第三十三話 『魔女によりて行えば怨み多し』★
港湾部は平地だったが、町中は緩やかな坂道が多い。
無秩序なまでに大小様々な建物が乱立し、当たり前のように道端にゴミが転がっているような景観を見るに、クロクスの治安はあまり良くなさそうだ。
しかし人通りはそこそこ多く、そんな中をユーハは幼女二人を抱え、駆けていく。用心のため、適当に何度か角を曲がってもらい、路地裏っぽい人気のない場所で止まってもらった。
「ありがとうございます、ユーハさん」
「ユーハすごいっ、はやいっ、もっとはしって!」
降ろしてもらいながら俺は礼を述べるが、リゼットは興奮醒めやらぬ様子でユーハを見上げている。
「うむ……しかし、すれ違う者たちから随分と奇異の目を向けられておった。どこの地でもそうだが、町中ではあのように走らぬ方が良いだろう」
「そうですね、凄く目立ちますし、人にぶつかったら大変です」
たぶん下手したら死ぬ。
ユーハは通りを歩く通行人を危なげなく華麗に避けてはいた。しかし、俺は怖かった。リゼットのように子供らしく無邪気にはしゃぐことなんてできない。
雲の多い空模様もあってか、路地裏は薄暗い。建物に囲まれているせいで空気が滞留しているのか、港町ということもあって、結構ジメジメしている。
というか、さっきより曇ってきたな。こりゃ一旦宿にでも入った方がいいか?
「もうはしってくれないの? あんなにたのしかったのに……」
「そ、それより、リゼット」
俺はロリロリしい咳払いをしてから、力なく獣耳を垂らす幼女に向き直った。
「えーっと、まずは、そうですね……リゼットはこの町に住んでるんですか?」
「ううん、すんでない!」
無駄に元気よく答えてくれるリゼット。
俺は状況を整理するため、更に幼女に訊ねてみた。
「じゃあ、お父さんやお母さんと一緒に来て、はぐれちゃったんですね?」
「うん、はぐれちゃったっ。でもクレアとセイディとチェルシーは、おとーさんじゃないし、おかーさんじゃないよ!」
「あ、姉妹ですか?」
「クレアとセイディはちがうっ、かぞく!」
母親でも姉妹でもないってことは……祖母か?
まあとにかく、家族という保護者がいることは確かなようだ。
「それじゃあ、えっと……どうしてあの男たちに攫われそうになったか、リゼットは分かりますか?」
「わかるっ、おとこはてきだから!」
リゼットは力強く即答した。その瞳に宿る光からは穢れなき純真さが窺える。
男=敵という構図を微塵も疑っていないようだった。
「他に何か思い当たることはありませんか? 前にも似たようなことがあったとか」
「――あっ!」
ふとケモミミ幼女は思い出したように声を上げ、クリッとした両目を大きく見開いた。
「どうしました? なにか気が付きましたか?」
「たいへんだっ、クレアたちがあぶない!」
ロリロリしくも焦燥感の感じられる声でそう言うと、リゼットは俺にキュートな尻尾を向けて走り出そうとする。
「ちょっ、どうしたんですか、待ってください!」
「あ、そうだっ。ローズもまじょなんだから、いっしょにたすけにいこ! まじょはたすけあわなきゃいけないんだよっ!」
「リゼット、落ち着いてください。そのクレアという人たちが危ないのは分かりました。それで、その人たちはどこにいるんですか?」
今にも駆け出しそうな幼女の手を掴んで引き留めつつ、俺は敢えてゆったりとした口調で訊いた。
何が何だかよく分からないが、まずは落ち着かせた方がいい。そして、この迷子の幼狐を保護者に引き合わせるのだ。リゼットはこんなに愛らしい獣っ子だ。きっと今頃、クレアという人は胸が張り裂けそうなほど心配しているだろう。
「…………」
リゼットは俺の問いに対し、一瞬だけ呆けたように硬直した後、勢い良く答えた。
「わかんない! でもわかるっ!」
実に子供らしく矛盾した発言だった。
俺は幼女の気を静めるため、ドライフルーツでも上げようとポーチに手を掛けた。一方、リゼットはなぜか目を閉じ、眉間に可愛らしく縦皺を作って何やら力んでいる。頭部のツンと立った獣耳がピクピクと小刻みに動いており、思わず頭を撫でたくなってくる姿だった。
