第百三十話 『船長! 空から女の子が!』
「…………え?」
俺の唖然とした声が波音に呑まれた。
その次の瞬間、未知の魔力波動を感知する。いや、既知かもしれないが前回は微弱すぎてよく分からなかったし、そのときと同一の魔法かどうかも不明だ。
いずれにせよ、とにかくそれは迫り来る翼人たちの方から伝わってきて、既に彼我距離は百リーギスを切り、高度も見張り台くらいしかない。その近さを考慮しても凄まじい圧で、これほど強力な魔力波動は相当な魔法力を秘めた魔法士でなければあり得ない。
「ふむ、無詠唱であったか」
ゼフィラが暢気に呟いた直後、まずミリアの〈水縛壊〉が動いた。船に降り立つような姿勢を見せている翼人三人に向け、二本の水の触腕を伸ばす。
が、灰褐色の翼人も、黄土色と黒色の翼人も、こなれた動きで回避してのける。そこにセイディの〈水縛壊〉が襲い掛かった。即興とは思えない完璧なタイミングの連携で、灰褐色の翼人を捕らえる――その直前で、黒い翼人が割り込んだ。
そんな攻防を横目に窺いつつも、俺は魔力波動を感じた瞬間から駆け出していた。
覇級以上の魔法はたとえ詠唱を省略していようと、現象させるまで幾らか時間が掛かる。所詮は特級以下の魔法に比べればという程度の誤差だし、行使者の練度次第ではその誤差すら消え失せるが、とにかく魔動感が反応した瞬間に魔力を練り始めれば、上級魔法なら間に合う可能性は十分ある。
「リーゼ!」
幼狐は翼人たちを睨み上げながら〈爆炎〉の魔力を練っている。おかげで〈従炎之理〉が解除されているので、俺は駆け足を緩めずタックル同然に抱き付いた。
「うわっ、ローズ!?」
二人して倒れ込みながらも〈魔球壁〉を行使する。
とはいえ、あの灰褐色の翼人から感じていた魔力波動が本当に〈霊衝爆波〉のものだとすれば、誰も死ぬことはないし、むしろ実質的なダメージを喰らうのは俺だけだろう。
それでも万が一を考えれば、リーゼだけでも守らねばならない。だから攻撃はセイディたちに任せて、俺は速度と確実性を重視して〈魔球壁〉だけを行使することに専念した。
「――――」
一瞬だけ、ほんのりと世界が明るくなった。
予期していたこととはいえ、ぞっとした。
今は真っ昼間だし、半透明なバリア越しということもあって、注意していないと分からないほど微かな白光の閃きだったが、あれは間違いなく無属性魔法の光だ。
「ローズッ、攻撃早く!」
ミリアから緊迫した鋭い声が飛んできた。
既に〈風血爪〉の魔力を練っていたので、俺はすぐに〈魔球壁〉を解除する。と同時に、再び〈魔球壁〉の魔力を練りながら、今まさにUターンするかのように旋回している灰褐色の翼人に向けて必殺魔法をぶっ放す。
が、外した。
咄嗟の状況ということもあり、高速で宙を舞う翼人の三次元的な動きを予測しきれなかったせいだ。相手が竜なら図体が大きいから当てられただろうが、人は小さいから狙いにくい。
間を置かず今度は断唱波を放つも、敵が〈魔球壁〉を現象させる方が先だった。それでも魔力流としてバリアを剥がせないかと期待もしたが、距離があるせいか若干揺らいだ程度にしかならなかった。
「こらーっ、逃げるな卑怯者ー!」
背を向けて遠ざかっていく翼人に、リーゼが〈爆炎〉を行使する。だが案の定、〈魔球壁〉は突破できず、爆発の余波で少しふらつかせる程度にしかならない。
確かにゼフィラの言うとおり、なかなかの魔法力の持ち主だ。
アレは只者じゃないぞ。
「みんな大丈夫ですか!? ゼフィラさん敵の魚人は!?」
奴を追う前に、確認しておきたいことが幾つかあった。
一見するとみんな無傷だし、二本の足で自立して、何も異常はないように見える。
「魔法が使えないこと以外は、とりあえず大丈夫ね」
「マジで何なのあいつ……あんな矢文寄越してきやがったくせに、問答無用で戦級魔法をぶっ放してくるとか相当ヤバいって……」
「あの翼人に合わせて引き返していったようだの」
ミリアは微苦笑して肩を竦め、セイディは顔を引き攣らせて愕然と呟き、ゼフィラは平然としている。
「あたいらも大丈夫だぞー! ツィーリエがなんか魔法で守ってくれたー!」
見張り台から顔を覗かせたライムが手を振ってきている。
どうやらツィーリエも〈魔球壁〉で難を逃れたらしい。ゼフィラの話が聞こえてすぐ防御態勢に入っていたのだろう。
「行使されたのは〈霊衝爆波〉だけだったようだから、誰も怪我はしていないみたいね。敵も逃げていったようだし、ひとまずは安心だけれど……」
クレアが大きく胸を撫で下ろしながら思案げに目を伏せていると、トレイシーが船縁から海面を覗き込んで「どっちも生きてるぅー?」と尋ねている。
「何か嫌な予感がします……一介の海賊風情が〈霊衝爆波〉などという大魔法を詠唱省略で行使するなど、あり得ません」
「それって具体的にどんな魔法なのかしら?」
「魔法を使えなくする魔法だ! だからみんな怪我してないけど、魔法使えなくなっちゃったんだ! でもたぶんすぐ使えるようになるから大丈夫だ!」
イヴが翼人の去った方角に限らず全周を警戒している隣で、どこか不安げなベルにリーゼが説明してあげている。
この分なら船内にいる子たちも大丈夫だろうから、俺はひとまず安心しつつトレイシーの側に駆け寄る。
「どうです?」
「堕とした二人はどっちも死んじゃってるみたいだねぇ。とりあえず死体を引き上げて、所持品とかから何か分からないか調べてみるしかないねぇ」
「某に任せよ」
いつの間にかユーハがロープを手に隣に立っていて、言いながらロープの一端を海面に投げ入れた。それを護衛の魚人さんたちが死体に巻き付けていく。
この即応性、ユーハお前できる男になったな……と感慨に耽りたいところだが、生憎と今はそんな余裕がない。
この場は二人に任せて、俺は膝から矢を生やしている姉ちゃんのもとに向かった。その傍らには既にミリアがいて、責め立てるような冷たい眼差しで見下ろしている。
「それで、なぜ黙っていたの?」
「……申し訳ありません。戦級魔法の使い手がいると知れば、お嬢様救出のご助力を得られないと思い……ですが、まさか詠唱省略まで可能とは知らず……」
「つまり貴女は魔女ってこと?」
「はい」
ノーラは神妙な面持ちで頷いている。
貴族令嬢の魔女であれば、その護衛が魔女でも不思議ではないし、彼女が来る前に島の方から微かな魔力波動を感じたことにも説明がつく。この人は島で〈霊衝爆波〉を喰らったのだ。
が、今はこの人の事情なんざどうでもいい。この差し迫った状況で大事なのは、敵に関する情報だ。
