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幼女転生  作者: デブリ
八章・渡航編
194/203

第百二十九話 『もちろん俺等は抵抗するで?』

 

 ローレルを出港して十六日目。

 翠風期第五節三日。

 昼前に、我等がドラゼン号はサンメラ海に入った。


賊軍ぞくぐんしかり、民草たみくさしかり、覇道はどうふさがるものことごとくへ襲来しゅうらいす」


 どうしてサンメラ海に入ったと分かるのか。

 それは小島がちらほらと目に付くことに加えて、海水の透明度が増したからだ。世界で最も美しい海は魚人たちが多く住まうコライア島一帯で、サンメラ海はそこに次ぐ世界で二番目に美しい海とされている。


天来てんらいごとく、れど慈雨じうにあらず、災禍さいかにして矢雨やうよりなおはげしくそそぐものなり」


 実際、海面の色合いが昨日までと少し異なっており、これまでの黒さすら感じる深い青から透き通るような水色になっている。サンメラ海の外縁部でこれなのだから、これから更に透明度が増していくのだろう。


猛獣もうじゅうくし、ちゅう飛禽ひきん射堕いおとして、安住あんじゅうせしたみとて猛火もうかみ、もっ惨憺さんたんたる燎原りょうげんさん」


 疎らに羊雲の浮かぶ空から降り注ぐ陽光で、海面はきらきらと輝いている。海水浴がしたくなる程度には気温が高く、しかしローレル同様に湿気はそれほど感じず、カラッとした気持ちの良い暑さだ。

 ボーダーン群島国は北ポンデーロ大陸西部におけるリゾート地として有名らしく、海水浴も楽しめるという話だ。魚人の多い海なので魔物が少なく、もし海水浴場に現れたとしても周辺を警邏している魚人たちが迅速に駆除してくれる。カリブ海みたいな群島地帯だけど海賊も滅多に現れないようで、ここサンメラ海にあるボーダーン群島国の治安は良いらしい。


赤熱せきねつせしやじりさながらのきらめきにち、驟雨しゅううさながらのはげしさめ、あまねすべてへ顕示けんじせん」


 だからね、そこのお嬢さん。

 そんな不穏な詠唱してないで、もそっとのんびり過しましょうや。


なさけは不要ふよう容赦ようしゃ罪科ざいか衆敵しゅうてき目掛めがけてみだれ、見境亡みさかいな焼殺しょうさつせよ」


 リーゼは船縁の手摺前に立っており、後ろ姿からでも真剣なのが分かる。魔法の練習はアシュリンの背に座ってすることが多いが、最近は集中したいからと一人でしてばかりだ。


「――〈紅蓮驟雨イン・ゾリク〉」


 静かに、迫真の厳かさで魔法名を口にするが、何も起きない。

 当然だ。

 覇級魔法がそんな簡単に使えたら、誰も苦労しない。


「……むぅ」


 リーゼは小難しい感じに唸りながら腰元のポーチに手をやると、干し肉を一枚取り出し、食べ始めた。

 俺もポーチからドライフルーツを摘まんで口内に放り込む。ついでに足下近くで眠る幼竜の鼻先に一粒近付けてみると、薄く目を開けてパクついた。可愛い。


「ローズ様、そろそろ昼食なので間食は控えた方がいいのです」


 すぐ近くを通り掛かったニーナが立ち止まり、見下ろしてきた。

 ふぅ、やっとか……やっと来てくれたか。

 待ってたぜェ!! この瞬間ときをよォ!!

 そんな歓喜を面に出すことなく、俺は見上げる。人と話すときは相手の目を見るのが礼儀なので、メイド服姿の幼女をしっかりと見上げる。


「あと、それは上級の魔法ですよね? いつもは姿が見えなくなる特級の魔法なのに、今日はどうかしたのですか?」

「ええ、どうかしたんですよ」


 幼女メイドを見上げながら粛然と頷いてみせた。

 現在、俺の視点は低い。不審者にならない限界ぎりぎりの低さで、甲板と後頭部の隙間は三レンテくらいしかない。無論これは〈邪道之理メト・リィア〉で帆柱に対して垂直に立っているからこそ可能な状態であり、練習という名目を得られるからこそ不審者にはなり得ない。


「確かに、〈颶風流リート・ドィウ〉を行使するついでに同時行使の練習をするなら、特級魔法を使った方がいいです。より集中しなければならないので、練習になります。が、しかしですよ」


 俺は用意していた言い分を半ば自動的に口にしながら、見上げる。大事なことだから何度でも主張するが、人と話すときは相手の目を見ないと失礼だからな。

 だから、これは不可抗力なんだ。

 スカートの内部が視界に入ってしまうのは致し方のないことなんだ。


「同じ魔法ばかりだと慣れてしまうんです。たまには中級と上級の同時行使だってしないと、色んな魔法の同時行使をしないと、練習にならないんです。だから今日は〈邪道之理メト・リィア〉を使ってるんです」


 ニーナは今日も今日とてメイド服だ。スカート丈は膝下までとはいえ、今の視点の低さであれば何の問題もない。

 ただ、今日のメルはスカートだったから、本当はメルに来てほしかったんだけど……この際ニーナでもいい。もう待ちぼうけは嫌だ。


「こんなに低いところにいるのは安全のためです。上の方で集中が切れて落ちたら大変ですからね。私だって俺様だって誰だって、痛いのは御免です。分かりますね?」


 み、見え……見え…………ない……?

 見えない、だと?

 ぎりぎり、あと五レンテくらい近くに来れば、見える。

 頼むニーナッ、あと一歩近くに来てくれ!