俺はポーチから三個くらいドライフルーツを取り出す。
しかし、リゼットは何やら必死な様子なので声を掛けづらい……とか思っていると、幼女が悟りを開いた修行僧のようにカッと目を開けた。
「アッチ! たぶんアッチにクレアがいるっ!」
幼女が明後日の方を指差した。たぶん港とは反対側の方……だと思うが、何分ここまで適当に曲がって来たせいか、方向感覚が狂っている。
「もしかして、今のは音を聞いていたんですか?」
「そーだよっ。それより、ねえ、はやくいこ!」
今度はリゼットが俺の手を引っ張ってくる。
ハイテンションな幼女だな、ほんと。どっかの鬱武者にも見習わせたいよ。
……って、そういえばオッサンもいたんだった。さっきから黙って俺とリゼットのやり取りを見守ってたもんだから、すっかり忘れてた。
ここはオッサンの意見も聞いてみるか。
「ユーハさん、とりあえず行ってみますか?」
「うむ。何やら急いでおる様子。あてもない故、ここはひとま――」
「あ、そーいえばユーハがいたね! またはしってつれてってっ!」
リゼットは邪気のない瞳で長髪眼帯のオッサンを見上げた。
しかし、言葉を遮られたオッサンの顔には暗雲が立ちこめていた。
「そ、そういえば……?」
いけないっ、純真無垢な幼女の他愛ない一言に患者が傷ついてるわ!
鬱ってる人に『あ、お前のこと忘れてたわ』なんて意味の発言は禁句にも等しいのに!
「まあまあ、リゼット。急ぐのは分かりましたけど、まずは落ち着きましょう。はい、これを三十回噛んでから、呑み込んでください」
「わぁ、なにこれ? たべていーの!?」
リゼットは喜々としてドライフルーツを手に取ると、三個一気に口に詰め込んだわ。やっぱりまだまだ子供ね。アレだけ焦ってるようだったのに、すっかり目の前の食べ物に夢中になっちゃってるわ。
さて、今のうちにユーハさんを心療しなくっちゃ。
「ユーハさん、まだ走れますか?」
「……無論である。某、これでも北凛がライギの栄えある益荒男だった故。あぁ、否……もはや某はただのユーハか。ただのユーハにはかつての如く力は奮えぬやもしれぬ……」
「大丈夫ですよ、ユーハさん。さっきだって男を一人、一発で伸してしまいましたし。それに私たちを抱えてあんなに早く走ったじゃないですか」
乱れた長髪に粗雑な眼帯だけでも少し怖いのに、そこへ鬱顔が加われば不気味でしかない見た目になっちゃうこと、彼は自覚してるのかしら。
私はまたもやドライフルーツを取り出すと、ユーハさんに差し出したわ。
「さあ、これを食べて元気出してください。それと、ユーハさんには一つ、至言を教えましょう」
「ほう……至言とな? 是非、某に教えてくれぬか……」
ユーハさんは素直にドライフルーツを受け取ると、何か期待するような眼差しを向けてきました。まったく、いい大人が幼女になんて目を向けてるのよ。
とは思いましたけど、私は私自身も信じている言葉を笑顔で彼に告げました。
「笑う門には幼女来たる」
「――っ!?」
ユーハさんは息を呑んで絶句しました。
まるで天啓を授かった苦行僧のような顔をしています。
「そうか……そうであるよな。幸福とは、すなわち笑顔なのだ。たとえ辛く、苦しく、悲しくとも、笑っておれば自ずと幸は訪れる。なるほど、だから船でそなたは、某に笑う練習を……」
一人勝手に納得しているユーハさん。
私のような美幼女とのハートフルなコミュニケーションで、彼もだいぶ心が癒されたはずだわ。ふぅ、これでしばらくは保ちそうね。
「ねえねえ、ローズ」
などと安心していると、リゼットが後ろから俺の上着の裾を引っ張ってきた。
「もっとある? ちょっとかたかったけど、おいしかった! あと、さんじゅっかいってなんかいだっけ?」
「ええ、ありますよ。はいどうぞ。もう数は気にしなくてもいいですから」
俺がドライフルーツを手渡すと、リゼットは両手で受け取り、にぱっと愛くるしく相好を崩した。
守りたい、この笑顔。
「やったー、ありが――っ!?」
