ。

 アシュリンの三節ほど後から家族の一員となった彼女は特に頭が良いわけでもなく、魔法力に秀でているわけでもなく、運動神経も並だ。だから当然といっていいのか、俺たち幼女より魔法はもちろん、剣や槍の扱いすら上手くない。

 婆さん曰く、これが普通の魔女らしい。

 クレアもセイディもなんだかんだで魔女としてのスペックは高い方らしいからね。特にクレアは覇級魔法まで使えるし、土属性は詠唱省略できる。


 メルは垂れ耳がキュートな、少し気弱そうな見た目をしている。

 初めて猟兵協会で見掛けたときは張り詰めた表情と雰囲気の、鋭い刃を思わせる美少女だったが、アレは一人旅用の偽装らしかった。実際、ここで生活を共にしているメレディスという少女は温厚な性格の、どこにでもいそうな女の子そのものだ。

 身体の線は細く、垂れ目がちな目元からは優しさが滲み出ており、一緒に生活していても俺並に怒らない。ただ、初めの頃はともかく、最近は良く笑うし、聞き手に回ることが多かった会話も積極的に発言してくれるようになった。


「クレアさん、どうしますか? なんだかみんな気持ちよさそうに寝てますし、起こすのは……」

「そうね。でも少し試してみましょうか。ローズ、お願い」


 俺はクレアの言わんとするところを察し、風魔法を使った。

 菓子の置かれたテーブルからバルコニーへと微風が流れていき、リーゼとアシュリンの耳がピクリと動いた。そしてアシュリンの目蓋が持ち上げられると、テーブルに視線が注がれ、その後すぐにリーゼの肩を嘴で軽くつつく。

 リーゼは「んぁ……?」と寝ぼけた声で薄く目蓋を開き、アシュリンの「ピュェ!」という声にゆっくりと上体を起こした。


「なにアシュリン…………あ、クレア、メル」

「おはよう、リーゼ。おやつあるけど、食べる?」

「たべるーっ!」


 一瞬で表情から微睡みが抜け、隣で寝息を立てるサラの身体を大きく揺さぶり始める。

 

「セイディはどうしますか?」

「そっちは普通に起こしましょうか」


 メルの問いかけに答え、クレアはベッドで眠るセイディに肩を軽く叩く。

 ちなみにセイディの寝顔は意外とあどけなくて、俺は結構好きだ。夜はクレアとあんなに乱れてたのにね、女って奴はほんと色んな顔を持ってるもんだよ。

 まあ、俺も人のことは言えないが。


 深く眠っていなかったせいか、サラもセイディもすぐに起きてきて、おやつタイムとなる。尚、婆さんとアルセリアは年長者同士で何やら話しながらティータイムと洒落込んでいるらしい。


「おいしー!」

「一人三個ずつね」


 おやつはレノムと呼ばれるリンゴっぽい果実を切り分けて焼き、その上にハチミツをたっぷりと掛けたものだった。クッキーめいたお菓子と違い、短時間で簡単に作れて、かつ美味しいので、よく出されていた。


「アシュリン、あーん」


 リーゼはアシュリンの口内におやつを放り込む。

 アッシュグリフォンは鳥類のような嘴型の口をしているが、ちゃんと歯もある。というか、歯は鋭すぎてもはや凶器にしか見えない。嘴で突いて良し、歯で噛みちぎって良し、なんだかんだでこいつは歴とした魔物なのだ。

 

