第二十六話 『よろしい、ならば攻略だ -熟女編-』
魔女の敵を知った翌日。
夕食前の空き時間、俺は屋根裏部屋に引きこもって、飽くなき自己強化に励んでいた。実はここ最近、当初の予定を順調に消化できていることもあって、少し気が抜けていたのだが、魔女狩りの存在は俺にこの上ない危機感を抱かせ、生存本能が否応なく気を引き締めさせた。
既に初級から上級の基本魔法は各種各属性一つずつ覚え、無詠唱化してある。
七つの上級魔法習得にはだいたい二十日ほど掛かった。無詠唱化も二十日だ。新しい魔法の習得やその無詠唱化のプロセスはほぼ完全に把握できたので、スムーズに行えるようになった。それでも、下級魔法の無詠唱化に八日、中級魔法では十二日かかっていたことを思えば、それほどでもないが。
ちなみに、以前フラヴィから教えてもらった特級の水魔法も既に習得済みだ。結局は習得するだけで三節近くもかかってしまい、上級とは比べものにならないほど手間取った。無詠唱化には十日もかかったな。毎日三時間、ただ静かに己の内面に意識を集中し続けて、ようやくだ。
魔力の流れを掴むには詠唱による発動を余儀なくされ、次第に難易度が上がっていくのだと思うと、プレッシャーが凄かった。側で見ているルイクはさぞ退屈だったことだろう……とは思わない。あいつは結構前から、森での魔法練習の際は本を持参して、樹上の枝に腰掛けて優雅に読書しているのだ。
ここ最近、俺は覚えた魔法を詠唱省略で使いながら慣らしつつ、上級以下の魔法のバリエーションを増やしている。ガストンは水の中級魔法、ルイクは風の中級魔法まで使える魔法士だ。二人は特級魔法を無属性も含めて幾つも知っていたので、奥義によって詠唱や魔法の概要は入手済みだが、今のところ習得する気はない。
特級は習得に比較的時間がかかるようなので、とりあえずは使える魔法を増やして多様性を追求した方が良い。大技一個と小技十個なら、後者を選んで戦術の幅を広げるのが賢い選択だ。もう大技は一個あるしね。
さて、今まさに俺は自室に引きこもっているわけだが、なにも勉強しているわけではない。魔法の練習をしている。ただの練習ではなく、秘密の練習――もとい秘密特訓だ。本当は部屋で魔法の練習をしてはいけないのだが、致し方ない。
特訓内容はある魔法の習得、ただそれだけである。
俺が欲しているのは、奴隷幼女であった最後の日、ノビオことカルミネが使っていた魔法だ。あの極悪なレオナ誘拐犯によって、マウロの全身は不気味な黒い炎に包まれた。俺はあのとき、魔弓杖片手にすぐに奴隷部屋を飛び出していったので、野郎がどうなったのか直接は知らない。
しかし、エリアーヌたちから話は聞いている。奴隷幼女たちを避難させようとした際、部屋の中心に服を着た焼死体が転がっていたというのだ。焼死体のくせに、服を着ていたのだ。
我が幼女体の優秀な記憶力は、あのときカルミネが口にしていた詠唱と魔法の効果を鮮明に覚えている。あの黒炎は瞬く間に全身に広がり、野郎を火達磨にした。床は木材だったのに延焼することなく、どころか服を燃やすこともなく、マウロという人間だけを焼却した。あまつさえ、水に浸けても全く消火されないという出鱈目っぷりだ。
俺は最近になってその魔法を思い出し、是非とも習得しておきたいと考えた。周囲に延焼することなく、相手の身体だけを焼く魔法というのは実に興味深いし、消えない黒炎とか中二心が刺激される。
そして何より、一つくらい切り札は持っておきたいのだ。
現在、俺の習得した魔法はその全てが与えられたものだ。フラヴィから教えられ、魔法大全で習った魔法は全てルイクの側で練習し続けてきた。
そのため、俺の身に着けた力は周囲の人々に正確に知られている。
人生、何が起こるか分からない。
到底あり得ないことだと分かってはいるが、もし仮にガストンやルイクやテレーズなど、宿の人たちが俺を裏切ったらどうする?
