第十九話 『さよならツインテール』
フラヴィは硬直している。焦げた毛先に右手を添えたまま、虚空を見つめている。
俺も動けなかった。思考がショートしていた。
エリアーヌもさすがに予想外だったのか、翠眼を大きく見開いている。
「おいおい、ラヴィ、大丈夫かよ」
意外にも、まず驚愕から脱したのはロックだった。鍋にかけられた火をそのままに、立ち上がってフラヴィに駆け寄る。
「――っ!?」
フラヴィは我に返ったように息を呑んだ。近寄ってくるロックを見て身体を強張らせ、右半身を隠すようにサッと左半身を奴に向ける。
「お前怪我とかしてねえよな? って、なんで顔背けてんだよ、見えねえだろ」
「……べ、べつに。大丈夫よ。怪我はし、してない、わ……」
ぎこちなく答えるフラヴィ。
対するロックは「そうかい」と言って肩を竦めた。
「ま、それなら髪が千切れた程度で済んで良かったじゃねえか」
ロックがフラヴィの肩を気安く叩くと、フラヴィは垂れかけていた猫耳をピンと立てた。
「よ……良かったって、何よ……? アタシの髪がこんなんになっちゃったのよっ!?」
「何そんな怒鳴ってんだよ、らしくねえな。さっきのアレが顔面に直撃してたら、治癒魔法でも痕が残ったかもしれねえだろ。エリアーヌちゃんでも上級までしか使えねえんだし、目が潰れてたりしたら大事だったろ。だったら、まだ髪で済んで良かったじゃねえか」
「それは……そうだけどっ、だからって、なんでそんな……もっと他に言う事ないわけ!?」
フラヴィはいつになく感情的な声を上げる。そこに気怠げな様子はなく、ある種の必死さが窺えた。
「な、なんだよマジで……オレに八つ当たりすんなっての」
「八つ当たりじゃないわよ! アタシはアンタにむかついてんのよ馬鹿ロック!」
「いや、訳分かんねえって。だいたい、ラヴィがちゃんと盾張ってなかったのがいけなかったんじゃねえか。お前ならもっと余裕で頑丈にできただろ。つーかなんで氷じゃなくて水のにしたんだよ」
「氷だと狙いが逸れても動かせないでしょ!? ローズはまだ習得したばっかりなのよ!?」
フラヴィとロックの身長差は三十レンテくらいある。二人は上と下から睨み合ってはいるが、感情的になっているのはフラヴィだけだ。ロックの方はどちらかといえば困惑している。
「あの、お二人とも、落ち着いてください」
エリアーヌが仲裁に入った。
俺も呆けている場合じゃない。
「ご、ごめんなさい、フラヴィ先生。私のせいですから……お、怒るなら、私を怒ってください」
俺は土下座する勢いで九十度以上は腰を曲げた。それは謝罪のためでもあるが、まともにフラヴィと顔を合わせられなかったからだ。
髪は女の命ともいう。
それを故意でないとはいえ、俺は無残に吹き飛ばしてしまった。猫耳ツインテ美少女をこの世から消してしまった。謝って許してもらえるようなことではない。
「…………ローズのせいじゃ、ないわよ」
深く長い溜息の後、苦笑したような声が頭上から降ってきた。
「アタシがローズの魔法力を侮ってたせいだから、気にすることないわ。むしろローズは誇っていいわよ」
「で、ですけど、フラヴィ先生の髪が……」
「いいから……ほら、顔上げて」
優しい声に導かれ、俺はゆっくりと面を上げた。
フラヴィの表情は既にいつもの気怠げな様子に戻っているが、明らかに覇気がなかった。ショックを隠しきれていなかった。
「アタシは大丈夫だから、そんな顔しないの。いつかは切ろうと思ってたから……ちょうど良かったわ。自分じゃ……その、なかなか切れなかったからね。ローズのおかげで踏ん切りが付いたわ、ありがと」
猫耳美少女が俺の頭を撫でてくる。
俺は何も言えず、ただ視線を足下に落とすことしかできない。
「少しでもアタシに悪いと思ってるなら、ローズはこれから先、どんどん魔法を使っていって。変に力を抜いたりしちゃ、ダメよ? ローズは才能あるから、練習するたびに思い切り魔法を使って、立派な魔女になるために努力して欲しいわ。約束してくれる?」
「…………はい」
「ん、いいわ。ほら、おいで」
フラヴィは俺を優しく抱きしめてくれた。
本当は辛いはずなのに、俺に対して一切の怒気を見せず、むしろ気遣ってくれる。
