第十二話 『一人では生きていけない現実』
揺られている。
一定間隔で全身が小さく上下前後に揺さぶられる。カッポカッポとどこか間の抜けた音が耳朶を打つ。
それが切っ掛けとなり、俺の意識は微睡みの海から浮上するようにゆっくりと覚醒した。
「……っ」
目を開けて、まず見えたのは毛だった。茶色い毛だ。一瞬、レオナの髪かと思ったが、違う。レオナの髪より色濃くて、毛並みは悪くない程度。たぶん馬のたてがみだ。
軽く周囲に目を遣ってみると、今度は緑ばかりだ。視界いっぱいに広がる草原は開放的な広がりを見せ、見渡す限りなだらかな丘陵が続いている。どこまでも深い青空と、疎らに浮かぶ綿のような白雲が視界の上半分を占め、まるで映画のワンシーンのように壮大な光景が意識を飽和させる。
「目が覚めた?」
頭上から声が振ってきて、呆然としていた俺はビクッと身体を強張らせ、振り向いた。その際、後頭部が柔らかな感触に包まれ、得も言われぬ弾力が優しく押し返すが、寝起きの俺にはそれが何なのか考える余裕などなかった。
「――え?」
知らない女がいた。
美女だ。
透き通るような翠眼が見惚れるほど綺麗で、双眸を優しげに細めて俺を見下ろしている。綺麗な金髪がそよ風に揺れ、少し日に焼けていると思しき肌は間近で見てもきめ細かく滑らかだ。
「えーと、私はエリアーヌっていうの。私のことは覚えてるかな?」
「…………あ」
そうだ、地下でノビオと魔法戦闘を繰り広げていた美女だ。
と思い出すと、未だ微睡みが抜けていなかった俺の頭は急速に覚醒し、一気に記憶が繋がった。地下、レオナ、ノビオ、アウロラ、鮮烈な魔法の数々と最後の光景。階段から落ちて、全身を次々と衝撃が襲って……ブラックアウト。
「お、なんだ、目覚ましたのか?」
不意に、軽妙な口調の野郎声が聞こえた。
俺とエリアーヌという美女の前には二頭の馬が歩いており、その片方に騎乗する男が振り向いてきたのだ。男らしく髪はこざっぱりとした短髪で、それなりにイケメンな野郎だが、如何にもなDQN顔をしている。歳は二十代前半から半ばくらいか。一見しただけでは前世の俺が苦手とするタイプのチャラそうな男といえる。
「寝起きの子にアンタの面は目に毒だわ。そのまま前を向いて歩いてなさい」
まるで俺の内心を読み取ったようにナイスフォローをしたのは隣を歩く少女だ。俺たちと同じく騎乗しており、背が低い。青灰色の獣耳が愛らしく、長い髪をツインテールにして、腰の辺りで尻尾と一緒に毛先がフラフラと揺れている。なかなかの美少女だが表情は気怠げで、無気力な女子中学生と猫が合わさればこうなるといった感じの子だった。第一印象としては、エロゲに出てきそうな猫耳ツインテヒロインというのが正直なところだが。
「お前の声の方が毒だっつの。オレの甘く優しく格好良い顔を見れば、女の子はみんな安心するのさ」
「アタシは不安にしかならないんだけど」
「そりゃ、ラヴィは女の子じゃなくて、もうババ――」
「■■■■■■■■■■――〈■■〉」
「ッあつぉ!?」
ツインテ美少女の手先に現れたビー玉程度の仄白い光弾が、DQN男の背中に直撃した。DQN男はDQNっぽい声を上げて前のめりになった。
「あの、お二人とも、この子が混乱してしまうので少し控えてください」
俺の背後で手綱を握る美女エリアーヌがそう言うと、
「では、この辺りで少し休憩にするか。クイーソまであと少しだが、一旦落ち着いた方がいいだろう」
DQN男の隣で馬を繰っていた男がおもむろに振り向いた。四十過ぎと思しきオッサンで、DQN男より背は低そうだが体格が良さげだった。背中には一対の黒い翼が見られる。無数に連なる黒羽は少し傷んでいるのが分かり、都会のカラスを思わせる。ついでに厳つい顔立ちをしているので、ちょっと怖い。
