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幼女転生  作者: デブリ
三章・邂逅編
53/203

第四十話 『姉の心、妹知らず』


 なんだかんだ言って、幼女も熟女のようにあっさり攻略できるだろ。


 そんなふうに考えていた時期が俺にもありました……。

 幼女に寄りそうのは無理ゲーです。

 本当にどうもありがとうございました。

 

 いやね、俺だって頑張ったんだよ?

 俺は人から嫌われるってことに、ある種のトラウマ的な思いがある。

 それでもね、六節以上も諦めずに頑張ったんだよ。自分でも言うのもなんだけど、かつてない奮闘だったんだよ。辛かったけど笑顔になって、リゼットのためにも早く仲良くならなきゃなって、勇気を振り絞ったわけです。


 その結果がこれだよ……。


 サラは俺を受け入れる気がなかった。

 予想通り、やはりサラはチェルシーのことが引っかかっていたのだ。俺がチェルシーと入れ替わるように館へ来たこと然り、チェルシーだけ助けられなかった俺を恨んでいる。

 リゼットと違い、サラはあの一件を経験していないし、まだ七歳の子供だ。理屈では納得しきれず、そうした思いを抱いてしまうのは仕方がない。それでも諦めずにアタックし続けていれば、そのうち打ち解けられるだろう……と、そう思っていた。


「ローズ、こんな時間からベッドで横になって、どうしたの?」


 幼女部屋でふて寝していると、クレアがやって来て俺を慰めようとしてくれる。

 どうやらさっきの一幕――サラと仲良くしようと接近した俺が無様に袖にされた場面を見ていたらしい。

 俺はいつも通り、大和撫子的な黒髪美女の柔らかさを堪能した。が、気分は晴れない。むしろ虚しくなってくる。


 その日の夜、俺はクレアとのお風呂タイムでも彼女のダイナマイトな魅力を直に味わった。ちょっとだけ元気が出る。

 だがその後、廊下でサラとすれ違ったとき、あからさまに顔を背けられ、俺はまた絶望した。


 ……でもまあ、所詮はこんなものだろう。

 現実なんて、人生なんて、こんなものさ。

 俺如き卑小な俗物が、あんな可愛らしい小悪魔系美幼女と仲良くなれるだなんて、思い上がりも甚だしかったのだ。リゼットとだって、吊り橋効果がなければ仲良くなれなかっただろう。やはり俺のようなクズ野郎には鬱武者のオッサンがお似合いってことなんだ。

 あぁ、そうだ、久しぶりにユーハに会いに行こう。最近はサラばかりで会ってなかったからな。


 次の日、俺は一人でこっそりと地下へ向かった。本当は一人で転移してはいけないのだが、まあ許してくれや。今の俺にはオッサンとのハートフルなコミュニケーションが必要なんだよ。クレアやセイディが一緒だと、色々ぶっちゃけられないからね。


 転移盤を起動し、例の落下感めいた特有の感覚をやり過ごす。

 セイディがしていたように壁に手を当てて魔力を流し込み、床を押し上げてヘルミーネ宅に出た。ユーハはヘルミーネの広大なお宅の一部を間借りして暮らしているのだ。


「ん、ローズか。どうした、一人か」


 相変わらずビッグサイズな巨人オバサンが俺を見下ろしてきた。

 ヘルミーネは膝を突いているが、それでもまだまだ高い。


「はい、ちょっとユーハさんと話がしたくて……」

「そうか。しかしユーハは今、猟兵協会に行ってるからいないぞ」

「……え」


 そ、そんな……我が同士が不在だなんて……。

 それじゃあ俺はどうすればいいんだ……。


「ローズ、どうした? 随分と暗い顔をしているぞ」


 巨大オバサンは床に手を突き、頬を地面スレスレまで近づけて、俺の顔を覗き込んでくる。シュールだ。でも彼女が本気で俺のことを心配してくれているのが分かって、ちょっと泣ける。


「……ヘルミーネさん、少し私の話を聞いてくれませんか」


 俺は巨人な彼女にサラとのことを話した。

 別段、ヘルミーネとはクレアやセイディほど仲がいいわけではない。転移しないと会えないし、こうして一対一で会うことは初めてだ。

 だが、そんなことはどうでも良かった。俺はとにかく誰かに話を聞いて欲しかった。特にヘルミーネはクレアたちと違って、俺とサラとのことを直接見て知っているわけではない。第三者の意見を聞いてみたかった。


