第五十五話 『狩りの成果』
ギガントロールとの戦地から少し歩いたところで、本日三度目のハンマートレントが現れた。が、張り切ったリーゼの火魔法の前に呆気なく燃え散り、俺たちはそのまま先へと進む。
それからややもせず、森の木々が途切れて、ちょっとした広場になった場所に出た。広さはおおよそバスケットコート二面分ほどで、木は一本も見られない更地だ。
「ここはいつも通りだな」
「ですね、休憩にしちゃいます?」
「そうしようか」
アルセリアの指示により、広場の真ん中で腰を落ち着けることになった。
広場中央にはたき火の跡があり、それを囲むように野太い木の幹が四本、横たわっている。物陰もなく視界が開けているから、休憩所として猟兵たちの間に定着しているのだろう。
大人四人は四本ある木の幹にそれぞれ腰掛け、俺はセイディの隣、リーゼはクレアの隣に座った。
「ごっはんー、ごっはんーっ!」
「その前に手を洗うのが先ね」
水魔法で軽く手を洗った後、少し早めの昼食となる。
メニューはやや固めのパン、塩漬け肉、チーズ、木の実、果物など比較的簡素なものだ。
「なんかすっごくおいしー!」
リーゼは言葉以上に美味しそうな顔でもりもり頬張っている。
今日は非日常的なことばかりだし、乗馬でも森歩きでも少なからず体力を使っている。それに魔物狩りとはいえ、これはピクニックに近い。
俺もいつもよりメシが旨く感じる。これで魔物の住まう森じゃなかったら尚いいんだが。
それにピクニックの弁当といえば、やはりおにぎりだろう。しかし、この世界は麦食がメジャーであり、米はほとんど食されていない。東部三列島サンナや南ポンデーロ大陸に住まう一部の獣人部族などが米食なので、そちらの方では稲作をしているらしいが、多くの地域では麦作だ。魔大陸北西部に米はほとんど流通していないので、食べようにも食べられない。
「この後はどうするんですか?」
白米を恋しく思いつつも、パンと肉を同時に味わって美味しく嚥下し、俺は誰に対するでもなく問いかけた。
「ま、今日はこの辺りで引き返すのが妥当でしょうねー」
「そうだな、予定でもここまでだった」
「んーっ、もっほほふほほーひほーほー!」
口にものを入れながら、リーゼが不満の声を上げる。
それをクレアが「食べながら喋らないの」と注意しつつ、続けて言った。
「いつも通りだったら、もう少し進んでも良さそうなのだけれど……今日は少し様子がおかしいからね」
「どうしてでしょうね? どっかの猟兵が奥の方で狩りまくってるとか?」
「それで奥の方にいるはずの魔物たちが驚いて、この辺りにまで出てきたってことですか?」
「そそ」
もしそうなら甚だ迷惑な奴だ。
俺たちのピクニックを邪魔しやがって。
「まー、でもちょっと危なかったけど、結果的にはラッキーよね。今日の夕飯は少し豪華にしてもいいかも」
「おにくっ、おにくかセイディ!?」
「お肉だ、いいお肉だぞぉリーゼー、ついでにいいお酒もだぞぉ」
クレアとアルセリアは顔を見合わせて、二人とも仕方ないなとでも言いたげに微苦笑する。どうやら今晩のメインディッシュは高級肉になるらしい。
「……………………」
ふと俺は黙々と昼食を口にしていくオッサンに目を向けた。
今の話でオッサンだけハブられている。
これを可哀想だと思うのは俺の独善からくる哀れみか?
