間話 『俺様世界周遊記~贖罪編~』
悪人が受ける最大の罰とは何か。
世間一般では、それは死とされてるな。
死刑の方法は古今東西でまちまちだが、定番どころだと生きたまま火炙りにする火刑、四肢に縄を括り付けて引っ張る八つ裂きの刑、首から下を土中に埋めて飢え死にさせる餓死刑……そんなところか。獣人のとある部族だと両手足を潰して生きたまま魔物に食わせるってのもあるし、浮遊双島の翼人だと翼を切り落として島から突き落とすってのもあるから、種族ごとでも変わってくるだろう。
まあ、とにかくだ。
悪人が受ける最大の罰は、死刑が圧倒的に多い。できるだけ苦しませて殺すことで罪を償わせるってのが、今も昔も定番なわけだ。
でもよ、それはちょっとおかしいと俺様は思うわけよ。
仮に連続殺人を犯した罪人を罰するにしても、死刑ってのは頂けねえ。そりゃあご遺族のお気持ちってやつを考えると、犯人が死ぬことで心穏やかになれる人ってのはいるだろうさ。誰にとっても同害復讐が公平なのは認めるぜ。
しかしな、殺して解決ってのは短絡的すぎねえか?
法による秩序を保つためとか、そういう諸々の事情もあるんだろうが、それでも俺様はどんな悪人だろうと死刑に処すべきではないと思ってる。これは俺様が思ってるだけで、べつに他人に強制したいわけじゃねえ。
だが、理解は求めたい。
死が最大の罰ではないことを、俺様は知ってるからだ。
だから柄にもなく、冒頭からこんな説教臭え話になりそうなことを語ろうとしてるわけだ。
そもそも、なんでこんな話題になってるのかといえば、先日とある悪人に出会ったからだ。世界規模で指名手配されてるほどの大悪党だな。しかし、そいつは俺様が出会った時点で、既に悪人が受ける最大の罰に苦しんでいた。
その罰ってのが何なのか、これから語る悪人の話で理解してもらえたらと思う。
■ ■ ■
それが具体的にいつどこの出来事かはさておくとして。
そいつは、とある寒村で目覚めた。
まず視界に入ったのは粗末な造りの天井で、次に見たのは少女の顔だったという。
「あっ、良かった、起きた……お祖母ちゃーんっ、起きたよー!」
枕元に座る少女はそう叫ぶと、心配そうな顔でそいつを見下ろした。
「えっと、具合はどうですか? 左足と右腕の骨が折れてるみたいで、まだ起き上がらない方がいいと思うので、無理はしないでください」
「骨が、折れて……どうして……いや、ここは……」
そいつが薄い布団の上で戸惑っていると、視界に童女と老婆が現れた。
「わーっ、おきたー!」
「これこれ、怪我人の前で騒ぐんじゃないよ」
老婆が童女の手を掴んで、二人は共に腰を下ろした。
興味津々な童女とは対照的に、老婆のそいつを見る目は落ち着いていた。
「さて、まずは自己紹介といこうかね。あたしゃフェルナだ」
「あ、わたしはサリアです。こっちは妹のエルマです」
「にーちゃんおきたねー! よかったねー!」
少女サリアは慌てたように低頭し、童女エルマはにこにこと笑っていた。
「お前さんの名前を教えてもらえるかの?」
「僕は……僕の、名前は…………え、あれ……分からない……?」
「ふむ、まだ寝起きで混乱してるのかね? なら先に、どうしてお前さんがそんな身体で横になってるか、話そうかね。あぁ、その前に水を一杯お飲み。少なくとも一日以上は寝たままだったからね」
そいつはサリアの手を借りて何とか上体を起こし、水を飲んだ。一息吐いたところで自分の身体を見下ろせば、腕や脚に包帯とは言い難い粗末な、しかし清潔そうな布が巻かれ、そこから確かな痛みを感じた。左手で触れれば、痛みのある頭にも巻かれていた。
「お前さんは、この村の近くの川で、この子たちが見付けたんだよ。上流の方で地滑りか何かでもあったんだろうね。木やら何やらと一緒に川縁に引っ掛かってたのさ」
「ひっかかってたー」
「最初は死んでるかと思いました」
エルマは明るく元気に、サリアは気遣わしげに相槌を打った。
「それで、村の男に頼んで、うちまで運んでもらったわけさ。どうだい? 意識を失う前のこと、思い出してきたかい?」
「…………いえ、すみません……何も、分からなくて……どうして何も思い出せないんだ……?」
「ふむ、頭も打ってたみたいだからね。記憶が飛んじまったのかもしれないねぇ」
「え……お祖母ちゃん、それかなりまずいんじゃ……?」
少女の不安げな様子に反し、老婆は慌てず騒がずゆっくりと頭を振った。
「心配することはないよ。うちの村にも何十年か前に、頭打って何も思い出せなくなったのがいたけど、ある日けろっと記憶が戻ったこともあったからね。そういうこともあるさね」
「町の方の治癒院に連れていってあげた方がいいんじゃない?」
「この手の頭の不調は治癒の魔法でどうこうできるとは限らないって話だからねぇ。ま、何にしても身体を治さないことには始まらないね」
フェルナはさして心配した素振りもなくそう言うと、そいつに穏やかな目を向けた。
「ひとまずお前さんは安静にして、心も身体もゆっくり落ち着けるとええ」
こうして、そいつは自分が何者かも分からないまま、老婆たちの世話になることになった。
■ ■ ■
目覚めてから三日が経っても、そいつの記憶は戻らなかった。質の悪いぼやけた鏡で自分の顔を見てみても、二十代半ばほどの整った顔立ちだなと他人事のように思っただけで、何かを思い出す気配はまるでなかった。
しかし、怪我の方は良くなった。
「凄い……魔法が使えたんですね」
「わーっ、マホーマホー! すごいすごーい!」
自分の足で立ち、身体の調子を確かめるそいつを、サリアは驚きの眼差しで見つめ、エルマは二人の周りを元気に走り回る。ちなみに、サリアは十四歳、エルマは五歳のようだった。
「こりゃ驚いたね。骨折が一発で治るほどの治癒魔法だなんて、お前さん結構な魔法使いだったんだねぇ」
フェルナは感心したように何度も頷いていた。
「魔法を使えることが思い出せたなら、名前とか他のことも思い出せるってことだよね」
「いや……どうなんだろうね。魔法は思い出したというより、詠唱が自然と口から零れ出たというか……でも、それなら自分の名前の方が言い慣れて舌が覚えてるはずなのに、全然そういう感じはないし……すみません」
「その手の常識だの知識だのと思い出は別物なのさ、べつにおかしなことでも謝ることでもないよ。ま、この分だと思い出すまで時間が掛かりそうだしね、何かと不便だから名前を付けてやろうかね」
老婆にはそいつに対する期待も落胆もなかった。ただ、あるがままを受け入れているようだった。そこに悪感情はなく、あるのは困った者に対する温かな人情だけだ。
