第二十九話 『初の実戦』
リリオを発って、三節が経った。
旅路は順調だ。
嫌になるくらい青々とした空に、白い雲。たまに降る雨は鬱陶しく、快晴の多い道中は蒸し暑さも感じるが、悪くはない。
しかし、俺は思わず呟きを溢した。
「なんか不気味ですね……」
今日は朝方から森――通称エーマの森に入っている。
深く生い茂る木々の中に街道こそ敷かれてはいるものの、人気はない。何組かの馬車とはすれ違ったが、平原地帯よりも明らかに少ない。野鳥や虫、あるいは魔物と思しき鳴き声がどこからか響いてくる。
幸い、陽光は十分入ってくるので特に薄暗くはない。とはいえ、熊野古道的に癒やされるような雰囲気でもない。既に昼前で、もう六時間近く木々の中を歩いているが、まだ森は抜けない。
「大丈夫ですよ、ローズ。ここは以前にも通りましたが、特に危険はありません。魔物もそう強くはないですし」
「でも、野盗とかはいないんでしょうか? 襲撃するには絶好の場所だと思うんですけど……」
「この道を通る人は腕に自信があるか、屈強な護衛を付けている場合がほとんどです。そのせいか、賊もこの辺りは少ないそうです」
エリアーヌはいつも通り真面目な様子を崩さず、幼女相手に優しく説明してくれた。
この人気のない街道はアナーキーな連中にとっては格好の狩り場っぽいが、だからこそ通る者たちはそれなりの備えをしている。賊共は返り討ちに遭い続け、次第にここは狩り場にならないと周知されていったのだろう……と納得できなくはないが、それでも野蛮な連中はいそうだ。
俺たちは男二人に女三人という組み合わせで、あまり強そうには見えないはず。なにせ一人は見た目が美少女っぽい美女、更に一人は幼女っぽい三十路野郎である。実は幼女も含めて全員が魔法を使えるとはまず思うまい。
「そんな心配しなくても大丈夫よ。もし悪い人たちが出てきて危なくなったら、ロックを囮にして逃げればいいから」
「……いや、マジに危なくなったらそれでもいいけどさ。なんかそうやって言われるとやる気なくなるな、おい」
ラヴィの言葉に、前を行くロックは馬上から振り返りつつ複雑な顔で呟いた。声音には不承不承といった態が表れていたが、それでも嫌とは言わないロック。
お前ってやつは……やはり人は見掛けによらないな。
ま、もし危なくなったら、俺のために遠慮なく犠牲になってくれや。
そんな感じに雑談しながら、深い森の街道をカッポカッポとテンポ良く進んでいく。殊更に自然に囲まれているせいか、羽虫が多くて鬱陶しいが、これまでの道中でも散々虫は見てきたせいで、もう慣れてしまった。
ぬくぬくと引きこもっていたクズニートも逞しくなったものだ。
「ローズ、ちょっとジッとしててね」
ラヴィはそう言って、俺の髪をいじくり始める。
馬上では退屈なので、リリオからこっち、ラヴィは俺の髪を櫛で梳いたり、紐で結ったりしてくる。
今更だが、俺の髪は長い。リリオでの滞在中も、前髪以外は伸ばしていたのだ。
特に理由はないが、強いて言えば気分転換のためだ。幸か不幸か女に生まれ変わったのだから、長髪にしてみるのも悪くないと思った。
まあ、髪が長いと結構暑いんだけどね……
ラヴィもツインテ事件から髪は伸ばしている。今ではセミロングほどで、俺より少し短いくらいだ。以前、またツインテにするのか訊いてみたところ、もうしないらしい。長さも今くらいで固定するそうだ。
しかし、いま俺がラヴィに結われているのはツインテである。べつに今回が初めてというわけではなく、ここ三節で何度かされたので、もう慣れたものだ。初めてされたときは、ラヴィ的に何か思うところはないのか心配になったものだが、本人は平然としていた。むしろ微かな笑みを浮かべてすらいた。
「ローズはどんな髪型でも似合いますね」
結い終わると、俺を見つめてきたエリアーヌが感想を口にする。
「ありがとうございます。エリアーヌ先生の髪は短いですね。出会った頃から、変わってませんし」
「定期的に切ってますからね。……これでも私も、昔はローズのように長かったんですよ」
エリアーヌにしては珍しく、なぜか神妙な顔で自嘲気味に微笑している。
まるでどこかの衛兵のようだ。髪に矢でも受けてしまったのだろうか。
雰囲気的に深く突っ込むのは避けた方が良さげだった。
俺は空気の読める幼女なのだ。
「魔物だ」
