第二十七話 『熟女に寄りそう幼女の作法』
翌日――慰霊祭当日。
奥義と魔眼を駆使してガストンとルイクに巧みな根回しをしたおかげで、俺はテレーズと一緒に慰霊祭に参加できることになった。参加とはいっても、単に町の広場へ行って、お祈りみたいなことをするだけだという。
ガストン曰く、町の権力者なんかは強制参加らしいが、住民や猟兵、旅商人などは自由参加らしい。
「ったく、なんであたしが帝国の姫のために祈らなきゃいけないんだい……」
広場へ向かって夜の町中を歩いていると、テレーズが溜息混じりに愚痴をこぼした。
俺はリリオの町でもう二期以上も過ごしているが、夕食後に町を出歩くのは初めてだった。普段は晩飯を済ませたら自室へ引っ込み、二日おきに身体を洗うか、勉強するかしていた。蒼水期に町で祭りがあったが、俺は特にエンジョイしなかった。レオナもいないのに一人で陽気にフェスティバるわけにはいかなかったのだ。
いま思えば、自分でもビックリするくらい真面目でストイックだったな。
「あんまりキョロキョロするんじゃないよ」
「あ、はい」
夜の町は……意外と静かだ。
屋根裏部屋に引っ込んでいても、窓を開けていれば町の喧噪は少なからず聞こえてくるが、今日はあまり騒がしくない。通りには普通に人が行き来しているものの、三人一組で闊歩する騎士っぽい軽鎧姿の連中が散見される。普段は昼間でもあまり見かけない連中だが、今日は昼でも夜でも良く見かける。
十中八九、慰霊祭だからだろう。
「…………」
「…………」
俺たち二人の間に会話はない。
思えばテレーズとは授業や生活に必要な会話しかしてこなかった気がする。
とりあえず、何でもいいから話しかけてみることにした。
「あの、テレーズ先生。夜の町っていつもこんな感じなんですか? なんというか……少し暗い気がします」
通りに面した店や家々から、漏れ出てくる明かりがあまりなかった。
夜とはいえ、まだ陽が沈んで二時間ほどだ。いつも部屋にいると、この時間帯は窓の外から町の賑いが伝わってくる。慰霊祭なので今日はやや物静かだが、町全体が放つ光量が少ないように思う。
「慰霊祭のときは余計な明かりを灯してちゃいけないことになってるのさ。だから暗く感じるんだろうね」
テレーズは隣を歩く俺をチラっと見下ろすと、素っ気なく答えた。
「どうして、余計な明かりを灯しちゃダメなんですか?」
「あんたも歴史は勉強しただろ? 聖神アーレってのは……ほら、ああして空からあたしたちを見てる」
テレーズは夜空に浮かぶ紅い半月の横、いつ見てもまん丸な黄月を指差した。
「黄月ってのは神の眼だ。そして慰霊祭を取り仕切るエイモル教にとっては神聖なもんだからね。死者の魂が町の明かりに埋もれてしまわないように、なるべく暗くして聖神様の眼に留まり易くするってことさね」
「あぁ、なるほど」
「ま、そうは言っても、リリオに市壁はないからね。魔物やら賊やらが慰霊祭の暗闇に便乗して襲撃してくる可能性もあるから、城塞都市ほど暗くはならないよ。せいぜい普段より少し暗くなる程度だろうね」
相変わらず、口調は不機嫌そうというか、性格的なキツさが感じられる。とはいえ、テレーズはこっちが訊けばきちんと答えてくれるのだ。同じ事は三回目までしか教えてくれないらしいが、まだ俺はその愚を犯したことはない。
「よく分かりました。教えてくれてありがとうございます」
「ふん」
俺の上目遣い&ロリボイスでの感謝も、テレーズには効果がない。
いつものように幼女相手にも愛想なく鼻を鳴らして応えただけだった。
「……………………」
しばし逡巡した末、チャレンジャーな俺は思い切ってテレーズの手を握ってみた。すると、オバサンは驚いたように一瞬だけ身体を強張らせて眉根を寄せ、鋭い目付きで上から俺を見下ろしてくる。
「ぇ、あ……ご、ごめんなさい……」
思わず手を引っ込めてしまった。チャレンジャーとはいえ、ガラスの心を持つ俺には尚も握り続ける勇気はなかった。前世では幾度となく敵前逃亡ばかりし続けてきたチキン野郎には一度のチャレンジで精一杯なのだ。
などと密かに自嘲していると、頭上から素っ気ない口調のハスキーボイスが降ってくる。
「利き手を握られると落ち着かないから、手を繋ぎたきゃ左にしな」