だがすぐに笑みは引っ込んだ。両手のドライフルーツをぽろぽろと地面に落とし、今にも泣き出しそうな目で俺の背後を見上げていた。
「ふむ、笑顔……このような感じだろうか……?」
……うん、もうね、振り返らなくても分かるよ。
ごめんねリゼット、俺が迂闊だったよ。俺以外の幼女の前で鬱武者に笑えとアドバイスするなんて……。
「ユーハさん、笑顔の練習は後で私と一緒に二人でしましょう。今はリゼットの言う方角へ向かってみるのが先でしょう」
「む? うむ、そうであるな。さあ二人とも、某に掴まるのだ」
「――――」
「……お、おや、リゼットはどうしたのだ? 少し泣いておらぬか……?」
「き、きっと親御さんが恋しくて思わず涙が出ちゃったんですよ」
それからというもの、リゼットはユーハを怖がって抱えられようとしなかったが、ドライフルーツを食べさせたら元の天真爛漫な幼女に戻った。
その間、ユーハには適当に言い訳をしなくちゃいけなかったし、なんかもの凄く疲れたよ……。
そんなこんなで、俺たちはリゼットの指示する方向へと向かっていった。
♀ ♀ ♀
クロクスという港町はかなり雑多な雰囲気が色濃い。
建物の建築様式一つを取ってみても種々様々で、煉瓦造りから木製、全面石壁など統一感が全くない。加えて、無計画に建物を増やしていったのか、道が変に曲がりくねっていたり、道幅も不揃いだ。
なぜ、こうなっているのか。
歴史書や『俺様世界周遊記』によると、かつて魔大陸には世界中の国々が無秩序に進出していたためらしい。
魔大陸には大昔から強力な魔物が棲み着き、近海に立ち入ることさえ困難を極めていたそうだ。しかし、今からおよそ1800年前――復興期に状況は大きく変化する。この時代は《覇王》によって世界帝国が興り、住み別れていた各種族が世界各地を行き交った。
各種族――主に人間、獣人、翼人、魚人、巨人たちが上手く共存し始めたのだ。これにより、各種族が協力し合うことで魔大陸への侵攻が徐々に進み、クロクスを含めた幾つかの町――大陸攻略の拠点を築くことに成功した。
しかし、世界帝国が瓦解して、暗黒期を経て現在の光天歴に入ってからは多分に政治的な問題が発生する。魔大陸へ侵攻するのは良いとしても、それで確保した土地はどの国の領土になるのか、魔大陸への侵攻作戦はどの国が仕切るのかといった諸々の問題だ。
そこで世界的に強い影響力を持つイクライプス教国は当時の主要国の代表を招集し、会議を開いた。これによって各国は前世で言うところの国際連合のような組織を作り、魔大陸についての取り決めが行われた。
その結果、魔大陸はほぼ完全な中立地帯となり、その管理機構として猟兵協会が組織された。協会は魔物を駆逐し開拓する者――猟兵を世界中で集り、彼らに魔大陸の攻略を担わせた。
猟兵たちは開拓貢献度――どれだけ多くの、あるいは強力な魔物を倒したか等の成果によって、報奨として魔大陸の土地が与えられることとなった。まあ、この制度には色々と穴がありそうなんだが、おそらく表向き中立というところが重要なんだろう。とにかく、こうして猟兵とその協会が誕生し、これらは魔大陸だけでなく、各国の魔物対策としても採用されることになったのだそうな。
クロクスの景観が雑多なのは世界帝国が瓦解してから猟兵協会ができるまでの間、各国が競うように魔大陸の町へ進出し、占領するかのように無秩序な建築を繰り返していったからだ。その名残が今も尚、残っている。
要は一言でいえば、このザオク大陸は前世における北アメリカ大陸の開拓時代みたいなものなのだ。先住民にあたる魔物共を駆逐しながら、人類様の領土を拡大するため、世界各国の政治的思惑が絡み合いながらも、フロンティアラインを押し上げていく。
また、魔物は邪神オデューンによる産物ということもあり、聖神アーレを戴くエイモル教会――イクライプス教国も協力的だ。各町には必ず教会と治癒院を建て、他の大陸より格安で治癒解毒の魔法を掛けてもらえるらしい。加えて十年に一回の頻度で、前線押し上げのために聖伐と呼ばれる大規模作戦をボランティアで実行しているそうだ。
