第四十四話 『とあるゆきのひに』
年が明けて、光天歴八九四年、橙土期第五節。
リゼット(とついでに俺)の六歳の誕生日を三節後に控えた冬のある日。
昼寝から目覚めた後、俺は広々とした談話室の暖炉前でのんびりと読書をしていた。
「ねえクレアっ、まだふってるよ!」
「そうね、明日はきっと凄く積もっているでしょうね」
リゼットは窓に張り付いて、外の様子を眺めている。
今日は朝から結構な勢いで降雪が続いており、普段より一段と寒い。館の主だった部屋に暖炉はあるが薪がもったいないので、今日のような日は家族全員が談話室に集まり、暖炉の近くで過すことが多い。
「アリア、できたわ。採点して」
「もうか? サラは計算が得意だな」
サラとアルセリアの二人はテーブルで勉強している。
「はい、お姉様、あ~ん」
「あっ、クレアだけずるいーっ。セイディあたしにもして!」
「リゼットには私がしてあげるから。はい、あーんして」
セイディとクレアとリゼットは他愛も無い雑談をしつつ、木の実を食べさせ合っている。
「…………」
「…………」
俺と婆さんは無言で読書だ。ソファにゆったりと背中を預け、暖炉の温かさを感じながら文字を目で追っていく。
俺は普段、一人静かにする読書を好むが、たまには話し声の中でするのも乙なものだ。誰かの声――特に聞き慣れた声のする場所だと、逆に集中できる。
とはいえ、前世のようにクソ兄貴の怒声がBGMだと当然集中なんてできないが。
そう思うと、今この瞬間がとても得難いものなのだと再認する。
「……ふぅ」
隣に座る婆さんが栞を挟んで本を閉じた。皺の目立つ手で目頭を軽く揉むと、やや温くなっているだろう紅茶に口を付ける。
キリの良いところまで読んだので、俺もそろそろ休憩しようかと思い、栞を挟んだ。
「ローズは今、何を読んでいるのだったかの?」
「獣人王伝説ですね」
表紙を見せながら答えると、婆さんは「あぁ」と思い出したように頷いた。
「あたしも随分と前に読んだの。今ローズは何代目の話まで読んだのじゃ?」
「まだ十三代目ですね。カーム大森林での戦いが終わったところです」
最近、俺は過去の歴史――およそ2400年ほど前から始まる戦乱期の本を読んでいる。人間と翼人それぞれの王伝説は既に読み終わり、今は獣人王の話だ。
この世界の歴史の中で、戦乱期の話は結構人気があるらしい。
なにせ各種族が王たちに率いられ、世界各地で幾度となく戦いを繰り広げるのだ。加えて、最盛期に活躍した《雷光王》ら四人や復興期の《覇王》ほどではないが、戦乱期にも英雄と呼べるだけの偉人たちが数多く登場する。
戦乱期の人間だと《七剣刃》という剣豪集団が有名で、翼人だと《比翼連隊》と呼ばれる当時最強の空軍を率いた《双将アヴィアン》なんかがよく知られているらしい。
獣人の方はまだ読み切っていないので不明だが、今のところだと《三獣士》という十三代目獣人王の配下たちが、当の獣人王より英雄っぽい描写で書かれていた。
まあ、二千年以上も前の出来事だから、多分に脚色はされているのだろうが。
「そうか、十三代目は確か好戦的な王じゃったな。話もほとんどが戦いに関することだしの。ちなみに、あたしは二十七代目の逸話が好きじゃな」
「二十七代目って、どんな王だったんですか?」
「それは自分で読んで確かめてみると良い。読んだら感想を聞かせておくれ。あの話を読んでローズがどう思うのか、気になるのでな」
婆さんはそう言って、意味深に顔の皺を深くする。
なんか、無性に続きが気になってきたな。こうなったら二十七代目獣人王の話から先に読んでしまおうか。でも歴史は地続きなので、順番に読まないと十全に楽しめないかもしれない。
早く読み進めるか。
結局、その日は七人全員が談話室でのんびりとした時間を過した。
獣人王伝説はちょうど二十代目獣人王まで読み終わった。本当は夜更かしして続きを読みたかったが、成長のために自重しておいたよ。
早寝早起きの習慣だけは崩すわけにはいかないのだ。
♀ ♀ ♀
翌朝。
就寝前にはまだ続いていた降雪は鳴りを潜め、館一帯は白銀の世界と化していた。空模様は良くも悪くもなく、青空の五割ほどが灰色雲に覆われてはいるものの、温かな日差しが差し込んでくる。
「ゆっきだあああぁぁああぁっ!」
リゼットが正面玄関前から飛び出して、真っ新な白地に足跡を刻みつける。ややもせず前転すると、そのまま雪上をゴロゴロと転がり、大の字に寝そべって歓声を上げた。
「今年は良く積もったわね」
「ですねー、今日もまだ寒いですし。あ、お姉様、もっと寄ってください」
「ありがとう、やっぱりセイディの翼は温かいわね」
クレアとセイディは玄関から出ることなく、互いに身を寄せ合って白い息を吐きながら、辺り一面真っ白な風景を見回している。
