第二話 『ここはどこ? 俺は幼女?』
目覚めたら、そこは全裸幼女がひしめく密室だった。
しばらく唖然として、困惑して、これは夢だ幻だと現実逃避をしたが、一向に変化は訪れない。どれほどの時間を要したのかは不明だが、俺は現実を受け入れざるを得なかった。
「……………………」
四畳半もない手狭な空間は薄暗く、蒸し暑く、臭い。断続的にガタゴトと振動して室内が揺れ、馬のようないななきや車輪の回転音が聞こえることからして、おそらくこの部屋は馬か何かに牽引されている。つまり馬車だ、荷車の荷室だ。
天井付近に鉄格子の小窓がついており、その向こうには絶景が広がっていた。宝石の欠片をちりばめたような満天の星は壮麗に過ぎ、真紅の大きな三日月と黄金の小さな満月が煌々と輝いて夜闇を照らし上げている。
格子窓から微かな明かりが入り込んでくるおかげで、室内の様子と自分の身体を辛うじて確認できた。
「……………………」
室内は布きれ一つ纏わない幼女たち二十人ほどで埋め尽くされている。
薄暗くて判然としないものの、年頃は三歳から五歳程度までの幼児ばかりで、全員がマッパだ。ロリ天国だと素直に喜んでロリータウォッチングに励みたいところだが、今は状況が状況だし、鼻腔を突く腐臭が暢気かつアホな思考を妨げてくる。
これは……便所の臭いだ、幼女たちの漏らした排泄物の臭いに違いない。
どの幼女たちも薄汚れ、ぐったりと疲弊した様子だった。膝を抱えていたり、気絶するように眠っていたりと、子供特有の無邪気な覇気というものが微塵も感じられない。
だが、何よりも俺の意識を引きつけるものが他に三つある。
一つ目は首輪だ。どの幼女も例外なく、鈍く黒光りする金属の輪が首に填められ、首輪同士が鎖で繋がれている。
二つ目は獣耳だ。短毛に覆われ少し垂れぎみな獣っぽい耳を生やした幼女がいる。けものっ子だ。超可愛い。ペロペロしたい。
三つ目は自分の身体だ。真っ平らで肋骨が少し浮き出た胸元、か細く小さな両手、息子のいない股間部、べたつく長い髪。髪色は薄暗くてよく分からないが、今はどうでもいいことだ。
「…………マジかよ」
とりあえず一息吐くついでに、驚愕を漏らしてしまう。呟く声はやや掠れていたが、音程の高いロリロリしい声音をしていた。
これはもう確定的だ。
どうにも理解を超えた状況で、この酷い汚臭や微かな振動がなければ間違いなく未だに夢だと思っているところだが、五感の刺激が現実だと思い知らせてくる。
そう、現実……これは現実のはずだが、しかし俺は幼女だ。
ょぅι゛ょ。
なにせこの密室に三十路でキモメンのメタボ野郎がいれば、周囲のロリたちが黙ってはいまい。昨今のロリッ子たちは賢いからな。そして危険だ、道ですれ違っただけで通報するらしいから。
「いや……」
どのみち通報はされないか。
ここは明らかに俺の知っている世界ではない様子だ。
星空で眩く存在を主張する二つの月も、獣耳を生やした幼女も、最初は幻覚だと思ったが今は違う。そこにある現実だと半ば以上確信できていた。
十年以上引き籠もり、数限りなく妄想に耽った俺には現状を説明できる仮説が一つだけ思い浮かんでいる。
俄には信じがたいが、ここは異世界で、俺は幼女に転生した。
そうに違いない……そう思いたい……そうであってほしい。
とはいえ、俺の最後の記憶はレインボーな空間で光に呑まれたことで、幼女としてのこれまでの記憶は一切ない。
「あれ……?」
いや待て、なんだ……何か覚えているような気がする。
だって、この異常な状況にいきなり直面して、この俺がここまで冷静でいられるはずがない。つまり無意識的に、俺はこの状況に納得しているのだ。それに何より、もし転生したのなら、こんな幼女として中途半端にスタートするとは思えない。
思い出せ、思い出すんだ俺……いったい何があった?
