第四十二話 『私たちは友達が少ない』
「ヘルミーネ、おはよう。閂、外してもらえるかしら?」
いつ見ても大きなオバサンであるヘルミーネはクレアの言葉に頷き、人間用扉のロックを解除した。
俺たちは挨拶もそこそこに、ヘルミーネ邸から外に出る。
現在は昼前――たぶん十時過ぎくらいだが、辺り一帯が巨人街だからか、町の活気はあまり感じられない。
しかし我が家の末っ子はいつも活気がある。
「かいものにしゅっぱつだー!」
「いきなり走り出すんじゃないわよ、リーゼ。またこの前みたいに迷子になったら、苦労するのはわたしたちなんだから」
サラは元気一杯な妹の手を握り、姉らしく注意する。
リゼットの尻尾は忙しなく左右に揺れ、身体はうずうずとして落ち着きがない。
「じゃ、サラはアタシと手繋いで」
「なによセイディ、わたしもう八歳なのよ。そんなことしなくたって大丈夫よ」
「んー、そう? でもなーんか心配なのよねー」
天使的な美女の誘いをすげなく断り、小悪魔的な幼女はツンとした澄まし顔を見せる。フラれたセイディは寂しそうに、それでいて嬉しそうに笑っていた。
そんな娘の成長を感慨深く思うような暇があったら、俺の手を握ってくれてもいいのよ?
「ローズも手繋ぐ?」
そう微笑みかけてくれたのはクレアだ。
きっと俺が物欲しそうな顔をしていたのを見て、気遣ってくれたのだろう。
なんて優しい美女だろうか。結婚してください。
「それじゃあ、行きましょうか」
俺はクレアと手を繋ぎ、みんなで人通りを歩き始める。
「おぉーっ、やっぱりおーきくてでっかいー!」
「リーゼ、あんまり大声で言わないでね。不自然に思われちゃうから」
「わかったーっ!」
俺もリゼットも幾度となくディーカの町には訪れているが、そう毎日来ているわけでもない。せいぜい三、四日に一回くらいか。町に出てきても、やることといえば買い物か散歩くらいしかないからね。
ちなみに巨人の家から人間やら獣人やら翼人が出てくることは全く不自然ではない。巨人街とはいっても、それはあくまで建物の巨大さと巨人族の密集地というだけで、そこに住まう人々は巨人だけはないからだ。
今更言及するまでもなく、巨人の家はかなりの大きさを誇る。
しかしここは魔大陸という危険なモンスターワールドであり、ディーカは市壁に囲まれた町だ。居住スペースの限られた安全な市壁内における土地は貴重なため、周囲に立ち並ぶビッグハウスには人間や獣人たちも一緒に住んでいる。
巨人はあまり細かいことを気にしない者が多いため、屋内の一部を間貸しすることがほとんどらしい。巨人の家の中に、更に家があるというわけだ。テーブルや椅子の下、あるいは壁際に小屋を造ることが多いとか。尚、巨人ハウスの屋上は翼人たちの居住スペースとなっており、ペントハウス的な家々が建っているそうだ。
ヘルミーネ邸の屋上にも翼人(男)が住んでいる。
「そういえば、クレア」
「どうかした?」
隣を歩くクレアを見上げると、巨乳の向こうで黒髪美女は優しく反応してくれる。
「《黄昏の調べ》って、本当に大丈夫なんでしょうか? アレからもう一年ですけど、特にこれといって何もないんですよね?」
「そうね。よく町には出ているけれど、襲われることもないし。何かあれば私たちが守ってあげるから、ローズは心配しなくとも大丈夫よ」
俺が魔大陸に来て――あの金髪イケメン野郎エネアスに襲われて、既に一年以上が経過している。が、あれ以来一度も襲撃は受けていない。
あの日、懇意にしていた商人に裏切られたらしい我らが《黎明の調べ》魔大陸西支部の面々は人相が割れている。俺とユーハもエネアスに名前まで知られてしまった。転移盤の所在は元より、ディーカの町経由でクラジス山脈の奥地に建つリュースの館に住んでいる……という情報までは商人にも明かしていなかったそうなので、そこまでは漏れていないらしい。
