第三十二話 『迷子の迷子の子狐ちゃん』
船からは無事に下りられた。
箱を叩く音と声でユーハに起こされ、落下に注意しつつ下船し、脱出した。
時刻はたぶん昼過ぎ。
天気は曇り気味だが、随分と久々に感じる陽光を浴びながら、俺は大きく伸びをした。気温はそれほど高くなく、やや暑いといった程度か。今が夏期だとすると、帝国よりもだいぶ過ごしやすい。空気には潮の香りが強く、湿気も高く感じるが、港町だと思えばこんなものだろう。
「すまぬがローズ、しばし待っておってくれぬか……手伝うと水夫たちに申した以上、最後まで手伝わねば不義理になってしまう」
「あぁ、はい、分かりました」
「うむ、すまぬな。何分、昔から中途半端が嫌いな性分でな……」
「いえいえ、立派なことです」
頭上の空模様と同じような面で謝ってくるユーハに、俺は笑顔を返しておいた。
やはりというべきか、オッサンは真面目だった。いや、不器用というべきか。とにかく、俺はユーハの目の届く範囲――俺たちが乗ってきた船の近くで待つことになった。
「にしても……すげえな」
港は綺麗に整備された石畳になっていて、埋め立てられた石造の桟橋と種々様々な船舶が数多く並んでいる。見る限りほとんど帆船で、マストが一本の船もあれば、二本や三本の船もある。よくは分からないが、たぶんキャラック船とかガレオン船とか、そんな感じの船だろう。
船上と陸地を行き交うのはむさ苦しい野郎ばかりだ。簡素な貫頭衣やズボンしか穿いていない者が多く、首輪がついている者もおり、たぶん彼らは奴隷なのだろう。
ちょうど一隻の巨船から、首輪と鎖で繋がれた人々の集団が下りてきていた。誰もがボロを着ており、八割方は女性だ。たぶん他大陸から奴隷として売られてきたのだろう。なんか複雑な気持ちになるな……。
「お、おぉ……っ!」
思わず目を逸らすと、俺の目は自然と別のものに引き寄せられた。
巨人である。その背丈は人間の成人男性の……少なくとも五倍以上はあった。つまり、最低八リーギス以上はあると思われる。そんな巨大人間たちが何人も荷揚げを手伝い、それを倉庫と思しきデカい建物へと運んでいる。どの巨人の肩にも人間か獣人、あるいは翼人が乗っていて、巨人に何か指示を出しているようだった。
もう圧巻としか言いようがない。
巨人たちに加え、彼らの頭上では宙を舞う翼人まで見られるのだ。賑々しいまでの活気こそないが、多種族が入り乱れるそれはまさしく異世界な光景だった。
しかも海面へと目を向ければ、魚人たち(やはり野郎ばかり)がいる。上半身裸の者や軽装姿の者が多く、大半は短髪だ。下半身はまさに魚の尾ヒレで、魚人というより人魚だった。
いや待て、そんなことよりピチピチの美人魚はどこだ。一人だけ女魚人を発見したが、四十路くらいのオバハンだった。
生憎と美人魚はいないようだが、俺は目に映る光景に胸を躍らせていた。
否応なくテンションが上がってくる。
「………………」
しかし、俺は小躍りしそうになる身体を理性で抑えつけた。大きく深呼吸して心を落ち着かせ、少し冷静になる。
あまり浮かれていると注意力が散漫になり、危険が迫っていても気がつけないかもしれない。ユーハという護衛剣士は首尾良くゲットしたが、だからといって安心してはいけない。
ひとまず腰のポーチから白い髪紐を取り出した。
こういうときこそツインテにした方がいいだろう。髪を両側から引っ張られるように縛ると、否応なく身も心も引き締まるのだ。ツインテ事件を思い出すので浮かれた気持ちもたちまち落ち込み、いい具合にテンションがフラットになる。
「ふぅ……よし、大丈夫だ」
そんな感じに落ち着き、漫然と港の様子を眺めながらユーハを待つ。
しばらくすると、オッサンは少し清々しそうな顔で戻ってきた。
「待たせてすまぬ」
「いえ、それはいいですけど……どうかしましたか? 少し嬉しそうですけど」
「いや……久々に身体を動かしたのでな。それに、人から感謝されたことなど久々で、なんと申せば良いのか……常に感じていた怠さが、少し抜けたような気がするのだ……」