大人だった。
フラヴィの実年齢を知っても美少女と捉えていた自分が恥ずかしい。
彼女は紛う事なき美女だ。立派な女性だ。俺より何倍もしっかりしている。
「…………これで、本当に終わりね」
ふと耳元で嘆息混じりの呟きが聞こえた。その一言には計り知れない感情が凝縮されていて、なんだか無性に俺を悲しくさせた。
♀ ♀ ♀
あの後、フラヴィは残る左テールを自分の手で切った。
散髪用のハサミなど当然ないので、無骨な雑用ハサミで、バッサリと切った。それからエリアーヌに軽く整えてもらって、フラヴィはロングなツインテールから、肩にかかる程度のミディアムヘアになった。
エリアーヌも髪は短めで、フラヴィはエリアーヌよりやや長い程度だ。だが毛先は特に整っておらず、少し雑多な感じのするヘアスタイルとなった。よく似合っており、猫耳との相性も悪くない。
まあ、ツインテールの方が断然似合ってはいたけどね……
ほんとに俺は最低最悪のクズだな……
「どう、エリー? 変じゃない?」
「はい、よく似合ってます。ただ、私は人の髪を切ったことがないので、町に着いたらちゃんとしたところで切ってもらった方がいいでしょうね」
「べつに、そこまでこだわるつもりはないわ。変でないなら十分よ」
フラヴィは小さく笑みを溢しながら頷く。相変わらず気怠そうな様子は健在だが、その表情はどことなく軽やかで晴れやかだった。
「ローズから見ても変じゃないわよね?」
「は、はい。むしろ似合ってます……」
「だから、そんな気にしなくてもいいのよ。すごく頭が軽くなって、なんか気分がいいわ」
俺の魔眼は彼女の言葉に嘘はないと告げていた。
だが、やはり罪悪感は残ってしまう。
「ま、いいんじゃねえの? 髪切ってもあんま大人びて見えねえのはどうか思うけど」
「べつにアンタの意見は聞いてないわよ。男からどう思われようと、どうでもいいし」
「そーかい」
二人の会話は素っ気ないが、そこに険悪さはない。
ロックもフラヴィも先ほどのことはもう気にしていないようだった。ただ、フラヴィの語調が妙にサッパリとしていた。
俺たちは現在、焚火を囲んで食事を摂っている。フラヴィの髪を切り終わった後、すぐに夕食となったのだ。
あれから間もなく戻ってきたオーバンは軽く驚きを見せていたが、それだけだ。今も殊更にフラヴィの髪のことには触れず、黙々とメシを食っている。たぶんオッサンは空気を読んだのだ。無骨でガサツっぽいイメージがあったが、意外と紳士らしい。とはいえ、『似合ってる』の一言もないのだが。
「それにしても、ロックさんの料理はだいぶ美味しくなりましたね。以前は味も匂いも酷いものでしたが……」
エリアーヌはそう言ってスープを口にして、美味しそうに小さく頷いた。
俺たちが食べているのはザ・男料理といった感じのスープだ。野菜やら肉やらが適当に煮込まれて、見た目的にはかなり粗雑だ。
しかし、味は悪くない。というか、むしろ旨い。パンともよく合うし、栄養的にも良さそうだから、俺はガツガツ食っている。フラヴィのことはショックだが、俺が食わなかったら彼女が気にするだろうしな。
「そういうエリアーヌちゃんも、だいぶ柔らかくなったんじゃねえか? 前はオレに対しても、すげえ余所余所しかったし」
「え、そうだったんですか?」
「おうよ。『男はみんな不潔です』ってな感じで、かなり肩肘張ってたからな」
ロックはエリアーヌの声真似なのか、気色悪い声で答える。真似された当の美女は少し顔をしかめて「や、やめてくださいっ」と抗議した。
「ローズの前で変なことを言わないでください。おかしな人だと思われてしまいます」
「でも、まだ男は嫌いなんだよな? ならそのへんのことはローズちゃんも知っておいた方がいいんじゃねえか? こうして一緒にいるんだから、互いを知り合うのは大事なことだぜ」
「互いを知り合う話は他にいくらでもあるでしょ」
「エリアーヌ先生は変な人じゃありません」
フラヴィに続き、俺はすかさずフォローした。
何が何だかよく分からないが、好感度アップイベントは逃さんぞ。特にエリアーヌは男が嫌いなようだし……って、今の俺は幼女だから関係ないか。
エ、エリアーヌはローズルートに突入してもいいんだからねっ!