目覚めた当初からそれを敏感に感じ取っていたそいつは、深い感謝の念を抱くと同時に、申し訳なく思った。
「いえ、フェルナさん。お気持ちは有り難いですが、僕は明日にでも失礼させて頂きます」
「ん? なんだい、何か思い出したのかい?」
「そういうわけではありませんが……怪我は治ったわけですし、これ以上ご厄介になるわけにはいきません。治癒魔法以外にも色々と魔法が使えそうですから、どこかの町にでも行って、猟兵として生計を立てつつ自分探しでもしようと思います」
そいつはいい歳した大人なのだ。自分の面倒は自分で見るべきであり、これ以上誰かに迷惑を掛けたくはなかった。特に、自分を助けてくれた恩人には。
まだ村を歩き回って様子を確認したわけではなかったが、この村が裕福でないことは暮らしぶりから窺い知れていた。にもかかわらず、何の関わりもない他人、それも女子供どころか満足に動けない怪我人の成人男性の面倒を見ようなどとは、普通思わないだろう。
どうにもこの家には老婆と姉妹の三人しかいないようなので、まともな村であれば、他に余裕のある家が『自分のところで面倒を見る』とでも言うはずだ。村という集団はある種の一心同体な共同体であり、村人たちは助け合いながら生きるものだ。生活の苦しい家が人助けをしようとしているなら、余裕のある家か村全体で助けようとするだろうし、それが無理なら見捨てるだろう。
しかし、そいつは女子供の三人暮らしの家で世話されていた。何人か様子を見に来た村人もいたが、彼等とフェルナたちの関係は良好そうに見えたし、彼等からは怪我人に対する幾ばくかの不審感こそ見られたが、概ね心配そうな様子をしていた。
つまり、この村は貧しく、善良なのだ。どの家々も余裕はなく、しかしそれを理由に怪我人を見捨てられない情け深さがある。だからこそ、最初にそいつを発見した――してしまった姉妹が責任を取るような形で、この家で世話することになったのだろう。
誰に確認したわけでもないが、そいつはそう推測していた。
「いずれ必ず、しっかりとした形で、助けて頂いた恩を返しに戻ってきます。そのためにも、まずは町で金を稼――」
「まあ待ちな、そう一方的に告げるもんじゃないよ。まずはこっちの話も聞いてくれるかぇ?」
フェルナはそいつを落ち着かせるような、ゆったりとした口振りで続けた。
「正直に言うとね、お前さんには記憶が戻るまで……いや、戻ったとしても、ここに残っていてほしいと思ってるんだよ」
そいつは意外感と納得感を半々ずつ感じながら、老婆の話に耳を傾けた。
「どうも見てきた感じ、お前さんは配慮ってもんができる男だ。でなけりゃ、この家に婆と孫娘たちしかいない事情を聞いてくるもんさね。この家は三人で暮らすにしちゃ、ちぃとばかし広すぎってもんだろう?」
「…………」
「何年か前まではね、うちはもっと賑やかだったもんさ。この子らの母親はエルマの産後の肥立ちが悪くて亡くなったけど、父親も兄たちも元気で、日々の暮らしに不安なんて全然なかったもんだよ」
この家は造りこそ古びているが、三人暮らしにしては広かった。食卓とて十人は囲める大きさだ。何かしらの事情があることは想像に易く、彼女らが男手を欲しているだろうことも漠然と察しが付いていた。
「でもね、戦争ってんで、徴兵されてってね。もう戦争は終わったみたいなのに、誰も帰ってきやしない。うちに限らず、村の男たちはほとんど帰ってこなかったよ。負け戦だったみたいだからね、さもありなんってもんさ」
そいつの様子見に訪れる村人は老人や女性ばかりだったので、大凡の予想はできていた。そいつは決して愚かではなく、むしろ人並み以上に聡い男だった。
しかし、そうと察しが付いていても尚、そいつはこの家から早々に出て行こうとした。
「だから今この村には男手が足りないんだよ。しかもお前さんは割と鍛えてた感じの身体してるし、魔法だって使える。畑仕事にせよ、村を守るにせよ、お前さんみたいな男にはみんないてほしいと思ってるのさ」
本来、村とは閉鎖的な集団だ。こんなどこの誰とも知れない男など、平時であればまず受け入れられることはない。つまり、それほどに村の現状は逼迫しているのだろう。戦争で男手が減り、村が立ちゆかなくなることなど、有り触れた話だ。
「そもそもね、助けてもらった恩を感じてて、他に行く当てもないってんなら、普通はここに残って、この老いぼれと孫娘たちを助けてやろうと思うもんじゃないんかぇ?」
「そ、それは……」
「なんだい、正直に言ってみぃ」
冗談めかして責めるような口振りから一転、穏やかな微笑みを向けられた。
そいつは自分でも判然としない漠然とした気持ちを整理するように、呟くような声でぽつぽつと話し出す。
「……それは、僕も最初はそう思いました。ここでフェルナさんたちの役に立つことで、恩を返しつつ、記憶が戻るのを待つのが無難だろうと」
そのときのそいつは、まるで迷子の子供のようだったと、後のフェルナは俺様に語ってくれた。
「ですが……何と言いますか、それでもやはりご迷惑になるのではないかと……」
それは半ば建前だった。
相手のためというより、自分のために、ここにいるべきではないと、そいつは感じていた。具体的にそれがどういうわけなのかは分からずとも、ここにいては良くないことになると直感していた。
「迷惑どころか歓迎だよ。サリア、エルマ、お前たちはどうだい?」
「わ、わたしも、男の人がいてくれた方が何かと助かります。あなたは悪い人じゃなさそうですし」
「にーちゃん、どっかいくのー? エルマもいっしょにいくー!」
姉の方は縋るような眼差しで、妹の方は腰元に抱き付いて元気に笑っている。どういうわけか、すっかり懐かれてしまっていた。
「無理に引き止めるつもりはないけどね、お前さんが良ければ、記憶が戻るまでの間だけでも、ここにいてくれんかぇ?」
老婆も姉妹も友好的で、嫌なものは感じない。
彼女らが男手欲しさにそいつを助けたわけではないことは明白だ。手足の骨を折った男など、治るまでの間はただの無駄飯喰らいなのだ。よしんば治ったとしても、この村に居着くようになる保証などどこにもなかったし、あまつさえ高等級の魔法を使えるなど夢にも思わなかったことだろう。
「ぼ、僕は……」
彼女らから向けられる微笑みに、何か尊いものを感じていた。この家は貧しいながらも温かな空気に満ち、そいつの心を強く惹きつけた。しかし、それが破滅的な誘惑だと、本能的に理解していた。だからこそ、怪我が治った以上はここを去るべきだと思ったのだ。
