第二十話 『家族計画&学習準備』
クイーソの町を発って、十九日後。
ツインテール事件以降は特に何のトラブルもなく、俺たちは無事にリリオの町に到着した。日暮れ前に宿を取って、夕食で空腹を満たし、少々の勉強をする。
そうして俺はいつものように寝オチした。
リリオが分岐点であることを、俺は正しく理解している。道中、フラヴィたちは明言こそしなかったが、リリオで彼女らと別れる可能性は十分にあるのだ。
別の者らに連れられて、プローン皇国へ向かうことになるかもしれない。だから俺は敢えて何も考えず、いつも通りに一日を終えた。
それは決して現実逃避ではなかった。
俺が強く訴え出れば、フラヴィたち四人とは別れずに済む可能性もあり、それを試してみる価値はあった。しかし我が侭を言って彼女らを困らせたくはなかった。
そんな感じに子供らしからぬ――大人らしく分別を弁えて自重した。
にもかかわらず、翌朝にはその努力が無駄になった。
まあ、いい意味でだけどね。
「…………養子?」
朝食後、宿の女性部屋に戻ってきた俺は、フラヴィの話を聞いて思わず間の抜けた声で問い返す。
「そ。つまり、皇国へ行ったらアタシと一緒に暮らしましょうってこと。アタシは帰ったら軍を辞めて、学校の先生にでもなるつもりだから、もうこうして皇国から離れることもなくなるわ。だからローズを一人にはさせないつもりよ。ローズの方はどうかしら?」
どうかしらって……どうかしら?
え…………あれ、え? これは、なんだ?
俺がフラヴィと一緒になってゴールインってこと?
まさか本当にフラヴィがローズルートに入るなんて……
さすがの俺も予想外すぎてちょっと混乱しちゃってますよ。
「アタシと一緒には暮らしたくない?」
「い、いえ、まったく、そんなことはありませんけど……」
俺がフラヴィの養子になるってことは、フラヴィが俺のママンになるってことだ。家族という存在のいない天涯孤独な我が身を思えば、願ったり叶ったりな誘いだ。猫耳美人ママとか最高すぎる。
「そう、良かった」
フラヴィは大して嬉しくなさそうに頷いた。
いや、口元に笑みは浮かんでるけど、かなり落ち着いた笑顔だ。
「それで、アタシはまだこの国で仕事があるから、皇国へ帰るのはしばらく先のことになるの」
「しばらくって……どれくらいですか?」
「今後の情勢にもよるけど、だいたい二期か三期くらい先ね。ちょうど来年の翠風期に入る頃かな……それくらいの時期に帰り始めることになるかしら」
現在は光天歴八九一年の紅火期も半ばほどだ。
前世でいえば、だいたい八月下旬くらいか。
つまりフラヴィの仕事が終わるのは来年の春――四月頃ということになる。
「では、それまでの間、私はどうすれば……? プローン皇国で待っていればいいんですか?」
「それでもいいんだけど、ここリリオで待っていることもできるわ。それで、アタシたちの仕事が終わったら、エリーやロックたち四人と一緒に帰るの。アタシとしては、そうしてくれた方が助かるんだけど……ローズはどうしたい? 先に皇国へ行ってるか、ここで来年の春まで待ってアタシたちと一緒に帰るか」
ふむ……少し考えてみよう。
先に帰る場合、俺は知らない誰かと一緒に皇国まで旅をすることになる。リリオからプローン皇国の首都である皇都フレイズという都市までは半年もあれば余裕で行けるらしい。
もし先に皇国へ行った場合、俺の生活はどうなるか訊ねてみると、フラヴィは国の施設に預けられるだろうと答えた。魔女は貴重らしいので、皇国側もそれなりの待遇を用意してくれるそうだ。おそらく、帝国内で半年以上もの期間を過ごすより、皇国で過ごした方が有意義ではあるだろう。魔法の習得も勉強も存分にできるはずだし、俺は更なる力と知識を身に着けることができる。
