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幼女転生  作者: デブリ
四章・日常編
81/203

 間話 『そして魔物の世界より――』


 ■ Other View ■



 嘘や秘密というものは、一度機会を逃すとなかなか打ち明けられないものだ。


「よーしっ、アシュリンさんぽのじかんだぞーっ!」

 

 昼食後、リゼットは食器を厨房に運び終えると、元気良く食堂から走り出て行く。その小さな背中をアシュリンが追いかける様を眺めながら、ローズがメレディスの側にやってくる。


「私たちも行きましょう」

「サラとクレアさんは?」

「先に広間に行って待っていてと言ってました」


 メレディスはローズと共に一階広間に出るが、既に大きな玄関扉は開いていた。

 それを見てローズは小さく溜息を吐きつつ、一緒に外に出る。玄関前の草地ではリゼットとアシュリンがじゃれ合っていた。

 

「リーゼ、勝手に外に出たらクレアたちに怒られますよ」

「とーくにはいってないからいーもんっ。それにユーリはじゅーごさいでおとなだから、おとながいればだいじょーぶっ」

「でも、わたしはみんなほど魔法が得意じゃないから、何かあっても頼りにならないかも……」


 情けなくはあったが、メレディスは安全のため正直に言った。

 館周辺に魔物はいないといっても、全くいないとは限らない。だから子供だけで外に出ることは危険なのだが……実はメレディスはあまりそう思っていなかった。


 共に館で生活し始めて、そろそろ三節が経とうとしている。

 それまでの間、メレディスは子供たちの英才教育ぶりとその成果を散々目の当たりにしてきた。だから、サラ、リゼット、ローズそれぞれの戦闘力が年齢に見合わないものだということを嫌というほど知っている。

 魔法ありだろうとなしだろうと、三人のうち誰かと一対一で戦った場合、その全員に負けるだろうとメレディスは確信している。無論、状況判断力は経験や年齢の積み重ねで培われていくものなので、その点だけは勝っているつもりでいたが、最近はそれもローズの方が上だろうと思っている。


「そんなことないですよ。ユーリはお姉ちゃんですからね、頼りにしてます」

「でもユーリはもっときたえたほーがいーねっ! いっぱいはしって、いっぱいたべて、いっぱいべんきょーしなくちゃっ!」

「そうだね、頑張る」

 

 苦笑いを返すと、リゼットはマリリンのように「うむ」と仰々しく頷き、再びアシュリンと遊び始める。

 そこでふと、ローズからじっと視線を注がれていることに気が付いた。その瞳は妙に透徹した怜悧さを窺わせ、およそ六歳の子供が見せるものとは思えない。


「どうかしたの?」

「…………いえ、ユーリの耳が触りたくて。触らせてもらっていいですか?」

「う、うん、いいけど……?」


 メレディスが膝を曲げてしゃがみ込むと、ぺたりと垂れた両耳をローズは両手で触ってくる。何が楽しいのか、ローズは満足げな表情で「あぁ~、やっぱりこれいいですね~」と緩んだ声を漏らす。

 子供らしくなかったり、子供らしかったり、ローズという女の子はなんとも不思議な子だ。


「あら、中で待っているように言ったのに」


 玄関からサラと一緒にクレアが出てきて、アシュリンと戯れるリゼットを仕方ないなとでも言いたげに微苦笑する。


「あ、すみません、わたしが先に出ていようって言って……」

「いいのよユーリ、分かってるから。それにユーリがいれば、玄関先くらいなら大丈夫でしょうし」

「それより、早く行きましょ。あまりのんびり散歩してると、魔法の練習時間が減っちゃうわ」

 

 サラは言うや否や背中の両翼を羽ばたかせて、空へ上がってしまう。

 その直前、メレディスは一瞬だけ彼女と目が合ったが、サラは微妙に視線を逸らして行ってしまった。


「リーゼ、行くわよ。いつも通り、はぐれないようにね」

「わかってるーっ!」


 午前の槍術稽古などなかったかのように、元気の有り余っているリゼットはアシュリンと共に森へ先行していく。だがクレアの言いつけは忘れていないようで、すぐに適当な木の周りをぐるぐると回り出して、一人勝手に行きすぎないようにしていた。


 メレディスはクレアとローズの三人でリゼットを見守りながら、のんびりと木々の間を歩いて行く。

 現在は蒼水期第四節に入ったばかりだが、植生している木は常緑樹ばかりなので森は深緑が色濃い。木漏れ日を浴び、虫や鳥たちの鳴き声を聞きながら、穏やかな時間を過していく。