「ありがとうございます、ローズ。それにしても、ローズは本当に凄いですね」
「そうね。まだ小さいのにしっかりしてるし、魔法力だってかなりのものよ。将来が楽しみね」
エリアーヌもフラヴィも慈しみの眼で俺を見てくる。
やはりこのロリボディは母性に対して相性がいいな。
「そーいや、ローズちゃんって何歳なんだ? 見た目的には三歳か四歳くらいだと思うんだが……」
ロックがスープのお代わりを器に盛りながら、思い出したように言った。
仮にも女に対して年齢の話をするとか、失礼極まるな。いや、それよりスープが残り少ない。早く俺もお代わりしなくては。
「頭もいいですし、四歳くらいでは? さすがに五歳以上ということはなさそうですけど」
「うーん、そうね。三歳半くらいじゃないかしら? オーバンはどう思う?」
黒翼のオッサンが俺を見つめてきた。焚火に照らされた厳つい面はなかなかに迫力がある。座ってると身長がよく分からないしな。
「…………判然としないな。三つか四つなのは確かだろうが、何とも言えん」
「んじゃま、とりあえず間を取って三歳半ってことで」
「そうですね。皇国に帰ったら、一度猟兵協会に行ってみることにしましょう」
「どうして、猟兵協会に?」
まさか俺を猟兵にする気なのか? 確かにエリアーヌたちは猟兵という身分をカモフラージュに使ってはいるが……ただの幼女もとい魔女っ子が猟兵というのは、それはそれで変な気がするぞ。いや、というか、幼女でも猟兵になれるのか?
「猟兵協会に行って会員証を発行する際、本人認証が行われるんです。発行機が性別や年齢を見分けてくれますから、それで分かります」
「す、凄いですね……」
「《聖魔遺物》だから原理なんかは分かんないんだけどね」
フラヴィ曰く、《聖魔遺物》とは三千年ほど昔に栄えた古代魔法文明期の遺物らしい。現在では解明不可能な技術の塊らしく、原理は不明でも複製可能なものもあれば、不可能なものもあるそうな。
歴史について詳しく知りたかったが、長くなるからまた今度と言われた。
仕方ないか。
「ところで、ローズちゃんの魔法適性って無属性だったんだろ? ってことはオレたち全員でバラバラだな」
「ま、アタシたち四人は故意に別属性の適性者が集められただけだけどね」
「それはそれとしても、バランスいいじゃねえか。無属性ってことは苦手属性がないってことだから、全員でそれぞれの得意属性の魔法教えられるじゃん?」
「その前に、まずはクラード語を習得してもらう必要がありますが。新しい魔法を教えるのはその後からです」
「エリアーヌ先生は厳しいねぇ」
「エリアーヌの判断は間違っていない。クラード語の習得は可能な限り早い方が良い」
大人たちが雑談に耽る中、俺は四人の適性属性について少し考えていた。
まず、オーバンが土属性だという話は既に聞いた。あとフラヴィが水属性というのも聞いたか。となれば、火属性はロックだろうな。そしてエリアーヌが風属性だ。
ロックって名前なら土の適性属性でいいのに……紛らわしいな。
「ごちそうさまでした」
適当に話しながら夕食を終える。
奴隷生活中の栄養不足を補うためにも、今日もたくさん食べた。腹がくちくなったせいか、次第に眠気が強くなってくる。
「そういえば、ローズは何か……違和感とか感じませんか?」
ふとエリアーヌが夕食の後片付けをしながら訊ねてきた。
「違和感、ですか? いえ、特に何もないですけど……?」
「そうですか。今日は結構魔法を使ったので、それなりに魔力を消耗したはずです。魔力は年齢と共に増加していきますが、ローズはまだ小さいですから少し気になったんです」
「……魔力が減った感じって、どんなのなんですか?」
「そうですね……人によって感じ方は様々だと聞きますが、私としては最も近いのは空腹感でしょうか。とても感覚的なものなので、何度も魔法を使っていると自然にそうだと分かるようになります。魔女は特に身体的な影響は出ませんから」
「魔女は……?」
眠気も相まって、俺がカクンと首を傾げると、エリアーヌは教えてくれた。
なんでも、男の場合は通常、魔力が減っていくにつれて気怠さを感じるようになるらしい。身体が少しずつ怠くなっていき、魔力が枯渇すると最悪気絶してしまうとか。
一方、魔女は魔力消耗による身体的な異常は特にないらしい。魔力が減れば感覚的にそれと分かるだけで、気怠さも感じず気絶もしない。
精神的に野郎な俺は特に身体的な変化は感じられないな。
ふ、不感症じゃないんだからねっ!