 いや、べつにやましい気持ちは一切ないんだ。さすがの俺も幼女のパンツが見たいとか本気で思っているわけじゃない。同性なんだから見ようと思えば好きなだけ見放題なんだからな。

 俺は、ただ……知りたいだけなんだ。

 側溝に身を潜めてまで覗くような上級者たちの気持ちを。

 今後、ツヴァイやデューク以上の強者が現れたとき、しっかりと対抗できるように、鍛えないといけないんだ。風魔法ブーストと同時行使の練習、それらと一緒にできて一石三鳥なこの作戦を成功させたいんだ。

 

「はあ……まあ、そうなのですか」


 ニーナはよく分からないといった面持ちで曖昧に頷き、去っていった。

 最後まで、ぎりぎり見えない状態のまま。

 しかし……これはこれで、悪くない。見えそうでぎりぎり見えない。そこに熱い何かがある。見えないからこそ胸を熱くさせ、滾らせてくれる何かが。


「あっ、ローズ様、すみません!」


 ふと、そんな声と共に棒状の何かが甲板上を滑るように転がってきた。反射的にそれを掴んでみると、予想通り短剣だった。刀身から柄まで木製の、模擬戦用の短剣だ。

 声の方を見ると、ニーナと瓜二つな幼女が駆け寄ってきている。その向こうにはウェインとユーハがいる。先ほどからユーハ監督の下、二人が隅の方で模擬戦をしていることは分かっていた。

 ローレルを出発してから、ウェインとラスティは一緒に鍛錬している。ラスティは短剣を使うようだが、基本はウェインと同じ近距離での戦法だし足技も使うようで、何より神那流にも短剣術があるらしいことから、二人の戦闘スタイルは近い。一緒にトレイシーに師事して、互いにいい修行相手となれているようだ。

 ウェインはつい一昨日に十歳になり、ラスティは前期で八歳になったので二歳差だが、トレイシー曰くラスティは筋が良いらしく、実力に大きな差はないという。

 当然というべきか、今のところ年上のウェインの方が少し強いようで、模擬戦での勝率は八対二くらいだ。何度か観戦したが、普通に凄かった。子供の喧嘩レベルは遥かに超越していた。魔法なしで二人と戦えば、俺は間違いなく五秒も保たず負ける自信がある。


「いえいえ、大丈夫ですよ」


 俺は駆け寄ってきた黒柴系メイドへと短剣を真上に差し出した。思わずニーナのときのように、相手の目を見て――見上げてしまった。

 その瞬間、自らの軽挙を悟ったが、時既に遅し。


「ありがとうございますっ」

「――――」


 ラスティはキュートな笑顔で短剣を受け取ると、一礼して去っていった。カールした尻尾を左右に振りながら、スカートの裾をはためかせながら。

 あの子は修行中も常にメイド服だ。いざというときもメイド服を着ているだろうから、その格好で動けるように訓練しないと意味がないらしい。だから、激しい動きをすると、よくスカートが翻る。

 俺は観戦していたとき、その神秘の領域を見ないように、その都度目を逸らしてきた。いくら男の娘だと受け入れたからって、そこを目にする勇気はまだなかったんだ。


「ぐ、うぅ……そんな……なんてことだ……」


 だから、あの子が女物のパンツを穿いているだなんて、知らなかったんだ。いや、可能性くらいは考えていたからこそ、真実を知ってしまわないように気を付けてきた。

 なのに……そんな、まさか本当に……あのもっこり感は反則だよ……。

 どうやら俺はまだまだ修行不足なようだ。

 これからも精進せねば。


「……キュェ」

「あぁ、ユーリ……私は大丈夫です。ありがとうございます」


 思わず集中が切れて甲板に落ちたため、幼竜が心配してか、俺の足を鼻先で軽く突いてくる。ユーリの誕生日はメリーと同じ翠風期の第五節七日なので、三日後には一歳になる。

 もうメリーが誕生して一年が経とうとしているのか……早いものだ。全長一リーギス半はあるユーリは現在でさえ結構なサイズ感で、船内にいるときなどは少なからぬ圧迫感がある。


「ん……?」


 ふと魔力波動を感じた。

 普段感じ慣れている類いのものではなく、馴染みのない微弱な魔力波動で、それも一瞬だけだ。おそらく俺たち以外の未知の行使者が何らかの魔法を使ったのだろう。周囲に他の船舶はなく、上空に人影もなく、島影は……見えないこともないが、かなり遠い。

 仮にどこぞの島から届いたのだとしたら、結構な大魔法を使ったのだろうが、見える限りの海原や空に変化はない。であれば、あまり気にする必要はないだろう。


「ほらユーリ、いきますよー」


 その後、気分転換にユーリと遊んだ。

 〈邪道之理メト・リィア〉で帆柱を二メートルほど上がり、そこからドライフルーツを落としてユーリにキャッチさせる。最初の三、四個くらいは上手くキャッチできず甲板を転がっていたが、それ以降はミスもなく、小さな竜は首をもたげて口を開けて待ち構え、落下してくるエサを器用に受け止めている。

 可愛い。


「あたしもやーるー!」

「ピュピュェェェッ!」


 途中からリーゼとアシュリンも加わった。


「ローズ早くっ、早く落として!」


 あ、そっち?

 てっきりリーゼはアシュリンに干し肉でも落とすのかと思いきや、キャッチする側として俺のドライフルーツをペットたちと共に食べていく。

 まあ、リーゼならそっちか。


「ローズ様っ、ボクもいいですか!?」


 一段落ついたらしいラスティも加わって、俺の眼下で二人と二頭が楽しげに騒いでいく。俺も自然と笑みが零れて、笑い声を上げながら、ふと思った。

 これまでリーゼには覇級魔法の練習をさせないように上手く誘導してきたが、最近はもう俺たちが何を言っても練習を強行していた。さすがのリーゼもかなり苦戦しているようだったので、どうせ習得するのに年単位は掛かると踏んで、俺たちも半ば諦めて好きにさせていた。

 しかし、遊ばせれば良かったのだ。

 〈陽焰レーファ・ルエ〉の無詠唱化とか、他の特級魔法を覚えるとか、同時行使の練習とか、そういう方向に努力させるようにリーゼを誘導してきたけど、そうじゃないんだ。もうサラは表向き以前とほとんど変わらないし、ウェインだって復活したし、同年代のニーナとラスティも加わったわけだから、子供たちで遊べばいいんだ。

 今年に入ってからは復讐心のせいで少し物騒な言動が目立っていたが、最近は割と大人しい。リーゼだってまだ九歳で、本来は天真爛漫な気性となれば、まだまだ遊びたい盛りなのは考えるまでもない。さっきだって火属性覇級魔法の〈紅蓮驟雨イン・ゾリク〉を練習していたのに、俺とユーリが遊び始めたら練習を切り上げて参加してきた。