「にーちゃん、げんきになったなら、さかなつりにいこー! エルマさかなたべたいなー!」
「…………うん、そうだね……僕も魚食べたいかな」
そいつは逡巡の末、頷いた。
すると、無邪気に手を引く童女は満面の笑みを浮かべた。それを見守る姉も嬉しそうに微笑み、老婆は満足げに頷いて両手を打ち合わせた。
「それじゃあ、名前を決めないとね。お前さん、何か希望はあるかぇ?」
「いえ、特には……」
「なら、カロンにしておこうかね」
フェルナは考える素振りもなく即決した。
あまりにあっさりと決めたものだから、そいつは思わず尋ねた。
「それは何か由来が?」
「初代村長の名前だよ。嫌だったかぇ?」
その意味を深読みするのであれば、この村を拓いた当時の長のように、頼り甲斐のある男として、今の困窮したこの村を再興させてほしいという願掛けのようにもとれる。
「いえ、そんなことは。ありがとうございます」
そいつは少々荷が重いと感じたが、期待されていると思うと悪い気はしなかった。
「皆さん、この度は助けて頂き、本当にありがとうございました。改めて、これからよろしくお願いします」
こうして、記憶喪失の男はカロンという名を得て、貧しくも人情味溢れる村での生活を始めた。
■ ■ ■
村の人口はカロンを除いて、三十七人しかいなかった。
六十歳以上の老人は四人、十五歳未満の子供は十二人、十五歳以上六十歳未満の成人女性は十八人、成人男性は僅か三人しかいない。そのうち一人は戦争帰りで片腕がなく、片足が不自由で、男手としては期待できない状態だ。更にもう一人は半期ほど前に魔物を退治した折、顔を引き裂かれて失明していた。カロンが上級の治癒魔法を行使すると醜い傷痕は治ったが、視力は戻らなかった。
実質的に働き手として頼りになる男は、カロンを含めて二人だけというのが、村の現状だった。
「村長さん、僕にしてほしいことは何かありますか?」
カロンは村人たちへの挨拶を一通り済ませると、改めて村長の家に出向いた。
「そうじゃのぉ……色々あるんじゃが、まずは何よりも村の守りをどうにかせんといかん。皆、魔物や賊が襲ってこんかと不安なんじゃ。ビッケが目をやられてから、まともに戦えるのがおらんくなったからのぉ」
カロンの他にもう一人いる健康な男は五十代半ばで痩身、荒事をこなせる技能や経験はなく、如何にも頼りない感じだった。
その彼に限らず、子供たちも含めて村人は概ね痩せている。日々、満足に食事ができていないのは明らかだった。
「お主のような男が村の周りを見回りつつ、魔物でも狩ってくれれば有り難いのぉ。戦える男たちがおらんくなってから、森に魔物が住み着いてしもうて、森の恵みを獲りに行けんのじゃ」
「なるほど、分かりました」
村長の言に異論はなかった。
男が一人増えた程度では、畑を広げて収穫を増やそうとするのは現実的とは言えないし、一朝一夕に成るものでもない。この辺りの川は魚があまり獲れないようで、獲れても小振りな魚ばかりらしい。しかも先日には、カロンが巻き込まれたと思しき土砂崩れか何かで川が荒れたようで、エルマと川の様子を見に行った際には魚影など全くなかった。
まずは魔物を狩り、その肉を確保しつつ、女たちが森に入れるようにする。野草や木の実、茸などを採取できるようになれば、村人たちの健康状態が改善するだろう。
この村には活気がない。女が元気な村は良い村だという認識がカロンにはあったが、この村の女たちはどうにも暗い。子供たちはそれなりに元気だが、村全体に漂う雰囲気は決して明るいとは言えない。それは未来に希望を見出せず、このままではじり貧だと悟っているからだろう。
この村が陥ってる困窮の根本には男手の不足があるが、ひもじい思いから弱気になり、前向きに考えられないことも大きいはずだ。満足に食べられるようになれば、心身ともに元気になり、よりよい未来を掴み取ろうと頑張れるようになるだろう。
「カロンよ、儂がこんなことを言うのもなんじゃが……どうか皆に希望を持たせてやっとくれ。今はお主だけが頼りなんじゃ」
村長は決して愚かではなく、現状を正しく認識しているようだった。たとえ得体の知れない余所者であろうと、使える者なら使わねば生き残れないと理解している。天災や戦災で辺境の村が潰れることなど珍しくないのだ。
「はい。できる限りのことはするつもりです」
カロンは力強く頷き、自分を助けてくれた人たちのため、動き出した。
■ ■ ■
村長から剣を借り受け、フェルナたちの家に戻り、森に住み着いた魔物を退治することを告げた。
当初、彼女らは心配した様子だったが、カロンが軽く剣を素振りしてみせると、サリアは期待の眼差しを向け、エルマは凄い凄いとはしゃいだ。フェルナだけは普段通り落ち着いたまま、思案げに呟く。
「ふむ……だいぶ様になってるね。剣も魔法も使えるとなると、元はどこぞの貴族か騎士だったのかもしれないねぇ。行儀もいいし、少なくともちゃんとした教育は受けてたんだろう」
「さあ、どうなんでしょうね。自分では何とも……」
カロンとしても自分のことは気になったが、今は目先のことだ。
幸い、剣を手にしても違和感は覚えないし、それどころかどう振ればいいのか分かるくらいだ。身体が覚えているのだろう。剣は良質な品とは言い難いが、粗悪というほどでもない。雑に扱わなければ、それなりに使えそうだった。
この分なら、よほど強力な魔物でもない限り、退治できるだろう。
「それにしても、怪我が治って早々に荒事を頼むことになって、すまないねぇ。徴税官が来たとき、どうにかしてほしいと頼んだんだが、そんな余裕はないの一点張りでねぇ」
「そういえば、猟兵に依頼は?」
「町までは遠いし、金もない。こんな辺鄙なところをふらりと訪ねてくる旅人もいない。戦争の前までは一期に一度、行商人が来てくれてたんだけどね。戦争のせいか、ぱたりと来なくなったよ」
寒村を訪れる商人など、個人でやっている行商人くらいなもので、商会所属の商人は一定以上の大きさの村でないと訪れることはない。だからこそ、こうした小さな村々にとって、行商人はある種の生命線ともいえる。その生命線が断たれて久しいのも、国内が荒れているせいだろう。
敗戦国の末路とは往々にして悲惨なものだ。
戦勝国は戦費を回収すべく、新たに得た領地の民には重税を課すのが常だし、領主や代官が変われば領民への対応も変わってくる。あるいはこの村はもう見限られていてもおかしくない。元々ここは小さな村だ。客観的に見て、男手のいない寒村の価値は低いだろうし、今のままではお先真っ暗なのは明白だ。村を再興させるにしても、戦後の復興はより重要な町や村から優先的に行われる。