用心に用心は重ねておいた方がいい。
自分の身すら守れない奴に他人は救えないのだ。
昨日、《黄昏の調べ》の話を聞いて、改めて俺は強い危機感を抱いた。
「すぅ……ふぅ……」
俺は静かに深呼吸すると、練習用の的へと意識を集中させる。風呂用の平たい桶には水が張られ、その中に氷塊が鎮座している。さらに氷塊の上には木の枝と雑草が置かれている。
一リーギスほど離れたところから、俺は標的へと手を向け、記憶にある詠唱を口にした。
「酷烈たる暴兵は喜悦に歪み、世の理を貶めん。
我が断罪こそ天の怒り、絶対者は邪気を厭う。
罪人よ絶叫せよ、無垢なる者らへ鎮魂の歌を捧げん。
黒光の煌めきこそ暴威の代価、その身は灼き消え塵と化す――〈断罪火〉」
黒い火球が現象して射出され、氷塊上の枝葉たちに命中した。揺らめく黒は見る者を誘惑するような魅力と底知れぬ異様さを感じさせる。
行使者である俺が言うのもなんだが、かなり気味が悪い。
「…………ダメか」
小さな黒炎は、しかしすぐに消えてしまった。枝は焦げることすらなく、燃え広がることもなかった。
「うーむ……」
パンツ一丁で胡座をかき、腕を組んで思わず唸る。
実は三節ほど前から密かに練習を開始していて、昨日の話で大いに危機感を煽られたおかげか、ついに先ほど黒炎を出せるようになったんだが……
なぜか燃えない。
以前、中級や上級の火魔法を習得しようと試みた際、初っぱなからでも火は出せていた。ただ、それを一つの魔法として成形し、コントロールするのに時間がかかった。
今回の場合は火を生み出すところからして相当に手こずったが、一応形にはなっているので問題はない。が、生み出した火はなぜかすぐに消えてしまう。
前世の科学において、燃焼には可燃物と支燃物と点火源の三要素が必要とされていた。魔法は科学の常識を覆してしまうが、火魔法に支燃物――酸素が必要なことは既に判明している。
正しくは魔力と酸素によってだ。魔力を込めれば込めるだけ火魔法の火勢は増すが、そこに最低限の酸素がなければ火魔法は継続しない。
一期ほど前に、土魔法を駆使して箱を作り、そこに水を張って水面下で火魔法を現象させようとしたことがある。この世界の物理法則と魔法の関係がどうなっているのか、一度くらい確かめておいた方がいいだろうと思ったのだ。
実験の結果、箱の中に火魔法を現象させられたが、ややもせず消えてしまった。十回ほど初級から上級の火魔法で繰り返し実験してみたが、全て同じ結果に終わった。
これから導き出せる答えは、やはり火魔法にも酸素は必要だということだ。水中でも一瞬とはいえ火が熾ったことから、火魔法の燃料が魔力であることは疑いようもない。しかし、魔力と同時に酸素も必要なのだ。
しかし、それでは俺の記憶と矛盾する。カルミネの黒炎は水でも鎮火できなかった。どころか、水に浸けても水は蒸発せず、水蒸気だって上がっていなかった。
通常の赤い火魔法は水によって火勢を削ぎ、鎮火させられることも実験により判明済みだ。にもかかわらず、イケメン野郎の黒炎は水に浸けても火勢が衰えてすらいなかった。
「なぜだ……」
消えず、火勢が衰えもせず、燃え続ける黒い炎。
その謎はなんだ?
更に、今し方の行使において、黒炎はややもせず消えてしまった。
なぜだ?
俺がまだこの魔法に習熟――習得できていないからか? この黒炎魔法はまだ現象に成功して一日目だし、どんな魔法なのかも一度見ただけなので概要は不鮮明だ。
対象が人でないといけない……とか?