 この三節ほどは毎日散歩しているが、メレディスは未だに心の底から現状を受け入れられないでいた。夢のようなこの時間が、生活を共にする優しい人たちが、実は何かの間違いで、今にも終わってしまうのではないか。

 そうした一種の疑念や恐怖が彼女の意識を濁らせ、そして何より罪悪感が首を絞めていた。まだみんなには本名がメレディスであると言い出せておらず、それが彼女に息苦しさを与えているのだ。


 それだけでなく、メレディスはかつて一度、家族を捨てた。

 自分がいなくなれば家族の生活を支えていた国からの援助金が断たれることを承知で、旅に出た。

 別段、そのこと自体は後悔していない。父と姉は家族だったが、家族ではなかった。彼らが自分を少しでも愛してくれていれば、旅になど出なかったのだ。ある意味、因果応報であると思っている。

 しかし、そうした過去を打ち明けられずにいる現状が、メレディスは心苦しかった。

 

「ユーリはサラのこと、苦手?」


 ふとクレアに話しかけられ、ぼんやりと歩いていたメレディスは我に返った。


「い、いえ、そんなことないです」

「もう何度も言っているけれど、あの子は少し人見知りだから、なかなか心を開いてくれなくても、嫌わないであげてね」


 そう言って、クレアは何か意味深な眼差しでメレディスを見つめた後、木々の合間から覗き見えるサラの姿を見上げる。その姿は普段の穏和な雰囲気を纏ったクレアそのものだが、どことなく物憂げな様子も窺える。


「私のときは色々あって、一期くらい掛かりましたね」

「ローズは、一期の間も……仲良くできなかったの?」

「ええ、でも今はユーリも知っての通りです。だからユーリも、まあなんとか頑張ってください。私もこれまで通り、色々協力しますし」


 そうは言われても、メレディスは本格的に不安になった。

 サラからは未だにリゼットやローズのように親しみをもって接してもらえていない。決して険悪な関係というわけではないが、壁というか、余所余所しさがある。

 ローズのときは何か事情があったにせよ、彼女で一期かかったのなら、自分は半年くらい掛かるか、あるいはずっと仲良くなれないのではないかと思えてしまう。


「クレアクレアクレアーっ、かたぐるましてー!」

「どうしたの、急に?」


 何本も先に佇立する樹の側でリゼットが手を振っていた。クレアが近づきながら訊ねると、「なんとなくー!」と笑顔で言いながら走り寄ってくる。

 少しだけ困ったような、呆れたような、しかしそれ以上の慈しみに満ちた笑みを見せてクレアはしゃがみ込み、リゼットは飛び乗った。


「もう少し大人しく乗ってね、私の首が折れちゃうから」

「わかったーっ!」

「本当に?」

「こんどからきをつける!」


 クレアは「きっとよ?」と苦笑いしながら慎重に立ち上がり、リゼットは「しゅっぱーつ!」と前方を指差した。その後ろでアシュリンが「ピュェ!」と鳴き声を上げ、二人の背中を追いかけている。


 メレディスは端からそれを眺めて、そういえば肩車もしてもらったことはないな……となんとはなしに思う。

 そんなとき、不意に服の袖を引かれて視線を下げてみると、ローズが上目遣いで見上げてきていた。


「えーと……?」

「…………」

「もしかして、肩車して欲しいの?」

「はい」


 少々自信はなかったが、子供の願いは無碍にできず、メレディスは腰を屈めて片膝を突く。ローズはリゼットと違って飛び乗ったりせず、ゆっくりと足を掛けてきた。

 

「それじゃあ立つけど……大丈夫?」

「お願いします」


 メレディスは足腰に力を込め、体勢を崩さないように恐る恐る立ち上がった。

 十五歳の少女で特に体格が良いわけではないが、それでも三年に及ぶ旅によって、そこらの町娘よりは遙かに体力がある。


「おー、アルセリアさんとはまた違ってて、なんか新鮮です」


 ローズの嬉しそうな声を聞き、安堵感に似た喜びを感じる傍ら、メレディスは歩き出しながら思った。

 アルセリアは竜人で力もあるし、頼めば肩車くらいしてくれそうだ。

 とはいえ、いい歳してそんなこと頼めるはずもない。


「ユーリ」


 クレアに乗って先を行くリゼットが振り返り、手を振ってくる。ローズも同じようにしてそれに応えながら、打って変わって静かに名を呼んできた。


「どうかしたの?」

「その……私の勘違いかもしれませんし、私が言うのも何なんですけど」


 どこか躊躇いがちな前置きをして、ローズは呟くように、でもはっきりとした口調で告げてきた。


「臆病に、ならないことです」

「……え?」

「自分が傷つくことを恐れて、誰かを理解し、理解されようとする努力を怠ってはいけない。人と触れ合って、関わり合って生きていく中で、大切なことはこれ一つだけ……と、お婆様は言っていました」