「アシュリンって、ちゃんと味とか分かるのかな?」

「たぶん分からないでしょ、魔物だし。それに出されたものは何でも食べてるしね」


 メルとサラが話す傍ら、今度は大きく開いた口の中に紅茶を流し込むリーゼ。

 野郎はティーカップ一杯分の紅茶を飲み干し、満足げに「ピュェ」と鳴きやがる。


「というか、そろそろアシュリンには別のものを食べさせた方が良くないですか?」

「なにいってるのローズっ、アシュリンもかぞくなんだから、みんなとおんなじものたべるんだ!」


 リーゼの頑とした主張に追従するように、アシュリンもまた「ピュェェ!」と鳴く。

 いやお前、人間様と同じメシ食うとか、魔物としてどうなのそれ。


「クレアとセイディも作るの大変ですよね? 最近は食べる量も増えてきてますし」

「そうね、そろそろ生のまま出した方がいいでしょうね」

「むしろ今までアタシらと同じ食事内容だったことが、なんか今更ながらに驚きよ。最近はもうすっかりアシュリンの分も普通に作ってたし」


 今まで当たり前のようにアシュリンが俺らと同じもん食ってたから、俺もそれが普通だと思い込んでいた。

 でも、そうだよ。魔物は魔物らしくナマモノ食ってればいいんだよ。


「なんだかアシュリン、反対してるような……?」


 メルの言うとおり、アシュリンは喧しく声を上げ、翼を羽ばたかせている。

 半年前はともかく、今のこいつは結構デカいので、羽ばたかれると普通に風が巻き起こる。

 

「アシュリンやめなさい!」


 だがサラの一言でピタリと大人しくなった。

 

「アシュリンはみんなとおんなじものがたべたいんだ!」

「ピュェピュェッ!(そうだそうだっ!)」

「でもこの子ペットじゃん」

「ピュェピュェェェェン!(オレは家族の一員だぞ!)」

「セイディの言うとおりね。それにリーゼ、なにあんたさりげなくアシュリンの分まで食べてるのよ」

「ピュェ!?(えぇぇ!?)」


 いや、意訳だよ?

 意訳だけど、でも鳴き声の調子や挙動から判断するに、そう言っているように聞こえるんだよ。だってこいつ、凄い人間臭いんだもん。


 実際、アシュリンはリーゼに自分の分のおやつを一つ食べられて、口を半開きにしてリーゼを見つめている。その横で、果物好きなサラがアシュリンのおやつの残り一つをもらっていた。

 親だと認識しているリーゼはともかく、アシュリンはサラにも逆らうことができないのだ。


「もう、リーゼ、アシュリンが可哀想だよ?」

「で、でも、アシュリンがおやついらないっていってたから……」


 メルとアシュリン、両者から目を背けてリーゼは呟いた。

 アシュリンは「言ってないよママン!?」とで言わんばかりに「ピュェェピュェ!?」と鳴いている。


「はいアシュリン、わたしのあげるね」


 心優しいメルはアシュリンに自分の分のおやつを一つあげていた。

 だが野郎は一転して、その施しを当然のような澄まし顔で貰い受けてやがる。メルはアシュリンが生まれた後から館で住み始め、更に彼女は性格が性格だから、アシュリンに自分より格下だと思われているのだ(たぶん)。


「ま、とにかく、今日から肉も野菜もそのままで食べさせてみましょうか」

「そうね、そうしましょうか」


 アシュリンはクレアにも反抗することができない。


 こうして、我らが《黎明の調べ》西支部の一員であり、家族でペットな魔物野郎の今後の食事がナマモノに変更されることが決まった。

 しかし、これが事件の発端になるなど、このときの俺たちは予想すらしていなかった……。




 ♀   ♀   ♀




 翌朝。

 珍しくクレアが怒っていた。


「アシュリン、分かっているわよね?」


 それは腹の底にまで浸透しそうな、清澄な響きを有した静かな声だった。

 不気味なまでに、凪いだ声だ。

 ホールと食堂を繋ぐ扉の前、クレアは豊満な胸の下で軽く腕を組み、アシュリンはリーゼの後ろで身体を丸めていた。だがリーゼは、いつになく冷めた怒気を滾らせるクレアを前に、俺の後ろに身を隠している。

 つまり俺が矢面に立たされている。


「あの、クレア、一体どうしたんですか? アシュリンが何かしたんですか?」


 俺が怖々と訊ねると、クレアは怒りと呆れの入り交じった溜息を溢した。


「……今朝、食料庫に行ったら、大事な食材がなくなっていたの」

「大事な食材?」

「明後日はローズとリーゼの七歳の誕生日でしょう? そのときに出そうと思って、昨日買ってきたばかりの食材よ」

「えっ!?」


 背中のリーゼが驚いた声を上げ、後ろのアシュリンを振り返った。野郎は顔を伏せ、デカい身体を震わせて、クレアの怒気に完全に怯えきっていた。

 ちなみに一緒に食堂に入ろうとしていたサラは早々に緊急離脱し、別ルートから食堂に入って、婆さんとアルセリア、セイディ、メルと一緒に着席して遠巻きに様子を窺っている。