 これなら、もう深刻に考えることはないだろう。

 今後はただ普通に、子供同士で遊ばせていれば、健全な方向に成長してくれるはずだ。


「みんなっ、十時の方向から翼人がこっちに来る!」


 不意に、背後から大声が聞こえてきた。少々の緊張感が滲んだ叫び声はソーニャのもので、今は俺の背後――帆柱の上部にある物見台にいる。


「ちょっと見てきますね」


 俺は回れ右して帆柱を駆け上がり、物見台に出た。

 青い翼の少女の他に紫髪の美熟女もいて、二人して同じ方角を見遣っているので、俺もそちらに目を向けてみる。


「えーっと……二人……いえ、三人……こっちに飛んで来てます?」

「うん、三人。たぶんこの船に向かって来てる」


 ごま粒と大差ない小さな点みたいな人影が青空に浮かんでいた。かなり目の良いソーニャに翼人だと言われなければ、鳥か魔物の可能性も検討する程度にはまだ距離がある。

 だが、人影は左舷側に二十度か三十度ほど先に見えるため、こちらも向こうに少なからず接近していることになる。現に人影が現在進行形でどんどん大きくなっているのが分かる程度の速度で相対距離が縮まっている。


「どうにも一人を二人が追っているように見えますね」


 隣のツィーリエが言いながら単眼鏡を手渡してきたので、左手で受け取り覗いてみた。

 拡大された視界には、スズメっぽい茶色い翼人が一人。その後方には、カラスとカナリアを思わせる黒と黄色の警戒色コンビの翼人が追い掛けるようにして続いている。

 いや、本当に追い掛けてるのかは分からんけど、スズメが先行し、カラスとカナリアが後に続いているような形で飛行していることは確かだ。


「あの小島の方から急に現れたんだよ」

「やはりあそこは無人島のはずです。最近誰かが住み始めた可能性もありますが……」


 ソーニャが指差す先には緑豊かな島がある。

 ツィーリエは手元に海図を持って、入念に何度も確認していた。

 このサンメラ海で無人島は珍しくなく、有人島は全体の一割程度らしい。人が住むには不向きな小島が多いからだ。街がある大きな島――例えば俺たちが寄港予定のティムアイ島近くであれば、五十リーギス四方ほどのかなり小さな島でも人は住んでいるという。プライベートアイランドとして金持ち連中に人気なのだとか。街に近くないと、食料雑貨などの補給が面倒になるし、島が海賊に襲われる危険も高くなる。

 つまり、人口の多い大きな島の近くであれば、小島でもほとんどが有人島だ。しかし、まだこの辺りに大きな島はない。最寄りの大きな島であるティムアイ島は明日の昼頃には到着予定という話で、まだそれなりに距離がある。

 今まさに問題となっている島の大きさは、おそらく幅三百リーギスもない程度に見える。ローレルで入手した海図の情報が最新かつ正確であっても、ツィーリエが言うように最近誰かが住み始めた可能性は否定できない。


「表向きは無人島だけど、実は海賊の隠れ家だったりとかありそうですよね」


 無人島とされている島に海賊が密かに棲み着いているなど、よくある話だろう。だから先ほど感じた魔力波動の方向があの島と同じなのも、特におかしなことではない。

 とはいえ……かなりの遠距離から微弱ながらも魔力波動が届いたということは、やはり何らかの大魔法が行使された可能性が高い。その現場と思しき島からこの船に向かってくる三人……嫌な予感しかしないな。

 いや、杞憂かもしれないし、安易に点と点を結びつけるのも良くないか。


「じゃあ、あの三人は海賊? わたしたちを襲おうとしてる?」


 ソーニャは引き締めた顔に緊張感を滲ませつつ、不安そうに呟いてる。

 そんな少女を見て、俺は今更ながら可愛いと思った。

 前は口調が体育会系っぽくて、雰囲気も中性的で少女らしさをあまり感じなかったけど、最近は普通に女の子っぽい。外見は出会った頃とほとんど変わらないのに、物腰一つで別人のように違って見える。

 正直、姉のライムの方には未だに女らしさをほとんど感じないし、特に揉みしだきたいとかも思わない。ソーニャも前節まではそうだった。でも、この前一緒に風呂に入って、初めて生で揉み揉みさせてもらったこともあり、今ではメルと同じくらいの女らしさを感じる。


「三人だけで襲撃を掛ける気であれば、いずれも相当な手練れでしょう」


 場違いに暢気な気分になりかけたが、ツィーリエの落ち着いた声で現状に意識が戻った。


「とはいえ、その線は薄いかと思われます。こちらの戦力もろくに確認できていないうちに仕掛けてくるほど、賊も馬鹿ではないはずです」


 まあ、そうだわな。

 あの三人が三人とも特級以上の魔法が使える魔法士なら未だしも、そんな腕前の魔法士はそうそういない。仮に覇級以上の魔法が使える者がいたとしても、無詠唱化されていなければ、行使前に対処は可能だ。

 まだ遠いこともあるが、あの三人の方から魔力波動は感じないし、一人が二人に追われているように見えたことも勘案すると……。


「海賊島で捕まっていた人が逃げ出して、ちょうど近くを通り掛かった私たちの船に助けを求めてやって来ているとか?」

「今の段階ではなんとも言えないですね。とりあえず相手の出方を窺いつつ、迎撃するつもりで待ち構えるのが無難でしょう。子供たちやユーリは船内に入れた方が良いかと思います」


 色々と言っておいてなんだが、俺もそう思う。

 ツィーリエも同じ考えなら大丈夫だろう。この美熟女は詠唱省略ができる魔女のくせに賭場でイカサマ壺振り師をしていたことからして、きっと複雑な経歴の持ち主だ。人生経験は豊富そうなので、様々な状況における判断力は俺より上だろう。

 というわけで、物見台はそのままツィーリエとソーニャに任せて、俺はクレアたちに状況を伝えることにした。


「海賊なんて返り討ちにしてやる!」

「だーからアンタは中にいなさいってのっ」


 甲板では早くもリーゼが無駄に張り切っていた。

 話が聞こえていたのだろう。

 手には船内に置いていたはずの愛槍が握られ、アシュリンの背に跨がろうとしているところをセイディが止めている。


「ローズ、ソーニャとツィーリエさんはなんて?」


 尋ねてきたクレアに、俺は手早く状況を説明した。

 一緒に船縁で問題の方向を見ながら説明を終えると、クレアは思案げに「そう……」と呟く。と同時に、上からソーニャの大声が届いた。


「二人が引き返した! 一人はそのまま来る!」


 もう彼我の距離が五百リーギスもないところまで来ているので、船縁からでもその様子は見て取れていた。スズメの後方を飛んでいたカラスとカナリアの警戒色コンビがくるりと反転し、島の方へと戻っていくが、スズメは変わらず一直線にこちらへ飛んで来ている。