まあつまり、燃料切れが車体状況に影響を及ぼすのか否かといったところだろう。そう考えると、魔女の方がやはりハイスペックということになる。
「フラヴィさん、魔石の予備ってありましたよね?」
「え? あぁ、そうね。もうローズに持たせておくの?」
「はい。こういう事は早い内から習慣づけておいた方がいいですし。フラヴィさんは反対ですか?」
「いえ、いいと思うわよ。本当に無属性かどうかを確認する意味でも、早く持たせておいた方がいいわ」
何やら二人は言葉を交わし合う。
フラヴィは馬鞍から下ろした荷物を探り、何かを取り出した。焚火の明かりに反射するそれは宝石のような石で、台座に固定され、鎖もついている。要はネックレスだった。
フラヴィはネックレス片手に俺の元までやって来た。そして腰を落として俺と目線を合わせ、ネックレスの先端部を指差した。
「ローズ、これは魔石っていうの」
なんかそれっぽい名前のもんが出てきたな。
十中八九、魔法に関係のある代物だろう。
「フラヴィ先生とエリアーヌ先生も、似たようなものを首から提げてますよね?」
「ん、そうね」
二人とも同じようなネックレスをしてはいるが、服の内側に入れているので普段は見えない。フラヴィは自身の首元に掛かった細い銀鎖を引っ張って、前にも見たUSBメモリっぽい縦長の宝石を露わにした。如何にも高価そうな代物で、フラヴィの宝石はサファイアめいた青色だが、さっき荷物の中から取りだしたのは無色透明だ。
「魔石っていうのは、魔力を蓄積することができる石のことよ。簡単にいうと、普段から魔力を溜めておいて、いざというときにこの石から魔力を引き出すことができるの」
俺に魔石を手渡すと、フラヴィは幼女でも分かるような説明を続けてくれた。
聞いた限りの話を纏めると、大体こういうことになる。
・魔石には魔力を溜めることができる。
・魔力が枯渇しそうになったり、枯渇した場合に魔石内の魔力を使用することで、体内の魔力を消費せずに魔法を行使できる。
・使用するには魔石が身体に触れている必要がある。ただし、通魔性の高い物質を介せば間接的な魔力充填、使用は可能。
・魔石に魔力を溜めても、溜めた魔力は時間と共に少しずつ自然消費されていく。
・一つの魔石に溜められるのは一人の魔力だけ。別の者が魔力を溜めようと思ったら、既に魔石に溜まっている魔力を空にしなければならない。
・基本的に魔石に溜めた魔力は本人しか使用できないが、魔法具を介した場合などは別。
・魔石の質によって溜められる魔力量、自然消費量に差がある。
「魔法士なら大抵は持っているものよ。魔力切れを起こしたり、起こしそうになったときの保険ね。まあ、他にも色々と使い方はあるんだけど……基本的には予備の魔力ね。毎日、寝る前なんかに溜めるのが一般的かしら」
「なるほど」
要は予備燃料みたいなものだろう。
色々と制約は多そうだが、便利なものには違いない。
「本当は、魔石と一口にいっても色々あってね。魔力を込めると光を発する光魔石とか、魔法の威力を増幅させる増魔石、魔法陣を描くのに使う陣魔石、そして魔力を溜めておくことができる魔石は蓄魔石っていうの。蓄魔石以外はどれも結構貴重なものだから、高くてね。蓄魔石が一番出回ってるから、魔石っていえば普通は蓄魔石のことを指すわ……って、結構説明しちゃったけど、理解できた?」
