第五十四話 『一狩り行こうぜ!』
猟兵協会を出た俺たちは、まず厩に向かった。
目的地である森林地帯まで行くのに、徒歩だと時間が掛かりすぎる。
というわけで、足を調達するのだ。
猟兵協会から歩いて間もなく、目的の厩に到着する。
「おう、姉ちゃんたち。今日も狩りに行くのか?」
中年親父が気安い様子で挨拶してくる。
野郎はエロい目でクレアのダイナマイトな胸部をチラ見していた。
とんだスケベジジイだが、クレアだから仕方ない。
我らが《黎明の調べ》では専用の馬を購入しているらしく、普段は厩に金を払って連中に面倒を見てもらっている。そして必要なときに利用するというわけだ。ただ、馬は二頭しか持っておらず、今日の俺たちは六人だ。セイディは空を飛んで行き、俺とリーゼはクレアたちと同乗するとしても、ユーハがあぶれてしまう。
なので馬一頭はレンタルすることになった。
奴隷と思しき身形のオバサンが三頭の馬を引き連れてやってくる。俺はクレアと、リーゼはアルセリアと同乗して、いざ出発となった。だが町中で馬を走らせると危険なので、ひとまずはのんびりと門まで歩いて行くことに。
「あー、馬とか久しぶりです」
「そういえばローズはエノーメ大陸を旅してた頃があったのよね。今でもよく覚えているの?」
「もちろんです。きっと一生忘れません」
思いかげずしみじみとした声で答えながらも、俺は後頭部のクッションをこれでもかと堪能していた。
もうね、この乗り心地は常軌を逸してるんですわ。ラヴィがエコノミークラスだとしたら、エリアーヌがビジネスクラス、そしてクレアはファーストクラスだ。
悪いけど勝負になりませんよ、これは。
「……ローズ、急にどうしたの? 私の胸がどうかした?」
「いえ、クレアはいつも柔らかいなぁと思いまして」
思わず上体を捻ってクレアの右胸を揉んでしまった。
服越しとはいえ、ほんと至高の感触だよこれ。
どうだ羨ましいだろ、厩のジジイ。
「ローズはいつも通りだな。身構えすぎるのは良くないが、気を抜きすぎないようにな」
「はい」
隣の馬上に跨がるアルセリアに頷きを返す。
一方、彼女の前に騎乗するリーゼは興奮も露わに身体を揺らした。
「ねえアリアまだー? まだかべのむこうにでないのっ? もりは? まものはまーだー?」
「リーゼは少し落ち着こうな。狩り場までの道中で魔物に襲われる可能性もある。油断はするなよ」
「いどーちゅーでもまものくるの!? やったー!」
リーゼは来る魔物戦が楽しみで仕方ないらしい。
前世でも狩猟は一種の娯楽として古くから存在したし、この世界の魔物狩りにもそれと似たところはあるのだろう。魔物狩りってのは生き物をぶっ殺すことと同義で、そう考えるとリーゼは少し残忍だ。
しかし、魔物を殺すことに罪悪感を覚えないのがこの世界の人類なので、クレアたちは特に注意したりしない。郷に入っては郷に従えというし、俺も前世の価値観を改める必要がある。魔物相手に躊躇して殺されたら死んでも死にきれんし、そもそも魔物は生き物であって生き物ではないだろう。なにせ邪神オデューンの眷属だしね。
「……………………」
馬首を並べて姦しく雑談しながら歩く後ろで、ユーハは単身黒馬に乗って黙々とついて来る。変な髪型で黄色い眼帯をした軽い鬱顔のオッサンが女四人の後ろをつけ回すとか、不審者にしか見えないことだろう。
俺たちはなかなかの活気を見せる通りを西へ向かって歩いて行き、まずは一枚目の市壁を抜けた。内側の壁はほとんど防壁としての機能はなく、古びた門は常に開放状態で衛兵なども立っていない。外側の新しい市壁と比べると、骨董品も良いところだ。
猟兵協会から三十分ほど歩いたところで、ようやく二枚目の壁を抜け、外に出た。壁の向こうにはひたすら自然が広がっている。緩やかな高低差のある丘陵、遠方には山々の偉容が窺え、緑豊かな大地が視界を埋め尽くす。
「さて、ここから走るぞ。魔物に関しては上からセイディが見ていてくれるが、注意は怠らないようにな。もし見つけたら、すぐに教えるように」
「了解です」
「わかったーっ!」
リーゼはいつも通り威勢良く返事をする。
そうして、俺たちは馬を駆ってモンスターワールドへと突入していった。
♀ ♀ ♀