しかし、治癒魔法があるとはいえ、人体実験なんてできない。自分の身体で試そうにも、そこまでのリスクは負いたくない。
うーん……考えろ、考えるんだローズ。
「………………………………」
十中八九、黒炎魔法に通常の赤い火魔法の常識は通用しない。そう考えれば、酸素がなくても――水に浸けても燃え続けていたのは納得できる。そして酸素が燃料ではないということは、残る燃料は一つしかない。
「やってみるか」
俺はラヴィから貰った魔石を取り出すと、枝葉の上に白っぽい宝石を置いた。
「酷烈たる暴兵は喜悦に歪み、世の理を貶めん。
我が断罪こそ天の怒り、絶対者は邪気を厭う。
罪人よ絶叫せよ、無垢なる者らへ鎮魂の歌を捧げん。
黒光の煌めきこそ暴威の代価、その身は灼き消え塵と化す――〈断罪火〉」
もう一度、黒炎魔法を使ってみる。
黒火球は掌の先から魔石へと一直線に向かっていく。
「おぉ……っ!」
魔石に命中した火球は真っ黒な炎を上げて燃え始めた。しばらくの間、妖しい光を湛えながら火勢が衰えることもなく静かに燃え続け、やがて消えた。まるで蝋がなくなって消える蝋燭の灯火のような最後だった。
あとに残ったのは透明な魔石と何らの変化もない枝葉で、見かけ上は行使前とそう大きな違いはない。黒い炎は確かに氷上の枝や草を舐めていたのに、それらが燃えた様子は見られず、氷が溶けている様子も皆無だ。
「…………なるほど」
標的に目を向けたまま、一人頷いた。
黒炎の燃料は魔力だけだ。しかし、枝や草といった可燃性物質を燃やそうとしても燃えない。そして、魔力の消費量がアホみたいに多い。
俺はこれまで、一度も魔力切れを起こしたことがない。魔力が減ったと実感したこともあまりない。特級魔法を使った際にようやく、「あ、減ったな」と感じられたくらいだ。初級から上級までは「減ったか……?」と首を捻るほど、ほんの僅かにしか感じ取れなかった。
ふ、不感症じゃないんだからね!
今まさに、俺は自分の魔力が減ったと確かに感じた。それくらい、確実に魔力を消耗した。体感としては少なくとも特級魔法以上であることは、まず間違いない。
にもかかわらず、枝葉は燃えず、魔石が融けることもなく、ただ色が変化しただけだ。
実に、使えん。
俺がただの幼女なら、そう思うところだろう。
しかし、この魔法は燃費最悪なくせに利用価値など皆無などっかのクズニートめいたクズ魔法ではない。エリアーヌたちから聞いたマウロの成れの果て然り、魔力を燃料にするということは、すなわち……
「ローズ」
「――ぅわ!?」
急に声がしたので反射的に目を向けてみると、床からババアの生首が生えていた。俺は驚きの余り後転して机の角に後頭部をぶつけてしまう。
「なにやってんだい、あんたは……」
「ぅぐ……て、テレーズさん、いつの間に……」
呆れた顔と声を向けてくる生首――もといテレーズ。
俺は後頭部に手を当てて無詠唱化した下級治癒魔法を行使しながら、呻くように言葉を返した。
「ど、どうか……したんですか……?」
この屋根裏部屋へは梯子を使って出入りする必要がある。当然、床が出入り口になっているので、ときには毛むくじゃらジジイの生首も生えてくる。
さっきは集中しているところに突然声を掛けられたせいで、滅茶苦茶ビビった。秘密の特訓をしていたのに来訪者に気付かなかったなんて、間抜けもいいところだ。
「ルイクが呼んでるよ。夕飯の準備手伝って欲しいってさ」
「あ、はい……分かりました」
「ったく、なんであたしが使いっ走りにされなきゃならないんだい……」
と、テレーズが愚痴ったところで、彼女の鋭く細められた双眸が特訓器材を捉えた。
「ローズ、あんたまさか、ここで魔法の練習してたんじゃないだろうね?」
「え、あ、いや、まさか……そんな危ないことするはずないじゃないですかぁ……ははは」
「………………」
「……はい、すみません」
テレーズの眼光が鋭くなったので、俺は正直に頭を垂れた。
「危ないから部屋で魔法の練習はするなって、最初に約束しただろう?」
「はい……」
「いくら詠唱省略ができて、魔女としてちょっと才能があっても、約束一つ守れないんじゃ人としてどうかと思うけどね」
「――――」
思いがけず放たれた一言は俺の胸を貫いた。