とはいえ、人相が割れてしまえば、あとは時間の問題なのだ。魔大陸のどの町にも《黄昏の調べ》の構成員はいるようだし、一年どころか半年もあれば人相は広がり、発見されそうではある。
しかし、今日に至るまで、特に何の変化もない。
あの一件から間もなくはクレアたちもそれなりに警戒していたそうだが、一度も襲われることなく、これといって怪しい人物も見掛けない。驚くほど以前と変わりなく活動できているそうだ。
なぜなのか、分からない。
単に連中の組織力がヘボいのか、運がいいだけなのか。あるいは既に発見されていて、何か目的があってまだ襲われていないだけなのか。
魔大陸の《黎明の調べ》構成員はどの国家にも属していないため、魔女狩りによる国家間のパワーバランス崩壊などとは無縁だ。だから連中は政治的な機微など気にせず好き勝手に行動できるはずで、魔女を疎んでいるらしい《黄昏の調べ》が俺たちを狩らない理由はないように思う。
でも、実際はこの通りだ。
正直、不気味ではあるが町に出ないと生活していけないし、俺たち幼女も人として成長できない。警戒は必要だが、リスクを恐れているだけでは味気なさ過ぎる生活を送らざるを得なくなるのだ。
普段は人気のない森での洋館暮らしとはいえ、やはり定期的に人のいる町に出ないと、人としての感覚が狂ってくる。だからこそ俺もリゼットも、これまで普通にディーカの町には連れてきてもらってきたし、今もこうして買い物に出てきている。
「今日は人が多いですね。天気がいいからでしょうか」
「そうね、この分だと市も混んでいるかもしれないわね」
俺たち二人が仲良くお喋りする一方、サラとリゼットとセイディの三人も姦しく雑談している。たまに俺とクレアの方を向いて話を振ってくるので、快く応じながら人通りを歩いて行く。
ディーカの町はそこそこ広い。
以前、セイディに抱えてもらってディーカ上空を飛んでもらったときに町の全景を見た。たぶんリリオの倍以上はあったと思う。ディーカはアクラ湖という湖沿いにある町で、市壁は半円を描くようにそびえ立っている。尚、噂の猟兵協会は町の中心部にあり、ヘルミーネ邸のある巨人街は市壁近くに位置している。
町の通りを歩いているのは人間、獣人、翼人がほとんどだ。
男女の比はどちらにも傾いていない。男の方が武具を身に着けた猟兵姿をしている者が多いが、女猟兵と思しき者たちも普通に見掛ける。町の空には翼人たちが行き交い、道幅の広い大通りではたまに巨人も見掛けるし、湖畔には魚人もいた。美人魚は見掛けなかったが……。
ちなみに竜人はまだ一度も見掛けたことがない。
アルセリア曰く、竜人たちはもっと前線に近い町で活動しているそうだ。彼らは強い魔物と戦って修行するためにカーウィ諸島から出張ってきているらしいから、当然といえば当然の話だ。
「おぉーっ、ひとたくさんっ、なんかいーにおいもする!」
市場を賑わす多くの人々と露店の数々を見て、リゼットが楽しげに声を上げる。
ディーカの大広場では定期的に市が開かれ、今日がその日だった。
「クレアクレア、きょーはなにかうんだっけ!?」
「リーゼとローズとサラの靴ね」
「わたしもクレアたちみたいに、靴屋の綺麗なやつがいいわ」
「ま、それは三人とも成長し切ったらね。それかサラはいいもの欲しければ小遣い貯めて買いなさい」
俺とリゼットとは違い、サラは猟兵としてクレアたちと一緒に活動しているので、小遣いを貰えている。
だがサラはセイディの言葉に苦い顔を見せ、溜息を溢した。
「……やっぱりいいわ、どうせすぐ履けなくなっちゃうし」
俺たち幼女は日々成長している。
