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幼女転生  作者: デブリ
四章・日常編
59/203

 間話 『それでも世界は美しいのかもしれない』


 ■ Other View ■



 世界は容赦が無い。

 理不尽で、不条理で、どうしようもなく穢らわしい。

 彼はそれを六歳にして既に悟っていた。

 だからこそ、周囲の子供たちが気に食わなかった。疑うことを知らず、暢気に遊んで笑い合い、日々を楽しく生きている。


「あたし、リゼット! ごさいで、まじょ! とくいなまほーはね、ひまほーだよっ! よろしくねウェインっ!」


 今まさに挨拶をしてきた子供が良い例だ。

 リゼットと名乗った女の子はウェインが最も嫌いな類いの子供だった。

 嬉し楽しそうに揺れ動く尻尾、ピンと立った両耳は性根の素直さを窺わせ、綺麗な蜂蜜色の毛並みは甘ったるい環境で育ったことを実感させる。極めつけに透明感のある橙色の瞳には曇りも陰りも一切なく、まるでそこに映る世界が美しく優しく素晴らしいものだと信じ込んでいるように見えて、酷く気に食わない。


 そうは思っても、しかし彼は親代わりの女からリゼットたちと仲良くするように言われている。無言でいるのが少年なりの精一杯だった。


「はじめまして、私はローズといいます。リゼットと同じく、五歳で魔女です。よかったら仲良くしてください」


 次の子供は少し不思議な雰囲気を備えていた。それでも第一印象の好き嫌いでいえば、リゼットよりは幾か分マシという程度だ。

 腰元まで伸びた真っ赤な髪は艶めき、髪飾りや服装を見る限り、幸福な家庭で育った童女という印象を受ける。しかし、蒼天の如き両の瞳は見惚れるほど透き通っているのに、なんとも奇妙な輝きを秘めていて、可愛らしい笑顔はどこか胡散臭い。


 ウェインは子供らしい鋭敏な直感から、ローズと名乗る相手が只者でないことを悟った。なので反応に窮してしまい、リゼットのときと同様に何も言い返さず無言を貫いてしまう。


「わ、わたしはサラよ、八歳で魔女。あんたより二つ年上だけど……その、な、仲良くしてあげるわ」


 最後の子供は癪に障った。

 鮮麗な金髪はかつて過した場所にいた女を思い出させ、そのくせ日に焼けたような淡い褐色の肌は健康的だ。勝気な瞳は芽吹いたばかりの若葉さながら色合いを見せ、綺麗すぎて直視に堪えず、思わず踏み潰したくなる。

 年上ぶった口調と上から目線も気に食わず、しかしなんとか我慢した結果、ウェインは呟きを溢してしまった。


「……べつに、なかよくしてとかたのんでねーし」


 その後、クレアとセイディの言葉もあって、遊ぶことになった。

 ウェインは気乗りしなかったが、仲良くしなければ、育ての親から叱られる。

 それは彼としても避けたい未来だった。


「おれ、かくれがりはきらいだから、やらねー。ていうか、あそびたくなんてねーし……」


 だが、リゼットの提案した遊びは許容できなかった。

 猟兵を模した遊びは父親や仇敵の存在を思い起こさせ、気分が悪くなる。


「ちょ、ちょっと、なによあんた。せっかくリーゼが提案したんだし、そんなこと言わなくたっていいじゃないっ」


 人の気も知らないで、金髪の翼人が好き勝手なことを言ってくる。

 ウェインは次第に我慢できなくなり、思わず舌打ちした。


「なんだよ、おまえ……いちいちえらそうにしやがって……まじょだからってちょうしのってんじゃーねよ、ボケ。へんなつばさしやがって、きもちわりーんだよ」


 実際、サラの翼は見たことのない形をしていたのだ。

 一枚も羽の生えていない濃紫色の翼は何かの魔物めいていて不気味だった。事前に翼のことには言及するなと注意されてはいたが、偉そうに年上ぶる少女がすこぶる気に食わなかった。


「ウェインのばかーっ、サラねえはきもちわるくないもん! かわいーもんっ! ちょーしにものってないし、ボケじゃないし、サラねえはサラねえなんだもんっ!」


 涙目になったサラは走り去り、リゼットもそんなことをまくし立てていなくなった。幼心に罪悪感は覚えたが、元々ウェインは今日この場に来たくはなかったのだ。悪いのは全て周囲の強引な大人たちだと責任を転嫁し、彼は心の平静を保った。


