第四十七話 『剣無くして旅にのぞむな』
婆さんから過去話を聞き、魔剣関連の本をもらった翌日。
俺は朝食後の日課である家事(今日は洗濯)の手伝いをしながら、物思いに耽っていた。思考対象は、みんな大好き我が家の末っ子――リゼットについてだ。
あの幼狐は『リゼット』というのが本名だが、普段は『リーゼ』という愛称で呼ばれている。ただ、そう呼ぶのはクレアとセイディ、サラ、ヘルミーネ、それにウルリーカだけで、婆さんとアルセリアは普通に『リゼット』と呼んでいる。
この名前呼びか愛称呼びかで、以前少しだけリゼットと揉めたことがあった。
『ねえローズ、ローズもあたしのことリーゼってよんでもいーよ?』
この館で暮らし始め、チェルシーという家族喪失の悲しみが落ち着いてきた頃、リゼットからそう言われたことがある。
そのときの俺は少し考えた後、首を横に振った。あの頃は館を出て行くときのことを考慮して、一定の距離感を保っておくため、お互いのために愛称呼びは控えようと思っていたのだ。
『なんでローズっ、ローズにもリーゼってよんでほしいぃぃぃ!』
駄々をこね始めるリゼットに、俺は疑問をぶつけた。
どうして婆さんとアルセリアからは、愛称ではなく名前でそのまま呼ばれているのか、と。
するとリゼットはこう答えた。
『なんかね、おばーちゃんとアリアはね、あたしがリゼットだってことをわかってもらいたいんだっていってたっ』
『リゼットだってことを、分かってもらいたい……?』
『おばーちゃんがゆーにはね、リーゼリーゼってみんながよぶと、あたしのなまえはリゼットじゃなくてリーゼになっちゃうから、リゼットってよぶんだって。あたしのなまえはおかーさんがつけてくれたから、じぶんのなまえはたいせつにしないといけないっていわれて、だから……えっと……なんだっけ?』
『……………………』
『あっ、そうだ! あたしがじぶんのなまえをリーゼじゃなくて、リゼットだっておもえるように、リゼットってよんでるんだっていってた! よくわかんなかったけど、あたしのためにしてくれてるらしいから、じゃーいーかっておもったんだ!』
それを聞いて、当時の俺は一応の納得をした。
子供は愛称で呼ばれ続けると、自分の名前がその愛称であると思い込むことが多い。例えば『えりな』という名前の赤ちゃんが周囲から『えりー』と呼ばれ続けた結果、ある程度大きくなった頃には『えりー』という一人称を使う幼女になるだろう。前世では戸籍があって、学校などの公的な場ではしばしば本名で呼ばれるから、自分の名前と愛称を履き違えたりするようなことはない。
だがここは異世界で、名前に関することは割と適当だったりする。
本名は『リゼット』なのに、周囲の人々から『リーゼ』と呼ばれ続けて育てば、リゼットは自分の名前が『リーゼ』だと思い込むだろう。大きくなってから本名は『リゼット』だと改めて教えられても、『リーゼ』の方が発音的に呼びやすいし、周りの人々はみんな『リーゼ』と呼んでいる。『リーゼ』呼びが定着した頃になって『お前の名前はリゼットだ』などと言われても、違和感しか覚えないだろう。
だから自己紹介をするときなども、面倒だから自らを『リーゼ』と名乗り、それで『リーゼ』呼びが定着して、いずれ『リゼット』という本名などあってないようなものになる。
子供はよく自分のことを名前で呼んだりするが、リゼットは出会った頃から『あたし』という一人称を使っていた。たぶん婆さんとアルセリアまで『リーゼ』と呼んでいれば、一人称は『リーゼ』となっていただろうし、ディーカの町で自己紹介したときも自らを『リゼット』ではなく『リーゼ』と名乗っていたことだろう。
まあともかく、当時の俺はリゼットの話を聞いて、こう応じたのだ。
『それなら、私もリゼットのために、今まで通りリゼットって呼びますね』
リゼットは駄々をこねたが、婆さんとアルセリアという前例のおかげか、なんとか俺は幼狐を丸め込むことに成功した。
そうして、あの頃から一年半経った今でも、俺はリゼットを『リゼット』と呼び続けているわけだが……昨日、婆さんと話し合ったことで、俺は少し考え直していた。