「敵の正体に心当たりはありますか?」
「おそらく、バシーケイ多種族国です」
聞き覚えはないから大国ではないな。
というか多種族国って、この世界の国はほとんど多種族国家だろうに。わざわざ国名にして主張するってことは、種族的な何かしらがある国なのだろうか。
「我が国の隣国です。無属性の戦級魔法を使われた段階で見当は付いていましたが、灰褐色の翼人で女、それに詠唱省略すら可能となれば、相手はイレイン・ノースで間違いないでしょう。かつて筆頭宮廷魔法士だった魔女です」
この姉ちゃん、今になってペラペラと……。
ゼフィラもそうだが、もっと早く戦級魔法について教えてくれていれば、幾らでも手の打ちようはあったのに。例えば飛行する翼人たちの頭上に転移して不意打ちかませば、相手が魔動感持ちでもない限り事前に対処できたはずだ。
というか、あの灰褐色の翼人って女だったか? 顔とか体型はよく見ている余裕がなかったけど、パッと見は男に見えたぞ。男装してたのかな。
「十年ほど前に死んだとされていましたが……生きていたということは、表舞台を去って裏工作に従事しているのでしょう。お嬢様を攫ったのも、我が国に対する工作活動の一環だと思われます」
「なるほど、よく分かりました」
力なく座り込むノーラの肩に触れ、〈霊衝圧〉を行使した。
満身創痍というほどでもない血塗れの身体が脱力し、椅子からずるりと倒れて落ちる――その直前にミリアが支えた。
「ちょっとローズ、まだ聞き出すことはあったわよ」
「残りは後でも十分でしょう。私がいない間に何かあっては困りますから、無力化しておくのが無難です」
ミリアにはそれだけ言えば伝わるだろう。
今は俺とリーゼとツィーリエ以外、魔法が使えない。ドラゼン号の船体は耐魔性に優れているため、もしかしたら船内にいるサラやルティはあまり影響を受けておらず、すぐに使えるようになるかもしれない。
いずれにせよノーラが嘘を吐いている可能性はまだ捨てきれないし、魔女だとして魔法力も不明だし、詠唱省略ができないとも限らない。俺が留守にしている間にみんなより先に回復して、みんなに危害を加える可能性が僅かでもあるなら、それは潰しておくべきだ。
――だまして悪いが、仕事なんでな。死んでもらおう。
なんて事態になっては目も当てられないので、無力化しておくのが安全確実だ。膝矢に関しても、矢を抜かない限り出血は酷くならないだろうから、このままでいいだろう。足が腐り落ちる前には治療してやるつもりだ。
「なるほど。まあ用心するに越したことはないわね」
ミリアは納得したように頷きながらノーラを甲板に横たえている。
俺はそれを横目に、先ほどの襲撃者が飛び去っていった方角――島と船のある方を見遣り、転移先に目星を付ける。
〈瞬転〉に限らず、現象地点を指定する系の魔法は空間を正しく把握することが非常に大事だ。把握が曖昧だと、目標地点に現象させるつもりが、それより先や手前で現象してしまうことは間々あるし、最悪魔法の現象そのものが失敗する。
魔女らしい翼人はまだ船には到着しておらず、飛んでいる。だが、もう間もなく仲間と合流するだろう。
その前に、最低でも奴だけは確実に叩いておく必要がある。
「ローズ、まさか追い掛ける気?」
その声を聞いただけで、クレアがどんな表情をしているのか振り返らずとも分かった。だから心苦しくて顔を見ることができず、敵船の方を見遣ったまま応じる。
「ここで叩いておかないと、間違いなく後々にまで問題を引きずります。敵を視認できている今が、未然に対処できる最初で最後の好機です」
「でも相手は相当の手練れよ。いくらローズでも危ないわ。シティールまであと少しだし、シティールに到着しさえすれば、《黎明の調べ》が守ってくれるから大丈夫よ」
「ローズあたしも行くぞー!」
アシュリンに乗ったリーゼが隣にやって来て、意気揚々と槍を掲げている。
「いえ、リーゼは船に残ってみんなを守ってください。今からアシュリンで追い掛けたのでは敵の不意を突けませんし、今はツィーリエさん以外みんな魔法が使えない状況です。私が打ち漏らした敵がこちらに向かってくるかもしれませんから、リーゼがみんなを守ってくれれば私も安心です」
「分かったー! みんなを守るのはあたしに任せろー!」
あっさり了承してくれた。
リーゼが敵を殺そうとするのは、手段であって目的ではない。婆さんたちの復讐、その代償行為として敵という存在を殺してやりたい気持ちはあるだろうが、みんなを守りたいという想いの方が強いはずだ。
とはいえ、敵が《黄昏の調べ》だと確定している状況では、また違ってきそうだが……。
「ローズ、ダメよ。こちらから積極的に敵対すれば、相手を余計に刺激しかねないわ」
「いえ、クレアさん、ローズの言うとおりよ。今ここで連中は叩いておいた方がいいわ」
クレアの手が肩に触れてきたかと思ったら、すぐに離れていった。ミリアが間に入ってくれたのだろう。ミリアは他のみんなと違って、あまり俺を心配しないし、たぶん俺たちの中で一番合理的な人だ。
「わざわざローズが危険を冒すほど差し迫った状況ではないはずよっ」
クレアには悪いが、あとはミリアに任せて俺はさっさと詠唱するとしよう。
「聖なく邪なく謳い調べる、而して我が理は極致せん」
「ノーラさんの話が本当だとすれば、現状をみすみす看過するのは得策とは言えないわ。それに、環ベイレーン同盟の加盟国であるクアドヌーン王国に加勢することは、盟主であるシティールを治める《黎明の調べ》にとって間違いなく有益よ」
あ、そうか。
そうなるのか。
環ベイレーン同盟は俺も知っている。
ここであの灰褐色の翼人たちを始末し、結果としてお嬢様まで救出できれば、クアドヌーン王国に大きな貸しを作ることができるはずだ。もし俺たち個人がバシーケイ多種族国と敵対することになっても、クアドヌーン王国もとい侯爵家とは個人的な友好関係を築けるだろうし、《黎明の調べ》による庇護と合わせれば、今後の安全性はむしろ増すかもしれない。少なくともプラマイゼロだろう。
まあ、全てはノーラの主張が本当であればの話だが……。
いずれにせよ、相手は不意打ちで戦級魔法をぶっ放してきたことからして、この船を制圧しようとしていたはずだ。魔法を使えるのが自分一人だけ、更に脳筋の仲間が二人いれば、女ばかりの俺たちを殺すなり無力化なりするのは容易いと考えていたのだろう。実際、〈霊衝爆波〉とはそういう戦術で用いる魔法だ。