 突然の言葉に少しだけ混乱してしまう。

 なぜ急にローズがそんなことを言い出したのか、分からなかった。

 そしてそれ以上に、胸の内がざわついていることに戸惑いを覚えた。


「すみません、いきなり。さあ、行きましょう、早くしないと置いていかれます」

 

 我知らず立ち止まっていたことに気が付き、メレディスは歩みを再開する。

 しかし、彼女は言葉にできない自らの思考に意識を奪われ、しばらく悶々としていた。




 ■   ■   ■




 メレディスが館での生活を初めて、四節半が経った。

 その日も彼女は館と周辺の森だけで一日を過し、リゼットとローズと一緒にベッドに入る。

 しかし、両隣の子供たちと違って、メレディスはなかなか寝付けないでいた。


 その理由は考えるまでもなく、自分とサラのことだ。

 未だに本名を打ち明けられず、サラとも仲良くなれない。

 とはいえ、サラとは良くも悪くも普通なのだ。ただクレアやセイディ、リゼットたちほど親愛の情を感じないだけで、決して険悪な関係ではない。

 むしろ客観的に見れば、仲が良い方だろう。

 しかし、メレディスは壁を感じていた。ローズやリゼットのように、心を開いてくれている感じがしないのだ。


 だが、最近はそれで良いのかもしれないと、そう考えるようになってきていた。

 少々気まずいような思いをしているだけで、嫌われてはいないのだから、メレディスにとっては問題になるほどではない。

 そして本名の方も、彼女は半ば諦めかけていた。

 

 別段、メレディスが本名ということを皆に教えたところで、何がどうなるというわけでもない。ただの自己満足だ。もはや過去は切り捨てて、これを機に完全にユリアナという自分に生まれ変わればいい。

 猟兵としての強いユリアナはあの日にほとんど死んでしまったが、この館では誰かに害される心配はない……はずだ。だから強くなくとも、あまり問題はない。

 そう思うのに、メレディスは胸に何かがつかえているような違和感を拭いきれず、眠れずにいた。

 

「…………」


 逡巡した末、一度起きることにした。

 抱きついてくるリゼットの手足を丁寧に引き剥がし、腕を掴んでいるローズの手もそっと外す。二人の寝顔はとても可愛らしく、思わずリゼットの頬に手を伸ばすが……自分でもよく分からない恐怖心めいた躊躇いを覚え、触れる直前で手を引き戻した。

 メレディスは物音に注意してベッドから抜け出すと、部屋を出る。

 

「ユーリ?」


 中庭にでも行こうと思い、階段を下りようとしたとき、ふと声を掛けられた。

 不意打ちのような呼び掛けに、身体を強張らせながら廊下の向こうに顔を向けると、クレアがいた。

 

「どうかしたの? こんな時間に」

「いえ、その……少し眠れなくて。クレアさんは、どうしたんですか」

「私も似たようなものかしら。一杯だけお酒でも飲んでから寝ようかと思ってね」


 クレアは珍しく茶目っ気のある微笑みを覗かせて、肩を竦めて見せた。そしてメレディスの側まで近寄ってくると、後ろから両手で両肩を掴まれる。


「え、あの、クレアさん?」

「ちょうどいい機会だから、少しお話でもしましょうか。話をしているうちに、ユーリも眠たくなってくるでしょうし」


 何やら有無を言わせぬ気配を感じて、メレディスは肩を押されるがまま階段を下り、食堂に行かされる。

 魔石灯の明かりを灯し、椅子に座らせられると、クレアは厨房へ消えてしまう。

 しばらくすると、仄かな湯気を立ち上らせる銀の杯を両手に戻ってきた。


「はい、身体が温まるわよ」

「あ……どうも、ありがとうございます」


 受け取って中身を確かめてみると、赤い葡萄酒だった。


 メレディスはあの一件で更に酒が嫌いになった。

 しかし館に来て間もなく、セイディの酒盛りに付き合わされたことがあり、その際に「お酒は大丈夫?」と訊かれて「大丈夫です」と答えてしまっていた。

 一緒に酒を飲むことで交流が深まるということを、経験はなくとも知識としては知っていたので、あの頃は館の皆と少しでも良好な関係を築こうとしていたため、断るに断れなかったのだ。

 それ以降、セイディやクレアからは飲めると思われている。実際、飲めないことはないが、進んで飲みたくはなかった。


 隣席に腰掛けたクレアが酒杯を小さく傾けたので、メレディスも少しだけ飲んでみた。すると、意外に美味しかった。温かい酒はとても飲みやすく、クレアの言うとおり身体が温まるようだ。