「うん、なるほど……サラが仲良くしてくれないのか」


 ヘルミーネは目を閉じて腕を組み、頷いた。

 話の途中から俺はテーブルの上に乗せられ、ヘルミーネは椅子に座っている。

 俺は即席で作ったコップで水を飲み、彼女の感想を待った。


「サラは少し臆病なところがある。あの子は頭がいいから、良くも悪くも考えすぎてしまうんだろうな」

「それは、どういう意味でしょう……?」

「きっと、サラはローズとどう接すればいいのか、分からないのだと思う。ローズの言うとおり、サラもはじめはローズのことを本当に嫌っていたのかもしれない。でも、あの子はそこまで心の狭い子ではない」


 ゆったりとした口調で言って、ヘルミーネは大きな身体に似合う鷹揚な仕草で巨大なコップを傾けた。


「…………」


 そういえばクレアも似たようなことを言っていた。

 でも、本当にどう接すればいいのか分からないのなら、あそこまで明確に俺を拒絶するか? 俺はあんなに仲良くしましょうとアピールしてたのに。

 いくらツンデレとはいっても、サラはツンツンしすぎだ。

 デレてくれないと心が折れちゃうのよ?

 もう折れかけてるけど……。


「ローズも、サラがまだ飛べないことは知っているだろう?」

「そう聞いています」

「あの子は高いところが苦手でな。あたしの肩の高さでも、怖いという。いや、実際口に出して素直に弱音は吐かないが」


 そう言ってヘルミーネは実際に俺を肩の上に乗せると、立ち上がった。

 正確な高さは分からないが、だいたい七、八リーギスくらいか。

 普通に怖い。


「翼人たちは普通、七歳くらいで飛べるようになるという。早い子だと五歳くらいかららしい」

「あ、そうなんですか」


 そんな常識、初耳だ。

 

「うん、そしてサラはこの前、七歳になった。まだ焦る必要はないのに、あの子は飛べないことをとても気にしているんだ。半年ほど前から、ここであたしとセイディと一緒に練習しているんだが……ローズが来てから、サラはとても焦っているように思う」

「私が、来てから……」 

「きっと、サラはローズに格好悪いところを見せたくないんだ。練習していることを、サラはリゼットにも秘密にしている」


 ヘルミーネは壊れ物でも扱うように、慎重に巨大コップをテーブルに置いた。

 ちなみに彼女は現在四十一歳らしい。

 

「だから、サラはローズのことを嫌ってはいないはずだ。チェルシーのことだって、本当はもう分かっているはずなんだ。ただ、あの子は……なんというか、少しだけ意地っ張りで、見栄っ張りなだけなんだ。きっとそのうち、仲良くなれるはずだから、ローズは少し待ってやって欲しい」

「……はい」

 

 待ってやる、か。

 でも、時間は解決して……くれないだろうなぁ。

 そう思ったからこそ、俺は動いたわけだし。

 そして連敗の末、ここにいるわけで。


 しかし、サラが飛べないことを気にしているという話は聞けて良かった。

 そんな素振り、サラは全く見せていなかったからな。でも、飛ぶ飛べないって、要は自転車に乗れるか乗れないかって話みたいなもんだろう。そこまで気にする必要はないように思うんだが。

 まあ、自転車と違って翼人の翼は身体についてるものだし、飛べないと恥ずかしいって感覚は自転車の比じゃないのか……?


「すまない、分かりにくい話だっただろう」

「え? いえ、そんなことありませんけど」


 ヘルミーネは俺を床に下ろしてくれると、やや太めの眉を曇らせた。


「巨人族は他の種族と比べて頭が悪い。あたしくらいで、故郷では天才なんて言われていたほどだ」

「巨人族の故郷って、たしか……カシエ島でしたか」

「あぁ、そうだ。やはりローズは賢いな」


 大きな指の腹で俺の頭を撫でてくるヘルミーネ。

 いま彼女が力を込めれば、俺なんてあっさり圧死するだろうな。

 ……いかん、まだ思考がネガってる。


「べつに私は賢くなんてないですよ……ただ生意気なだけです」

「自らをそう評せるのなら、大丈夫そうか。でもなローズ、これだけは覚えておいて欲しい。誰もが皆、ローズのように賢いわけじゃないんだ」


 ヘルミーネはやけにしみじみとした声で言った。


「あたしは昔、故郷で頭がいいと言われ、調子に乗っていた。それで島を出て、この大陸に来てみたら……あたしの頭は他の種族と比べたら、並以下なのだと知った。むしろ、そこらを歩いている無骨な猟兵と同じくらい馬鹿だった」


 ふむ……井の中の蛙ってやつだな。

 しかし、それがいったいどうしたというんだ?