「はい、大丈夫です」
俺は頷きつつも、少し疑問を覚えた。
「あの、フラヴィ先生たちは光魔石とか増魔石という魔石は持ってないんですか? 皆さんは魔法が使えますし、魔法が強くなるっていう増魔石なんかは、持っておいた方がいいと思いますけど」
「アタシたちは……ほら、魔法士だとバレると色々面倒だから。それに、増魔石は高いしね。ものによっては家が何軒も建っちゃうくらいだし」
フラヴィは僅かに苦味を含んだ笑みを口元に浮かべた。
そういえばフラヴィたちは皇国の工作員なのだ。安易にそうと分かる物品はなるべく携帯しない方がいいはず。それに何より、いつ死ぬともしれない者に高価らしい増魔石は与えられないのだろう。
と一人納得していると、エリアーヌが横から更に補足してくれる。
「増魔石に限らず、魔石は普通、通魔材と呼ばれる魔力を通す素材でできた杖などに付けて持ち歩くことが多いです。魔物や人と戦うときに、魔石を握りしめたままだと戦いにくいですからね。ですが、杖などを持っていると魔法士だと一目見て分かってしまうので、私たちは持たないようにしているとも言えます。小さな魔石だと指輪などにして携帯することもできますが、その程度の大きさだと効果はあまり期待できませんしね」
「なるほど」
「特に増魔石を持つ魔法士というのは、だいたいが熟達した魔法士です。フラヴィさんが言ったとおり、とても高価なものですから」
しかし逆にいうと、魔石付きの杖を持っていれば、自分が魔法士であると周りに誇示できる。先ほどのフラヴィの説明で、魔石――蓄魔石は魔法具を介せば本人以外でも使用できるという。それなら満タン状態の蓄魔石も店で売ってそうだし、それを杖に付けてこれ見よがしに顕示すれば、女でもはったりとかに使えそうだな。
「それで、どうやって溜めるんですか?」
「まずは魔石を握りしめて。それで……えーと、そうね……詠唱して魔法を現象させるとき、身体から何かが出て行く感覚……って言えば分かるかしら?」
「あ、はい。こう、力が抜けるような、でもそれほど大げさでもないような、あの感じですね。さっき体験したばかりなので覚えてます」
「その感覚を思い出しながら、魔石に魔法を放とうとしてみる感じね。まあ、特に詠唱も何もないから、コツを掴むまで結構時間が掛かると思うわ。クラード語の勉強の合間にでも、息抜き代わりに練習してみるといいわね」
と、フラヴィ先生は丁寧に説明してくれたが、俺は早速、魔力充填を試してみた。小さなロリハンドで魔石を握りしめながら、精神を統一する。
割と難しいらしいが、俺は初めから全力かつ本気でやる。失敗するかもしれないから、自分が傷つかないために適当にやる……という選択肢は俺にはない。
失敗は成功の母であり、経験なのだ。
大切なのは成功することではなく、挑戦することだ。
失敗を恐れてはならない。チャレンジ精神は成功に必要不可欠だ。
さっきフラヴィと約束したばかりでもあるし、変に手を抜いたりはしない。
そんな感じに力んで、十秒ほど魔力充填を試みてみる。
すると、小さな握り拳の隙間から微かな光が漏れ出てきた。