「ローズッ、わたしたちも早く行くわよ!」
「で、でも、寒いですし……」
「つべこべ言わないのっ!」
俺はサラに引っ張られ、真っ白い地面に足を踏み出した。サクッと小気味よい足音が鳴り、膝下の半ばまでが雪に埋まってしまう。
「――ぶわっ!?」
「あははっ、ローズにめーちゅーっ!」
幼狐の投擲した雪玉が顔面に直撃した。
まだ朝食前だというのに、雪の冷たさで否応なく意識が冴える。
「リゼット、いきなり何するんですか……」
「ゆきがっせんしよー!」
リゼットは雪玉を持った両手を挙げて、ハイテンションに宣言する。
その直後、彼女の小さな顔に雪の塊が直撃した。
「先手必勝よ!」
「サラねえやったなーっ」
サラも珍しく素直にはしゃいだ様子を見せて、リゼットに雪玉を投げている。
しかし、俺のテンションは二人ほど高くない。
確かに一面雪だらけな光景には一種の興奮を覚えるが、前世で幾度となく雪は見てきたせいか、どうにもはしゃぎ回る気にはなれないのだ。特に寒いので、こういう日は昨日のように談話室の暖炉前でソファに身体を埋め、読書に耽りたい。
というか、コタツが欲しい。
「……あー、早く昨日の続き読みたい」
今は眼前の雪より、獣人王伝説という一大伝記の続きの方が遙かに気になる。さっさと朝食を済ませて家事の手伝いを終え、読書タイムと洒落込みたい。婆さんが好きらしい二十七代目獣人王の話がどんなものなのか、良く吟味しなければならない。
などと期待に胸を膨らませていると、またしても白球が飛来してきた。
今度は咄嗟に屈んで避けるものの、そこへ第二球が来たので身体を捻っての回避を試みる。が、堆積した雪のせいで足下が不自由なため、バランスを崩して転んでしまった。
「ローズ、なにボサッとしてるのよっ」
「ゆきがっせんだーっ!」
幼女二人から挑発されたので、とりあえずノッてやることにした。
今はいち早く本を読みたいが、たまには童心に返って雪遊びに興じるのも悪くない。実際は、今のうちに二人と遊んでおけば自由時間のとき雪遊びに付き合わずに済むだろう、という打算もある。
まあ何にせよ、美幼女二人が遊び相手ならモーマンタイだ。純粋無垢さを連想させる白雪と幼女の組み合わせは心が癒される。
それからしばし三人で雪玉の投げ合いをした後、すぐに朝食となった。
飯を食い終わった後はいつも通り家事を手伝うが、リゼットもサラも早く雪で遊びたいのか、なんだかそわそわしていた。俺も早く本が読みたくて、年甲斐もなくそわそわしていた。
手伝いを終えた後、俺たちは一旦談話室の暖炉前に強制集合となった。
「それで、今日はどうする?」
「ゆきであそぶ!」
「そんなこと分かってるわよ。だから、雪で何しようかってこと」
二人は雪で遊ぶ気満々で、何をしてエンジョイするかアレコレ話し合っている。
去年は俺もなんだかんだで久々の雪に興奮して遊び回ったが、そのせいか今年はもうお腹いっぱいだ。寒いので外で遊びたくはない。むしろ雪が積もっているからこそ、敢えて屋内でぬくぬくと読書していたい。
まあ、八歳児と六歳間近の幼女には分からぬ感覚だろうが……。
「ローズは何したい?」
「本が読みたいです。というか読みます」
「ダメよ」
即答に即答を返された。
どうやら雪遊びすることはもはや確定事項らしい。
俺抜きで遊んでくれないかなぁ……とは思うが、それはそれで寂しいな。でも今日は本の続きもあって、キャッキャウフフと駆け回る気分にはなれない。
「ウェインもよんでゆきがっせんだー!」
「そうね、それでちょうど二対二になるし」
たぶん俺が何をどう言ったところで、二人は妥協してくれないだろう。
自分で言うのもなんだが、俺はリゼットからもサラからも好かれている。もし俺が読書のために二人の要望を無碍にすれば、少なからず拗ねてしまうだろうことは想像に易い。そしてウェインの野郎と三人で遊んでしまう。
「ローズもそれでいいわよね?」
しばし考えを巡らせた後、俺はサラの問いに答えた。
「えーっと、そうですね……私は雪合戦より、かまくらを作りたいです」
「かまくら?」
サラもリゼットも揃って首を傾げた。
「雪洞のことです。雪の家ですね」
「ゆきのいえ!?」
幼狐は愛らしいお目々を見開いた。瞳がいつになくキラキラと輝いている。
リゼットにはいつまでもこの純真さを持ち続けて欲しいものだ。
「面白そうね、作ってみましょうか」
「ゆきのいえーっ!」
そうして、俺たちはかまくらを作ることになった。
俺は前世で、小学生くらいの頃に一度だけかまくらを作ったことがある。
