第三十七話 『幼女理論とその周辺』
俺が館に残ることを、クレアと婆さんは即座に歓迎してくれた。
やや影のある微笑みを見せながらだったのは……仕方がない。
「ローズよ、ここで生活するということは、お前さんも《黎明の調べ》の一員になるということじゃ。つまり、あたしらの家族になるのじゃ。これからは何も遠慮することはないからの」
そう言って、婆さんは俺の頭を撫でた。
家族。
本来ならばラヴィとなるはずだったものだ。
……レオナの件同様、やはり罪悪感は残る。
「かぞくっ、ローズもかぞく! サラねえたちにもおしえにいこーっ!」
「そうじゃな。クレア、皆を食堂に集めてくれるか。あたしとローズはユーハに話をしてくる」
「はい」
泣き止んだリゼットはすっかり元気になった。俺の手を握って放さず、涙の跡の残る顔に笑みを咲かせている。
ちなみに、幼狐の放出した黄金水は婆さんがあっという間に蒸発させた。俺たちの下半身も一旦水魔法で洗い流された後、熱風で乾かされた。奴隷刻印を消したとき同様、一度も詠唱はしていなかった。
俺と婆さん、そして引っ付いて離れないリゼットの三人で転移部屋に入り、転移した。地下から女巨人ヘルミーネの家に出ると、オッサンは広々とした家の隅に一人ポツンと座っていた。片膝を立てて刀を抱え、目を閉じている。
俺たちが近づいていくと、目蓋と顔を上げた。相変わらずの鬱顔だが、昨日よりは僅かにマシ……に見えるのは気のせいか。
「……うむ、そうであるか」
話を聞いたオッサンは小さく頷き、呻くような声を返した。
なんか急に鬱度が増したように見える。
「してユーハ、お主はこれからどうするつもりじゃ? 本来、この地には魔物と戦って死ぬために来たと言っておったが、よもや死ぬ気ではあるまいな?」
「…………分からぬ。昨日一日、ローズと共に行動したことで、安易に死ぬべきではないのかもしれぬと……そう思いはした。しかし……」
ユーハはそれより先を口にせず、負のオーラを撒き散らしながら面を伏せる。
やはり一日ぽっちでどうにかなるほど、オッサンの鬱は軽いものではないらしい。
「ふむ……ならばユーハよ。お主、ヘルミーネと共に我らの護衛をせぬか?」
「……護衛、であるか?」
「《黎明の調べ》は古くから《黄昏の調べ》の連中に狙われておる。昨日のようなことは、ここザオク大陸では最近とんと起きておらなんだが……今後も、ああいったことが起こる可能性はある」
婆さんはそう言って、巨大な椅子に座る女巨人ヘルミーネを見上げた。
ヘルミーネは俺たちを黙って見下ろしている。その眼差しは泰然としており、どっしりと落ち着いていた。
「彼女は魔女ではないが、あたしらの護衛をしてくれておる。ヘルミーネの他にも協力者はおるが、お主のような精強な剣士はおらぬ。どうじゃ? 日々の寝食は保証するし、一節に一度は酒場で夜を明かせる程度の給金も出そう。引き受けてくれぬか?」
「…………相分かった。その話、引き受けさせて頂く」
ユーハは数秒ほど逡巡した素振りを見せたが、意外と呆気なく頷いた。
婆さんが顔の皺を少しだけ深くすると、端から俺と一緒に話を聞いていたリゼットが小首を傾げた。
「ユーハもミーネとおんなじになるの?」
「そうじゃよ。ユーハ、詳しい話はまた後でしにくる。今日はヘルミーネから色々話を聞いておいておくれ」
「うむ、承知した……」
オッサンとの話が纏まったとみるや、リゼットが俺の袖を引っ張ってきた。
「ねえローズ、おばーちゃん、はやくもどろ! みんなまってるよっ」
「あぁ、そうじゃな。ではヘルミーネ、後は任せる」
「分かった」
ヘルミーネの首肯を尻目に、俺たちは踵を返す。
が、俺は思わず立ち止まって、ユーハを見た。
「ユーハさん」