だから服も靴も定期的に買い換える必要があるのだ。シャツやズボンなら誤魔化しは利くが、靴はきちんとサイズにあったものに適宜履き替えないと足が痛くなるし、成長にも支障が出る。
ちなみに俺はサラのおさがりで十分だと思っている。が、当時サラが使っていた靴はチェルシーのおさがりで、それはもうボロボロなのだ。最近のサラの年齢に合ったおさがり靴はそもそも残っていない。チェルシーも当時は猟兵として活動していたので使用感が激しく、おさがりにはできず売ったという。
なので靴は三人分を適宜買う必要がある。
「クレアふくもかってー!」
「まずは靴からね。服は後で見て回って、いいのがあったら買いましょう」
居並ぶ露店の中を歩いていると、ござっぽい敷物の上に衣類や衣装掛けを並べた店を発見する。
だがとりあえずそこはスルーして、靴を売っている店を探していく。
「サラは新しい服、欲しくならないんですか?」
「うーん……欲しいときもあるけど、今ので満足してるから。チェルシーの服はどれも可愛いのばっかりだったから、わたし好きだし」
サラは翼人なので、獣人だったチェルシーという少女のおさがり服を修繕して着ている。今まさにサラが着ている服もおさがり品の改造版だ。
翼人の服は通常のシャツみたく筒状だと着ることができないので、ボタンや紐で縛るものばかりだ。加えて、翼を動かせるように背面は上半分が露出している。所謂ホルターネックという形状の服だな。
「ローズもちゃんと、チェルシーの使ってた服で欲しいのがあったら言うのよ。わたし用に直しちゃうと、もう着れなくなっちゃうんだから」
「はい、そのときは言いますね」
とはいえ、べつに俺は服装にそこまでこだわっていないので、割とどうでもいい。ただでさえリゼットが将来着る予定のおさがり品をサラと取り合っているので、俺は二人を優先したい。
色々話しているうちに靴屋を見つけた。
敷物の上に数多くの靴が並び、試着用の椅子まで置いてある。町中にはきちんと店舗を構えた立派な靴屋も存在するが、そういうちゃんとした店の商品は基本的に高い。こういう露店の商品は質こそ劣るが安いので、日に日に成長する俺たちは安物で十分だ。
「あたしこれにするー!」
「わたしはこれ」
「じゃあ、私でこれでお願いします」
サイズを確かめて試着し、早々に決めて購入する。
子供用の靴は数が少ないので、悩もうにも悩めない。
靴はその場で履き替え、古い靴は買い取ってもらった。ボロっちい靴でも、職人が修繕して再販したり、分解して素材をとったり、あるいは奴隷用に流したりして、きちんとリサイクルするらしい。
「まいどありー」
という店主にリゼットは愛らしく手を振って別れ、俺たちは市場の中を歩いて行く。
「それじゃあ、色々と見て回りましょうか」
「何か買ってくれるの?」
「そうね……一人一ずつならいいわよ。ただし、あまり高いものは買えないけれど」
こうしてショッピング(本番)が始まった。
まずは一通り市場を回りつつ、気になるものがあったら立ち寄ってみる。クレアは俺たち幼女に気を遣っているのか、彼女が立ち寄ろうと提案することはない。
リゼットとサラとセイディの三人が、服やら装飾品やら食べ物やらよく分からん置物やら、次々と目を付けてみんなで姦しく見て回っていく。なんだかんだで俺も色々なものに興味を引かれて、それなりに楽しく、でも着々と体力を削られていく。
「なにか欲しいものはあった?」
一周目が終わると、一旦市場から少し離れて、クレアが各々の意見を訊ねる。
みんな少々汗ばんでいるが、俺以外は変わらず元気だ。俺以外は。
「わたしはさっき見た髪飾り。あれ300ジェラにしては凄く良かったわ」
「あたしはあのおっきーくしやき! タイラントボアのおにくはにくじゅーがすごいんだ!」
「リゼット、服はいいんですか?」
「ふくよりおにくのほーがほしー!」