だが、雪の量が足りず、子供一人がギリギリ入れる程度のミニかまくらにしかならなかった。今日は雪が大量に積もっているのでビッグサイズが作れることはもちろん、完成すれば中で鍋でもやってぬくぬくできる。そして一風変わった場所での読書というのも、また乙なものだろう。制作するのにはしゃぎ回る必要はないし、これぞ老若男女が楽しめる雪遊びだ。
とりあえず一度ヘルミーネ邸へ行き、ウェインを招集してもらう。連絡係のユーハに連れられて巨人ハウスに入ってくると、奴は面倒臭そうに頭を掻いた。
「で、きょうはなんだよ」
「ゆきがつもったんだーっ、だからみんなであそぶんだー!」
「なんだ、そっちはつもってるのか」
ディーカの位置する地域にも冬になれば一応雪は降る。だが積もるほど降ることはほとんどないようで、去年もこっちは粉雪が舞ったくらいだった。
「とても積もっています。ウェインがどうしてもとお願いするのなら、雪遊びに参加させてあげてもいいですよ」
「なんだとローズ、おまえまたなまいきなこといいやがって」
俺を睨み付けるウェインの表情には悔しさが滲んでいる。
なんだかんだで、奴もまだ六歳児だ。雪と聞いて、多少は遊びたいという思いを持っているのだろう。最近、こいつも少しは丸くなったからね。
「なによウェイン、遊びたくないの? じゃあわたしたち三人で遊びましょ、ローズ」
「そうですね、サラ」
「くそ、おまえらふざけやがって……」
ウェインは憎々しげに呟いた後、俺たちから目を逸らして「た、たのむ……」と少々照れた感じに言ってくる。
「頼まれちゃったら、しょうがな――」
「頼む? 誠意が感じられませんね。ここはお願いしますでしょう、ウェイン」
サラが頷こうとしたので、俺は咄嗟に追撃をかました。
ハーレム防止のため、奴には俺たち幼女の方が格上の存在だと擦り込む必要がある。
甘やかしません、折れるまで(奴の男としてのプライドが)。
「おねがいしますでしょーっ、ウェイン!」
リゼットも俺の真似をして応援してくれている。
まあ、この子は単に面白がってるだけだろうが。
もうこうしたことは何度もしてきたので、サラは仕方なさげに肩を竦めている。
「……おまえら、いつもいつもおれがおねがいするとおもうなよ。なにがゆきだ、あほくせー。おまえらでかってにあそんでろ」
「そんなこと言って、本当にいいんですか? もの凄く積もってるんですよ? 私たちこれから雪の家を作る予定なんですよ?」
「ゆきのいえ、だと……?」
肩を怒らせ、背を向けて帰ろうとしていたウェインだが、俺の言葉に足を止めて振り返った。
「…………お、おねがい、します」
「もー、仕方ないですねー、ウェインは」
「くっそ、ローズてめぇ……おぼえてろよ……」
ご褒美に俺の可愛い笑顔をプレゼントしてやると、ウェインは顔を赤くして歯噛みしている。
ま、今日の教育はこれくらいでいいだろう。
あんまり怒らせてストレス溜めさせちゃ悪いしね。
ちなみに、ウェインの自宅を俺たちはまだ知らない。
というか、教えてもらえていない。
ウェインは例の恥ずかしがり屋らしい人と同居しているからだ。名前はトレイシーという二十代の女性らしく、この前ウェインに美人かどうか聞いてみたら「ブスだ、あんなババア……」と恨めしそうに愚痴っていた。
「で、どうすんだよ」
「ゆきをあつめるんだよねローズ!?」
「そうですね、早速始めましょう」
制作現場は中庭になった。
俺たち四人は雪をかき集め、白い山を作っていく。初めはそんなに大きくなくてもいいかと思っていたが、やっているうちに気が変わってきた。
「ねえ、ローズ、そろそろ掘り始めない?」
「ダメです、ここまで来たらクレアたちも余裕で入れるくらい大きくしましょう」
「もーつかれたぁー……」
リゼットが弱音を吐く気持ちは分からないでもない。
既に土台となる雪山の高さは俺の身長と大差ないほどだ。冬にもかかわらず結構な量の汗を掻いているし、もう昼前だ。
しかし、どうせなら中途半端なものは作りたくない。
とは思うものの、体力にも限界がある。
「リゼット、サラ、少し休憩しましょう。代わりにウェインが頑張ってくれます」
「なにかってにきめてんだよ、おれもきゅうけいするぞ」
「私たちは女の子ですけど、ウェインは男の子ですよね? たまには男の子らしいところを見せてください」
「このやろう……」
俺たち幼女に男を魅せる絶好のチャンスだというのに、ウェインは乗り気じゃない。
こいつ馬鹿か。
「ウェイン、男の子なら頑張れるでしょ」
「がんばりすぎてあついーっ、つめたいぎゅーにゅーのみたーい!」
もうサラとリゼットはウェインに任せる気満々なのか、中庭から館内に入っていく。俺も笑顔で手を振って、野郎に後を任せて一時休憩と洒落込む。