「あたしは騙されて、奴隷にされてしまった。暴れて逃げようにも、魔法は強力で、下手すれば殺されそうで逃げられなかった。あたしは反省したよ。故郷で幼なじみや大人たちを馬鹿だと侮っていたあたし自身が、馬鹿だったんだ。初めて、下の者の気持ちを知った」

「あの、それで……それがどうかしたんですか?」

「結局、色々あってマリリン様に助けてもらったんだが……うん、つまり、あたしが言いたいのは、サラの気持ちになって考えて欲しいということだ」

「……サラの、気持ち」

「ローズはあたしなんて比べものにならないくらい、賢い。でも、まだ小さい。だから無理はしないでもいいが、できればサラの気持ちを考えてやって欲しい」


 ヘルミーネはそう言って、少し苦々しい笑みを浮かべた。

 あまり美人ではないが、素朴で優しげな顔立ちに浮かんだその笑みは、なぜだか妙に俺の意識に引っかかった。


「さあ、そろそろ戻った方がいい。クレアたちに内緒で来たのだろう? ユーハが帰ってきたら、あたしからローズのことは伝えておく」

「あ、はい、お願いします。それじゃあ、また来ます。話を聞いてくれて、ありがとうございました」


 俺は巨人なオバサンに頭を下げ、地下への階段を下りていく。

 来たときよりも微妙に足取りが軽い。ヘルミーネはオバサンとはいえ――いやだからこそ、独特の温かみと包容力があった。

 テレーズはキツすぎて感じられなかったが、これが熟女の魅力か。


 そんな馬鹿なことを考えられるくらいには、俺の心には余裕ができていた。




 ♀   ♀   ♀




 ヘルミーネ宅からこっそり戻った後、俺はリゼットと一緒に勉強した。


 リゼットはもう俺とサラを無理にくっつけようとはしない。

 俺が頑張っているのもあるが、俺と相対したときのサラを見たくないのだろう。六節前の食堂での一件以来、リゼットは俺とサラのどちらかとだけ遊んだりするようになった。もうサラと仲良くして欲しいとは言ってこないが、寂しそうではある。


 リゼットとお昼寝の時間、俺は眠れなかった。眠たいことには眠たいが、色々考えてしまって寝付けないのだ。

 だからとりあえずバルコニーに出て、ボーッと空を見上げた。空は青く、疎らに浮かぶ雲は白く、日差しは柔らかい。なんだか溜息が出てしまった。


 ヘルミーネはサラの気持ちを考えてやって欲しいと言っていた。

 だが、彼女に言われるまでもなく、俺はずっと考えてきた。

 サラがどうして俺と仲良くしてくれないのか。

 その理由は明白だ。

 あの日、食堂でサラが俺に怒鳴った通り、チェルシーと入れ替わるようにやって来た俺が気に食わないのだ。そして意地っ張りで見栄っ張りらしいサラは飛べないことが恥ずかしく、俺と仲良くなってそれを知られるのが嫌なのだろう。


 ……俺には、どうしようもないか。

 