「一回くらい、ユーハさんも入れてみんなで食事っていうのもしてみたいですね」
さりげなく話題にしてみる。
ユーハは咀嚼しながら驚きに見張った左目を俺に向けてくるが、まず声を返してくれたのはセイディだった。
「でも家は基本的に男禁制だからねー。ちょっと入れるだけならともかく、食事まで許しちゃうと、そこらへんなあなあになりそうだし」
「じゃあヘルミーネさんの家で食事にするとか」
「そういえば、ここ数年はヘルミーネさんと一緒に全員揃って食事したことはなかったわね。二、三人一緒にとかならたまにあったけれど」
「たまにはそういった趣きでの食事も良さそうだな。マリーも賛成するだろう」
「でもサラねえはいやがりそーだよね」
「最近はだいぶユーハに慣れたっぽいし、サラもそんなに嫌じゃないでしょ。それに男と一緒に食事させれば、あの子の男嫌いも少しは和らぎそうだし」
「ついでにウェインも誘ってあげましょう」
「では、今日はヘルミーネさんの家で食事にしましょう。きっと彼女も快く頷いてくれるでしょうし。ユーハさんはどうですか?」
女性陣の姦しい会話であっという間に可決された話を前に、ユーハは珍しくも少し目を白黒させていた。だがクレアに問いかけられると、まず俺に目を向けて、それからリーゼ、セイディ、アルセリア、クレアと順繰りに見て、口を開く。
「……うむ、その……有り難い提案である」
ユーハは低頭するように頷いた。
ややぎこちない口調ではあったが、声に鬱色がほとんどなかった。
「じゃ、決まりね」
セイディが気持ちのいい笑みを浮かべてパンッと手を叩いた。
そのとき、不意にユーハが顔を上げ、左目を北の空へ向ける。ほぼ同時にアルセリアも片眉を微動させつつ、無言でオッサンと同じ方角の空を見上げた。
俺たちは南方から森に入り、やや蛇行しながらも北上してきたので、北は森の奥にあたる。
「どうかしたんですか?」
これまでの和やかな雰囲気を薄れさせ、クレアが真面目な声で二人に問う。
その横ではリーゼが獣耳を愛らしくピクピクさせながら、やはり年長者たちと同じ方へ顔を向ける。
そこで俺も、微弱ながらも魔力波動を感知した。
案の上、三人が意識を向けているのと同じ方角だ。
「……幾人かの者が戦っておるな」
「ああ、それにこちらに近づきつつある。リゼット、何が聞こえる?」
「んー、えっとね……なんにんかのおとこのこえ。あと、きいたことないなきごえもちょっときこえる!」
ユーハは座ったままだが、アルセリアとリーゼは立ち上がり、言葉を交わす。
セイディは昼食を口に突っ込むと、やにわに立ち上がって背中の翼を動かし始める。
「待てセイディ、この分だとおそらく、翼人の猟兵たちと飛行型の魔物が戦っている。いま飛び上がれば魔物にお前の存在も感知されかねない」
「どんどんちかづいてくる!」
「リゼット、落ち着け。皆も備えつつ声は出すな」
一転して緊張感が漂い始め、大人達は警戒を密にする。
リーゼはクレアの腕を掴みつつも興味津々な眼差しで音源の方を見上げている。
俺の第六感も感覚こそ安定しないが、感じる魔力が徐々に強くなってくる。
そうして十秒ほど無言でいると、俺の耳にもリーゼの言う音が届いてきた。野郎共の野太い叫び声と、聞いたことのないやや高めの鳴き声だ。音は次第に明瞭な響きへと変化していき、しかし先ほどまで感じ取れていた魔力波動はない。
訝しみながらも北の空へ視線を向け続けていき……そして、現れた。
青空と白雲を背景に空を駆るのは大型の魔物だった。
頭から前足、そして巨大な翼にかけての上半身は鷲だか鷹だかの鳥類めいた特徴を有し、そのくせ下半身は狼などの獣のそれだ。頭部から尻尾にかけて優に三リーギスはあるだろうか。全身が灰色のそいつは巨体に似合わぬ俊敏な、でも明らかに精彩を欠いたような軌道で宙を舞う。大きな嘴は何かを咥えているようだが、詳細までは視認できない。逞しい胴体には槍と思しき長い棒が二本、矢と思しき短く細い棒が何本か突き刺さっており、全身のあちこちが赤く血濡れていた。
「やはりか」
アルセリアが小さく呟くその間にも、灰色の魔物――十中八九アッシュグリフォンの後方から三人の翼人が追いすがる。全員男で、それぞれの手には剣と槍と弓が握られているが、三人とも少なからず怪我をしているようだ。
計四対の翼は広場上空に入る前に東へ逸れ、数秒で俺たちの視界から姿を消した。
「……アッシュグリフォンって、ディーカ南東にいるんじゃなかったっけ?」