「リーゼは飾り気よりも食い気、と。ローズは? 遠慮せず言いなさいよ」
セイディから問われ、少し思い返してみる。
俺が常々から欲しいと思っているものは本だが、本は館に読み切れないほどある。専属美女騎士は買えるものでもないし、今はこれといって欲しいものは特にないな。
「私は……私も、髪飾りで。サラ、同じのでもいいですか?」
「もちろんいいわよ、お揃いね」
「リーゼは本当にお肉でいいの? サラとローズとお揃いの髪飾りがなくても大丈夫? この後、みんなでお昼ご飯食べるつもりだけれど……」
「だいじょーぶだー!」
クレアの気遣いも何のその、リゼットは愚問だと言わんばかりに即答する。
まだ五歳なせいか、それとも性格なのか、幼狐は普段から身だしなみには頓着しない。逆にサラは女の子らしく気にするし、クレアもセイディも普段から髪の手入れはしていて、服装にも割と気を遣っている。
俺は……うん、サラがうるさいから、少しはね。
「それじゃあ、行きましょうか」
というわけで、再び市場の人混みの中へ突入し、今度は目的の店だけを回っていく。まずはリゼットの食欲を満たすために肉を購入した。タレっぽい液体に漬けた薄い肉を鉄板で焼いて、それを何枚も重ねて分厚くし、木串に刺したものだ。かなりの量があり、お値段は露店の食い物にしては少々高めの150ジェラ。
「ぅんまあああぁぁぁぁぁぁ!」
肉にかぶりついて歓声を上げるリゼットを引き連れ、次へ向かう。
装飾品ばかりを扱う店に到着すると、サラが目を付けた髪飾りを見てみる。瀟洒な金属の台座に小さな輝石が填め込まれ、それに編み紐がついたものが二つでワンセットだ。要は髪を縛る編み紐に飾りが付いている品だ。飾りの輝石と編み紐はどれも同色仕様だが、色違い品が幾つかあった。
「わたし赤にするわ。ローズは……黒が似合いそうねっ」
「じゃあ黒で」
べつに何色でも良かったので、サラのオススメに従っておいた。
もう疲れたから休憩したい。
「一つ300ジェラだけど、二つ買ってくれたのと可愛いお客さんに免じて、二つで500ジェラでいいわよ。ただし、この場で着けた姿をあたしに見せてくれたらね」
ぎりぎりお姉さんと呼べる年頃の女店主は俺たちを見て、愛嬌のある笑みを見せる。こういうサービスをする店主って前世では苦手だったが、今はむしろ好感が持てる。可愛いと得する世の中とか最高だね。美形で良かったよ、マジで。
二つの髪飾りを購入し、サラはセイディに、俺はクレアにその場で着けてもらった。俺の髪はロング、サラはセミロングだが、せっかくなので髪型も揃えることになり、ツーサイドアップテールにされた。
「うん、二人とも可愛いわね。いいお客さんに売れて良かったわ、ありがとう」
「あ、その……こ、こっちこそ、ありがと……」
「ありがとうございました」
優しい女店主に、人見知りなサラは少しどぎまぎしながら、俺は普通に頭を下げた。そんなことをしている間にもリゼットは実に旨そうに肉を頬張り、俺とサラの姿には見向きもしない。口の周りが脂塗れだ。
俺たちはフレンドリーな商売人に手を振って別れ、市場を抜け出た。
「んー、ローズもサラも可愛いわねー。どっちも食べちゃいたいくらい」
「やめてよセイディ、人が見てるでしょ」
「というか、くっつかれると暑いです」
「なーに照れてんのよ二人ともー」
両手で俺とサラを抱きしめるセイディは笑顔で頬ずりしてくる。
そろそろ日も昇り切って気温も上がっているので、本気で暑苦しいんだが、この美天使はポジティブシンキングな人だからな……。
「さて、それじゃあそろそろお昼時だし、どこかで何か食べましょうか」
「たべるー!」
「あんなにお肉食べたのに、まだ食べられるんですか?」
「おにくはねー……あれ、なんだっけ、えーっと……」