 まあでも、こんなもんは慣れっこだ。

 前世の俺は例の喜劇的な悲劇後から、クソ兄貴と同じ家に住まいながら一言も会話することなく、互いを空気のように扱って生活していた。

 サラともそんな感じになるだけだ。

 俺は頑張ったんだし、仕方ない。


 そんなことを考えていると、自然と口から声が漏れ出た。


「風の薫りは華やかに その髪を撫でる

 あなたと共に この大地を踏みしめた

 かけがえのない日々が 絆を彩る


 嗚呼 愛しい声が 怒号に紛れても

 言葉より確かに あなたを感じる

 忘れないで 心はいつも側にいるよ

 たとえ遠く離れても 一人じゃないから


 時の流れが蝕もうと 不朽の絆は美しく

 あなたがいるから 死を恐れない

 最後のときまで笑っていよう

 生まれ変わっても きっとまた会えるから」


 レオナは今どうしてるかな。

 同じ空を見上げているのだろうか。

 ……いや、今の俺にレオナを想う資格なんてないか。

 でも、なんだか無性にレオナに会いたい。

 どんな笑みでもいいから、俺に笑いかけて元気を分けて欲しい。


「ローズ」


 そんな感じに諦念を抱きながらボンヤリしていると、不意に声を掛けられた。

 振り返ると、そこにはオバサンというには格好良すぎる竜人がいた。翠緑の双角、鮮やかながら温かみのある橙色の髪は女性らしさを感じさせ、野郎顔負けの体格と清冽な雰囲気は独特の魅力がある。


「あぁ、アルセリアさん。今日はいい天気ですね」

「その歌……どうしたんだ?」


 いつも泰然としているアルセリアだが、珍しく驚いているようだった。同時に訝しんでいるのか、普段はキリッとした柳眉を歪めている。


「ん、これですか? 私の大切な人に教わったんです」

「大切な人……?」

「……私に笑顔を教えてくれた人です」


 少し迷ったが、アルセリアも竜人だし、レオナのことを話してみた。

 それにしても……いかんな、どうにもナーバスになっている。サラとのことに疲れてしまって、気を紛らわせたいのかもしれない。

 

「そうか……竜人と人間の混血か。珍しいな」


 アルセリアは俺の隣で姿勢良く綺麗に立ちながら、顎に手を当てて呟いた。

 某歌劇団の男役みたいな、いちいち絵になる格好良さがある。


「やっぱり、珍しいんですか」

「そうだな。竜人は基本的に他種族との交流を厭う。それに、カーウィ諸島の島々から外の世界へ出る者も少ない。出たとしても、この魔大陸で修行するためくらいだ」


 やはりリタ様の言うとおり、竜人は排他的な傾向にあるらしい。


「でも、アルセリアさんはここでみんなと暮らしてますよね」

「おれは……まあ、色々あってな。一族を抜け出して世界を回っていたんだ。そのときにマリーと出会って、また色々あって、ここにいる」


 アルセリアは目を伏せて微苦笑した。

 色々ありすぎたらしいが、ホントいちいち無駄に様になっている。俺もこんな風になれば、あるいは女の子にモテモテになってサラも振り向いてくれるかもしれない。


「しかし……そうか、奇妙な縁もあったものだな。ローズの歌っていたその歌だが、竜人族なら誰もが知っている民謡だ。おそらく、そのレオナという子も父親から教わったのだろう。エノーメ語に直されているから、少し変な感じはするが……うん、懐かしいな。久しぶりに聴いた」


 遠い目をして空を見上げるアルセリア。

 この感慨深げな雰囲気の中、俺も一緒になって見上げようと思ったが、気になることがあったのでやめた。


「ところで、アルセリアさん。私かリゼットに何か用でもあったんですか?」

「あぁ……いや、なに。たまには二人の寝顔でも見てみようと思ったんだが……ローズは眠れないようだな」


 落ち着きのある静かな声で言いながら、アルセリアは俺に穏やかな眼差しを向けてくる。アルセリアはさすが九十年以上も生きているというべきか、大人だ。見た目は三十路から三十代半ばくらいなのに、ゆったりとした不思議な物腰をしている。

 俺はクレアとセイディには親愛の情を込めて呼び捨てで呼んでいるが、アルセリアは依然としてさん付けだ。美女二人もさん付けしてるし、なんかこの人は呼び捨てにできない風格というか威厳がある。


「やはりサラのことが気掛りか」

「……はい」


 俺は素直に頷いた。

 なぜかアルセリアには変に気を張れなくなる。彼女になら何を言っても動じずに受け入れてくれそうな、そんな懐の深さが感じられるのだ。百年近い時を生きているというし、年の功でカリスマパワーが身についていても不思議ではないだろう。