この幼女密室に至る経緯はなんだ?
と、思索に耽り始めた矢先、僅かに残っていたはずの記憶は、大海に溶け入る一滴の血のように薄れ、消えてしまった。
「……………………」
前世のことは克明に思い出せるのに、今ここに至る経緯は何も思い出せない。
えーっと……とりあえず、どうしよう?
異世界だ幼女だ転生だラッキーよっしゃーっ!
ってな感じにハッスルして、三十路の知識をフル活用してハッピーな人生設計でも練った方がいいのかな?
でもさ、俺を含めて室内にいる幼女たちって、どう見ても奴隷なんだよね。全裸で、首輪がついてて、鎖で仲良く連結されている。二十人ほどの幼女たちと一緒に馬車の荷室に押し込められている。
これって……かなり不味いんじゃないのか?
ひとまず、ここは異世界で、俺は転生したと仮定して、思考を進めてみよう。
すると、どうだ?
眩いばかりの希望が見えて……………………こない。
なにせ非力なロリボディだけなら未だしも、奴隷なのだ。
そして俺は三十路のクズニートなわけです。人生設計を練られるほど活用できる知識の量なんてたかが知れているわけで、もちろんメンタルは絹ごし豆腐並の強度。更に前世の記憶を引き継いでるものだから、知識や経験だけでなく各種呪い(コミュ障や太陽光嫌いなど)もセットで継承している。
もうこれ転生の強み打ち消しちゃってるだろ。
…………どうしろと?
まあ、幼女になったせいか、なんか心が軽いとは思うよ。
一度死んだことで、あらゆるしがらみから解放されたのか、心機一転できそうではある。だから奴隷でも頑張れるかもしれない。
けどさ、せっかく転生したっぽいのに、なんでいきなり奴隷なんだよ!?
と愚痴りそうになったけど、そんな弱音は必要ないな。
環境が劣悪だと愚痴って、努力することを投げ出す理由にしてはいけない。
それは甘えだ。前世では全て生まれた星の下(特にクソな兄貴がいること)が悪いのだと、そう思ってふて腐れていた。
もう同じ過ちを繰り返すわけにはいかない。
俺は死ぬ直前に思ったはずだ。
人間は中身だと。全ては人格なのだと。
人生なんてもんは、本人の意志次第で案外どうにでもなるのだと。
今の俺はそれを知っている。
クズとはいえ、三十年分の人生経験がある。
これはきっと最悪のスタートだ。
非力な幼女の身体で、この場に至る記憶がなく、奴隷という身の上。
しかし、だからこそ、もう堕ちることはない。
これ以上、下はない。
クズニートらしく、最底辺からのスタートだ。
そう思えば身の丈に合っていると納得できなくもない。
俺はただ這い上がることに全力を尽くせばいい。
強く生きるのだ。我慢せず、誰憚ることなく、俺は俺の意志を貫くのだ。
三十路の童貞クズニートだったが、今はもう幼女だ。そのはずだ。
たぶん奴隷だけど、しかしそれでも、ほぼ真っ新な人生がある。
やり直そう。
たとえどんな状況だろうと、もう後悔したくはないんだ。
あのクソ兄貴に対抗できなかった弱い自分と、決別するんだ。俺は、自分で自分を誇れるくらいに強く生きて、幸せになるんだ。
それにはまず、現状の把握だ。この世界を知らなければならない。
そして、奴隷から脱しなければならない。
「…………ん?」
そんな感じに勇ましく決意を固めていると、不意に振動が止まった。
これまでさんざん俺のプリティーヒップを苛んでいた揺れが収まり、なにやら声が聞こえてくる。
そういえば言語はどうなっているのだろうか。俺には日本語と少々の英語程度しか言語の知識がない。もしここが異世界なら、当然日本語は通じないはずだ。
不安に思いつつも、外からの声に耳を澄ませてみる。
その矢先、右手側にある頑丈そうな鉄扉が小さく音を立て、ゆっくりと開かれていき、淡い光が入り込んでくる。
どうやら沈思黙考しているうちに夜が明けていたらしい。
「おら、さっさと降りろグズ共ッ!」
逆光に浮かび上がる人影が乱雑な口調の言葉を投げかけてきた。
男の声を俺は理解できているが、それは明らかに日本語ではなく、もちろん英語もでない……はずだ。それでも俺は、その欧米圏あたりの言語に似ているような言葉の意味を認識できた。
……どういうことだ? この幼女脳が言葉を覚えているのか?