と、そんな知識を引っ張り出しつつも、俺はユーハに抱えられて町中を移動していく。とはいえ、ユーハにはなるべく人通りの少ない道を走ってもらい、無駄に注目される愚は避ける。
通りで見掛ける通行人は野郎が多く、彼らは当たり前のように剣や槍といった武器、鎧や盾といった防具を装備している。クイーソやリリオは元より、バレーナまでの道中で立ち寄った町々でもそういった輩は見かけたが、比率が段違いだ。
「あっ、セイディがよんでるっ、ユーハあっち!」
ふとリゼットが声を上げ、これまで走ってきた進路から右直角方向を指差した。
「リゼット、クレアさんはいいんですか?」
「セイディはすぐそこっ、ユーハはやく!」
「相分かった……」
ユーハはリゼットが指差した方へ進路を変え、エリアーヌもビックリな速度で駆けていく。やや人通りの多い通りに出てしまうが、すぐに再び裏路地っぽい小道に入る。やはりというべきか、通行人たちは俺たちを何事かという目で見ていた。
「セイディーっ、セイディー!」
リゼットが叫び出した。俺には聞こえないが、たぶん彼女の獣耳にはセイディという人の声が聞こえているのだろう。
翼人には翼があるし、獣人には鋭い聴覚や嗅覚がある。巨人は身体が大きく力持ちだし、魚人は卓越した泳法と水中呼吸が可能だ。竜人は長命で竜化みたいな必殺技があるっぽいし、魔人も長命で魔法力が図抜けているという。鬼人は不明だが、きっと何らかの種族特性があるのだろう。
こうして考えてみると、人間ってやつは特に取り柄がないショボい種族だな。あるいは各種族ごとに短所もあるのだろうが、秀でたところのない人間はさながら無属性の適性属性者だ。
どうせなら翼人に転生したかったよ、ほんと……。
「リーゼッ!」
なんて思っていると、空から天使が舞い降りてきた。小高い家々に囲まれた薄暗い路地裏に、純白の翼を羽ばたかせて一人の美女が降臨する。
「セイディ!」
リゼットがロリボイスに喜色を溢れさせて名を呼び返した。
ユーハは足を止めると、俺と同じくエンジェリックなお姉さんの着地を見つめる。
美女は若々しく、おそらくまだ二十歳ほどだ。背丈は高くもなく低くもなく、この世界の女性にしては平均的だろう。エリアーヌほどの短髪は綺麗なエメラルドブルーで、曇天の空模様と対照的なその髪は目鼻立ちの整った相貌によく似合っている。惜しむらくは御山の標高が低すぎることだ。服の上からだと膨らみが全く感じられず、たぶんラヴィよりないだろう。
「セイディセイディセイディーっ!」
リゼットはユーハの腕から飛び降りると、ぶんぶんと尻尾を振りながら美女天使セイディの腰に抱きついた。
うむ、感動の再会だな。良かった良かった。
「リーゼ、大丈夫? チェルシーはどうしたの?」
天使は屈み込んで抱き返したりはしないが、リゼットの頭と背中を撫でて受け止めている。
「うんっ、だいじょーぶ! チェルシーはセイディみたいにわかれたっ!」
「え、そうなの? 大丈夫かしら……いえ、それで……あの男は誰?」
訝しげにそう言いながら、美女は眉根を寄せ、ユーハに睨み付けるような眼差しを送った。彼女の細い腰に抱きついていたリゼットは身体を離すと、振り返って俺たちの方を見る。
「ユーハはおとこじゃないよ、だんせーだよっ。それとね、へんなおとこをけってやっつけてくれてね、アリアみたいにやくはしれるんだよ!」
「助けてくれたの? あのオジサンが?」
「そーだよっ!」
美女ことセイディは表情を硬くして、長髪眼帯により鬱顔の半分が隠れたオッサンを見つめる。
一方、ユーハは泰然としており、不躾な視線に動じている様子はない。
「……礼を言う前に訊くわ。アンタ何者?」
俺の魔眼でなくとも、セイディが疑心を抱き、警戒していることは一目瞭然だった。リゼットに向けていた親愛の情など見る影もなく、ひしひしと敵意が伝わってくる。
「某の名はユーハ、ただの剣士である……あいや、今はこの巫女の守護剣士である」
「巫女って、たしかサンナの……?」
相変わらず鬱ってるユーハから俺に視線を転じる美女。
おいおい、そんな熱い眼差しを送るなよマイエンジェル。勘違いしちゃうだろう?