しかし、俺がそれらを欲するのはレオナを助けるためだ。彼女を見付けるには帝国にいた方がいいだろう。ノビオ――もといカルミネも、わざわざレオナを他国まで行って売り払ったりはしないだろうし、買い取った奴隷商人も同様に、帝国貴族にでも売った方が手間暇が少ないはず。
愛しのレオナを捜索し、奪還するという至上目的を考えれば、ここオールディア帝国に留まっていた方が都合がいい。
「さっき、私がリリオで待っていた方がフラヴィ先生は助かるって言ってましたけど、それはどうしてですか?」
「それは……まあ、ローズは賢いから正直に話すけど、人って普通は一年以上も離れて生活していると、少なからず心変わりしちゃうものでね。ローズは今、アタシと一緒に暮らしてもいいって言ってくれてるけど、アタシが帰ったときには、やっぱり……ってね。アタシとしては、そういうことになって欲しくはないなって思うわけよ」
本当に正直に話してくれた。
たしかにフラヴィの話は分からないでもない。まだ俺とフラヴィは二十日ほどしか一緒に過ごしていないのだ。そんな状態で一年以上も離れれば、大人はともかく子供は容易く心変わりするだろう。
だが、そんな懸念を抱いてくれるほどに、フラヴィは俺を慕ってくれているのだ。俺は彼女の至高のツインテールを吹き飛ばした張本人だというのに……
嬉しいことじゃないのよさ。
「正直に答えてくれて、ありがとうございます、フラヴィ先生。でも、大丈夫です。私はこのままリリオで待つつもりですから。家族になろうというのに、離れ離れになるなんて矛盾してますしね」
「そう言ってくれると嬉しいわ。でも、アタシは任務――仕事があるから、リリオでローズと会えるのは三節に一回もあればいいくらいの頻度になっちゃうわ。ローズはそれでもいい?」
「はい、一年以上一回も会わないよりはマシですし、それに皇国までの道中ではずっと一緒です。ところで……フラヴィ先生に二つお願いがあるんですけど、いいですか?」
俺は例によって例の如く、上目遣い+ロリボイスを発動させた。あまり連発すると効果が薄れてしまうので多用はできない奥義だが、今ばかりは存分に揮う。
「ん、お願いって?」
「レオナのことです。フラヴィ先生たちはリリオから離れて色々な場所に行くんですよね?」
「まあ、そうなるでしょうね」
「ですから、そのときに近くの町でレオナを探してもらいたいんです」
「ローズは優しいわね。ええ、それくらいお安い御用よ」
フラヴィは快諾してくれた。
さすが俺のママン(になる予定の美女)だ。
とはいえ、我が名付け親が見つかる可能性は限りなく低いだろう。
そして俺は彼女の行方を知らぬまま、帝国を去ることになる。レオナはなんとしてでも助け出したいが、現実はそう甘くないはずだ。まずは自分の足下を固めなければ、レオナを助ける前に俺が窮地に陥って破滅する。
とりあえず俺は力と知識を身に着け、幼女という社会的に弱者な立場から脱する必要がある。でなければ、この奴隷が蔓延る世知辛い世界でのレオナ探索は困難を極めること必至だ。
そう考えれば、このオールディア帝国で魔女としての地位を確立する方が理に適っているといえば適っている。どこの国も魔女という力は欲しいだろうし、帝国にこの身を捧げる代わりにレオナを探してもらうことはできるかもしれない。
しかし、レオナは今まさに奴隷なので、同じく奴隷だったリタ様を無残に殺した帝国は信用できん。リタ様の恨みは一生忘れんぞ。
「それで、二つって言ってたけど、もう一つは何?」
「その……もしレオナを見付けたら、私共々フラヴィ先生にお世話になりたいんです。図々しいとは思いますけど、お願いします」
「ん、いいわよ。とにかく、友達のことは心配しなくてもいいわ」
良かった。
これで一応、俺とレオナの今後は保証された。
ま、レオナを発見して取り戻せればの話だが。
それにしても、フラヴィはなんて優しいんだ。
もう天使だな。聖女だな。
だが、そんな彼女の美髪を俺は吹き飛ばしてしまったのだ。もし今後、フラヴィをガキ扱いして馬鹿にする輩いたら俺がぶっ飛ばしてやる。彼女は立派なレディーなのだ。