だが俺も鬼じゃないので、リゼットとサラが談話室の暖炉前でぬくぬくと暖をとっているとき、ウェインを慰労してやる。
「……なんだよローズ、みはりにきたのかよ」
恨めしげに俺を見遣りながらも、作業の手を休めないウェイン。
こいつこれで律儀というか真面目だからな。
もしかしたらマゾなのかもしれないが。
「いいえ、頑張っているウェインにも冷たい牛乳を差し入れにきてあげました」
「そうかよ――っておい、なんだよ、よこせよ」
「お礼は?」
「…………ありがとうございます」
割と素直に頭を下げるウェイン。
うむ、教育は順調だな。
この分ならもう二節後には俺たちに無害で従順なガキンチョに成長するだろう。
と密かに満足感を覚えながらコップを手渡すと、
「――ぅぶ!?」
いきなり顔面に牛乳をぶっかけられた。
「ばーか、いつもいつもおまえのいうとおりにするとおもうなよ」
「…………」
「おれのほうがとしうえなんだぞ、ちょうしのんな」
「…………」
「……な、なんだよ、なんかいえよ」
俺はウェインの戸惑ったような顔を見ながら、淡々と言ってやった。
「幼女の顔に白い液体をぶっかけられて満足ですか?」
「え、は……?」
「ところで、鏡持ってきてくれませんか? この発想はありそうでなかったです。さすが男ですね」
「なにわけわかんねーこといってんだよ……」
なんかちょっと引かれたが、奴に満足感を与えなかったので何ら問題はない。
とりあえず俺はサラとリゼットに、差し入れを台無しにされた挙句ぶっかけられたとチクり、ウェインへの好感度を下げておいた。更に二人は奴への罰として休憩なしで作業することを強要してくれた。
こうなることは予想できただろうに、自分で自分の首を絞めるとか、あいつ本当に馬鹿だな。
着替えてから俺も作業に戻り、雪山を育てていく。
だがリゼットとサラはもう飽きてきているようだった。完成形も見えないまま休憩を挟んだせいで、熱意が失われたのかもしれん。
「リゼット、サラ、もう少し頑張りましょうっ。妥協していては満足感を得られませんよ!」
「いつになくやる気ね……」
俺は二人に発破を掛けつつ、雪山を更に成長させていく。
ちなみに魔法は使わない。
こういうものは自分の手で作り上げるからこそ、意味があるのだ。
昼食時になる頃には中庭の雪の全てが一つに凝縮されていた。
だが、まだ小さい。せめて二リーギスくらいの高さは欲しい。
というわけで、休憩を兼ねた昼食を挟んだ後、助っ人を呼んだ。
「サラとセイディは屋根の雪を落としてください。私とクレアとウェインで落ちてきた雪を運びますから、リゼットとアルセリアさんはそれで雪山を固めていってください。お婆様は全体指揮を」
家族総出+おまけでかまくら制作に取り掛かる。
やはり人数が多いと作業も早く、あっという間に雪山の標高は二リーギスを超えた。しかし、いざ掘ろうと思って雪に手を掛けるも、子供の力では硬く積み重ねた山を削ることができなかった。なので館一番の力持ちであるアルセリアが竜人パワーを発揮して、掘り進めていくことになった。
他のメンバーは掘り出された雪を外側に追加していき、更に大きくしていく。
途中、リゼットは睡魔に負けて昼寝したが、俺とサラは作業を続行した。
ウェインはただ黙々と身体を動かしている。
そうして、日が暮れそうな頃になってようやく、かまくらは完成した。
中の広さは高さ二リーギス弱、直径三リーギスほどと、相当なビッグサイズだ。
「すごーい!」
「やっとできたわね……」
「なかなかのおおきさだな」
リゼットは中に入って満面の笑みを見せながら小躍りし、サラはかまくらの天辺に腰掛け、ウェインは全体を眺め回して、それぞれ疲れた様子を見せながらも満足げな笑みを溢している。
「晩ご飯はこの中で食べましょうか。みんな入ってもまだ余裕ありそうだし」
「あっ、それいいですね、お姉様。鍋でも囲って、あとは適当にちゃちゃっと何か作りましょう」
「ウェインも今日は食べていってね。トレイシーにはこっちから連絡しておくから」
俺が進言するまでもなく、かまくら内で飯を食うことが決定した。
ウェインも一緒だが、まあいいだろう。飴と鞭だ。
クレアとセイディは仲良く厨房へ行き、婆さんは風呂を入れてくると言って中庭を去る。リゼットはかまくらの外壁に作った滑り台で遊び、サラは中に入って疲れたように目を瞑り、ウェインは外壁にもたれてダウンし、アルセリアは俺たちを見守っている。
「……さて」
俺は完成したかまくらを前に大きく深呼吸をすると、一旦部屋に戻って本を取って来た。
広々としたドーム状のかまくら内には壁面に幾つか蝋燭を設置してある。揺らめく灯火と白雪は実に良い雰囲気を醸し出している。俺は予め作っておいた雪の椅子に、思わず「どっこいしょ」と言いながら腰掛けた。