しかし、完全な不意打ちで放ったはずの〈霊衝爆波〉に無詠唱で反応され、敵は形勢の不利を悟った。敵が本当に元筆頭宮廷魔法士とやらであれば、魔動感を知っていても不思議はないし、そうでなくとも無詠唱魔法士との戦闘は同じ無詠唱魔法士でも避けたいと思うのが自然だ。
とにかく、無詠唱で戦級魔法を行使できてしまう稀有な存在を、俺たちは目撃してしまった。相手が国家の狗だろうと野良の賊だろうと、目撃者を生かしたままにしておくとは思えない。もしノーラの言うとおり相手が工作員の類いであれば、何としてでも口を封じようとするだろう。そうでなくとも、俺たちは既に二人殺してしまっている。敵に復讐という理由を与えてしまっているのだ。
だから、態勢を立て直されて反撃に移られる前に、叩く。目撃者を始末する必要をなくしてやる。敵を全滅させれば、目撃者を出した事実すら消え失せる。相手には魔女もいるっぽいが、魔女だろうと敵対するなら容赦はしない。
もちろん、できれば殺したくなんてない。
リーゼの教育にも悪いと思うし、殺すことでより状況が悪化しないとも限らない。
でも、やらずに後悔するより、やって後悔する方がマシだ。
館で戦ったあのとき、サヴェリオとかいう《黄昏の調べ》のクズを殺し損ねたことは完全な失態だった。その後悔に加え、プラインでウェインが攫われたことで、俺は嫌と言うほど学んだ。
将来に禍根を残してはいけない。
その可能性すら許してはいけない。
対処できるなら、対処すべきだ。
「隔絶せし空隙は虚にして無、遠間から嘲笑せし畜生に真を示せ」
「《黎明の調べ》にとって有益かどうかより、今このときの私たちの安全が何よりも大事でしょう!」
「では魔女を見捨てるというの? 相手がバシーケイ多種族国だとすれば、まず間違いなく裏には《黄昏の調べ》がいるわよ。ただ殺すだけなら方法は幾らでもあるのに、わざわざ令嬢を攫ったということは黄昏の連中に引き渡すつもりよ。クレアさんはそれを許容すると?」
「そんなのダメだ! 《黄昏の調べ》に味方する奴は魔女でも敵だ!」
真後ろで口論されると気が散りそうだ。
それ以前に、今は一秒でも早く転移しないといけないのに、ちんたら詠唱せざるを得ない状況が歯痒すぎて集中が乱れる。無詠唱に慣れているせいで、詠唱しないと魔法が使えないことが煩わしく、焦れったい。
もちつけ……ハリーハリー。
「其は眼前に在りて後背に存り、彼方は此方と成りて此方は彼方と成り果てん」
「全て仮定の話でしょう!? ローズが命を賭ける必要はないわ!」
「ローズは強いから大丈夫だ! 《黄昏の調べ》に協力する奴らは皆殺しだっ!」
「相手が戦級魔法を使えるほどの練達でも転移による不意打ちに対応できるとは思えないわっ。ローズの実力を加味して冷静に考えればローズが後れを取る可能性は極めて低いはずよ!」
ああああぁぁああぁぁぁぁうるせええぇぇぇえぇぇぇ焦れったいぃぃぃぃぃ!
あの翼人もう船に到着しそうだぞ仲間と合流しちゃうぞっ、あくしろよボケ! 何のために無詠唱化の練習してきたんだよっ、いつその成果を発揮すんだよ!?
今でしょ。
「我は雲霞の如く消失し顕現す、故に――」
ふと、今の勢いなら短縮できそうな気がした。
「――〈瞬転〉!」
♀ ♀ ♀
転移する一瞬、軽い浮遊感からの落下感に見舞われる。階段から飛び降りたときの感覚を凝縮したような独特の使用感で、これにはすっかり慣れっこだから問題はない。が、今回は転移後もその感覚が継続するどころか本当に落下し始めるものだから、覚悟していたこととはいえ少し肝が冷えた。
冷えたけど、喜びの方が上回った。
「よっしゃ、いいぞいけたやってやんよ」
空と海の青に挟まれた中空で思わずガッツポーズしつつ、早速魔力を練り始める。
きちんと敵の方に身体が向くように転移したので、灰褐色の翼人は既に視界内に捉えている。
現在位置は敵船の上空百リーギスほどの空間だ。土壇場で詠唱短縮を試みたせいか、敵船の真上に転移するつもりが五十リーギスほど通り越してしまったが、敵船はドラゼン号に向かって現在進行形で移動しているので誤差の範囲内だし、この程度であれば特に問題ない。
先ほど戦級魔法をぶっ放しやがった翼人は船まであと五十リーギスといったところで、高度は俺より五十リーギス以上は低い。彼我距離は百リーギス以上は離れているだろうが、使い慣れた魔法なら十分に必中距離だ。
オルガと一緒に真竜を相手にした経験のおかげか、落下中の空中戦でも緊張感はさほどない。
「お礼参りだ。恨むなら自分を恨めよ」
耳元でごうごうと風が唸る中、小さく呟きつつ魔法を放つ。敵は未だにこちらを見向きもしないので、魔動感がないことは確定的に明らかだ。
まずは〈霊引〉を行使し、敵の動きをこちらの制御下に置く。ぐっと斜め上方へ引き上げられる感覚でようやく気付いたのか、灰褐色の翼人はハッとした動きでこちらに顔を向けてくる。
と同時に、俺は〈風血爪〉を行使した。風の刃は今度こそ狙い過たず、瞬き一つしないうちに敵の全身を分断する。突如として中空で人体がバラバラになって鮮血が噴き出す様は、敵ながら哀れみを覚える。それどころか、他ならぬ俺自身の所業とはいえ自らの行いに恐れ戦き、やっちまったという罪悪感に見舞われる。
しかし、それらを上回るほど、この反則級の優位性に戦慄した。
頭では理解していたが、実際に戦いに用いたことで身震いするほど痛感した。
〈瞬転〉、強すぎる。
魔動感も大概だけど、あれは魔力系に対する過剰反応とそれによる魔力不全という明確なデメリットがあり、一長一短の能力だ。しかし、〈瞬転〉には短所がない。本来であれば、天級魔法故に魔力消費量が莫大という点がネックになるのだろうが、俺の場合は大した問題にならないどころか、消費量に対して得られる効果が良い意味で割に合わなさすぎる。
ただ単に遠距離を一瞬で移動するだけでも破格なのに、無詠唱魔法士が相手だろうと意識外からの奇襲で一方的にマウントを取れてしまえる。今まさに落下していく肉片が、本当に元筆頭宮廷魔法士という国家最高レベルの魔女であったとしても――少なくとも戦級魔法すら無詠唱で行使可能な熟達した魔法士でも、不意を突けてしまえるのだ。
〈瞬転〉の無詠唱化ができれば、もはや魔動感持ち以外は相手にすらならないだろう。移動に良し、戦闘に良し、最高レベルの使い勝手を誇る超便利魔法だ。
……などと、思わず感慨に耽ってしまったが、早く敵船を追わなければ。
「次はあいつらだ」