「初めまして、私はローズといいます。港でリゼットが男たちに連れ去られそうになっていたので、ユーハさんに頼んで助けてもらいました」
「セイディ、ローズもまじょなんだよっ!」
リゼットが補足してくれたが、セイディは俺にエンジェリックなスマイルを向けようとしない。むしろ双眸を鋭くし、胡散臭げに見つめてくる。更にリゼットの身体に手を回して僅かに腰を落とし、すぐにでも動けるような体勢をとった。
「赤毛に青目の人間でローズ……如何にも安直ね。まさか自作自演……? リーゼ、あの子が魔法使ったところ、ちゃんと見た?」
「ん? みてないよ」
それがどうしたと言わんばかりに、素直に答える獣っ子。
俺を映す天使の瞳が警戒一色に染まり、本来は快活な笑みの似合うだろう美貌が敵意で険しく引き締まる。そして再びユーハに視線を戻すと、蛆虫を前にしたかのような不快さと侮蔑を滲ませた声で告げた。
「ほんと最低ね、そんな小さな女の子まで利用するなんて」
「そ、某が、最低とな……?」
「小さいうちは今みたいに利用して、大きくなったらなったでアンタらご自慢の娼館で働かせるんでしょ? 女を見下して同胞を殺すアンタらなんか全員ゴミクズ以下よっ、このクソ野郎共!」
「ご、塵屑以下……クソ野郎……」
もうやめたげてっ、端からユーハさんの精神力はゼロなのよぉ!
「あ、あの、何か勘違いしてませんか? 私たちは貴女の敵では――」
「可哀想に……まだリーゼと同い年くらいなのに、黄昏のクソ野郎共に騙されて」
「いえ、私はべつに騙されてなんてないです。それより私の話を聞いて――」
「でも大丈夫よ、アタシたちがきっとあなたをそこのクズ野郎から解放してあげるから……あっ、でも今はチェルシーとお姉様の方が……あぁもうどーしよー……」
途中までそこそこ凛々しく宣言していたのに、途中から悩ましげな声でぶつぶつと呟きだした。
天使が俺の話を聞いてくれない。どうやらユーハを敵だと思い込み、俺を哀れな幼女だとしか見ていないらしい。
「ねえ、セイディ。よくわかんないけど、ローズもユーハもみかただよっ」
「リーゼは騙されてるの。いいから、アタシの側を離れないでね」
セイディは俺たちから視線を外すことなくリゼットを左手で抱き寄せると、こちらに右手を向けてきた。
「礼賛せよ、慨嘆せよ、汝の首を締めるは清澄なる流水」
「――ぅ、く」
天使が背中の白翼を羽ばたかせながらクラード語で詠唱を始めた瞬間、俺は再び例の不快感に襲われた。やはり超音波や振動波といった波動めいた何かを浴びせられているような錯覚に陥る。それがどうにも美女の方から感じられて、俺は軽い酔いに見舞われながらも困惑する。
「我が威は生死の別なく圧し潰さん、水冷な――」
「見つけた」
不意に、これまでと別種の強烈な波動を感じると同時、カメラのフラッシュに似た閃光が視界中央で瞬いた。かと思いきや、聞き慣れない声が俺たち四人の間に割って入り、いつの間にか一人の野郎が立っていた。
「――――」
俺たち四人は揃って目を丸くする。
今の今まで俺とユーハ、リゼットとセイディ以外に、この路地に人気はなかった。だがどういうわけか、ほんの一瞬で第三者が現れたのだ。
なんだ? 幻覚か?