「ここでの生活はどう? もう慣れた?」

「はい、大丈夫です。皆さん、とても良くしてくれますから」


 クレアは「そっか」と穏やかに頷いて、手にしていた杯をテーブルの上に置いた。

 

「ところで、前にローズとサラの話は聞いたわよね? 二人が仲良くなるときは結構時間が掛かったって」

「……はい」

「これはまだ話していなかったけれど、あのときはチェルシーっていう子が《黄昏の調べ》に殺されてしまってね。ローズはちょうどチェルシーと入れ替わるようにここに来たから、サラも色々と思うところがあったの」

 

 クレアは遠い目をして、赤い水面にぼんやりと視線を注ぐ。

 それから一度だけ瞬きを挟んで、メレディスにその美貌を向けた。


「だから、今回は大丈夫だと思っていたのだけれど……あの子、結構人見知りだから、この分だとまた少し時間が掛かりそうなの」

「…………」


 現在のサラとの関係でもいいか。

 と、そう諦めかけていたメレディスには上手く相槌が打てなかった。


「だからね、ローズのときはセイディがなんとかしてくれたから、今度は私の番かなと思って」

「クレアさん……?」


 隣に座る美女は静夜に似つかわしい穏やかな微笑みを浮かべ、言った。


「ユーリ、できればサラには……いえ、私も含めたみんなにも、あまり気を遣わないで欲しいの。サラは勘がいいというか、妙に鋭いところがあってね。きっとユーリが気を遣っているから、あの子も素直になれないでいると思うの」

「わ、わたしはそんな、気を遣っているわけでは……」


 反射的にそう言い返すも、すぐに否定しきれないことを悟った。

 そして同時に、以前ローズから言われたことを思い出して、自らの気遣いがサラを思ってのことではないことにも、このときようやく自覚した。


 口を閉ざしてしまったメレディスに、クレアはサラやリゼット、そしてローズに向けるような、包容力のある笑みを見せた。


「責めているわけではないの。ただ、ユーリにはもう少し、私たちに心を開いてくれないかなと思って。だから少し、話をしましょうか」

「話、って……?」

「私の話、そしてユーリの話。ユーリにだけいきなり心を開いて、なんて言うのも不公平でしょう? だからこの際、お互いのことを赤裸々に話し合いましょう。まずは私からね」


 クレアは再び杯を口元に近づけて、同性から見ても艶めかしい喉元を微かに上下させた。

 メレディスは両手で持った酒杯の中に目を落とし、何を言えばいいのか分からないままに押し黙る。


「何から話そうかしら……いえ、やっぱり初めからかしらね。あのねユーリ、私こう見えても、昔はお姫様だったのよ」

「え……?」


 メレディスは突然の告白に意識を奪われ、思わずクレアの綺麗な顔を凝視してしまう。


「私の父は、神那島全土を治めるガイレンという国の国主――つまり王様だったの。私はその四女として生まれて、巫女だということが分かって、姫巫女として祭り上げられていたのよ」

「……姫巫女?」

「えーと、そうね……ユーリの故郷のリーンカルン王国でも、王族の娘が魔女だった場合、姫魔女とかって呼ばれるでしょう? 神那島に限らず、北凛島でも南凛島でも、サンナで魔女は巫女と呼ばれるから、姫巫女ね。自分で言うと、なんだか恥ずかしいのだけれど」


 照れたように苦笑して、クレアは顔を隠すように酒杯を傾けた。

 メレディスはその横顔をまじまじと見つめてしまう。


「私は何不自由なく育っていたのだけれど、十歳の頃、父に売られてしまってね。詳しく話すと長くなっちゃうから割愛するとして、その頃は《黄昏の調べ》が神那島に進出し始めていたの。奴らは父と――国主と裏で色々と接触していたみたいで、最終的には私を差し出すことで話が纏まったのよ」

「どうして、そんなことに……?」

「どうやら《黄昏の調べ》に脅されていたらしくてね。父は歴史ある国の主だったから、仕方なく国のために私を捧げたのだと聞いているわ」


 クレア曰く、《黄昏の調べ》は現在に至るまで東部三列島サンナには上手く進出できていないらしい。しかし、神那島は北凛島や南凛島と違って広く国交が開かれており、連中は何十年も掛けて少しずつ、気付かれないようにガイレンに浸透していたそうだ。

 《黄昏の調べ》の目的は魔女という社会的に影響力の強い存在を排斥することにあり、特にサンナは他国に比べて魔女――巫女の影響力が大きく、当時のクレアもガイレンでは名を知らぬ者がいないほどの有名人だったらしい。