「サラに謝って、仲良くしてくれる?」

「…………」

「それじゃあトレイシーには、ウェインがサラに悪口言って泣かせたって伝えるわよ?」

「……っ」


 クレアの優しげな口調と柔和な微笑みに戦慄を覚えたが、ウェインは開き直ることにした。女の子三人と仲良くせずとも、どうせ悪口を言って泣かせたことが知られれば、確実にしごかれる。クレアの言うことに従えば何とかなるのだろうが、現状から挽回する苦労を思えば、もう面倒だった。


「クレア、少しウェインと二人で話してもいいですか?」


 そう諦めて、少し気が楽になりかけたところで、これまで黙っていた赤毛の子が口を開いた。


「ウェインと二人で、子供同士の話があるんです。大人がいると、話ができません。大丈夫ですクレア、私を信じてください」 


 外見の幼さに見合わぬ理知的な物言いは並みいる五歳児のそれではない。

 平穏な家庭で育った純真無垢な子供、暴威に晒されて育った奴隷の子供、そのどちらもウェインは知っている。しかしローズという女の子の振る舞いはどちらの特徴にも当てはまらないものだ。

 やはり只者ではないと、未成熟なウェインの無意識は直感した。


「分かったわ。でも、何があっても魔法は使ったりしないでね。ウェインも、絶対に暴力はふるっちゃダメよ」

「分かりました」

「…………」

「ウェイン、返事は?」

「……わかってる」


 投げやり気味に返事をして、クレアが地下へ消えていく姿を見送る。

 そして真っ赤な頭髪の女の子に目を向けた。


「で、なんだよ、おまえ」

「ちょっと待っててください」


 ローズは殊更にクレアがいなくなったことを確認し、地下へと続く扉を閉めた。

 広々とした空間に二人きりとなり、ウェインは妙な居心地の悪さを覚える。

 何を考えているのか全く分からない蒼い瞳に言い難い畏れを抱き、しかし年下で女な相手に身構える必要性を幼い男心は認めない。結果として猜疑と警戒、そして早く帰りたい気怠さがローズへの視線に乗ってしまう。


「ウェイン、少し私とお話しませんか?」


 やけに大人びた笑顔だと、ウェインは思った。純真な子供が素直に感情を表現した笑みでも、奴隷が主人の顔色を窺うために浮かべた笑みでもない。クレアやウルリーカが向けてくるような笑顔だ。