今日の晩飯は鍋らしいので、たぶんすぐに準備は整う。
だが俺はもう僅かな時間も我慢できなかった。
というわけで、早速読書タイムだ。
♀ ♀ ♀
かまくらでの楽しい夕食後、俺たちは全員で風呂に入った。
もちろんウェインの奴は一緒じゃない。
クレアたちは一緒に入ってやる気でいたようだが、俺とサラが猛反対した。ウェイン自身も嫌がったので(正気かあいつ)、一人で先に入らせてからユーハに家まで送ってもらった。
「……ふぅ」
やはり湯船はいいもので、疲れた身体を肩まで浸してリラックスする。
もう見慣れてしまったとはいえ、やはり美女の全裸は目の保養になる。サラは昼寝をしなかったせいか、少しうとうとしていた。が、風呂から上がると、すっかり眠気の抜けた顔になり、再びかまくらへと向かった。
「リーゼ、熱いから気をつけるのよ」
「うんっ」
現在、かまくら内には俺とサラ、リゼットの三人と婆さんがいる。
晩飯時に使用した土魔法製の竈で紅茶を入れて、それぞれ薄い毛布にくるまりながらティーカップを傾ける。
俺も飲み慣れた紅茶を口にしつつ、優雅に読書を堪能する。
「ねえねえローズ、そのほんってそんなにおもしろいの?」
「ん……まあ、そこそこですね」
できれば読書中は話しかけて欲しくないものだが、もう慣れてしまった。
サラはともかく、リゼットは俺が読書中でもいきなり抱きついてくることがあったのだ。まあ、それはさすがに注意してもう止めさせたが、会話くらいなら大丈夫になった。俺の集中力もなかなかにアップしている。
「どんなおはなしなの?」
「王様たちのお話です」
文面に目を落としたまま答えると、幼狐は「おーさま!」と溌剌とした声を響かせる。リゼットのテンションアップを察知したのか、婆さんが十三代目獣人王の話をし始めた。おかげで俺は手元の文章に集中できる。
現在進行形でBGMとなっている十三代目獣人王に比べ、二十七代目獣人王の話は地味だ。他種族との胸躍る戦争話はないし、《三獣士》のような中二的要素もない。治世は安定していたらしいが、版図拡大や革新的なことは何も成さず、良くも悪くも無難に統治していたらしい。
実に凡庸な王様だ。
しかし、二十七代目獣人王ことトバイアス・フェレスさんのエピソード冒頭は、彼が愚王であるという一文から始まっていた。
俺は著者の思惑に嵌まってやり、どういうことかと気になりながらサクサク読み進めていく。そうして、獣人王トバイアスの話を最後まで読み切って、俺は彼のことを理解した。だが、婆さんが一番好きと言っていた理由はよく分からない。
トバイアスは王であると同時に天級魔法まで使える優秀な魔法士で、《魔洪王》というイカした異称があるようだが、婆さんのことだから能力や肩書きではなく、性格的な面で好きなんだと思うし。
愚王はその異名通り、マジモンの愚か者だった。
当時の獣人勢力は、二十五代目獣人王の活躍により、南ポンデーロ大陸全土と北ポンデーロ大陸南部にまで版図を広げていたらしい。が、愚王様のときに北ポンデーロ大陸の領土を人間たちに攻め入られ、挙句に妻と子供を攫われてしまい、脅されたのだという。
家族を返して欲しくば北ポンデーロ大陸から出て行け、と。
トバイアスはこれに一も二もなく従ったという。
当時の獣人勢力は人間たちより劣ってはいたが、戦えば北ポンデーロ大陸の土地を失わずに済んだかもしれない。だがトバイアスは臣下にろくに相談せず、諫言にも耳を貸さず、部下が報せを持ってきたその場で即断即決したらしい。
獣人族の頂点に君臨する者であるにもかかわらず、国より己が家族を優先した。
無難な政策を実施してきた凡庸な王が、唯一そのときだけ非凡な選択をした。
結局、撤退しても愚王の家族が戻ってくることはなかったそうだ。
二十七代目獣人王はみすみす領地を明け渡しただけとなり、臣下の一人――後の二十八代目獣人王こと《刀牙王》ザカリー・リオヴが主導となって起こしたクーデターにより、敢え無く没した。
ちなみに代々の獣人王は世襲制ではなく、当時の実力者が血縁に関係なく王位についていたらしい。
「…………ふぅ」
とりあえず栞を挟み、深く息を吐いた。
なんだろうね、この読後感。
俺はハッピーエンドが好きなので、こうしたバッドエンド話はあまり好まない。
「む、ローズ、トバイアスの話を読み終えたのかの?」
「えぇ、まあ……」
目敏く訊ねてきた婆さんに頷きを返す。
「どうじゃった?」
「えーっと、そうですね……何とも言えない話です。大勢の民と国益よりも、迷うことなく家族を取るだなんて、王様失格です」
「ふむ……そうじゃな」
婆さんは目を閉じて小さく頷く。