魔物と猟兵たちを見送って間もなく、セイディが何とも言えない顔で呟いた。
「確か、猟兵たちが巣を潰して、その生き残りが北上してきたのよね? アッシュグリフォンは基本的に群れで動くとは聞くけれど、もしかしたら群れからはぐれてこちらに来てしまったのかもしれないわね」
「おそらくはそうだろう。この森の様子がおかしいのも納得だ。アッシュグリフォンなどこの辺りにはいないからな。あんな魔物が突然現れて、他の魔物たちは動揺したのだろう」
アルセリアは冷静にそう言って、再び丸太に腰を落とした。
「運が良いのか悪いのか、微妙なところですね。アッシュグリフォンが来なかったら、アサルトマンティスもギガントロールも現れなかったんでしょうけど……」
「でもおかねたくさんで、きょーのごはんがごーかになった!」
俺の言葉を引き継ぎ、リーゼが嬉しそうに笑う。
しかし、下手すれば俺たちはビッグカマキリに背中から斬られていたか、デブ野郎に叩き潰されていた。そう思うと素直に幸運だと認めるのも躊躇われる。
「先ほどの猟兵たち、きちんと狩り殺せるのでしょうか? アッシュグリフォンも負傷しているようでしたけど、彼らもだいぶ消耗していました」
俺の言葉に、アルセリアが顎先に手を当てて応じた。
「どうだろうな。手負いの相手は侮れないし、相手はただでさえ四級の魔物だ。アッシュグリフォンを狩ろうとしているほどだから、連中も手練れだろうが……まあ、おれたちが心配しても詮無いことではあるが」
「…………あの、もしですよ?」
なぜか神妙な面持ちでセイディは座り直し、水を一口含む。そして意味ありげな間を挟んだ後、アルセリアとクレアの顔を見ながら、声を潜めて囁くように言った。
「連中が討伐に失敗したとしたら、アッシュグリフォンが負傷状態で残ります。今はちょうど討伐依頼が出ていて、そして奴の羽毛はかなり上質な高級素材として知られ、その肉は珍味として高く評価されていると聞きます」
「却下だ、セイディ。危険すぎる」
セイディの言わんとすることを察したのか、アルセリアが首を横に振った。
クレアは呆れたような目でセイディを見ている。
「いやでも、これって好機ですよっ。ここで奴を仕留めれば一攫千金……とまではいかなくとも、相応の金が入ります。アルセリアさんとユーハの二人なら負傷したアッシュグリフォンなんて朝飯前でしょうし、今はアタシとお姉様もいます」
「だが、ローズとリーゼもいる」
「なんだったら、二人はアタシとお姉様で守りますから」
だから漁夫の利を狙おうぜっ、と力説する美天使。
さすが姐さん! 俺たちに言えないことを平然と言ってのけるッ!
そこにシビれる! あこがれるゥ!
でもこいつもう天使じゃねえよ。
「そもそも、先ほどの彼らが討伐に失敗するとは限らないでしょう? それに、ここは彼らに協力して助けてあげましょうとか、そういうことを言うところではなくて?」
「うっ……でもお姉様っ、ここは食うか食われるの弱肉強食な魔大陸なんですよ!? さっきの三人も猟兵なんですから危なくなったら逃げるでしょうし、それでも諦めきれずに突撃して死ぬんなら、それは身の程も弁えない馬鹿野郎の自己責任ってことですよっ! ですから一度様子を見に行って、アッシュグリフォンしかいなかったらアタシたちが狩る。まだ猟兵たちが戦ってたら、そのときは加勢して助けてあげる。後者でも協力した分くらいの分け前はもらえるでしょうし、どっちにしろ損はないですよ」
「だがどっちにしろ危険もある」
アルセリアは頑として首を縦には振ろうとしない。
しかし、セイディの言うことにも一理ある。
もし猟兵たちがまだ戦っていれば、そこに加勢することで彼らの命を救うことができるかもしれないし、臨時収入もゲットできる。アッシュグリフォンしかいなかったとしても、それはそれで都合が良く、アルセリアとユーハの二人なら余裕で片付けられるのはほぼ間違いないため、結果として大金ゲットだ。
セイディがリーゼを抱えて飛べば、高所からの視点と鋭敏な聴覚で居場所も探れるだろうし、その点も問題はないはずだ。
「ユーハはどう思う!?」
「……敵は有翼の魔物である。逃げに徹され空を飛ばれれば……某にもアルセリア殿にも手出しができなくなる。無駄足に終わる可能性が高かろう」
ユーハは若干鬱っていながらも、冷静に意見を述べた。
セイディは「ぬぅ……」と小さく唸りながら、俺を見てくる。
「な、なんですか?」
「ローズはどう思う?」
いや、ここで幼女の意見を求めるんですかい?
