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幼女転生  作者: デブリ
四章・日常編
80/203

 間話 『そして魔物の世界より――』


 ■ Other View ■



 昼過ぎ頃、メレディスはクレアとセイディ、トレイシーの四人で地下部屋を出た。ローブを着て町中を歩かされ、巨人たちの住まう区画に足を踏み入れて、巨大な住居にお邪魔する。そしてその家の地下から転移盤によって一瞬で移動を果たし、洗練されながらも落ち着きある内装の広々とした館に招かれた。

 無論、メレディスは驚いたが、昨日一日で色々と覚悟を決めていた彼女は、ひとまずありのままを受け入れた。


「みんな食堂にいるから、とりあえず挨拶しておきましょうか」


 クレアに先導され、大きな階段のある吹き抜け状の広間を突っ切り、食堂に入る。二十人は座れるだろう巨大な長テーブルが部屋中央に鎮座しており、そこには五人の女子供が座っていた。


「おぉっ、この■■■■■■があたらしー■■■!?」


 メレディスの姿を見て、どこか見覚えのある獣人の女の子が元気な声を上げる。悩み事など何一つないだろう明るい表情をしており、全身から溌剌とした雰囲気を放っている。


「リーゼ、エノーメ語だとこのお姉さんはなんて言っているのかよく分からないから、クラード語で話しなさいって言ったわよね?」

「あっ、そうだった! こんにちはっ、おねーちゃんっ!」

「こ、こんにちは……?」


 何のてらいもなく真っ直ぐに挨拶されて、メレディスは圧倒されながらも同じクラード語で声を返した。

 クレアはリーゼと呼ばれた女の子の隣に座り、セイディはその斜め対面に腰を下ろす。


「ユーリはここに座って」


 セイディに促され、彼女の隣に着席する。

 巨人宅の前で別れたトレイシーとセイディからは、いつの間にか愛称で呼ばれていた。が、本名ではないので、なんとも微妙な心持ちになってしまう。


 メレディスの対面は空席だが、その隣に座る赤毛の女の子を見て、メレディスは「あっ」と声を漏らした。快晴の空を思わせる瞳と視線が重なると、その子は静かに目礼してくる。そこでようやく、メレディスはその子の隣に座る獣人の子との記憶も思い出された。


「――っ!?」


 突然、対面の空席から何かが飛び出してきて、メレディスは反射的に悲鳴を上げかけた。何かはテーブルに飛び乗ると、妙に偉そうな挙動で近づいてくる。

 一対の翼が生え、四本の足で立ち、小さくも鋭い嘴を持ったそれは明らかに魔物の一種で、二つの瞳からじっと見つめられる。

 メレディスはガタッと椅子を蹴って立ち上がり、立てかけていた魔杖を手に取った。


「こらっ、アシュリン! テーブルに■■■■■■■■言ってるでしょっ!」

 

 セイディを挟んで隣に座る翼人の女の子に怒鳴られると、小さな魔物はビクッと身体を竦ませる。それから一転してしずしずとした挙措で踵を返し、獣人の女の子の膝上に飛び乗った。だが彼女からも「めっ」と注意され、鳥のような獣のようなその魔物の幼体は「ピュェ……」と悲しげに鳴いた。


「ふふ、すまぬの、騒がしくして。その子はアッシュグリフォンの子供じゃ。危険はないから安心して良い、とりあえず座ってくれぬか」

「は、はい」


 メレディスが着席すると、上座にあたるテーブル短辺に座っている老婆が再び口を開く。

 

「さて、あたしはマリリン。この《黎明の調べ》ザオク大陸西支部を纏めておる者じゃ」

「あ、わたしは……ユリアナ、です。このたびは、その、ありがとうございます」

「うむ、お前さんが無事で何よりじゃ。さて、ユリアナにはひとまずこの館で生活してもらうことになる。明後日には東支部の者が来るはずじゃから、その者と一緒に東支部の方へ移ってもらうことになるの。短い間じゃが、遠慮せずくつろげば良い」


 老婆――マリリンは最低でも齢六十を超えているだろう見た目に反し、しっかりとした口調をしていた。どことなく偉そうで、得も言われぬ威厳が感じられ、メレディスは頭を下げておいた。