なんて思っていると、不意にオーバンが渋いバリトンボイスを響かせた。オッサンは片手を挙げて馬を止めたので、ラヴィたちは他の三頭の足も止めさせる。
俺は周囲を軽く見回してみると、右斜め前方に、木々の間から出てくる異形の生物の姿がある。
「初級のバットヴァインね。大丈夫よローズ、前に通ったときも遭遇したけど、強くないわ」
ラヴィが俺のツインテヘッドを撫でながら、簡単に解説してくれた。
件の魔物を一言で表すれば、花だ。根そのものな足が何本も生え、胴部は茎、腕は大きな葉とツルで構成され、上部には色鮮やかな水色の花が咲いている。全長はラヴィくらいだろうか。そこそこ上背がある。
長いツルがうねうねと動き、頭部と思しき花はゆらゆらと揺れ、蠢いている姿は気色悪い。なんか食虫花っぽいな。
リリオからこれまでで、何度も魔物とは遭遇してきた。だから魔物という存在にも、俺はいい加減慣れてしまっていた。
というわけで、
「あれ、私が倒してみてもいいですか?」
幸い、森の只中だからか、周囲に人気はない。
俺が魔法を使っているところを余人に見られる心配はしなくてもいい。
「いいだろう。何事も経験だ、やってみろ」
四人の中で一番偉いオッサンから許可が下りた。
俺は少し気を引き締めると、街道脇の茂みから出てくる三体……じゃないな、えーと、六体か。いや、七体のバットヴァインを見据えた。
どんだけいるんだっての。
まあ、大抵の魔物は群れで出てくるのが一般的らしいから、べつにおかしなことではないんだけどさ。
さて、バットヴァイン集団との距離はおよそ二十リーギスほど。しかし触手は三から五リーギスほどはありそうなので、近づかれる前に殺る必要がある。
「ローズ、大丈夫?」
「大丈夫です。でも倒しきれないかもしれないので、フォローはお願いします」
「焦らず、まずは一体を確実に仕留めることに専念してください。ある程度近づいてきたら私たちで対処しますから、心配いりません」
「ローズ、火魔法は使うな。狙いが逸れて木々に延焼でもしたら面倒なことになる。弱点は花の部分だ。花びらの付け根を狙え」
ラヴィに心配され、エリアーヌに助言され、オーバンに指示されながらも、俺は構えた。
使用魔法はレ○ガンこと〈魔弾〉である。
今回はラヴィたちによる安心安全なアフターフォローが約束されているので、まずは小手調べをしてみる。〈魔弾〉なら威力調整もコントロールも一番手慣れているからな。
とりあえず……威力は中程度でいいか。初回なので、外れないように弾丸は大きめに形成する。
指先に仄白い光球が現れ、俺は一番先頭にいるバットヴァインに狙いを定めた。
「おぉ、すげえ、マジで詠唱なしに現象してるよ。てか、なんだその手の形?」
「ローズが集中してんだから、アンタはちょっと黙ってなさいよ」
野郎の声に集中力を乱されることもなく、俺は撃った。弾速はぎりぎり目で追える程度だ。我が〈魔弾〉は狙い過たず、バットヴァインの花弁部分に命中した。
と思ったら、腕の葉っぱで防がれた!
「な……んだ、と……っ!?」
「相手も必死だ。生半可な魔法だと防がれるぞ。弱点は火だが……今回は火魔法以外でやってみろ」
うぅむ……火魔法以外だと風魔法が良さそうだが、まだ俺は諦めたくない。
とはいえ、奴らの進行速度は意外と速く、敵集団先頭の個体との距離はもう十五リーギスを切っている。根っこがグロテスクに蠢きながら接近してくる様はキモいとしか言えない。
「それなら……」
今度は威力を大に、弾丸は小さく圧縮する。最大限の魔力は込めないが、ただの木なら貫通する程度の威力はあるはずだ。
今度の弾は目で追えなかった。魔弓杖と違って音も出ず、無音で射出された魔力弾は狙い過たず花弁の付け根に命中し、ガードはされなかった。
「おっ、やったなローズちゃん!」
ロックの賞賛を受けつつも俺は臨戦態勢を解かない。
攻撃が命中した一体のバットヴァインは力なくくずおれるも、他六体の進撃は止まっていない。あと一回魔法を使えば、エリアーヌたちによるフォローが入るだろう。今回は俺一人の手で全キルしたい。
そして美女二人から褒められたい。
今度は風の下級魔法をセレクトしてみる。さっきの〈魔弾〉よりも魔力を込めて、不可視の刃を横に大きく形成する。
そのとき、バットヴァインの一体が前進しながら腕のツルをしならせてきた!