そうだ……俺は前世において約束を軽視したせいで孤立し、破滅した。そして俺は、この部屋で魔法の練習をするなという約束だけでなく、未だにレオナとの約束すら果たせていない。必ず助けると宣言してもう半年以上も経ったのに、俺は約束を破り続けたままだ。
「それになんだい、そんな格好で。あたしが声掛ける前はオッサンみたいに胡座かいて座ってたし、行儀が悪いよ行儀が」
「…………」
「まだ子供っていっても女なんだから、普段からそれらしく振るまいな。皇国は礼儀作法にうるさい国だからね。どれだけ頭が良くても、人として、女としての言動がなってなきゃ馬鹿にされるよ」
「……………………」
「フラヴィはあんたを引き取るって言ってるし、そうなれば馬鹿にされるのはあんた一人じゃ済まないんだ。ただでさえあの子は――って、ローズ、聞いてるのかい?」
やや訝しげに訊ねてくるテレーズ。
「はい、すみません……本当に。これからは気をつけます……」
俺は顔を俯けながら、立ち上がり、服を着始める。オバサンの言葉は普段からなかなかに辛辣で、そもそも声音からして苛立ちめいた感情が宿っている。
それでも、最近はもう慣れていた。二、三の小言なら聞き流せるくらいの精神的強さがいつの間にか身についていた。
だが、さっきのは効いた。
まるで俺の急所を突くような言葉は一撃で俺をノックアウトした。
「…………なら、いいさね。さっさとルイクのところに行ってやりな」
テレーズはひどく無感情な声でそう言い残し、去って行った。
俺は服装を整え、軽く特訓器材の後片付けをして、すぐに宿の厨房へと向かっていった。
♀ ♀ ♀
「え、テレーズさんがローズちゃんを?」
ルイクは中華鍋っぽい大きめの鍋で手際良く野菜を炒めながら問い返してきた。
俺は火魔法を継続的に行使しつつ、首肯する。
「はい。今更の話ですけど、テレーズ先生は私のこと、嫌いなんでしょうか? いえ、私個人ではなく、子供か魔女でもいいんですけど……」
「テレーズさんは自分にも他人にも厳しい人だからね。子供嫌いかどうかは僕にも分からないけど、ローズちゃんのことは嫌ってないと思うよ?」
「そうでしょうか……」
「あ、ちょっと火加減強くしてくれる?」
俺は魔力を注いで火勢を強くし、ルイクは鍋を振っていく。
ここ最近、俺はルイクにいいように使われていた。厨房の火は竈なので、火力の調節は面倒で大変だし、薪だってただじゃない。だが魔法なら薪を使わずとも火は継続して出せるし、火力調整も比較的簡単だ。
クイーソからリリオへの道中、ロックもよく火魔法で料理していた。スープなどの煮込み料理には薪を使っていたが、肉を丸焼きにするときなんかは火魔法オンリーだった。
ルイクも料理に使用する程度の火魔法は使えるが、魔力も集中力も使う。
野郎は俺の魔力量が多いことも、詠唱を省略して使えることも、初級や下級の火魔法なら完全にコントロールできることも知っている。
利用されるのは気に食わないが、俺としてもいい練習兼気分転換になるし、学習の恩返しもできるので、手伝うのもやぶさかではなかった。
「テレーズ先生が魔女嫌いってことはありませんか?」
「うーん、どうだろう……僕もまだテレーズさんとは一年しか一緒に仕事してないからね」
曰く、ルイクは去年の冬に、プローン皇国からこの町リリオに飛ばされたらしい。一方、テレーズは一昨年の春からいるらしい。
ここ涼風亭で一番の新人はルイク、その次がテレーズだそうな。だから二人が俺の世話役兼教師役にされたのだろう。
「テレーズさんは槍の名手でね。皇国軍の訓練生たちに槍術を教えていたんだ。でも、その……彼女はあの性格だからね。同じ教官たちの間で色々あったらしくて、それでも一人の兵士としては優秀だったから、リリオに飛ばされたらしいんだ」
「そうだったんですか」
前世風に例えるなら、訓練生をしごく鬼軍曹みたいな感じだったのだろう。
幼女相手でも臆面なく容赦ない物言いができることを鑑みれば、納得できる。
「テレーズさんは魔女相手にもよく教えていたらしいし、だから嫌いってことはないと思うよ」
ルイクは暢気にそう言って、鍋の中身を大皿に移した。
だが、俺は野郎のようには思えない。頻繁に魔女の相手をしていたなら、むしろ魔女に嫌気が差して嫌いになるんじゃないか?