「みんなっ、こちらから先に手出ししちゃダメよ!」


 クレアが大声を響かせる船上には、既に子供たちや幼竜の姿はない。俺とリーゼ以外は早々に船内に退避させられたのだろう。


「でも攻撃されたらどーするんだー!?」

「武装は……帯剣しているように見えますが、飛び道具の類いはなさそうです」


 先ほどまではいなかったイヴが双眸を鋭く細めて見遣り、教えてくれた。夜番のイヴとトレイシーは昼食前に起床するので、この騒ぎもあってちょうど起き出してきたのだろう。

 翼人は上空から遠景を見ることが多いからか、基本的に視力が良い。獣人も目は良いが、こちらは動体視力や暗視といった面で優れていて、遠見に限っては翼人の方が利くことが多い。


「じゃあ魔動感が反応しなければ大丈夫そうですね。リーゼ、とりあえずは相手の出方を窺いましょう。何の罪もない人を一方的に攻撃しちゃうと、私たちが悪者になっちゃいます」

「悪者はダメだ!」


 リーゼが船内に入ろうとしないのは、俺が甲板に出ているからでもあるのだろう。

 しかし、魔動感持ちは俺かゼフィラしかおらず、後者は頼りになるときとならないときの差が激しいので、あまりあてにはできない。実際、今も船内から持ち出した椅子に悠々と腰掛けて酒瓶を傾け、他人事のように傍観する姿勢を見せている。昼間から飲むな。

 というわけで、念のため俺も対応に加わった方がいい。相手が無詠唱魔法士でいきなり魔法をぶっ放そうとした場合、断唱波できるのは俺しかいない。


「あらぁ? アレ女の子じゃない?」


 もう百リーギスほどにまで迫ってきたところで、ベルが半信半疑な口振りで呟いた。

 俺の目には成人男性のなりに見えるが……まあ、すぐに分かることか。


「助けてくださいっ」


 相対距離が五十リーギスを切ったあたりで、切羽詰まったような声が届いた。さすがベルというべきか、女の声音だった。

 髪は短いし、服装は中性的な感じで、スタイルも全体的にすらりとしているので、声以外にあまり女らしさは見て取れない。それでも普通に女性だと見分けられる。

 女らしさは少ないけど女だと分かるそれは、女性兵士を連想させた。オルガみたいな闊達さはないし、かといって以前クレドで出会った男装の麗人ハミルほどの美男子感もない。そうでなくとも、全身あちこちに血の赤が見られ、足には矢が刺さってるもんだから、負傷兵という印象が強い。


「お願いします! 自分は敵ではありませんっ、攻撃しないでください!」


 スズメというより鷹とか鷲みたいな、弱々しさのない颯爽とした感じの何者かは、両手を上げて害意がないことを示しながら、ドラゼン号に降り立った。ちょうど俺たちのいる中央甲板の帆柱付近だ。

 い、いや、待て……アレは……膝だ。

 膝に矢が刺さっている!

 すっげえ、膝矢とか初めて見た。めっちゃ痛そう……。


「何者だーっ、名を名乗れー!」


 幼狐が威勢良く誰何を投げた。

 相手が負傷している女性だからか、左手の槍こそ構えていないが、アシュリンを侍らせた仁王立ち姿は九歳児らしからぬ迫力を感じさせる。赤の他人相手には、只の幼女ではない感がひしひしと伝わるだろう。

 相手の女性は――たぶん二十代の姉ちゃんらしき何者かは自立できないようで、船縁の手摺にもたれ掛かるようにして片手を突き、もう一方の片手を上げたまま、深呼吸するように一拍挟んでから名乗りを上げた。


「自分はノーラと申します。クアドヌーン王国メイシャル領が領主、ローラン・ソールズベリー侯爵にお仕えし、そのご令孫れいそんたるリュシエンヌ様の護衛をさせて頂いている者です」


 クアドヌーン王国といえば氷都リーレイで有名な国だな。現在地からの距離としてはシティールより少し遠く、シティールのあるベイレーン内海に面している小国家だ。

 メイシャル領とか侯爵の名前とかは全く知らんが、とにかくこのノーラという人はリュシエンヌという侯爵令孫の護衛ってことか。

 いや、それを自称しているだけの不審者だ。


「まずは突然の来訪と非礼をお詫びいたします」


 矢が刺さった右足を庇うような姿勢で一礼された。それでも尚、なるほど貴族に仕えているだけのことはある……と思わせる綺麗な所作なのが見て取れた。

 ノーラは俺たちが問いを投げるより早く、続けてまくし立ててくる。


「先刻、卑劣極まる奸計により、お嬢様が賊に攫われてしまいました。賊はまだこの近辺におり、おそらくは口封じに自分を始末すべく追ってくることでしょう。皆様には大変なご迷惑であることは承知しておりますが、どうか何卒、賊の撃退とお嬢様救出にご助力して頂きたく思います。謝礼は侯爵閣下が後ほど必ずお支払いいたしますので、どうか」


 簡単に話を聞いた――聞かされただけでも、厄介事の種だと分かった。

 だからといって即座に追い出すような血も涙もない真似はできず、とりあえず俺たちは事情を聞くことにした。




 ♀   ♀   ♀




 いきなり救出云々と言ってきたことからして、闖入者が少々興奮ぎみなのは間違いない。実際、汗だくで少し息を切らしてもいたので、とりあえず落ち着いてもらうことにした。

 ユーハが手摺前に丸椅子を持っていき、そこに座った翼人の姉ちゃんにイヴが水入りのコップを差し出す。


「犯人は海賊だな!? 悪い奴らはぶっ殺して早くオジョーサマを助けてあげないとっ!」

「えっと……その、大変有り難いお申し出なのですが、まずは話を聞いて頂いた方が良いかと思います」


 汚物を消毒したがるイケイケな幼女のテンションを前に、翼人の姉ちゃんは少し気圧されたのか、戸惑いを覗かせている。


「あっ、違ったっ、その前に治癒魔法だ! あたしが矢を抜くからローズは特級の治癒魔法やって!」

「え、ローズ……特級の……?」


 ノーラさんが半信半疑な目で俺を見てきた。

 ……まあ、うん。

 リーゼだから仕方ない。

 仕方ないんだけどさぁ……もう少し気を付けてくんねえかなぁ。さっきは膝矢の姉ちゃんを前にしても一応は警戒してた風だったのに、賊から女の子を助ける云々の話になった途端、これだよ。