「で、でもクレア、アシュリンがたべちゃったって、なんでわかるの?」

「あの量が一晩でなくなっていたのだから、犯人なんて限られるわ。それになにより、これが落ちていたわ」


 クレアが俺たちに一枚の羽を見せてきた。

 灰色のそれは間違いなくアシュリンのものだ。

 リーゼはアシュリンとクレアの間で視線を往復させた後、巨大ペットを抱きしめながら必死な声を上げた。


「ア、アシュリンもおなかすいてたんだよ! しかたなかったんだっ、だってきのーのばんごはん、ぜんぜんたべてなかったしっ!」

「それはアシュリンの自業自得でしょう」


 にべもなくリーゼの主張をぶった切るクレア。

 だが自業自得という言葉は何ら間違っていなかった。


 昨日のディナーから、アシュリンの食事はナマモノばかりの新メニューに変えられた。が、野郎は生肉を一口食べただけで、『こんなもん食えるか』と言わんばかりに以降は口を付けず、果物とチーズだけ食べて完全に口を閉ざしてしまった。

 リーゼが食べろと言っても、アシュリンは珍しく命令を無視し、意固地なまでに食べようとしない。リーゼとメルは自分の分を分けてやろうとしたが、婆さんの「甘やかしてはならん」の一言によって未遂に終わった。


 結局、アシュリンは晩飯を少ししか食べないままで、念のため俺たちの部屋にまで新メニューディナーを運んだが、先ほど起きたときにもまだ残っていた。

 しかしまさかこの魔物野郎、日頃からアレほど食料庫は神聖にして不可侵の領域だと教え込んでいたのに、その聖域を侵すとは……。


「あれ、でもアシュリンってナマモノが嫌だったから、昨日は食べなかったんですよね? 何を食べられたんですか? 果物とかチーズですか?」

「さっきも言ったけれど、明後日の誕生日で出す予定だったものよ。奮発して買ってきた最高級の肉類だけ、綺麗になくなっていたわ」

「さいこーきゅーのにくるいっ!?」 


 リーゼは刮目して叫けびながらクレアを見上げた後、アシュリンの顔を覗き込んだ。

 最低最悪のグルメ野郎は「ピュェェ……」と情けなくも甘えるような声を出し、リーゼの身体に顔を擦りつけようとする。が、肝心のママンはさっと一歩退いた。


「アシュリン、さいこーきゅーのおにく、ひとりでぜんぶたべちゃったの?」

「ピュ、ピュェェ……(い、いやそれは……)」

「アシュリン、たべたの?」

「ピュェピュェェェン……ピュェェ(だってお腹すいてて……仕方なく)」

「…………アシュリン、さいてー」

「ピュェ!?(ママン!?)」

 

 リーゼから軽蔑の眼差しを送られ、アシュリンは嘴を半開きにした絶望面を晒して硬直した。

 

「アシュリンは罰として、今日一日、水以外は何も食べさせません。ここでみんなが食べるのを見ながら反省していなさい」


 クレアが極悪グルメペットに冷酷な声で判決を下した。

 野郎は背中を丸めて伏せの姿勢をとり、恐怖し絶望しながら完全平服している。

 もはやそこにオスとしての矜持は欠片も見られない。


 クレアはペットへの教育を終えて長く深い溜息を一つ吐く。

 それだけで切り替えたのか、俺とリーゼに向けてきた眼差しは普段の慈愛に満ち溢れたものだった。


「さて、それじゃあ朝食にしましょうか」

「うぅ、アシュリンひどい……おにくひとりじめするなんて……」


 俺は落ち込むリーゼの頭を撫でながら食堂に入る。が、すぐ後ろからアシュリンが恐る恐るついてきたので、リーゼは振り返って野郎の頭を叩いた。


「アシュリン、めっ!」


 再度ママンから叱られて、アシュリンはとぼとぼと引き返し、食堂の扉前で伏せの姿勢になって「ピュェ……」と悲しげに鳴いた。

 怒りとショックのせいか、リーゼはその声に振り返ることなく、自分の席に着席する。

 

 そうして、朝食が始まった。

 いつもはその日の予定を話したりするところだが、今日の話題は案の定、失われた食材についてだった。


「お姉様、明後日の料理はどうしますか?」


 我が家だけなのか、この世界の常識なのかは知らないが、誕生日を祝うという情報は俺とリーゼにもオープン状態だ。ただ、明後日の誕生日は七歳なので何かプレゼントがあるらしく、そちらが何かは秘されているが。