門から伸びる道は石畳で舗装こそされていないが、踏みならされて硬くなっている。市壁付近には畑が広がっており、老若男女が土いじりに精を出している。中には帯剣している兄ちゃんやオッサンも散見され、魔物や賊徒への警戒を怠っていないことが窺えた。
土色の道を西へと進み、たまに猟兵たちや商隊の列などとすれ違い、追い越し、小一時間。途中で道を逸れて草原を突っ切り、深緑の木々が鬱蒼と生い茂る森に到着した。
「なんだかんだで、結構魔物いましたね……」
「あたしもたたかいたかったのにー。なんでセイディかってにやっつけちゃうの?」
「いちいち立ち止まって戦ってたら、日が暮れちゃうでしょ」
森の前で馬を下り、一旦身体を休めながら雑談する。
道中、幾度か魔物は見掛けたが無視して振り切り、追いつかれそうになったときはセイディが空中から剣で奇襲して仕留めていた。
「でも、ここからはローズとリーゼにも戦ってもらうからね。基本的に森にいる魔物は強いから、気は抜かないように」
森は魔物の巣窟だ。動植物が多く、生息する魔物の種類も多彩で、一つの生態系が成り立っている。魔物共が作り出す食物連鎖の底辺はひ弱な動物たちと人類であり、やるかやられるかの世界である。ダンジョンといっても差し支えないので、本来なら駆け出しの猟兵が森に入ることまずない。
しかし、俺たちは魔女だ。
余人に魔法を使っているところを目撃されると厄介なので、人気のない森での狩りは面倒がなくていい。まだ幼女な俺とリーゼが武器を振り回して魔物と近接戦を演じるのは、森に入るより危険が大きい。
魔法があれば魔物の間合いに入らず安全に狩れるので、モンスターハンティングに魔法を活用しない手はない。実際、猟兵協会では魔法の使える猟兵は多くのパーティから引っ張りだこらしい。まともな魔法士の猟兵は少数らしいからね。
「リゼットはあまり広範囲に火魔法を使わないようにな。森が火事にでもなったら厄介だ」
「わかったーっ!」
「よし、では行こうか」
アルセリアが先頭に立ち、深い森へと足を踏み入れていく。
全員下馬して、クレアとアルセリアとユーハの三人は手綱を片手に、自前の足で歩いて行く。陣形としてはオッサンが最後尾で、俺とリーゼはクレアとセイディに挟まれている。前後左右を大人達に護衛され、安心安全だ。
森にも一応、道がある。
ディーカの猟兵たちが幾度も来訪することで自然と出来上がったのか、それとも巨大な魔物の通り道なのかは不明だが。
俺たちは虫や鳥、あるいは魔物と思しき鳴声をBGMにゆっくりと進んでいく。
「ねえ、ローズはおしりいたくない?」
「いえ、ちょっと痛かったですけど、治癒魔法かけましたから。リーゼは治癒魔法かけました?」
「ううん、かけてない」
「じゃあ私がかけてあげます」
俺は歩きながらリーゼの小さなお尻に手を当てて、治癒魔法を行使した。
俺の魔力量は未だに底が見えない。今日のリーゼはやる気満々なので魔力は多く消費するだろうし、節約させた方がいい。とはいえ、魔女なので幼女なリーゼでもそうそう魔力切れになることはないと思うが。
陽光は樹木の枝葉で遮られて薄暗く、似たような木々が無数に連なり、方向感覚を狂わせる。だが俺たちにはセイディという翼人がいるので、迷っても空から案内してもらうことができるので安心だ。まあ、それ以前に大人達は何度もこの森には訪れているらしいので、俺が心配する必要はないだろう。
「あっ、アレまものだよね!?」
森に入って三分と経たず、早々に魔物とエンカウントする。
二十リーギスほど先に、木々の合間から自立歩行する木が現れた。背丈は三リーギス弱ほどで、節足さながらに根が蠢き、太めな幹には穴のような口がついている。四本の太い枝がうねるように動き、それぞれの先端は丸く膨らんでいた。緑の葉は一切なく、全身は上から下まで茶褐色だ。正直、前世ではまずあり得ない生物なので不気味という他ない。
ちなみに口はあるものの、ハンマートレントのエサは体液だ。つまり人間なら血液であり、奴にとって今の俺たちは栄養満点の血袋に見えているのだろう。
「目標のハンマートレントだな、ちょうどいい。まずは……そうだな、ローズからいってみようか」
「えーっ、なんで!?」
「リゼットには少し落ち着きが足りないからな」