 ゆっくりと顔を上げると、それを見計らっていたかのように、これまで静かに成り行きを見守っていた女性が話しかけてくる。


「二日程度とはいえ、寝食を共にすることになる。皆、自己紹介は必要だろう。おれはアルセリア、よろしく頼む」


 落ち着きのある声で言い、アルセリアと名乗った女性は目礼した。見た目は三十代半ばほどだろうが、やけに老成している印象を受ける。だがそれ以前に、メレディスは頭部に見られる翠緑の双角に目を引かれていた。


「竜人を見るのは初めてか?」


 凝視していたことに気付かれ、アルセリアは微かに笑みをみせた。咄嗟にメレディスは「あ、すみません」と謝るが、アルセリアは小さく首を横に振った。


「いや、構わないさ。ただ、おれは以前に猟兵協会で君を見掛けたんだが……やはりあのとき、おれのことには気付いていなかったようだな」


 以前というと、おそらくは赤毛の子が猟兵証を届けてくれたときのことだろう。

 あのときは猟兵協会に入って間もなく色々あったせいで、ろくに周囲に目を遣っていなかった。滅多に見掛けないという竜人がいたのに気付かなかったことに、メレディスは改めて自らの注意力のなさを実感した。


「私とセイディはもう挨拶したから、大丈夫よね。次はサラが挨拶して」


 クレアに促され、今度はセイディの向こう側に座る褐色肌の女の子が顔を向けてきた。肌と対照的な色合いの鮮麗な金髪が目を引く、十歳ほどの女の子だ。

 彼女は強気な双眸で真っ直ぐにメレディスを見つめ、口を開く。


「わたしはサラよ。まあ、その、よろしく……」


 始めこそ堂々としていた彼女だが、徐々に声を落として視線を逸らし、正面へ顔を戻してしまう。

 そんな女の子――サラの肩をセイディがつついた。


「ほら、なに恥ずかしがってんのよ」

「恥ずかしがってない」

「ごめんねユーリ、この子ちょっと人見知りなだけだから。嫌われてるわけじゃないから安心して」

「べつに人見知りなんかじゃないわよっ、普通に挨拶しただけ! セイディは変なこと言わないで! ほら、次はリーゼの番っ」

「わかったー!」

 

 話を振られた獣人の女の子は元気良く返事をして、くりっとした大きな目をメレディスに向けた。

 

「あたし、リゼットっ、ろくさいでまじょでりょーへー! このこはアシュリン! よろしくねユーリっ!」


 はきはきとした口ぶりで、リゼットは眩しいまでの笑顔で名乗った。

 メレディスと違って両耳がピンと立っていることからも、その明朗快活さは十二分に伝わってくる。


「つぎはローズだよっ」


 リゼットの隣に座る女の子は「はい」と頷き、蒼穹のような瞳にメレディスを映した。


「お久しぶりです、私はローズといいます。リーゼと同じ六歳です。よろしくお願いします、ユリアナさん」


 子供ながらに落ち着きのある所作で低頭され、メレディスはリゼットとの差異に戸惑いを覚えた。可愛らしい顔に浮かんだ表情も、鈴を振ったような声から覗く知性も、同じ六歳児とは思えない。 

 メレディスは反射的に頭を下げ返しながらも、少々の疑問を覚えてマリリンに目を向けた。すると、質問する前に答えが返ってくる。


「無論、この館に住まう者は皆、魔女じゃ。サラもリゼットも、もちろんローズもの」

「そうですか、やっぱり……」


 紅髪碧眼という容姿で、魔女でもないのにローズと名付けられれば、ほぼ確実に苛められる。

 かつてメレディスが通っていた学院にもローズという名の魔女がいて、彼女の容姿はおよそいま目の前にいる女の子とはかけ離れたものだったし、魔法力も凡俗の魔女並だった。それ故、魔女であるにもかかわらず、貴族生徒の魔女たちから名前のことをからかわれていたのだ。

 そもそも魔女だけでなく、男の魔法士でも歴史に登場する数々の著名な人物の名をとって付けられる者は多いが、それに見合う相応の実力がなければ、やはり馬鹿にされるのが常だ。

 

「さて、一通り挨拶も終わったことじゃし、ひとまず解散にしようかの。クレアはユリアナのこと、頼んだぞ」

「はい、分かっています」 


 マリリンが手を叩いて言い、クレアがそれに首肯する傍ら、リゼットが立ち上がってテーブルを迂回してきた。


「ユーリいっしょにあそぼー!」

「え、えっと、あの……」

「かくれがりもいいし、まほーのれんしゅーでもいいよっ! ユーリはなにしたい? ねえなにする!?」


 遠慮のない所作で、当然のことのように手を引っ張られ、メレディスは立ち上がった。引き摺られるように歩きながらテーブルを振り返ってみると、大人たちは微苦笑し、サラは呆れたように肩を竦め、ローズは微笑んでいる。