何が何やら分からない俺を余所に、他の三人は黒翼のオッサンの渋い声に頷いている。
そこでふと、俺は違和感を覚えて首元を触ってみた。転生してから約一月の間、常に感じていた無骨な首輪の重みと感触が、そこにはなかった。
♀ ♀ ♀
美女と、猫耳美少女と、DQN男と、黒翼中年親父の四人は道端に寄り、馬を止めた。
広大な草原を貫く道は石畳で舗装されており、道端の方は丈の短い草がまばらに生えている。道から離れるにつれて緑は濃くなっていき、灌木なんかもチラチラ見られる。ガキのころに旅行で行った北海道の大自然地帯で似たような光景を目にした記憶はあるが、規模は段違いだ。ファンタジー系の洋画なんかに出てきそうな丘陵地帯といえる。
エリアーヌは下馬すると、俺の両脇の下に手を入れて下ろしてくれる。誰かに抱えられるのは転生して以来初めてのことで、二十歳くらいの美女に軽々とされると、自分が幼女なのだと改めて実感する。
さて、今更の話だが俺は服を着ている。服というか、ぶかぶかの布だ。たぶんシャツだと思うが、半袖のそれをワンピースのように纏っている。
でもパンツは穿いてない。靴も履いてないので、実質布一枚だけだ。
「さっきも名乗ったけど、私はエリアーヌっていうの。あなたは……ローズちゃんでいいのかな?」
地面に降り立つと、エリアーヌは腰を屈めて俺と目線を合わせてきた。相手が幼女だからか、エリアーヌの話し方は甘ったるいまでの優しさで溢れている。
そんな美女を前にして、俺は密かに少し状況を整理していた。
現在、俺は見知らぬ四人の男女に囲まれている。
森の中に建っていた工場の地下で気絶し、気が付いたら開放的な丘陵を歩いていた。おそらくは美女が何らかの理由によって気絶した俺を保護し、猫耳ツインテ美少女などはその仲間なのだろう。
しかし、今重要なのはそこではない。
問題は、エリアーヌたちが俺にとって善人であるかどうかだ。このロリボディは身体的にも社会的にも貧弱極まる。あと精神的にも。
あ、全部か。全部弱いのか俺。
まあともかく、今の俺には世界のあらゆるものが脅威となり得るのだ。彼女らがその脅威なのかどうか、まずは慎重に見極める必要があるのだが……
現状を鑑みるに、とりあえずは安心して良さそうな感じがする。
「はい、私はローズといいます。ところでエリアーヌさん、ここはどこなんですか?」
「――――」
なんだか虚を突かれたような顔をされた。
まあ当然か。三、四歳の幼女が馬鹿丁寧に話しているのだ。普通とは言い難いだろう。エリアーヌの後ろで、それぞれ馬の側に立つ三人も少なからず意外そうな表情を見せている。
だが、俺は積極的に普通の幼女のふりをするつもりはない。演技は疲れるし、何より彼女らから情報を聞き出すには、こちらにもそれなりの知性があることを示す必要がある。
「えーと……ここはクイーソという町の近くね」
さっきも黒翼のオッサンが言っていたが、おそらくエリアーヌたちはクイーソという町へと向かう途中なのだろう。
「そうですか。それで、どうして私はここにいるんでしょうか? あの工場は……レオナはどうなったんですか? そもそもエリアーヌさんたちは何者なんですか? どうしてあそこでノビオと戦ってたんですか?」
レオナの名前を口にしたからか、やや冷静さを失って子供らしく矢継ぎ早に質問してしまった。
すると、エリアーヌは少し戸惑ったように口を噤み、背後を振り返った。彼女の視線の先には黒翼のオッサンがいる。オッサンはチラリと俺を見た後、数秒ほどの間を置いて頷いてみせた。
美女は再び俺へと翠眼を向けてくると、相も変わらぬ優しい声で言った。