 そんな年下の女が癪に障り、ウェインは眉間に力が入ってしまう。


「しねーよ」

「どうして、してくれないんですか?」

「したくねーからだ」


 ウェインはローズに背を向け、巨人用の大きな椅子の脚にもたれかかった。

 ローズも後ろをくっついてきて、幼さの見えない微笑みを浮かべたまま、更に口を開く。


「それは理由になってませんよね。話をしたくないという結果に対する理由を訊ねたのに、君は結果を答えました。もしかしてウェインって、馬鹿なんですか?」

「なんだと」


 睨み付けてやっても、ローズは微笑みを崩さない。


「ですから、ウェインは馬鹿なんですかって訊ねたんです。あ、もしかして、耳が悪くて質問を聞き取れなかったんですか? じゃあもう一度訊ねますね、ウェインは――」

「べつにみみがわるいじゃねーよっ」

「そうですよね、ウェインは頭が悪いんですよね」

「……っ」


 自分より背丈の低い年下の女に馬鹿にされて黙っているほど、ウェインは優しくない。椅子の脚から背中を離し、ローズという女の子に一歩近づき、睨み付ける。


「おまえ、おれにけんかうってるのか」

「いいえ、お話がしたいんです」

「ひとのことばかにするやつと、はなしなんてしたくねーんだよ。わかったらきえろ、めざわりだおまえ。うっとうしい」


 間近から相手の目を直視して強い語調で言ってやるが、蒼い瞳は小揺るぎもしなかった。


「私と話をしたくない理由は分かりました」

「ならさっさと――」

「つまり私が君を馬鹿にしなければ、話してもいいってことですよね。もう馬鹿にはしませんから、一緒にお話ししましょう」


 言葉巧みに丸め込もうとする目の前の子供に堪らなく苛ついた。

 ウェインは思わず手を振りかぶる。が、拳の形に丸めた手は振り下ろせなかった。泰然としたまま微塵の動揺も窺えない二つの瞳から、ただ静かに見据えられている。

 そのことに気が付いて、ハッと我に返り身体が硬直してしまった。


「…………」


 ただ真っ直ぐに見つめられることに耐えきれず、ウェインは振り上げた拳を下ろして、その不思議な眼差しから逃れるように背中を向けた。

 何とも惨めで情けない気持ちが湧き上がりかけ、無性に恥ずかしくなったので、彼は言い訳を繰り出す。


「さ、さっきクレアと、やくそくしたからだ」

「ウェインは約束を守る人なんですね。格好いいです」

「うるせーっ、ばかにすんな!」


 落ち着き払った切り返しが気に食わず、感情のままに叫んだ。

 一度でも大声を出してしまうと、もう我慢できなくなり、背中を向けたまま続けて言った。


「おれはひとをころしたんだぞっ、おまえをだまらせることなんて、かんたんにできるんだ!」

「――――」


 クレアたちから事前に口止めされてはいたが、もう知ったことではなかった。

 背後でローズが息を呑んだのが分かって、ウェインは一泡吹かせられたことが嬉しく、そして無性に悲しかった。


「わかったらきえろっ、あっちいけ! もうはなしかけてくんな!」


 ウェインは背後の女の子が立ち去るのをじっと待った。振り返ることはできず、ただ自分でもよく分からない感情に全身が縛られて、指先すら動かすことができない。


「…………」


 背後からは足音も声も何も聞こえず、ただ沈黙だけが肩に重くのし掛かってくる。

 ウェインは早く立ち去れと思いながら耐え続けるが、一向に変化は訪れない。

 さすがに痺れを切らしかけたとき、足音が聞こえた。


「私が怖がって、いなくなるとでも思ったんですか?」


 ローズは正面に回り込んできて、やはり微笑んだ顔で、小さく首を傾げてみせる。しかし先ほどと比べて、その淡い笑みには上っ面だけではない、確かな温かみが感じられた。


「残念ですけど、それだけじゃ私は怖がりませんよ。だって、どうして人を殺したのか、分からないですからね。もし自分の身を守るために殺したのであれば、それは仕方のないことですし」

「ちがうっ、おれはじぶんからころしたんだ!」

「どうして、自分から殺したんですか?」


 穏やかで柔らかな口調は子供のそれではなかった。

 この温和な微笑みを見せる女の子の前から走り去れと、そう臆病な自分が叫んでいた。だが、それは逃げ出すことで、格好悪いことだという思いもあり、何よりウェインの心は吐露したがっていた。


「あいつが……かあさんを、ころしたからだ」


 堰を切った言葉は止まらず、独り言のように話し始めてしまう……。




 ■   ■   ■




 ウェインは父が大好きだった。

 引き締まった肉体、高い背丈、大きな掌、精悍な顔立ち、低い声音。

 父は猟兵を生業とし、日々魔物を狩ってきてはその話を語り聞かせてくれた。

 父より格好良い男など知らず、物語の出てくる英雄よりも強くて優しい。

 大きくなったら父のような男になりたいと、ウェインは常々思っていた。


 しかし、五歳になって間もなく、父の死が伝えられた。強い魔物と遭遇し、殺されてしまったのだと、父の猟兵仲間が伝えに来た。

 その報せが転落の始まりだった。


 金がなければ家には住めず、食べるものもなくなり、生きていけなくなる。

 母は仕事を見つけようとしたが、なかなか見つからないようだった。

 まだ幼いウェインに詳細な状況までは分からなかったが、母が困っていることだけは分かった。だから彼は猟兵になって金を稼ぎ、母を助けようと思った。

 しかし、母は絶対に猟兵にはなるなと、泣きながら懇願してきた。


 その後、母は眠りに就いたウェインを家に残して、夜な夜な出掛けるようになった。彼は間もなくそのことに気が付き、母に訊ねてみると、仕事だと答えた。

 しかしどんな仕事かは教えてもらえず、以前よりも彩りの乏しい食事を勧められるだけだった。


 頑なな母が気になり、ウェインは深夜に起き出して、こっそりと母の後を尾けてみた。すると、母は父の猟兵仲間だった男と会い、一軒の宿に入っていこうとする。しかし男は母の手を引き、宿の前から離れて人気のない路地裏に行くと、母の服を脱がせ始めた。