どんどん離れていく敵船を斜め後方から見下ろす限り、こちらに気付いている様子はない。見張り台の奴も甲板上の奴も、戻ってくる直前で唐突に惨死した仲間に気を取られているのだろう。そうでなくとも、いきなり後方上空に敵が現れるとは普通考えない。
俺は直下に一辺二リーギスはある〈氷盾〉を現象させ、上半身から不格好に着氷した。間を置かず、氷の斜め下に威力を抑えた〈爆風〉を行使する。
「――っんぎぃ!?」
氷の足場ごと斜め上方に吹っ飛ぶ。
まだ〈瞬転〉が無詠唱で使えない以上、落下する前に空中を前後左右に移動するには無様な力技に訴えるしかない。〈反重之理〉で高度を稼いでから詠唱することもできるが、今は時間が惜しい。敵の混乱が収まる前に、一気にケリを付けたい。
ろくに立てず全身で冷たさを感じながら氷越しに下を見遣ると、ちょうど敵船を追い越したところだった。
「そりゃさすがに気付くよな」
数十メートル上空とはいえ敵船の前方に出れば、さもありなん。見張り台にいるオッサンがこっちを指差して何事か叫んでいる。大方、いい歳こいて少年みたいなロマン溢れること言ってんだろうから、その期待通り俺は氷の上から飛び降りた。
単身落下しながら魔力を練りつつ、腰元のポーチから蓄魔石を取り出して握り締める。夢見るオッサンには申し訳ないが、お前がミーツするのはローズではなく、デスだ。
「悪いが全員死んでくれ」
防御用に〈魔球壁〉を、そして攻撃用に〈追霊破魔〉を同時行使する。左手に握った蓄魔石が白く弾けるように発光し、ピンポン球ほどの無数の光弾が全周へ発射された。
それらは俺の服に水玉模様の如く幾つもの穴を空け、しかし全身も〈魔球壁〉も透過して中空に拡散する。敵の目には上空で白い花火が円形に弾けたみたいで綺麗に見えたかもしれない。
〈追霊破魔〉は無属性の特級魔法だ。
この魔法は非常に使い勝手が悪い。どれくらい悪いかと言うと、これまで練習以外で使ったことが一度もなかったほどだ。同じ特級の〈霊衝圧〉と比べると、使いやすさも効果も数段劣る。
しかし、今回のような限定的な状況では、覇級魔法並の攻撃性能を期待できる。
〈追霊破魔〉の効果はその魔法名の通り、自分以外の魔力を追い掛けて、魔力を破る。見た目は〈魔弾〉と区別が付かず、物理的な破壊力も〈魔弾〉と同等レベルだが、魔法的な障害に対する突破力は比較にすらならない。
その上、自動で行使者以外の魔力をロックオンして、着弾時には物理的なダメージを与えると同時に敵の魔力を減少させる。この減少量は行使者が〈追霊破魔〉に込めた魔力量の倍程度しかなく、敵を追尾した距離が長ければ長いほど、突破した魔法的障害が多ければ多いほど、威力は落ちる。このMPダメージ効果はせいぜいがおまけ程度の性能といえるが、魔力に影響を与えるため、〈霊衝圧〉には遠く及ばないまでも魔動感の過剰反応を引き起こすことが可能となっている。
対物理よりも対魔法に特化しているため、〈魔弾〉と違って盾系の魔法など障子紙を破るくらい容易に突破するし、攻撃系の魔法で相殺するのも難しい。
〈追霊破魔〉は敵にMPダメージを与えるが、これは魔力によって魔力を中和させることで、結果的にMPダメージとなっているに過ぎない。だから〈追霊破魔〉が敵の魔法と接触すると、敵の魔法に込められた魔力を中和する。魔法に込められた魔力がなくなると、もちろん魔法は消滅する。
つまり〈追霊破魔〉に魔力を込めれば込めるだけ、敵の魔法的防御を突破しやすくなる。しかも相手はこちらの込めた倍ほどの魔力を使わなければ、魔法で防ぐことはできない。物理的な破壊力は低いとはいえ、現象した敵の魔法を消滅させられる点は非常に強力だ。
……と、ここまでであれば、かなり優秀な魔法に思える。
だが、良くも悪くも非常にピーキーなのが〈追霊破魔〉の厄介なところだ。使用状況を選びすぎて、実際の使い勝手は最悪に近い。
確かに、魔法防御に対する突破力はピカイチだが、そもそもどんな魔法とて当たらなければ意味がない。その点、〈魔球壁〉を使われれば問答無用でロックオンが外れる点は頂けない。命中さえすれば、〈魔球壁〉でも容易に突破できるが、ホーミングしなくなれば余裕で回避可能となる。いや、回避する必要すらなくなる場合がほとんどだ。
何しろ行使者は自動追尾する対象を指定できないし、〈魔球壁〉でロックオンを外されると自動で次の標的をロックオンする。この仕様が本当にゴミすぎる。適当に放っても当たると思えば便利だが、基本的に周囲で最も魔力量の多い者へと自動的に引き寄せられるため、味方がいる状況ではフレンドリーファイアの危険があり、まず使えない。
行使者との距離もターゲッティング優先度に影響するため、たとえ保有する魔力量が周囲の者より多くとも必ずロックオンされるとは限らない。が、俺の場合はもし周りで誰かに使われたら距離に関係なくほぼ確実に誘引してしまうだろうから、やはりクソ仕様だ。
もし味方が〈霊衝圧〉などで魔力不全を起こしていれば、優先度が著しく下がるため、ほぼ確実に敵だけに命中させられる。が、そもそも初級魔法レベルの威力しかないので、わざわざ〈追霊破魔〉を使うくらいなら、他に使い勝手の良い下級や中級の魔法を使った方がマシだ。
敵がどこにいるのか分からないとき、索敵のために使うのであれば有用だが、味方がターゲットにならないように〈魔球壁〉で防備を固めてもらう手間暇を考えると、やはり効果の割に使い勝手は悪いと言わざるを得ない。
対魔法特化ホーミング魔弾といえば強そうだし、カタログスペックだけなら特級魔法らしい強さだとも思う。だが、使い勝手を含んだ実際の評価は中級魔法程度というのが通説だ。行使者が対象を指定できないし、敵の攻撃魔法を魔力中和で消滅させようにも、狙って命中させるのは至難の技となる。オートホーミングの仕様があまりにもピーキーすぎて、おいそれとは使えない。指定さえできれば非常に便利なんだけどな……。
総じて、スペックだけの残念魔法といえる。
しかし、今回のように一対多の戦況で、蓄魔石と合わせて使えば、手首がねじ切れるほど評価は一転する。
「うーわ……すっげえ」
落下しながら結果のほどを見て、思わず感嘆の呟きを零してしまう。
おそらくは五百発前後の〈追霊破魔〉の群体は、まず最初に見張り台にいた人間のオッサンに襲い掛かり、一瞬で食い破った。後に残ったのは飛散した血と肉片だけだ。豆腐にショットガンの至近弾を喰らわせれば同じような結果になるだろう。