アルセリアが微苦笑しつつそう言うと、リーゼは案の定な反応を見せる。
「あたしおちついてるもんっ!」
「落ち着いていたら、そうやって叫んだりはしないでしょう。ほら、少しの間だけ我慢して」
「むぅー」
クレアに頭を撫でられ、不満そうに口を尖らせて唸る幼狐。
常日頃からリーゼはハイテンションで落ち着きを知らない。それが子供というものだろうが、魔物との戦いは命のやり取りだ。アルセリアたち大人からすれば、ワンクッション挟んで少し冷静になってもらいたいのだろう。
「ではローズ、あいつを倒してみろ」
「分かりました」
俺は返事をしながらアルセリアの横に進み出て、目標を見据えた。
動く木は既に俺たちに気が付き、足代わりの根を気色悪く動かして、歩く程度の速さでゆっくりと接近してきている。
俺は深呼吸を一度だけすると、まずは小手調べから始めてみた。
右手を銃の形にして無属性初級魔法〈魔弾〉を放つ。
威力は中程度だ。
魔弾は幹の中心部目掛けて飛んでいき、命中するも、傷一つ付いていない。
「硬いですね」
「奴はあの巨体を支えるためか、全身が硬質な樹皮で覆われている。生半可な剣や槍ではなかなか傷付けられない。弱点は口だな」
魔大陸の魔物は他大陸と比べて強力だ。
クレアたちの講義によれば、魔大陸で十級の魔物は他大陸の八級、あるいは七級の魔物に相当する強さらしい。要は二つか三つほどの階級差があるっぽい。
初級の無属性魔法は使いやすい反面、物理的威力で他属性魔法に劣っている。
「だったら火でいきますか」
今度は火属性初級魔法〈火矢〉で攻めてみた。
魔力は普通に込めて、火矢を射出する。弱点らしい口は狙わず、先ほどと同じ場所へと撃ち込んだ。
火矢は敢え無く飛散してしまうが、少し黒く焦がすことはできた。
そのせいか、ハンマートレントが低音の奇声を上げて腕を振り回した。まだ奴の間合いにまで近づかれてはいないので、当然俺たちには当たらない。しかし付近に立つ木が奴の腕に殴られて、幹が半ばから折れ、一発KOされていた。
「……凄い力ですね」
「ああ、だが歩みは遅い」
ハンマートレントの腕はさながら棘なしのモーニングスターだ。腕は柔軟で良くしなり、手に相当する部分は如何にも硬そうな直径一リーギス弱の球状となっている。アレで殴られれば全身粉砕骨折しそうだ。接近してアレとやり合う戦士たちとか尊敬するわ。
少しビビッたので、小手調べもそこそこに、もう倒してしまうことにした。
俺は十リーギスほど先を歩く木の魔物へ向けて右手を突き出し、狙いを定めて風属性特級魔法〈風血爪〉をお見舞いした。
特級ともなると、さすがにコントロールが難しくなってくるので、手の動きでイメージを補完する。小さな手をギュッと握りしめると、ハンマートレントは四方から強力無比な風の鋭爪に引き裂かれ、豆腐よりもあっさりと全身が分断された。
崩れ落ちた身体はもはや原型を留めておらず、そこに転がっているのはただの木材だった。どうやって動いてたんだ、こいつ。
「こんなもんですかね」
突きだしていた拳を下ろし、一息吐く。
「十分すぎるほど安全に狩れたな。だが、初めてだし、それでいい」
「やっぱローズならこれくらい訳なかったわね」
「初級魔法で様子見までしていたし、リーゼもあれくらい冷静にね」
「あたしもはやくかりたいーっ!」
「……さすがローズである」
とりあえず、俺たちはぶっ殺したトレントさんの亡骸まで近づき、適当な大きさの木を一片だけ回収した。たぶん腕にあたる部分だ。さっきまで軟体動物さながらにしなってたのに、一丁前に死後硬直でもしやがるのか、今ではカチカチだった。
アルセリアに手伝って貰いながらも、分断された五十レンテほどのそれをオッサンの黒馬に括り付ける。こいつの樹皮は硬く燃えにくいが、そいつを一皮剥くと良質な燃料となるそうな。普通の木より燃えやすく、かつ何倍も長持ちするので暖炉なんかの薪に最適だ。
「良し、あとは残骸を燃やして片付ければ……と、その前にまた来たな」
アルセリアが視線を向けた先を目で追うと、大人しく佇む木々の向こうに、歩行するハンマートレントさんが見られた。どうやら向こうも俺たちに気付いているらしく、こちらへ歩みを進めてくる。仲間の仇討ちでもしようってのか?