ユーハはやや軽快に頷きながら、鬱色の薄れた声でそう言った。
ちなみに、ユーハは鬱を煩っているとは思えないほど姿勢が綺麗で、腰に差した一本の刀も相まって、腕を組んで立つ姿はなかなかに映える。これで鬱顔と粗雑な眼帯、乱れた長髪さえどうにかすれば、女にモテなくもないだろう。
「さて、それでは如何するか……否、まずは金であろうな」
「そうですね、食べるにしても、泊まるにしても、お金は大切です」
「……まことに、幼くともしっかりしておるな」
俺だってラヴィたちと一期以上も旅していたのだ。町に寄った際は買い出しなんかに付いていっていたので、お金の重要さはよく分かっているつもりだ。
まあ、前世ではあまり分かっていなかったが……。
「ユーハさんはお金、いくらくらい持ってますか? 私は腰のポーチに入っていた1000リシアしかありません」
「うむ……しばし待たれよ」
ユーハは懐から巾着を取り出すと、中を覗き込んだ。
「……2000エーグである」
「エーグ……というのは、デルシェミナの貨幣ですか? それって、リシアに換算するといくらくらいです?」
「おそらく……1300リシア前後……といったところであろうか」
エーグの価値はだいたいリシアの三分の二くらいか?
帝国ってやっぱり他国より栄えてたのかね。
「それじゃあ、デルシェミナを出るとき、渡航費っていくらかかりました?」
「う、ううむ……どうであったか……たしか、22万エーグほどだったと記憶しておる……」
「つまり大人一人で15万リシアくらいですか。でも子供は少し安いかもしれませんね。いえ、そもそもザオク大陸の物価って、帝国と比べてどうなんでしょう?」
「すまぬ……分からぬ……某、この地には果てるために参った故、金子のことなど全く気にしておらなんだ……」
ユーハは暗澹とした面持ちを見せて鬱度を五割増しさせるが、すぐに元に戻った。どころか、鬱度を二割ほど減少させた。
「だが、問題はない……某、これでも猟兵協会には加入しておる……そしてここは魔大陸と呼ばれる化生共の巣窟。路銀は猟兵として化生を倒し……稼げば良い」
あらやだ、頼もしいこと言ってくれるじゃない。
この調子ならRMCでの診療回数も減らせそうね。
「まあ、とりあえず宿に向かいましょうか。その前に、そこの船で他の大陸までの船賃を訊いていきましょう。それから宿に……あ、でも両替はした方がいいんでしょうか? 港町なら他の国の貨幣も使えそうですけど……って、ユーハさん? どうかしましたか?」
「…………某より、ローズの方がしっかりしておるな。三十以上は生きておる某より、年端も行かぬ幼子の方が……」
「あぁいえ、そんなっ、私なんて全然ですよ全然! よわっちいですし、世間のことも全然知らないですし。私にはユーハさんだけが頼りなんですっ!」
あーもー、いちいち鬱るなよ、面倒くせえ。
せっかくいい調子だったのに……。
これからはもう少し言動に気をつけよう。
「そうか、そうであるよな……某もしっかりせねばな」
「は、はい。それじゃあ、一旦船員さんに話を――ん?」
ふと、我がロリアイズの美女探査機能が、視界の端に一人の美幼女を捕捉した。
俺は本能に従って顔ごとそちらに目を向ける。
港にも子供の姿はあるが、その多くは男だ。おそらくは奴隷か、あるいは水夫見習いか、いずれにせよ小中学生ほどの少年ばかりだ。
俺が発見したのは俺と同じか少し幼い程度の幼女だった。
遠目に見ても美幼女なのが分かる。ピンと立った三角の獣耳とフサフサした尻尾が見られ、その毛色はふつくしいの一言に尽きる。蜂蜜色、あるいは狐色と表すべき自然で素朴な色合いは柔らかそうな毛並みと絶妙にマッチしていた。髪は肩先にかかるほどと短めで、膝丈の半ズボンと半袖の上着を着ている。レオナ並に良く整った顔にはクリッとした大きな双眸が映え、琥珀色の瞳が実に愛らしい。
まるで子狐のような美幼女だった。
周りは大人の男が多いせいか、やけに目立っている。たぶんさっきの俺もあんな感じだったのだろうが、今は側にオッサンがいる。