「……ん、どうかしたか、ローズ」
「その、すみません。昨日から、私の自分勝手に、ユーハさんを振り回してばかりで……」
「ふむ……」
ユーハは暗い穴のような左目でじっと俺を見つめてきた後、隣のリゼットに視線を移す。リゼットは「どーしたの?」と言いながら俺とオッサンの二人を見比べている。
「……ローズ、そなたは賢い」
「それは……それが、どうかしましたか……?」
「誰かを助けるのに理由はいらぬ。そう某に教えてくれたのは、他ならぬそなただ……此度の一連の件に、謝罪も申し開きも不要である。某は某の、そなたはそなたの、為すべきことを為したのだ」
そう言って、ユーハは俺とリゼットを見ながら、微かな笑みを浮かべた。それはとても自然な、でも微妙に苦々しさのある笑顔だ。
分かっている……と、そう言外に言われた気がした。
俺はそんなオッサンの表情に、なんだか少しだけ心が軽くなった。
♀ ♀ ♀
俺たちは転移して地下から一階に戻り、そのまま食堂に向かった。
クレアは既に他の住人たちを集めており、婆さんが俺を紹介する。
「ローズです。たぶん……四歳です。よろしくお願いします」
「この歳で、ローズも辛いことを経験しておる。皆、仲良くしてやってくれ」
婆さんは俺の事情を説明した後、そう言って全員を見回した。
全員といっても、婆さんと俺を含めても七人だけだ。
食堂のテーブルは長く、長辺は優に十リーギス以上ある。婆さんは一人だけ短辺というか上座に座り、他の六人は向かい合うように席に着いている。
「では、まずは全員で自己紹介じゃ。あたしは……もう分かっておると思うが、名前はマリリンじゃ。呼び方は好きにして良い」
と言って、婆さんは次に竜人のオバサンに目を向けた。
「おれはアルセリア。ローズとは昨日少し話したな。これからは共に暮らす仲だ、何か困ったことがあれば遠慮無く言ってくれ。よろしく頼む」
クール系竜人オバサンことアルセリアは微笑と共に軽く目礼した。
なんだろう……男の俺から見てもやけに格好良い。
アルセリアは三十路から三十代半ばほどの、そこそこ美人なオバサン(ぎりぎりお姉さん)だ。両のこめかみの上辺りから生えた翠緑の角は、やや斜め後ろに向かって勇ましく伸びている。座っていても長身なのが分かり、昨日見た感じでは百八十レンテくらいあったはずだ。温かみのある橙色のショートヘアと凛々しくも優しげな眼差しが印象的だ。
「次は私で良いのかしら。今更だけれど、クレアよ。よろしくね」
竜人オバサンの次は黒髪美女が挨拶してくれた。
巨乳なクレアは一見すると蠱惑的な美女だが、やはり昨日に引き続いて表情には影が差している。そのせいで、未亡人めいたアンニュイな雰囲気を醸し出しており、妙にエロティックだ。しかし、長い黒髪には昨日より一層艶がなかった。
「年齢順なら、次はアタシね。名前はセイディ……っていうのはもう知ってるわよね? 昨日はありがとうね、ローズちゃん。ちなみに、翼はマリリン様にちゃんと治してもらったから、心配しないでね」
美天使ことセイディは朗らかにそう言うが、俺の目には無理しているのが丸わかりだった。
セイディは白翼と貧乳が特徴的な、クレアに負けず劣らずな美女である。エメラルドブルーの髪は涼しげな海辺のようで、爽やかな夏を思わせる。背中の双翼は確かに傷痕すらなく左右対称になっていて、もはや痛々しさの欠片もない。
「次はサラの番ね」
「…………」
セイディは隣席のデビル可愛い美幼女に声を掛けるが、反応がなかった。
「サラ、一言でいいから、ローズちゃんによろしくって挨拶しよ?」
セイディが更に促すと、デビルな幼女ことサラはガタッと椅子を蹴って立ち上がった。そこで、ふと彼女と目が合う。