前世の記憶は鮮明に覚えているのに、この幼女体に関する記憶は一切不明だ。意味が分からないが、今は困惑している余裕がなさそうだし、言語がプリインストールされているのは不幸中の幸いだろう。
「おらッ、暢気に寝てやがるクソ共はさっさと起きやがれ! ……チッ、さっさと立てっつってんだろ! 出るんだよこっから!」
男のシルエットは怒気を隠そうともせずに怒鳴る。逆光で表情はよく見えないが、きっとクソ兄貴のような面をしているのだろう。
幼女たちは見るからに身体を強張らせて怯えている。それでもビクビクしながら立ち上がり、扉に近い子から順番に外へ出て行く。
彼女らのあどけない顔には恐怖や諦念の滲んだ表情が多く、感情が欠落したように無表情な子もいる。それらは夢も希望もないと思っている者の顔だ。いや、あるいは、ただ自分に向けられる暴威に怯えているだけかもしれない。
……なんだか昔の俺を見ているようで、胃が痛くなるな。
鎖がジャラジャラと音を立てて、嫌な気持ちを助長させてきた。
勘弁してほしい。
「よいしょっと」
俺も腰を上げた。
というか、俺たち幼女は鎖で繋がれているから、立たざるを得ない。
慣れないロリボディでとことこ歩き、扉をくぐる。前世の肥満体とこの幼女体では身体の使い方が違うはずで、いきなり上手く動けるとは思えないのに、俺は普通に立って歩けている。つまり、やはり俺は記憶を失っているだけで、本当は赤ん坊から転生していたかもしれない。
しかし、考えても分からないことを考え続けたところで意味はない。
馬車から出た俺はあまりの眩しさに思わず目を細めつつ、素足のまま大地に降り立った。うん、土の感触だ。これは本物だ。
オーケー! ニューライフのスタートだぜ!
と、やけくそ気味に意気揚々と思った矢先、気がついた。
なんか、周りにいる男連中が銃みたいなの持ってるんだけど……なに、アレ?