「別腹でしょ」
「そーだっ、べつばらだー!」
サラの言葉に頷き、リゼットは肉汁で汚れた口元を晒したまま得意気に答える。
セイディがハンカチで幼狐の口元を拭ってやる横で、クレアは微笑みながら言った。
「それじゃあ、湖の方へ行きましょうか。湖畔通りには座るところも、食べ物の露店も多いからね」
「あたしきょーはあっちがいいっ、あのかべのうえ!」
「そう? サラとローズはどっちがいい?」
「壁でいいわよ」
「私は……湖の方がいいですけど、この日差しとお昼時だと、どうせ人が多いですよね? ちょっと人混みに酔ったので、人の少ない壁の方でいいです」
というわけで、俺たちは目的地へ向けて歩き始めた。
この町には市壁が二つがある。
まず湖に近い内側の壁は何百年も前に建造されたものだ。時代を重ねて、町が壁の外にまで拡大していったことで、新しく二枚目の市壁を作ったらしい。
旧市壁は全体的に苔むしてボロっちいが、今でも頑丈そうな偉容を湛えてそびえ立っている。壁の内部は当時の当直警備兵か何かのために通路や小さな部屋が幾つもあり、一部は住居として貸し出されている。
「お昼はあれにしましょうか」
途中、道端の露店で売っていたものを昼食として購入する。前世でいうところのピタパンに白身魚のフライと野菜が挟まれ、ソースっぽい何かのかかったヘルシーな品だ。
早速食べ始めようとするリゼットを抑え、みんなで雑談しながら歩いて行く。
「……あ」
ふとリゼットが声を漏らした。
気になってその視線を追ってみると、広場で子供たちが遊んでいる姿が目に入る。そこは広場というより公園で、青々と茂る木々やベンチが幾つもあって、中央には噴水まで見られる。モニュメントめいた円錐形の石碑先端から穏やかに水が溢れ出し、男女問わず子供たちが水を掛け合って騒いでいる。
「リーゼ、わたしたちは一緒に遊べないわよ」
「うん、わかってるよサラねえ……」
どこか陰りのある小悪魔の言葉に、少し寂しげに頷く幼狐。
元気のないリゼットはあまり見たくないので、一応フォローしておく。
「帰ったら、みんなで川に行きましょう。水辺の方が魔法の練習も何かとはかどりますし」
「そうね、特に火魔法の練習は周りを気にしなくてもいいし、休憩のとき遊べるわ」
サラも気付いて加勢してくれたが、一度下がったリゼットのテンションは戻らない。クレアとセイディはそんな俺たちを複雑な面持ちで見守っていた。
それから旧市壁に辿り着くと、壁の内部に入って階段を上り、再び青空の下に出る。壁の頂部は物見台の役割を兼ねた通路になっていて、親子連れやデート中と思しき男女が数組見られるが、静かなものだ。
高さはだいたい十階建のビル――三十リーギスくらいだろうか。結構高いので見晴らしが良く、町を眺望できる。広々としたアクラ湖の水面が陽光に煌めいていて、景観は良好だ。
「天気はいいし、眺めもいいし、ご飯も美味しい。リーゼ、あとで空飛んであげよっか?」
「うーん……きょーはいーや」
「ローズは?」
美女に抱えられての空中散歩は楽しいから俺は好きだが、リゼットの様子を見て、俺も遠慮しておいた。
みんなで縁に腰掛けて悠々と昼食を食べながら、のんびりした時間を過していく。リゼットの表情にもう陰りはないが、テンションはフラットだ。
「リーゼ、ローズ、サラ」
ピタパンサンドを食べ終わり、景色を眺めて休憩していると、クレアが俺たちの名を呼んだ。
その改まったような呼び掛けに、俺たちは揃って黒髪美女に注目する。
「なに、どうかしたのクレア」
「その……三人とも、友達は欲しいわよね?」
その問いを受けて、俺たちは思わず顔を見合わせた。
俺とリゼットは五歳、サラは八歳だが、俺たちに友達は一人もいない。
その最大の理由は俺たちが魔女だからだ。