 連中は世界中の多くの国々、その重鎮たちと裏で強く繋がっているため、その政治的な力は島国のそれを優に上回る。クレアの父は他国からの圧力を盾に《黄昏の調べ》と協力関係を結ぶことを迫られ、これを拒絶しきれなかった。既に臣下たちは取り込まれ、断れば国が傾く状況にあった。

 そこで国主は、当時最も名実共に優れた巫女であったクレアを連中に差し出すことで譲歩を申し出て、時間稼ぎを図った。結果、ガイレンと《黄昏の調べ》との間に《黎明の調べ》が割り込む隙を与え、連中の国内浸透は防がれた。


「でも、私はそのとき既に死んだことになっていて、《黄昏の調べ》の手中にいたの。そこをマリリン様たちに助けてもらってね。それから北ポンデーロ大陸に渡って、マリリン様がここザオク大陸西支部に行くことになったから、私も一緒についてきたの。もう私は表向き死人だったし、《黄昏の調べ》とも深く関わってしまっていたから、連中も熱心に活動していない魔大陸は何かと都合が良かったのよ」

「では、その……クレアという名前は……?」

「もちろん、神那島を出てから名乗り始めた名前ね。昔はユリヒナと呼ばれていたわ。ふふ、ユリアナと一字違いね」


 欠片も暗い感情は窺えず、クレアは可笑しそうに微笑んでいる。

 

「あ、でも念のため言っておくと、クレアは偽名ではないわよ」

「え……?」

「いえ、厳密にいえば偽名なのだけれど、今の私はクレアだから。姫巫女ユリヒナはもう完全に過去のことで、でもそれを受け継ぎつつも、私は今を心の底からクレアとして生きているからね」

「――――」


 まるで遠回しに諭されているように、メレディスは感じていた。もうクレアは自分のことを何もかもお見通しで、だからこうした話をしているのだと、そう錯覚しそうになる。

 メレディスが言葉を失っていると、クレアは思い出したように口元に人差し指を立ててみせた。


「それと、この話はサラたちにはまだ内緒にしておいてね。三人とも、もう少し大きくなってから話そうと思っているから」

「は、はい……」


 それからメレディスは魔大陸に来てからの話を聞かされていった。

 セイディと出会ったときの話、サラを館で育てることになった話、リゼットを館で預かることになった話、チェルシーという少女が亡くなり、ローズが館にやって来たときの話。そうした大きな出来事だけでなく、日常での有り触れた小さな出来事の話だったり、リゼットからアシュリンを初めて見せられたときの話だったり、クレアは色々なことを語ってくれた。


「あ、そういえば、ユーリは獣人だから耳がいいわよね。いつかはバレちゃうだろうし、いい機会だから言っておくわ。私とセイディは、い仲だから」

「……?」


 何気ない口ぶりでクレアはそう言うも、メレディスには意味がよく分からず、小さく眉根を寄せた。

 するとクレアは穏やかな微笑みから一転して、口元に妖しくも艶めかしい笑みを浮かべた。


「私はセイディと肉体関係があるから」

「……………………え?」


 クレアの表情と告げられた言葉の意味を咀嚼するのに、メレディスは十秒ほど掛かった。そして何となく意味を理解した瞬間、顔面を火炙りにされているのではと錯覚するほど熱くなった。


「え、あの……ぇ、あ、え…………え?」

「今度三人でシてみる?」


 散歩にでも行くような気軽さで誘われ、蠱惑的な微笑みを向けられる。

 メレディスはクレアから若干身を引きつつ、真っ赤な顔のまま無言で思いっきり首を横に振った。


「ふふ、冗談よ、そんなに慌てないで。ほら、少しお酒が零れてるわよ」

「あ……冗談、ですか……?」

「ええ、三人でするとセイディが嫉妬しちゃいそうだからね」

「……………………」


 全部冗談だと思いかけたメレディスだったが、半分は本当なのだと思い知らされた。彼女は両手で強く握っていた酒杯をテーブルに置き、クレアの差し出してくれた布巾で、幾らか手に掛かってしまった葡萄酒を拭った。

 

「このことは子供たちには言わないでね。ユーリなら言うまでもないとは思うけれど」


 釘を刺されずとも、言うつもりなどないし、それがどんなことか説明できる自信もない。


「私のこと、気持ち悪いって思ったかしら?」

「いえ、そんなことは、ないですけど……」

「けど?」

「その……驚きました」


 メレディスにとってクレアは、母親を知らない彼女に母性的だと思わせるほど、慈愛の心に溢れている女性だ。しかし、今し方の話を聞いて、少し――かなり印象が変わってしまった。