♀ ♀ ♀
道端で馬車から降ろされた後、俺たちは歩かされていた。
もちろん全裸のままでね。
踏みならされた地面は固く、周囲には青々とした樹木が生い茂っている。まだ朝も早いのか、太陽は樹葉に遮られて見えない。馬車内の腐臭のせいもあるだろうが、空気の新鮮さが舌先から伝わってくるほど、清涼で澄んだ空気はおいしい。
「さっさと歩けグズッ、のろのろすんな!」
後ろの方から怒声が響いてきた。
俺たち幼女は一列になって森の道をぞろぞろと歩いている。無論、鎖に繋がれた首輪というハイセンスなアクセサリー付きでね。
チラリと振り返ってみると、犬耳っぽい獣っ子な幼女がオッサンから尻を蹴られていた。
「……ひっでぇな」
思わず呟いてしまう。
幼女虐待とは紳士の風上にもおけない奴だ……とは口が裂けても言えない。怒鳴りつける輩を見ていると、クソ兄貴を思い出して恐怖心が芽生えてくるのだ。身長体格が違いすぎて勝ち目がないというのもあるが、そもそも男が手にしているモノが物騒すぎて怖かった。
だって、見るからに銃なのだ。どこか流麗な造形の銃身は長く、黒と赤という二色構成のボディカラーは攻撃的というか禍々しさが目立つ。銃といっても現代的なアサルトライフルの類いには見えず、もっとレトロなデザインをしている。
いわゆるマスケット銃という代物に見える。
それでも、銃は銃で、アレは間違いなく凶器のはずだ。
銃で武装した男が四人もいて、彼らの服装は一様に紺色の半ズボンに半袖シャツとラフな格好だが、禍々しい外装の凶器がダークな雰囲気を醸し出している。
下手な真似をすれば撃たれるかもしれない。たとえここが異世界だろうと、いやだからこそ、奴隷の命なんてゴミクズ同然だろうしな。
ここはゴキブリのように息をひそめて、慎重に行動しよう。
いや、ゴキブリはダメか、駆除される。
それにしても、武装男のうち一人の背中から灰色の翼が生えてるんだが……
アレはなんなのだろうか。
無数の羽毛が重なり合い、一対の鳩っぽい翼を成しているのが分かる。
幻覚……なわけはない。もう現実逃避はすまい。いちいち疑問に思っていたらやっていけそうにないので、とりあえず、ありのままを受け入れていこう。
考えるのは夜、寝る前に一気にだ。
「……………………」
しかし今更の話だが、こんな大自然の中を全裸で歩かせるなんて……
俺や幼女たちが変な性癖に目覚めたらどうしてくれる。そよ風が股の間を吹き抜けていく度に、なんとも言えない感覚がせり上がってきて困る。
開放的でいっそ清々しいほどだが、癖にならないうちに服を着たい。
パンツを穿きたい。
あ、そうだ、第一目標をパンツにしよう。どっかのクズニートも全裸だったし、下着は真人間の証だ。まずはパンツを穿くことを夢見て頑張ろう。
そんな決意を胸に秘めて二分ほど歩いた頃、川岸に行き着いた。
川幅はせいぜい十五メートルほどだろうか。かなり水質が良いのか、水底が透けて見える。清流という単語が自然と思い浮かぶほど、水の流れは穏やかで澄んでいた。
「おらっ、さっさと入れ!」
顔に傷のある中年親父が幼女たちに命令を下す。
俺たちは言われるがまま、川の中へ入っていく。冷たさに戸惑ったのは最初だけで、すぐに気持ち良く感じられた。
まだ朝方にもかかわらず、気温が高いせいだろう。今が夏なのか、それともここが熱帯地域なのか、二十五度以上は確実にあるな。
「身体を洗えっ、頭までしっかりな!」
だいたい腰まで浸かったところで、再び男から命令される。
……なるほど、今の俺たちって結構臭いからな。馬車の中も臭かったし。
クズニートの俺は、三日に一回は風呂に入る綺麗好きだった。
さっきから少し頭が痒かったことだし、ここは遠慮なくいかせてもらおう。
俺は屈み込んで水中に潜ると、ごしごしと頭を洗っていく。
シャンプーが欲しいところだが、今は我慢だ。
にしても、川で水浴びなんていったい何年ぶりだ?