 

「リーゼ、まずはユーリが泊まる部屋に行って、荷物置かなきゃ。ほら、案内してあげて」

「わかったー! ユーリこっちっ、アシュリンいくぞー!」


 楽しげに前を行くリゼットに手を引かれ、メレディスはクレアとセイディと共に広間へ出る。麦束のような尻尾は左右に揺れ動いており、アシュリンはその尻尾に顔を叩かれながらも、嬉しそうに翼を動かして彼女の後ろをついていく。

 もう一度食堂を振り返ってみると、立ち上がったマリリンとアルセリアが優しい眼差しで見送っていて、サラはローズに話しかけられていた。


 メレディスは慣れない雰囲気に内心で狼狽していた。

 広々とした立派な館は温かな空気に満ち満ちていて、随分と場違いなところに来てしまったものだと、遅まきながらに自覚する。リゼットに握られた左手は温もりに溢れ、それを心地良いと感じる一方、なぜか恐怖を覚えて、訳が分からず一人混乱してしまう。


 その後、部屋に案内されたメレディスはリゼットと遊ぶことになり、途中でローズとサラも巻き込んで、夕食どきまで騒がしく過させられた。




 ■   ■   ■




 それは和やかな夕食だった。

 八人と一匹で大きなテーブルを囲み、談笑を交えて温かな料理を口にしていく。

 ユリアナという異分子の存在は当然のように受け入れられて、メレディスの意思に関係なく、その家庭的な空気の一部となっていた。特にリゼットは、ユリアナという名のメレディスのことをもう何年も一緒に過してきた姉のように慕い、そこには純粋な好意しか感じられない。

 メレディスは話を振られてばかりで、自分から口を開くことはなかったが、そのことを心苦しく思う余裕もないほど、彼女の心は一杯一杯だった。

 恐ろしいほどに心地良く、逃げ出したくなるほど甘美な時間だった。


「おふろだー!」


 夕食後、マリリンとアルセリア以外の全員で入浴することになった。

 浴室は広く、軽く泳げるほど大きな浴槽には湯が張られ、メレディスは見たことのない贅沢に戸惑った。そしてそれ以上に、同性とはいえ裸体を晒すことに躊躇いを覚えた。

 メレディス以外の面々は何の躊躇いもなく全裸になって、脱衣所から浴室へ移動していく。


「ほらユーリ、何してんの? 早く行くわよ」


 セイディに急かされ、メレディスは覚悟を決めて衣類を取っ払い、一糸纏わぬ姿となって浴室へ吶喊した。

 

「やっぱりユーリ、セイディよりおっぱいおっきーね!」

「リーゼー? いつも言ってるでしょう? アタシは翼人だからいいのよぉ?」


 不気味なまでに優しい声で言いながらセイディがにっこり笑うと、リゼットはクレアの後ろに回り込む。

 他方、サラは一人でそそくさと身体を洗い始めている。


「ユリアナさん、私が身体を洗ってあげます」

「え、あの、そんな大丈夫だから――あっ」


 ローズから手を掴まれて、半ば強引に小さな椅子に座らせられる。


「遠慮することはありません。ユリアナさんは身体の力を抜いて、じっとしていればいいですから」

「あっ、ローズずるいー!」


 ローズが満面の笑みを見せた直後、リゼットが割り込んでくる。

 彼女の後ろには当然のようにアシュリンの姿もある。


「ユーリはあたしがあらうんだもんっ」

「リーゼ、これは遊びじゃないんです。私は真剣なんです、真剣にユリアナさんの身体を洗うんですっ」

「あたしもしんけんだもん!」


 リゼットが強く訴え出ると、後ろのアシュリンも威勢良く翼を上下に動かし、「ピュェェっ!」と鳴いて加勢する。

 ローズは子供らしからぬ落ち着いた面差しを険しく引き締めて、強い光を宿した瞳でリーゼと対峙する。


「あら、珍しいわね、ローズがリーゼに譲らないなんて」

「ローズはたまに変なところで意固地になりますからねー」


 その様子を端から見て、クレアとセイディが暢気に感想を溢しながらサラに近づき、三人で背中を洗い合い始める。


「ふぅ……仕方ないですね、分かりました。ではリーゼは背中を洗ってください。さすがの私もこれが最大限の譲歩です」

「うーん……うんっ、わかったー! じゃーせなかあらうーっ!」


 そうしてメレディスの意思など全く考慮されないまま勝手に決まり、二人の女の子から身体を洗われることになった。もちろんメレディスはそのことに含羞の念を抱いたが、同じくらい戸惑いと嬉しさを感じていた。