「……え?」
俺は耳を疑いつつも、テレーズの反対側に回り込んで左手を握ってみた。
テレーズの手は……なんというか、木みたいだった。手のひらから指先まで硬く、肌は少し荒れていて、瑞々しさもほとんどない。しかし、なぜか手に馴染むし、どことなく安心感がある。
「…………」
なんとなく話しかけられず、無言になる。
だが、居心地の悪さはそう感じない。
俺たちはどこか不思議な雰囲気を保ったまま、町の広場まで歩いて行った。
♀ ♀ ♀
広場には思ったより人が集まっていた。
リリオには東西南北に四つの広場があり、市や催し物なんかはここで開かれる。
以前、フラヴィたちが帰ってきたとき、美女二人と俺の三人で市に行き、新しく服を何着か買ってもらったことがあった。あのときの賑わいと比べるとだいぶ静かだが、人口密度はそれなりなせいか、妙な熱気がある。
広場中央部には高さ二リーギスほどの演壇っぽい簡素な祭壇が仮設されていた。その壇上で、白を基調とした裾長の祭服を身に纏ったジジイがいる。辺りには幾つか松明が灯ってはいるが、全体的に薄暗い。
「もっと人は少ないと思ってました」
「真面目に祈りに来てる奴なんてそんなにいないさ。ただエイモル教の祭儀だから、なんとなく集まってる奴が大半さね。他は面白半分か暇つぶしで顔を出してる連中だろうね」
エイモル教の信者だから、とりあえず参加しておこうって人が多いのか。あるいは、町の住民にとっては非日常的なイベントなら、なんでも楽しいのかもしれない。この世界に娯楽は少ないしな。
実際、通りには食べ物の屋台とか普通に出ていて、食べ歩きしている人も見かけた。それでも本当のお祭りのように騒がないのは、町中を見回る騎士めいた連中のせいか、エイモル教の力か、あるいはそれくらいの節度は弁えているのか。
いずれにしても、一種奇妙というか異様な雰囲気は感じられる。中途半端に高温な、沸騰しそうでしない熱湯のようだ。
「ま、この辺でいいかね」
人混みの中、俺とテレーズはとりあえず適当な場所に立ち、祭服のジジイによる祭儀が始まるのを待つことにした。
「なあおい、そのミスティリーファ様って美人だったんかな?」
「さぁなぁ……皇女様どころか、皇帝様の顔だって絵でしか知らねえのに、分かるわけないだろ。噂じゃもの凄い美人だったってことだが、実際はどうだか」
近くにいるオッサンが、同じくオッサンと雑談している。素朴そうな普段着姿からして、この町の住民だろう。
猟兵は各々の得物を持ち歩いているし、雰囲気も独特なので、一目でなんとなくそれと分かる。ちなみに、そうした猟兵連中も割かし散見される。
「まあ、何にしても可哀想なこったな、まだ十五だったってんだから。人生これからだったろうに」
「でも俺らと違って贅沢三昧で育ったんだから、いい報いとも言えるぜ」
ふむ……これが帝国民の心情とはいえ、なかなかに厳しい意見だな。
でも前世の俺が、天皇の次女が亡くなったというニュースを見たとしても……あまり思うところはないだろうな。ましてやこの世界の帝国民は皇族の顔もろくに知らないんだから、同情もし辛いだろう。
「そういえば、帝室近衛騎士の話、知ってるか?」
「何の話だ?」
「ほら、皇族って一人一人に専属の優秀な騎士様がつくって話、あるだろ? その皇女様にも騎士がいたらしいんだけど、そいつも暗殺者に殺された……ってことになってるよな?」
「あぁ、そう聞いたな」
コモンセンスを磨く一環として、オッサン二人の会話を盗み聞いていると、美少女を発見した。
イヴだ。
俺たちとはオッサンを挟んだ向こう側に立ち、広場中央を向いている。薄暗い広場は紅月と黄月に照らされ、松明と月光による陰影がどことなく憂いを孕んだ美貌を作りだし、なかなかに魅力的だ。ナンパとかされないか心配になるな。
とは思いつつも、情報収集は欠かさない。
「でもそいつ、実際は生きてるらしいぜ」
「ん? 帝室近衛騎士って、主が死んだら自分も死ななきゃいけないんだろ? 前にどっかでそう聞いたぞ。殺されてなくても、処刑か自殺かしてるんじゃねぇのか?」
「ところがどっこい、その騎士様は死ぬのを恐れて逃げ出したって噂だ。いや、表向きは死んだってことになってるらしいがな」