そう考えると、行商人が来なくなったことなど些細な問題で、今まで人狩りに遭わなかっただけ、この村は幸運かもしれない。奴隷商は死肉を漁る下等な獣も同然で、戦後のごたごたで敗戦国の女子供を攫うなど、連中の常套手段だ。
「それでは行ってきます」
軽く準備を整えて、早々に出発することにした。さして緊張感も不安感もなく、足取りは重くなかった。カロンは魔物の討伐を特別なことだとは思っていない自分に気付いていた。剣や魔法の心得といい、よほど戦い慣れていなければ、こうも落ち着いてはいられまい。
「気を付けてくださいね」
「まもののおにく、いっぱいとってきてねー!」
「くれぐれも無理はしちゃいかんよ。もう何人も、森の恵みを取りに行った女が帰ってこなかったからね。自信があっても油断は禁物だよ」
恩人たちに見送られ、カロンは単身、村近くの森に踏み入っていった。
■ ■ ■
魔物の討伐はカロンの予想よりも容易に達成できた。
カロンは十日間、毎日森に入り、魔物を討伐してはその肉を村に持ち帰り、再び森に入るという行動を繰り返していった。魔物の種類はパックファングのみだったが、奴らはとにかく数が多い。一頭発見したら百頭いるものと考えるのが常識だと、カロンの知識にはあった。
魔物のほとんどは向こうから襲い掛かってくる。だからカロンは森を歩いて野草や木の実を探しつつ、襲ってくる魔物を狩り、その肉を村に持ち帰るという単純作業をするだけで良く、ほとんど苦にはならなかった。それらが並の村人では命懸けの一大事だとは理解できていたが、自分が何者であろうと、カロンは村の役に立てることが嬉しかった。
「おお、また肉じゃな。これで今年の冬は安泰じゃ」
村人はカロンが肉を持ち帰る度に喜んで、干し肉や燻製肉などの保存食に加工していった。五日目にもなると、越冬用の食料としてはもう十分すぎるほどの量を確保でき、それからは村人たちでその日のうちに食べてしまうことになった。
「にーちゃんっ、おにくおいしーよ!」
「きょーもおにくだー! やったー!」
「そんなに慌てなくても、まだまだあるからね。カロン、本当にありがとう」
エルマも、他の子供たちも、その母親たちも、皆が笑顔だった。
カロンは自らの行いが村人たちを幸福にしているのだと実感できた。
「ありがとうね、カロン。皆が腹一杯に食べられることなんて、戦争があってからはなかったことだよ。お前さんのおかげで、久しぶりに皆が明るい顔をしておる」
「ありがとう、カロンさん。でも無理はしないでくださいね。いくら治癒の魔法があるからって、怪我じゃ済まないことだってあるんですから」
フェルナは穏やかに微笑み、サリアは喜びを見せつつも少し不安そうだった。
「にーちゃんはちょーつよいからだいじょーぶだよ! それよりはやくっ、はやくまほーやって!」
「こらエルマ、カロンさんは疲れてるんだよ!」
「ははは、大丈夫だよ。じゃあ、いくよエルマ」
魔法の中には遊びに応用できるものも多い。町で祭りがあるとき、魔法を体験できる催しがあるくらいだ。魔法で子供を楽しませることなど、カロンにとっては朝飯前だった。
「うわああああああははははははっ、すごいすごーいっ! にーちゃん、ねーちゃんもやってあげてー!」
「え、いやわたしは――ひゃあ!? もーっ、カロンさん!」
「ははははっ」
皆が笑顔だった。カロン自身も、心の底から楽しんでいた。
来る日も来る日も村のために忙しく動き回るカロンにとって、フェルナ一家と寝食を共にするひとときは心身を癒す大事な時間となっていた。帰る家があり、温かく迎えてくれる家庭があり、家族同然に接してくれる人たちがいる。それは多くの者たちにとっては当たり前のことだろうが、カロンには何か得がたいもののように感じられ、それを享受できることを幸福に思えた。
■ ■ ■
カロンが村での生活を始めてから一期ほどもすると、村はすっかり活気を取り戻していた。食糧事情が改善し、老若男女を問わず血色が良くなり、村人たちの顔から暗さがなくなった。
「あらカロン、今日も見回りご苦労様」
カロンは村の中や周辺を見回ることを日課としていた。
村人たちの気さくな挨拶に応じつつ、何か変わったことや困ったことがないかを聞き、問題があれば解決する。村の周辺に魔物や賊の影があれば、調査して対処する。それがカロンに求められた役割で、カロン自身それに不満は全くなかった。
見回りの他に、男の子たちに魔法を教えることも日課だ。子供も家事や畑仕事の手伝いがあるため、あまり多くの時間は取れないが、それでも毎日少しずつ魔法の練習をさせている。これは以前から村長が行っていたことで、彼よりも魔法に精通したカロンがその役を引き継いだ。
魔法は才能によるところが大きいため、村長が教えていた間にめぼしい子が三人選ばれていた。村で魔法を習うのはその三人だけだ。残念ながら見込みのない子に教えるほど、まだ村に余裕はない。寒村では子供とて貴重な労働力なのだ。
三人のうち一人は既に火属性と水属性の初級魔法は習得できていたため、その子には治癒魔法を練習させ、他の二人には火属性と水属性の初級魔法を練習させる。カロンは後者の二人より、前者の方を優先して指導した。たとえ初級だろうと治癒魔法が使えれば、何かと安心できるものだ。
もう二人の方は双子の兄弟で、兄の方は火属性、弟の方は水属性の初級魔法を使えたため、二人で教え合うように言い付けて、たまに様子を見る程度だった。
しかし、それがいけなかった。
やんちゃ盛りの男の子が二人で一緒に練習しているのだ。日々、練習を始めてしばらくは割と真面目に取り組むが、双子らしくどちらも集中力が長く続かず、次第に遊び出す。兄の方は火魔法を、弟の方は水魔法を、カロンが魔法で用意した岩壁に飛ばすのみならず、どちらが空高くまで魔法を放てるか競ったり、互いの魔法を衝突させたりして、魔法で遊ぼうとすることが常だった。
カロンとしても、既に習得済みの魔法の練習は大事だと思っていたし、楽しんで練習するに越したことはないとも思っていた。だから互いの身体に向けて魔法を放つような危険な遊びでなければ、特に口うるさく注意はしなかった。
もしカロンに幼少期の記憶があれば、魔法の練習は細心の注意を払って行うべきだと叱責された経験を活かせただろうが、このときのカロンには知識しかなかった。経験の伴わない教訓など、往々にして役立てることができないものだ。
「――あっ、先生!?」
カロンが治癒魔法を教えていると、背後から双子の弟の方の声が耳に届いた。何やら焦ったようなその声に、カロンが振り返った瞬間、水の弾が額に直撃した。