サラは俺を睨み付けるように見ていた。まるで親の敵を前にしたように目元を険しく引き締めている。綺麗な小麦色の肌とセミロングな金髪はエキゾチックで、そんな美幼女から鋭い眼差しを向けられ、俺は少々たじろいでしまう。
「……そこ、チェルシーの席」
ほんの一瞬とはいえ、痛いほどの沈黙が漂うのを俺は感じ取った。
悲嘆と敵意の籠もった声でそう呟きを溢すや否や、小悪魔は背中の紫翼を向け、走り出してしまう。
「サラッ」
セイディが腰を浮かせて引き留めようとするが、
「……良い、セイディ」
婆さんは鷹揚に彼女を引き留め、重々しく頷いた。
「あの子も色々と思うところがあるのじゃろう。少しだけそっとしておいてやれば良い」
「はい……」
「ローズ、すまぬな」
謝られても困る。
あの小悪魔系幼女が俺を睨んでいた理由はなんとなく察せられる。リゼットと対照的に、彼女にとって俺という存在はよろしくないのかもしれない。
だが、もう今更あとには引けない。
「リゼットも、一応改めて挨拶しておこうかの?」
婆さんが幼狐に話しかける。
しかし、当のリゼットは少し暗い顔をしていた。
「ねえ、おばーちゃん。チェルシー……もーほんとーにかえってこないの? もーずっとあえないままなの?」
「……そうじゃな」
「ほんとーのほんとーに? どんなにがんばっても、あえないのっ?」
「うむ、残念ながらな。じゃが、チェルシーは何も悪くない。どうかそれだけは分かってやっておくれ」
「うん……」
それから、リゼットは口を閉ざしてしまった。
俺への挨拶をするという話もお流れになってしまい、この場はそれで解散となった。
♀ ♀ ♀
その後、俺は館内を案内された。
セイディはサラと、クレアはリゼットと一緒にいてやるようだったので、俺を構ってくれるのは竜人オバサンのアルセリアとなった。
俺はアルセリアに連れられて、広々とした廊下を歩いて行く。
まずは一階からだ。
食堂や厨房から始まり、立派な暖炉のある談話室やトイレに倉庫、中庭、食料庫や書庫にまで案内される。風呂場まであって、前世の家風呂など比較にならないほどデカい湯船だった。どこの銭湯だよ。
ついでに裏口から裏庭に出ると、そこには様々な野菜が植えられた菜園が広がっていた。結構広く、館内面積の二倍はありそうだ。涼風亭など比較にもならんな。
「昨日も思いましたけど、かなり広いですね」
「そうだな。昔は多くの魔女が住んでいたそうだからな」
昔は、ね。
今は俺を含めて七人だけだ。
一階だけでも前世の一軒家が何軒も建つほど広い。談話室はたぶん百畳以上あったし、館全体では……その十倍くらいはあるだろう。これだけの家(しかも二階建て)に七人暮らしとか不釣り合いすぎる。
館の名前はリュースの館というらしい。名前の由来はリュースの森と呼ばれる場所にあるからだそうだ。実に単調である。
この森は湖畔の町ディーカから南東に行ったところに大きく広がるクラジス山脈という山地の奥深くにあり、まず人は立ち入らない――というか立ち入れない秘境なんだとか。館の周囲一帯は基本的に魔物もいないグリーンゾーンとでもいうべき穴場だが、たまに迷い込んでくることはあるそうなので、一人で館外に出てはいけないと釘を刺されている。
「ところで、お風呂には毎日入るんですか?」
「そうだな。風呂を入れるのは少々手間だが、時間はあるからな」
ほう、それはそれは結構なことで。
この世界で新生してからというもの、俺は湯船に浸かった経験がない。身体は良く拭いていたが、水浴びは数日に一度だった。これからは清潔な日々が期待できるな。
「もしかして、みんなで入るんですか?」
「クレアやリゼットたちは良く一緒に入っているな。おれは一人のときもあれば、皆と一緒に入るときもある。色々だ」