「あ、これって魔力込められてますよね?」
「うそ、もうできたの……?」
フラヴィは驚きながら、俺の手から零れる仄白い光を見つめている。
「ローズは魔法感覚に優れているのでしょうか?」
「いや、さっきの魔法といい、もうこれ天才じゃね? オレ、魔石の扱い覚えるのとか一期は掛かった覚えあんだけど……」
この世界の暦は既に教えてもらって大体把握している。前世と違って週や月という単位はなく、代わりに節や期という区切り方をしているようだ。
十日で一節とされ、九節で一期、そして四期で一年になる。
橙土期、翠風期、紅火期、蒼水期と巡り、白無日という元旦のような祝日を挟んで、再び橙土期に至る。
つまり、前世と違って一年は三百六十一日で、区切り方も異なるのだ。
一期を三ヶ月分と考えれば、橙土期が一~三月、翠風期が四~六月、紅火期が七~九月、蒼水期が十~十二月になるな。
ちなみに現在は光天歴八九一年の紅火期、第四節六日らしい。
それにしても……ロックさんや。
俺を天才なんて呼ばんでくれ。そんなこと言われちゃ調子乗っちゃうだろ。
いや、乗らないけどさ。
「なんか、白く濁ってますね」
適当に魔力充填を切り上げて拳を開いてみると、手のひらの魔石はやや透明度が欠け、薄く靄がかったように変色していた。賢者になりすぎても尚、修行を行った際に放出される淀みに似ている。白濁とはいっても、かなり薄い。
「魔力を込めていけば、どんどん白くなっていくわ」
「あれ、でもフラヴィ先生のは青色ですよね? 前に見たエリアーヌ先生のは緑色でしたし」
「適性属性によって色合いが変わってくるのよ。火は赤、水は青、風は緑、土は橙、無は白って具合にね」
だったら初めから魔石で適性属性を判別すればいいんじゃね?
と思いかけたが、魔石への魔力充填は魔法行使の体験があってこそできるものだった気がする。たぶん普通は魔法の練習をしつつ、蓄魔石への魔力充填練習をしていくのだろう。
とはいえ、魔力充填は魔法よりメチャクチャ簡単だと思うんだが……なんでロックはこんなんに一期も掛かったんだ。
「魔石の色から適性属性が分かっちゃうから、魔石は普段、人目に付かないようにしておいた方がいいわ。もし敵に適性属性を見抜かれれば、戦いになったとき相手に優位に立たれるかもしれないからね……って、こういうことはローズにはまだ早すぎるわね」
「いえ、そんなことはありません」
まだまだ幼女とはいえ、個人情報の管理はしっかりしておいた方がいいからな。
もし敵に適性属性を知られれば、同時に反属性――苦手属性までも教えてしまうことになる。それは戦いにおいて情報的なアドバンテージを与えてしまうことになり、非常によろしくない。だからフラヴィもエリアーヌも服の下に魔石を隠しているのだ。まあ、俺は無属性だから苦手属性もクソもないんだが……
しかし、苦手属性がない俺には得意属性もない。強いて言えば無属性魔法が得意らしいが、他属性適性者の得意魔法ほどではないという。
つまり、何でもできるけど、何もできない。
何者にもなれるけど、何者にもなれない。
「……………………」
き、器用貧乏ばんざーい!
ばんざーいったらばんざーいっ!
か、悲しくなんてないんだからねっ!