 クレアがセイディとそういった関係であることは元より、昔は一国の姫君だったのだ。そう思うとやけに美人なのも納得で、たまにメレディスでもドキリとさせられるような色香のある仕草を見せていたことも、なんとなく腑に落ちた。

 とはいえ、王女や姫の類いが美しいはずだという感覚は庶民であるメレディスの偏見だが。


「それじゃあ、私のこと、嫌いになるかしら?」

「そっ、そんなことありません!」


 メレディスは一般的な倫理観の持ち主で、正直にいえば女同士での関係はどうかと思っている。しかし、だからといってクレアを嫌いになるはずはなかった。

 クレアはクレアだ。

 彼女が普段から感じさせる優しさと温かさに変わりはない。


「ありがとう、私を受け入れてくれて」


 クレアは慌てたように答えたメレディスを見て、何らてらったところのない温順な微笑みを見せた。


「いえ、そんな、お礼を言われることじゃ……」

「そうね、家族は互いのことを認め合って、受け入れ合うものよね。だからユーリ、私も貴女を受け入れるわ。例えどんな貴女でも、それを認めて、受け入れてあげる」

「――――」


 安心感さえ覚える愛情に満ち満ちた笑顔を目にして、メレディスは息を呑んだ。

 クレアが歩み寄ってくれたことが、そのための勇気をくれるために話をしてくれたことが、泣き出しそうなほど嬉しかった。

 そして同時に、自らの愚かさに気が付いて、愕然としてしまった。


 かつて、ベオは強くなれといった。

 笑顔になるために、強くなる。

 その強さの意味を、メレディスはずっと履き違えていた。


 旅に出たことで世間の厳しさを知り、一人で生きていけるだけの知識を得て、経験を積んだ。そうして昔の自分にはなかった、他人の悪意を退けて自らの意志を押し通すことができるほどの気概を得た。

 猟兵ユリアナならば、たとえ故郷の父親と対峙したとしても自分の主張を伝え、彼の意に反する行動をとることができただろう。

 そうした意志、気概、根性、あるいは不屈の精神こそが強さなのだと、メレディスは何の疑いもなく信じていた。


 しかし、違う。

 それも強さの一つではあるが、メレディスという少女が手に入れるべき強さは、そんな雄々しく凛々しいものではなかったのだ。


 『臆病に、ならないことです』


 ただ単に、人と向き合う勇気を身に着ければ、それで良かった。

 自分が傷つくかもしれない恐怖に屈さず、心を開いて、誰かに歩み寄っていける勇気。

 裏切られるかもしれない怯懦に屈さず、他者を受け入れて、信じてみる勇気。

 もし誰かから酷い仕打ちを受けても、それでも尚、また別の誰かと関わり合っていける勇気。

 そうした臆病さに打ち克てるだけの強さを、持てるようにならなければいけなかった。


 サラとの間に壁を感じるのも当然だ。

 他ならぬメレディスが壁を作っているのだから。

 リゼットやセイディは壁を飛び越えて、向こうから歩み寄ってきてくれて、初めから心を開いていてくれた。だから臆病なメレディスでもある程度は安心して接することができていたと同時、二人の明け透けさが怖くもあった。

 一方、サラは歩み寄ってきてくれなかった。

 メレディスが自分の心を守る壁を張り続けていたから、それを飛び越えようとするほどの勇気がないサラは、近づこうにも近づけない。だから、ただ待っているだけでなく、余計な壁まで作っているメレディスは、いつまで経ってもサラとの距離を縮められない。

 しかし裏を返せば、サラはリゼットやセイディのように、自分の臆病な心に入り込んでこようとしない。そう思うと、心の何処かでその状況に安堵感を覚えている自分がいた。

 

 ベオは力強く、それでいてさりげなく歩み寄ってくれた。

 クレアは優しく、心を解すように歩み寄ってくれた。

 だがメレディスは、今も昔も、ただ待っているだけ。

 自分から歩み寄ろうとせず、心を閉ざして、誰かの愛情に期待するだけ。

 三年前から全く成長していない。


「わ、わたし、は……」


 この館に住まう者たちは年齢も種族もばらばらで、血縁もない。

 それでも、彼女らは家族だという。

 かつて、メレディスという少女は家族から逃げ出した。ベオからは一度きちんと家族と話し合った方が良いと助言をもらったのに、それをせずに出発した。

 蟻地獄をオアシスに変えられる自信のなかった彼女は、ベオからもらった勇気でそこを抜け出し、安住の地を探す旅に出た。そして今、偶然行き着いたオアシスは本当の意味で、彼女を受け入れてくれようとしている。 