「小を切り捨て大を救う……それが王の責務ならば、トバイアスは王として間違いなく失格じゃ。しかし、彼の王はとても勇気があったとは思わぬか?」
「まあ、そりゃあ……」
愚王は周囲の人々から非難されることを承知で、アホな決断を下したはずだ。
そういう意味でなら、勇気があると言えなくもない。
「ローズ、おばあちゃん、わたしにもその話教えて」
「あたしもーっ!」
端から聞いていたサラとリゼットに請われ、俺は簡単に愚王様のことを説明してやった。すると、サラはなぜか軽く眉根を寄せて、「へえ」とぎこちない仕草で頷いたが、俺の魔眼はそんな彼女を見守る婆さんの眼差しも気に掛かった。どこか気遣わしげというか、婆さんはやけにサラの反応を気に掛けているように思える。
「わたしはその王様、凄いと思うけど」
「え、なんでですか? 王様なのに、国益に繋がる領土より家族を取ったんですよ?」
「そんなの知らないわよ。王様だって人でしょ? 人として、家族を何よりも大切にするのは当然だわ」
サラは迷うことなく、それが唯一絶対の真実であるかのように断言した。
「それはそうですけど、王様にとっては国が家族みたいなものじゃないですか」
「じゃあ、もしローズがこの王様で、攫われたのがわたしたちだったら、ローズはわたしたちを見捨てるの?」
「え、いや、それは……」
そんな答えにくい質問しないでくれよ。
でもまあ、実際どうなんだろうな。もちろん俺は見捨てる気なんて毛頭ないけど、家族以外の全員から非難轟々に責められるのは怖すぎる。というか、そんな状況なら助けた家族からもバッシングされるんじゃなかろうか。
「あたしはぜーんぶたすける! くにもかぞくもぜんぶまもるっ!」
「リゼットらしいの。まあ、それができれば一番じゃな」
婆さんは軽く笑いながら、リゼットの獣耳を撫で撫でする。
「あ、ずるいわよリーゼ。わたしだって、どっちもとっていいなら両方選ぶわ。でも、それはできないから、おばあちゃんはその王様が勇気あるって言ったんでしょ」
「ゆーきなんてしらないもんっ」
二人はやにわにアレコレと言い合いを始めてしまう。サラはリゼットに物事の道理を説こうとしているが、リゼットは突っぱねていた。
サラはなかなかに現実的で、逆にリゼットは理想的だ。
これが八歳児と六歳児の違い……ってだけではないだろうな。
「さて、そろそろ寝る時間じゃろう。部屋に戻ろうかの?」
婆さんが仲裁するように口を挟む。
するとリゼットはバッと婆さんに顔を向け、愕然と目を見開いて硬直した。
どうやら嫌すぎるあまり、ショックで反論すらできないらしい。
「おばあちゃん、今日はここで寝ちゃダメ?」
「この中でかの? ふむ、そうじゃな……中は温かいから気温は問題ないじゃろうが、もし崩れてきたら事だしの」
「夜は寒いですし、そうそう溶けるようなことはないでしょう。なんだったら、周りにいくつか氷を置いておけば大丈夫じゃないですか?」
かまくらで寝るというサラの案に年甲斐もなく心惹かれたので、俺も援護した。
婆さんは内側の雪面を眺め回した後、外に出てかまくら全体の様子も見回す。
「……うぅむ、まあ、いいじゃろう」
「それじゃあローズ、リーゼ、もっとたくさん毛布持ってくるわよっ」
「やったーっ、もってくーるー!」
「私たちだけでは大変でしょうし、クレアたちにも手伝ってもらいましょう」
そんなこんなで、今夜は一風変わった場所で寝ることになった。
♀ ♀ ♀
かまくらの中は温かいが、防寒は十分にしておく。
俺たち三人はドデカい毛布に密着してくるまった。出入り口側に頭を向けているので少しひんやりとするが、その程度は問題にならない。
「ほしがきれーだね!」
「ですね。少し雲があるのが残念ですけど」
夜空には無数の星々が煌めいている。
この館から見える星空はいつの季節も壮麗に過ぎるが、今日は状況が特殊なせいか、いつもと少し違って見える。
「ねえ、ローズ」
「ん、なんですか?」
左隣からサラに呼ばれ、俺は色とりどりの星を視界に収めながら声を返す。
ちなみに俺たちの配置はいつも通り、真ん中が俺、右がリゼットで左がサラだ。リゼットは既に俺の身体に手足を絡めて抱きついてきている。
「さっき、もしローズが王様で、攫われたのがわたしたちだったらって話したけど、ローズは結局どうするのか、まだ聞いてないわ」
おおぅ、まだ覚えてたのね。
あのときは上手くはぐらかせたと思ったのに。
「それは……もちろん、サラたちを選びますよ」
「ほんとに?」
「本当です」
少し自信が足りなかったせいか訝られたため、今度はサラの目を見て答えた。
「そ、ならいいわ。一応言っておくけど、わたしだってローズたちを選ぶわよ。例え誰からなんと言われようと、家族が一番大事に決まってるんだからね」