俺はみんなとの別れが惜しくなって、行動を起こしづらくなることを――喪失感が大きくなることを恐れている。だから、みんなと仲良くなりすぎないよう、一定の距離感を保ってきた。
しかし、婆さんから話を聞いて、真剣に生きていこうと、臆病にならず人と向き合っていこうと、強くそう思った。
その手始めとして、昨日は婆さんから過去話を聞いた。いい機会だし、次のステップとしてはリゼットの呼び方を改めることが適当だろう。
と考えているのだが……。
「……今頃になって、呼び方を変えるっていうのもなぁ」
もう一年半も『リゼット』と呼んできて、あまつさえ以前には『リゼットのためにリゼットと呼ぶ』などと口にしてしまっている。今更、厚顔無恥にも堂々と『リーゼ』と呼ぶのはかなり気後れするというか、躊躇いを覚える。
「ん、なにローズ、何か言った?」
俺の呟きが聞こえたのか、一緒に洗濯をしているセイディが反応してきた。
今、俺は美天使と二人で風呂場にいて、昨日の残り湯を利用して洗濯に勤しんでいる。本当は下着類を洗いたいのだが、俺たち幼女のものを含めて我が家の下着全般は高級生地を使ったものばかりだ。肌触りが良い反面、雑に洗うと生地が傷んでしまうので、幼女に下着は洗わせてもらえない。
逡巡した末、俺は洗濯板でシャツを丁寧に洗いながら美天使に答えた。
「あの、実はセイディに、少し相談したいことがあるんですけど……」
「珍しいわね、ローズが相談事なんて」
「まあ、その、ちょっと自分でも考えすぎてて、もうどうすればいいのか分からなくなってしまって……」
「そっかそっか。うん、いいわよ、何でも話してみなさい」
セイディは快活な笑みを見せ、頼もしげにそう応じてくれた。
俺は自分の悩みを他人へ素直に打ち明けることに慣れていないので、少しまごつきながら話していく。無論、俺が館を出て行く云々のところはカットして、純粋にリゼットの呼び方についてだけ言葉にして吐き出していった。
精神的には年下な美天使さんは俺の話を聞き終えると、「なるほど」と軽快に頷いた。
「今更リーゼって呼んで、それでリーゼからどう思われるのか、心配なわけだ」
「そう、ですね」
なんか人から言葉にされると、全然大したことない悩みに聞こえるな。
しかし、実際は結構気まずいことなんだよ。
前世でも、ずっと名字で呼んでいた友達を仲良くなったから名前で呼びたいなと思っても、なんか変に意識しすぎて結局できなかった記憶がある。
などと思っていると、セイディは濡れた手をエプロンで拭き、俺の頭をわしゃわしゃと撫でてきた。そして彼女らしい陽気な声で言う。
「あの子はそんなこと全っ然、これっぽっちも気にしないわよ。断言してもいいわ、むしろローズがリーゼって呼んでくれたーって大喜びするだけよ」
「でも、一年半もリゼットって呼んできたんですよ? なんか今更になって呼び方を変えるなんて、やっぱり気まずいといいますか、緊張するといいますか……」
「大丈夫よ、リーゼはもちろん、サラたちもみんな気にしないわよ」
悩み事なんて一つも無いような、清々しい笑みを向けられる。
セイディのように明朗快活な性格なら、こんなことでいちいち悩んだりせず、呼び方くらい平然と極々自然に変えるのだろう。俺は小心者だから、そんな真似はできない。
天使のような美女から勇気づけられつつ、俺たちは洗濯を終えて、濡れた衣類を抱えて風呂場をあとにする。正面玄関から外に出て、物干し竿に洗濯物を掛けていく……のだが、俺は背が低い。なので俺が洗濯カゴから衣類を出して干しやすいように伸ばし、それをセイディが受け取って竿に掛けていく。
「ローズーっ!」
ふと幼い呼び声がして、振り返ってみた。二階にある俺たち幼女部屋のバルコニー、その欄干の隙間からリゼットが顔を覗かせ、箒片手に手を振っている。
俺は手を振り返そうとしたが、そこで隣から軽く背中を叩かれた。見上げると、セイディは燦々とした日差しの下で、無言のまま意味深な笑みを向けてくる。