「まず、どうして私たちがあの工場で戦っていたのかってことだけど……私たちは悪い人たちをやっつけていたの。ローズちゃんも、あそこにいたおじさんたちに苛められて、毎日怖かったでしょう?」
「…………まあ、そうですね」
「私たちは怖いおじさんたちをやっつけるお仕事をしているの。それと、魔弓杖……って分かるかな? ローズちゃんたちが作ってたものなんだけど、アレは人を傷つける危ない物だから、それを壊すのもお仕事だったの」
ふむ……エリアーヌは幼女相手に分かりやすく説明しているつもりなのだろうが、三十路からすれば逆に分かりにくい。
要するに、エリアーヌたちは魔弓杖を製造していたあの工場をぶっ潰したくて襲撃をかけた、ということで良いのか? 魔弓杖はオールディア帝国とグレイバ王国との戦いで使用されていたというし、あの威力からして戦争で活躍するような武器だ。戦争において敵の兵站を潰すのは常道だし、ということはエリアーヌたちはグレイバ王国の軍人みたいなものなのか?
しかし今はそんなことより、もっと大事なことを聞き出す必要がある。
「それで、レオナはどうなったんでしょうか?」
「レオナっていうのは、あの地下にいた子よね? 茶色い髪の」
「そうです。彼女はどこにいるんですかっ?」
俺の問いに、エリアーヌは言い辛そうに口を閉ざす。沈痛な、あるいは憎々しさの感じられる暗い影を端正な顔に落とした。
「あの子は……さっきローズちゃんがノビオって言っていた男に、攫われてしまったの」
攫われた? なぜ、どうして?
……いや、決まっている。レオナが珍しい竜人ハーフの幼女だからだ。金になるからだ。だからこそノビオはあの場にいたはずなのだ。
本当は目覚めたときに俺しかいなかったから、察しはついていた。俺はアウロラによって階段から引きずり落とされて、無様に気絶した。せっかく魔弓杖という負の力まで使ったのに、俺は彼女を助けられなかった。
「あ、その……」
絶句する俺に、エリアーヌはその美貌に差していた影を払うと、わざとらしい微笑を浮かべた。
しかし、言葉が続かない。
そこでふと、猫耳ツインテ美少女が俺とエリアーヌに近づいてきた。
「ねえ、お腹すいてない?」
絶望の淵に沈みかける俺の目の前で美少女が屈み込み、手にしていた革袋を開いてみせた。中には色とりどりの何かが入っている。たぶん果物だ。やけに乾燥していて形状も様々なので、ドライフルーツなのだろう。
「はい、あーん」
猫耳ツインテ美少女はそのうちの一つを摘み、口元に差し出してくる。イチゴをスライスしたような形をしていて、赤く平たい。
俺は半ば無意識的に、ひな鳥のようにそれを食べた。
酸っぱくて、でも甘くて、メチャクチャ旨かった。美少女は腰から鈍色の水筒を取り出して、水も飲ませてくれる。
他のドライフルーツと水を飲み食いさせてもらっているうちに、俺の心は平静を取り戻した。エロゲの世界から飛び出してきたような猫耳ツインテ美少女が食べさせてくれたおかげだ。我ながら現金なものだが、元クズニートの童貞エロゲーマーという性には抗えん。
「アタシはフラヴィっていうの。もっと食べる?」
猫耳ツインテ美少女ことフラヴィはそっと微笑んだ。気怠げで無気力そうな感じがするので、笑うとギャップで一層可愛く見える。
「いえ、もう大丈夫です。ありがとうございます、フラヴィさん」
「そう? 欲しくなったらまた言ってね。ところでローズちゃん、お姉さんの方からも少し訊きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「はい、どうぞ」
美女と美少女を前に、俺はしっかりと頷いた。
今は落ち込んでいる場合ではない。レオナは大事だが、俺は俺の命も大事だ。