 誰かと一緒にお風呂に入り、身体を洗ってもらうことなど、これまで一度たりともなかったのだ。


「あの、ローズちゃん、簡単に洗ってくれればいいからね」

「いえ、やるからには隅々まで徹底的に洗います!」

「隅々まで……?」

「隅々までっ!」


 鼻息荒く力強い頷きを返されて、思いがけない気勢の良さにメレディスは気後れして頷いてしまった。

 背中の毛は大雑把な手つきでごしごしと、前面の素肌はねっとりとした手つきで丁寧かつ入念に洗われる。メレディスは手持ちぶさたになって視線を彷徨わせ、三人の回りをぐるぐると練り歩くアシュリンに注目した。


 アシュリンはまだ生後二十日程度だそうで、その割りに身体は大きく、足取りもしっかりしている。歩き回るアシュリンはたまに足を止めてリゼットの身体にすり寄るが、「まて!」という一言に翼を垂らし、また歩き回り始める。その姿は完全に飼い慣らされた動物――あるいは母親に待たされる子供そのものだ。

 魔物とはいえ、メレディスはなんだか妙に可愛らしく見えてきて、一度そう思うと非常に愛らしい生き物だと思えてしまった。

 

「アシュリーン……」


 小さく呼び掛けてみるが、見向きもされない。

 彼は常にリゼットの側にいるので、夕食までの時間でも散々見てきたが、アシュリンは基本的にリゼット以外には素っ気なかった。

 

 歩き回るアシュリンに触れてみようと、メレディスは手を伸ばしてみる。が、白い毛並みに触れる直前で、ぺしっと翼にはたき落とされてしまった。


「リゼットちゃん、アシュリンはいつもこうなの?」

「ん? ユーリ、アシュリンさわりたいの? アシュリン、こっちきなさいっ」


 リゼットが呼び掛けると、嬉しげに四肢を踊らせて駆け寄り、彼女の隣でお座りする。

 

「さわっていーよ」


 メレディスは二人の女の子に洗われながら、再度アシュリンに触れようと試みるが……嘴で突くように威嚇され、ささやかな接触すら適わない。


「アシュリン、めっ! もーからだあらってあげないよ!」


 リゼットに叱られると、アシュリンは勇ましく広げていた翼を力なく垂らした。

 少し悪いとは思ったものの、メレディスは再度彼に手を伸ばす。すると今度はきちんと触れて、柔らかな毛並みの感触が実に気持ちいい。

 しかしアシュリンはどこか不満そうだった。


「つぎはユーリのばんだよっ、せなかあらって!」


 女の子二人はメレディスを洗い終えると、リゼットはアシュリンを洗い始め、ローズはリゼットの背中を洗い始める。メレディスはローズの小さな背中を洗うことになった。

 裸の付き合い、という言葉をいつか聞いた覚えがあったが、彼女はその言葉の意味を身をもって理解していた。メレディスは夕食の席を共にしても、まだ子供な彼女らのことを、どことなく警戒していた。それはメレディス自身の性格に起因した反応だったが、夕食までの時間で見せてもらった子供たちの魔法も一因ではある。


 サラもローズもリゼットも、上級魔法を詠唱省略できるほどの才覚と実力を有し、リゼットは言動こそ子供らしいが、クラード語での会話をほぼ完璧にこなしてみせている。しかもそのことを自慢するでもなく、それができて当然のように振る舞っているのだ。

 特にローズの言動から滲み出ていた知性は常軌を逸しており、下手すれば自分より賢いのではないかと思わせられるほどだ。そんな二人をサラは極平然と妹扱いしているし、三人が三人とも常識外だった。