俺は軽く深呼吸した後、再びリゼット――リーゼの方を見上げ、手を振りながら言った。
「リ、リーゼー」
呼ばれた本人はキョトンとした顔になって、しばし沈黙する。
それから、どこかぎこちない様子で口を開いた。
「ローズ……?」
「リーゼ……?」
「ローズっ」
「リーゼッ」
「ローズっ!」
「リーゼッ!」
「ロぉぉぉぉズぅぅぅぅっ!」
「リィィィィゼェェェェッ!」
もうやけになって、互いに互いの名前を全力で叫び合っていく。
館周辺の森にロリロリしい声が大きく響き渡り、リーゼは嬉し楽しそうに笑ってから大きく息を吸い、再び大きく口を開けた。
「二人ともうるさいわよっ!」
が、リーゼが声を出す前に、サラの大声が聞こえてきた。
視線を二階から一階へ下ろすと、厨房の窓からサラが顔を出し、俺を見つめてきていた。
「ローズもリーゼもちゃんと洗濯と掃除しなさいっ。もたもたしてると遊ぶ時間なくなっちゃうわよ!」
「わかったーっ、ちゃんとそうじすーるー!」
「はい、ちゃんと洗濯します」
サラは俺たちの返事を聞いて顔を引っ込め、リーゼは箒を両手で突き上げ「ローズーっ!」と叫びながら部屋の方へ戻っていった。
俺も洗濯に戻ることにして、洗濯カゴから服を取り出し、セイディに渡す。そのとき彼女と目が合って、ニッと皓歯の眩しい笑みを向けられた。
俺は少し照れくさくなり、誤魔化すように笑みを浮かべてしまう。
「大丈夫でしたね」
「ローズは考えすぎなのよ、もっと気楽にいきなさいって」
セイディは服を受け取る前に俺の頭をポンポンと撫で叩いてきた。
全くもって彼女の言うとおりだと実感しつつも、これが俺なのだから如何ともしがたい。転生したからといって、二、三年で自分の性格を根本から変えられれば苦労はしない。そんな簡単に三十年分の自分を変革できれば、前世でしていた。
しかしまあ、今後はもう少しリーゼやみんなのことを信用して、あまり思い悩まず行動していきたいな。
今回の一件で、俺は素直にそう思えた。
♀ ♀ ♀
前世で、俺が中学生の頃。
体育の授業で初めて剣道をやったときのことだ。
今でも良く覚えている。
素振り練習の一環で、防具を着けたクラスメイトに向かって竹刀を打ち込むという練習があった。当然、俺もやらされて、まずは打ち込まれる側になったのだが……それはまあいい。打ち込まれるときには、特に何があったわけでもないのだ。相手が竹刀を振りかぶって強烈な面を喰らわせてきても、「結構すごい衝撃だな」くらいの感想を抱いただけだった。
問題は、俺が打ち込む側になったときのことだ。
いざ竹刀を握り、面越しに相手を見据えて構えたとき。
俺は未知の恐怖心が湧き上がってくるのを感じた。
一対一で相手と向かい合い、これから自分が目の前の人を攻撃するのだと思うと、かつてないほどの躊躇いを覚えた。
体育教師が打ち込み始めの合図をしても、俺は打ち込めなかった。当時の俺はクソ兄貴という反面教師のせいで、ガキの頃から優秀であろうとしてきたため、叱られることを極端に恐れていた。打ち込まないと教師に注意される。そう思って自らに発破を掛けても、動けなかった。
結局、実際に教師から注意されて、ようやく打ち込むことができた。
しかし、それは決して気持ちのいいものではなかった。むしろ苦しかった。あのときの俺は自らを俯瞰するという一種の現実逃避を行うことで、打ち込みを続けられた。
反して、周囲のクラスメイトたちは喜々とした様子で竹刀を振りかぶり、面・胴・籠手に次々と打ち込んで武道場に快音を響かせていた。
なぜそうも簡単に相手を攻撃できるのか、俺は連中の心理が理解できなかった。
……いや、違うか、理解はできていた。ただ、共感できなかったのだ。これが授業で、練習で、防具もあって安心安全という状況とはいえ、ああも簡単に人を攻撃できるクラスメイトたちに言い難い恐れを覚えた。
ではいったい、なぜ俺はそういった思いを抱いたのか。当時は自分を良く理解していなかったから不明だったが、今ならば考えるまでもなく明らかだ。
俺は怒りという感情に忌避感を持っている。