 そこからの光景は幼いウェインには筆舌に尽くしがたく、ただただ絶大な衝撃を与えた。身体が強張って動けなくなってしまったが、母が悲鳴めいた声を上げ始めた辺りで我に返り、少年は飛び出して男に殴りかかった。


 かつて父と親しかった男はウェインを振り払い、抵抗し始める母に襲いかかろうとした。だが諦めずに何度も男に殴りかかり、途中から地面に置かれた男の剣を奪おうとすると、それに気付いた男が抜剣した。消えろと脅されるも、ウェインは母を助けるために無手のまま挑みかかった。

 男は酒臭く、まともな判断力を有していない状態だったが、幼いウェインにはその危険性が分からなかった。凶刃が襲い掛かってくると、母が飛び出してウェインを庇い、血だまりに沈んだ。彼は怒りを超える哀しみにより、戦意など喪失して母に縋り付くが、そこで首筋に衝撃が奔り、意識を失った……。


 次に目覚めたとき、ウェインは奴隷になっていた。

 周囲の話を聞くに、どうやら例の男に売られたらしい。それまで暮らしていた町から、同じザオク大陸東部にあるラヴルという町へ移送される馬車の中、少年は絶望していた。あの男に怒りや憎しみを覚えてはいたが、それ以上に自分が許せなかった。

 

 ラヴルに到着して、彼はとある店に買い取られた。

 そこは大きな建物で、幾つもの部屋があり、若い女が大勢いた。反して、来店する客は男ばかりで、女と一緒に部屋へ入っていく。ウェインはそこが娼館と呼ばれる場所だと教えられ、下男として働かされた。

 建物の中にいると、あの日聞いた母の声と似たような声が響いてきて、気が狂いそうだった。当然のように反抗し、逃げ出そうとしたが、殴られ蹴られ怒鳴られ、暴力は幼い少年の心を容易にへし折り、従順にさせた。大人しくしていれば食事は与えられるし、大勢の娼婦たちもだいたいは優しくしてくれる。

 『将来は女たちのようにお前にも働いてもらうぞ』

 という娼館の主の言葉と薄気味の悪い笑みには不安を覚えたが、とりあえず日々の生活には耐えられたので、ウェインは思考を停止して日々を淡々と生きていた。


 娼館の下男となり、一期ほどが経ったある日。

 ウェインは見覚えのある男を見掛けた。かつての父の仲間であり、母を襲って斬り殺した、あの男だ。仇敵が娼婦と一緒に部屋へ入っていくのを覗き見て、ウェインはかつてない激情に取り憑かれた。

 厨房から包丁を盗み出し、甲高い声が聞こえてくる部屋にこっそりと侵入すると、ベッドの上にいる全裸の男に近づく。男も女も行為に夢中で気付かれず、ウェインはそのまま男の背後から首に包丁を突き刺した。引き抜くと赤い液体が噴水のように飛び散り、金髪の娼婦が悲鳴を上げ、そこでようやく我に返った。

 血の赤はあの日の母を否応なく想起させ、混乱に抗えず無茶苦茶に叫びながら仇敵にもう三度包丁を突き入れた後、逃げ出した。


 夜闇に紛れて町中を全力で駆け抜け、とにかく逃げた。

 娼館という場所のおぞましさを遅まきながら再認し、自らが人を殺した事実に思考が掻き乱れ、それでいて復讐できたことが喜ばしい。荒れ狂う激情の波にさらされながらも、娼館の誰かに捕まれば命はないと、幼い理性は理解していた。


 追手の声がすぐ近くまで迫ってきたため、ウェインは一軒の建物に侵入した。裏口と思しき扉がちょうど開いていたので、そこに飛び込んだのだ。

 すぐに扉を閉め、息を潜めてやり過ごしていると、背後から声を掛けられた。振り返ると、やけにもっさりとした髪の女が訝しげな顔で見下ろしてくる。獣人の彼女は血塗れのウェインの姿を見て、驚いたように声を上げながら手を伸ばしてきた。ウェインは逃げようとしたが、あっさりと捕まった。