「そうね……買い直したいところだけれど、とても高かったし、また売りに出されているかどうか……」

「えっ!? じゃあおにくなしになっちゃうの!?」


 二人の遣り取りを聞いていたリーゼが思わずといったように叫んだ。


「仕方ないでしょ、アシュリンが食べちゃったんだから。親のリーゼがきちんと躾てなかったせいよ」

「でも、だからって可哀想だよ。いくらリーゼが親でも、実際はわたしたちみんなで躾てたわけだし……」


 サラの主張を諫めるように、メルがフォローする。


「うむ、確かにメレディスの言うとおりではある。明日、もう一度買いにいってみれば良かろう」

「アシュリンが食べたのって高いお肉だったんですよね? あの、こんなこというのも何なんですけど、金銭的に大丈夫なんですか?」

「ローズ、子供はそんなこと気にしなくてもいいんだ」


 やはりというべきか、アルセリアはそう言う。

 こういうとき子供は素直に喜べばいいのだろうが……なんだかなぁ。


「やったーっ、さいこーきゅーのおにくだーっ!」


 と喜びを露わにするリーゼのように、俺も幼女らしく振る舞った方がクレアたちも嬉しいはずだ。しかし、俺は高い肉にそこまで思い入れはない。

 ただクレアたちが誕生日不明な俺のためにわざわざ祝ってくれるというだけで、もう胸が一杯なのだ。それは肉など比較にもならない贅沢で、何よりも幸せなことだよ。


「でもリーゼ、期待はしないでね。売っているかどうか分からないから」

「わかったーっ!」


 断言しよう。

 リーゼは分かっていない。

 大好物であるところの肉が――最高級の肉が食べられない事態など、もはや彼女は想定していない。


 まあ、何はともあれ、無事に肉が再入手できることを祈るとしよう。

 



 ♀   ♀   ♀




 昼前、食材を求めて町に出て行ったクレアとセイディが戻ってきた。

 が、どちらも手ぶらだった。

 

「なかったわ」

「――――」


 肩を竦めたセイディに、リーゼは言葉なく立ち尽くす。

 尚、いつも側にくっついているアシュリンは今はいない。

 俺とリーゼの部屋の片隅で落ち込んでいる。


「まあ、アレね、しょうがないわね。今回のことを教訓に、これからはアシュリンの躾をしっかりとすることね」

「そうね、売っていないものはどうしようもないし……でもごめんね、リーゼ。こんなことなら、初めからお肉のことは言わなければ良かったわね……」


 確かにクレアが肉の存在を明かさなければ、リーゼが落ち込むことはなかった。

 しかし、今後のアシュリンの調教を考えれば、教えて正解だ。無論、リーゼは可哀想だが、これで今後はリーゼもある程度アシュリンを厳しく躾るだろう。


「……アシュリンのばか」


 リーゼは悄然とした様子で呟いた。

 普段ならここは駄々をこねるところだが、彼女はただ落ち込んでいる。

 よっぽどショックらしい。


「あ、リーゼ、そんな落ち込むことないわよ。明後日はいつもより豪華で美味しい料理も作るから、ね?」

「うん……」

「えーっと……あ、そうだ、これから狩りにでも行く?」

「……いかない」


 セイディは何かと気遣うが、リーゼはローテンションのまま首を横に振り、俺を見てきた。


「ごめんね、ローズ。アシュリンのせいで、おにくたべられなくなって……」

「え、あ、いえ……私はそんなに気にしてませんよ」


 リーゼは俺の言葉に小さく頷くと、美女二人を出迎えていた一階ホールから駆け出て行ってしまう。

 俺もクレアもセイディも、そんなリーゼをただ見送っていた。


「なんか、予想以上に落ち込んでなかったですか?」

「きっとリーゼは、親の自分がアシュリンをきちんと躾られなかったから、こうなってしまったのだと思っているのでしょうね」


 クレアは複雑な眼差しでリーゼの背中が消えた方を見る。

 きちんと俺に謝ってきたことからも、クレアの言っていることは的を射ているのだろう。

 