「あ、そういえば、この魔石はどのくらいで自然と空になるんですか?」
「この真っ青な状態で、だいたい一節半くらいかしら。今のその魔石の状態だと、明日には元の透明に戻っちゃうでしょうね」
フラヴィは自身の首に掛かった魔石を示し、次いで俺の手のひらの魔石を指差して答えてくれた。
「それじゃあ、この魔石にはどのくらいの量の魔力を溜められるんですか?」
「そうね……この魔石だと、特に威力を調節しないで特級魔法を三回前後放てるくらいかしら?」
と言われても、俺には特級魔法がどの程度の魔力を消費するのか分からない。それに十五日で満タンが空になるってことは……結構燃費悪いのかね。でもこの魔石はなかなか上質なもんらしいし、この分だと低質な魔石は二、三日とか四、五日で自然放魔しそうだな。
「なるほど、分かりました。教えて下さりありがとうございます」
俺はきちんとお礼を言ってから、再び魔力充填を開始した。
今のままだと明日には放魔してしまうらしいので、今日の分が無駄にならない程度には魔力を込めておく。魔力充填にはそれほど集中力はいらないとすぐに気づけたので、漫然と魔石を握りつつマジカルなパワーを込めていく。
しかし、あまりに単調なその作業は睡魔の誘惑を助け、俺はいつの間にか寝オチしてしてしまった。
やはりロリボディの活動限界値はまだまだ低いな……
♀ ♀ ♀
翌日。
俺の魔石は満タン状態になった……と思う。
道中は先生方の講義を聴く以外、特にやることがなく暇だ。適当に魔力充填をしていたら溜まってしまった。
魔石は昨日の白濁した状態から、徐々に濃くなっていき、最終的にややくすんだ白で変化が止まった。なんか微妙に曇っているので、白というより極薄の灰色だ。もっと綺麗な純白になるのかと思っていたのに……
とりあえずフラヴィたちに見せてみた。
「もうこんな色になったの……?」
「…………」
「すげえな、おい。つか、これマジで凄すぎじゃねえか?」
「ふむ……」
四人とも驚いているようだったが、なんだかエリアーヌの表情だけは険しかった。そんな顔しないで、素直に俺を褒めてくれていいのよ?
というか褒めて欲しい。
「ん……? でもなんか、色が濁ってねえか? 無属性適性者の魔石って、もっと白くなかったっけ?」
あぁん? なんだロック、テメェ俺様の魔石にイチャモンつけようってのか?
美女二人から甘やかされる計画を邪魔しようってんなら、タダじゃおかねえぞ。
「そうね、これじゃあ白というより灰色……銀灰色かしら? ねえローズ、もうこれ以上魔石に魔力は込められない?」
「はい、何度か試しましたけど、それが限界みたいです」
いかん、フラヴィがなんか訝しんでる。
「エリーはどう思う?」
「そうですね……もう少し綺麗な白色になるはずでは……?」
エリアーヌまでなに言っちゃってるのよ!?
いや……もしかして、俺ってどこか変なんだろうか……? なにせ幼女の身体に三十路の精神だし、多少純白が濁っていても不思議じゃない。
いや、むしろ当然ともいえる。
おいおい、勘弁してくれよ……。
「ま、でも気にするほどのことでもねえか。魔石の質によっちゃ、色合いが違って見えることなんてざらだしな」
あぁん? なんだとロック? お前それを早く言えっての。
無駄に心配させやがって。
「それはそうだけど、この魔石はその辺の安物とは違うでしょ」
「あの、魔石って高いのと安いので色合いが変わってくるんですか?」
「ええ、質のいい魔石ほど純色になるわね。安いのだと……これみたいに少し色がくすんじゃったりするのよ。でも、この魔石はそこそこ綺麗な色になるはずなんだけど……」
フラヴィはそう言って、俺の魔石と自分の魔石を見比べて、眉をひそめる。
確かにフラヴィの魔石は綺麗な青色をしている。純色かどうかまでは定かではないが、少なくともパッと見では普通に青だ。
「無属性は白ですから、くすみが目立つのでしょう。以前に無属性適性者が安物の魔石に込めたものを見たことがありますが、それはもっと灰色がかっていましたし。確かにその魔石はそれなりに高質なもののはずですけど、実はあまり良くないのかもしれません」
「何にせよ、考えたって仕方ねえだろ。皇国に帰ったら、特上の魔石で試させてみればいいじゃないの。ねえ、隊長」
「そうだな。ややくすんではいるが、これも白には違いない。それに、実際に魔法を使った結果からも、無属性適性者であることは確かなのだろう。ローズ、あまり気にするな」
大人達の話し合いの結果、俺の魔石カラー異常は魔石のせいということになった。
……本当だろうな? ぼくちゃん信じちゃうよ?
白薔薇のローズって自称し続けちゃうよ?
とはいえ、魔石の色程度なら些細な問題だ。俺はきちんと魔法を使えたし、魔力だって込められる。これが転生の代償だとしたら、安いものだ。
安すぎて逆に不安になってくるが……。
とりあえず、皇国に行くまでは気にしないでおこう。
そんなこんなで、俺たちは一路リリオを目指して北上していく。