エリアーヌやフラヴィは違う(と思う)が、魔女って魔力のない女性を少なからず見下してそうだし。厳しくしすぎて、訓練生たちから報復を受けても不思議じゃない。
俺は別に、テレーズから好かれたいとか、そういうことは思っていない。熟女は俺の守備範囲外なので、四十歳くらいのBBAを攻略する気はないのだ。
しかし、俺はテレーズに世話になった。今現在もフォリエ語の復習や生活面で多々世話になっている。
それでも俺は彼女が苦手だ。
先ほどの一幕でも思ったが、やはりテレーズの俺に対する態度はキツく、否応なく苦手意識を持ってしまう。リリオでの生活もあと六節ほどとはいえ、同じ家(というか敷地内)で生活していく相手と、これ以上気まずく過ごしたくはない。
前世において、俺は兄と大層仲が悪かった。
もう険悪すぎて、互いに無視し合っていた。
俺が大学をドロップアウトする前まではそれほどでもなかったが、それ以降はもう最悪だった。同じ屋根の下で暮らしていても、互いに声を掛けることも顔を見合うこともない。
もはや人間関係における末期状態だった。
まだ罵詈雑言をぶつけ合う関係の方が百倍マシだったと言える。
しかし、俺は新生した。
かつての俺は、異国の地へ赴けば自分を変えられると信じていた。
俺は変わらなければならない。テレーズに苦手意識を持ってはいるが、俺はなるべく彼女と上手く付き合っていきたい。そういう思いがあるのだから、そうなるように努力すべきだ。
まあいいか……と、人と向き合うことから逃げ出していては、前世と何も変わらない。クイーソの町でエリアーヌたち相手に一歩を踏み出したように、今回も踏み出さねばならない。
いや、今回だけに限らず、これからも俺はかつての自分とおさらばするために、臆する身体を動かし続ける必要がある。
とはいえ、どうすればいいのか。
前回同様に、ただ愚直に真正面から当たっていくか?
だが今回は前回ほど切羽詰まった状況ではないせいか、そんな勇気が出ない。
俺はこんな自分が嫌いだってのに……。
そう思ってはいても、弱気が俺の足を掴んで放さない。
「よし、できたっ」
懊悩しているうちに、調理が終わって夕飯が完成する。
宿の夕食時間は六時の鐘が鳴って間もなくの頃だ。まだ陽も沈んでいないため、結構早い。
ルイクともう一人のオバハン料理人が皿に盛りつけていると、鐘声が聞こえてきた。リリオにあるエイモル教会の鐘楼から放たれる響きは町全域に伝わる。
鐘が鳴ると、涼風亭の宿泊客が次第に食堂に入ってくる。といっても、客の半分以上は夕飯を所望しないので、食堂に集まったのは五人だけだ。爺さんと青年の二人組み、オッサンとオバサンの獣人二人組み、そして翼人美少女イヴだ。
「シャロンちゃん、運ぶの手伝ってくれるかい?」
「はい」
俺はルイクから皿を受け取り、野郎&オバハン&幼女の三人がかりで配膳していく。力なきロリであるところの俺は軽いものしか持てず、パンののった木皿しか運ばないが。
「おぉ、おぉ、偉いねぇ、お嬢ちゃん」
皿をテーブルに置こうとしたら、爺さんが受け取って、俺を褒めてくる。
もし俺が奴隷なら違った対応をされていたかもしれないが、この爺さんはガストンと共に受付で一度会っている。その際、俺のことを野郎のダチの娘という例の嘘を聞いているし、なにより俺の身形は割と整っている。
「ありがとうねぇ」
と言って、思い出したようにポケットをまさぐると、銅貨を三枚手渡してきた。
気前の良い爺さんである。
というか、この世界に来て初めて金をもらった。
10リシア硬貨が三枚だから、30リシアだ。とりあえずポケットに入れておくか。
続けてオッサン&オバサンペアのところにも持って行ったが、チップはもらえなかった。お礼の言葉すらもない。