 女はウェインに怪我がないと分かると、今度は事情を説明するよう求めてきた。拒んでも拒んでもウェインを逃がそうとしなかったので、ウェインは仕方なく獣人の彼女にそれまでの話をしていったのだった……。




 ■   ■   ■




「それで、ウルリーカに助けてもらったんですね」


 ウェインはローズの言葉に頷き、膝頭に顔を埋める。

 話の途中からその場に腰を下ろして、膝を抱えてしまっていた。


「それから館の転移盤を経由してこの町に来て、暮らし始めたんですね」

「そうだ……」


 隣に座り込んだローズはたまに相槌を打ったり、何度か疑問を呈したりしてきて、それが語り口を滑らかにさせた。だから結局、クレアたちから口止めされていたにもかかわらず、全て話してしまった。

 しかし、後悔はしていない。なんだか妙に心が軽くなって、先ほどより幾分も気分が落ち着いていた。


「…………」

「…………」


 ウェインが口を閉ざすと、ローズも何も言わず、ただ隣に座り続けて動かない。

 手を伸ばせば届くか届かないかの絶妙な距離感がなぜだか心地良くて、しかし無性に気恥ずかしくて、ウェインは身じろぎした。


「おまえ、さっきはうんとかうなずいてたけど、しょうかんがどんなところか、しってるのかよ」

「知ってますよ」

「……じゃあどういうところか、いってみろよ」


 とはいえ、ウェイン自身、あの場所をどう表現すればいいのか、よく分からない。穢らわしく、淫らで爛れた場所だと、幼心に漠然と認識できているだけだ。


「男と女が寝るところです」

「それだけじゃねーんだぞ」

「分かっていますよ。でも、女の子にこれ以上のことを言わせる気なんですか?」

「…………」


 ローズは理解しているのだと、その透徹した瞳を見て悟った。

 そうなると何を言えばいいのか分からず、ローズもただ見つめてくるだけで口を開かず、またしても沈黙が流れる。


「……なんかいえよ」


 ウェインは気まずくて、舌打ち混じりに呟きを溢した。

 すると、ローズは柔らかな微笑を湛えた幼い顔で、静かに口を開く。


「ウェインはいつ頃にこの町に来たんですか?」

「とうどきの、ごせつめくらい、だけど……それがなんだよ」

「魔大陸東部は北ポンデーロ語圏ですよね。それなのに、ウェインは普通にエノーメ語で会話できています。さっきは馬鹿って言ってすみませんでした」

「……っ、べ、べつに、わかればいいんだよ」


 つい先日まで、ウェインは来る日も来る日も言葉の勉強をさせられていた。できなければ死ぬほど苦しい鍛錬(という名の罰)が待っていたので、否応はなかったのだ。だが、今ようやくその苦労が報われたと、心から実感できた。


「ウェインはこの町に一人も友達いませんよね?」

「……だからなんだよ、おまえらだっていないんだろ」

「はい。ですから、友達になりましょう」


 優しい微笑みから目を逸らし、ウェインは立ち上がった。

 なんだかローズと顔を合わせたくなくて、明後日の方を向いて無愛想に呟く。

 

「……いやだね」

「どうしてですか?」

「こどもをみてると、いらいらするんだよ。へらへらわらって、はしゃいで、そういうのうっとうしいんだよ」


 無邪気な姿を見ていると、腹の底からどす黒い何かが湧き上がってくるのだ。

 かつてはウェイン自身も友達と遊び回って、笑い合っていた。

 だが、それは何も知らなかったからだ。世の中は容赦が無くて、理不尽で、不条理で、どうしようもなく穢らわしい。否応なく、そうした真実を知ってしまった。


 今のウェインには、町で遊び回る子供たちを見ても、その中に混ざりたいとは全く思えない。そもそも遊びたくもないし、何も知らず脳天気に騒いでいる子供が酷く気に障る。相手が大人しい奴隷の子供なら未だしも許容できるだろうが、リゼットやサラのような溌剌とした子供と友達になり、あまつさえ一緒に遊ぶなど、激しい抵抗感を覚える行為だ。