黒髪美女と美天使と一緒にバスタイムとか……
い、いかん、鎮まれ俺のパッション。
今この館は家族を亡くしたばかりでお通夜ムードが漂っている。俺一人だけはしゃいでいては不謹慎だろう。
でも、男の子なんだもん。ちょっとくらいは仕方ないよね。
俺たちは風呂場を後にして、二階へと移動する。
一階は主に共有スペースで、二階が各人の個室となっていた。ただ、婆さんだけは一階書庫の隣にある部屋を私室としているらしい。俺が初めて婆さんと会ったあの部屋だ。
「さて、ローズの部屋はここになる」
最後に案内されたのはそこそこ広い一室だ。たぶん二十畳くらいあるが、この館の部屋では普通サイズだ。日当たりも良く、バルコニーまであった。
「もしかして、ここってリゼットの部屋でもあるんですか?」
部屋には誰もいないが、生活感には溢れていた。
「そうだ。それとサラ――先ほど食堂を飛び出していったあの子の部屋でもある。ローズも一人より誰かと一緒の方がいいだろう?」
「そうですね」
一人の方が気楽でいいという思いはあるが、誰かと相部屋というのも新鮮だろう。それに、俺がここに残ると決めたのはリゼットのためだ。
あの幼狐は今、家族を失って精神的に不安定な状態にある。チェルシーという家族のために割いていた心のスペースが、突然空っぽになってしまったのだ。
当然、苦しいだろう。俺という存在を代償にして元気になるのなら、一日でも早くなって欲しい。リゼットとは一緒にいてやるべきだ。
ただ、問題はサラというデビル可愛い幼女だ。
どうにもあの子は俺を受け入れる気がないように見える。まあ、少し考えれば、それも当然というような気がするが。
なにせ俺はチェルシーという、もう二度と帰ってこない家族と入れ替わるようにここへ来た。俺がリゼットやセイディを助けたと聞いていても、子供はこの状況をそう容易く受け入れられないだろう。
もし仮に、ラヴィたちとの道中で突然エリアーヌがいなくなって、全く知らない奴が「これからよろしく」とか言って入ってきたら、俺でも躊躇いや不快感を覚える。なんと説明されようと、理性と感情は所詮別物なのだ。
「ローズ」
ふとアルセリアが改まったような口調で呼び掛けてきた。
「おそらく、しばらくの間は皆、笑顔を見せることが少ないと思う。だが、君は君の思うように行動していい。何も気にすることはない、普通にしていて欲しい。そうしてくれることが、おれたちにしても有り難いことなんだ」
「……はい、分かりました」
「少し抽象的で分かりづらかったか? まあ、とにかくローズは自由にしてくれていい」
アルセリアは落ち着いた様子でそう言うと、唐突に俺を抱き上げてきた。
あれよあれよという間に俺を肩車してしまう。
「角を掴むといい、バランスがとれるだろう」
「あ、あのどうして急に肩車を……?」
「あぁ……すまない、どうしてだろうな。自分でもよく分からないんだが、急にしたくなった。ローズは嫌か?」
「いえ」
俺は答えながらも、翡翠の塊めいたアルセリアの双角を操縦桿のように掴む。
どっかのロックとは安定感が違った。
アルセリアは幼女部屋からバルコニーに出た。青い空は晴れ渡り、まだ中天にも昇っていない太陽が強い日差しを向けてくる。しかし、ここは山地の奥深くにあるせいか、気温自体はそう高くない。夏は過しやすそうだが、冬は少し寒そうだ。
「良い、天気だな……」
アルセリアはどこか呆然とした呟きを漏らした。
彼女は出会った頃からクレアたちより幾分も泰然としていたが、やはりチェルシーのことはショックなのだろう。
しばらくの間、俺はアルセリアに肩車されながら、黙って角を握っていた。
♀ ♀ ♀
とりあえず、明るくいこうと思う。
館の雰囲気は暗く、重い。