「まったく、やっぱり下っ端じゃダメだね。凡人にも使い道はあるけど、ここぞというときには使えないよ、ホントに」
俺にもセイディにも半身を向けた男――たぶん十代半ばくらいのイケメン野郎はそう言って嘆息した。
「……アンタも黄昏の一員ね」
「目標にない顔が二つかぁ。小さいのはともかく……ねえ、オジサン」
「む……?」
セイディの声を無視して、ユーハに話しかけるイケメン。
カルミネが爽やか系だとすると、そいつは可愛い系のイケメンだった。お姉さんやオバサンが好みそうな中性的な顔立ちをしている。少し垂れぎみな目元は優しげなくせに妖しげで、高すぎない鼻梁は綺麗な線を描き、どこか物憂げな表情は繊細な輪郭を成している。
野郎にしてはやや上背がなく、全体的に細身で華奢さを窺わせるが、背筋がすらりと伸びた立ち姿からは妙な自信を感じる。黄金色の髪は長めで、変声期を経たとは思えないほど綺麗なアルトボイスをしていた。
「そこの魔女二人とどんな関係なのかは知らないけどさ、駆除するのを手伝ってくれれば、この場は見逃してあげてもいいよ?」
「……見逃すとは、どういうことであろうか」
「言葉通りの意味だけど? 本当なら、その魔女と今この場にいる時点で殺すべきなんだろうけど……ボクは魔女以外を殺すことに、あまり意味を見出していないんだ。だから手伝ってくれるなら、オジサンだけは見逃してあげようかと思ってさ」
野郎が物騒なことを宣っているうちに、セイディが動いていた。
俺同様、不意の登場に困惑していたのか硬直していたが、翼を動かしながら詠い唱える。やはりというべきか、一旦は治まっていた不快な波動が再び到来する。
「瀑布の――」
「遅いなぁ」
イケメンは飛び立とうとするセイディに高速で肉薄した。ユーハほどではないにしろ、〈疾風之理〉を行使したエリアーヌ並に速かった。しかも野郎はいつの間にか何かを握っており、そこから奴の頭髪と同じ輝きの光刃が現れ、一閃する。
「っ、ぐ……ぅ」
既に二リーギスほど離陸していたセイディは野郎に左翼を大きく斬り裂かれた。たぶん奴はリゼット諸共斬り裂こうとしたのだろうが、セイディが咄嗟に身体の向きを変えて幼女を庇ったのだ。
「あぁ、良かった、一撃で死んでくれなくて。しかもちょうどいい具合に翼が裂けてくれたよ。フフ、ボクはね、特に翼人の魔女が大嫌いなんだ。上から見下ろされると腹が立つし、古傷も痛むからね」
「セイディっ!?」
白い羽を撒き散らして落下し、蹲るセイディ。
リゼットは彼女にしがみついて、悲痛な声を上げる。天使の片翼は純白から真紅に染まり、薄汚い路上に鮮血が滴る。
野郎は二人の前に立ちながら、顔だけ振り向いて、ユーハに言った。
「ねえ、オジサンも男なら、魔女を鬱陶しいと思ったことってないかな? いい機会だし、どう? この翼人はボクの獲物だけど、こっちの獣人はやっちゃってもいいよ」
「お主、気は確かか」
「正気も正気だよ」
悠々と、しかし陰々と口端を歪めるイケメン野郎。そして今度は見るからに愉快げな表情になり、奴は言った。
「でも、そう訊くってことは、オジサンも所詮はそこらの凡人と一緒だったのかな? 一目見て結構素質ありそうだったから、わざわざ姿見せてまで声掛けたんだけど」
詩でも朗読するかのように、流れるように軽快な口調で話すイケメン。
対するユーハは極々自然な動きで臨戦態勢をとった。腰に差した得物へ両手を持っていき、右手は柄に、左手は鞘に添えるようにして握る。身体の重心を落とすように左足を半歩引くと、鬱々とした左目に鋭さが宿る。
「お主、何者だ……」
「ボク? ボクは……そうだね、ホントは無闇に名乗ったりはしないんだけど、もうどうせ皆殺しにしないといけないし、可哀想だから教えてあげる」
嘘くさい台詞を吐きながら、口元に小さく笑みを刻み、イケメンは殊更に堂々とした挙措で胸を張ってみせた。
「ボクはエネアス。この魔女の言うとおり、一応は《黄昏の調べ》の一員だよ。そして彼の偉大なる魔法士――《雷光王》ラディスダート・キングスコートの生まれ変わりさ」
魔大陸に着いて、数時間。
美幼狐と美天使に出会えてラッキー!
とかそんなふうに考えていた時期が俺にもありました。
でも、俺の人生ってナイトメアモードだったんだよね。