実に無愛想だが、まあ世間には色々な人がいるさ。
そして最後に美少女のところへ。
本当は最初に持って行こうかと思ったが、俺は美味しい物は後派なのだ。
待たせてごめんよ、ビューティーガール。
「ありがとうございます、シャロンちゃん」
チップは貰えなかったが、イヴは穏やかな声で、微笑みながら礼を言ってくれる。数万リシア分のスマイルだ。美少女から感謝されると、何とも心地良くなるな。
もしメタボな三十路クズニートがパンを持ってきても、同じ対応はしてくれまい。どころか名前さえ覚えていてくれなかっただろう。さっきはテレーズに色々言われたし、美少女と少し話して疲れた心をヒールしておくか。
「あの、イヴさん」
「どうかしましたか?」
「いえ、その……あっ、そうだ。イヴさんは今日、何をしてたんですか?」
苦心して話題を見付けると、イヴは小さく苦笑した。
「お金を稼いでいました。旅には何かとお金は入り用ですからね」
「どうやって稼いでたんですか?」
「少々、魔物を狩ってきただけです。討伐依頼の報酬と、魔物の素材を売れば、それなりにお金になりますからね」
おおう……まさか猟兵だったとは。
まあ、昨日も帯剣していたし、今もテーブルに一本の剣を立てかけている。
それでもイヴの見た目は十五歳くらいの普通の少女だ。いや、普通の美少女だ。
「どうして、一人で旅してるんですか? 昨日言っていた人を探すためですか?」
「そうですね」
イヴはとても魔物と戦うようには思えない穏和そうな面持ちで、静かに頷いた。
昨日、イヴは探し人のことを隻腕の男性と言っていた。
男性である。男である。更に、歳は十六と言っていた。
……ちくしょう、既に思い人がいたか。昨日の時点で気付くべきでした……。
「シャロンちゃん、もしこの町で今後、私が昨日言っていた人を見かけたら、私が探していたと伝えてくれますか?」
「え、あぁ、はい、いいですよ」
こんな美少女に求められる野郎のことは気に食わないが、美少女からの頼みは断れん。
「ありがとうございます。その人の名前は……ジークといいます。昨日言った人相は覚えていますか?」
「大丈夫です。歳は十六で、群青色の髪、左腕が二の腕から先がなく、中肉中背の男性ですよね」
「はい、そうです。シャロンちゃんは賢いですね」
そうして、俺はこれ以上話に付き合わせるのも悪いと思い、イヴの前を去った。
未だ見ぬジーク某が妬ましいが、最後にイヴから頭を撫でてもらったので、まあ良しとする。爺さんから金も貰ったしな。
それにイヴと話したことで、テレーズ攻略について一つの妙案が浮かんだ。
イヴは昨日、慰霊祭のことを話していた。慰霊祭とはその名の通り、故人の霊を慰めるために行われる祭儀ということだが、これを利用しない手はない。
少なからずしんみりした空気になるだろうから、これにテレーズと一緒に参加して、夜の町を歩きながら話でもすればいい。さすがに慰霊祭の日に町中で怒ったりはしまい。上手くすれば彼女と打ち解けられる……はずだ。
利用するのはちょっと忍びないし不謹慎だけど、この際しょうがないよね。
正直、前世では熟女系のエロゲやエロ漫画に興味はなかったので、知識不足で結構不安だ。でもまあ……なんとかするさ。
何もしないより、して後悔する方がいい。
俺はただ、テレーズと笑い合って話せるような、そんな良好な関係を築きたいだけなのだ。
というわけで、いっちょ熟女でも攻略してやるか。
まあ、無理ゲーだとは思うけどね……。
本作には八種族のヒロインが少なくとも一人ずつは登場する予定です。
尚、BBAがヒロインになることはありません。ロリBBAは別ですが。