 その素直さと優しさは大事にしてほしいから、責めはしないけども。


「はいはい、アンタはちょっと落ち着きなさいっての。まずはその人の言うとおり話を聞いてからよ」

「なんでだー!? 早く治してあげないとかわいそーだろぉーっ!」


 無警戒に近付こうとする幼狐を天使が羽交い締めにしている。

 この世界には治癒魔法があり、怪我はすぐに治ってしまうので、相手が負傷兵みたいな人でも警戒すべきだ。まともな船であれば一人は魔法士がいるので、治癒魔法で怪我を治させた直後に油断している魔法士を人質に取れば、戦力ダウンと脅迫を同時に行えてしまえる。

 だから、まだ治さない。

 ノーラは四肢の血こそ目立つが、胴体はほとんど無傷だ。急所に致命的な負傷は受けていないようだし、本人も割と元気そうなので、治すかどうかを判断するのは話を聞いてからでも遅くはない。

 ……というような話をセイディがリーゼに説明している隣で、クレアが渦中の膝矢姉ちゃんに対して口を開く。


「それではノーラさん、話を聞かせてもらえますか」

「あ、はい……順を追って説明させて頂きます。ことの始まりは昨日の朝方のことです。お嬢様がご朝食前に海上滑水をしたいと仰ったので、自分は魚人の護衛たちを伴い、海に出ました」

「カイジョーカッスイ?」


 羽交い締めから解放されたリーゼが小首を傾げて呟くと、セイディが「翼人とか魚人に引っ張ってもらって、板の上に乗った人が水の上を滑る遊びよ」と説明している。

 要は水上スキーだな。


「おぉーっ、あたしもそれやりたいー! アシュリンに引っ張ってもらうんだー!」

「ピュピュェェェ!」

「リーゼ、今は話を聞きたいから、静かにしていて」


 クレアの言葉で幼女とペットが大人しくなると、話を続けづらそうにしていたノーラは再び口を開く。


「海上滑水を始めて間もなくのことです。海中で魔物を警戒していた魚人たちが裏切り、滑水板に乗っていたお嬢様を海中に引き摺り込み、誘拐したのです」

「裏切ったのか卑怯者ー!」

「……というのは当主ローラン様のご計画でして、今回の一件は偽装誘拐のはずだったのです」

「…………んぁ?」

 

 殺る気満々だった幼狐が変な声を漏らして、ノーラを胡乱な半眼で見つめる。表情としては他のみんなも似たような感じで、俺も思わず眉をひそめながら口を挟んでしまう。


「偽装誘拐?」

「リュシエンヌお嬢様には些か以上に驕り高ぶったところがありまして……それはローラン様でさえお認めになるところです。高貴なお生まれで才能のある魔女ですので、ある程度は致し方のないことでもあるのですが……」


 要するにクソガキというわけか。

 言葉尻を濁したことからして、言外にそう言っているも同然だった。

 少々言い辛そうにしていたとはいえ、貴族に仕えている人が令嬢のことを余人へと悪し様に言うのは不味くないのかね? この人はお嬢様の護衛だっていうから、それほどストレスが溜まっているのか、あるいは俺たちに助けを求めるため正直に話しているのか。

 もし俺たちがノーラに助力することにして、件の賊と交戦することになった際、敵があることないこと主張するかもしれない。その言葉で俺たちが疑心暗鬼に陥り、行動を躊躇えば、相手にとってはその隙が好機となるだろう。

 もしリーゼが誘拐されて誰かに助力を請うことになったら、余程の特別な事情でもない限り、俺も正直に話して信頼を得るのが得策だと考える……と思う。たぶん。

 とはいえ、真偽のほどは分からない。

 この人が海賊の手先で俺たちを罠に嵌めようとしている可能性はまだ捨てきれないのだ。


「なるほど、話が見えたわ。誘拐でお嬢様に恐怖心を与えて、いくら才能ある魔女でも自分の力では窮状を打開できないって現実を思い知らせてやることで、頭を冷やしてやろうと思ったわけね」


 悠々と酒を飲むゼフィラの隣で、ミリアが溜息交じりに苦笑している。

 俺にも話の流れは理解できたよ。

 この手のトラブルは稀によくある話だ。


「仰る通りです。ですが、当家の者が本当に裏切り、賊にお嬢様を売り渡したのです」


 偽装誘拐が本当の誘拐になる展開など、ある種のお約束ってやつだろう。誘拐で性根を叩き直してやろうと家族に思わせるほど、悪役令嬢並にクソ高慢なお嬢様だったのなら、まあ自業自得と言えなくもない。


「自分はお嬢様を救出する御役目を仰せ付かっておりましたので、予定通りあちらの無人島へと単身向かいました。護衛の任に就いている自分が一人でお嬢様をお救いすることによって、見下していた護衛への認識を改めさせ、それが未熟な己自身を省みることに繋がるだろうと、ローラン様は仰いました」

「んで、一人なのが徒になって返り討ちに遭ったってこと?」

「お恥ずかしい限りです」


 セイディの問いに目を伏せながら頷き、ノーラは右腕の裂傷らしき箇所を手で押さえながら続けた。


「敵は少なくとも十人以上はおり、魔法士もおりました。自分が死ねばお嬢様が本当に誘拐されたと気付くのが遅れ、救出もできなくなると考え、ひとまず撤退するのが最善だと判断し……現状に至ります」

「なるほどー」


 などと納得した様子でリーゼがうんうんと頷いている。この子は本当に分かっているのか怪しいところだが、確かに筋は通っているように思えた。

 それでも、納得するにはまだ早い。


「あらぁ? でも少しおかしくないかしら? 貴女、さっきは『口封じに自分を始末すべく追ってくる』とかなんとか言っていたけれど、誘拐犯たちはべつに貴女を逃がしても問題ないんじゃないかしらぁ?」

「そうですね。ノーラさんを一旦捕らえ、身代金の要求などを伝えた上で侯爵のもとに返した方が、誘拐犯たちは滞りなく事を運べるように思います」


 ベルの指摘にイヴが同意すると、全員の視線がノーラに集中した。

 当人は小難しい顔でしばし中空を見つめていたが、やがてゆっくりと口を開く。


「……そうかもしれません。失念しておりました。何分、相手方の攻勢が激しく、自分を殺す気としか思えない動きで、追い掛けても来ましたので……てっきり」

「そいえば追われてたわね。生かして返す気なら追わないはずなのに……でもイヴの言ったことも一理あるし……なんかおかしく、ない?」


 セイディは強張った顔でちらりとリーゼの様子を窺いつつも、誰に向けるでもなく尋ねている。『なんかおかしく、ない?』の微妙なイントネーションに含まれる意味を察したのか、みんな思案げな様子で、それに応じる者はなく、俺も答えあぐねた。