距離はまたしても二十リーギス前後といったところか。
「やったきたあああああああ――っ!」
リーゼは喜び勇む気持ちを声にして、一も二もなく両手を向けて矮躯から魔力を滾らせる。そして詠唱もなくいきなり火属性上級魔法〈爆炎〉をぶっ放した。
その結果、俺たちに接近しつつあった木の魔物は爆炎によって四散した。盛大に弾けた炎は奴の幹を口のところから上下に分断し、四本の腕は三本が千切れて明後日の方へ飛んでいく。今さっきまでハンマートレントのいた木々の向こうには奴の下半身がチロチロと燃えながら残っているだけだ。
「――――」
「ふおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!」
突然の爆散に驚く俺たちもなんのその、リーゼは一人両手を突き上げて勝ち鬨を上げた。テンションが高すぎてついていけん。
「……リーゼ、ちゃんとできたことは褒めてあげるけど、いきなりすぎよ」
クレアは褒めればいいのか叱ればいいのか判断しかねているようで、微妙な顔をしていた。
「まあ、いいだろう。幸い、炎も一瞬だったおかげか、周りの木に燃え移っていない」
「ちゃんとかれたから、これであたしもりっぱなりょーへーだ! もーばかにされたりしないもん、ねっ、ローズ!」
「え、ええ、そうですね」
リーゼはリーゼで、ガキ共に言われたことを気にしていたらしい。
だが既に魔物を倒したおかげか、笑顔で腰に両手を当て、ぶんぶんと尻尾を振りながら胸を張っていた。まあ、可愛いからもうなんでもいいか。
俺は先ほど倒した魔物の残骸を焼き、リーゼはアルセリアと一緒に木々の間に進み出て、自分が倒したモンスターの一部を拾っていた。森は常緑で湿度が高いためか、少々燃え移ってはいたようだが、それ以上の延焼には至らなかったらしい。
「さて、早々に目標は達してしまったわけだが……」
「もっとかる!」
リーゼの希望に答える前に、アルセリアはクレアとセイディとユーハを順繰りに見回した。三人はそれぞれ頷きを返し、最後に俺で視線を止めた。
「私ももう少しこの森を探検したいです。どんな魔物がいるのかとか、興味ありますし」
「では、もう少し奥まで行ってみようか」
「ぃやったああああぁぁぁぁ!」
全身で喜びを露わにする幼狐に対し、アルセリアはいつもの冷静さで釘を刺す。
「ただし、魔物が現れても勝手に魔法を使ったりしないようにな。一発で倒しきれず、魔物が怒って予期せぬことが起きないとも限らない。特にリーゼ、分かったな?」
「わかったーっ!」
「私も分かりました」
このパーティのリーダーは最年長者のアルセリアなので、彼女の指示は守らなければならない。特にここは魔物の世界だし、今は集団行動中だ。もし俺が迂闊な行動をとって仲間の誰かに何か起これば、目も当てられない。
「では行こうか」
そうして俺たちは森の探検を再開した。
緑の匂いが濃く、虫も多くて鬱陶しいが、なんとなく懐かしい気持ちになる。ラヴィたちとエノーメ大陸を北上中もこんな森を通ったっけか。
アレから二年半……遠いところまで来てしまったものだ。
しばらく雑談などをしながら歩いて行くが、その間、大人達は普段あまり見せない警戒心を覗かせていた。辺りは木々が多く、枝葉の作り出す影もあって見通しの利かないところも散見される。奇襲に備えるのは当然だろう。
「セイディ、のどかわいたー」
「はいはい。ローズも水飲む?」
「飲みます」
セイディはリュックの外ポケットに入れていた金属のコップを取り出し、魔法で水を注いだ。リーゼは「ありがとー」と言って受け取り、ごくごくと飲み干す。
俺にコップを回されると、自分で水を入れて水分を補給した。
「アルセリアさんとクレアも飲みますか?」
「もらおうか」
「せっかくだから、私も」
「アタシもついでに」
三人は順番にコップを傾け、水を飲む。