「おいおい、とんだクズ野郎だな、そいつ。皇女様を守りきれなかったのに、その責任をとろうともしないで逃げ出すとか」
「しかも第二皇女の騎士はあの名門貴族様、ヴィリアス家の次男だったってんだから、驚きだよな。帝国騎士の鑑とか言われてる貴族様も地に堕ちたもんだよ」
「皇女様を守れず逃げ出すくらいのことなら俺でもできるな」
「おれにもできるぜっ」
野郎二人は愉快そうに笑い合う。
「それはどうでしょうか」
だがそこに、静かな、でも芯の通った力強い声が割って入った。
「あん? なんだアンタ」
イヴはやや訝しげに問うオッサンに身体ごと顔を向ける。一見すると落ち着きのある面差しをしているが、俺の魔眼は双眸から滲み出る苛烈さを見逃さなかった。
美少女は表向き穏和な笑みを浮かべながらも、妙に淡々とした声を放つ。
「逃げ出すことは誰にでもできます。誰にでもできないことをするからこそ、貴族は貴族たり得るのです。それは騎士にも同じ事が言えます」
「なーに言ってんだアンタ。皇女様の騎士は実際逃げ出したって話じゃねえか」
「…………私なら」
翼人美少女は鼻で笑うオッサンへ鋭い眼光を向けたが、ほんの一瞬のことだ。
イヴはどことなく自嘲的な笑みを浮かべた。
「守るべき人を守れなかったとき、死して責任と償いを果たすより、復讐を選びます。あなたはどうですか? 家族が、大切な人が殺されたとき、犯人を殺してやりたいとは思いませんか?」
「そりゃあ……まあ、そう思うかもしれねえが……」
「ならば、その騎士は逃げ出したのではなく、復讐しようとしているのではないでしょうか。私はそう考えます」
イヴの言葉を前に、野郎二人は互いにしかめっ面を見合わせた。その様子は「なんだこいつ」と言わんばかりである。愉快に談笑していたところに横やりを入れられたのだから、当然の反応といえるだろう。
「あー、ったく、何なんだいったい……」
オッサンたちはわざとらしく肩を竦めると、白けた顔で歩き去って行った。
そうして、むさい野郎共がいなくなったことで、美少女と俺の間を隔てるものがなくなった。
「こんばんは。シャロンちゃんは、どう思いますか?」
先ほど一瞬だけ目が合ったせいか、挨拶も早々に、イヴが微苦笑を浮かべながら訊ねてくる。それは幼女の意見を聞きたいというより、会話の切っ掛け作りか、あるいは今の一幕を恥じるが故の誤魔化しのように感じた。
「どう……なんでしょう?」
「さてね。逃げ出したにしろ、復讐しようとしていたにしろ、皇女様を守れなかった事実は変わらないさね」
俺が首を傾げながらテレーズを見上げると、彼女は相も変わらぬ様子で答えた。
「……そうですね。逃げ出した逃げ出してない以前の問題として、まず騎士としての役目を果たせなかった。それは厳然たる事実でしょう」
「あんたも変わってるね。皇女だとか騎士だとか、そんなのに関心持つなんて。それとも、見かけによらず噂話が好きなのかい?」
宿の外とはいえ、客相手だろうと全く態度を変えないテレーズさん。
しかし、この世界の接客はたいてい粗雑で馴れ馴れしい。奴隷や本など、高価なものを扱う店でない限り、畏まった接客はされないようなのだ。
「どうでしょう。私はただ、一人のオールディア帝国民として、思うところを口にしただけですので……ところで、シャロンちゃんもお祈りに来たんですよね?」
イヴは穏和な相貌に困ったような笑みを浮かべつつ、テレーズから俺に視線を転じる。
「はい、そうです。皇女様の顔は知らないですけど」
「それはみんな同じですよ。ですが、たとえ会ったことのない人へ向けたものでも、誰かのために捧げる祈りとは尊いものです」
落ち着いた声で告げ、美少女は俺の頭をゆっくりと撫でてきた。どうにも俺はよく大人たちから撫で撫でされるが、そんなに撫で心地が良さそうに見えるのだろうか。
それにしても、イヴは外見的に十五、六歳ほどだが、実際はもっと年上のように思えてくる。この世界の住人は十五歳で成人するらしいので、前世に比べて若くともしっかりしている人が多いのかもしれない。
「祈りは尊い、ねえ……祈っても死者は蘇らないさね。死んでから祈ってやるくらいなら、そいつが生きているうちに、死なないよう手を貸してやった方が百倍有意義だと思うけどね」