 ノーラの話に矛盾はなさそうだが、相手の動きがどうにもおかしい。おかしいと思えてしまうということは、俺たちが相手の目的を履き違えているのだろう。身代金誘拐ではなく、何か別の目的でお嬢様を攫い、その護衛を始末しようとしたのではあるまいか。

 そうでなければ、ノーラが嘘を吐いているか。

 もしくは……犯人があの連中なら納得の状況ではある。


「最悪を想定するなら、《黄昏の調べ》の仕業ね。現状ではその可能性が高いと言わざるを得ないでしょうし、そのつもりで動かないと不味いと思うわよ」


 おそらくクレアたちも早々に察しつつも、リーゼの手前誰もが口にするのを躊躇っていたことをミリアが言い放った。

 すると案の定、幼狐が尻尾を逆立てて気炎をあげる。


「なんだとぉーっ!? それはダメだっ、絶対ダメだ! 絶対にオジョーサマを助けて敵を皆殺しにするんだ! 行くぞーアシュリンあの島だーっ!」

「ピュピュェェ!」

「だあああもぉーっ、落ち着きなさいっての! アンタもちょっとは空気読めっ!」

「気付いてない人もいたみたいだし、全員が正しく危機感を持たないと不味いでしょう」


 ミリアは悪びれた様子もなく堂々としている。

 彼女の主張には一理あったので責める気はないし、今はそんなことをしている場合ではない。身体を張って幼女を宥めている天使に協力しなければ。


「み、皆さん、こういう説はどうでしょう?」


 リーゼの意識を逸らすため、そしてノーラの反応を窺うためにも、ジャブでも放ってみるか。


「実はこの人も誘拐犯の一味で、でもやっぱりお嬢様を助けたくなって寝返ったとか」

「そのようなことはありません!」

「そんな簡単に心変わりしたり短絡的に動いたりっていうよりは、誘拐犯の一味に間者として潜り込んでいたのがバレちゃったって方があり得そうね。それなら追い掛けて殺そうとするでしょうし、咄嗟の状況で『口封じに自分を始末すべく追ってくる』って言ったのもしっくりくるわ」


 必死な様子で即座に俺の説を否定した膝矢姉ちゃんに、ミリアが追撃を掛けた。しかもジャブどころか急所を抉るようなストレートで、おそらくこちらの意を汲んで即座に乗ってくれたことも考えると、ほんと冴えてるよこの姉ちゃん。

 やっぱこういうときは俺より頭の切れる人に任せた方が良さそうだな。


「つまりどういうことなんだっ!?」


 これまでベルの隣で静観していたライムが我慢の限界といった感じに叫んだ。


「現時点では、怪しいことに変わりはなさそうね」


 と、クレアがひとまずの結論を口にした直後、上から「みんなっ」と声が降ってきた。見上げると青髪の少女が見張り台から顔を覗かせ、九時の方向を指している。


「島影から船が一隻出てきて、こっちに向かってきてる!」


 ソーニャの指差す方に目を向けてみると、確かに船らしき影が見える。結構な速度で航行しているのか、先ほどノーラが出てきた島の外縁付近から、船影がこちらに向かってくる動きがはっきりと見て取れる。

 こちらと島との距離は三メトかそこらしか離れていなさそうなので、相手の船速次第では追い付かれるかもしれない。ドラゼン号と大差なさそうなサイズの帆船っぽいし、向こうも風魔法ブーストしてきたら不味そうだ。


「あっ、皆さん、アレです! あの船です! 当家が誘拐犯役の海賊船として用意していたもので、先ほどもあの島の入り江に停泊されていました! 間違いありません!」


 ノーラが思わずといった様子で椅子から立ち上がり、しかしすぐふらついて手摺にもたれ掛かった。


「どうかお願いします! あの賊を撃退してお嬢様をお助けするのにご助力ください!」


 翼人のお姉さんがみんなに深く頭を下げるのを横目に、俺はベルに肩車を頼んだ。

 マッチョな船長は当然のように快諾してくれたので、高くなった視点で遠方から迫り来る船を改めて見遣る。リーゼの失言もあって、本当は〈邪道之理メト・リィア〉で帆柱の中ほどまで駆け上がろうかとも思ったが、念のため自重しておくのが無難だろう。

 風魔法ブーストを再開すべきか否か、こっそりクレアに尋ねようと思ったところで、船影から何かが上空へと飛び立つのが見えた。


「翼人が三人船から出てこっちに飛んでくる!」


 ソーニャが緊張感も露わに叫ぶと、それに煽り立てられたようにノーラが懇願する。


「お礼は後ほど必ずいたしますっ、ですからどうか! お嬢様をお助けするためにっ、お力をお貸しください!」


 切羽詰まった声からは、膝矢がなければ土下座しかねない必死さが伝わってくる。

 あの人は先ほどまで厄介事の種だったが、所詮は種だった。

 しかし、もはや芽吹いて正真正銘の厄介事として実を結んだ。魔女っ子の護衛を自称するそこそこ美人なお姉さんでなければ、気絶させてから付近の小島に置き去りにするか、あの誘拐犯らしい賊に差し出してみるのもありだと思えただろう。


「任せろー!」


 リーゼが間髪入れずに即答している。


「魔女の敵はぶっ殺して船ごと沈めてやるっ!」


 幼狐が私怨混じりの義憤を滾らせて燃え上がっている。比喩ではなく、既に〈従炎之理メト・ミィレ〉を行使して火炎を小さな身体に纏いながら愛槍を掲げている。

 リーゼの殺る気が満々すぎて頭が痛い。

 いやマジでさ、せっかく最近は大人しかったのに、一気に復讐心が再燃してる感じで最悪なんだけど……どうしてくれんだよこれ……。


「お姉様、どうします? 魔女らしいお嬢様は気になりますけど、あの近付いてくるのが物騒な連中だったらヤバイですよね。というかその人血塗れだし絶対ヤバイ連中ですよね」