 あとは自分から歩み寄るだけだ。


「……すみません、クレアさん」

「ユーリ?」


 メレディスは歯を食いしばり、唾を飲み込んで、心配そうに様子を窺ってくるクレアと目を合わせた。


「わたしからみんなに、歩み寄りたいんです。みんなの前で、みんなに言いたいんです」


 今ここでクレアだけに話すのは、ずるだ。丁寧にお膳立てされて、彼女から勇気を与えられた状況で話してしまえば、過去の自分と何も変わらない。

 そう、変わらないのだ。幸せになるためには笑顔になって、笑顔になるには今の自分を変える必要がある。

 

「すみません。せっかく、わたしのために色々話してくれたのに……」

「いいえ」


 クレアは小さくかぶりを振って、嬉しそうな笑みを湛えて言った。


「明日、楽しみにしているわ」

「……はい」


 メレディスは力強く頷き、覚悟を決めた。




 ■   ■   ■




 翌朝。

 クレアを含む誰もが、いつも通りだった。

 みんなそれぞれ起床して、朝食のために食堂へ集まってくる。

 メレディスは緊張しながらも自分の席に着き、他の面々の様子を見回し、深呼吸をした。


「待たせてすまぬの」


 最後にマリリンが現れて着席すると、リゼットが毎朝の常として「いただきまーすっ!」と元気な声を食堂に響かせる。

 その直前、メレディスは口を開いた。


「あのっ、皆さん!」

 

 突然立ち上がったメレディスに、アシュリンを含む全員から注目される。

 心臓が喧しいほど大きく速く鼓動して、喉が渇き、微かに足が震えて、今すぐ逃げ出したい衝動に駆られる。結局、メレディスはアレから一睡もできなかったが、かつてない緊張感のせいか、眠気は全くなかった。


「ユーリ、どーしたの?」


 早くもフォークを握って準備万端のリゼットが問いかけてくる。

 メレディスは『なんでもない』と言ってしまいそうになる臆病な心に鞭を打って、声を絞り出した。


「ご……ごめんなさいっ!」


 全員の顔をまともに見ていられず、ぎゅっと目を閉じて大きく頭を下げた。


「わたし、本当はユリアナって名前じゃないんです……それは猟兵協会に登録するとき使った偽名で、本当はメレディスっていうんです!」


 食堂に自分の声だけが反響していることが、酷く空虚で頼りなく、聞くに堪えなかった。それでも、メレディスは口を動かし続けた。そうすることだけが、臆病さを助長する沈黙を抑え込み、歩み寄るために必要なことなのだと分かっていた。


「わたしは家族から、故郷から逃げ出してきたんですっ。居場所が欲しくて、自分を変えたくて、笑顔になりたくて、でも怖くて向き合えなくて……わ、わたしはっ、自分勝手で、臆病で、弱くてダメな奴なんです! なのに、みんなに……それを知られたくなくて、嫌われたくなくて、ずっと隠して、外面のいいユリアナって子を演じて、みんなの顔色を窺ってましたっ!」

 

 怖かった。

 拒絶されたらどうしよう、怒られたらどうしよう、出て行けと言われたらどうしよう。ベッドの中でも散々思い浮かんできた嫌な想像がぐるぐると頭の中を駆け巡り、なけなしの勇気を苛む。


「わたしは卑怯者で、臆病者で、きっとみんなが思ってるような人じゃないんです! そ、それでも……っ、それでも、みんなと一緒にいたいと思う、わたしを……受け入れて、くれますか……?」


 口を閉ざすと、食堂の空気が痛いほどの沈黙に染まった。

 メレディスは今すぐこの場から逃げ出したい衝動を抑えるのに必死だった。両の拳を握って、下唇を噛み締めて、顔を上げられず、きつく目を閉じたまま返事を待った。


「メレディス……?」


 とても長く、とても短い静寂の時間は、幼い声によって終止符が打たれた。

 リゼットの悩ましげな呟きに恐る恐る顔を上げてみると、彼女は小難しそうに眉根を寄せた愛らしい思案顔で、じっと見つめてきていた。


「メレディス……メレディスなら、メルだねっ!」

「…………え?」


 無邪気な笑顔で告げられた言葉の意味を、メレディスは咄嗟に理解できなかった。


「なんか凄く深刻そうな顔して話し出すから、なんだと思ったら……これじゃあ先が思いやられるわね、わたしの方がまだ姉らしいわ」

「サラのこれは遠回しにメルを励ましてるんです。『早く姉らしくなれ』って」

「なに余計なこと言ってるのよローズッ!」


 サラは背中の紫翼をピンと張って腰を浮かせ、頬を紅茶色にしてローズに片手を突き出した。するとローズはビクリと身体を震わせた後、テーブルに力なく肘を突きつつ気分が悪そうに頭を抱え、「す、すみません、サラ……」と小さく呻く。