小学校低学年の頃以来かもしれん。童心に返ったようだ。実はさっきから前世の呪い(広所恐怖症と太陽光嫌い)が俺のガラスハートをひしひしと苛んでいたんだが、氷が溶けるように重圧が薄らいでいく。
まあ、今の俺は幼女だからな。
もうメタボでキモオタなクズニートじゃないんだ、身体的には。
「――ぷはっ」
まだ幼女だからか息が続かず、すぐに水面から顔を出す。
すると、頭上から声が降ってきた。
「ねえ、あたしのあたまあらってくれる?」
隣を見上げると、栗毛の幼女が俺に愛らしい瞳を向けてきていた。
パッチリした双眸と引き締まった眉からは確かな生気が感じられる。他の幼女たちと比べて、表情に影がなかった。たしか馬車の中では俺の隣で寝ていた子だ。ショートカットの栗毛がキュートで、かなりの美幼女といえる。
「あたし、レオナ。きみはなんてゆーの?」
俺は困惑した。
今更の話、このロリボディはなんて名前なんだろうか。
目の前の幼女はレオナと名乗った。語感は欧米風だ。この世界では日本風の名前は使われていないのだろうか。
「ん……?」
ふと、俺は水面に目を落としてみた。
揺らめき煌めく川の水には可愛らしい幼女が映り込んでいる。赤熱する鋼鉄のような、あるいは鮮血色とでも表すべき美しい赤毛が目を引いた。そして瞳は蒼穹のような純然たる空色で、濁りなく澄んでいる。
身長や顔つきから察するに、三歳か四歳くらいだろうか。栗毛っ子のレオナと比べると若干幼げに見えるが、レオナに負けず劣らずの美幼女だ。
「――――」
一瞬、名前のことを忘れて安堵した。
うん、本当に良かったですよ。顔は大事ですからね。
誰だってブサメンよりはイケメンの方がいいに決まってる。
「あれ、もしかして、ことばわからないの?」
レオナに問われたところで、俺は我に返った。
そう、名前だ。どうしようか。
名前は大事だから、きちんと考えた方が良いな。
「い、いえ、言葉は分かるんですけど……」
えーっと、名前は…………シャロン、とか?
なんかパッと思い浮かんだんだが、我ながら女々しい名前だな。
ここは男心を忘れないために、どうせなら女らしくも男らしい名前がいい。
「ん? どーしたの?」
い、いかん……中性的かつ凛々しい名前が思い浮かばない。
自分のネーミングセンスが恨めしい。
ふむ……もういっそのこと記憶喪失ということにしておくか。
まだこの世界のことは何も知らないし、その方が色々と都合がいいような気がする。異世界トリップもののゲームや漫画なんかは記憶喪失ってことにして、周りの人たちから色々と教えてもらうって展開もあるしな。
「名前は……分からないんです」
「わからない?」
幼女相手に敬語で応じると、レオナは可愛らしく小首を傾げた。
「記憶がないので、自分の名前も分からないんです」
「きおく?」
「あ、思い出を忘れちゃってるんです」
「……じゃあ、えっと、なにもおぼえてないの?」
「はい」
レオナは愛らしい柳眉を僅かに寄せて、幼女らしからぬ所作で腕を組んだ。実に微笑ましい姿で抱きしめたいほどだが、俺は密かに感動していて、それどころではなかった。
だって、普通に声が出ているのだ。前世の俺の声帯は長期不使用によりイカレていたが、このロリボディではロリロリしい美声で普通に喋れる。
俺はコミュ障でもあるというのに……これも新生したおかげだろうか。
「うーん、そっか。よくわかんないけど、じぶんのなまえがわかんないんだね」
「はい、そうなんです」
「じゃあ、あたしがつけてあげるっ」
「え……?」
レオナは元気良く宣言すると、俺と同じく肩まで浸かり、小難しい顔で考え出す。
これは……どうしよう。
俺としてはひとまず記憶喪失ってことにして、じっくり考える時間を作りたかっただけなんだが……まあいいか、断るのも気が引ける。
だってさ、幼女が俺のために必死に考えてくれてるんだぜ?