 しかし、今まさに全裸になって身体を洗い合っていると、変に警戒して気を張っていることが馬鹿らしく思えてきていた。


「よーしっ、アシュリン! とつげきだー!」


 身体を洗い終えると、今度は湯船に浸かる。リゼットは走って湯の中に飛び込み、アシュリンはその背中に続いて頭から入水した。


「こらリーゼ、飛び込んじゃダメって言ってるでしょーが」


 既に入浴していたセイディはクレアの隣で脱力しながら、顔にかかった飛沫を手で拭っている。メレディスはローズに手を繋がれて、程良い湯加減の湯船に身を浸した。

 メレディスはこれまでに何度か風呂に入ったことがある。かつて住んでいた家で、父親がある日突然、大きな木桶を買ってきたのだ。命令されて拙い水魔法と火魔法を駆使してなんとか湯を張り、父と姉が入った後に自らも入浴を体験してみたことがあった。しかし、膝を丸めて入らなければならず、しかも父はお気に召さなかったようで、数日後には桶は売られてしまった。


 あの頃と違い、今この瞬間に入っている風呂はかつてのそれとは比較にならないものだ。両足どころか全身すら余裕で伸ばせるほど大きな浴槽で入浴していると、他人に全裸を晒しているということもあり、妙に解放的な気分になる。

 それが気持ちよく、少しだけ怖かった。


「…………ふぅ」


 縁にもたれて、全身から力を抜いた。この無上の心地よさを味わうためだと思えば、一昨日の恐怖体験も許容できるほどだ。三年に及ぶ旅路はおろか、これまで生きてきて最も快然とした感覚に満たされた。始めこそ他人に裸体を晒すことに抵抗があったが、慣れてしまえばどうということもない。


「あの、ローズちゃん? どうしてわたしの胸を触ってるのかな……?」

「いえ、柔らかいなぁと思いまして」


 だが、さすがにじろじろ見られたり、触られたりすると、まだまだ恥ずかしかった。なんとかローズの手を止めさせるが、今度は足の上に座ってきて、背中を預けてくる。水中でのことなので重さはほとんど感じず、メレディスは特に気にすることなく、入浴の素晴らしさを堪能していった。


 その後、たっぷりと風呂を満喫して着替えると、全員で談話室に向かい、くつろぐことになった。旅をしていたということで、メレディスは子供たちだけでなく、クレアやセイディからも色々と質問される。美味しい紅茶が喉と舌を湿らせて、彼女は自身が経験してきたことを幾ばくか話していった。

 これほど多くの言葉を誰かと交わし合ったのは、かつてベオと話したとき以来のことだった。


「ユーリいっしょにねよっ」


 長いような短いような時間が過ぎ、そろそろ就寝することになったとき、リゼットが抱きついてきた。メレディスはやや躊躇ったものの、ローズにも上目遣いに可愛らしくせがまれて、結局は首を縦に振らざるを得なかった。

 サラは一人、自室で寝るらしく、メレディスは女の子二人に挟まれて同じベッドに横たわる。


「それじゃ、おやすみぃ……」


 リゼットの眠気を孕んだ声に、ローズは短く「おやすみ」と返し、メレディスも一応といった風に「……おやすみなさい」と言っておいた。するとあっという間にリゼットは寝息を立ててしまい、その隣のアシュリンも全身から力が抜けていた。

 薄闇の中、視線を反対側へ向け、もう一人の子の様子を窺ってみると、予期せず蒼い瞳とぶつかった。


「ユリアナさん」

「な、なにかな?」


 不意に名を呼ばれて、メレディスは少し身体を硬くしながら返事をした。

 ローズは抱きついてきたまま、可笑しさと苦々しさの混交した小声をそっと響かせる。


「今日だけでこれですから、明後日は覚悟しておいた方がいいかもしれません」

「え……?」


 その言葉の意味を図りかねていると、ローズは目蓋を下ろしてしまった。

 メレディスは疑問に思いながらも、眠気を前にしてそれを一旦脇に追いやり、彼女もゆっくりと目を閉じた。たった半日とはいえ、慣れないことばかりを経験して、身体はともかく心は十分に疲れていた。

 

「そういえば……誰かと一緒のベッドで寝るの、初めてだ……」


 ふと思い至った事実に我ながら驚く。

 しかし両脇の温もりにあらゆる思考を解されて、メレディスは眠りに落ちていった。




 ■   ■   ■




 翌日、メレディスは朝から夜まで戸惑いっぱなしだった。

 まるで実の妹のようにすり寄ってきて、好意を隠すことなく全力でぶつけてくるリゼットに、どう接していいのか分からなかったのだ。

 クレアは母を知らないメレディスにそうと思わせるだけの優しさをもって、セイディは実の姉からは終ぞ与えられなかった気安いまでの親しみをもって、アルセリアからは実の父より何倍も父親らしい頼もしさと鷹揚さをもって、マリリンからは祖母のような慈しみをもって話しかけられる。