最後に飲んだクレアは空のコップを片手に、最後尾を黙々と歩いているオッサンを振り返った。
「ユーハさんもいかがで――」
「皆伏せろ!」
「魔物である」
アルセリアの声とオッサンの声が重なった。
瞬間、人間大の影めいた何かが木々の間から飛び出し、オッサンの背中へと襲いかかる。ユーハは馬の手綱から左手を放し、流れるような挙措で腰元の鞘を掴んだ。右手はいつの間にか柄に掛かっており、振り向きざまに一閃する。
次に俺が気が付いたとき、ユーハは刀を振り切っており、残心したその足下にドサッと何かが落ちた。オッサンは刀を一振りして、薄青い刀身に付着していた緑色の液体を払い飛ばすと、何事もなかったかのように納刀する。チンッという小気味よくも清冽な快音が沈黙した場に鳴り響いた。
「……お、おおぉぉっ、なんかよくわかんなかったけどユーハすごい!」
リーゼの興奮した声で俺も我に返った。
ユーハの足下にはダークグリーンの魔物が横たわっていた。二つの巨大な鎌を持ち、全体的にスタイリッシュすぎる身体は人間に近しい。だが、太く長い尻尾のようなものが見られ、極薄な半透明の羽もあり、頭は三角っぽい奇形だ。巨大な二つの目が頭部の半分を占め、もう半分は鋭い牙が垣間見える口となっている。
そいつを一言で表現するのなら、でかいカマキリだろう。
「アサルトマンティスか……珍しいな。普通はもっと奥深くまで行かないと遭遇しないものだが」
「いや、というかユーハ凄すぎ、アタシ全然気付かなかったんだけど。しかもこいつ三級の魔物でしょ、そいつの奇襲を一撃で返り討ちとか……」
セイディは絶命して横たわる死骸を見て、「ぅひゃ~」と声を上げている。
巨大カマキリは両腕の鎌が肘から切断され、胸の辺りで身体が上下に泣き別れていた。
先ほど、俺はユーハが鞘から刀身を抜き放った瞬間を視認できなかった。いつ抜いていつ斬ったんだと思うほど、それは瞬きのうちに終わっていた。あの居合いめいた一撃を繰り出されれば、俺は何をされたのか理解する間もなく死ぬだろう。
「さすがというべきなのでしょうか。ありがとうございます、ユーハさん」
「……うむ」
「ローズローズっ、みてこれ、なんかかっこいー!」
「あっ、リーゼ、危ないですから無闇に触らない方がいいですよっ」
リーゼが一リーギスほどもある鎌に手を伸ばしかけたので、俺は咄嗟にその手を掴んで止めた。大きな鎌は見るから鋭利でその切れ味の危険さを感じさせるが、光沢は一切ない。全身の暗い体色といい、物音一つ立てず背後から奇襲してきたことといい、まさに暗殺者だ。
アルセリアも気が付いたようだが、彼女は先頭にいたし、ユーハがいなかったら俺たちは無事では済まなかっただろう。
「確かアサルトマンティスの鎌って、凄い高値で買い取ってくれなかったっけ? しかもこれ傷一つないし、かなりいい感じに売れそう」
「そうだな。ユーハ、それは持って帰るといい」
「うむ、そうしよう……」
ユーハは特に喜ぶでもなく、鎌を一つずつ拾い上げ、馬の鞍に括り付けた。
「リーゼ、その魔物燃やしてくれる?」
「わかったー」
セイディに言われ、リーゼはアサルトマンティスの死骸を焼却し始める。
そこに躊躇いは一切ない。
「そういえばユーハさん、水飲みますか?」
「いただこう……かたじけない」
燃え盛る炎の隣で、ユーハはクレアからコップを手渡され、口を付ける。
よく考えるまでもなく、オッサンは俺たち全員と間接キスしているわけだが……まあいいか。一仕事の後の一杯だし、ユーハなら許す。
「では、行こうか」
一通り事後処理が終わり、俺たちは歩みを再開した。
♀ ♀ ♀
巨大カマキリの奇襲から、十分ほど歩いた頃。