しかし、美幼女は一人だ。何かに期待するような興奮した面持ちで停泊する船たちを眺め回し、ついでにフサフサの尻尾を元気にブンブン振り回している。
もの凄く目立っていた。
「む……ローズ、如何した」
「い、いえ、なんでもありません」
「……そうか。では、話を訊ねに参ろうか」
「あっ、ちょっと待ってください!」
思わずユーハの袖を引っ張り、待ったを掛けた。オッサンはせっかく微妙に生気の感じられる歩みをしていたが、今はそれどころではなかった。
美幼女が変な野郎三人組に絡まれ出したのだ。
一人は翼人の若造、一人は獣人のオッサン、そして人間のオッサンだ。三人ともガタイが良く、それぞれの服装や腰に携えている剣なども加味すると、水夫連中ではなさそうだった。たぶん猟兵か何かだろう。
二十代の若造や三十代四十代のオッサンが美幼女の周りを囲むように立ち、何やら話しかけている。なんだか嫌な予感がしたので様子を窺っていると、オッサンの一人が美幼女の手を掴んだ。
「ユーハさん、アレどう思いますか? って、なにちょっと暗くなってるんですかっ、しっかりしてください!」
「ローズ……いったいどうしたというのだ……話を訊ねに参るのではなかったのか……」
「それより、アレ。あの女の子、なんか助けた方が良くないですか?」
ローテンションなユーハは俺の指差した先へと虚な左目を向けた。
「ううむ……幼き女子が、男に腕を引っ張られておるな……幼子の方は抵抗しておるようだが……」
「はい。ですから、とりあえず助けてみましょうっ」
「……助ける、か。しかし……某らにはあの幼子を助ける理由はなく、あの幼子も周りに助けを請うておらぬ……それに、助けてどうするというのだ……某の如き小人には、そなた一人の力になるだけで精一杯なのだ……」
暗く淀んだ声で情けないことを宣いやがる。今オッサンの心は鬱の闇の侵攻を受け、ポジティブシンキングができないのだろう。
俺がオッサンとそんなやり取りしているうちに、今度は若造が幼女の口を塞いだ。幼女は手足をばたつかせるが、周囲の者たちは気が付いていないのか、見て見ぬふりをしているのか、誰も助けようとしない。
俺一人でも助けに行きたいが、やはり大人の男の力は欲しい。だが今はローズ女医になってユーハをマインドコン――説得する時間的余裕はない。
「ユーハさん、あの子を助ける理由がないと、貴方はそう言いましたね?」
「……うむ、それがどうかしたのであろうか……?」
俺は小さく吐息を溢すと、微笑みを湛えてユーハを見上げ、RPGの主人公のように言ってやった。
「幼女を助けるのに理由がいるかい?」
「――ッ!?」
ユーハはハッと息を呑み、力なく伏せていた左目を大きく見開いた。
唖然としたようにオッサンは固まり、動かない。
今は悠長にしている場合ではないので、俺は焦れてユーハの腕を掴んだ。
「ほらっ、行きましょう!」
すると、オッサンは思わずといったように頬を緩めた。それはとても自然な笑みで、穏やかさすら感じられ、鬱武者でも何でもなかった。ただのオッサンめいた、普通の微笑だった。
「……うむ、そなたの申すとおりだ。困っている者がいれば、助ける。そこに理由などいらぬよな……いったい、いつからだったか……誰かを助けるのに、何某かの理由を当然の如く必要とするようになったのは……」
「え、あ、はい? とにかく、早く助けましょうっ!」
「うむっ」
ユーハは力強く頷いて足を一歩前に踏み出すと、俺を置いて走り出した。かと思いきや、目にも止まらぬ速さで美幼女の元まで駆け抜け、人間のオッサンの肩に跳び蹴りを食らわせていた。
「――――」
今度は俺が唖然とする番だった。
オッサンの不意打ち攻撃にはもちろん驚いたが、それ以上にユーハは速すぎた。人間に出せる速度じゃなかった。三十リーギスほどの距離を静止状態から二秒と掛からず零にしたのだ。意味不明である。
まさかユーハも魔法士で、風魔法かなんかの魔法を無詠唱で使ったのか? いや、あるいはこれが噂に聞く闘気というやつの力なのか?