 正直、対処に困った。

 その一方で、ローズは身体的な距離感こそ近かったが、精神的には常に一定の距離を保っていた。サラは少々の人見知りらしく、幾ばくかの余所余所しさを纏って心身共に距離を置き、アシュリンに関しては容易に触れさせてもくれない。

 メレディスにとって、この二人と一匹の方が接しやすかった。


 その日も前日と同じく、やけに気疲れした身体を二人の女の子に挟まれて、メレディスは就寝した。明日にはザオク大陸東支部という場所へ行くことになっていて、そのことに対する不安からは目を背け、翌朝を迎えた。

 結局、用意された客室を使用する機会はほとんどなかった。


「今日は昼頃に迎えが来るのでな。ユリアナは準備しておくようにの」 

「あ、はい」


 メレディスは朝食の席でマリリンの言葉に頷くと、リゼットから寂しげに見つめられていることに気が付いた。


「ユーリいっちゃうの?」

「リーゼ、昨日も一昨日も言ったでしょう? ユーリにとっては向こうの方が過しやすいのよ」

「そんなことないもんっ、みんなでくらしたほーがたのしーもん! そーだよねユーリ!?」


 急に意見を求められて、どう答えるべきか分からず、メレディスは曖昧な笑みを返す。

 そこでアルセリアが静かに口を開いた。


「リゼット、ユリアナが困っているだろう」

「でもアリアっ!」

「おれたちはディーカを拠点に生活している。つい先日、ユリアナはディーカの町で襲われたばかりだ。ここで暮らすことになると、ユリアナは町に出ていけないことになる。それは可哀想だろう?」


 あくまでも泰然とした雰囲気を崩さず、穏やかな声で諭すように告げる。

 リゼットは「むー……」と口を尖らせて、パンに齧りついた。

 

 そんな一幕があって、朝食後はどこか元気のないリゼットと遊び、なんだかんだでローズとサラとも一緒に過した。

 しばらく経ち、太陽が天高く昇った頃、クレアとセイディが昼食の準備をしているときに、彼女は現れた。


「あら、聞いていたとおり可愛らしい子ですわね。わたくしはウルリーカ、これからよろしくお願いしますわね。わたくしのことはお姉様と呼んでよろしくてよ?」


 ウルリーカと名乗ったその獣人は少し高飛車な言葉遣いに反し、丁寧に頭を下げてくる。空気を孕んだもっさりとした長髪は如何にも重たそうで、どことなく優雅な立ち居振る舞いをしていた。

 ウルリーカはメレディスと一緒にいたリゼット、サラ、ローズを一人一人抱きしめ、来訪の挨拶を交わしていく。


「あの、わたしは……ユリアナ、です。よろしくお願いします、ウルリーカさん」

「……やはりいきなりお姉様は無理があったようですわね。まあ、いいでしょう。とりあえず昼食にしましょう」


 何やら小難しそうに呟いた後、ウルリーカに背中を押され、みんなで食堂へ向かう。すると皿を並べていたセイディがウルリーカを見て、何かに気が付いたように息を呑んだ。


「あっ、ごめんウル、アンタの分の昼食作ってなかったわ」

「なんですって? いつもは用意しているじゃありませんの」

「今日は定期連絡の日でもないし、うっかりしてたのよ」

「……仕方ありませんわね。それならばセイディの分を頂くとしましょうか」

「やらないっての、やっぱアンタ食事目当てで来てんじゃないでしょーね」


 半眼で見つめるセイディに、ウルリーカはぴくりと片眉を動かした。


「あらあら、わたくしのような淑女にそのようなことあるはずないでしょう? 客人の分の用意を忘れていたセイディの過失なんですから、それを埋め合わせるのはセイディの責任であり義務でしょう?」

「素直に認めたらどうなのよ? うちの料理が美味しいから食べたいだけなんでしょ?」

「まあ、否定はしませんわね」

「――え」


 あっさりと頷いたウルリーカが意外なのか、セイディは少し間の抜けた顔で声を漏らす。するとそこにクレアが厨房から現れて、今朝メレディスが座っていた席の隣に、手にしていた皿を置いた。