さすがテレーズ、身も蓋もないことを臆面もなく言っちゃってるよ。
たぶん……というか間違いなく、テレーズはエイモル教の信徒ではないのだろう。
「それでも、死者を悼むことなくして、人は人たりえません。祈ることで、いなくなってしまった人だけでなく、自らもまた救われるのです。貴女は、誰かのために祈ったことはありませんか?」
「……さてね」
テレーズはどうでも良さそうに呟いて、肩を竦めてみせる。
対するイヴの方はそんな熟女の反応にも特に怒りや不快感はみせず、穏やかに小さく頷いた。
「ですが、貴女の言葉は至極尤もですね。祈っても死者は蘇らない。死んでから祈るくらいなら、死なないように手を貸してやった方が百倍有意義……ありがとうございます、良い勉強になりました」
「ふん、あたしはただ言いたいことを言っただけだけさね。なに勝手に感謝してんだい。ほんとに変な子だね」
変人呼ばわりされても、イヴは少し困ったような笑みを覗かせるだけだ。
心の広い美少女だな……とか思っていると、鐘の音が聞こえてきた。
いつもならもう寝ている頃か。夜気を震わせて響くそれは、慰霊祭という日に耳にすると、また違った音色に聞こえるから不思議だ。
「そろそろ始まる頃でしょう。お邪魔でなければ、このまま隣にいても?」
テレーズはちらりと俺を見下してから、美少女の問いを華麗に無視し、首筋をもみほぐし始める。
これは……俺が答えても良いってことなのか?
だったら、返事など当然一つしかないですよ。
さあ皆さんご一緒に、せーの……
「いいともー!」
と、片手を振り上げながらハイテンションでロリボイスを発した。テレーズは何事かという訝しげな顔を見せ、イヴの方は慈しみの微笑みを湛えている。
勢いで答えておいてなんだが、イヴがいてはテレーズ攻略に支障をきたしそうだが……ま、いいか。美少女なら許す。
俺はせっかくの好機を逃さず、果敢に攻めることにして、イヴの手を握ってみる。柔らかな雰囲気を纏う彼女は当然のようにそれを受け入れてくれて、俺の心はホカホカになった。
イヴの手は瑞々しくてスベスベなくせに、テレーズやエリアーヌのように少し硬い。
「そういえば、イヴさんは何歳なんですか?」
「私ですか? 十五ですけど」
大変よろしい。
思い返せば、まだこの年頃の美少女と関わり合ったことはなかった。
だからなんだって話だが。
♀ ♀ ♀
慰霊祭は祭服のジジイ(司祭らしい)の畏まった口上で始まった。
広場に集まった連中はジジイの有り難いお言葉を拝聴した後、各々で祈り始めた。広場周辺の明かりがほとんど消えて、淡い月光の元、両手を胸の前で組んで黙祷する。基本的にはただそれだけのことであり、俺も見よう見まねでやってみた。
とはいえ、俺はミスティリーファ皇女殿下のご尊顔を知らない。だから適当に脳内で、かつてエロゲで攻略したお姫様なヒロインを思い浮かべつつ、同じ魔女として安らかに眠るよう祈ってやった。いい機会だったので、リタ様のためにも黙祷を捧げた。
祈りの最中、広場は少々の話し声こそあれ、町中とは思えないほど静けさに満ちた。
その後、司祭のジジイが偉そうに聖神アーレがどうこう亡き皇女殿下がどうこうと宣った後、終了と相成った。時間にして、だいたい二時間弱ってところか。
意外と呆気なかった。
「私はもう少し残っていきますので」
その後も祈りの時間は続くらしく、広場に残りたい人はそのまま祈っていくそうだ。
俺たちはイヴと別れ、帰路に就いた。
「…………」
広場から伸びる通りにはまだ活気が薄く、どこか穏和な空気が流れていた。
俺はテレーズと手を繋ぎつつ、静かに涼風亭へと歩みを進めていく。
しかし、それだけではいけない。このまま何事もなく帰り着いてしまえば、夜更かしした意味がなくなってしまう。
俺はテレーズと話をして、彼女と打ち解けるのだ。笑って話せるようには……やっぱり難しいだろうから、せめて小言を頂戴しない程度に親睦を深めたい。
「……あの、テレーズ先生」
何をどう話せばいいのか分からないが、とりあえず話しかける。
こういうことは勢いが大事だ。
と思ったのに、テレーズの神経質そうな細い眼に見下ろされると、意気が萎えてくるよ……。