「クレアたちからも言われたと思うが、サラも悪い子ではないんだ。ただ、なんというのかな……ローズとサラは、少し相性が良くないのだろうな」

「え……?」


 そ、そんな……小悪魔系美幼女(将来超有望)と相性が良くないだなんて……。

 いや、それも当然のことか。

 元クズニートの俺と幼女の相性がいいわけないか。


「もちろん、ローズもサラもどちらも悪くない。人は十人十色、世界には様々な人々がいる。気の合う者がいれば、合わない者だって当然いる」


 アルセリアはその場に片膝を突くと、俺と目線を合わせてきた。

 凪いだ湖面のような瞳が静かにこちらの瞳を見つめてくる。


「だがな、おれたちは家族だ。種族は違うし、血だって繋がっていない。それでもこうして、一つ屋根の下で共に生活している。家族とは互いを認め合い、尊重し合うものだ」


 認め合い、尊重し合う。

 前世の俺とクソ兄貴はそんなこと欠片もしていなかった。

 互いの存在すら認めず、相手をいないものとして扱うようになった。


「ローズは、サラのことが嫌いか?」

「……いえ、そんなことありません。仲良くしたいです」

「そうか、ありがとう。ならば、もう少しだけ待ってやってくれないか。今回の件、どちらも悪くはないが……どちらかといえば、サラの方に問題がある」


 サラは俺を嫌っている。

 その理由なんて今更だ。

 でも、なぜだろうか……サラの方に問題があると言ったアルセリアの言葉が妙に引っかかった。ヘルミーネと話したときにも覚えた違和感だ。


「あの、どうしてサラの方に問題があるって言えるんですか?」

「ん、それは……」


 アルセリアは困ったように微笑んだ。そして目を伏せて逡巡するような仕草を見せた後、彼女はおもむろに俺を肩車してきた。

 一気に視点が高くなり、少し怖くなる。思わず角を掴んでバランスをとった。


「ローズは今、高いところにいる。まだ四歳という年齢に不釣り合いな高さだ」

「……まあ、成長してもここまで高くはなれないと思いますけどね」

「ふふ、分からないぞ?」

「あの……ところで、どうして急に肩車を?」


 前もいきなりしてきたし、アルセリアは肩車が好きなんかね。

 まあ、俺としても嫌じゃないから、べつにいいんだけどさ。


「……目に見える視点というものは、はっきりと違いが分かるだろう」


 アルセリアはそっと一息吐くと、しみじみとした声で言った。


「背の低い者の視点が知りたければ、しゃがめばいい。背が高い者の視点が知りたければ、こうして誰かに抱えてもらえばいい。だが、目に見えない視点の違いを理解するのは、難しい」

「…………えーと?」

「さすがに抽象的すぎたか。とはいえ、やはりおれの口からはっきりと言うわけにはいかない。サラは頑張っているのだから、その努力を裏切ることはできない」


 優しい声でそう締めくくって、アルセリアは俺を床に下ろした。そして頭を撫でてきながら、やるせなさそうな、なんとも言えない笑みを覗かせ、呟きを溢す。


「ローズも辛いだろうが、サラは……姉は姉で、大変なんだ」

「――――」


 唐突に、頭を真後ろからブン殴られた気がした。

 全身に衝撃が響き渡り、息もできずに立ち尽くしてしまう。


「さあ、いつもこの時間は昼寝しているのだろう? 眠れなくても、ベッドで横になっているといい」

 

 俺の身体をお姫様抱っこして、アルセリアはベッドまで運んでくれた。

 だが俺はお礼も言えず、部屋から去る彼女を見送ってしまう。

 頭が真っ白になっていた。

 

 それから俺はベッドで仰向けになりながら、呆然と天井を見上げていた。




 ♀   ♀   ♀




 攻略しようと決める前から、既に結果は明らかだったのだ。


 この館に来てからしばらく、俺はリゼットの心療に意識を割くあまり、サラのことをほとんど気に掛けてこなかった。だから深く考えもせず、自らの知能を隠そうとしなかった。その方が気を張らずに済んで楽だったし、婆さんから色々と情報を聞き出すにはそうするしかなかったからだ。

 しかし、俺という超幼女級の幼女が存在することで周囲に与える影響を、俺はきちんと考慮していなかった。


 チェルシーという家族と入れ替わるようにしてやって来た、一人の幼女。実際にあの一件を経験していないサラにとっては、思うところが多々あったはずだ。

 しかし、それだけなら、まだなんとかなったのだろう。周りの大人な女性たちの意見を聞いた今なら、そう思える。

 