「ローズは待っている間、この宿で勉強していてちょうだい。一応、表向きはこの宿の主人の知り合いの娘ってことになってるから、お願いね」
「分かりました」
既にフラヴィからは、この宿がプローン皇国の影響下にあることを簡単に説明されている。といっても、単に宿の主人やら従業員の方々が皇国の人間であるということしか知らない。
まあ、あまり幼女に詳細を話すことはできないのだろう。少しでも話してくれただけ有り難い。
「町を出歩くときは誰かと一緒にね。リリオはそんなに治安が悪いわけじゃないけど、市壁がないから悪い人や変な人もいるわ。ローズは可愛いから、攫われたりしないように気をつけるのよ」
「はい。分かってます」
「あと、町中で魔法は使わないこと。魔女だってばれると色々面倒だから、言動には特に気をつけて。もちろん、クラード語も人前で話してはダメよ」
「は、はい……」
それからフラヴィは俺に様々な注意事項を数多く教えてきた。ただの幼女なら意味を理解できず、記憶もできないところだ。しかしフラヴィはもう俺の超幼女級の頭脳に慣れてしまっているらしい。
それが良いことなのか悪いことなのか、判断が難しい。ただ、フラヴィは先生になるつもりだと言っていたし、俺に慣れてしまうと今後困るかもしれないな……。
一通りの話を終えた後、フラヴィは俺の目をじっと見つめてきた。
「ローズ」
「なんですか?」
「これから一年――リリオで過ごして、皇国へ着くまでの間、もしアタシと一緒に暮らすのが嫌になったら、いつでも言って。それだけじゃなくて、もし何か言いたいことがあったら、我慢せず言ってちょうだい」
「分かりました。でも、それはフラヴィ先生もですよ。私を養子にするのが嫌になったら、いつでも言ってください」
「そんなことにはならないわよ」
フラヴィは軽く笑って一蹴しようとする。
「いえ、一応です。家族というのは……その、中途半端な気持ちで、なれるようなものじゃないと思うんです。お互いになんでも言い合えてこその家族です。矛盾してはいますけど、本当に嫌になったら言ってください」
「……分かったわ。ほんと、ローズは子供とは思えないわね」
「すみません、可愛げがなくて……」
「その子供らしくないところが可愛いのよ。たまにもの凄く子供っぽいところもあるしね」
「え、あの、それは例えば……?」
「例えば、そうね……一緒に寝てると、よくアタシのおっぱい触ってきたり、顔を埋めたりしてくるでしょ?」
「……………………」
ばれてーら。
フラヴィは朝弱いから気付かれてないと思ってたのに……。
さすがは工作員といったところか。実は単に身体が目覚めていないだけで、あんな状態でも脳だけはばっちり覚醒しているのかもしれない。
くそ、なんてこった。これじゃあもうあんなことやこんなことができない。
僕そんな事実知りたくなかったよ……。
「あ、いえ、べつに責めてるわけじゃないのよ? ローズはまだ子供なんだから、どんどん甘えていいわ。アタシだって嫌じゃないし、むしろ嬉しいくらいだから」
俺はよほど酷い顔をしていたのか、フラヴィが珍しく慌てたように言い繕う。対面に座っていた美女は立ち上がると俺の隣にやってきて、抱きしめてくれた。
「……ありがとうございます、フラヴィ先生」
本人から直々にお許しを得た俺は、早々に甘えた。なだらかな山地を――これまでの道中でも存分に堪能した感触を顔全体で味わう。
フラヴィも嬉しいって言ってることだし、今度一緒に寝たときはパンツの向こう側まで探検してみよう。童貞故か、なかなか踏ん切りが付かなかったが、もはや遠慮は不要だ。
そう、家族は遠慮しちゃいけないんだ。
家族はお互いの事をよく理解し合わなきゃいけないんだっ。
家族には自分を偽る必要なんかないんだ!
俺のこの思いを全力全開でフラヴィにぶつければいいんだっ!