「えっと、その……せ、先生は私のことっ、嫌いなんですか!?」
それでも、俺は言ってやった。
前世でもここまでストレートに発言したことが果たしてあっただろうか。他人からは幼女に見られているという状況だからこそ、こうも愚直なまでにものを言えるのだろうが、理由なんて何でもいい。
「突然なんだい……?」
案の定、テレーズは眉根を寄せて、眉間に小さく縦皺を作った。
「先生はいつも不機嫌そうで、笑った顔を見たことがありません。私にはよく苛立ったように注意しますし、とても厳しいです。もし私に至らぬところがあれば教えてくださいっ、改善します! 私はテレーズ先生に嫌われたくないんですっ!」
「――――」
繋いだ手を強く握りながら、真っ直ぐにテレーズの眼を見上げた。
俺たちはどちらからともなく往来の真ん中で立ち止まり、視線を重ね合う。彼女は少し双眸を見開いていたが、ややもするといつもの気難しそうな顔に戻った。
「べつに嫌ってはないさね」
表情に反して、その声は普段より二割くらい柔和な響きを有していた。
気のせいじゃなければね。
「あたしはただ、誰かにものを教えるのが好きじゃないだけさ」
「で、でも、昔は槍術を教えていたんですよね?」
「……ルイクのやつだね、そんなこと言ったのは。ったく、余計なことを……」
テレーズは溜息混じりに愚痴るが、いつもより険が少ないように思う。今この町に漂う雰囲気のせいだろうか。
通りには少なからず活気はあるし、酒場かどこかからは騒ぎ声も遠く聞こえる。だが同時に、水底めいた静けさも漂っていて、哀愁を誘う独特の雰囲気がある。
「あんたはまだ小さいから分からないだろうけどね、人に何かを教えるってのは、思ってる以上に責任ある……って、やっぱり話すだけ無駄だね」
「そんなことありません。どうして誰かにものを教えるのが好きじゃないのか、教えてください」
テレーズは俺を見下ろし、星空を見上げた後、首をコキッと鳴らした。
そしてもう一度、今度は物悲しげに溜息を吐いた。
「さっきも言ったと思うけどね……死んでから祈ってやるくらいなら、そいつが生きているうちに、死なないよう手を貸してやった方が百倍有意義なのさ」
「……そう、ですね」
「だがね、人や魔物と戦う奴ってのは、意外とあっさり死ぬもんさ。たった一度の誤判断が死を招く。知っていれば助かっていたはずなのに、知らなかったから助からなかった……なんてことはざらにある。技や知識を教えるってのは、そいつの命運を大きく左右することなのさ」
知っていれば助かった。知らなかったから助からなかった。
それがそいつの命運を大きく左右する。
かつて喜劇めいた悲劇を経験した俺にとって、テレーズの言葉は異常なまでに共感できた。
「誰かに何かを教えるだけなら、簡単さ。だけど、そこには責任が伴う。軽々しく教えたことが実は間違っていて、それが原因で教え子が死んだらどうする? 限られた時間の中、何を教えて何を教えないのか、その取捨は教える側が決めることさね。必要なことを教えず、必要ないことを教えた結果、教え子が知識不足で死んだらどうする? ……誰かに何かを教えるってのは、人が思ってる以上に責任重大なことなんだよ」
「だから……テレーズ先生は、私に厳しいんですか?」
「さてね。ただ……あたしはあたしが教えた子には長生きして欲しいし、辛い目にもあって欲しくない。間違ったことを教えて、その子が恥を掻くだけなら未だしも、それが人生を狂わせる一因になったらどうするっていうのさ」
ややしゃがれたハスキーボイスには苦味と哀愁がのっていた。
「人生なんて、どこで躓くか分かったもんじゃないんだ」
「……………………」
教育というものは一種の洗脳であり、それを施す者には当然責任が付きまとう。
だからテレーズの考えは理解できるのだが、彼女は責任感が強すぎると思う。なにもそこまで考慮しなくとも……と普通は思うだろうが、俺にはそうした深慮は馴染みのものだ。
かつて誰からも好かれようとしていた俺は深く深く考えて考え抜いて、何気ない言動一つが周囲へ与える影響すら考慮して生きていた。それは我知らず俺の心に擦り込まれた妄執めいた強迫観念によるものだった。