それはもう負けを認めているようなもんですぜ、姐さん。
……とは思いながらも、まあ答えるけどね。
「みなさんの言うことは、どれも一理あると思います。でも、私はセイディに賛成です。さっきの三人も助けられるなら助けたいですし」
とはいえ、あの翼人共のことは実は結構どうでも良い。
そしてそれは俺だけの意見ではないだろう。先ほどクレアは『協力して助けてあげましょう』と発言するのが適切だろうとセイディに述べつつも、彼女自身もアルセリアもユーハも実際に助けようとは言わなかった。
その理由が、俺とリーゼがいる状況で危険なことに首を突っ込みたくないからなのは明白だ。同時に、セイディの言うとおり連中の自己責任でもあるのだから、わざわざ俺たちがリスクを犯してまで助けに行く義理などなく、故にその必要もない。
だが、しかしだ。
俺の本心がどうあれ、かつて俺はユーハに言った。言ってしまった。
「それに、幼女を助けるのに理由はいりません」
この言葉を嘘にはできない。
今回の相手は幼女ではなく野郎共で、しかも猟兵なのだから、厳密にいえば適用範囲外だ。俺はRPGの主人公ではないのだから、誰彼構わず助けてやるつもりはないし、そんな力もない。
それでも俺は、せめてオッサンの前でだけはこの言葉を貫かなければならない。そうでなければ、二年前のあのときに覚醒し、金髪野郎と一戦交えた鬱武者は何だったというのか。
「うむ……しかしローズよ、某とてそうは思うが、某にとってはそなたとリゼットの方が大事である。彼らを助けに行くことで、そなたらに危険が及ぶ可能性があるとすれば……それを看過することはできぬのだ」
やや口惜しさを滲ませながらも、俺の目を真っ直ぐに見つめてオッサンははっきりとそう口にした。
なんだろう、ちょっと泣けてくるね。
「え、おにくは? ちんみなおにくはたべられないの?」
密かに感激する俺を余所に、幼狐は己が食欲を満たせないかもしれない事態を前に戸惑っている。
「リゼット、珍味な肉は無理だが、美味しい肉なら夕食で食べられる。それで我慢するんだ。セイディもローズも、ユーハの言うとおりだ。危険は犯せん。いいな?」
「まあ、そうですよね……この子たちに万が一があってからでは遅いですし。分かりました、諦めます」
「私も分かりました」
セイディは隣に座る俺の頭を撫でながら、先ほどまで力説していた割りにあっさりと頷きを返した。
そのこざっぱりした性格、好きだぜ。
ひとまず話が落ち着いたところで、リーゼがクレアの腕を揺さぶりながら口を開いた。
「ねえクレア、ちんみなおにくっておいしーの? あと、ちんみってどーゆーいみ?」
リーゼのその問いに、アルセリアもセイディもクレアも、慈愛の眼差しになって微笑みを浮かべた。
そうして、俺たちは予期せぬ光景を目撃しながらも、楽しいランチタイムを過していった。
♀ ♀ ♀
しかし、人生とは何が起こるか分からないものだ。
昼食後、来た道を引き返すことにした俺たちは再び森を歩いていた。地面の陥没跡――メタボ野郎との戦闘場所を通り過ぎ、魔物とは一度も遭遇することなく着々と森の出口へ歩いて行く。
そんなときだ、翼を発見したのは。
「これは……」
道端に落ちている血濡れた片翼を見て、アルセリアは立ち止まり、険しい顔で呟いた。薄茶色のそれは半分ほどが血色に染められている。色や大きさからしても、先ほど見掛けた翼人の一人のものだろう。
普通にグロいな……。
「この近くにさっきの猟兵の一人がいる……っぽいですよね」
ゆっくりと辺りを見回しながら、セイディが淡々と言った。
同じ翼人として、片翼がほぼ丸ごと落ちているこの光景は色々と思うところがあるはずだ。
「むこーからちのにおいがするっ」
リーゼが指差した先には乱立する木々と繁茂する枝葉に遮られた森の薄闇しか見えない。
「リゼット、声は聞こえるか?」
「ううん、きこえない」
「……そうか。では、血の臭いは近そうか?」
「んー、そんなにはなれてないとおもう」
目を瞑って小さな鼻をスンスン鳴らし、リーゼは答えた。
アルセリアは顎に手を当てて目を伏せるが、そこでクレアが口を開く。
「せめて猟兵証だけでも回収しておきますか?」
「そうだな……しかし、アッシュグリフォンが付近にいる可能性は無視できない。ユーハは何か気配は感じるか? おれは何も感じないが」
「……某も何も感じぬ。アッシュグリフォンどころか、この付近に魔物はおらぬようだ。無論、確証はないのだが……」
今更の話、気配ってそんなのどうやって察知するんだよ。
闘気の応用とかでなんとかなるのだろうか?