「……向こうがその気なら、やるしかないでしょうね」


 クレアは不安げにリーゼをチラ見しつつ、嘆息交じりに頷いている。

 その判断は正しく、もはや状況的に否応はなさそうだ。逃げることも不可能ではないだろうが、既にドラゼン号の姿形は遠目にも覚えられただろうし、今後付け狙われる危険性が生じてしまっている。であれば、敵を視認できている今のうちに対処しておくのが賢明な気がする。

 とはいえ、だからこそ困る。

 賊が襲ってくるなら撃退するのは当然で、だからリーゼのやる気というか言動もある意味正しい。しかし、あの子に人を殺させないためには、今のうちに気絶でもさせて船内に連行するしかないだろう。

 ただし、俺はリーゼの味方として上手く手綱を握るのが役目なので、不意打ちはクレアやセイディに実行してもらうしかない。だが〈従炎之理メト・ミィレ〉を行使されては身体に触れるのは難しいため、まずは俺が上手いこと言って魔法を解除させるべきか。

 と、そこまで考えたとき。


「矢が来ます!」


 ノーラの近くで身構えていたイヴが抜剣しながら不意に叫んだ。

 敵船との距離はまだ二メト以上はあると思うが、先ほど飛び立った三人の翼人は既に双方の中間地点あたりのところまで先行してきている。そのうちの一人が飛びながら弓を射ってきたのだろう。俺も視力はいい方のはずだが、イヴみたいに断言できるほど動きまではっきりと視認できない。

 というか、この距離から矢が届くか? いや、翼人の飛行速度も加算されるから、闘気を駆使した強弓とかなら案外届くのか? でも海風だってあるし、不安定な姿勢からの弓射だし、そうそう当たるとは思えないが……。


「ふむ、矢文だの。迎撃するでないぞ。そこらに刺さる」


 ゼフィラが緊張感もなく言いながら、船尾の方を指差す。

 その次の瞬間、小気味良い音を立てて船尾甲板に矢が突き刺さった。クレアの背丈くらいありそうな大きい矢だ。あの手のものは大型の魔物相手に使うもんだろうに……。

 いやそれより、的の大きい船体とはいえ、この船だって現在進行形で移動している。あの距離から飛行しながら、扱いが難しいだろう大弓で偏差狙撃って、ヤバない? 相手の練度が窺い知れて不安が倍増しちゃう……などと思わせることで、こちらを威圧する意図もあるのだろう。

 矢はユーハが引き抜いて、矢柄に巻物みたく巻かれていた紙を広げ、読み上げた。


「『先刻、貴船が保護した翼人の女を渡して頂きたい。承諾して頂ける場合は白旗を振り、当方の接近をお待ち頂きたい。さすれば貴船に対し、一切の危害を加えないことを約束する。しかし、もし当方の要求を拒まれた場合、その選択を後悔して頂くことになる。貴船の賢明な判断を期待する』」


 完全に脅迫です。

 本当にありがとうございました。

 俺は臨戦態勢をとるべく、ベルに下ろしてもらい、念のため腰元の装備を改めて確認した。魔剣の柄と蓄魔石は船上だろうと常に携帯しているため、不意の戦闘になっても即座に対応できる。


「問答無用じゃないんだねぇ。誘拐犯だか海賊だかにしては礼儀正しいねぇ」

「なら、その人……渡しちゃう?」


 トレイシーが普段通り気の抜けた声でのんびりと言うと、セイディが悩ましげな顔でノーラを改めて見つめる。


「渡すわけないだろー! やられる前にやるんだっ、先手必勝だ!」

「ピュェェェッ、ピュェピュェェェェェェェン!」

「ま、そうね。その人を差し出して本当に見逃してくれる保証なんてないわけだし。事ここに至っても尚、戦いを避けようとすれば後手に回らざるを得ないでしょうから、戦う前提で動いた方がいいわね」


 リーゼはともかく、ミリアの言い分は至極もっともだ。

 『女渡さねえなら容赦しないよ?』などと物騒なことを一方的に通告してくるような相手の善意に期待するのは危険が危ない。そんな連中に何の抵抗もせず言いなりになるのは馬鹿のすることだ。

 もちろん俺等は抵抗するで?

 魔法こぶしで!


「あらローズちゃん、顔の前で拳を握り締めてどうしたの? 勇ましくて可愛いけれど」

「そんなの決まってるだろベルー! ローズも先手必勝する気満々なんだーっ!」


 い、いかん、つい抵抗のポーズを取ってしまった……あっ、やめなさいリーゼ真似しないの! そんなことしてるとろくな二十一歳にならないからっ!

 クレアとセイディから疑わしげな眼差しを向けられてもいるし、誤解だがこの流れは不味い。とりあえず誤魔化すついでに冷静になろう。


「で、でも万が一、先方が官憲の類いだったらどうします?」

 

 誰に向けるでもなく尋ねてみた。

 抵抗するにしても状況そのものが不確かなので、迂闊な行動は更なる危険を招きかねない。だからこそ、みんな頭を悩ませている。単純に相手は悪者で倒せば終わりという状況であれば、未だしも簡単に済ませられる話だった。


「それはあり得ません! そもそも令嬢を攫った時点で連中の非は明らかですっ!」

「それは貴女の言い分が真実であればの話です」


 ノーラの言葉には一理あったが、クレアの指摘通りだ。この魔女の護衛を自称する人が本当は犯罪者か何かで、官憲の類いから逃げるために俺たちを騙している可能性は捨てきれない。


「自分が信用できないと仰るのであれば、自分を拘束してください。自分が虚言を弄して貴女方を陥れたと判断されたときには、この身をお好きなようにして頂いて構いません」


 エッッッッッッッッ!?

 お前それマジで言ってんの? 魔女の専属美女騎士って設定の姉ちゃんにくっころプレイを強要できちゃうって……しゅ、しゅごい……夢が広がりんぐ!