今は言うに及ばず、引きこもってからの俺は、もう馬鹿馬鹿しくなってそこまで考えてはいない。いや、正確には考えないようにしている。あまりに深く考えを巡らせすぎると、疲れて、苛立って、次第に無気力になって、挙句には引きこもってしまうからな。
テレーズは昔、訓練生に槍術を教えていたという。
教え子の訃報を耳にしたことは一度や二度ではないのだろう。それに悲しみ、責任を感じて、より深く考え、より厳しくしてしまう心理はむしろ当然とも言える。
裏を返せば、俺のことをどうでも良いとは思っておらず、真剣に思ってくれていたということだ。俺はそうした心理の存在は理解していたつもりだが、いざ自分に向けられると、とてもそうとは思えなかった。
これも十年以上にわたるニート生活の後遺症なのだろうか。
「テレーズ先生は、心配性なんですね」
「うっさいよ。四歳児の分際で分かったような口きくんじゃないよ、まったく……」
テレーズは舌打ちを溢すが、俺の手を振り払うようなことはしなかった。
「やっぱり子供に話すようなことじゃなかったね……」
小さくかぶりを振って、自嘲し自戒するように呟くテレーズ。今この町の雰囲気に流されたことを悔いているのだろう。普段ならまず聞けなかった話だろうし、やはりヒロイン攻略においてシチュエーションは大事だな。
いや、テレーズはヒロインじゃないけどさ。
俺にとってのメインヒロインはレオナただ一人だよ。
「ん……?」
とか思いながら、なんて声を掛けようか逡巡していると、濃厚で脂っこい香りが鼻腔をくすぐった。食欲が刺激されて半ば反射的に周囲を探査すると、通りの端にある屋台が串焼きを売っていた。
網焼き器の上には豚だか牛だかのサイコロ肉が四つほど木串にブッ刺さり、その上にチーズがのっている。山吹色に輝くチーズと焼き肉のダブルパンチは、元メタボなクズニートの意識を一瞬にして奪った。
「テレーズ先生、ちょっと待っててくださいっ」
「あ? こらちょっと、急にどこ行くんだいっ」
「いいから待っててください、すぐに戻ります!」
俺は屋台に走り寄ると、五十路ほどのオッチャンを見上げた。
「オジサン、これ一本いくらですか?」
「なんだ嬢ちゃん、冷やかしなら勘弁してくれよ」
「ちゃんとお金は持ってます。それで、いくらですか?」
「一本25リシアだ」
あらま、意外と安いのね。
肉だからもっと高いと思ってたんだが……
「ちなみにこれ、なんのお肉なんですか?」
「ランドブルの肉だ。チーズと良く合うから旨いぞ」
ランドブルは魔物だ。俺は直接見たことはないが、そいつの肉は俺も食ったことがある。この辺りでは結構メジャーな魔物らしく、ブル肉は涼風亭の料理にも出ていた。
この世界では魔物も大切な資源となっているようで、連中の肉は割と普通に食されているらしい。もちろんと言っていいのか、この世界にも豚や牛はいて、奴らの肉に比べればブル肉の味は数段落ちる。
ちなみに以前聞いた話によると、ランドブルはデカい図体の割りに動きが素早く分厚い肉で鎧っているため、この辺りではそこそこ強い魔物らしい。尖った大角にやられる駆け出し猟兵も少なくないとかなんとか、料理人ルイクが言っていた。
「ねえ、おじさん。二本で30リシアにまけてくれませんか?」
「おいおい嬢ちゃん、それはちょっと厳しいな。でもまあ、45リシアならいいぞ」
生憎と俺は30リシアしか持っていないのだ。
うーむ……どうするか。
串には縦横三レンテほどのサイコロ肉が四つ刺さっている。一本25リシアだから、肉塊一個で6.25リシア。30リシアなら、単純計算で五つほどの肉塊が手に入る。
「おじさん……」
一瞬の思索を巡らせた後、俺はいじらしくモジモジして見せながらの奥義を発動した。
しかし、ただの奥義ではない。
上目遣い(涙目Ver.)+ロリボイス(涙声Ver.)の秘奥義だ。
「一本にお肉三つでいいですから、その串を二本で30リシアじゃ……ダメ、ですか……?」
「う、うーん……まあ、それなら……あぁいや、ったくしょうがねえな。もういいっ、普通に二本で30リシアにまけてやるよ!」
これぞロリパワー。
驚異の40パーセントオフである。
やはり白薔薇の二つ名は伊達じゃないな。
まったく、幼女は最高だぜ!