 しかし、ローズはきっと分かっている。

 世の中は容赦が無くて、理不尽で、不条理で、どうしようもなく穢らわしい。

 それを知りながら日々を生きる大人たちと同質の笑みを浮かべていた。


「おまえは……」


 ウェインはちらりと振り向いて、幼い顔に不釣り合いな微笑みを覗き見る。

 だが、やはり顔を合わせていられず、そっぽを向いてしまう。すると背後からローズが立ち上がった気配を感じて、ウェインは思わず全身を強張らせた。


「それじゃあ、仕方なくでいいので、友達になってください」


 どういうことか思って振り返ると、ローズは困ったように笑っていた。


「苛々するかもしれませんし、鬱陶しく思うかもしれません。それでも、我慢してあげてください」

「なんでおれががまんしなくちゃいけねーんだよ」

「ウェインは男の子ですよね? 男の子だったら、女の子に優しくしてください」


 その言葉に、ウェインは父親のことを思い出した。

 まだ無垢な子供でいられた頃、近所の女の子に意地悪をして泣かせてしまったことがあった。そのとき父から叱られて、今のローズと似たような台詞を言われたのだ。今の今まですっかり忘れていたことだった。


「い、いやだね、おれはおまえらとともだちになるきはねーんだよ」


 だが、ウェインはローズの言葉に素直に従いたくなかった。

 幼い男心は年下の女の子に説き伏せられるという事実を拒んだ。


「…………」

「なんだよ、なにだまってるんだよ」


 ローズは微笑みを引っ込めて、小難しそうな面持ちで目を伏せ、口を閉ざしている。てっきり更に何か言い返してくると思っていたウェインは不安を覚え始めた。

 その矢先、足下を見つめていた蒼い瞳が潤んで、目尻に涙が溜まり始める。


「どうして、そんな意地悪言うんですか……っ、うぅ……私は、ただ……ウェインと仲良く……んくっ、したいだけなのにぃ……」

「え、ぁ……お、おい」

 

 嗚咽混じりの声はウェインの心を激しく揺さぶった。

 まさかこの大人びた笑みを浮かべる口達者な女の子が泣き出すとは思ってもみなくて、突然のことに浮き足立ってしまう。


「ぅ、うぅ……ねえ、お願いですから……私たちと仲良くしてくださいよぉ……」

「な、なくなよ、ばか」

「ウェイン、ぅぐ……おにいちゃぁん、お願ぃ……っ、うぅ……」


 ローズは下から涙目で見上げ、服の裾を指先で掴んで引っ張ってきながら、弱々しい声で懇願してくる。先ほどまでと一転して、その姿が酷く頼りなさげで見るに堪えず、ウェインは呻くように言った。


「……わ、わかったから、なくなよな」

「本当に、仲良くしてくれるんですか……? 私たちと、友達になってくれるんですか……?」

「あぁ、なかよくするし、ともだちにもなるから。だからなくなよ……なんだよ、おれがなかせたみたいだろ」


 羞恥心と罪悪感が相手の顔を直視することを許さず、ウェインは顔ごと目を背けて苦々しく呟く。だがローズは未だか弱い姿のまま、裾を掴んだ手を放さず、上目に様子を窺うように問いかけてくる。


「じゃあ、サラに謝ってくれますか?」

「それは……」

「うぅ……っ、謝ってくれないんですか……?」

「あ、あやまるっ、あやまってやるよ!」

「……約束、してくれますか?」

「するから、てはなせって、なきやめよ……くそ……」


 気まずさに耐えきれず、しかしローズの手を振り払うこともできず、ウェインはただ心苦しく立ち尽くすしかなかった。


「絶対ですよ……?」

「あぁ、うん、ぜったいだ」


 そう言って頷くと、裾を掴んでいた手が離れていった。

 ほっと胸を撫で下ろして、ウェインは恐る恐る正面のローズに視線を戻してみるが……笑っていた。今の今まで目尻に涙を溜めて小さく肩を震わせ、か弱く儚い雰囲気を纏って泣いていたはずだ。にもかかわらず、一瞬で嬉し楽しげに満面の笑みを浮かべる姿に変貌していて、そこに幼さは微塵も窺えない。