エリアーヌたちはいい人……かどうかは未だ不明だが、少なくとも悪い奴らには見えない。こうして俺を気遣っているところを見ると、彼女らは俺を保護してくれそうな気がする。
幼女だろうとクズニートだろうと、人は一人では生きていけない。今はエリアーヌたちに気に入られ、この身を守ってもらうためにも、しっかりしなければならない。
「それじゃあ……ローズちゃんは、グレイバ王国で生まれたの? 住んでいた町や村の名前でもいいから、分かるなら教えてもらえる?」
「……すみません。私には記憶がないので、自分がどこの誰なのか分からないんです」
質問したフラヴィは隣のエリアーヌと共に困惑した顔を見合わせた。
沈黙の中、先ほどから近づいてきていた一団が石畳の道をのろのろと歩いて行く。大きな荷馬車とそれを牽引する二頭の獣、そして御者台には身形の良い男が一人。獣は牛に似ているが全身が青く、足が六本あり、ブタ鼻だ。
荷馬車の周りには四人の男が取り囲むようにして歩いている。それぞれが武器を持っていて、剣やら槍、それに先端に宝石っぽい石の付いた杖を携えている野郎もいる。彼らは道端でたむろする俺たちを一瞥して、そのまま通り過ぎていった。
なんか……異世界って感じのする集団だったな。
「えーと、その……」
二人は困り顔で再び俺に向き直ってきた。
というか今更の話、目線の高さを合わせてくれるのは何気に嬉しいな。これまでは野郎共から見下ろされて一方的に命令されていたが、見上げることなく対話できるのは安心できる。
エセ幼女の心情を知って知らずか、エリアーヌが優しい口ぶりで問うてきた。
「それじゃあ、覚えていたのは自分の名前だけかな?」
「いえ、名前はレオナにつけてもらいました。本当の名前も、自分が何歳なのかも分かりません。気が付いたときには裸で馬車の中にいて、降ろされたところがあの森でした」
「…………」
再び顔を見合わせる美女と美少女。その後ろで話を聞いていた野郎二人も難しい顔で目を合わせ、無言のやり取りをしている。
ふとエリアーヌがフラヴィに頷いてみせると、フラヴィもまた頷き返した。そういう以心伝心みたいなアイコンタクトはやめて欲しい。なんか不安になるだろ。
「ローズちゃんは、女の人が魔法を使えない……というか、魔力がないってことは知ってる?」
エリアーヌの質問に、俺はぎこちなく頷く。
「はい。でも全くないわけでもなくて、大人になれば魔弓杖を一回くらいなら使える人もいる……んですよね?」
「あ、そういうことは覚えてるのね」
「いえ、同じ奴隷だったリタ様に教えてもらいました」
たぶん様という敬称のせいで少し不思議がられたが、エリアーヌは突っ込むことなく話を続ける。
「女に魔力はない。少なくともあるといえるだけの量はない。でも、たまにたくさんの魔力を持って生まれてくる子もいるの。それが魔女。私もフラヴィさんも魔女で、そしてローズちゃんも魔女なの」
「魔女……」
俺がそう呟くのを余所に、後ろで立ち聞きしているロックがフラヴィに何かを差し出した。いや、何かではない。魔弓杖だ。マウロがリタ様の殺害に使用し、そして俺がレオナ救出の際に使用した例の小型拳銃めいた凶器。
エリアーヌはそのトラウマ的な凶器を手で指し示し、綺麗な翠眼に俺を映した。
「あのとき地下で、これを使っていたでしょう? それも何回も。普通なら、大人の女性でもぎりぎり一回使えるかどうか程度なの。だから、それを何回も使えていたローズちゃんは魔女なの」
「……それで、その、魔女だから、なんだというんですか?」
警戒心も露わに恐る恐る訊ねると、金髪美女は優しく微笑んだ。