実は道中でフラヴィやエリアーヌの裸は何度か見たことがある。宿の部屋ではもちろん、道中では木陰や岩陰なんかの人目に付かないところで、何日かおきに身体を洗っていたのだ。
だが、じっくりとは観察できなかった。
俺は鼻先数レンテの距離から、真の秘境たるグランドクレバスの謎を解き明かしたいのだ。既にこの美幼女体のクレバスは確認済みなので、美少女体と美女体との差異を知りたいのだ。
まあ、いずれ自分の身体でも十分に確認できることなんだが……それでも無限に湧き上がってくる性よ――知識欲は抑えられないのよさ。
「さて、ひとまず話はできたことだし……ローズ、出かける準備をして。今日は本を買いに行くわよ」
「――え、本?」
思わず至高の感触から顔を離し、フラヴィの顔を見上げた。
「アタシたちは早速、明後日にはリリオを発つからね。今日のうちに勉強に必要なものは揃えておくわよ」
「で、でも、本って高いんじゃ……?」
この世界にはおそらく、というか間違いなく、印刷機の類いは存在しない。なので書物は全て手書きのはずだ。前世でも、活版印刷機が登場する以前は本は貴重品だったらしい。値段も相応に高いだろうことは想像に易い。
「大丈夫よ、クソジジイからお金は貰ってるから。優秀な魔女のためなら多少の出費くらい訳ないのよ」
なんかよく分からんが、とにかくこれは喜ばしいことだ。
本さえあれば俺のレベルはうなぎ上りになるはず。
よし、これで勝つる。
「あ、でも私、文字は読めませんよ……?」
そういえば、俺はエノーメ語を話せても文字までは理解できていない。
「ローズならすぐに覚えられるから大丈夫よ。さ、早く準備して」
「は、はい……」
俺に対するフラヴィの期待というか認識が凄いことになっている気がする。
まあ、言葉が話せればすぐに読み書きもできるようになるとは思うが……
期待されるとプレッシャーになるな。
微妙に不安感を抱きつつ、俺は町中へ繰り出した。
♀ ♀ ♀
リリオには市壁がない。
いや、あるにはあるが、町の中心部にこぢんまりとした壁が建っているだけだ。
リリオまでの道中、俺たちは三つの町に立ち寄った。うち一つはクイーソのような城塞都市で、もう二つはリリオのような市壁のない開放的な町だった。
なぜ町によって壁の有無という違いがあるのか。
その理由は多種多様に存在しているが、ラヴィから聞いた話で最も興味深かったのは経済と絡んだ理由だった。
堅牢な防壁を張り巡らせるには莫大な金が掛かる。
無論、魔物や賊徒は存在するため、新しい町でも全域に市壁を張り巡らせることはある。だが、そうするよりも猟兵たちを呼び込んで、彼らに町を守らせた方が安上がりになるそうだ。彼らが町に住まい、あるいは滞在することによって、必要な物資を提供しようと商人たちが集まり、町が栄えやすくなる。
つまり、敢えて壁を作らない方が経済――金がよく回るのだ。ただ、貴族たちは庶民との住み分けや安全を考慮して、町の中心部や丘の上に邸宅を置き、その周辺を壁で囲っている。また、町を守護するのはあくまでも帝国という体面を保つことも忘れてはいないらしく、当然のように騎士団や警備隊も存在するという。こいつらが町の防衛の指揮を執り、猟兵たちはさながら派遣社員の如く、適宜魔物狩りの仕事をこなしていくのだ。
この町リリオは、クイーソを含む道中で立ち寄ったどの町よりも大きい。少々雑多な感じのする町並みで、城塞都市のようにある種の落ち着きや整然とした雰囲気が希薄だが、それだけ活気は十分すぎるほど溢れている。
「それにしても、珍しいわね。オーバンの方から付いてくるなんて」
「なに。少し気分転換をしたかっただけだ」
フラヴィと二人でデートだぜヒャッホーイ!
と思ったら、どういうわけか今日は中年親父もくっついてきていた。
基本的に、俺の面倒はエリアーヌとフラヴィが見てくれている。
あとたまにロックも。奴は妙に馴れ馴れしく俺にボディタッチをかましてきて、よく肩車をしてくる。たぶん故郷の娘(と息子)を思い出して俺に重ねているんだろう。もう半年以上も会っていないそうだし、可哀想だから邪険にはしてこなかったが。
オッサンはどういうつもりなんだろうか。もしかして、一時的とはいえ俺と別れることになるから寂しくなったとか?