「セイディ、意地悪するのはやめなさい」

「べつにそういうのじゃないですよ、ちょっとからかってみようと思っただけです」

「やはりそういうことでしたのね。もちろん、わたくしは初めから分かっていましたけれど」

「嘘こけ、アンタさっきアタシの分もらうって言ったとき、目が本気だったじゃないの」


 仲良く言い合う二人を子供たちは特にした風もなく無視して、それぞれの席についた。メレディスも腰を下ろし、マリリンとアルセリアも顔を見せ、九人と一匹で昼食となる。

 食事中、リゼットがやけに大人しく、ちらちらと彼女から視線を感じたが、メレディスは指摘せずに食べ進めていった。


 そして、別れの時が来る。

 メレディスは愛用の肩掛け鞄を提げ、魔杖を片手に広間を歩いて、九人と一匹で地下への階段を下りる。

 

「ではウルリーカ、頼んだぞ」

「はい、お任せ下さい、マリリン様」


 二人が挨拶を交わす横で、メレディスは世話になった礼を述べようと口を開きかけた。が、そこでいきなりリゼットから体当たりめいた抱擁をされる。


「やっぱりやだーっ、ユーリいかないでよぉ!」


 驚いて胸元を見ると、リゼットが涙目で見上げてきていた。

 

「もーユーリかぞくだもんっ、ここでくらすんだもん!」


 思わぬことを言われ、メレディスは少なくない衝撃を受けた。まともに思考できず当惑し、周りの皆に目を向けるが、誰も驚いている様子はない。

 他の面々と同様に微苦笑したセイディが進み出ると、リゼットの肩に手を置いた。


「リーゼ、我が侭言わないの」

「わがままじゃないもんっ、みんなだってユーリにいてほしーでしょ!? もーやだもんっ、もーだれにもいなくなってほしくないもんっ!」

「ユーリはウルの住んでるとこに行くだけだから。会おうと思えばまた会えるわよ」

「やああぁぁだあああぁぁぁ、ユーリはここでくらすんだもんっ、ここがいえなんだもん! ローズよりだきごこちいーし、おはよーとおやすみをまいにちいって、いっしょにねるんだもんっ!」


 複雑な表情で見守っていたローズだったが、リゼットのその言葉に愕然と目を見開いて硬直していた。


「ユーリだってここにいたいでしょ!?」


 半泣きのリゼットに縋り付かれながら問われる。

 メレディスは口を開き掛けるも、思考が纏まらなかった。

 

「リーゼ、ユーリが困っているでしょう。ほら、こっちにおいで」

「やっ、ユーリはここにのこるんだもんっ、ずっといっしょにくらすんだもん!」


 クレアの言葉も何のその、リゼットは二本の足を床から離してメレディスの身体に絡め、文字通り全身で抱きついた。

 そこでふと、メレディスはふくらはぎに痛みを感じた。足下に目を向けると、アシュリンが後ろから右足を嘴で突いている。二つの瞳が何か物言いたげに見上げてきていた。


 クレアとセイディも、何か言って欲しそうに、困った顔で見てくる。

 メレディスは現状に圧倒されて混乱しながらも、なんとか考えてみた。

 彼女の素直な心情としては、残ることもやぶさかではない。ウルリーカの所属する東支部とやらへ行ったとしても、そこに住まう人たちと上手くやっていける保証はなく、自信もない。

 だが、このリュースの館で、既にメレディスは受け入れられている。どころか、なぜかリゼットからは戸惑いを覚えるほどに好かれている。彼女らの好意は正直持てあますし、どう振る舞えば良いのかも分からないが、嫌われるよりは何十倍もましだ。

 かつて父と姉からは愛されず、学院でも苛められていたメレディスは他人から嫌悪され、憎悪されることを恐れている。だから、いま目の前にある好意を捨てて、もし新しい場所で嫌われるようなことになれば、必ず後悔するだろう。


 ここに留まることになれば、ディーカにはそう気軽に出て行けないという欠点はある。しかし、それだけなのだ。町へ出ることが制限されるだけで、それを受け入れれば、この館で誰からも嫌われることなく過していける。