魔女であることを秘して生活している俺たちにとって、友人ってのは距離感の難しい存在だ。俺なら魔女であることを隠して、同年代のガキンチョ共と上手く連むことはできるだろう。しかし、リゼットは良くも悪くも素直なので、秘密を守れない可能性が非常に高い。
うっかり魔女であることを明かしてしまったり、遊んでいるときに思わず魔法を使ってしまえば、瞬く間に噂になってしまうだろう。そもそも、人には言えない秘密を抱えたまま誰かと仲良くするってのは、子供には意外と息苦しく難しいことだ。だから俺たちはクレアたち大人から、町の子供とはあまり関わり合いにならないよう言われている。
他にも細々とした理由はある。
例えば、町の子供たちと仲良くなれば、家のことを聞かれたり遊びに来られたりするだろう。魔女であることと同じく、転移盤やリュースの館のことも秘密なので、その点でも隙が生じる。
更に例えば、俺とサラとリゼットの関係を説明する際、家族と答えれば必ず疑問を抱かれる。顔も似ていなければ、種族も別々だし、養子やら一夫多妻家庭と説明したところで、結局はこういう何気ない設定の偽装はほころびが生じやすい。
加えて、サラの見た目は少々変わっているので、子供たちの輪に入れば苛められる可能性大という看過し難い問題もある。褐色肌の人はまたに見掛けるから肌の色は大丈夫だろうが、サラの翼はコウモリめいた翼膜型だ。
俺はこれまで翼膜型の翼人はサラ以外に一人も見掛けたことがなく、誰も彼もセイディのエンジェルウィングのような羽毛型だった。子供の世界では人と違う奴を殊更に排斥する傾向が強いので、きっと苛められるだろう。
しかもサラは人見知りだから、子供社会に馴染む間もなく排斥運動が巻き起こり、ハブられて終わりだ。クレアたちもそれを分かっているからか、もう八歳でしっかり者のサラにさえ友達作りの許可は出さない。
以上のことから、俺たちは一人も友達がいない。
魔女であり《黎明の調べ》の一員という特殊な立場上、大人たちが一般人との親密な交友関係を許さないのだ。にもかかわらず、クレアから「友達は欲しいわよね?」と聞かれたので、俺たち三人は少々面食らった。
「べつに、わたしは友達なんていらないわよ」
「リゼットとサラがいますから、私も特には」
「あたしはほしー……ともだち」
サラは素っ気なく、俺は普段通りに、リゼットは少しもじもじとした様子で答える。すると黒髪巨乳なお姉さんは思案げに、そして物憂げに目を伏せてしばし黙り込んだ後、白翼の天使をチラ見した。
セイディは以心伝心な感じにクレアへ頷きを返している。
「三人とも、友達が男の子でも欲しい?」
「え、男の子? 女の子じゃなくて?」
「ちょうど知り合いのところに、六歳の男の子がいるの。三人は知らない人だけれど、その知り合いの人は私ともセイディとも、マリリン様ともアルセリアさんとも仲が良くて、私たちが魔女であることも知っているの」
「なによそれ、誰?」
サラの問いに、しかしクレアは静かに首を横に振った。
「それはまだ教えられないけれど、その人と一緒に暮らしている男の子のことは教えられるわ。その子だったら、魔女であることも家のことも隠さなくていいし、仲良くしても大丈夫よ」
「やったぁぁぁっ、じゃーそのことともだちになーるーっ!」
喜ぶリゼットとは対照的に、俺もサラも訝しげな顔でクレアを見た。
「どういうことですか?」
「なんでその子だけいいのよ?」
「えーと、そうね……その人は《黎明の調べ》の味方なの。詳しいことはまだ教えられないけれど、とてもいい人だから大丈夫よ」
《黎明の調べ》の関係者だから、俺たちのことを知っている。必然的に、その人と一緒に暮らしている男の子も《黎明の調べ》の関係者ってことになり、だから仲良くしても大丈夫ってことなのか?