 サラは俺より三つ年上だ。そんなサラより、俺は魔法も勉強も秀でているし、大抵のことは一人でもできる。

 この状況がもたらす結果を、俺ならば予想できたはずだった。


 前世において、ガキの頃の俺は誰からも責められないようにすることに腐心していたため、なかなかに優秀な子供だった。反面、あのクソったれな兄貴は勉強も運動も並以下の奴だった。四つも年下の俺の方が周囲から褒められてばかりいることに、鬱憤が溜まっていたのだろう。

 俺が優秀であろうとしていたのは、あのクソ兄貴の癇癪が原因なのだが、奴自身はもとより、まだガキだった俺もそんなことは自覚できていなかった。

 奴は日々、怒りという感情を好き勝手に爆発させ、俺はそれに怯えて良い子であろうと努力し、それで更に奴が怒り出す。そんな悪循環の果て、俺はクソ兄貴の異常性にあてられて人間を人間と思わなくなり、紆余曲折の末に破滅した。


 そうした経験が俺にはあった。

 にもかかわらず、俺はサラのことを考えて行動していなかった。

 ……いや、少し違うか。

 超幼女級の力によってセイディとリゼットを助けた時点で、俺がサラと出会うフラグが立つと同時、仲良くなれるフラグが折れていたのだ。

 なんて理不尽。これはもう無理ゲーというよりバグゲーだ。

 

 もし俺がギャルゲかエロゲの主人公だったら、ここで一発逆転できる素晴らしい行動を起こせるだろう。あるいは何か超絶ラッキーなご都合主義的イベントが発生し、ヒロインとの確執を解消してイチャラブできるだろう。

 でも俺は主人公じゃないし、これは現実だ。


 ……そう、現実なのだ。


 これはゲームなんかでは断じてない。決められたルートなど存在しない。

 俺もサラも生きているし、それぞれの意志次第で物事は如何様にも変化する可能性を秘めている。

 それが現実だ。


 前世において、俺は自らをクズニートだと割り切り、この人生は無理ゲーなのだと、そう思っていた。

 俺はもう、かつての俺じゃない。安易に諦めて、もういいやと投げ出して、互いを空気のように扱う関係になど、なりたくないのだ。


 それに、希望だってある。

 サラは勉強や魔法の練習ばかりしている。リゼットやクレア曰く、以前は今ほどではなかったという。

 それが意味するところはただ一つ。

 良くも悪くも、サラは俺を強く意識しているのだ。サラもサラなりに、俺を受け入れようと努力している……はずだ。


 しかし、きっとそのうち、サラは割り切るだろう。

 もう俺のことを気にするのに疲れ、空気同然に思うようになるかもしれない。

 だから、何か行動を起こすのなら、今しかない。どうにかして、サラに俺という存在を受け入れてもらうのだ。サラは苦悩して頑張っているのに、俺はただ待っているだけだなんて、傲慢であり怠慢だ。

 自分から動かなければ、現実は変えられない。


 まだだ……まだ終わらんよ。

 正直怖いけど、なんとかやってみるしかない。




 ♀   ♀   ♀




 アレコレ考えた後、とりあえず昼寝した。

 思い立ったが吉日とは言うものの、一度少し冷静になった方がいいと思ったのだ。サラが俺を厭う本当の理由が分かったおかげか、勇ましく決心したおかげか、あるいはその両方か。

 とにかく俺は熟睡して、久々に気分爽快な目覚めを味わった。

 

「……ん、ぅ、ローズ」


 ちょうどリゼットも目が覚めたのか、寝ぼけ眼で俺に抱きついてくる。

 サラとは対照的に、リゼットの俺への好感度はマックスだ。


「リゼット、そろそろ起きましょうか」

「ぅん……」


 一緒にベッドを下り、部屋を出て、手を繋ぎながら廊下を歩いて行く。

 ひとまずは厨房に行って、搾りたてのフルーツジュースでも作って飲もう。

 そう思って吹き抜けとなったホールの階段前まで来ると、クレアにアルセリア、それに婆さんが階段下のホール中央で何やら話をしていた。

 こんな場所でどうかしたのだろうか……と思いつつ、階段を下りようとしたとき、急にバンッと音がした。まだ寝ぼけていたリゼットはビクッと身体を強張らせながら耳と尻尾をピンと立てる。