クソ兄貴の暴虐をガキの頃から間近で見聞きし、体験してきた俺は、肉体的精神的問わず他者への攻撃という行為、引いては害意や敵意といった意識をも忌み嫌っている。それはもはや性根にまで擦り込まれており、俺という人格を構成する根本的な要素の一つになっている。
もし俺が怒りを許容し、その激情に身を任せられるようになったとしたら……きっと俺は三十年以上も続けてきた自分ではなくなり、全く別の自分として新生するだろう。
そんな俺に、だ。
神の野郎は剣を習えという。
いや、アインさんの神は野郎じゃなくて女神様だったか。
とにかく、無理難題だ……とは思うが、これもいい機会かもしれない。いい加減、ここらで前世から引き継いだ呪いを解いて、過去の自分を乗り越える必要がある。
婆さんから魔剣関連の本をもらって、三節後。
入念な予習を済ませた頃にはリゼット改めリーゼ(と俺)の誕生日を迎え、俺たちは揃って六歳になった。
予習によって魔剣について驚愕の事実を知りはしたが……とりあえず今は目の前のことだ。
「ユーハさん、私に剣を教えてください」
クレアと共にヘルミーネ宅に転移し、相変わらず隅の方で片膝を立てて座っていたオッサンに、俺は頭を下げた。
「ローズが、剣だと……?」
「はい。ユーハさんは剣士ですし、とても強いです。どうか私にも剣を教えてもらえませんか?」
ユーハは以前に散髪したときから変わらず、鬱顔パッツンヘアーなイエロー眼帯姿は健在だ。しかし、もう慣れてしまったので、そう易々とは笑わない。
気を抜くとたまに吹き出しそうになるが。
「……なぜ剣術を修めたいのか、聞いても良いか」
未だに陰鬱としている声音が、やや鋭い響きを帯びた。左目も微妙に細められ、鬱顔が刀身めいた雰囲気を放つ。
俺は思わず息を詰まらせたが、隣に立つクレアがユーハに説明する。
「六歳になったら、護身のために武術を習うことにしているんです」
「うむ……護身であるか、なるほど。しかし、クレア殿も剣を使っている。なにも某から教わらなくとも良いのではないか……?」
「それが、ローズはユーハさんから習いたいと言ってまして……」
ユーハが俺に目を向けてきた。いつもの暗い眼差しではなく、引き締まった目元と黒い瞳には妙に力が籠もっている。
俺はやや気後れしつつも、ユーハの左目を見つめ返した。
「えっと、ユーハさんは私に教えるの、嫌ですか……? きっと、ほとんど毎日、ユーハさんには時間をとらせてしまうことになりますし、面倒でもあると思いますけど――」
「あいや、そういうわけではないのだ。他ならぬローズの頼みとあれば……某に断る道理などない。ただ……うむ、少し……驚いて、しまったものでな……」
「では、教えてもらえますか?」
どこか言い淀むユーハに違和感は覚えたが、改めて訊ねてみると、オッサンは遠い眼差しで数秒ほど硬直した後、ぎこちなく頷く。
「うむ……某で良ければな」
俺はそっと安堵の吐息を溢した。
なんかいつもと様子が違ったから、嫌なのかと思ってちょっと焦ったわ。
と胸をなで下ろしていると、ユーハは「しかし……」と続けた。
「生半可な気持ちで修練しようというならば、クレア殿に教えを請うた方が良い。某、剣だけは妥協できぬ故……」
オッサンの黒い左目に宿る光が、その言葉の真実味を強く感じさせた。
どうやら、これは相当に真面目にやる必要がありそうだ。
まあ、初めから手を抜くつもりもなかったけどさ。
「私も遊び半分な思いからユーハさんにお願いしたわけでありません。ユーハさんさえ良ければ、是非私に剣を教えてください」
「……うむ、相分かった。改めて、これからよろしく頼む」
「はい、こちらこそ」
俺は再び腰を折りながら、これから一層大変になるだろう日々への覚悟を固めた。
♀ ♀ ♀
ユーハとの剣術修行は翌日から始まった。
場所は館の中庭だ。
俺との剣術修行時に限り、オッサンには館への訪問許可が下りている。
「ローズは北凛流のことをどれほど知っておる……?」
青空の下、俺とユーハは中庭の片隅で向かい合う。オッサンは相変わらず姿勢が良く、鬱顔に反して背筋は綺麗に伸びている。