 そもそもメレディスは旅の反動もあって、しばらくは人の多い町中には行きたくなかった。そう考えれば、この館に残ることが、むしろ最善であることが分かる。


 メレディスは思考を半ば強引にそう纏め上げて、口を開いた。


「あの、わたし……ここに住まわせてもらうことは、できないのでしょうか……?」

「いや、そりゃできることはできるけど、町に出られなくなっちゃうのよ?」

「わたし、しばらく町には出たくないですし……それに、これから転移するはずだったラヴルという町になら、出られるんですよね……?」

「それはそうじゃが、ラヴルの方には必要時以外は出てくるなと、本部から言われておるのでな」


 マリリンが顎に手を当てて思案げに唸る横で、アルセリアが「ふむ……」と目を伏せた。


「気分転換程度に出歩く程度なら、良いとは思うがな。皆とは無理だが、おれと二人だけでなら問題はないだろう」


 そう口にする声は淡々としていて、あくまでも意見の一つとして言ったという感じだ。

 クレアとセイディ、マリリンとアルセリア、そしてウルリーカの五人は互いの顔を見合って、どうするべきなのか判断に窮している。


「難しい事情はともかく、ユリアナがここがいいって言ってるなら、ここに住めばいいんじゃないの」

「そうですね、ここがいいのに無理矢理連れて行くのは、どうかと思います。それとユリアナさん、サラの言葉は少し素っ気ないですけど、本心ではユリアナさんに残って欲しいと思っていますから、大丈夫ですよ」

「ローズ変なこと言わないでっ」


 頬をつねり、つねられる二人を見て、マリリンは軽く笑みを溢してから小さく頷いた。


「ひとまず、上に戻るかの。すまぬな、ウルリーカ。まだ分からぬが、おそらく今回は余計な手間を掛けさせたことになる」

「……いえ、大丈夫です」 


 ウルリーカはどことなく残念そうに、あるいは羨ましそうにそう応じるが、口元には穏やかな笑みが浮かんでいる。

 今の今まで抱きついてきていたリゼットは嬉しそうに手足を離して床に降り立つと、「ぃやったああああぁぁぁっ!」と叫びながらメレディスの手を引いて走り出す。

 小さな彼女につられてメレディスはつんのめりながら引っ張られ、一階広間に続く階段を駆け上がらせられた。




 ■   ■   ■




 結局、メレディスはリュースの館で暮らすことになった。

 ウルリーカは別れ際、


「期待させたお詫びとして、今度会ったときからはお姉様と呼びなさい」


 と笑顔で言い残して帰って行った。

 そしてその日の夜、子供たち三人を除いたメレディスを含む五人の大人たちは、マリリンの部屋に集まって話し合った。


 内容はディーカの町における今後の活動についてのことだった。

 クレアたちの人相は二年ほど前に起きたとある事件の際、《黄昏の調べ》に知られているはずだそうで、にもかかわらず彼女らはそれ以降襲われたことはないらしい。

 だが今回、メレディスは襲われた。

 故に、なぜ《黄昏の調べ》がクレアたちには不干渉を貫いているのか、そしてクレアたちと共に行動するメレディスに対して今後連中はどういう行動に出てくるのか。それぞれが意見を述べつつ、五人で考えていった。


 結果、念のため三節の間は極力ディーカに行かず、トレイシーたちに様子を見てもらうことなった。更にその後の三節はクレアとセイディとアルセリアの三人が町に出て反応を窺い、その三節後にようやくメレディスも一緒にディーカへ出てみることになった。そして再び最低三節はそれで様子を見て、《黄昏の調べ》が危険な対応をとってこないことを確かめられたら、子供たちも町に出してこれまで通りの生活を続けていく。

 尚、もし危険だと判断された場合には北ポンデーロ大陸にある《黎明の調べ》本部に連絡し、人員の総入れ替えを打診するそうだ。そうなればこの館を離れて、北ポンデーロ大陸へ行くことになるのだが……それはいま考えたところで、どうにもならない。


 その後、決定事項――最低でも一期と三節は町へ出られないことを子供たちに伝えると、


「えーっ、せっかくがんばってりょーへーになったのにー!」

「……まあ、そういうことなら仕方ないわね」

「ですね、しばらくはここで静かにやっていきましょう」


 リゼットはあからさまに不満がり、サラは溜息と共に納得し、ローズはあまり気にした風もなく頷いていた。

 幸いと言っていいのか、館周辺の森は広く、魔物もいないので、遊ぶだけならば何ら問題はないのだ。

 元はといえばメレディスのせいなので心苦しくはあったが、誰も彼女を責めるような素振りすら見せなかった。


 そうして、メレディスは《黎明の調べ》ザオク大陸西支部の一員となった。

 同時にリュースの館で暮らす彼女らの家族の一員ともなったのだが、それをメレディスはあまり実感できないでいた。


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