それとも達人級に身体を鍛え上げれば開眼する第六感ってやつか?
「…………」
アルセリアは地面に落ちた片翼、そしてリーゼの指差した先を見つめた後、俺たちに目を向けた。
「クレアの言うとおり、せめて猟兵証くらいは回収してやってもいいが……皆はどう思う?」
「気配はないんですよね? だったら、それくらいいいと思いますけど」
「そうですね。可能な限り、協会に亡くなったことは伝えた方がいいですし」
「うむ……誰にも知られず骸を晒し続けるのも、酷であろう」
「かいしゅーだー!」
「魔物に死体を食べられるよりは、燃やしてあげた方がいいですよね」
満場一致で猟兵カードを回収することが決まった。
「血臭に誘われて魔物共が近寄ってくるかもしれない。油断だけはするな」
アルセリアの言葉にそれぞれが頷くと、俺たちはリーゼの嗅覚を頼りに、道を逸れての木々の間を歩み進んでいく。クレアとセイディはそれぞれの得物を抜き、予期せぬ奇襲に備える。俺も背中のリュックから魔剣の柄を取り出して、いつでも光刃を出せるようにしておいた。
「……いたわね」
ややもしないうちに、横たわる男の遺体を発見した。
仰向けに倒れているそいつは背中が大きく裂かれ、薄茶色の翼は一方が欠けている。その近くには横向きに倒れた中年のオッサンの遺体もあった。腹が大きく裂けて内臓が飛び出し、右足がなかった。
「ローズとリーゼはこっち。子供が見るようなもんじゃないわ」
俺とリーゼはセイディに背中を押され、二人の遺体から少し離されて、背を向けさせられた。
心配になってリーゼの顔を見てみると、なんとも複雑な表情をしている。まるで飛び切り臭くて不味いチーズを食べたかのような顔だ。
「ユーハはそちらの男の持ち物を漁ってくれ。おれはこちらの男のものを確認する」
「承知した……」
「お姉様、もう一人の死体も近くにあると思いますか?」
「どうでしょうね。気配がないということは、近くにいないか事切れているということだから……」
後ろから大人たちの会話が聞こえて、俺はちらりと振り返ってみた。
アルセリアとユーハの二人は遺体の服やらリュックやらを漁り、猟兵カードを探していた。クレアとセイディは相変わらず得物を持ちつつ、もう一人の遺体はないか確認しているようだった。
なんというか……半ば予想はしていたが、せっかくの初狩猟が陰惨なものになったな。気分良く帰れると思ったら、これである。
猟兵共の死は可哀想ではあるが、自業自得だろう。
魔物を狩ることを生業としているのだから、逆に魔物から狩られて死んでも何らおかしくない。セイディの言うとおり、弱肉強食なのだ。
それが猟兵であり、魔物のいるこの世界で生きていくということだ。
あんな風に死なないためにも、より一層強く賢くなる必要がある。
俺は魔物や誰かに殺されてやるつもりなんて当然ないし、今度死ぬのなら天寿を全うして、ベッドの上で心安らかに永遠の眠りに就きたい。
「ねえリーゼ、これからもきちんと勉強して、鍛えて、あんな風に死なな――って、あれ?」
つい今し方まで隣に立っていたリーゼが、いない。
俺は慌てて全周囲に視線を走らせるも、幼狐の影も形も見当たらない。
「え、あれ…………え?」
ちょっと目を離した隙に、リーゼがいなくなってしまった。
♀ ♀ ♀
行方不明になった幼狐はひょっこり姿を現した。
「リーゼッ!」
木々の向こうから俺たちの方へと歩いてくるリーゼに、クレアが駆け寄る。
「あっ、クレア、あのね、あっちに――っ、ぇ?」
リーゼは自身の後方を指差しながら、なぜか嬉しそうに口を開く。が、その途中で乾いた音が小さく響き、幼狐は呆然と黒髪巨乳美女を見上げた。
「一人で勝手に動いちゃ駄目だって言ったでしょう!?」
「――――」
珍しくもクレアが本気で怒っていた。
いつも母性的な優しさと温かさでもって俺たち幼女に接してくれる彼女が叱声を浴びせている。リーゼは叩かれた頬を抑えて目を見開いていた。
「急にいなくなって凄く心配したのよっ、もし魔物に襲われたらどうするの!?」