見たところ、今日のユーハは鬱度50%ってところか。
うん、安定している。
「ほとんど知らないですね」
「ふむ……そうであるか。では、まずは説明から始めるとしよう」
「お願いします」
表情こそ鬱っているが、出だしは順調そうだ。
「アリアッ、はやくやりつかわせて!」
「そう慌てるな、リゼット。まずは口で説明すべきことが色々とある」
中庭には俺とオッサンだけでなく、リーゼとアルセリアもいる。
俺は剣術を習うが、リーゼは槍術だ。ちなみにサラは剣を使う。今は館の外でセイディと空を飛びながら修行中だ。
「……まず、某ら人間が良く用いる武術には、主流となる三つの流派がある」
「あ、はい、それは知ってます。北凛流と南凛流と神那流ですね」
「うむ、どの流派も様々な武器の扱いを教えておる……だが北凛流は中でも剣術に長けておる」
その辺のことはリリオ滞在中にガストンから聞いたな。
南凛流は槍術、神那流は徒手格闘術に秀でているとかなんとか。
「では……なぜ北凛流が剣術に長けておるか、分かるか?」
「えーっと、開祖の人が剣使いだったから……ですか?」
「それもある。念のため説明しておくと、北凛流にも南凛流にも神那流にも、明確な開祖はおらぬ。象徴となる人物ならばおるが、各流派はサンナ各島の武術を各島ごとにそれぞれ纏めたものなのだ。故に、島名がそのまま流派の名となっておる」
そうして、ユーハは続けて教えてくれた。
曰く、各流派が興ったのは今から約1800年前――復興期初頭だったらしい。この時代は各種族がそれぞれの土地に住み別れ、《覇王》が台頭するまでの二百年ほどは停滞した時代が続いていた。
しかし、東部三列島サンナは別だった。
東部三列島は人間が有することになった地域の一つだ。
この三島は戦乱期で特に活躍した三人の人間が、当時の王から報奨としてそれぞれ代理統治権を与えられ、纏め上げていた。
北凛島は《七剣刃》の中で唯一生き残った剣士ガインが、南凛島は《瞬槍》の異名を持つ槍使いコークセンが、神那島は《霞衝拳》の異名持つ格闘家レイが、各島を治めた。必然、各島の武術は代理統治者の極めた武術に傾くこととなった。
復興期に入って初めの百年ほどは三島とも何事もなく平和に過していたらしい。
だが、彼らの子孫が各島を治めていくうちに、三島は互いに協力し合って徐々に独立性を強くしていき、代理統治という楔を断ち切った。それに並行して、各島のトップたちは三つの島を併合して、サンナという一つの国に統合してしまおうと目論んだ。
サンナという名は元々、約3000年前の最盛期に存在した一つの島であり、そこを治める国の名でもあったのだ。それが《大神槍》によって島が三つに分かれてしまったため、その三島を纏めてサンナと呼ぶようになった……という歴史がある。故に完全独立のため、今こそ東部三列島サンナを一つに纏め、東部島国サンナを復活させようということになった。
しかし、得てして政治とは難しいものだ。
三島は併合後の利権を巡って対立するようになり、争い合うことになった。そのためには戦力を揃えねばならなかったため、各島ごとに独自の武術体系が興った。
結局、戦いは大陸方面からの圧力もあり、三島による三竦みの状態が数十年ほど続いた後、《覇王》の世界帝国に吸収されてしまう。
しかし、そのおかげで北凛流・南凛流・神那流という優れた武術が世界中に広まったらしい。
「各流派の興りは、こんなところであろうか……某、人にものを教えるのは苦手故、しかと理解できたであろうか……?」
「大丈夫です、ユーハさんは教えるの上手ですよ」
まあ、本当は結構知っていることばかりだったから理解が容易かったんだが、真実は伏せておいた方がいいだろう。
オッサンには自信が必要だ。
自分が必要とされているのだと、そう強く実感して欲しい。
俺が館を去るまでに、オッサンの鬱は完治してやりたいし。
「う、うむ、そうか……うむ、良し」
ユーハは微妙に頬を緩めて何度も頷く。
どうやら嬉しいらしい。
「あの、ユーハさんのことは師匠と呼んだ方が良いですか?」