カロンは一瞬で意識を失った。
幸い、まだ未熟な初級魔法、それも水属性であったため、殺傷力はなかった。当たり所が頭部でなければ、少しあざになる程度で済んだだろう。実際、頭部に当たりこそしたものの、カロンはしばし気絶しただけで無事に目覚めた。
だが、カロンは死んでしまった。
奇しくも記憶が戻ったことで、善良なる男という自己認識は崩壊し、心からカロンとして生きられなくなったのだ。
■ ■ ■
「カロンさん、本当に大丈夫ですか? 何だか顔色が良くないですけど……」
「無理しちゃいかんよ。倒れたそうじゃないか。治癒魔法があるとはいえ、今日は安静にね」
サリアとフェルナの心配そうな様子に生返事をして、つい数刻前までカロンだったそいつは寝床に向かった。まだ日も高かったが、そいつは突如として戻った記憶に混乱し、心が乱れ、とてもではないが村のために何かをできるような状態ではなかった。
そいつは身体を横にして目を閉じ、己の半生に思いを馳せる。すると動悸がして、手足は震え、呼吸も乱れて、やがては涙まで溢れ出た。
「にーちゃん、だいじょーぶ? エルマがそいねしてあげるよー?」
いつの間にかエルマがすぐ側にいて、そいつに寄り添うように寝床に入ってきた。
カロンであった頃ならば、童女と一緒に寝てあげることに心が穏やかになったが、今は違う。戻った記憶によって、ただでさえ冷静さを失っていたそいつの心は呆気なく決壊した。
「うわああああああああああああああああっ!?」
「あっ、にーちゃん!?」
そいつは這い出るように寝床を抜け出し、まるで凶悪な魔物を前にした臆病者のように、がむしゃらな動きで駆け出した。突っ走って村を出て、森に入っても足は止まらず、とにかく走った。突如として突き付けられた現実と向き合えず、逃げるしかなかった。
「――あぐっ!?」
どれほど走ったのか、やがて足がもつれて盛大にすっころんだ。
しかし、もはやそいつに立ち上がる気力はなかった。ただ地面に突っ伏したまま、逃れようのない現実を前に、震えながら涙を流すことしかできなかった。
「ぼ、僕は……僕は……うっ、うぅ……」
そいつは一人、森の中で静かに泣き続けた。
やがて日が暮れる頃になると、そいつはのっそりと立ち上がり、村へと歩き出した。そいつ自身に戻りたいという願望はなかったが、あの村の善良な人々はそいつが突然いなくなれば大いに心配し、不安になるだろう。村人たちを困らせることはできなかった。
「あっ、カロンさん!」
村に戻ると、サリアが今にも泣き出しそうな顔で駆け寄り、そいつに抱き付いた。そいつは反射的に少女の頭や背中を撫でそうになったが、手が震えてできなかった。
そうこうしているうちに、他の村人たちがわらわらと集まって来て、心配した様子を見せた。
「急にいなくなって、どうかしたんですか?」
「ごめんよ……頭を打ったせいか、断片的に記憶が戻ったみたいでね。凄く怖い記憶だったから、錯乱してしまったんだ。面目ない」
サリアに嘘を吐くのは後ろめたかったが、真実は口にできなかった。彼女を含む村人たちを失望させるようなことはできなかった。
「そうだったんですか……どんな怖いことかは分かりませんけど、この村は大丈夫ですから。誰もカロンさんを傷付けようとする人なんていないですし、カロンさんが辛いときはみんなに頼ってください」
「そうだぜカロン。おれたちじゃ頼りないかもしれないが、お前に助けられてばっかりなんだから、たまにはおれたちに力にならせてくれよな」
「そうよ。困ったときはお互い様なんだから何でも言ってよ。あたしらじゃ力になれないことでも、相談に乗ることくらいはできるんだから」
サリアに続くように、村人たちも次々とそいつに温かい言葉を掛けた。
そいつは彼らの温情が心の底から嬉しく、だからこそ痛かった。また今すぐにでもこの場から逃げ出したかった。
「……みんな、ありがとう」
そいつは動揺を抑え込み、何とか笑みを浮かべて、そう応じた。
■ ■ ■
記憶が戻ってから、一節ほどが過ぎた。
そいつは持ち前の演技力を駆使して、心情を全く表に出すことなく、カロンとして以前までと変わらぬ生活を続けた。未だに記憶の大部分は戻らず、自分が誰か分からないという嘘を吐いて、フェルナとサリアとエルマの三人と共に暮らし、村人たちの手助けをして、善良なる男として振る舞っていく。
そんな日々はそいつの心を徐々に圧し潰していった。
「…………」
ある日の夜、そいつは静かに寝床を抜け出し、着の身着のまま家を出た。雲一つない夜空には双月と満天の星々が眩く輝いており、松明や魔法の光がなくとも視界は利いた。
そいつは一人で森の奥深くにまで来ると、一本の木の前で立ち止まる。
「くそ……くそっ、くそっ、クソが! 死ねっ、死ね死ねっ、死んでしまえ!」
何の変哲もない木に向けて、そいつは叫びながら額を打ち付けていく。激情のままに声を上げ、何度も何度も頭を叩きつける。皮膚が裂け、血が吹き出るのも構わず、そいつは恨み辛みをぶつけていく。
「うっ、うぐぅ……くそ、どうして……僕は……うぅぅぅぅぅ……」
やがて意識が朦朧とし出して、その場に膝を突く。それでも呻くように何事か呟きながら頭を動かしていたが、とうとう横にぱたりと倒れた。出血と、いつの間にか流れ出た涙で、顔面はぐしゃぐしゃだった。
「誰、か……誰でも、いい……僕を……殺してくれぇ……」
「おいおい、若人がこんないい夜に何言ってんだ」
ここで俺様、颯爽登場。
いやまあ、颯爽というか、途中から見てたんだけどな。こんな夜更けの森に人の気配があったもんだから気になって来てみたら、なんか取り込み中で声掛けづらい雰囲気だったもんで、機を見計らってたんだが、そんな経緯を一切感じさせない颯爽っぷりで登場してやったぜ。
「…………」
突然現れた美男に、そいつは仰向けに倒れたままちらりと目を向けてきた。奴もなかなかの美形だが、生憎と俺様ほどじゃなかった。
「死んだら全てが終わりなんだぜ? 何があったかは知らねえが、もうちょい頑張って生きてみろよ。何なら特別に相談乗ってやるぜ?」
「……なら……僕を、殺してください」
そう掠れた声で呟くそいつの目を見て、俺様は確信した。
それはとある心境に至った者だけが見せる特有の眼差しだった。ま、人生経験豊富な俺様は木に頭を打ち付ける狂人さながらの様子を見てたときから、ぴんと来ちゃいたがな。
「殺すかどうかはお前さんの話を聞いてからだ」
「…………」
「この俺様が美女以外の人生相談に乗ってやることなんて滅多にないんだぞ。ほれ、さっさと話してみろ」