「ぁ、う……ご、ごめんなさぃ……」
大きな瞳に涙を滲ませ、耳と尻尾を垂らし、リーゼが泣きそうな顔で謝った。
クレアは肩を大きく上下させると、幼狐の小さな身体を抱きしめる。
リーゼを見失っていたのはほんの数分ほどだが、今回は間が悪かった。俺が大人四人にリーゼがいなくなったことを告げた直後、折り悪く魔物が現れたのだ。
レインスパローという九級の雑魚だったが、その鴉ほどの体格をした鳥型魔物は軽く三十匹以上はいた。おそらくは死体を漁りに来たのだろう。それが空から一斉に襲いかかってきたものだから、一匹一匹は初級魔法でも片付けられる雑魚でも、素早かったので少々苦戦した。それでも三十秒と掛からず駆除し終わったが、魔物の出現で俺たちは大いに危機感を煽られた。
「もう……どうして急にいなくなったりしたの?」
リーゼを抱擁しながら、クレアは一転して安堵に緩んだ優しい声で問いかけた。
するとリーゼは涙目のまま、眉尻を下げてぽつぽつと呟く。
「なんか、へんなこえがしたから……」
「それでその声の方に行っちゃったの?」
「……ぅん」
「もう一人で勝手にいなくなっちゃ駄目よ。今度から何かあったら、まずはみんなに言うの。分かった?」
「ぅん、わかった……」
クレアの肩に顔をこすりつけながら、リーゼは頷いた。
俺もセイディもアルセリアもユーハも、とりあえず一息吐いた。
どうやら特に何か危ないことがあったわけではなさそうなので、一安心だ。
「それで、何かあったの? 随分とリュックがパンパンだけど……どうしたの?」
「こ、これは……えっと……ぃ、いし! めずらしーかたちのいしがおちてたから、ひろってきたっ!」
なぜか視線を泳がせながらも、リーゼは力強く答える。
そして、そのままの勢いで続けて言った。
「あとね、むこーにアッシュグリフォンがいて、なんかぜぇぜぇいってたけど、すぐしんじゃったっ」
「ほんとリーゼ!?」
美天使が幼狐以上のハイテンションで食らい付く。
姐さんはちょっと落ち着けや。
「ちんみなおにく、たべたい!」
「アルセリアさんっ」
セイディに見つめられ、アルセリアは小さく嘆息しつつ微苦笑を浮かべた。
「まあ、ここまできたらいいだろう。リーゼ、アッシュグリフォンはどこにいる?」
「あっちっ!」
叱られたこともなんのその、幼狐はあっという間に元気を取り戻して指を差す。だが今度はクレアの手を握り、みんなで一緒に移動した。
そしてすぐに俺たちはアッシュグリフォンの死体を発見する。
「きた……きたわよこれ……きちゃってますよお姉様……」
「セイディ、落ち着きなさい」
クレアはそう注意するが、セイディは喜びの余り一周回って普段より静かだった。そのくせアッシュグリフォンの全身を熱心な眼差しで眺め回し、検分している。
「残り一人はここにいたか。槍の数からして、当初は四人以上はいたのだろうが……」
アルセリアはまず首なし翼人男の遺体をまさぐり、その懐から猟兵カードを回収していた。
「よし、では剥ぎ取りはおれとセイディで行う。ユーハとクレアはローズとリゼットのことを見ながら、周辺の警戒だ。それとクレア、魔剣を貸してくれ」
セイディは本日最も意気の充溢した顔で頷き、リュックから剥ぎ取り用のナイフを取り出していた。アルセリアはクレアから《聖魔遺物》の魔剣を借り受け、黄金色の刀身を出す。
そうして、二人はアッシュグリフォンから素材を回収していった。
剥ぎ取りを終わらせた後は火魔法で焼却し、俺たちはそそくさと森から抜け出た。ただ、素材を多く持ち出しすぎたせいか、馬に乗れないほど荷物が多くなってしまったので、帰りは徒歩となった。尚、セイディは馬より多く荷物を持っていたため、飛行不可能となった彼女も帰路は地上を行った。
結局、ディーカに帰り着いた頃には日が沈みかけていた。
しかし、誰も文句は言わなかった。
その日はいつもより遅めの夕食となってしまったが、いつもより豪勢な夕食を十人で賑々しく、美味しく頂いた。
次回からしばらくは間話です。