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幼女転生  作者: デブリ
八章・渡航編
188/203

第百二十四話 『三人目と零人目』★

 

 正直、予感はしていた。

 奴らは前回、俺が楽しい夢を見たいと思ったときに現れた。だからここ数日みたいに素晴らしい就寝環境でいい夢が見られそうだと思うと、そこはかとない不安を漠然と感じていたのだ。しかし、ローレル入りしてからの俺はそれに気付かない振りをして、自分を誤魔化して上手く寝入ることができていた。

 だというのに……。


「神はお望みです」


 驚きはなかった。

 ただ、うんざりした。


「……せめて寝てる人の顔に水を掛けるのはやめてもらえませんかね?」


 寝間着のシャツで顔を拭い、愚痴を零しつつ上体を起こして周囲を見回す。

 今回も屋内で、見覚えのある内装の広々とした部屋だった。毛足の長い絨毯に、L字型の立派なコーナーソファ、大きな棚には様々な本が収められている。他にもダーツやボードゲームが目に付き、照明は当然のように魔石灯だ。

 どう見ても俺たちが泊まっている高級ホテルの部屋だった。カーテンが閉まっているので何階なのかは不明だが、同じ建物内の別室なのは確かなはずだ。


「無理です。水を掛けるのが貴様を起こす唯一の手段なのです」

「どうせ私のこと嫌いな神とやらにそうしろとか言われてるんですよね? 嫌がらせなんですよね?」

「……………………」


 だんまりかよ。沈黙は肯定と受け取るぞ。

 まあ、とはいえこれは俺の失態でもあるか。転移させられただろうに気付かず爆睡してたわけだからね。でも警戒しようにも、寝てるときまで気を張っていたくないんだよなぁ……。

 何だかまともに相手するのも面倒だったので、俺は再びソファに身体を横たえた。左腕で頭を支えた涅槃仏姿勢で、白装束の奴を見遣る。


「で、貴女は新人ですか? ツヴァイはどうしたんです?」

「あの者は偉大なる神の使徒にあるまじき軟弱な振る舞いをしたため、降格処分となりました」


 あらら……あいつまだ一回しか登場してなかったのに、もうクビになったのか。こいつらの宗教団体は結構厳しいね。

 でも、だからこそ儲かってはいるのだろう。こんな高級ホテルの部屋をとれるくらいだ。宗教は儲かるっていう話、本当なんだろうな。教祖は信者共に金を貢がせて左団扇な生活を送っていそうだ。


「今後はわたくしが第一の使徒として貴様に神のご意向を伝えます」


 心なしか誇らしげに胸を張って堂々と宣言する声は凛とした女性のそれだ。ローブの上からでもなかなかの巨乳なのが分かる。相変わらずのフードとフェイスベールで顔立ちはよく分からないが、ぱっちり二重のくっきりとした目元は若々しく、左の泣きぼくろが印象的だ。背丈はクレアと同程度で、たぶん外見年齢は十代後半から二十代前半ほどだろう。


「まあ、私にとって貴女は第三なんですけどね」

「……………………」


 白装束は一瞬前までぴんと伸びていた背筋が少し曲がるほど肩を落とし、ぱっちり二重のお目々を悲しげに伏せている。

 ツヴァイもだったけど、序列を気にする系の信者なのかね?


「いえ、そんなことより、今日の用件はな――」

「待ちなさい」


 こちらの声を遮る力強さで言いながら、黄月さながらの綺麗な瞳で真っ直ぐに見つめてきた。何だかやけに切実な眼差しで、言い知れぬ迫力を感じる。


「本題に入る前に、貴様はまずわたくしにすべきことがあるはずです」

「え? 私が貴女に? 何を?」


 俺の方にすべきことなんてねえよ。

 用があるのはそっちだろうが。


「ですから、その……わたくしには何か、ないのですか?」

「何かって何ですか、具体的に」

「貴様は前任者をツヴァイ、前々任者をアインと名付けておきながら、わたくしには何もないと?」

「あー、まあ、ないことはないですけど……」


 俺がすべきことってそれかよ。

 というか、わざわざ訊くくらいなら名乗れよ。偽名でもいいから自分から名乗れよ。名前の交換はコミュニケーションの基本だぞ……と思わなくもないが、狂信者共と友好を深めるつもりはないし、まあいいだろう。


「じゃ、ドライで」


 例の如くドイツ語で三を意味する単語を呼び名にした。

 すると、白装束のお姉さんことドライは「よしっ」と小さく呟きながら、可愛らしく控えめなガッツポーズをしている。

 ……な、なんか喜んでらっしゃる。俺に渾名を付けてもらうことが信者の間で流行ってんのか? 信奉してる神が俺のこと嫌ってるなら、信者共も俺のこと嫌ってるはずだろうに……相変わらず訳分からん連中すぎて、そこはかとない恐怖を覚える。

 こちらの訝しげな視線に気付いたのか、ドライは我に返ったように息を呑むと、わざとらしく咳払いをして姿勢を正した。ソファ前のローテーブルの向こうで真っ直ぐに佇立した状態で、凛と引き締まった眼差しで見つめてくる。