「魔女はとても数が少ないから、普通は保護されるの。エイモル教でも魔女は祝福された子とされているから、保護した魔女を教会へ連れて行けば報奨が与えられるくらい……って、こういう難しい話は分からないわよね。とにかく、私たちはローズちゃんに酷いことはしないわ」
「…………そう、ですか」
訝しみつつも、俺はとりあえず頷いておいた。
というか、魔女が祝福された子って、なんだそりゃ。
魔女ってのは、アレだろ? 呪術とかサバトとか怪しいことやって、欧州の中世期なんかでは悪人扱いされて狩られていたっていう。
まあ、女に魔力がない世界では魔力のある女は貴重そうだから、分からんでもないが……なんかビビって損したな。もしかしたら今までの会話は魔女裁判的な審判行為で、てっきりこれから狩られるのかと焦っちまったじゃねえか。
エリアーヌは今さっき、『保護した魔女を教会へ連れて行けば報奨』とか言っていた。つまり俺は教会へ連れて行かれて保護され、彼女らは報奨金か何かを得るってことなのだろう。
そう考えると、安心できるな。エリアーヌやフラヴィはいい人そうだが、見た目に反してあの工場を襲撃した物騒な連中でもある。そもそも何者なのかもよく分かっていない。信用できるか否か判断が難しく、不安だ。
俺を教会で換金するのが目的ならば一応の安心はできる。前世で十年以上引きこもっていた俺は他人(特に大人)の善意など信じていないが、金の力は信じている。異世界だろうとマネーパワーは偉大だろうからな。金のためならば俺に害は為さないだろう。
それに教会に保護というのは俺としても安心できそうだ。エイモル教とかいう宗教がどんな教義を掲げているのかは知らないが、魔女が貴重なら常識的に考えて酷い扱いはされまい。
「あの、それで、私はどうなるんでしょうか……?」
忙しなく推測しながら訊ねると、俺と同じ目線のエリアーヌが口を開く。
「それなんだけど、もしローズちゃんが良かったら、私た――」
「エリアーヌ」
不意に、馬の近くで黙していた黒翼のオッサンが口を開いた。巌のような厳つい面持ちは先ほどと変わらず、イカしたバリトンボイスを響かせる。ただ、オッサンの背丈はフラヴィ以上エリアーヌ以下なので、微妙に迫力が足りない。
「魔物だ。一応、その子に害が及ばぬよう注意しておけ。ロック」
「アタシがやるわ」
と気怠げに声を上げるフラヴィだが、彼女はオッサンがエリアーヌの名を呼ぶ前から腰を上げていた。猫耳がピクピクと動き、非常にキュートだった。
とりあえず俺は美少女の猫耳から、オッサンやフラヴィが見ている方へ視線を向けてみる。が、何もない。
「あの、魔物って言ってましたけど、いったいどこに?」
「心配しなくても大丈夫よ」
エリアーヌは相変わらず屈んだままの姿勢で、俺の頭を撫でてきた。
確かに美女の言うとおり、急に魔物とか言われて不安だが、同時に興味深くもある。俺はまだこの世界に来て魔物を見たことがない。ザオク大陸とやらが魔物だらけとは聞いていたし、もちろんそこら辺にも生息しているとは思っていたが、あの森では一度も見かけなかったのだ。
周囲の草丈はそれほど高くなく、俺のロリボディの腰ほどまで伸びている程度だ。おそらくはその辺の草むらに紛れているのだろうが……何も見えないし、音も聞こえない。いや、なんか風の音に混じって、ガサゴソと草の根をかき分ける音が聞こえる気がする。
「魔物に興味津々とは、なかなか活発な魔女っ子だな」
「――ぅわ!?」
未知への興味にうずうずしていると、DQN男が急に俺の身体を持ち上げてきた。
「なんかガキっぽくないと思ったけど、そうでもなさそうだな。あ、オレはロックってんだ。よろしくな、ローズちゃん」
DQN野郎ロックは無礼にも我が幼女体に無断で触れて、俺を肩車してきた。