「でも実際はみんなで躾てたんですし、私はリーゼのせいなんて思ってないですけど」


 むしろアシュリンの舌を肥えさせてグルメ野郎にしてしまった罪はみんなで共有すべきものだ。

 

「あの子も変なところで責任感じるわねー。まあ、それだけ自分がアシュリンの親だと自覚してたってことなんでしょうけど」

「あの、ところでアシュリンが食べた肉って、具体的にどんなのなんですか?」


 少し気になって訊ねてみると、クレアが答えてくれた。

 失われた食材は以下の三つらしい。



・キングブルの肉

 三級魔物キングブルから採れる。

 だが希少種なので滅多に見掛けない。

 ちなみにステーキにする予定だったらしい。


・セイバーホークの肉

 三級魔物セイバーホークから採れる。

 だがかなりの強敵で、主に山地に棲息する。

 ちなみに唐揚げにする予定だったらしい。


・レインボーフィッシュの肉

 アクラ湖で採れる希少な魚の一種。

 ちなみにムニエルにする予定だったらしい。



 肉ということだったが、どうやら魚肉も含まれていたようだ。

 しかも二つは魔物の肉で、一つは湖の魚。


「売ってないなら、探しに行ってみるのはどうですか?」

「それは……まあそうなんだけど、キングブルは一日二日探して都合良く見つかるものでもないからね。セイバーホークは飛行型で滅茶苦茶速くて強いから、アタシじゃ狩れるか分かんないし、レインボーフィッシュのいるアクラ湖は完全に魚人の領域だからね。どれも買う以外で手に入れる方法はほぼないのよ」


 セイディは口惜しそうに説明してくれた。

 そう言われてしまうと、諦めるしかないのかもしれないが……


「それでも、キングブルは探しに行けば見つかるかもしれないんでしょ?」


 俺の内心を代弁するかのように、ふとサラの声が聞こえてきた。

 金髪褐色の美幼女は二階廊下から俺たちのことを見下ろしており、手すりを飛び越えて両翼を広げ、俺の隣にふわりと着地する。


「探しに行くだけ行ってみればいいじゃない。もしかしたら見つかるかもしれないわ」

「そうですよ、クレア、セイディ。まだ今日と明日の二日あるんですし、探しに行きましょう」


 ここぞとばかりに加勢して美女二人を見上げると、セイディは片手を腰に当てて笑みを見せた。


「ま、そうね。運良く見つかるかもしれないし」

「そう簡単にはいかないと思うけれど……その通りね。できることがあるのなら、してみましょうか」


 気を取り直すようにクレアも頷き、同意してくれた。

 そこで今度は一階廊下から泰然とした声が響いてくる。


「ではおれも行こう」


 アルセリアは俺たちの方に歩み寄ってきながら、相変らずクールな感じに続けた。


「索敵のためにセイディとサラはもちろん、ヘルミーネにも協力してもらおう」

「リーゼはどうします? さっき狩りに行こうかって誘ったら、断られましたけど」

「あの子は連れて行かない方がいいだろう。それにおれたちが探しに行くことも教えない方がいい。また期待させて、やっぱり見つからなかったとなれば、落ち込ませるだけだ」


 我が家の父親的ポジションにいるだけあって、話に途中参加でも既に取り仕切っている。アルセリアがいれば、なんか意外と簡単に見つかる気がするのは俺だけだろうか。


「私も行っていいですか?」

「ローズとリーゼのために探しに行くのに、ローズも一緒に探すのは、なんか違うような気がするんだけど……」


 サラは小難しい顔で反対的な意見を口にするも、俺は言った。


「でももう私だって話聞いちゃいましたし、期待して待っているよりは一緒に探しに行きたいです」

「まあ、いいだろう。おれとセイディ、サラ、ローズ、それにヘルミーネとユーハの六人で行くとしようか。クレアはメレディスと一緒にリゼットの相手をしていてくれ」


 アルセリアの言葉に各人はそれぞれ了解の意を返した。

 てっきりクレアも一緒に行くと主張すると思っていたが、彼女は留守番に甘んじるらしい。しかし思えば、クレアが残らないとペナルティ中のアシュリンを監視し、抑えつけられる人員に不安が残る。


「そろそろ昼食時だが、時間が惜しい。おれたちは町の露店で適当に買って済ませよう」


 というわけで、俺たちは希少な三級魔物キングブルを狩るため、早々に準備を整えて館を後にした。


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