だからといって、俺まで暗くなることはないのだ。アルセリアも言っていたことだし、俺は俺らしく普通にしていよう。
もちろん、みんなの様子を気に掛けつつだが。
落胆したり、深刻になったり、憂慮したからといって、何か物事が解決するわけではない。時の流れがどうにかしてくれる場合は多々ある。
クレアたちが家族の死に整理を付けるのも、サラが俺を受け入れてくれるのも、基本的に時間に任せておけばいい。ただ俺が館にいるというだけで、リゼットにとっては意味のあることなのだ……と思うからな。
というわけで、お風呂タイムだ。
今日は俺が来た日だからか、夕食後に全員で風呂ということになった。
裸の付き合いである。
「――――」
もうね、言葉がなかった。
この絶景は千言万語を費やしても言い表せないよ。
誰もが一糸纏わぬ姿なのだ。一部言葉にはしたくないご老体もいるが、この衝撃はやはり言い尽くせぬ感動がある。クレアとかクレアとかクレアとかね、アレはもう反則ですよ。兵器です。即刻、詳細をリサーチせねばなりません。
だというのに、俺の頭を洗ってくれたのは婆さんだった。
マリリンという名前からして、昔は世界的な女優並に美人だったことが窺える顔立ちはしている。してはいるが……せめてあと五十年は早く会いたかったよ……。
「ローズよ、暗い顔をしてどうしたのじゃ? 緊張しておるのか?」
「いえ……まあ、そんなところです。お風呂は初めてなので」
「まあ、普通の家にはこのような風呂場などないからの。じゃが、緊張も遠慮もすることなどない。もっとはしゃいで良いのじゃぞ」
とはいっても、今はリゼットも大人しくしている。暗く沈んでいる訳ではなさそうだが、初めて会ったときに見た天真爛漫さはない。
全員が身体を洗い終えると(俺は婆さんの背中を洗わせられた……)、みんなで湯に浸かる。軽く泳げるサイズの浴槽だが、俺たちは割と固まっている。
今は夏だからか、それとも幼女三人が一緒だからかは不明だが、水温はそれほど高くないので湯気もない。だからクレアやセイディのあられもない姿が見放題だ。
しかし、俺は抗いがたい引力を振り切って、サラに視線を移した。
全身が綺麗な小麦色で、実に健康的な可愛らしさが窺える幼女だ。濡れた金髪は例の魔法具――魔石灯によって照らされ、鮮麗に煌めいている。まだ七歳ほどなので当然身体は未成熟だ。
「…………あ」
サラと目が合ったが、すぐに逸らされた。
嫌悪感丸出しのその仕草には、さすがの俺も少し凹むよ……。
クレアやセイディはポツポツ俺に話しかけてくるが、みんなあまり盛り上がってはいない。あるいは、今の時期はそれでいいのかもしれない。みんな(ただし俺以外)で悲しみを共有し、乗り越えていくのだ。
だが、俺はこの好機を逃したくはなかった。
風呂場は人を心身共に裸にさせる。
ひとまず、割と気になっていることをみんなに訊ねてみることにした。
「あの、皆さんっておいくつなんですか?」
俺の問いにまず反応したのは婆さんだった。
いや、まあ……俺は美味しいものは後派だから、いいんだけどさ。
「あたしは七十九だの」
おおう、意外とかなりの婆さんだった。
まだ六十代かと思ってたんだが……八十手前にはとても見えんな。
「おれは九十一だ」
「――え?」
思わず間の抜けた声を漏らすと、アルセリアは小さく苦笑した。
「竜人は他の種族と違って長生きだからな。おれの歳は人間で言うと……だいたい三十代ほどか」
そういえば竜人って長命種だったな。
すっかり忘れてたわ。
あれ、でもそうなるとハーフのレオナってどうなるんだ?
もし長生きするんなら、成長速度も遅くなるだろう。俺と出会ったときには四歳らしい見た目だったから、人間と変わらない……のか?