ロックは身長が百八十レンテくらいありそうなので、かなり見晴らしが良くなる。なかなかに馴れ馴れしい野郎だが、魔物とやらが見られそうだから無礼は許してやろう。
「ほら、アレだ。あの灰色のやつ。グレイモールってんだ。帝国じゃ割とどこにでもいる雑魚だな」
ロックの指差す先に、そいつはいた。
大きさは中型犬ほどだろうか。だが胴体や手足、尻尾などの全身は犬よりも太く、灰色の鱗っぽい表皮で覆われている。二つの目は小さく真っ黒で、爪がやけにデカい。
グレイモールという名前らしいモンスターは灌木の下から三匹目、四匹目と次々と出てくる。灌木はグレイモールが三匹も隠れられないほど小さなものなのに、どんどん出てくる。
「あいつらは普段、地面の中にいる連中でな。穴掘って、ああいう低木やらの影に出入り口をあちこちにいっぱい作るんだ」
ロックが補足してくれた。なかなか気が利く奴だ。人間は外見ではなく中身が重要だからな、ちょっと好感度上がったぞロック。
「あれは……強いんですか?」
「いや、雑魚って言ったろ。弱い、超弱い。実際、魔物は一級から十級まであんだけど、一番下の十級だ。だからああやって群れて獲物を襲うんだよ」
「獲物って……私たちのことですか?」
「おうよ」
ロックは平然と頷いた。
「こういう道で魔物が襲ってくることって、よくあることなんですか?」
「それほどでもない」
俺の質問に答えたのは黒翼のオッサンだった。
オッサンは昭和ドラマにでも出演してそうな、見るからに厳格な親父を思わせてちょっと怖い。ただ、身長はフラヴィ以上エリアーヌ以下なので、やはり微妙に威厳が足りてなかった。
「グレイモールは主に、夜になると地中から出てきて獲物を探す。だが、獲物が近くにいれば昼でも出てきて、集団で襲撃をかける。街道とはいえ、やはりこんな場所で休息を取るのは良くなかったな」
「この渋くて格好いい翼人はオーバンっていうんだ。ちょっと怖いかもしれないけど、本当は優しいオジサンだから心配すんな」
オーバンは幼女相手にもかかわらず、愛想もクソもない。
俺は落ちないようにロックの短い髪を操縦桿でも握るように鷲掴みつつ、フラヴィを見る。猫耳ツインテ美少女は首をコキッと鳴らしてから、少し背伸びをしてグレイモールの群れを眺めた。
グレイモールは八匹まで出てきて、それで打ち止めだった。奴らは無秩序な隊列を成し、ぞろぞろと俺たちの方へと接近してくる。
「おいラヴィ、なんで穴から出てくるときにヤッちまわねえんだよ」
「今回はローズちゃんがいるからね。小さな魔女に、先輩魔女の力を見せてあげようと思って」
「小さな魔女って、お前も大概ちっさ――」
「小指程度の短小包茎早漏野郎は黙ってなさい」
「フ、フラヴィさんっ、こんな小さな子の前で何言ってるんですか!?」
「どうせ何言ってるのか分かんないわよ。ね、ローズちゃん?」
「…………う、うん」
純真無垢な幼女であるところの俺は、あどけない顔で頷いておいた。
エロゲ的ヒロインな猫耳美少女が恥じらい皆無で下品な罵倒をするというのは、なかなかに……萌えないな。というか、フラヴィって意外に大人びてるのね。
「それじゃあローズちゃん、よく見ててね。あとで適性属性が何か調べなきゃだけど、もしアタシと同じだったら色々教えられるし」
チラリと振り向きながら、相も変わらずローテンションぎみに言って、再び魔物共に向き直るフラヴィ。そうして重たそうに片腕を上げて、掌を前方に向けると、詩でも朗読するかのようにゆっくりと詠い出した。
「■■■■■、■■■、■■■■■■■■■■■■」
やはり何を言っているのか理解不能だ。
「■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■」