俺様がそいつの隣に腰を下ろすと、そいつは倒れたまま、ぽつぽつと話し始めた。俺様は相槌も打たず、最後まで黙って聞いてやった。話の内容は、まあ概ね予想通りな感じだった。いつか見た手配書の人相書きにも似てたしな、然もありなんって感じだ。
「どうです……僕を、殺す気になったでしょう……?」
「ふむ、つまりお前は罰してほしいわけか」
「…………」
この手の若造みたいな奴は、そう珍しくない。
人は生きていれば、誰だって一度は過ちを犯す。誰も傷付けることなく、傷付けられることもなく、生きている奴なんていない。罪の程度に大小はあれど、誰だって加害者で、誰だって被害者だ。それはこの俺様とて例外じゃない。
「ところで若造よ、悪人が受ける最大の罰ってのは何だと思う?」
「……死刑でしょう」
「さっきも言っただろ、死んだら全てが終わりなんだ。一度記憶をなくしたことで善なる心に立ち返って苦しんでる奴を殺してみろ、そんなの楽にさせてやるだけで罰にならんだろ」
「そ、それは……でも……」
目を逸らして言い淀む様子からして、どうやら自覚はしているようだった。
こいつは死んで楽になりたがっている。だが、自分で自分を殺すことは許されないとも思っている。でなけりゃ、わざわざ木に頭を打ち付けたりなんてせず、手っ取り早く首を括っているはずだ。
死刑ってのは、被害者にとっても加害者にとっても、救いになり得ちまう。だがよ、人が死ぬことで救われる心なんて、それこそ救いがねえと俺様は思うぜ。人は罪悪感から自分で自分を殺すこともあるが、所詮それは逃避に過ぎねえんだ。自分で自分を殺したところで罪は償えないと、若造は無意識のうちに分かっていたのだろう。
「俺様はな、どんな悪人に出会ったとしても殺さないことにしてるんだ。小悪党なら軽くお仕置きして反省を促す。大悪党ならどうにか善心に立ち返らせて、己の悪行を悔やませながら償わせる」
前者はともかく、後者は割と難しいんだけどな。この俺様であっても、悪人を改心させるってのはそう易々とはできねえ。
ま、今回は自分で勝手に改心してくれた相手だから、手間が省けて助かったぜ。
「今のお前なら分かるだろう、若造。悪人が受ける最大の罰ってのは、今まさにお前が感じている苦しみだ。死にたくなるほどの罪悪感だ」
あらゆる喜びも、苦しみも、悲しみも、心より生じる。心の痛みは、身体の痛みに勝る。特に自罰的な感情は強力で、時に自ら死を選ばせるほどに堪え難いもんだ。
結局のところ、真に人を罰することができるのは、そいつ自身だけなんだ。誰かに与えられる罰よりも、そいつ自身が己の心に与える痛み以上に、辛く苦しいものはない。だから、悔い改めた罪人は罰を求めるんだ。誰かに罰してもらえれば、自分で自分を罰さずに済む。最も辛く苦しい痛みを感じることなく、罪の意識を和らげることができるからな。
「悪人が善なる心に立ち返ったとき、それまでそいつが人に与えてきた痛みや苦しみが、罪悪感となって一気に自分に返ってくる」
大悪党であればあるほど、なかなか改心しねえのは、無意識のうちにそれが分かってるからだ。善良な者として生き直そうとすれば、堪え難い苦しみに苛まれることになると恐れている。だから、一度道を踏み外した奴ってのはずるずると深みに嵌まっていきやすい。
「罰してほしいなら、生きろ」
俺様は若造の胸ぐらを掴んで上体を引き上げると、奴の綺麗な琥珀色の瞳を間近から覗き込んでやった。この俺様が本気で見つめてやれば、美女だろうと野郎だろうと、色んな意味でいちころだぜ。
現に若造はもう俺様から目を逸らせないでいる。
「これまでにお前が犯してきた過ちを忘れず、善なる心で過ちを過ちとして受け入れて、それを悔やみながら善人として生きろ」
「…………ぼ、僕は……生きてて、いいんですか……?」
「過去に積み重ねてきた悪行が、善行によって埋もれて分からなくなるくらい、より良く生きろ。生き続けろ。それがお前の受けるべき罰だ」
死ぬことより生きることの方がよっぽど大変で、辛く苦しいもんだ。どうも若い奴はその辺り分かってないんだよな。すぐに人を殺そうとするし、死のうとする。
生きるってのは、生き続けるってのは、生半可なことじゃねえんだ。それが痛みと苦しみに塗れた人生なら尚更だ。生きること以上にしんどいことはねえ。だから俺様は一生懸命に生きてる奴が好きだ。悩みながら、迷いながら、頑張って生きてる奴が大好きだ。死にたいと思いながらも惰性で生きてる続ける奴だって、偉いと思うぜ。
死のうと思えば死ねるのに、死を選ばないなら、そいつはそれだけで立派に生きていると言える。そこに善悪の別はない。人はただ生きているだけでも、胸を張っていいのさ。
「生きていれば、過去の因縁からお前の死を望む奴とも出会うだろう。だがな、お前が善なる心で罪を悔やみ、誰かを助けようとする限り――過去から逃げず向き合い続ける限り、お前には生きる権利がある。生きて罪を償い続ける義務がある。善なるお前にとって、死は救いで、ただの逃避だ」
「で、でも……」
「でもじゃねえ。お前は生きて生きて生き続けて、苦しかろうが辛かろうが生き抜いて、一人でも多くの人を助けるんだ。それがお前にできる最大の償いだ」
人生経験豊富な俺様には、この若造の気持ちが痛いほど分かるぜ。
罪人として生きるってのは、怖いよな。恥ずかしいよな。いっそ死んで楽になりたいよな。こんな自分に誰かを助けることができるのかって思いもあるだろうよ。
だが、それでいいんだ。
改心したからこそ、踏み出すのを恐れるもんさ。
「世のため人のために、全力で善行を為し続けろ。そうすりゃいつか、誰かがお前を許してくれる。お前も自分を許せるようになる」
どんな罪人にだって、許しを請う権利はある。
改心したなら、許される資格だってある。
仮に全人類がこいつの死を望んだとしても、俺様は断固として反対するぜ。罪人ってのは悔やみながら生き続けることが罰で、その罰によっていつかは許されるべきなんだ。
俺様は、誰の死も望みはしない。
たとえ、俺様や大切な人たちが何年にもわたって苦しみ続けている元凶となった野郎が今も生きていようと、俺様はそいつを殺そうとは思わねえ。殺して解決なんて、そんなの虚しいじゃねえか。
俺様の心は、誰かを殺して救われるほど安くはねえんだ。
「……僕は……生きても、いいんですか? 許されても、いいんですか……?」
「もちろんだ。何せお前には才能がある。その才能が今まさに開花したところなんだ。お前の人生はこれからだぜ。死ぬなんてもったいないこと、他の誰が許しても俺様が許さねえ」