……んなわけないか。
あるいは、まさかフラヴィに恋して……はもっとないな。オッサンは結婚していて、子供もいるって道中で聞いたし。既に息子も娘も結婚しているそうで、実はオッサンではなくオジイチャンらしいが。
西洋風商店街とでも言うべき、そこそこ賑わう通りを三人で歩いて行く。
今日は快晴で、時刻もちょうど昼前なので陽光がギンギラギンだ。今は紅火期の半ばらしいから、まだ夏真っ直中だろうしな。まあ本当に夏なのかは知らんけど。
「ここが書店ね」
何事もなく本屋に到着。
石造りの頑強そうな佇まいをしており、この町に一件しかない書店らしい。本自体が高価なものだから、一つの町にそう何件も必要なほど需要もないそうな。
と、宿の主人である毛むくじゃらの獣耳ジジイ(名前はたしかガストン)が言っていた。フラヴィ曰く、ジジイは工作員連中の元締め的存在らしく、見た目の割りに結構偉いらしい。
本屋の入口脇には、強面の獣人と翼人のオッサンが日影で椅子に座っていた。
そいつらをやり過ごし、入店する。
「どうも、いらっしゃいませ。本日はどのような書物をお探しですかな?」
小気味よく鳴り響いたドアベルに釣られてか、頭皮が涼しそうなインテリっぽいオッサンが奥から出てきて、早速接客してきた。
「好きに見るから放っておいて。用があれば呼ぶわ」
だがフラヴィは素っ気なく応答し、店の奥へと進んでいく。
その背中に俺とオーバンも続いた。
商品である本はその全てが棚に収まっている。しかし、取り出せないように前面がガラス張りになっていた。オススメ本らしきものは表紙が見えるように陳列されている。それらの様子は如何に本が高級品であるかを物語っていた。
それはそれとして。
俺は店内奥の一角に、あるものを発見した。
「お、おぉ……」
よく分からない感動によって思わず唸ってしまった。
壁際に張られているそれは……そう、地図である。
羊皮紙か何かに描かれていて、サイズはなかなかに大きい。エロゲの店舗予約特典なんかでよく付いてくるB2タペストリーかそれ以上はあるな。
構図からして、世界地図だろう。RPGでは旅のお供として欠かせない代物、ワールドマップだ。
「どうしたのローズ?」
「フラヴィ先生、これは世界地図ですよね?」
「まあ、そうね」
この世界に転生して六節弱。
ようやく俺は世界の姿を把握できた。
しかし目の前の地図は非常に簡素なもので、大陸や島々の形とそれらの名前らしき文字くらいしか描かれていない。国境線どころか山脈や川といった大雑把な地理すら把握できない。不満点は多いが……まあ贅沢は言えまい。
とりあえず、俺は本そっちのけで地図に描かれた大陸なんかの名前を教えてもらった。以前にリタ様から教えてもらった名前が次々と出てきて、少しセンチメンタルになってしまう。
「この辺がリリオかしら」
と言って、フラヴィが指差したのはエノーメ大陸北部だった。
緯度や経度なんかは当然のように描かれていないが、勝手に赤道を設定してみると、そのやや上あたりになる。
「で、この辺がプローン皇国の首都、皇都フレイズね」
最終目的地は遠かった。緯度だけで言えば、だいたい地図の縦幅四分の一ほどの距離がある。まあ、この世界がどれほど広く、この地図がどれほど正確な代物なのかは不明だが……。
「ん……?」
ぼーっと地図を眺めていると、俺は何か違和感を覚えた。
なんというか……穴が空いているのだ。地図それ自体ではなく、大陸や島々に空洞ができている。不自然なほどではないが、計十以上の穴が見られる。
その点を口に出してフラヴィに訊ねてみると、なぜか頭を撫でられた。
「よく気が付いたわね。そういえば、なんだかんだで歴史はまだ教えてなかったっけ……一冊は何か歴史系の本でも買った方がいいかしら」
「今日はどんな本を、何冊くらい買う予定なんですか?」
「んー、とりあえず必要なのはクラード語の本ね。これは適当な魔法教本でも買っておけば、一石二鳥になるわ。それとエノーメ語の読み書きを勉強するために……これは歴史書で良いでしょうね。フォリエ語も今から勉強しておいた方がいいから、こっちは何か物語を一冊。オーバンはどう思う?」