しかし今は疑問を棚上げし、美幼女を助けることの方が万倍重要だ。
俺も小さな身体で駆け出して、美幼女の元へと急いだ。
♀ ♀ ♀
「お主ら、斯様な場所で年端もゆかぬ幼子に何をしておるのだ」
野郎一人を蹴り飛ばしたユーハは音もなく着地し、残る二人の野郎に問うていた。跳び蹴りを食らった人間のオッサンは気絶しているのか、ピクリとも動かない。
俺は無闇に魔法を使わず、普通に走って駆け寄り、ユーハの斜め後ろで構える。
いざというときは盾になってくれよ、オッサン。
「んむむむぅーっ、むぅむ、むむぅんむむぅーっ!」
「なんだオメェはっ、関係ねえ奴は引っ込んでろッ!」
暴れる幼女の口を塞ぎつつ取り押さえている若造がユーハに怒鳴り返した。
言葉はエノーメ語だ。周囲からちらほら聞こえてくる話し声や呼び声もエノーメ語が多い。フォリエ語やよく分からない言語も聞こえるが。
「関係はある」
若造に凄まれても、我が護衛剣士は全く動じてなかった。
「ハァッ?」
「そこな幼子はどう見ても嫌がっておる。人として、困っている者は見過ごせぬ」
おいおいオッサン、お前さっきは普通に見捨てようとしてたくせに……。
「おいさっさと行くぞっ、注目されすぎた。お前はそいつを連れて飛んでいけ。後で例の場所で落ち合うぞっ」
獣人親父がユーハと翼人の若造との間に立ち、若造へ指示を出す。
野郎の言うとおり、確かに俺たちは注目されていた。ユーハが跳び蹴りで野郎一人を豪快に吹っ飛ばしたせいか、さすがに周囲から何事かと奇異の視線を向けられている。
「分かった、後は任せ――ぐぉ!?」
若造は頷きながらも早々に背中の翼をはためかせ、離陸しようとする。が、俺の放った風属性中級魔法〈風槌〉で上から圧され、今まさに飛び立とうとしていた野郎は体勢を崩した。
本当はラヴィ先生とのお約束もあり、人前で魔法は使いたくない。俺のような何の後ろ盾もない非力な幼女が、不特定多数の者に魔女だと知られれば、何をされるか分からない。
しかし詠唱しなければ、そして不可視の風魔法ならば、まさか幼女が魔法を使ったとは思われないはず。まあ、それ以前の問題として、俺は美幼女を助けるためならば多少の危険など厭わないのだが。
「――んぁぅ!」
若造がバランスを崩した際、美幼女は愛らしくも力強い声を上げて野郎の腕から転がるように脱出した。意外と素早い動きで、さすがは狐っぽい獣人幼女と評すべきか。彼女はそのまま野郎から離れていき、しかし途中で足を止めて振り返ると、翼人の若造へ両手を向けた。
「やっぱり、おとこはてきっ。てきはやっつけるっ!」
と、美幼女がエノーメ語で力強く叫んだとき、俺は不意に立ちくらみに似た揺らぎに襲われた。数時間前に船室で感じた気持ちの悪さと同じ感覚で、何か波動のようなものを当てられている錯覚に陥る。
「せきねつせしやじりがきらめきよっ――〈火矢〉!」
プリティなロリボイスで舌足らずに詠い上げたかと思いきや、真っ赤な火矢が虚空に現れ出でて、若造へと襲いかかった。若造は低く呻きながらもローリングして火矢を回避する。
火矢はそのまま宙を奔っていき、三十リーギスほど先を歩いていた巨人の横っ腹に命中した。中年親父っぽいその巨人は足を止め、小さく焦げた横っ腹を胡乱げな瞳でチラリと見下ろす。それから患部をポリポリと掻いた後、何事もなかったかのように歩みを再開していった。