泣かせるじゃないの。
娘を持つ父親の気持ちが、今なら少しだけ分かる気がするよ。
などと感慨深く思っていると、レオナは満面に笑みを咲かせて告げた。
「ローズ……ローズにしよっ、いーなまえでしょ?」
「ローズ」
いかにも女っぽい名前だ。
英語で薔薇。
クズニートに薔薇って一番似合わない組み合わせだなおい。
いや……でもこれはいい機会かもしれない。クズニートっぽくない名前にすることで、俺のクズな部分とおさらばするんだ。
名は体を表すという。
それっぽい形を先に作っておけば、おのずと中身も変わってくるだろう。
ローズ。
そう思えばいい名前じゃないか。
綺麗な俺には棘があるってか?
格好良いな、気に入った。これなら今後の人生が薔薇色になるかもしれない。
「いいですね、ローズ。ありがとうございます……レオナ」
思わず『さん』か『ちゃん』を付けそうになったが、やめた。
きっとレオナはいい子だ。俺はこの子と友達になってみたい。
…………友達、か。
何年ぶりにこんなこと思ったんだろうな、俺。健全な精神は健全な肉体に宿るって話、本当かもしれない。この汚れを知らないプリティボディが、俺の荒んだクズメンタルを現在進行形で浄化している気がする。
「それじゃあローズ、あたしのあたまあらって?」
「任せてください」
レオナは頭を川面に沈めた。
俺は彼女の頭を優しく丁寧に洗ってやる。洗うといっても、頭皮をマッサージするように揉んでやったり、髪を水中で梳いたりするくらいだ。
そうして幼女の頭を洗っていると、俺はふと指先に違和感を覚えた。レオナの前髪あたり――両のこめかみから何センチか上の頭皮に、硬い何かが左右それぞれにあるのが感じられる。たんこぶにしては石のように硬質で、かなり小さいくせに妙な存在感がある。
なんだろうと思って触り続けていると、レオナの頭が浮上してきた。
「ぷはぁっ、ふぅ……もー、ローズ、つのばっかりさわってないで、ちゃんとあらって」
「つ、角……?」
「あたしはリュージンとニンゲンのコンケツだからね」
リュージンとニンゲンのコンケツ。
……リュージンって、竜人か?
いやでも、獣っ子もいれば翼の生えた男もいる。
十中八九、この世界には亜人種がいるのだろう。
おいおい、なんか……いいな。異世界といえば亜人だが、こうして実際に目で見て手で触れてみると、興奮してくる。
まあ、俺は普通の人間っぽいけど。
どうせなら俺も翼のある種族に転生したかったな。
空を飛ぶとか素敵すぐる。
元クズニートに翼をください。
「すみません、少し驚いて。次はちゃんと洗います」
「うん、あたしのつぎはローズのもあらってあげるっ」
可愛いなぁ。レオナちゃん可愛いよ、うん。
何かあったら、この子は俺が守ってやろう。
なにせ俺の名付け親だ。このロリボディの実の親は不明だし、前世の俺は親不孝者だったから、大切にしないとな。
そんなことを思いながら、俺は幼女と身体を洗い合った。
ちなみに、レオナは四歳らしい。
子供は三、四歳の頃が一番可愛いと言うが、本当だな。
まだ生意気さのない純真な瞳は、宝石がクズ石に思えるほどに美しいよ。
♀ ♀ ♀
異世界といえば亜人だとは思ったが、もう一つ大事な要素もあった。
魔法だ。
「――――」
俺は絶句していた。呆然と立ち尽くしながら、前後左右から不規則に吹き付けてくる風に身を晒す。
つい先ほど、俺たち幼女は川から上がると、川辺で一列に整列させられた。何事かと思う間もなく、銃を持った男二人が雑談しながら俺たちの前にやって来て、それぞれが片手を向けてきた。
「■■■■■■■■――〈■■〉」
意味不明な呟きの後、風が吹いた。
強風だ。思わず倒れそうになるほどの風圧が正面から吹き付け、同時に背後からも突風めいた風に見舞われた。それが十数秒後には左右からの風になり、その次は斜め前と後ろから。不規則に、しかし必ず両面から挟み込むように、強風が襲いかかってくる。
俺は長い髪をされるがままに乱される中、この状況が意味するところを直感的に理解した。
魔法だ。
何をどうしているのかは全くもって意味不明だ。
が、全身の水分を弾き飛ばすほどの風を巻き起こしているのは、まず間違いなく手のひらを向けてきている男二人だ。
魔法……まさか俺にも使えるのだろうか?