 ……というのは冗談としても、そこまで言われると本気度が感じられて、ノーラの主張を一蹴はできないな。


「ノーラさん」


 ふとミリアが凛とした声で呼び掛け、紫色の綺麗な瞳で膝矢姉ちゃんを真っ直ぐに見つめた。


「事情がどうあれ、貴女のせいで無関係のアタシたちが危機に瀕しているのは事実。その上でこちらに助力を求めるのなら、貴女も相応の覚悟を示すべきよね?」

「……自分に、何をしろと?」


 不安げな緊張感を滲ませるノーラに対し、ミリアは海原の方に視線を転じ、引き続き情を排した理知的な物言いで告げる。


「今からやってくる翼人たちが攻撃を仕掛けてこなければ、とりあえず貴女を引き渡す。それで相手の様子を窺って、貴女の話が本当かどうかを見極める。本当だと判断できれば、貴女もお嬢様も助ける」

「…………」

「貴女にとっては賭けでしょうけど、それは貴女が負うべき危険よ。アタシたちがその気なら、わざわざこんなこと言わず、問答無用で気絶でもさせて、貴女とお嬢様のことなんて度外視して自分たちの安全だけを考えて動くわ」


 この元お姫様は相変わらず気後れもなく堂々としてるな。

 普通、膝に矢が刺さった血塗れの女性を前にすれば、少なからず同情心が沸いて、面と向かって突き放すようなことは言いづらいものだ。


「……分かりました」


 ノーラは逡巡するように目を伏せた後、静かに頷いた。


「ですが、先ほど仰っていたように、戦う前提の心構えでお願いします」


 ミリアは「ええ、もちろん」と応じてから、微苦笑した顔をクレアに向ける。


「という感じで、良かったかしら?」

「……そうね。何よりも優先すべきは私たち自身の安全よ。それが確保できそうな状況で、本当に魔女の令嬢が攫われたと判断できれば、可能な限り助ける方向でいきましょうか」

「嘘じゃなかったら絶対助けるんだ! 魔女は助け合わなくちゃいけないんだ!」


 クレアとしては自分たちの安全だけを考えたいところだろうが、言葉に嘘はないはずだ。リーゼの手前、哀れな魔女っ子を見捨てるようなことは言えないし、したくもないと思っていることだろう。

 魔女は助け合う。

 それは《黎明の調べ》の理念というより、俺たちにとっては婆さんの教えで、それがあったから俺は今ここにいる。

 五年前、クロクスでリーゼを助けた後、クレアは俺とユーハをわざわざリュースの館に連れて行く必要はなかった。今にして思えば、俺とユーハが《黄昏の調べ》のスパイである可能性は捨てきれなかったはずだ。それでもクレアは、俺が困った状況にある魔幼女だと信じて、相互扶助の考えのもと行動した。

 だから俺も、自分たちの身の安全が確保できている限り、魔女っ子は助けてあげたいと思う。


「んじゃ、とりあえず威嚇は必要よね。女ばっかで舐められてもアレだし」


 もう俺の目にもハッキリと視認できる距離にまで翼人たちが迫る中、セイディは〈水縛壊ルグラ・クア〉を短縮した詠唱で行使した。うねうねと揺らめく水の触腕を自身の周囲に待機させると、ミリアにも同様の臨戦態勢を指示している。

 クレアはゼフィラに魚人の有無を確認し、少し遅れて来ていると告げられて、魚人護衛のキロスたちに警戒するよう伝えている。交渉役となるクレアの両隣には特級魔法を待機させた魔女二人が立ち、その後ろにユーハとイヴが控え、更にその後ろに残りの人員が立ち並ぶ態勢となった。

 相変わらずリーゼは〈従炎之理メト・ミィレ〉を行使した状態で、両脇をアシュリンとトレイシーに守られている。俺はベルの後ろに半ば隠れて無害そうな幼女のふりをすることにした。誰からも何も言われてないけど、たぶん俺はいざというときの伏兵だ。だから依然としてこの場にいることを許されているのだろう。

 尚、ライムはツィーリエに呼ばれて見張り台に上がり、ソーニャと一緒に白旗を振っている。最近はすっかり忘れていたが、あの魔熟女が同船しているのは船乗り姉妹の護衛としてなんだよな。

 三人の翼人があと三百リーギスほどの距離まで来ても、ゼフィラには緊張感の欠片もない。少し離れたところで悠々と椅子に腰掛けたまま、酒瓶片手に傍観の姿勢を見せている。

 かと思いきや、ふと口を開いた。


「後で文句を言われても面倒なのでな、一応忠告しておくが」


 その言葉に、ユーハとイヴとトレイシー以外が思わずといった動きで、ローブ姿の美少女を振り返った。

 敵がすぐそこまで来てんのに、みんなの意識を逸らすような真似させんなよ。


「あの灰褐色の翼人、なかなかの魔法力の持ち主だの。そこの小娘が来る前、微かに〈霊衝爆波ルゥソ・ロクェース〉らしき魔力波動を感じたことからして、警戒すべきであろうな」


 説明しよう!

 〈霊衝爆波ルゥソ・ロクェース〉とは無属性戦級魔法である!

 その効果を一言で纏めればっ、〈霊衝圧ルゥソ・クイン〉の低威力広範囲版だ!

 効果範囲は行使者を中心とした全周! それは半径にして最低でも百リーギスはくだらない! 魔法力によって個人差はあるがっ、婆さんの全力なら優に五百リーギスを越えるぞ!

 しかしっ、〈霊衝圧ルゥソ・クイン〉のように身体面への効果は一切なくっ、魔力不全効果も長続きしない! 行使者から遠ければ遠いほど威力は低くなりっ、持続時間は彼我の魔法力差によって数秒から数時間と様々だ!

 拳で抵抗しようとする脳筋たち相手には全く意味のない魔法だがっ、魔法で抵抗しようとするインテリたちには効果抜群だぞ! 脳筋たちが魔法士集団を襲撃する際に援護魔法として用いればっ、その恩恵は計り知れない! しかも魔動感持ちには大ダメージを与えられるおまけ付き!

 ヤバいねローズちゃん!


「…………え?」


 誰かの唖然とした声が波間に聞こえた。

 誰かっていうか、俺だけど。

 

 

【火属性覇級魔法〈紅蓮驟雨イン・ゾリク〉】

 賊軍然り、民草然り、我が覇道に立ち塞がる者悉くへ襲来す。

 其は天来の如く、然れど慈雨にあらず、災禍にして矢雨より尚激しく降り注ぐものなり。

 野這う猛獣焼き尽くし、宙舞う飛禽射堕して、安住せし民とて猛火に呑み、以て惨憺たる燎原と化さん。

 我が威は赤熱せし鏃宛らの煌めきに満ち、驟雨宛らの烈しさ秘め、遍く総てへ顕示せん。

 情けは不要、容赦は罪科、衆敵目掛けて降り乱れ、見境亡く焼殺せよ――〈紅蓮驟雨イン・ゾリク

 

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