 メレディスの隣に座るセイディは二人の様子を横目に微苦笑していた。


「もしかしてとは思ってたけど、まさかサラ以上に不器用だったとはねー」

「どういう意味よセイディ!?」

「サラの方が器用ねって褒めたのよ?」


 紅潮したまま睨み付けるサラをセイディは笑いながらいなしている。

 クレアはただ優しい微笑みをメレディスに向けてきている。

 アルセリアは彼女らの様子を眺め見て、アシュリンの「ピュェッ」という鳴き声に続いて口を開いた。


「ありがとう、メレディス。話してくれて、みんな嬉しく思っている。まだ話したいことはあるだろうが……」


 いつもと変わらぬ落ち着き払った深い声音を響かせながら、竜人な彼女は老婆に視線を転じた。


「うむ、まずは朝食にしようかの。時間など幾らでもある、どんな話でもあたしらはそれを受け入れよう。それとメレディス、よく話してくれたの」


 マリリンは全てを許すような、端から気にしていないような、顔中の皺を深めた大らかな笑みを見せ、大きく頷いた。

 

「……………………」


 メレディスは呆然としていた。

 頭の中が真っ白になって、何も考えられなかった。

 ただただ安心して、嬉しくて、それだけで胸が一杯になった。

 緊張の糸が切れてしまい、全身から力が抜けて、すとんと椅子に腰を落としてしまう。


「あれ? なんでメルないてるのー?」

「馬鹿ね、こういうときは見て見ぬふりをするものなのよ」

「あたしばかじゃないもんっ、ばかっていうサラねえがばかなんだもん!」


 リゼットに加勢するようにアシュリンも両翼を広げて「ピュェェェッ!」と勇ましい鳴き声を上げるが、彼はサラに一睨みされるとテーブルの下へ逃げ込んでいく。


「は……はは……っ、あはは……」


 なんだか無性に可笑しくて、自然と笑みが溢れてきた。

 泣きながら笑った経験などメレディスにはなく、だが生まれて初めて満たされたこの心に戸惑いを覚える余裕もない。

 彼女は己の心に従うがまま、ただ笑顔になっていた。


「では、頂こうかの」

「いただきまーすっ!」


 元気な声で食事が始まり、メレディスは泣きながら、笑いながら、食べ始める。

 味などろくに分からなかったが、しかし彼女は断言できた。

 これは今まで生きてきた中で、一番美味しい食事なのだと。


 他の大陸へ渡る前に、自分を鍛え上げようと思い、足を踏み入れたザオク大陸。

 猟兵ユリアナは確かに一層強くなって、でも他人を拒絶する強さしかなかった彼女は結局力尽きてしまった。しかし代わりに、少女メレディスは猟兵ユリアナの何倍も強くなって、オアシスに辿り着くことができた。


 魔物の世界と呼ばれる地で、まさか旅の目的を果たしてしまうことになるなど、メレディスはまだ少し信じられなかった……。

 

 

 

 

 ■   後日譚おまけ   ■



「あ、あの、アルセリアさんっ」

「どうしたメレディス、また改まったような様子で」

「えっと、その……少し、お願いしたいことが、あるんですけど……」

「おれにできることなら、大抵のことは聞いてやれるが……なんだ、それほど大層なことなのか?」

「た、大層と言いますか、その……」

「遠慮せず、とりあえず言ってみろ」

「はい、あの……アルセリアさん、わ、私に…………か、肩車してくださいっ!」

「……ん? それだけか?」

「おっ、お願いします!」

「わざわざお願いされずとも、それくらいいくらでもしてやるさ」

「ぁ……で、では、失礼します……えっと、んしょ……こ、こうですか?」

「あぁ、角を掴むと良い……掴んだな、では立つぞ」

「わっ、ぁ……す、すごい……っ!」

「ふふ、なんだ、メレディスは意外と子供っぽいんだな」

「す、すみません……」

「謝ることはない、おれは全く迷惑ではないしな」

「あっ、メルかたぐるましてもらってるーっ! アリアあたしもし……て…………あっ、おぉっ、そうだっ、メルがあたしをかたぐるましてアリアがメルをかたぐるますればなんかすごいかんじになるっ!」

「え、それは少し危ないと思うけど……」

「まあ、やりたいのならやってみようか」

「やったぁぁぁぁぁ!」


 ― 完 ―

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