メルトビーという一リーギス弱の巨大蜂めいた魔物五匹に襲われたが、クレアとセイディによって呆気なく駆除された。リーゼは戦いたそうにしていたが、メルトビーは尻尾から酸のような溶解液を散布するという危険性を持つ。しかもすばしっこく飛んでいるため、魔法による照準もつけづらい。
七級の魔物らしかったが、俺たち幼女にとっては初見の魔物なので、まずは大人二人が相手をしていた。
それから更に五分ほど経った頃。リーゼが再びのメルトビー襲撃を期待していたとき、そいつは俺たちの前に現れた。
「うおおぉぉぉ、なんかすっごいふとってるのきたああああぁぁぁ!」
普通なら恐怖に怯え竦むところだが、リーゼは実に好奇心旺盛な様子で楽しげに叫ぶ。
今まさに俺たちの行く手を阻み、地響きと共に走り寄って来ているのは肉の塊だった。四本の腕はそこらの木々の幹など比較にならないほど太く、更にその何倍もある胴体は圧巻の一言だ。背丈は四リーギスといったところだろうが、横幅は二リーギスほどもある。醜くデカい顔には赤い単眼がぎらつき、口元は汚らしく唾液に塗れている。人間のように二本足で立ち、両の片腕にはハンマートレントの幹と思しき巨大な棍棒を持っている。
「馬鹿な……足音からまさかとは思ったが、ギガントロールだと……? 奥深くに住む森の主の一種だぞ、どうなっている」
アルセリアは手にしていた槍を軽く持ち直しながら、珍しく怪訝さを隠そうともせず呟く。クレアもセイディも驚いてはいるようだが、思考は停止していないのか、俺とリーゼを自身の後ろに隠した。
「ユーハは先ほどのような奇襲を警戒してくれ。おれはこいつの相手をする」
「アタシも空から援護しましょうか?」
「いや……セイディとクレアはローズとリゼットを頼む。たまにはおれも、二人にいいところを見せないとな」
ちらりと振り返り、俺とリーゼを見て微笑するアルセリア。
全身濃紺の異様な怪物が迫ってきているというのに、その表情や背中からは焦燥感など微塵も感じない。
「なにはともあれ、いい機会だ。ローズ、以前に話した竜戦の纏、見せてやろう」
「おぉっ、アリア変身するの!? なんかすっごいひさしぶり!」
リーゼが頬を興奮の色に染めてアルセリアの背中を見つめた。
竜戦の纏。
それは竜化的な竜人の必殺技のことだ。アルセリアから竜人語と共に竜人についての様々なことを教えてもらっていた際、聞かせてもらった。そこそこ体力を使うらしく、猟兵になったらいつか見せてやるから楽しみにしておけ、と言われていた。まさか初日で拝めることになろうとは。
アルセリアは右手に槍を持ったまま、深呼吸で軽く肩を上下させた。すると、彼女の手足にひび割れのような亀裂が無数にはしり、かと思えば瞬く間に肌が僅かに隆起して、翠緑の双角と同色の鱗に覆われた。
調子を確かめるように軽く左手の手首を回してみせてから、アルセリアはすぐに動き出した。
既に彼我距離が十リーギスを切っていたギガントロールへ向けて目にも止らぬ速さで接敵し、懐に潜り込む。敵は太い腕を振り上げて反応を示したが……遅い。アルセリアは今や尻尾と同じように竜鱗で覆われた左手を振りかぶり、相手の肥大した腹部に拳を叩き込んだ。彼女の足下の地面が盛大に陥没し、ギガントロールのメタボな巨体が吹っ飛んで、来た道を引き返していく。
だが相手も大した物で、五リーギスほど引き戻されただけで、すぐに体勢を立て直した。殴られた腹部は紫色になっているが、あっという間に腫れが引き、元の濃紺の肌に戻る。メタボ野郎は怒りのためか、意味不明な野太い声を上げた。
「――フッ!」
アルセリアは巨体がその図体を持ち直したときには再び間合いに入っていて、今度は鋭利な穂先を閃かせた。胸部目掛けての一突きは左手の太い棍棒に阻まれるも、どんな技術なのか、槍はそれを一撃で無数の木片に粉砕して、貫通する。しかし軌道がそらされたのか、鳩尾辺りに突き刺さった。
そこでメタボ野郎の右手の棍棒と徒手空拳なもう一本の左手が襲いかかる。敵の残る右腕は自身に突き刺さった槍を握りしめていた。