光弾の群体は一割ほど減ったように見えるが、勢いそのままに見張り台を破壊し、帆をぶち破り、次の魔力目掛けて直進していく。船体中央部のメインマスト近くには敵が七人ほど見られ、そこに仄白く光る弾の群れが降り注ぎ、ノンストップに次々と人を襲っていく。敵たちは当然のように浮き足立っていた。敵の中に集合体恐怖症の奴がいたら驚き惑う以前に気絶しそうだな。
俺からすると、大量の〈追霊破魔〉はアニメやゲームで描かれるような蜂の大群を彷彿とさせ、どこか現実味が薄くコミカルに見えてしまう。実際、漫画みたいに走って逃げようと追い回されている奴もいる。だが当然の如く秒で追い付かれ、全身が血と肉片となって甲板を汚した。
「そ、想像以上の威力でござる……」
これが無属性魔法の怖いところだ。
無属性魔法は他属性に比べて地味だし物理的な威力も劣るが、他属性にはない特性として、蓄魔石に反応して様々な効果を発揮できる。〈追霊破魔〉の場合は〈魔弾〉と同じで、拡散効果がある。光弾を行使者の魔力が込められた蓄魔石に当てると、込められた魔力が爆発するように複数の光弾が弾け飛ぶ。その数量は蓄積された魔力と魔法に込めた魔力量によって変動する。
今回の場合、使用した蓄魔石には戦級魔法一発分の魔力が溜まっていて、〈追霊破魔〉には通常の倍ほどの魔力を込めて行使したので、単純計算で五百発前後になったと思われる。
〈追霊破魔〉は所詮〈魔弾〉と同等の物理攻撃力しかないといっても、一発でも人を殺すに足る魔法だ。銃弾と同じで、あの忌まわしき魔弓杖がいい例だろう。四肢に命中すれば即死とはいかないだろうが、人体にとっては一発でも大きな脅威となり得る。
〈魔弾〉であれば、被弾する直前に体内で魔力を励起させることでダメージを大幅に削ぐことが可能だが、〈追霊破魔〉にそれはほぼ通じない。戦級魔法一発分の〈追霊破魔〉は実質的に防御不可能だ。
一応、最も容易かつ安全迅速な対抗手段として、蓄魔石による相殺がある。〈魔球壁〉を詠唱する暇がなくても、蓄魔石を光弾に当てれば、魔力爆発が起きて〈追霊破魔〉は中和限界を迎えて消滅するが……敵にそれを実行しそうな素振りは見られない。蓄魔石を携帯していないのか、奇襲で冷静さを欠いているのか。
蓄魔石がない場合、〈追霊破魔〉の魔力=推進力がなくなるまで逃げ切るか、何かしらの魔法をぶつけて相殺するか、盾などで防御することになる。今回は弾数が多すぎて物理的な防御はほぼ不可能だろうし、〈追霊破魔〉の弾速は銃弾並とまではいかずとも、メジャーの投手が全力投球したストレート並に速いはずだ。結構なレベルの戦士でなければ確実に追い付かれる。魔法による相殺も、無詠唱魔法士でもない限り事前に詠唱していなければ間に合わないだろう。
「――っと」
〈魔球壁〉を行使したまま〈反重之理〉を駆使して敵船の船尾甲板に降り立つ。ふらついて思わず転びそうになった。
「な、なんだお前は!?」
近くにいた中年親父を左手に持った魔剣の一振りで片付ける。ちなみに空になった魔石は右の腋に挟んでいる。捨てるのはもったいないし、収めるべきポーチは穴だらけで原形を留めていないからな。こういうとき片腕だと面倒だ。
中央甲板にいた連中はもう誰も立っておらず、それどころか人の形すら保っている者はいなかった。甲板には直径一リーギスほどの穴が空いて――いや空きかけているだけか。
船体は耐魔性が高いはずだし、一人片付けるのに〈追霊破魔〉を五十発前後使ったと仮定して、距離による威力減衰も考慮すれば、上々の結果といえる。
「やっぱ戦いは数だよクソ兄貴」
数の暴力はシンプルに強い。
はっきりわかんだね。
「テメェこのクソガキッ、誰を相手にしてるか分かってんのか!?」
船内に攻め入る前に、外からだ。
まずは船首の方にいる二人を片付けよう。油断はせず〈魔球壁〉を展開したまま、怒声を張り上げる男に〈疾風之理〉で駆け寄る。
そして最大限まで伸ばした魔剣の刃を振いながら、ダメ元で尋ねてみた。
「へえ、誰なんですか?」
「――っ、ぐぉ!?」
戦士っぽい獣人が抜剣して果敢にも突っ込んできたが、返答もなく四撃目で沈んだ。魔剣は柄だけで軽いため、手首を捻るだけで高速かつ不規則な軌道の斬撃を繰り出すことできる。ユーハレベルの達人なら未だしも、魔剣慣れしていない奴にこれを対処しきるのは相当難しい。
それでも三回は回避してのけ、最後も剣で防ごうとしたことも考えれば、敵の練度はなかなかのものだったのかもしれない。結局は剣が魔剣に断ち切られて防御も無意味に終わったが。
「ひええええええぇぇぇぇぇぇ!?」
もう一人の獣人は仲間が死んだ瞬間、悲鳴を上げながら身を翻し、船縁の手摺を飛び越えていった。俺は死体を飛び越えて手摺前に向かい、バリア越しに〈追霊破魔〉を連射する。
帆が破れたことで船速が低下していることもあり、距離が空く前に始末できた。
「海が綺麗だと見やすくていいな」
透明度が高いので海中にいても姿がよく見えるし、血による濁りも分かりやすい。
護衛の魚人たちも片付ける必要があるので〈追霊破魔〉を連射し、反対の左舷側にも入念に光弾をばらまいておく。
魚人が全力で泳いだときの速さは、翼人の全力飛行に勝るとも劣らない。しかし、ゼフィラ曰くドラゼン号に向かってきていたらしい魚人たちは、あの翼人三人より遅れていたという話だ。〈霊衝爆波〉に巻き込まれないように、敢えて遅参する意図があったことは明白である。
つまり、あの灰褐色の翼人を殺した時点で、既に魚人たちはこの船周辺に帰着していたはず。船上からの〈追霊破魔〉で始末することは可能だろう。
「おいっ、動くんじゃねえっ!」
ふと強張った叫びが聞こえた。
帆柱の向こう――船室の扉が開いていて、そこから大柄な男が歩み出てくる。そいつは左腕だけで誰かを小脇に抱えていて、その長い金髪の小柄な誰かはぐったりとくの字のまま動かない。
ひとまず〈魔球壁〉はそのままに、相手の様子を窺ってみる。
「こいつの命が惜しければ武器を捨てろ!」
ジャ○アンみたいなぽっちゃり系ゴリラ野郎は右手の短剣を金髪頭に突き付けている。
その後ろから、更に男女が一人ずつ出てきた。小柄な男はクロスボウを構えていて、大柄な女は両手に手斧を持っている。
「これをあのガキが一人でやったってのかい……?」
女ジャイ○ンみたいなぽっちゃり系メスゴリラが険しい顔で愕然と呟くと、ス○オみたいな小物臭のする小男が引き攣った笑みを浮かべた。
「こ、こっちには人質がいるんだ。新手の魔物みたいな魔女でも所詮はメスガキ、びびびびびびってんじゃねえっ!」
ほう、こんな可愛い幼女を魔物みたいだと?