迷子の子供も同然の不安そうな顔に、戸惑いが浮かんでいた。
この手の連中を見ると毎度思うが、羨ましいほどに若く未熟だぜ。こいつは自分を信じることができないようだし、もう少し前向きに考えさせてやるためにも、しっかり教えてやらねえとな。
「分からねえか? お前は誰かを傷付けることの痛みを知った。それは誰かに傷付けられる痛みよりも辛いもんだ。そのことを身に沁みて理解した奴ってのは、理解してない多くの善人よりも遥かに優しくなれるのさ」
「僕が、優しく……?」
「凄まじい悪人になれる奴は、凄まじい善人になれる奴でもある。悪人ってのはみんな、善人の蛹みてえなもんだ。だから俺様はどんな悪人だろうと殺さねえ。百人殺した蛹ってのはな、ちゃんと羽化させてやれば千人救える蝶になるんだ」
そうでなくとも、あまりに理不尽だ。
殺人ってのは詰まるところ、未熟な親が子供を叱るときに暴力を駆使するのと、本質は変わらねえ。暴力は恐怖を与え、恐怖は人を萎縮させる。暴力という恐怖によって手っ取り早く子供に言うことを聞かせるのと同じように、人が誰かを殺すのは手っ取り早く物事を解決するためだ。殺人という究極の暴力行為によって、相手の存在そのものを否定してやることで、問題を消し去るわけだ。
ま、人生は短いからな。俺様のように人として大成した余裕ある大人でもない限り、悪人は殺しちまった方が世のため人のためになって後腐れもなくていいって考え方は、合理的で魅力的なんだろうさ。それを非難するのも酷ってもんだし、俺様もいちいち人の行いにケチをつける気はねえよ。
だからよ、俺様だって好きにやらせてもらうぜ。俺様は悪人の存在を否定しない。むしろ肯定してやる。連中だって知恵と心を持つ人類同胞だ。立派な親が子供を叱るときのように、至誠を尽くして根気強く物事の理非を説けば、きっと分かってくれると俺様は信じている。
いや……信じたいんだ、人という存在を。
「お前は多くの人を苦しめ、多くの人を殺し、無数の不幸を生み出した。なら、その苦しんだ者たちは、死んだ者たちは、今も尚不幸に喘ぐ者たちは、いったい何のためにそんなことになったんだ?」
俺様だって清廉潔白な男じゃねえ。
かつては多くの過ちを犯したし、多くの人を殺したし、無数の不幸を生み出した。たとえそこにどんな理由があろうと、言い訳はできねえし、すべきじゃねえ。
言い訳ってのは己のためにするもんだ。
自分を慰める余裕があるなら、踏みにじってきた多くの心と命に報いるために、死に逃げるのではなく、生きて世のため人のためになることをしてやるべきだ。
「何の意味もなく、ただ悪人が悪人としての生を全うするために苦しんだってのか? 違うよな、そうであっちゃいけねえ。お前が凄まじい善人になるために、そいつらは苦しんだんだ。お前がより多くの人を救える男になるために、死んだんだ。お前がより多くの人に幸福を与えることができるようになるために、不幸になったんだ」
若造は目を見開いて呆然としている。
俺様は胸ぐらを掴んで引き上げていた手を離した。奴の身体はどさりと地に落ちて、再び仰向けになるが、先ほどとは違って死に急ぐような気配は感じられなかった。
「お前がこのまま死ねば、お前が傷付けた人たちを侮辱することになる。これ以上の罪を重ねないためにも、お前はこれから善人として生き続けなきゃいけねえ」
血塗れの顔からは様々な情念が見て取れた。
悪人の多くは、ここで心が折れる。やはり自分には無理だと、これ以上生きてはいられないと、善人としての一歩を踏み出す前に自ら死を選ぶ。あるいは開き直って、再び悪の道を歩もうとする。
「さあ、立ち上がれ若造。今こそ生まれ変わるときだ」
夜空で煌めく星々を見つめていた若造の目が、こちらを向いた。
それは俺様の好きな目だった。人が人として生きる者だけが持つ、か細くも力強い輝きを秘めた特有の眼差しだ。口ほどに語るそこには確かな意志が宿っていた。
人を信じることをやめた馬鹿共にも見せてやりたいぜ。
「そうだ、それでいい……それが人の強さなんだ」
俺様の呟きを余所に、若造は生まれたての子鹿のように、震える足で立ち上がった。
■ ■ ■
若造は――カロンは、迷い悩んだ様子ながらも、俺様に色々と相談してきた。少し手を貸してほしいとも言われたな。俺様としても発破を掛けた手前、少しくらいは協力してやるつもりだったから、幾つかは請け負ってやった。最初の一歩なんだ、いきなり躓かれちゃ俺様としても後味悪いってもんだしな。
夜明け頃まで話し合ってから、俺様たちは村に戻った。もちろんカロンはしっかりと血を洗い落とし、自ら魔法で傷を癒して、何事もなかったかのような風体でだ。
夜明けと共に起き出す村人たちは、すぐに俺様たちのことに気付いた。朝一番に森から戻ってきたカロンと、見知らぬ俺様を訝しんでいた。
主に俺様に対する関心から、わらわらと集まってくる村人たちを前にして、カロンは言った。
「皆さん、こちらは僕の知り合いの方です。昨夜、彼と会ったことで、記憶が戻りました。僕は商人で、ちょっとした事故で谷に落ちて、この村の近くまで流されたようです」
村人たちは突然のことに困惑しているようだった。
しかし、カロンは彼らを落ち着かせるように、穏やかながらも確かな口調で、ゆっくりと話を続けていった。
「僕にはすべきことがあります。なので、申し訳ありませんが、ずっとこの村にいることはできません。今から一年後、この村を出て行くことを決めました」
「カ、カロンさん……?」
サリアが不安げな様子で村人たちの中から歩み出てきた。
カロンは彼女にどこかぎこちない微笑みを向けると、優しく告げた。
「ごめんね、サリア。僕は自分が何者なのか、何を為すべきなのかを思い出したんだ。ここは素晴らしい村だけど、ずっとここにはいられないんだ」
「にーちゃん、どっかいっちゃうの?」
「うん、行かなくちゃいけないんだ」
カロンの服の裾を掴むエルマは、意外にも泣き出すような様子は見せなかった。幼い女の子が気圧される程度には、カロンの言動は決然としていた。いや、そう見えるように奴は精一杯振る舞っていた。
「一年の間に、皆さんだけで今後も生活していけるように、その基盤を整えようと思います。子供たちに魔法と剣を教えて、商人が定期的にやって来るように手配して、信頼できる男の人に何人か移り住んでもらおうと考えています」
商人と移住してもらう男に関しては、俺様の人脈を活用させてやる。俺様もしばらくこの村に滞在したが、ここはかなり辺鄙な土地であることを除けば、普通にいい村だ。しっかりと状況を整えてやれば、商人も移住者も来てくれるだろう。