「……む? 師匠、とな? う、ううむ……どうであろうか、ローズの好きにして構わぬ……」
とは言いつつも、ユーハは眼帯のポジションを直したり、身じろぎしたりとモジモジしている。
うん、普通にキモい。
「じゃあユーハさんのままで」
「え゛……?」
「す、すみません、やっぱり師匠にします。でも稽古中以外はユーハさんって呼ばせてください」
ちょっとからかってみるだけのつもりだったのに、思いの外ショックな顔をされたので、すぐに訂正しておいた。
もうユーハをからかうのは止めよう。
オッサンハートはガラス細工のように繊細なのだ。
「では師匠、続きをお願いします」
「うむ……任せるが良い」
さっきは一時的に鬱度90%くらいまで上がったが、今はもう安定している。
どころか、鬱度が30%くらいまで下がっている。
「北凛流が剣術、南凛流が槍術、神那流が徒手格闘術に長けている理由は理解できたと思う。念のため、更に説明しておくと……北凛流でも槍や徒手格闘などの術理はあるが、南凛流と神那流のそれには及ばぬものだ」
「師匠は剣以外の武器は使えるんですか?」
「うむ、使えるには使えるが……剣ほどではない」
と言われても、俺はそもそもユーハの強さがどれほどなのか、よく知らない。
エネアスを撃退してのけたとき以来、オッサンが戦っている姿は見たことがないのだ。ただ、並以上に強いことは確かだろう。
「あの、師匠ってどのくらい強いんですか?」
「……どのくらい、か。東部三流には術法と同様の等級が設けられておるのだが……某は天級であるな」
「へえ、天級ですか……って、天級!?」
魔法と同じだとすると、天級は下から八番目、上から三番目だ。
聖天騎士に必要とされる天級魔法と同じ等級ってことだぞおいっ。
「す、凄いですね!」
「いや……それほどでもない」
ユーハは厳めしい顔を引き締め、首を横に振った。
それほどでもありすぎるはずなのに、オッサンは自分に厳しいらしい。
まあ、自分に甘い人間だったら、ここまで鬱にはなってないか。
しかしまさか、実はユーハって相当に凄い奴なんじゃないのか?
初めて会ったときは、ただの人生に疲れたオッサンにしか見えなかったのに……これからは少なからず敬意を払わなきゃいかんな。
「……話を戻すとしよう。もう知っておると思うが、某は北凛流だ。ローズに教えるのも、北凛流の剣術となる」
「はい」
「ローズは魔剣を使うとのことだが……本当に某で良いのであろうか? 某、魔剣術についてはほとんど知らぬ。せいぜいが魔剣使いとの戦いを想定した修練の一環で、知り得た程度だ。実剣と基本的な運剣や体捌きは同じであろうが、細部までは教えられぬぞ……?」
「大丈夫です。私は魔剣と実剣、どちらも使えるようになりたいので」
ユーハの確認に俺は頷きを返した。
魔剣は刀身の形成と維持に魔力を使う都合上、人前でそう易々と使うつもりはない。だから普通に実剣も使えるようにしておきたかった。本当は、魔剣を使うなら魔剣術を習いたいが、生憎と魔剣術に詳しい人はいない。実剣での剣術を魔剣に流用するしかなかった。クレアもそうしてるしね。
ちなみに、魔法具と《聖魔遺物》の魔剣では特性が違うので、魔剣術も魔法具用と《聖魔遺物》用に別れているらしい。
「うむ、では某の知る実剣での剣術を教えてゆこう。修練を辛く思うこともあるだろうが……ローズには努力を怠らず、挫けず励んで欲しく思う」
「はい。せっかくユーハさんに教えてもらうんですし、頑張ります」
天級の剣士に教えてもらえる機会なんてそうそうないだろうし、知識と技術は貪欲に吸収していきたい。それは婆さんとの魔法練習でも同じだ。
「では早速だが、まずは一つだけ型を教える。しばらくは木剣を使って素振りをしつつ、身体作りから始めるとしようか」
ユーハは表情にも声色にも鬱が滲み出ているが、なんとか教えようという意気が感じられる。俺もやる気は十分だ。
オッサンの期待を裏切らないためにも、全力全開で取り組んでいこう。
そんなこんなで、俺は剣術修行をスタートさせた。