「それで良いだろう。あとは何か一冊、ローズの好きな本を買ってやればいい。息抜きも必要だ」
「そうね。で、ローズ、何か欲しい本はある?」
と言われても、地図に夢中で本を見ていなかった。そもそも陳列された本を見ても、文字が読めないからどんな内容なのかも分からない。
「では……そうですね、魔物について書かれた本が欲しいです」
この世界には魔物が生息していて大変デンジャラスだ。リリオまでの道中では何度も魔物とは遭遇したが、全てフラヴィたちが駆除していた。今はまだ守ってくれる人がいるからいいものの、この世界で自由に生きていこうと思えば、いずれは奴らと戦闘が避けられないときがくるだろう。
彼を知り己を知れば百戦して殆うからず。
危険に対する備えは早いうちからしておきたい。
と思ったのだが……
「魔物については猟兵協会が知識を蓄えてるから、わざわざ買うのはもったいないわね」
「では、猟兵協会に連れて行ってください。この前言っていた年齢のこともありますし」
「んー……この町ではあまり目立ちたくないから、皇国へ行くまでは我慢して。他に何か欲しいのはない?」
そんな、せっかくやる気に満ちているというのに……。
まあ仕方ないので、今度は代わりにノンフィクションものの旅行記や冒険記のようなものを所望した。今のうちに、この世界の人の目線から世の中がどう映っているのか、そうしたコモンセンスは養っておきたい。
そうして店員を呼んで目的の本を探してもらおうとすると、インテリっぽいハゲオヤジは喜々として言った。
「お客様は運が良いです。実はちょうど掘り出し物の一冊がありましてね、少々お待ちください」
オッサンは店の奥へ引っ込んでいき、待たされること……五分弱。
ようやく戻ってきたオッサンは一冊の古びた本を手にしていた。
「冒険記でしたら、こちらがオススメです、はい。わたしも一読しましたが、それはもう大変に興奮しました」
「……なんか埃被ってるんだけど?」
「あぁもういえいえ、お客様の気のせいですよ」
「……いえ、本のは綺麗に払われてるみたいだけど、アンタの身体が」
ハゲオヤジは薄い頭髪や小綺麗な服に付着した埃を気にした風もなく(開き直りやがった)、微笑みを浮かべた。埃のせいで頭髪がボリュームアップしてて微妙にシュールだ。
「最近、在庫の整理を行っているものでして。ところで、どうですかこちらは? 少し中をご覧になってもよろしいですよ?」
フラヴィは本を受け取って、中をパラパラと眺めていく。
「北ポンデーロ語ね。エノーメ語かフォリエ語の本がいいんだけど」
「おや、しかし北ポンデーロ語だとは分かるご様子。この機会に勉強してみては如何ですかな。お客様のお歳から勉強されれば、将来なにかと役立つことでしょう」
「……読むのはこの子よ。あと、アタシは一応この子の親……みたいなもんよ」
「なんと」
このハゲ野郎、フラヴィをガキ扱いした挙句に上から見下しやがって。
しかも素で驚いてやがる。
フラヴィ直伝の〈魔弾〉手加減バージョン喰らわせたろか。
「ふむ……しかし、こちらのお嬢さんが読まれるのでしたら、一層オススメですよ。言葉の勉強にもなりますし、お子さんの方が楽しめるような内容です」
「これが? 題名が『俺様世界周遊記』って、子供向けじゃないんじゃない?」
「とんでもないっ。子供の純粋な気持ちで読んでこそ、胸躍る内容となっております」
「えーっと、なになに……『まず初めに。本書は俺様の過酷で優雅で淫靡な旅での出来事を克明に綴った記録だ。決して純真無垢な幼子に読み聞かせちゃいけねえぜ』って表紙裏に書かれてるんだけど?」
「…………」
ハゲオヤジは相変わらずキモい笑みを浮かべたままだ。
それはともかく、俺は少々その本に興味を引かれていた。過酷で優雅で淫靡な旅とくれば、苦楽共に様々なことが書かれているはずだ。しかも世界の周遊記である。俺様という一人称が微妙に気になるが、世間を知るにはなかなかに良さそうだ。