サラもまた、俺の目を真っ直ぐに見つめ返してきた。彼女の瞳に宿る光は濁りなく透き通っていて、幼女ながらも意志の強さが感じられる。
家族が一番大事だと、サラは言う。
確かに俺たちは同じ屋根の下で寝食を共にし、日々の喜怒哀楽を分かち合って生活している。それは間違いなく家族で、俺もそう思ってはいるが、しかし俺たちは本当の家族ではない。血の繋がりはないし、種族だってバラバラだ。
「あの……サラ」
「なに、どうかしたの?」
俺は続けて口を開きかけるも、逡巡した。
これまで敢えて避けてきたが、やはりどうしても気になってしまう。
家族が一番大事だと口にしたサラへの申し訳なさも、たぶんある。
だから、今日は雰囲気的にも悪くないし、訊いてみようと思った。
「サラやリゼットの本当の家族……お父さんやお母さんのこと、訊いてもいいですか?」
この話題が地雷かもしれないという懸念はある。
この一年半ほどを共に生活してきて、サラとリゼットの両親の話は誰もしてこなかった。幼い二人が《黎明の調べ》の一員として、魔大陸の中でもこんな特殊な僻地で生活していることを思えば、訳ありなのは分かる。それはクレアたちも同様だろう。
しかし、俺はみんなの事情をほとんど知らない。これまで幾度も気になってはきたが、訊いていいものかどうか、迷っていた。
俺の事情は、俺がこの館で生活することになった際の説明として、みんな知っている。だが家族だというのならば、やはり俺もみんなのことはきちんと知っておかなければいけないだろう……たとえそれが、後々になって俺自身の首を絞めることになろうとも。
と思っての一大決心な質問に対し、サラは虚を突かれたように二、三度瞬きをした。
「あれ、言ってなかったっけ?」
「はい、聞いてません」
「ん? あぁ、そっか、そういえば話したことなかったわね」
サラの口調に重さはなく、普段と大差ない。
タブーかもしれないと思っていたのに、なんだか拍子抜けだ。
「今更言うまでもないけど、わたしもリーゼも両親はいないわ」
「いるよっ、おかーさんはいるもん!」
「あー、うん、リーゼはそうだったわね。わたしはどっちもいないけど」
リゼットの抗議は軽く受け流すが、続けて口を開くサラの表情は少し硬かった。
「あんまり詳しくは知らないけど、わたしは父親に捨てられたみたいなのよね。それでおばあちゃんたちが引き取ってくれたらしいの」
「……それは、いつ頃の話なんですか?」
「二歳くらいのときだっておばあちゃんは言ってたけど、本当はどうか分からないわ。おばあちゃんたち、わたしたちの親の話になると嘘吐くから」
サラは少し不満そうに口を尖らせ、声を落とした。
「おばあちゃんはディーカの町でたまたま拾ったって言うけど、おばあちゃんたちが前に話してるのを、リーゼと一緒にこっそり聞いてたの。ローズが来る少し前くらいの頃ね。そうしたら、ハンクって名前の……たぶんわたしの父親だと思うんだけど、その人がわたしを捨てて、おばあちゃんが引き取ってくれたってことが分かった。本当に拾ったなら誕生日だって分からないはずだし、納得だったわ」
父親、と口にしたサラの声音は幾分も淀んでいた。
表情も少ししかめ面になっていて、ドロドロした気持ちが伝わってくる。
「お母さんのことはよく分からなかったけど、父親がわたしを捨てたんだってことは確かみたいだったの。家族は助け合わなくちゃいけないのに……ま、でもわたしはみんながいるから、親なんていらないんだけど。特に父親なんていらない」
「……そう、だったんですか」
俺はなんてコメントすれば良いのか咄嗟には分からず、とりあえず相槌だけ打っておいた。
聞いた限り、サラは過去のことを気にしている様子はない。自分の記憶に残らないほど幼い頃の出来事だからか、他人事みたいな感じなのかもしれない。
しかし思えば、サラの男嫌いは十中八九その父親のせいだろう。
サラは猟兵協会に行く前から、リゼットに男はどうたらと吹き込んでたっぽいし。つまり、サラは自分を捨てたらしい父親に対して、少なからず思うところがあるということだ。
「ローズは親が欲しいって思う?」
「私は――」
不意に猫耳な彼女の姿が脳裏を過ぎり、開きかけた口が止まってしまう。
「ローズ?」
「いえ、その、クレアたちがいますから……」
そう言葉を濁すも、一度湧き上がったモヤモヤは思考を嫌な方向へ誘導しようとする。
俺はそれから逃れるように、密着してきている幼狐の顔に目を向けた。
「ところで、リゼットはどうなんですか? お母さんはいるそうですけど」
「うん、いるよっ」
「でも、まだ会ったことはないのよね」
どういうことか疑問に思っていると、サラが説明してくれた。