しかし起きた現象は否応なく俺の目を惹きつける。
詠唱の途中から、フラヴィの周囲が白く煌めき出し、氷霧のように煙ったかと思えば、その輝きが凝集して鋭く尖った氷柱が次々と現れ始める。冷凍庫から漂い出てくるような冷気が、風に乗ってひんやりと俺の肌を撫でた。
「■■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■――〈■■〉」
氷柱――もとい白銀の氷槍が八本、中空に現れると、それらが一斉に射出された。弓矢のように目にも止まらぬ速さで宙を奔り、グレイモールは今の今まで動いていたにもかかわらず、氷の槍は全匹を串刺しにしてのけて、しかしその残虐性に反して透明な刃は陽光に美しく煌めいている。
「弱っちいわね」
フラヴィが欠伸混じりに勝ち鬨を上げるが、俺は美少女とは対照的に唖然としながらも興奮していた。
フラヴィちゃんマジかっけえ。なんだよアレ、超すげえよ。もう小学生並の感想しか出てこないほど凄すぎるんだが。
アレが、俺にもできるようになるのか……?
おいおい……やばいよ。俺いま最高に漲ってるよ。
「それじゃあロック、あいつら燃やしといて」
「……お前、いつもいつも面倒なことだけオレに押しつけるなよな」
溜息混じりにロックがそう返しても、フラヴィはどこ吹く風で魔物たちに背を向ける。
「アタシ、火魔法は苦手だし」
「下級くらいは使えるだろが」
「役割分担ってやつよ、適材適所」
「後片付けがオレに適当な役割だってか? ったく……しょうがねえなぁ」
ロックはぶつくさ言いながらも、俺を肩車したまま草地に踏み込んでいく。
「魔物の死体は燃やすんですか?」
「ん? おう、そうだぜ。こいつらの死臭を……あー、死んだ生きもんが放つ、なんだ、特有の臭い匂いがあってだな」
「あ、なるほど。別の魔物が死臭につられてやってくるんですね。ここは街道沿いですから、燃やしておかないと危ないですし」
べつに放っておいても良いのだろうが、後からこの街道を通る人が魔物に遭遇する確率は上がるのだろう。やはりロックたちはいい奴らっぽい。世の中ってやつは、自分たちさえ良ければそれでいいって連中がごまんといるからな。
「燃やすのは手間でも、知らない誰かのためにその手間を掛けるんですね」
「お、おう。ほんと、ちっさいのに頭いいな……」
ふふん、それほどでもあるがな。
と威張りたいところだが、俺はロックよりも確実に年上な三十路だ。年下の若造から褒められても嬉しくない。いや……正直言うと、ちょっとは嬉しいけどね? クズニートを十年以上も続けてきたから、あまり褒められ慣れてないんですよ。
グレイモールはそれぞれが二リーギスほどの間隔を開けて、俺たちを中心にした半円の円周状にポツポツと点在している。
どうやって燃やすのかと疑問に思っていると、ロックが早々に魔法を使った。
「■■■■■■■■■■――〈■■〉」
簡素に唱えると、矢のように棒状の炎が虚空に出現した。
だが、ロックはそれをすぐには撃ち出さない。静かに赤く燃える炎は次第に強い輝きを放ち始め、見るからに火勢が強くなっていく。
「あの、私にはフラヴィさんやロックさんが何を言っているのか分からないんですけど……それが魔法に必要な詠唱なんですか?」
「ん? あぁ、そうだぜ、魔法言語だな。クラード語ってんだ」
魔法言語とか、なんぞそれ……
まあしかし、だから俺にも分からないのか。このロリボディが理解できているのはエノーメ語という言葉だけらしいし。
どうやら魔法を使うには言葉を習う必要があるようだ。前に口上を真似ても使えなかったし、たぶん意味を理解しなければならないのだろう。
いや、だったら意味だけ教えてもらって口上をトレースすれば使えるのか?