「くそっ、お前がさっさと気絶させねえから!」
「うるせえ、んなこと言ってる場合か!? ここは一旦引くぞ!」
獣人親父と翼人の若造は互いに軽く罵りあった後、逃走に移る。
若造は気絶している人間のオッサンを抱え上げると、翼をはためかせ始め、獣人のオッサンは走って逃げ去ろうとする。
「某が貴様らを逃がすと思うてか。幼子を無理矢理連れ去ろうとする悪人共など、この場で成敗して――」
「待ってくださいユーハさんっ、追撃はしなくてもいいですから!」
「――むっ?」
俺は追いかけようとしていたユーハの右腕を掴み、引き留めた。
先ほど感じた妙な揺らぎは収まったが、まだ独特の不快感は少し残っていたので、少しもたれ掛かるようになってしまった。その隙に翼人の若造は空へと逃れ、獣人のオッサンは周囲の人混みに紛れてしまう。
「ローズよ、なぜ止めたのだ。あのような者共、ここで伸してしまい、町の衛兵にでも引き渡さねば」
ユーハが微かに眉根を寄せて俺を見下ろしてきた。彼の瞳には微かなやる気と生気が見られるものの、依然として表情の鬱色は健在だ。そんな眼帯長髪のオッサンから疑念の眼差しを向けられると、ちょっとビビってしまう。
「わ、私たちの目的は、あくまでも彼女を助けることです。確かに彼らは捕らえた方が良かったのでしょうけど、あまり事を大きくしない方がいいと思うんです。彼女は魔女みたいですし、私もそうです。あまりそのことは知られない方がいいと思いまして」
「む……確かに、某の故郷でも巫女は希少だった故、多少強引にでも領内に留め置かれておったり、何かと政に担ぎ出されておったな……」
ユーハの言うとおり、魔女はレアな存在だ。狐っぽい獣人美幼女が何者かは知らないが、官憲に介入されれば厄介なことになりそうな気がする。
「ひとまず、この場から離れましょう。さすがにかなり注目されています」
「……相分かった」
ユーハを説得して一息吐く間もなく、俺は美幼女の方へと向き直った。
美幼女は俺たちを――正確にはユーハを警戒の眼差しで怖々と見つめている。だが狐色のフサフサな尻尾を逆立てる姿に迫力は皆無で、むしろ愛嬌すらあったが、少し震えている。ユーハの見た目はかなりアレなので、やはり幼女には刺激が強いらしい。
俺は密かに深呼吸すると、笑みを浮かべて美幼女に話しかけた。
「私はローズといいます。君の名前を教えてもらえますか?」
「あたし、リゼット! ローズ、そいつからはなれてっ。おとこはてきっ、てきはやっつける!」
美幼女は一点の曇りすらない澄んだ瞳を俺に向けると、無邪気さと警戒心と恐怖心の混交した声で答えてくれた。
「いえ、この人は味方です。大丈夫ですから、早く一緒にこの場から離れましょう」
「うそっ、ローズだまされてる! おとこはみんなヒキョーでサイテーなんだって、サラねえいってたし、ほんとーだった!」
「えーっと、その……サラねえさん? が、どう言っていたのかは分かりませんけど、とにかくこの人は敵じゃありません。私の味方ですし、今だってリゼットを助けてくれたじゃないですか」
そんな感じに警戒する幼女を説き伏せていると、何やら物々しい声が耳に届いてきた。周囲の野次馬共が一斉に同じ方角を向いているが、生憎と俺からは人垣のせいで何が起こっているのか確認できない。