「――ぁ」


 サラだった。

 今し方、勢い良く正面玄関の扉を開け放ったのは彼女で、その後ろにいるセイディと共にホールに入ってくる。

 二人とも異様だった。サラもセイディも髪はボサボサで、服も乱れている。だが顔色は至って良好であり、なぜだか興奮醒めやらぬ様子で、ずんずん歩いている。


「ローズ!」


 ふとサラと目が合ったと思ったら、大声で俺の名をホールに響かせた。

 隣のリゼットは手を強く握り返してきて、俺の後ろに半身を隠す。

 サラは続けて口を開き、「……っ、ぅ……」と何度か躊躇う素振りを見せるが、それも僅か数瞬のことだ。


「ああぁぁああぁあぁぁあぁあぁぁぁもうっ!」


 いきなり叫んだ。

 俺やクレアたちの視線など気にした風もなく、サラは顔を俯け、背中を曲げて、思い切り声を絞り出す。

 俺も、リゼットも、クレアも、アルセリアも、マリリンも、唖然としていた。

 しかしセイディだけは優しい眼差しでサラを見守っている。


「ローズ!」


 叫びの残響が消える間もおかず、再びサラは俺の名を呼び、告げてきた。


「ただいまっ!」

「……………………え?」


 何を言われたのか、よく分からなかった。


「外から帰ってきたらっ、ただいまって言うの! それで家族はおかえりって返すのよっ!」

「ぇ、あ……おかえり、なさい……?」

「ええっ、ただいまローズ!」

「お、おかえり……サラ」


 呆然としながらも言葉を返す。

 サラはまたもや何か躊躇いがちに口ごもり始めるも、今度はギュッと胸に手を当てつつ全身を強張らせた。


「あ……その……ひ、ひどいこと、言って……ご、ごめんなさい……」


 囁くように小さな声だった。

 だが、しんと静まり返っていたおかげで、なんとか聞き取れた。


「…………サラ」


 何が何だか分からず、俺は彼女の名を呼んだ。

 すると金髪褐色の可愛らしい美幼女は顔を赤くした。淡い褐色肌でも尚、紅潮していると分かるほど真っ赤になり、叫んだ。


「だ、だから、えっと……い、一緒に遊んだりっ、勉強したりっ、お茶したりっ、お風呂入ったり、寝たり起きたりしてもいいって言ってるの!」

「――――」

「ローズはわたしとしたいの!? したくないの!? どっちっ!?」

「し、したい……です」

「よく聞こえないわ!」

「ぃ、一緒にしたいですっ!」

「じゃあするわよっ!」


 何が起きているのか、よく分からなかった。

 なぜこんな展開になっているのか、意味不明だった。

 しかし、今はそんなことどうでもいい。

 サラが俺の名前を呼んでくれた。

 これまで一度も呼んでくれなかった俺の名前を、呼んでくれた。


 これは現実だ。

 何か超絶ラッキーなご都合主義的イベントが発生し、ヒロインとの確執を解消してイチャラブできるだろうギャルゲやエロゲではない。

 この世界で意志を持ち、生きているのは俺一人だけではないのだ。それぞれがそれぞれの意志のもとに行動を起こしていて、世界は常に廻り続けている。


 きっと、何かがあった。

 俺の与り知らぬところで何かが起こり、サラの心が少しだけ変わったのだ。

 当然、気になるが、今はいい。

 そんな疑問は後回しだ。


 俺は無性に嬉しかった。

 なんとかしようと思った矢先になんとかなって、少し肩すかしを食らってはいる。でも、そんなのは些事だ。


「サラねえぇぇぇえええぇぇっ!」


 リゼットが俺の手を掴んだまま、階段を駆け下りる。

 俺は不意打ちなその行動に引きずられ、サラのもとへ近づいていく。


 前を行く幼狐の尻尾はブンブンと音がする勢いで左右に振られている。

 クレアはセイディに抱きつかれている。

 アルセリアと婆さんは俺たちを見て微笑みを浮かべている。


 たぶん俺も笑顔なのだろう。

 サラも笑っている。

 彼女の笑顔はとても自然で、優しげで、見惚れるほど可愛らしかった。


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