まあ何にせよ、俺のやる気は天井知らずだ。
適当に話している間、火矢は氷槍によってグロテスクな串刺しになったグレイモール集団の一部へ飛んでいき、静かに燃え始める。
「ロックさんはフラヴィさんみたいに、全部を一気に燃やせるような魔法は使えないんですか?」
「使えるけど、ここだと周りの草にまで燃え移っちまうからな。魔物を燃やしきるにはそれだけ一発一発に魔力を込めなきゃならねえし、今回の場合はこっちの方が魔力を節約できる」
延焼すれば水系の魔法で消火すればいいのに……とは思うが、それも二度手間か。魔力の節約云々とも言ってるし。
ロックは火矢を連発してグレイモール全てを灰に変え、骨すら残さなかった。その光景はリタ様の火葬を思い起こさせて、思いがけず少し鬱になった。
ちなみに、ロックは言葉通り注意していたのか、周囲の草には少し燃え移っただけで草原が焼け野原になることはなかった。
「さて、ではそろそろ行くか。クイーソまであと少しだ。昼過ぎには到着するだろうから、詳しい話は町でしよう」
オーバンの言葉に各々が頷いた。俺も一応、頷いておく。
たぶん今は時間的に昼前なのだろう。太陽の位置からして、そんな感じがする。いや、太陽で時間を計った事なんてないから、勘だけども。
「ロック、ローズちゃんをアタシの前に乗せなさい」
「ん? まあいいけど」
馬に飛び乗ったフラヴィがロックを手招きする。
なんかさっきから聞いてると、ロックとフラヴィって妙に馴れ馴れしいな。フラヴィは十代半ばくらいで、ロックは二十から二十五くらい。
恋人同士には全く見えないが……仲間だからか?
俺はロックに下ろされて、フラヴィの前に座らせられた。すると、美少女が手綱を手にしながらも後ろから抱きしめてくる。フラヴィは俺の頭に鼻を近づけて、スンスンを匂いを嗅いできた。そして、俺の後頭部には柔らかな感触が……って、あれ? あんまり感じないぞ?
「うーん……やっぱり結構匂うわね。町に入ったら宿で身体洗いましょうか。あとちゃんとした服もいるわね」
猫耳ツインテ美少女に後ろから抱きしめられるとか、それなんてエロゲ?
とか思いつつ、女性の象徴たる部位の感触を堪能しようと思ったのに、堪能できるほどの豊満さがなかった。まあ……フラヴィはまだ中学生くらいだし、しょうがないか。それにちょっとは感じられるしな、なんか柔らかい感触が。
俺はエリアーヌに目を向けてみた。彼女の胸部はなかなかに膨らんでいて、実に柔らかそうだ。今度から馬に乗せてもらうときはエリアーヌの前にしてもらおう。
そしてあの双丘の感触を堪能するのだ。幼女という外見は積極的に活用していきたいしな……と思ったけど、町には教会があるだろうし、彼女らとはすぐにお別れになるか。
先行きは割と不安で、脳裏にはレオナとリタ様の面影がチラつき、現状も把握しきれてはいない。エリアーヌたちの正体もよく分からないままだしね。
それでも、もう俺は奴隷じゃない。それだけは確かなはずで、本来ならば喜ばしいことのはずなのに……レオナがいなくては素直に喜べなかった。