「ローズ……この町の衛兵と思しき者らが、こちらに近づいてきておる」
だが長身なユーハには確認できたらしい。
「リゼット、この人は信じなくてもいいですから、私を信じてください。私も魔女なんです、リゼットと同じなんです」
「ローズも、まじょ?」
「そうです。だから、ね?」
リゼットは穢れなき目で俺をジッと見つめてきた後、可愛らしくはにかんで頷いた。
「うんっ、わかった! しらないひとについてっちゃだめって、クレアいってたけど、ローズはまじょなんだよねっ! まじょはみかただからたすけあいなさいって、おばーちゃんいってたっ!」
なんかよく分からんが、とにかく俺は獣人美幼女に受け入れられたらしい。
俺のコミュ力も徐々にレベルアップしつつあるな。
「ユーハさん、行きましょう」
「……うむ」
俺の声に応えるユーハは再び鬱の闇に浸食されているようだった。助けた幼女から敵扱いされてショックだったのかもしれん。
だがユーハには頑張ってもらわねばならない。
「ユーハさん、私たちを抱えて走ってください。私たちの足は遅いので、すぐに追いつかれてしまいます」
「やっ、おとこにはさわられないようにしろって、サラねえいってた!」
「リゼット、ユーハさんは実は男ではありません。男性なんです。だからお願いします、今は大人しく彼に抱っこしてもらってください」
「だんせー……? よくわかんないけど、おとこじゃないならいーよっ」
と素直に答えつつも、ユーハを見上げるリゼットの眼差しには鬱武者への不気味さと恐怖心が覗き見える。それでも俺の頼みは聞いてくれるのか、リゼットは大人しくユーハに抱えられた。
騙してごめんね。でも今はこうするしかないんだよ。
罪悪感に苛まれつつ、俺も抱き上げられる。リゼットは右腕、俺は左腕の下腕部に尻を預け、オッサンの首にしがみついた。結構臭いが、我慢だ。
そうして俺たちは風になった。オッサンの疾走は車並に速く、もの凄い勢いで景色が流れていく。たぶん最低でも時速六十キロは出てる。
もう人間じゃねえだろ、これ。
「あの、ユーハさんは闘気を使えるんですか?」
「……無論である」
おぉ、やっぱりそうだった。
ガストン曰く、闘気は一流の戦士なら呼吸するように使えるらしい。エリアーヌもラヴィもロックも闘気は一応使えるらしいが、実戦で多用するほど扱い慣れているのはオーバンだけという話だった。いや、実際に使ってるとこは見たことなかったんだけどね。
ユーハはさっきも今も闘気というミラクルパワーを当たり前のように使って走っている。ということは、オッサンは一流か、そうでなくとも二流程度には強い剣士なのだろう。そうだと思いたい。そうであってくれ。
「わあぁ、すごいはやーい! アリアみたいにはやいっ、すごいねだんせーっ!」
「この人の名前はユーハです」
「すごいはやいねユーハ!」
無邪気にはしゃぐ獣耳の美幼女。オッサンの頭が邪魔で顔は見えないが、きっと最高に可愛らしい笑みを浮かべているのだろう。
「うむ……凄いか、そうであるか……しかしこれしきのこと、北凛の剣士ならばできて当然である」
そう答えるユーハの声は先ほどと比べて沈鬱とした響きが幾分か減っていた。
そんなことを話しているうちに港湾部を抜け、俺たちは賑々しい町中へと入り込んでいった。