「面白い奴だな、気に入った。殺すのは最後にしてやる」
「――――」
絶句しているスネちゃまはともかく、あのクロスボウだ。あの矢、まさか先端部が蓄魔石になってないだろうな……と少し警戒したが、見た感じそんなことはなさそうだった。弓矢の類いには鏃部分が蓄魔石でできている対魔法士用の矢もあるらしいので、たとえ魔法で防備を固めていても油断は禁物だ。
「早く捨てろ! こいつがどうなってもいいのか!?」
「来いよタケシ! 人質なんて捨てて掛かって来い!」
「……タケシ? へ……へへへっ、誰が捨てるかよ間抜け! 状況分かってんのか、お前が魔剣を捨てろ! 本当に殺っちまうぞ!?」
「まあ、べつにいいですけど」
答えながら魔剣の刃を形成し、敵三人に向かってゆっくりと近付いていく。
すると、子供を人質に取るクズの前にジャイ子が歩み出て、両手の斧を構える。
「脅しじゃないぞっ、それ以上近付けば殺す!」
人質は子供だし、できれば助けてあげたいとは思う。
たぶんあの金髪がリュシエンヌとかいうお嬢様なのだろう。そして俺はお嬢様を助けに来たとでも思われているのかもしれない。
しかし、今この場で重要なのは、見知らぬ子供を助けることではない。みんなの安全のために、敵を始末することだ。俺にとって、あの金髪娘の命はその結果として助けられればラッキー程度のものでしかない。でなければ、誤射を恐れて〈追霊破魔〉なんて使っていない。どうせ〈霊衝圧〉で無力化されてるはずだから当たりはしないだろうとは思っていたが、それでも誤射を容認したことは確かだ。
だから現状においても、可哀想だが仕方ない……と思ったのは本心だけど、状況的にたぶん殺されることはないだろうと踏んでいるから、先ほどまでと変わらず躊躇なく動ける。
「降伏するなら、手荒な真似はしませんよ」
「それはこっちの台詞だ!」
威勢良く叫ぶクズの顔には見るからに脂汗が滲んでおり、人質に突き付けた短剣の切っ先は微かに震えている。大の男が情けないな、とは思わない。
帆柱付近の甲板は真っ赤で、肉片があちこちに散乱している。その惨状を作り上げただろう幼女が魔剣片手に、ぴちゃぴちゃと音を立てて血溜まりを進んでくるのだ。
軽くホラーだろう。
俺は構うことなく前進していくが、先ほどの敵の発言に反して人質は未だに生きている。連中にとってあの子は命綱だろうし、殺せば殺されると理解しているはずだ。こちらが子供だから脅せばワンチャンあるとでも思ったのだろう。
「ま、待て、取引をしようっ」
「いいですよ」
予想通りの展開だったので、敵の不意を突くために即答した。密かに魔力を練りながら立ち止まって、〈魔球壁〉を解除する。
すると間髪入れず、五リーギスも離れていないメスゴリラが左手を閃かせつつ、船体が小さく揺れるほど勢い良く踏み込んできた。
取引するんじゃなかったんかい。
しかしこれも想定の範囲内だったので慌てず騒がず、予定通り〈反盾〉を行使し、その黒い盾の向こう側に続けて〈大閃光〉を放つ。盾の縁から漏れる閃光の余波でさえ凄まじい光量で、反射的に目を瞑りたくなるが、薄目で耐えつつ次の魔力を練る。
「――ぐぁ!?」
などと誰かの苦鳴が聞こえたが、油断はしない。
閃光が収まったところで〈反盾〉から〈魔球壁〉に切り替えて、魔剣の刃を伸ばしつつ状況を確認する。
前方二リーギスほどのところにメスゴリラが倒れていて、かと思えば今まさに起き上がってきたので、魔剣を一閃。首が落ちた胴体に手斧が突き刺さっているのを見るに、こちらの魔法に反応し切れなかったことが分かる。
クロスボウの小男は仰向けに倒れており、胸元に矢が突き刺さっていた。奴も〈反盾〉によって自分で自分の攻撃を喰らったらしい。矢柄の半分以上が埋まっているので、あれでは覇級以上の治癒魔法でもなければ助かるまい。
「お前は最後に殺すと約束したな。あれは嘘だ」
この台詞は殺す前に言いたかったけど、自滅してくれたのは純粋に有り難いので良しとする。
俺だってべつに余裕があるわけじゃないからね。筋肉モリモリマッチョマンの変態みたいな台詞だって、現状を楽しめるほどの余裕の現れでも何でもなく、単に余裕のあるふりをして緊張感を誤魔化したかっただけに過ぎない。
さっきから心臓がオーバーワークで痛いくらいだ。
「ク、クソッ、やめろ! 来るなぁ!」
残りの一人は……左手で目元を押さえながら、右手の短剣を滅茶苦茶に振り回していた。突然の閃光に驚いて金髪の子を落とし、視界がやられたことで緊張感が飽和して取り乱している……といった感じだろう。
とはいえ、迫真の演技という可能性もある。
「地獄に落ちろタケシ!」
叫びながら〈魔弾〉を放った。
「――どぁ!?」
狙い過たず、クズの右太腿に命中し、その場に倒れた。
どうやら本当に見えていないようだ。
良し、奴は生け捕りにしよう。
とりあえずクロスボウ野郎がまだ生きているかもしれないので、そちらにもバリア越しの〈魔弾〉を数発放って確実に始末しておいた。それから〈魔球壁〉を解除して、恐慌状態のクズを〈霊引〉で近くまで引き寄せ、〈超重圧〉で死なない程度に押し潰すことで身動きを封じる。
「ぎ、が……ぐっ!?」
魔剣を口に咥え、空いた左手で男に触れて〈霊衝圧〉を行使する。男の全身がびくりと小さく跳ねた後、脱力して動かなくなった。それから特級治癒を行使して、出血多量で死なないように止血しておく。
辺り一帯はすっかり静まり返り、波音だけが穏やかに響いている。
これでひとまずは片付いたと思うが、まだ船内に残敵がいないか確認しないとだし、気は抜けない。それにあの金髪の子が実は敵の一味で、俺が無防備に近付いたところで襲ってくるかもしれない。
「う……うぅ、ん……」
倒れていた金髪娘が愛らしい声を小さく漏らしながら、もぞもぞと動き出した。おそらく男に落とされた衝撃で目が覚めたのだろう。
俺は近付かず、魔剣片手に様子を窺う。
身長体格からして、たぶん俺とそう大差ない年頃の幼女は、目元を擦りながらゆっくりと身体を起こすと、すぐ近くに倒れている男に目を向けた。
「――ひぃ!?」
幼女は引き攣った悲鳴を上げて腰を抜かし、隣に倒れている小柄な男を愕然とした面持ちで見つめている。胸に矢が突き刺さり、頭に空いた穴から血と脳漿を垂れ流している死体を起き抜けに見れば、誰だってビビるだろう。
幼女は尻餅を付いたような格好のまま、死体から目を逸らすように周囲を見回す。
「――――」
血と肉片でドロドロとした甲板の惨状を前に、硬直している。半開きの口から悲鳴は上がらず、大きく見開かれた二重の双眸はまばたきひとつしない。
この状況を前にした際の反応としては自然に見える。
「こんにちは。大丈夫ですか?」
「え……?」
なるべく優しい声で微笑みながら話し掛けると、幼女が今気付いたかのように、こちらに目を向けてきた。少し紫がかった濃い青の瞳はなかなかに綺麗だ。
「とりあえず、あなたの名前を教えてもらえますか?」
「……リ、リュシエンヌ……リュシエンヌ・ソールズベリー」
呆然としつつも、半ば反射的といった口振りで答えてくれた。
やはりこの子が件の侯爵令孫か……と、安易に信じていいのだろうか。水上スキー中に攫われたという証言通り、確かに露出の多い水着っぽい格好をしてはいるが、世の中には子供の暗殺者もいるはずで、敵の伏兵として偽装している可能性は否めない。
そんな風に考えてしまうのは、殺しまくった直後で気が立っているからだろう。余裕がないから、相手が子供でも疑わしく見えてしまうだけで、これは良くない兆候だ。冷静に考えれば、先ほど人質にされていたのだからリュシエンヌ本人で間違いない。
警戒するのは大事だが、疑いすぎるとパラノイアになる危険がある。これが殺人の怖いところで、気を付けていないと無自覚のうちに偏執的な猜疑心を常時発揮しかねない。
みんなのもとに戻ったら、美女の巨乳に顔を埋めて美少女と一緒に入浴して幼女のスカートを下から覗いて赤子と触れ合おう。精神を病まないようにしっかりケアしないと。
「リュシエンヌさんですね。私はローズです」
「ローズ……」
呆けたように俺を見つめながら呟くお嬢様に、ゆっくりと歩み寄っていく。魔剣への魔力供給も断って、臨戦態勢を解除した。
「あなたの護衛のノーラさんに頼まれて、攫われたあなたを助けに来ました」