いや、使えるはずだ。なにせ俺はこの世界の幼女なのだ。これまでの記憶がないだけなのか、目覚めた時点でこの身体に憑依するように転生したのかは不明だが、とにかく俺は亜人種が存在する世界の幼女ローズなのだ。
「ふ、ふふふふ……」
興奮が抑えられなかった。自然と頬が緩んだ。
前世では情けなくも魔法使いになったが、所詮エセなので当然のように何もできなかった。しかし、この世界ではきっと違う。
「……………………」
ミ ナ ギ ッ テ キ タ !
よし、俺はなんとしてでも奴隷という立場から脱する。
そして魔法を習おう。
パンツを穿いて真人間となり、本物の魔法使いになるのだ。
しかしそういえば、さっきの詠唱と思しき口上が何を言っているのか、さっぱり意味を理解できなかった。このロリボディの知っている言語ではないのだろう。
いや、というか、詠唱するだけで魔法って使えるのか?
だったら奴隷とかすぐ反乱を起こしそうで、制度として崩壊しそうだが。
今しがた野郎が口にした詠唱はしっかり覚えている。
意味は分からなかったが、とりあえず発音を真似て密かに呟いてみた。
「■■■■■■■■――〈■■〉」
……。
…………。
………………はい、特に変化なし。
やはりただ詠唱するだけでは使えないのか?
うーむ、全く分からん。
とにもかくにも、早くそのへんのことを詳しく知りたいな。
「よぉしっ、行くぞテメェら! さっさとしろっ!」
ほんの一分ほど強烈かつ大雑把なドライヤーで乾かされた後、俺たちは再び来た道を引き返し始める。相変わらず首輪と鎖は健在で、パンツもなければ靴もないが、俺の心は軽やかだ。
やっぱり人間、希望や目標があれば強くなれるな。若々しい肉体というのも無限の可能性を示唆するようで、やる気が満ち満ちてくる。
「レオナ、レオナ」
俺は年甲斐もなく心を躍らせ、逸る好奇心を抑えられず、前を歩くレオナに話しかける。
「ん? なあに?」
「さっきの風って、魔法ですよね?」
「そうだね、たぶんマホーだね」
オォ、イッツァ、マホォー!
よしよしっ、いいぞ、やっぱり魔法だ!
「どうやって使うのか、知ってますか?」
「さあ、わかんない」
「そうですか……」
まあ、仕方ない。
レオナはまだ四歳のロリっ子だ。知らなくても無理はないさ。
「ローズはマホー、つかいたいの?」
「もちろんっ、レオナは使いたくないんですか?」
俺は若干ハイテンションぎみに頷く。
すると、レオナは不思議そうな顔をして、さも当然のことのように仰った。
「でも、おんなはマリョクがないからつかえないって、まえにおかーさんいってたよ?」
「…………え?」
「だからきっと、あたしもローズもマホーはつかえないよ。マホーをつかうにはマリョクがいるんだって、おとーさんいってた」
「……………………」
魔法が、使えない?
「おらそこっ、無駄口叩くな! 黙って歩けクソ共っ!」
すぐ近くから男の怒鳴り声が聞こえてきた。
俺に怒気が向けられている。
そう思うと、男の声はクソ兄貴を彷彿とさせて、恐怖心を喚起させる。
が、今の俺はそれどころではなかった。
魔法が、使えない。
女は魔力がないから、使えない。
俺は幼女。
股間に息子の姿はない。
「…………え?」
俺の抱いた希望は三分で打ち砕かれた。