サラのときと同じように、婆さんたちの会話を盗み聞いた際、リゼットの親のことも同時に知ったそうだ。
「おかーさんはね、あたしのためにせかいをたびしてるんだってっ。まえはしんじゃったっておばーちゃんいってたけど、きいてみたらやっぱりいきてるっていってた!」
「リゼットのためというのは?」
「わかんないけど、あたしのためにたびしてるっていってた!」
「おばあちゃんはわたしたちに気を遣ってくれてたんでしょうけど、べつにそんなことしなくてもいいのにね。本当の親なんていなくても、みんながいるから全然寂しくないし、楽しいわ」
サラの言葉に衒いはなく、強がっている訳ではなさそうだった。
というか、なんだか最近のサラは本当にしっかりしてきたな。女の子は精神年齢が野郎より上だとはよく言うが、サラの場合は姉という立場もある。あるいは幼女らしくない俺の存在も少なからず影響しているのかもしれないが。
「あの、リゼットのお母さんのことは分かりましたけど、お父さんの方はどうなんでしょう?」
「まものにたべられてしんじゃったんだって。おばーちゃんがいってたっ」
そう答えるリゼットの様子は普段とあまり変わらない。
どうやらサラ同様、それほど親のことを気にしてはいないらしい。それに、もういつもなら寝ている時間だというのに、今日はまだ無駄に元気だ。
これがかまくら効果なのかもしれん。
それはともかくとして、リゼットの母親のことだ。
娘をほっぽり出して世界を旅するとか、親失格としか言いようがないな。
先ほどのサラの説明によると、前世のDQNマザーもビックリなその母親はアネットという名前らしく、ここ魔大陸でリゼットを産んですぐ、婆さんに預けて旅立ったそうだ。
リゼットのために世界を旅するとか意味不明だし、本当に我が子のことを想うのなら、側にいてあげるものだろう。まあ、サラの言うとおり、婆さんがリゼットを気遣って嘘を言った可能性が濃厚だが……しかし、そうなるとリゼットの本名と愛称の件に説明がつかないな。
「リゼットはお母さんに会いたいですか?」
少しどうかと思ったが、折角なので訊いてみた。
すると幼狐は珍しく「うーん?」と可愛らしい思案顔を見せて唸る。
「……あってみたい! けど、おかーさんってどーいうのか、よくわかんないから、わかんない。でもやっぱりあいたいっておもう!」
「結局どっちなのよ」
会いたいのか会いたくないのか、リゼット自身もよく分かっていないのだろう。
この館には普通の家族に相当する人員が揃っている。
アルセリアを父親とすると、母親はクレアで、祖母はそのまま婆さんだ。近い年頃の姉妹としてはサラと俺がいるため、寂しくはないはずだ。セイディは……なんだろう? 親戚のお姉さんはウルリーカだし、だとすれば年の離れた姉ちゃんだな。
「ローズは何も覚えてないのよね?」
「え、はい、そうですけど……」
突然の問いに戸惑いつつも首肯する。
サラはいつも通り横臥したまま、俺の瞳を覗き込むように見つめてきた。
「なら、ローズはそれでも親に会ってみたいって思う?」
「…………」
この身体の生みの親のことは知らないが、たぶん俺は今は亡きグレイバ王国の生まれだ。とすると、両親は奴隷になっているか、もう死んでいるか、あるいはどこかで生きながらえているだろう。そもそもの話、この身体の両親にあたる人たちのことを俺は全く知らないので、大した感慨がない。
だが、彼女のことは違う。
ラヴィは俺の養母になってくれると言った。あのキュートな猫耳美女に会いたいかと問われれば、もちろん会いたいとは思うが……
「いえ、顔も覚えてないですし、みんながいるので、特に会いたいとは思いませんね」
「……そう」
静かに短く声を漏らし、サラはゆっくりと目蓋を下ろした。
そしてややもせず目を開けると、毛布の中で俺の左手を握ってきて、口元に小さく笑みを咲かせる。
「わたしたちは家族で姉妹なんだから、リーゼもローズも、親なんかいなくたって寂しくないわよね」
「さびしくないよっ、みんながいてたのしーよ!」
「ええ……そうですね」
確認ではなく事実として言い切ったサラに、リゼットと俺は同意を返した。
胸中には言い難い感情の波がざわざわと音を立てていたが、俺は二人の顔を見ることで、目を閉じ耳を塞いだ。
そうして、俺たちはいつも通り三人一緒の毛布にくるまり、寝入っていった。
かまくらの外は冬空に相応しく寒々としているが、中は温々として居心地がいい。左右二人の体温が全身に沁み入るように浸透し、あまりの心地よさに力が抜けていくようだ。
しかし、意識が落ちる寸前、俺はふと疑問を覚えた。
この温かなかまくらは一体いつまで保つのだろうか……と。