その後は村人たち次第だ。カロンはもっと面倒を見てやるべきかと悩んでいたが、俺様が止めた。魚を釣ってやるより、魚の釣り方を教えてやるのが、本当の人助けってもんだ。
これは少し滞在してから分かったことだが、この村はカロンに依存している節があった。だからこそ、むしろ奴はいない方がいい。誰かに頼らないと生きていけない状況は、とても健全とは言えないからな。
「い、嫌ですっ、どこにも行かないでくださいカロンさん! ずっとここにいてくださいっ、ずっとわたしたちと一緒に暮らしてください!」
「……サリア、やめなさい」
カロンに縋り付いて泣きながら訴え出す少女を、老婆が止めた。
フェルナはカロンとじっと目を合わせた後、一つ頷いて、微苦笑を浮かべた。
「昨日までよりも、いい面構えになってるじゃないか。一人前の男の顔だよ。どうせあたしらが何を言っても、もう考えを変える気はないんだろう?」
「……はい。すみません、フェルナさん」
「そうだねぇ、まあ残念だけど仕方ないさね。人にはそれぞれ事情ってもんがある。あんたは特に何かしらありそうだったからねぇ」
このときの俺様はフェルナの人柄をほとんど知らなかったが、なかなかどうして人ってもんを理解している婆様だと見受けた。この手の爺様婆様を前にすると、ときどき俺様でさえ自分が子供のように感じられることがある。やはり死が迫っている者だけが持ち得る何かしらの悟りみたいなもんがあるんだろうな。羨ましいこったぜ、まったく。
「それで、本当の名前はなんてんだい?」
「それは…………いえ、皆さんにとってはカロンでいさせてください」
「……そうかい。そうだねぇ、あんたがどこの誰だろうと、あたしらにとっちゃ、あんたはカロン以外の何者でもないからねぇ」
老婆は穏やかに笑い、カロンの肩を優しく叩いていた。
なぜカロンは村人たちに本名を名乗らなかったのか。村人たちに悪人だと知られ、忌避されることを恐れていたのか。無論そうした気持ちはあっただろうが、今の奴はそれ以上に罰を求めている。罪悪感に苦しむ者にとって、悪しき罪人として忌み嫌われ、蔑まれ、避けられることはむしろ望むところなのだ。
奴が自らを商人だと偽り、素性を明かさなかったのは、村人たちのためだ。彼らは奴のことをカロンという善人だと思っている。奴が過去に積み重ねてきた悪行については何も知らない。もし村人たちが真実を知れば、彼らの心は大いに乱れ、カロンが今後村のために行うあらゆる善行を拒絶することになるかもしれない。
村人たちが自力で窮状を打開できるなら、彼らを奮起させる意味でも、カロンは忌避される道を選んだだろう。だが、この村は奴の助力なしには先細っていくだけだ。カロンは自らの罰を求める感情よりも、彼らの今後のために素性を伏せたのだ。
誰だって、善人だと信じていた人が実は悪人だったと明かされれば、心穏やかではいられなくなる。カロンが村人たちに真実を告げたところで、救われるのはカロンだけで、代わりに村人たちは傷付くことになるだろう。
自分のために吐く嘘は劣悪だが、誰かのために吐く嘘は決して悪いものではない。時として嘘が人を救うことだってある。奴は元々聡明な男みたいだし、その辺りの柔軟性はあるのだろう。
だが、フェルナは朧気ながらも察しただろうな。奴は上手く取り繕ってはいるが、まだまだ善人として生まれ変わって間もないせいか、隙がある。表情や声音から、心の機微は垣間見えてしまうもんだ。
「皆さん、そういうわけですので、あと一年の間、改めてよろしくお願いします」
頭を下げるカロンを前に、村人たちは隣の者と顔を見合わせたり、呆然と奴の後頭部を見つめていたりと、概ね戸惑っている様子だった。フェルナのように仕方なさげに微苦笑している爺様や婆様もいたが、ほんの一部だけだ。
どうやら村人たちの理解を得るには少し時間が掛かりそうな様子だった。実際、俺様が村に滞在して奴の話を聞いて回っているとき、俺様に奴を説得してくれと頼んでくる者は多かった。仕舞いには俺様の色香にあてられて言い寄ってくる未亡人すらいた。
まったく、俺様も罪な男だぜ……。
まあ、そんなわけで長居するのも良くないと思い、俺様は一節ほど村に滞在してから、カロンと共にとある都市に向かった。そこで信頼できる商人を紹介してやり、奴とはそこで別れることにした。
商人にはカロンの事情を話して協力してやってくれと頼んだし、後は奴の頑張り次第だ。あんまり俺様が助力してやっては意味がないからな。これ以上は野暮ってもんさ。
「色々とお世話になりました。本当にありがとうございました」
別れ際、奴は深く腰を折って謝意を示してきた。
短いながらも共に過ごしてきて分かったが、こいつは根が真面目な男だ。己の理想に殉じることができる類いの純粋さがある。奴の幼少期の話とかを聞いた限り、だからこそ道を踏み外しちまったように感じたが、方向性さえ間違っていなければ、こいつは世のため人のために粉骨砕身できる男のはずだ。
「感謝してんなら、もう木に頭を打ち付けるような真似するんじゃねえぞ。あれ見てるだけで痛そうだったしな……」
「はい。あんなことをしても、何の意味もないって教えてもらいましたから。これからは自分のためではなく、誰かのために血を流せるような男として生きていきます」
カロンの無駄に整った顔には、罪を自覚した者だけが纏う独特の陰りこそあったが、そこに危うさはなかった。しっかりと今の自分を受け入れて、その上で前に進もうとしていることが見て取れた。
「あんまり気張るなよ。お前はまだ若い、人生は長いんだ。途中で力尽きちまわないように、ほどほどに頑張っていけ」
「僕は貴方ほど立派ではないので、ほどほどの力で誰かを助けられるとは思えませんが……これまでに頂いた言葉と同様に、その忠言も胸に刻んでおきます」
「そうしろそうしろ。そして道に迷ったときは、俺様の名言の数々を思い出して標にするんだぞ」
「ええ、是非ともそうさせてもらいます」
どうやらカロンは俺様の偉大さにすっかり心服しているようだった。
なんか尊敬の眼差しがくすぐったかったもんだから、早々に去ることにした。美女相手ならともかく、野郎からそんな目で見られても尻が痒くなるってもんだ。
「んじゃあ、精一杯生きるんだぞ、若人よ」
「はい。貴方もお元気で」
こうして俺様は迷える咎人を正しき道へと導き、次の出会いを求めて旅を再開した。
俺様の旅はまだまだ続く。
いやさ、続いてしまうんだぜ、いつまでもな……。
八章終わり