「――っ!?」
だが距離が空いているので全然届かない!
ただの威嚇だったが、風切り音とかしたし、当れば結構痛そうだ。いや、たぶんあのツルで攻撃しつつ獲物を捕獲して、花の部分で食べるのだろう。
グロテスクすぐる……。
「〈風刃〉!」
ちょっとビビってしまったので、なんかそれっぽく魔法名を叫んでチキンハートを鼓舞した。宙を奔る不可視の刃はバットヴァイン六体の茎をあっさりと続けて断ち切り、更に森の木々を何本か切り倒した。
うーむ……オーバーキルだったか。
「凄いわローズ、よくやったわねっ」
ラヴィが抱きついてくる。
俺は彼女の胸に顔を埋めつつ、柔らかな肢体を堪能する。ラヴィは中学生のような身体をしているが、これはこれでイケるのだ。
「魔法の選択は良かったですが、力みすぎですね。あれだけの威力は必要ありませんでした。とはいえ、初めてにしては上出来です」
エリアーヌもなんだかんだ言いながら、撫で撫でしてくれる。
これだよ、これ。やはり若々しい美女二人からチヤホヤされるのはいいね。
心が潤うよ。
い、いや……べつにテレーズを責めてるわけじゃないのよ?
「これが天才って奴か……オレとは比べるべくもねーな」
「ロックさん、ローズは天才ではありません」
ロックの感嘆とした呟きに、エリアーヌは珍しく厳しい表情で突っ込んだ。
何かを訴えかけるように野郎を鋭い翠眼で見据える様は、ちょっと怖い。
「お、おぉ……そ、そうな。エリアーヌちゃんの言うとおり、天才ってほどでもねーよな、うん」
気圧されたのか、情けなくもロックはしどろもどろに訂正を口にする。
それにしても、エリアーヌ先生は厳しいな。たしか俺が初めて魔法を使ったとき、彼女は天賦の才云々と言っていた気がする。前と言ってることが矛盾しているが、たぶんエリアーヌは幼女が調子に乗らないように気を遣っているのだろう。
まあ、それは杞憂というやつなのだが……。
俺なんかが天才なわけないしな。
ルイクはともかく、冷静沈着なテレーズ先生にも散々言われてきたことだ。
分は弁えているつもりですよ。
「倒した魔物は燃やすんですよね?」
「そうよ。せっかくだから、そっちも自分でやってみて。周りの木々に燃え移りそうだったら、手は貸すけどね」
というわけで、俺は街道上に倒れたバットヴァインの死骸を下級の火魔法で焼いた。幸い、七体全て石畳の上にいるので、延焼の心配はない。
バットヴァインは植物性の魔物だからか骨はないようで、それほど熱量も必要とせず、あっさりと焼けた。やはりこいつは火魔法が弱点なんだな。
「よし、では行くぞ。あまり立ち往生していては、また狙われかねない」
相変わらず一人だけ冷静なオッサンの言葉に、俺たち四人は頷いた。
フラヴィと共に騎乗し、再び街道を進んでいく。
魔物を倒せる程度には、俺も強くなった。
およそ一年前、俺は奴隷としてこの世界で目覚めた。
あの頃とは比べるのもおこがましいほど、俺は力を手に入れた。
しかし、ここで安心感を覚えてはいけない。
かつて俺は高認を習得して調子に乗り、大学受験で惨敗した。
現在の俺の最終目的はレオナを見付けて助け出すことだ。砂漠で一粒の砂金を探し出すが如く、非常に困難で忍耐力を要求される目的だ。その例えでいくと、俺はまだ砂金を探し出す段階にすら至れていない。砂漠という過酷な環境での捜索活動を行うための、身体作りという準備段階に過ぎない。
今の対バットヴァイン戦だって、大人四人が側にいたからこそ、安心して戦えたのだ。まだ俺は幼女なので、接近されて肉弾戦に持ち込まれれば、まず間違いなくやられる。一人だったら緊張で上手く動けなかっただろうし、対人戦など言うまでもない。
慢心してはいけない。
俺は肉体的にも精神的にも未熟な人間なのだ。
もう、失敗も後悔もしたくはないからな。
たとえ楽勝だったとしても、きちんと兜の緒は締めよう。