 どういうことだと混乱しながらも、ウェインは思いがけずその笑顔に見とれてしまって、口を半開きにして声も出せずに固まってしまう。


「では、今から謝りに行きましょう」

「――――」

「本当は男が館に入っちゃいけないんですけど、もうウェインは一回入ってるんですよね? それにやっぱり、謝るときは謝る側が出向かないといけないですしね」


 唖然とするウェインの手を掴んで引っ張り、ローズは意気揚々と前を歩く。

 その足取りは軽く、背筋は伸びて、真っ赤な後ろ髪の毛先が一歩進むごとに跳ね踊る。

 

「お、おい、おまえ――」

「私はローズですよ」


 振り返らずにそう答えて、ローズは足を止めると地面に手を突いた。すると近くの地面が動いて地下へと続く階段が現れる。

 ウェインは相変らず引っ張られながら、未だ戸惑いの抜けきらないまま声を掛けた。


「ローズ」

「なんですか?」


 階段を下りたところで立ち止まり、一つ年下の女の子は長い髪を翻して振り返った。やはりその顔に涙の名残など微塵も見られない。


「な、なんで……え? さっき、ないてただろ?」

「そうですね。そしてウェインは約束してくれました。サラに謝って、私たちと友達になって、仲良くしてくれると」

「それは、だって、おまえがないてたから……」

「約束は約束ですよ」

「――――」

 

 ウェインは先ほどのローズの涙が嘘泣きの産物であると気が付いた。

 だが怒りや悔しさよりも先に、やはりこの女の子は只者ではないのだと、幼心に戦慄した。

 

「く、くそ、おまえ…………っ、あぁぁぁあぁあぁぁぁぁ!」


 もう全てが馬鹿馬鹿しくなって、ウェインは胸の内で渦巻く感情を声にして吐き出した。それからローズの手を振り払い、一人でずんずんと先に進む。

 大きな円盤の上に飛び乗り、後ろを振り返って赤い髪の女の子を睨んだ。


「なにしてんだっ、はやくしろよ!」

「はい」


 まるでウェインが嘘泣きに気付いたことに気付いたと言わんばかりに微笑むローズ。後ろで手を組み悠然と歩いてくると、ウェインの隣に並んで、ついと首を傾げた。


「約束を守ってくれる優しいウェインがお願いするのなら、これからはお兄ちゃんって呼んであげますよ?」

「うっせーばか!」

「もー、お兄ちゃんはしょうがないですねー」

「おまえのほうがしょうがねーよっ、へんなよびかたすんな!」


 ウェインの切り返しも何のその、ローズはおかしそうに小さく声に出して笑っている。これまでと違って屈託なく笑顔を見せるその姿を前にして、これが彼女の本当の姿なのだと直感した。

 しかし、図らずもその姿に見とれてしまって、目が離せない。


「……くそ」


 眩い光でローズの笑顔が掻き消えていく中、ウェインは思わず舌打ちしてしまう。それは隣の女の子に対してでもあり、自分自身に対してでもあった。なぜだか胸の内が軽くなっている不可解が気に食わず、心地良い苛立ちが去来する。


 その後、渋々ながらサラに謝って、友達になってくれるようお願いした。

 立場が逆転していて非常に釈然としなかったが、約束したものは仕方がないと諦めて、ウェインは我慢した。ただ、それほど苦に思っていなかったことを自覚して、妙な気恥ずかしさが込み上げてきた。

 だから、ローズに八つ当たりめいた言葉をぶつけてしまうが……


「どうでもよくありませんよ。人に声を掛けるときは名前で呼ばないと。私より年上のくせに、そんなことも分からないんですか?」


 さも子供扱いする大人のような言い草で切り返されたので、ウェインは強気に言い返した。


「おいローズッ、もうよけいなことすんなよな!」

「さて、それはウェイン次第ですね」


 真っ赤な長髪をなびかせて振り返り、蒼い瞳でウェインを真っ直ぐに見据えると、小首を傾げてからかい混じりの笑みを向けてくる。それだけならまだ我慢できたが、その声も仕草も笑顔も無駄に可愛らしくて、ウェインは顔が熱くなった。


「――っ、くそ、なんだおまえ!」


 ローズの視線から逃れるように駆け出した。

 不思議と足取りが軽く、廊下の先に見えるリゼットとサラの姿を見ても、小一時間前まで感じていた苛立ちは覚えない。


 世界は容赦が無い。

 理不尽で、不条理で、どうしようもなく穢らわしい。

 それでも世界は美しいのかもしれないと、彼はほんの少しだけ思い直した。


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