俺はポケットから30リシアを取り出してオッチャンに手渡し、両手で二本の串を受け取った。
「ありがとう、おじさん! お母さんと美味しく食べるねっ」
俺は幼女然としたロリロリしい言動で礼を言うと、オッチャンは満更でもない顔で笑った。
「おうっ、この辺で店出してるから、また来てくれよ」
「うん! またねっ!」
喜々としたロリボイスと笑顔をむさいオッチャンにプレゼントしてやってから、テレーズのところまで駆け戻る。
しかし、テレーズは訝しげな顔で俺を見下ろしてきた。
「金なんていつの間に貰ってたんだい」
「昨日、夕食の配膳をしているときにおじいさんから貰いました。きっと私が可愛すぎたせいですね」
「生意気言ってんじゃないよ」
なんて話をしつつ、俺は串焼き肉をテレーズに差し出した。
さらりと冗談を交ぜてみたが、割と普通に会話できてるな。
テレーズは既に我が術中にある。
「慰霊祭に連れてきてもらったお礼です。あと、これまでお世話になりましたし、これからもなりますから」
「ふん、随分と安っぽい礼だね。ま、有り難くもらっとくよ」
テレーズは渋い顔を見せながらも、受け取ってくれた。
子供に奢ってもらうなんてのは複雑な気分なのかもしれないが、彼女は殊更遠慮や拒否はしなかった。
そうして俺は熟女と手を繋ぎ直し、歩みを再開する。
とりあえず肉を一口囓ってみると、予想通りに旨かった。やはり肉とチーズは良く合うな。惜しむらしくは肉が結構硬く、肉汁も少ないことだ。
まだ幼女なので一個丸々は口に入らないし、筋張っているので噛みちぎろうとしてもなかなか切れない。噛み応えがあるから、これはこれでイケるが。
横目にテレーズを見上げて様子を窺ってみると、彼女はワイルドに一口で肉を頬張り、健康的な歯と顎でモグモグと咀嚼していた。
「あの、テレーズ先生……正直に言ってもいいですか?」
「なにさね」
ハスキーボイスが続きを促してくれた。
俺はもう一度肉を食べると、小さく深呼吸してから告げる。
「実は私、テレーズ先生のことが苦手でした。何を考えてるのかよく分かりませんし、いつも不機嫌そうで神経質っぽいし、すぐに小言ばっかりですし……」
「そんなこと知ってたよ、今更の話さね」
「……はい。でも、テレーズ先生が何を考えていて、何を想っているのかは少しだけ分かりました。むしろ、心配性のいい人だって分かったので、好きになれました。テレーズ先生は私のこと、嫌いですか?」
奥義は発動せず、ただテレーズの目を見て、俺は真摯に問いかけた。
テレーズはそんな俺と目を合わせると、鼻から大きく息を漏らし、串焼き肉の一つにかぶりつく前に、一言。
「小賢しい子供は好きじゃないよ」
ここで嫌いだとは言わず繋いだ手も振り払わないのがテレーズという人間なのだと、俺はようやく理解した。