にしても、アルセリアは良い身体をしている。健康的な意味でね。全体的に筋肉質でクレアやセイディよりも体格は良く、四肢や腹筋はかなり引き締まっている。
まあ、胸は平均的だけどね。
「私は二十二歳よ」
ふむ、クレアはラヴィの一個下か。
なのにエロティックすぎるダイナマイトボディとか……クレアの兵器は目を見張るほどビッグでデンジャラスなのに、そこに下品さは一切ない。
エリアーヌの均整のとれた身体は芸術的な美しさがあったが、クレアのボンッキュッボンな身体は芸術的というより蠱惑的かつ破壊的だ。対理性用決戦兵器として野郎相手に用いれば無敵だろう。
い、いかん、逸るなマイハンド……まだ時期じゃない。あの兵器をリサーチするチャンスはこれからいくらでもあるはずだ。
それにしても、アレもうプカプカと湯に浮いちゃってるよ。
実は兵器じゃなくて浮乳双島だったのか。
「アタシは二十歳ね」
セイディはエリアーヌと同い年なのね。
なのにその平地……あれはもうちっぱいとか、そういうレベルすら超越してい……や、いやいや、違う! 貧乳はステータスだ、希少価値だっ!
七十二とか至高の数字だと思います。
「ほら、サラもローズに教えてあげて」
「…………ふんっ」
セイディの隣に座っていた小悪魔系幼女は俺を睨み付けたかと思うと、小さく鼻を鳴らして天使の後ろに隠れた。
「サラ、昨日教えたとおり、ローズちゃんはアタシとリゼットを助けてくれたのよ? 悪い子じゃないし、もう家族なんだから」
「新しい家族なんて、いらない」
サラは素っ気なくも哀しげな声音で、でも勝ち気な口調でそう言った。
セイディは困り顔で何事かを口にしようとするも、それを押しとどめるように、婆さんが先に口を開いた。
「リゼットもローズに教えておやり」
「うん、あたしはね、よっつだよ。ローズとおんなじだねっ」
リゼットは言いながら、俺の手を握ってきた。
のみならず、身体を密着させてくる。
この年頃の子ってのは人にくっつきたがるのだろうか。
しかし……うーむ、リゼットには全く興奮しないな。四歳という年齢のせいもあるが、なんか早くも俺の中では妹や娘のような存在として認識されているのだ。
前世ではリアル妹を熱望していたので、これはこれで最高に嬉しいが。
「ローズちゃん、サラは今度七歳になるの。仲良くしてあげてね」
「はい、もちろんです」
本人の代わりにセイディがよろしく言ってきた。
サラはやはり俺が気に入らないらしいが……今は無理に接触しない方がいいだろうな。
「そういえば、ローズちゃんの適性属性って何かしら? あ、適性属性のことは……知っているかしら?」
「知ってます。私は無属性です」
グラマー姉さんから訊ねられたので、白薔薇たる俺は堂々と答えた。
するとクレアはやや目を見張り、更に問うてくる。
「でも、風魔法も土魔法も治癒魔法も、詠唱しないで使えるのよね?」
「はい、練習しましたからね」
「練習って……」
なんかリゼット以外の全員から珍獣でも見るような眼差しを向けられる。
そんなに見つめちゃいやよ。
「そ、そういえば、リゼットの適性属性は何なんですか?」
「あたしはひだよ!」
「ほう、火ですか」
いいなぁ、こんちくしょう……火とか主人公属性だろ?
無属性はなぁ、器用貧乏なんだぞぉ!
「それじゃあ、どのくらいまで使えますか? 中級? それとも上級ですか?」
「あたし、まだいっこしかつかえないよ。このまえおぼえたばっかりなのっ」
「…………え?」
呆然とした声を漏らしてしまってから、俺は気が付いた。
もしかしたら、リゼットには才能がないのかもしれない。
ルイクたちは俺を中のやや上くらいと評していた。その程度の才能で、一年弱の期間を真面目に勉強して、なんとか特級魔法を使えるほどにはなっている。
リゼットは俺と同い年のはずだ。精神年齢の差で生じる学習効率を考慮しても、彼女はまだ適性属性の初級魔法を一つだけしか使えないという。
……まさか地雷踏んだか?