というわけで、所望してみた。
「ダメよ、ローズ。これはまだあなたには早いわ」
「そ、そういえばお客様。先ほどからそちらのお嬢さんをローズと呼んでいますが、もしや魔――」
「違うわ。アタシは魔女だけど」
好機と見たのか、ハゲオヤジが話を逸らそうとするもフラヴィに一蹴される。
だが、俺は根性なしのオッサンのように容易くは引き下がらんぞ。
「私はその本に興味があります。その本が欲しいです」
「これは大人の本なの。それに、北ポンデーロ語だから読めないわよ」
「ガストンさんに教えてもらいます」
宿の獣人親父ことガストンは五言語を解するマルチリンガルらしいので、暇を見て奴に教えてもらいながら読み進めればいい。奥義を前にして、俺の頼みを断れる奴はそうそういないだろうしな。
「お願いします、フラヴィ先生」
というわけで、奥義発動。
この美幼女体の繰り出す上目遣いとロリボイスの黄金コンボは最強なのだ。
「う……っ、だ、ダメよ」
でも用法用量を守って正しく使用しないと、対象に免疫ができて効きにくくなります。
ちくしょう……道中で無駄に連発しすぎたか……と思ったら、意外なところから助け船が来た。
「フラヴィ、いいんじゃないか。興味があった方がやる気も出るだろう。内容がどうあれ、北ポンデーロ語の勉強にもなる」
「でも、ローズはまだこんなに小さいのよ? こんな……なんかエロそうな本は教育に良くないわ」
「どれ、見せてみろ」
オーバンはしばらく本に目を落とした後、小さく頷いた。
「それほど過激な描写もない。あっても意味までは分からないはずだ。そう厳しく制限すると、頭の硬い子になる。ある程度は好きにさせてやればいい」
「……しょうがないわね。で、これはいくらなの?」
どうやら俺はオーバンのことを誤解していたようだ。奴は巌のような面をしていながら、実はなかなかに柔軟な思考の持ち主らしい。
俺の奥義の余波にあてられた可能性もあるが。
いずれにせよ、ちょっと好感度上がったぞオッサン。
まあでも、どうあってもオーバンルートには突入しないんだけどね。もう猫耳美女ルートに分岐しちゃってるし。
「ありがとうございました」
そんなこんなで計四冊の本を購入し、俺たちは店を出た。
ハゲオヤジは店の入り口まで付いてきて見送ってくれた。出るときになって気が付いたが、たぶん入り口脇にいた野郎二人は警備要員なのだろう。本は高価だし、万引きとか強盗とかされたら大変だ。だからこそ店員が見送ることで、警備員に正規の客であることを示していたのだと思われる。
ちなみに、本日のお会計はしめて27万リシアでした。
はい、27万リシアでございます。クイーソで見たそこそこ美人で処女な年頃の奴隷は40万リシアでした。特に魔法教本がお高くてお高くて……
お値段は以下のようになっておりますです、はい。
・クラード語の魔法教本(題:魔法大全 - 初級から上級まで - ) 15万リシア
・エノーメ語の歴史書(題:世界の歴史) 7.7万リシア
・フォリエ語の物語(題:姫魔女の遺跡探索) 4.2万リシア
・北ポンデーロ語の旅行記(題:俺様世界周遊記) 1000リシア
魔法大全は結構ボロボロな年代ものだったのに、このお値段。しかもね、こいつかなり分厚いんですよ。十レンテくらいあるんです。それでエロゲの箱より一回り大きいというビッグサイズ。もう人を撲殺できるね、いやマジで。
一方、俺様世界周遊記は格安だった。四冊纏めて買ったのと、ハゲオヤジが体良く売りつけようとしたのをフラヴィが巧みに突き、哀れなまでに値切らせた。
クイーソの買い物のときもそうだったし、フラヴィは結構ぐいぐい攻めるタイプっぽいね。
それにしても、こんな僕ちゃんにこれほどの投資をしてくれるなんて……
プレッシャーが凄いです。
あ、いや、ダメだ、もっと気楽にいこう、気楽に。
俺はただ知識欲に従って学べば良いのだ。そうすれば結果はおのずと付いてくる。謙虚かつ勤勉に学習に励めば良いのだ。
フラヴィの期待は裏切れんしな。