振り下ろされた棍棒はアルセリアの左拳アッパーによって、やはり粉砕される。迫る左腕に対しては、槍から手を離した右手を手刀にして、内から外へと切り払ってみせた。ギガントロールの太い左腕は肘まで縦に裂け、鮮血を撒き散らす。
メタボ野郎はめげることなく槍を引き抜き、逆手に持ったそれを持ち主へと振り下ろして返却しようとする。だがアルセリアは相手が振り上げた時点で豪快に腹を蹴り、再び吹っ飛ばしていた。
「 勇名高き風王の諸手は殺戮の死風、其は清廉にして冷然なる刃。
彼の王は孤高にして孤独、触れ得る物は全てが裂ける。
捧げるは冷血、求むるは熱血、我に無慈悲なる至風を与えよ。
切り裂き尽くせ王威の風刃、世に遍く強者を滅尽せよ――〈風血爪〉」
今度は追撃せず、口早に詠唱して特級の風魔法を行使する。
またしても巨体に似合わぬバランス感覚で体勢を持ち直して着地するも、それと同時に奴の四方から風爪が襲いかかった。
しかし、俺はそれよりもギガントロールの裂けた右腕に目を奪われていた。今さっきの攻防で確かに肘までバッサリと裂かれたはずなのに、いつの間にかそれがくっついていたのだ。穿たれたはずの鳩尾の刺突痕も塞がっている。
「あいつ再生するんですか!?」
「えぇ、たとえ腕を切断されても、断面を合わせれば繋がるわ。そうでなくとも、新しい腕は時間を掛ければ生えてくるそうよ。ギガントロールを倒すには再生力が尽きるまで攻撃するか、心臓を破壊するしかないわね」
クレアの言うとおり、今まさに奴は特級魔法で腕の三本を半ばから切断されたが、残る左腕一本は宙を舞うもう一つの左腕を掴み、幹部に押し当てていた。
だがアルセリアはその隙に再度接敵し、落下する右腕から槍を奪い返す。メタボ野郎の胸部は〈風血爪〉の一撃で大きく裂かれており、しかし見る見るうちに傷口が塞がっていく。アルセリアはそこへ槍の穂先を突き出した。左腕に割って入られるも、目にも止らぬ剛速の刺突は腕ごと貫き、槍の長い柄が半ば以上まで濃紺の肉塊に埋まった。
上手く心臓を突けたのか、癒着しかけていた左腕が自重で落下し、奴の全身から力が抜けた。アルセリアが槍を引き抜きながら身体を蹴ると、全長四リーギスの巨体が後ろへ倒れ、俺たちの足下にまで地響きを届かせる。
「アリアかっこいいいぃぃぃぃ!」
リーゼは両手を無茶苦茶に振り回しながらその場で飛び跳ねた。
アルセリアは俺たちのところまで戻ってくると、いつものクールな笑みを口元に湛えつつも、どこか苦々しい声を漏らした。
「いいところを見せると言っておきながら、少し苦戦してしまったな」
「いえ、あれで苦戦って、かなり凄かったですけど」
「うむ……見事」
「やっぱりそれいつ見ても反則ですって」
「アルセリアさん、怪我はないですか?」
各々の声に対してアルセリアは微笑みを返し、クレアには「大丈夫だ」と答えた。
「その鱗、触ってみてもいいですか?」
「いいぞ」
俺はアルセリアの腕に触ってみた。
鮮やかな緑の鱗は折り重なるようにして肌を覆っており、感触はかなり硬い。尻尾と背中には常に竜鱗が見られるが、硬さはそちらと同じだ。今のアルセリアはサンダルで半ば露出した足先から手先、首元まで翠緑の竜鱗で鎧っている。顔は頬にだけ鱗が見られるな。
「なんか……凄いです」
小学生並の感想しか出てこなかったが、本当に驚きだ。話に聞くのと実際に見るのとではやはり大違いで、俺のイメージより何倍も竜人という感じがする。
竜戦の纏は全身を竜鱗で覆うことで、防御力が格段に上がるらしい。生半可な剣撃では傷一つ付けられず、しかも耐魔性もあるそうなので、魔法もある程度防ぐことができる。それは鋼鉄さえもあっさり切り裂く魔剣に対しても同様で、高密度の魔力で形成された刃も一撃程度ならば凌げるらしい。