「つまり、その人はヘルミーネさんとかユーハさんみたいな人ってことですか? そしてその男の子はその人の息子さんか何かだと」
「そういうことになるわね」
「でも、なんで秘密なのよ? 味方なら教えてくれたっていいじゃない」
「その人は……恥ずかしがり屋さんでね。サラたちが十歳になったら教える約束だから、それまでは秘密ね」
子供相手に恥ずかしがり屋とか……クレアが苦笑していることからも、たぶん嘘だな。本当のところは分からんが、とりあえず今は脇に置いておこう。
問題は件の六歳児(♂)のことだ。
「それでクレア、友達というのは男の子しかいないんですか? 私、女の子の友達がいいんですけど……」
「わたしも女の子がいいわ。リーゼだって、男より女の子の方がいいわよね?」
「ともだちならどっちでもいーよっ!」
クレアは興奮するリゼットの頭を撫でながら、俺とサラに申し訳なさそうな目を向けてくる。
「ごめんね、男の子しかいないから……でも男の子は男の子で、何かと楽しいと思うわよ」
「その子、六歳なのよね? 年下なら、うーん……まあ、まだマシかな?」
「…………」
い、いかん……この流れは不味い気がする。
俺たち幼女三人組の中に野郎が混ざるとか、それは絶対にダメだ。
自分で言うのもなんだが、俺もリゼットもサラも並以上に可愛い幼女だ。件の六歳児(♂)にとっては素晴らしいハーレムになるはず。リゼットかサラがそのガキに惚れる可能性だってあるし……。
「ありゃ、難しい顔しちゃってどしたのローズ? もしかしてローズは嫌?」
「はい、嫌ですね。私は男の子の友達はいりません。サラもいりませんよね?」
「え、わたしは……まあ、その、男なのは嫌だけど、二つ下なら、まあ……いいかな、とか……?」
サラは俺から目を逸らし、人差し指で頬を掻きながら呟くように答えた。
可愛いなぁ、こんちくしょう。
なんだかんだ言って、サラも友達が欲しいのだろう。
「なんでローズっ、いーじゃんおとこのこでも! なんにもかくしごとしないで、なかよくできるんだよっ!」
「い、いえ、でも……」
リゼットから穢れなき瞳で見つめられ、穢れた心を持つ俺はたじろいでしまう。
友達のいない二人のことを思えば、相手が男だろうと女だろうと、友達ができるのはいいことだろう。その機会を男心の自分勝手かつ独占欲的な都合で潰すなど、人として最低かもしれない。
いや、最低だ。
「…………まあ、リゼットとサラが、そこまで言うのなら」
「やったぁぁぁぁ! じゃーはやくそのこにあいにいこー!」
「向こうにも連絡とって話を通さなくちゃいけないから、今日はまだ無理よ。早くても明日か明後日ね」
というわけで、女だけのショッピングを楽しんだと思ったら、男友達ができることになった。リゼットとサラに同年代の男の知り合いができるとか……
どうしよう、不安しか感じない。