「ローズよ、昨日も言ったと思うが、お前さんは天才なのじゃ。普通、魔女で四歳なら、初級魔法を使えるだけでも十分才能ある方なんじゃが」
「……な……んだ、と……?」
そんな馬鹿な。
初級魔法を使えるだけで、十分だと?
だ、だって、ルイクはいい奴だったんだぞ?
俺の練習にも嫌な顔一つせず付き合ってくれた奴なんだぞ?
ルイク嘘吐かない。
「ローズは風と土と治癒の上級魔法を使えると、セイディから聞いておる。他の属性も上級まで詠唱もなく使えるのかの?」
「……は、はい、基本魔法なら。あ、でも水属性は特級まで使えます。詠唱省略はまだできてませんけど……」
「なるほどの……こりゃ将来はあたし以上の魔女になるの」
婆さんは冷静に頷いているが、クレアたちは口を半開にして見つめてくるだけだ。リゼットはよく分かっていないのか、普通だが。
「ローズ、お前さんは魔女としてこの上ない才に恵まれておる。じゃが、まだまだ未熟じゃ。ここでは魔法だけに限らず、様々な勉強や訓練もしておる。リゼットやサラと共に、きちんと勉強して頑張るのじゃぞ」
「……はい」
婆さんは俺を褒めつつも、未熟だと断じてくる。
べつにそれはいい。俺は未熟だ。そんなこと誰よりも一番よく分かっている。
しかし……俺が天才。
いやいやいや、そんなまさかね。
「あの、ところでサラさんはどの程度魔法を使えるんでしょう?」
「…………」
サラは瞳どころか顔ごと逸らして俺を無視する。
美幼女にそんな反応されたら、僕ちゃん本気で傷ついちゃうよ……?
「サラは適性属性なら中級まで使えるわね。それ以外は下級か初級。これでもリーゼと同じくらい才能あるのよ」
代わりにセイディが答えてくれた。
さすが天使様、お優しい。
「詠唱省略は?」
「できないわよ、アタシもできないし。マリリン様はともかく、お姉様は適性属性のならできるけどね」
ばんなそかな……七歳児で中級魔法だと?
サラは相当才能あるらしいリゼットと同格らしいのに。
…………え、あれ? おいおい……まさか。
まさか俺って、実はマジモンの天才なんじゃね?
「私は異常ですか……?」
「異常というと悪く聞こえるが、図抜けてはおる。魔法力だけならば、もはや並の魔法士を凌駕しておるようだしの」
「――――」
どうやら、俺はマジで才能があるっぽい。
ふむ、なるほど……これが童貞力三十の力というわけか。
魔法使いになれるという都市伝説は事実だったらしい。
転生したらという条件付きだが。
天才。
自分がそんな風に言われる日が来ようとは夢にも思っていなかった。
当然、嬉しくはあるが、同時に恐ろしくもある。
なにせ分不相応な評価なのだ。俺は自分が凡人だと言われていた方が安心できる小心者なのだ。だって、調子に乗りそうで怖いからな。
まあ……うん。
婆さんは天才とか言っているが、それは俺が転生者だからだろう。
つまりチートだ。たぶん前世で魔法使いになったから、その効果が転生ボーナスにでもなっているのだ。うん、そうに違いない、そう思うことにしよう。
だから、驕ってはいけない。調子に乗ってはいけない。
これは俺が努力して手に入れた力ではないのだ。いや、もちろん魔法の練習は頑張ったけど、十分な下地があったことも事実だ。今は記憶力が抜群だし、前世で三十年という歳月を生きた経験があるのだから、物事の習熟速度が速いのは当たり前だ。
俺は常に、更なる高みを目指し続けなければいけない。
諦めたらそこで人生終了ですからね。センター試験の数日前でも当たり前のようにエロゲをやるようなクズには、もうなりたくないのだ。
謙虚にいこう、謙虚に。