更に全身を鎧うことで身体の耐久力も上がっているため、通常の状態では四肢が自壊してしまうほどのパワーも十全に発揮することができる。竜人は通常の状態では全力を出せないのだ。
「もういいか、そろそろ解く。維持するのにも結構体力を使うからな」
「あ、はい」
アルセリアは目を伏せ、深呼吸をした。すると、一枚二枚と全身を覆っていた鱗が剥がれ落ちていき、加速度的に素肌率が上がっていく。
だが、ふとアルセリアは顔をしかめて左腕に目を落とした。
「アリアどーしたの?」
「いや……なに、少し調子がな」
もうほとんど竜鱗は剥がれ落ちて足下に散らばっているが、左腕だけはまだ鱗肌のままだった。アルセリアは眉間に皺を作ったまま目を閉じて、何度か深呼吸をする。そうしていると、強張った左腕の竜鱗も次第に剥がれ落ち、元の人肌に戻った。
「アルセリアさん、今のは? 大丈夫ですか?」
「あぁ、大丈夫だ。久々だったからな、急なことに身体が悲鳴を上げたのかもしれん。隠居して久しいし、少し鈍っているのかもな」
アルセリアは右手でシャツの裾をはためかせ、上半身の竜鱗を更にパラパラと落としながら苦笑する。
なんか少し苦しそうだったが……筋肉痛のようなものなのだろうか?
大丈夫ならそれでいいが。
「あははっ、ローズもふんでみてっ、たのしーよ!」
リーゼは地面に散らばる竜鱗を踏みしめ、パリパリと小気味よい音を立てていた。俺も試しに鱗を踏んでみると、幼女の体重でもあっさりと割れた。剥がれると硬度が失われるらしい。
「ところで、ギガントロールの討伐依頼って出てましたっけ?」
「いつも通りなら、出ているだろうな」
「じゃあ目玉持って帰りましょうよ。久々の大物ですし、これで数節分の収入目標は余裕で達成ですよっ」
セイディは予期せぬ臨時収入が嬉しいのか、微動だにしない肉塊へと半分スキップしながら向かっていく。クレアも馬を引き連れて、微笑みつつその後に続いていく。
だいたいの場合、猟兵協会では三級以上の魔物は常に討伐の依頼が出ている。三級以上の魔物は強力なので、被害が出る前に狩ってしまい、同時に繁殖を防止しようというわけだ。
討伐した際はその証として各魔物ごとに指定された部位を持ち帰る必要がある。ギガントロールの場合は一つしかない真っ赤な目玉らしい。大きさは俺やリーゼの頭くらいだろうか。アレを持って帰るとかグロテスクすぎるが、金のためなので致し方ない。
周囲の警戒をしつつ、剥ぎ取りを終わらせて巨体を火葬する。だが、ギガントロールの身体は脂が乗ってそうなくせに燃えにくく、面倒だったので俺が特級火魔法で塵にした。
「アルセリアさん、なんだか今日は少しおかしくないですか?」
一通りの作業が終わり、さてこれからどうするか、といったところで黒髪美女が口を開いた。彼女の問いかけに、ドラゴンクールビューティは疲労を感じさせない素振りで頷きを返す。
「そうだな。アサルトマンティスもギガントロールも、こんな浅い場所に出てくるような魔物ではない。それに気のせいか、森がざわついている気がする」
「あっ、それアタシも思いました。なーんかいつもと違うっていうか、変ですよね」
三人は訝しげな顔を見合わせて相談する。
俺とリーゼには分からないことなので、話に参加できない。
オッサンは寡黙に俺たちを見守っている。
「あと少し行けば、開けた場所にでますよね? ひとまずはそこまで行ってみません? 当初の予定ではそこまで行く予定でしたし」
「ふむ……そうするか。そろそろ昼頃だし、何事もなさそうならそこで昼食にしても良い」
「ですが、もしまた三級以上の魔物が出てくるようでしたら、すぐに引き返しましょう」
三人は頷き合い、それから一応といったようにユーハに話を振って意見を聞いていた。オッサンも異論はないのか了承したので、もう少しだけ先に進むことが決まった。