ということにしておこう。
全くの嘘ではないし、リュシエンヌちゃんも状況に理解が及んで安心できるはずだ。それに侯爵の孫らしいので、恩を売っておくに越したことはないでゲス。
謝礼金には期待してまっせ、ぐへへ。
今なら十年ローンのボディ払いがお得ですぜぇ。
「どこか痛むところはありませんか?」
「……い、いえ……大丈夫ですわ」
あら、ですわ口調の人とかウルリーカ以外で初めてお会いましたわ。
やっぱりウルリーカも元はどっかの貴族だったのかね? ですわ口調なのを自然と受け入れられる獣人美女だったから、あんまり気にしたことなかったけど……なんか会いたくなってきたなぁ。
「あなたは、大丈夫なんですの……?」
「ん? 私は無傷ですよ」
お、なんだよ。
この状況で相手を気遣えるなんて、意外といい子じゃないか。
それに結構可愛いぞ。
確かに、ちょっと我の強そうな目鼻立ちをしてるし、長い金髪もギラギラとして少し悪趣味な色合いに見えなくもない。サラは銀髪に近いブロンドで上品な色だが、それとは対極的なまでに濃くギラついていて、まるで前世のギャルが安い染髪剤で染めたみたいな、成金が好きそうな如何にもな金色だ。
水着らしき服は四肢と腹回りの露出したセパレート型で、でも子供らしく布地は多い。ショート丈のタンクトップとミニスカートにフリルをたくさん付けた感じで、やけにヒラヒラしている。
これで化粧でもして高慢な態度を取られれば、DQNのクソガキならぬ悪役令嬢になりそうだが、幸い今は状況が状況だからか、リュシエンヌちゃんは大人しい。
「で、でも、それ……服が……腕も……」
「あぁ、これですか」
そういえば今の俺はほぼ半裸状態だった。
穴の空きまくった服は服というよりボロ切れで、さぞ見窄らしいだろう。
「蓄魔石持って〈追霊破魔〉使ったせいですね。魔導布の服なら良かったんですけど、高価ですし、成長期なのですぐ着られなくなっちゃいますから」
「――――」
「右腕は去年なくしたので大丈夫です。それより立てますか?」
右手があれば手を差し伸べてやれたが……本当に片手だけだと不便だな。
リュシエンヌちゃんは少しふらつきながらも自力で立ち上がると、海原や上空を広く見回し始める。
「えっと……ノーラはどちらに?」
「私たちの船で休んでいます。あれです、今こっちに向かってきてますね」
魔剣の柄で指し示す先には、こちらに船首を向けているドラゼン号がある。やはり俺が戻るのをただ待っていたりはしないらしい。みんなの安全を第一に考えれば、俺が報告に戻るまで接近は控えるべきなんだけど……クレアたちからすれば、そういうわけにもいかないか。
こちらとあちらの間の空には深緑と灰色の翼が見える。先行しているイヴとアシュリンだろう。クレアがリーゼを行かせるとは思えないので、ユーハかトレイシーあたりが乗っていそうだ。
「ひとまず掃除かな」
船内を検める前に、甲板を水で洗い流すことにした。リーゼに血みどろの光景は見せたくないし、クレアたちにとっても昨年末の件を思い起こさせるような惨状は目に毒だろう。
「――えっ!?」
〈水流〉で適当に海へと押し流し始めた矢先、隣から素っ頓狂な声が上がった。
「どうかしましたか?」
「いえ、あの……詠唱は……?」
「してないですね」
なんか愕然とした目で見られた。
そういえば、この子は才能ある魔女って話だったな。でもこんな如何にも信じられないって顔で驚かれるなら、リーゼたちほど優秀ではないのだろう。
「リュシエンヌさんは詠唱省略できませんか?」
「わ、わたしくは……短縮なら……」
どことなく気落ちしたような暗い声で答え、俺から目を逸らして俯いてしまった。かと思えば、「こんな子供が……」とか「いえ、でも……」などと何やらぶつぶつ呟いている。
「えっと……つかぬ事をお尋ねしますが、ローズさんはお幾つでいらっしゃいますの?」
「年齢ですか? 前期で九歳になりました」
「そ、そんな……わたくしと同じ……!?」
見るからにショックを受けていた。
きっと今まで、この子の周りには自分より優れた魔女がいなかったのだろう。いたとしても、それは年上の大人で、でも大人と比べるのはナンセンスだし、自分が大人になる頃には誰よりも優秀になっている……などと信じていられたのかもしれない。
曲がりなりにも詠唱短縮できるだけの才はあるようだし、そこに貴族らしいプライドの高さが加われば、付け上がってしまうのも無理はないか。
「あ、あの、ではご家名の方は? ローズさ――ま、のような魔女がいらっしゃるだなんてお話、わたくし寡聞にして存じ上げないのですが、どちらのお国のお方なのでしょう?」
「んー、それは……」
リュシエンヌちゃんの思惑は想像に易い。
俺という魔幼女が自分と同等以上に高貴な身分であってほしいと思っているのだろう。魔法力は概ね遺伝するため、優秀な魔女の多くは貴族出身という話だ。つまり、自分より優れた魔女が自分より優れた家柄の出身であれば、あるいはせめて貴族でさえあれば、そういうものと納得できてプライドも保てそうだが、どこの馬の骨とも知れない平民ともなれば屈辱に感じそうだ。
魔大陸から上京してきた田舎モンです……と答えれば、きっとお嬢様のプライドはズタボロになって、今回の件による恐怖心も相まって、高慢ちきらしい性根はしっかり矯正されることだろう。
「今はまだ明言できませんが、とりあえずクアドヌーン王国の敵ではないです」
俺たち自身のことについて、どこまで明かしていいのか俺の一存では判断しかねたので、保留にしておいた。
べつにお嬢様の性根を叩き直してやる義理もないしな。
「……………………」
リュシエンヌちゃんは何やら神妙な顔で力なく俯き、大人しくなった。
誘拐されて相当怖かっただろうし、同い年の魔女に助けられたことで自らの不甲斐なさは少なからず感じたはずだ。己を省みて、謙虚な姿勢を得る切っ掛けとしては十分だろう。
ま、上には上がいるもんなんだし、せいぜい身の程を弁えたまへ若人よ。俺なんて〈瞬転〉という反則レベルの便利魔法が使えても、自分が凄い奴だとは思ってないぞ。婆さんの方が遥かに凄い魔女だったし、アインさんや他の狂信者たちだって相当な使い手のはずだ。魔法に限定しなければ、鬼人なんて次元が違った。他にも俺が知らないだけで、世界には俺より優れた奴なんてごまんといるだろうから、おかげで天狗になんてなれない。
特に会話を続ける必要もなかったので、黙々と船上を綺麗にしていく。〈水流〉による水量や水勢は、特に魔力を込めず普通に行使しても消防車の放水レベルだ。掃除はすぐに終わり、血生臭さはほとんどなくなった。
空を見上げると、イヴとアシュリンがすぐそこまで来ていた。アシュリンの背にはトレイシーが乗っている。
「おーっほっほっほっほっ!」
うおっ、なんだ。
なんで急に笑い出してんだこのお嬢様は。
ていうか、そんな如何にもな笑い方する人がリアルにいるとは思わなかった。
「さすがはわたくしですわねっ、やはり天才なのは間違いないようですわ!」
「……え、えっと……リュシエンヌさん?」
こ、この子、まさかショックのあまり頭が……。
「ローズ様、わたくし捕まっているとき、本国がどうだの黄昏の奴らがどうだのと賊共が話しているのを耳にしましたの!」
「はあ、そうですか」
何やら興奮した様子のリュシエンヌちゃんは、肩に掛かった長い金髪を優雅に払いながらドヤ顔を見せた。
「それはつまり、わたくしが将来有望すぎるあまり、他国か魔女狩り集団がわざわざわたくしを排除すべく動いたということでしょう!?」
「……まあ、そうかもですね」
「この歳で早くもそれほどの魔女として世界的に認知されているだなんて、凄いですわ!」
お嬢様のそのポジティブシンキングの方が凄いですわ。
いや冗談抜きで、仮にも命の危機に瀕したってのに、そんな自分に都合の良い面だけを的確に捉えて喜べる前向きさはマジで凄いと思う。ポジティブってのも一種の才能だし、そういう意味ではまさに天才的ですらある。
この状況、並の幼女であれば、怯え竦んで恐怖心に囚われたネガティブシンキングしかできないはずだ。しかし、この子は喜んでいる。錯乱しているにしては頭が回っているので、おそらくプライドの高さが変に作用してい――ん? あれ?