「魔法はともかく、ローズはまだ人としては半人前以下じゃ。魔法以外にも語学や算学、歴史など学ぶべきことは多い。サボらずきちんとやっていくのじゃぞ」
婆さんはそう言うが、俺は元から計算はできるし、この世界の読み書きも歴史もある程度は頭に入っている。
まあ、今この場でこれ以上はなにも言わないが。
そんな感じに、女だらけのお風呂タイムは過ぎていった。
♀ ♀ ♀
その日の夜、俺たちは一緒に寝ることになった。
といっても、アルセリアとマリリン婆さんは別だ。お姉さん二人と幼女三人で、幼女部屋にあるふかふかのキングサイズベッドに横たわる。
「狭いわ」
小悪魔系幼女が刺々しい口調で呟きを溢す。
その声が誰に向けられたものなのかは、あまり考えたくない。
「十分余裕あるでしょ。それにローズちゃんはチェルシーよりずっと小さ――ぁ」
「もう寝ましょうか。ローズちゃんも、今日は新しいことばかりで疲れたでしょう?」
「え、えぇ、そうですね」
セイディの口が滑ったせいで、なんだか微妙な雰囲気が漂い始めたが、クレアは自然に流した。
リゼットはもう意識が半分飛んでいるのか、今のやり取りに反応を示すことはなかった。他方、サラはきゅっと顔をしかめると、俯せになって枕に顔を埋めた。
ちなみに配置としては中心にリゼット、その左右に俺とサラ、そして外側にクレアとセイディが横になっている。俺は右手に幼狐、左手に黒髪巨乳美女という両手に花状態だ。
「ん、サラねえ……」
そろそろ意識が落ちそうなリゼットがサラの手を握った。サラは俺たち――というか俺に背を向けて、後ろ手にリゼットの手を握り返しながら、枕の代わりにセイディの胸に顔を埋める。天使の胸の柔らかさは枕に劣るはずだが、そんなことは関係ないのだろう。この世で最高に心地よく安心できるのは人の温もりだ。
俺はそれをリタ様に教えてもらった。
「ローズ……」
今度は俺の手を握ってくるリゼット。
俺ももちろん握り返してやるが……背中は向けない。本当はクレアの所有する凶悪なブツの調査をしたいが、今の俺がすべきことはそんなことじゃない。
何のために、俺はこの館に残ることにしたのか。これからしばらく、俺の優先順位は常にリゼットが最上位でなければならない。そうでなければ、レオナとラヴィとの約束を見送った意味がない。
いや……もちろん誘惑は凄いよ?
だってさ、真横に巨乳でエロティックな黒髪ロングのお姉さんがネグリジェ姿で寝てるんだぜ? そして、俺は幼女なんだぜ?
この機を逃すなと俺の本能が声高に叫んでいるわけですよ。
だが、耐える。
俺はクレアに背中を向け、リゼットの方に身体を向けた。空いた左手でリゼットの手を包み込むようにして握ってやる。
俺がすることは欲望に任せた暴走ではなく、リゼットを安心させてやることだ。
彼女の心療に専念しつつ、余暇が生まれたときに……色々と楽しめばいい。
そう考えながらも、そろそろ俺も活動限界を迎えそうだった。大きなあくびを漏らし、ゆっくりと目蓋を下ろしていく。そうして、これからの日々を思いながら意識を手放そうとした直前、俺はサラのことが気に掛かった。
小ぶりな翼の生えた、同じく小さな背中。
俺を拒む、その態度。
当初、みんなで同じベッドで寝ることにサラは反対していた。ここはリゼットとサラの部屋であり、これまで二人はいつも一緒に寝ていたはずだ。最終的に、サラはリゼットに抱きつかれて渋々頷きはしたが、俺を見る勝ち気な双眸にはやはり非友好的な色合いしかなかった。
「…………」
色々と思案を巡らせようにも、俺の目蓋と意識は勝手に落ちてしまった……。