「お嬢様、足が震えてません?」
「む、武者震いですわっ!」
どうやら怖いとは思っているらしい。
それでも見栄を張るところを見るに、やはり相当プライドが高そうだ。
自分と同い年なのに自分より優れた魔女に助けられた。その現実を突き付けられたことで、自分の凄さを再確認したくなった結果として、必死に楽観しようとしているのだろう。
「おーっほっほっほっほっほっほっ!」
リュシエンヌちゃんがガクブルする自分を鼓舞するように高笑いを響かせていると、イヴとアシュリンが甲板に降り立った。
「ほっほっほっほっほっほっ」
「えっと……ローズさん、大丈夫ですか?」
イヴは困惑した顔でお嬢様をチラ見しながら尋ねてきた。
「ほっほっほっほっほっほっ」
「はい。怪我一つしてません」
「その子が例のお嬢様……にしては元気……でもないのかなぁ?」
アシュリンの背から降りたトレイシーはリュシエンヌちゃんの様子を気にしつつ、周囲を鋭く見回して警戒している。
「ほっほっほっほ――」
「ピュピュェェェェェェッ!」
「――ひぃっ!?」
やかましいと言わんばかりに、アシュリンが翼を広げて威嚇した。
初見の幼女にはさぞ恐ろしげに見えることだろう。
お嬢様が俺の後ろに隠れると、魔物畜生は勝ち誇ったように「ピュェッ」とひと鳴きする。それで満足したのか、もうお嬢様には目もくれず、ドラゼン号の方を見遣ってお座りした。
「トレイシーさん、まだ船内の様子は確認していないので、付いてきてもらえますか?」
「……ローズちゃんはもう十分頑張ったから、後は大人に任せて休んでてねぇ」
トレイシーの俺を見る目が、キツかった。
それは忌避されるような類いの眼差しではなく、困ったような申し訳ないような感じで、やりきれない思いが伝わってくる。いっそ怒ってくれれば楽なのに、そうした気配はない。
逆の立場なら、俺も同じような反応をするかもしれない。俺はこれが最善だと信じて行動したが、大人からすれば子供が殺しまくった状況には思うところが多々あるはずだ。
「…………はい」
なんだか居たたまれなくて、大人しく頷くしかなかった。
おかげで、否応なく我に返った。
いや、今までも冷静だったつもりだけど、所詮それは状況に感情が追い付いてこなかっただけだ。イヴとトレイシーという味方が来たことで少し気が抜けたせいか、自分が何をしたのか心が咀嚼し始めて、急激に気分が悪くなってくる。
こうしている今でも船内からは物音一つしないし、後は大人たちに任せていいだろう。というか、最初から任せておくべきだったのかもしれない。いくら差し迫った状況だったとはいえ、殺しすぎた感は否めない。何人も殺したからこそリュシエンヌちゃんを救出できたとはいえ、それは結果論に過ぎない。
落ち着いてみると、早まってしまったような気がしてならなかった。
「ローズさん、あまり無茶はしないでください」
「……気を付けます」
イヴの顔を真っ直ぐ見ることができなかった。
胸のうちがどんよりと重く、なんだか息苦しい。
これは……不味いな……大後悔時代が到来しそうだ。
「ローズ様はわたくしを救ってくださったのですから、もっと堂々となさってください! でなければ、わたくしも立つ瀬がありませんわっ!」
「……ですね、すみません」
俺もお嬢様を見習って、無理矢理にでもポジティブに考えるべきか。
「謝らないでくださいっ、ローズ様は何も悪くないのですから! 謝るべきはわたくしです。お礼を申し上げるのが遅れて申し訳ありません」
リュシエンヌちゃんはチラチラとアシュリンの様子を窺いつつも俺の前に立ち、綺麗な一礼を披露した。
「この度はわたくしのために、わたくしの護衛の不始末をつけて頂き、誠にありがとうございます。このご恩は我がソールズベリー家の名に誓って、必ず何らかの形で報いさせて頂きます」
まだ九歳とは思えない口上だった。これでリーゼと同い年だって言うんだから、さすがは貴族様といったところか。
「ところで、そちらの件とは別に、少々お願いがあるのですが」
お嬢様はパツキン頭を上げると、身を乗り出すようにずいっと一歩踏み出してきた。しかも、何というか……揉み手でもしかねない媚びた雰囲気を感じる。
「な、何ですか?」
「こうして助けて頂いたとはいえ、同い年の天才魔女同士が出会ったのはきっと聖神アーレ様のお導きによるものだと思いますの。いえ、そうに違いありませんわ! ですからっ、どうか詠唱省略の秘訣についてご教授頂けないでしょうか!? もちろん十分な謝礼はお支払いいたしますので!」
海中に引き摺り込まれる形で誘拐され、囚われているところに他国や魔女狩り集団の影がちらつき、あまつさえ起き抜けに血と肉片まみれの凄惨な光景を見たばかりだというのに……これか。
この幼女、将来は大物になるぞ。
「まあ、状況が許すのであれば、構いませんよ」
「よろしいんですの!? 約束ですわよっ!」
恐怖体験の直後とは思えない喜色満面な笑みを浮かべて、魔剣を握る俺の左手を両手で握ってきた。
俺は思わず苦笑しつつも、今はお嬢様のように前向きになって、心を強く持とうと思った。