「それでは本題に入ります。心して聞きなさい」


 聞きたくねえなぁ。

 どうせまた変なこと要求してくるに決まってるもん。


「我が神は貴様がこの世界の実情を学ぶことをお望みです」

「……実情を学ぶ?」


 なんかツヴァイも似たようなこと言ってたな。

 こいつら謎の信者共は、《黄昏の調べ》が如何にクソったれな組織なのか俺に実感させることで、奴らが蔓延る元凶となっている世界の歪みとやらを、俺にどうにかさせようとしている。狂信者風に言えば、邪神をぶっ殺して世界を救わせようとしている。

 ……胡散臭いことこの上ないな。


「それはアレですか? また私の行動を誘導して、みんなを危険に晒すことで私に危機感抱かせて、自発的に世界救わせようとかいう頭イッちゃってる系のゲスい作戦なんですか?」


 だとしたら、相手が美人そうなお姉さんでも、ローズちゃん容赦しないよ?


「全ての意味において、違います。貴様は警戒しているようなので断言しておきますが、もはや昨年のような真似はしません。今後は貴様が大切に想っている者たちの安全を考慮した上で動いていくという方針を我が神は定められました」

「……本当にみんなが危ない目に遭うようなことにはならないんですね? 神に誓って?」

「なりません。神に誓って」


 堂々と言い切った様子に虚言の気配は感じられない。

 信者が神に誓った以上、信用してもいいように思うが……しかし、方針を定めた神とやらがドライたちに黙って何かする可能性は否めない。信者は何も知らないだけで、実は裏があったりするかもしれない。

 ……やはり危険だな。


「というか、貴女の言葉が本当だとしても、私には何の得もありませんよね?」


 今回は前回と異なり、特に困った状況ではない。

 だからドライの要求をわざわざ聞き入れてやる道理はないわけだ……という常識的思考に俺は一縷の望みを見出して、拒否る姿勢を見せてみた。


「今ここでわたくしの話を一蹴した場合、貴様は貴様が大切に想っている者たち全員を守り切れないでしょう。無論、それはそれでわたくし共としては構いません。今回のことが貴様にとって良い教訓となり、次回からはわたくし共の言葉にも耳を貸すようになるでしょうから」


 ドライは全く動じた素振りもなく、台本でも読み上げるかのような調子で、すらすらと不吉な反論を繰り出してきた。その言葉は実に巧妙で、そんなこと言われちゃ今後はもう少なくとも一蹴はできなくなる。

 まあ……ね?

 こいつらも馬鹿ではないだろうし、俺が拒否るという分かりきった反応を考慮せず、接触してくるわけないよね。間違いなく俺が話を聞かざるを得ない、従わざるを得ない何かを用意してくるよね。

 知ってた。

 知ってたけど、実際に試してみるまでは分かんないじゃん?


「……あのですね、そうやって脅して言うこと聞かせるみたいな態度、どうかと思いますよ。そっちだって私にやる気出して事に臨んでほしいですよね? 特に何かを学ぶなら、本人のやる気ってのが重要だと思うんですよ」


 念のため、まだ渋っておいた。

 毎回こうやって脅迫紛いの真似をすれば何でも言うことを聞かせられるチョロい幼女……みたいな風に侮られてしまえば、相手も調子に乗るかもしれない。そう簡単にはいかないという姿勢を見せ付けておく必要がある。


「だからこそ、貴様には英気を養ってもらうべく、この宿に泊まってもらいました」

「――あっ、ドタキャンしたのお前等か!」


 どこもかしこも宿が空いていない状況で、運良くこの高級ホテルに空きができるとか、偶然にしてはラッキーすぎるなと思ったが、こいつらの差し金なら何も不思議なことはない。


「恩を仇で返すというのであれば、今後はもう貴様に施しを与えることはないでしょう」


 悪徳セールス並に押し売りしてきた親切を勝手に恩とか言いやがって……お前それ詐欺集団の手法だからね? そんなもん前世ならクーリングオフ一択だぞ、分かってんの?

 とは思うが、これ以上の抵抗はリスクが高いだろう。今回みたいな親切なら、まあ悪くはないので、今後のことを考えればこのくらいで納得しておくのが良さそうだ。


「じゃあ、まあ……とりあえず話くらいは聞きますよ」

「賢明な判断です」


 高級ホテルの綺麗な内装にそぐわぬ簡素な白装束の姉ちゃんは満足げに頷いた。気の強さが窺える凛とした声音で、しかし口調は事務的に「では本題に戻ります」と続ける。


「貴様にはある者の逃走を手助けしてもらいます」

「それが、その、社会勉強になると?」

「そうです。その者はこの世界の歪みによって、生命を脅かされています。貴様はこの街に潜伏中の対象に接触し、その事情を聞き、迫り来る脅威を排除してください。その過程で、貴様はこの世界の歪みを垣間見ることができるでしょう」


 べつに俺は垣間見たくないんだけどな……。

 というか、生命を脅かされているだの、迫り来る脅威だの、それって誰かに命を狙われてるってことだろ? なんか凄くデンジャラスなスメルがするぞ。そもそも、どうしてそれでみんなが危険に陥ることになるのか分からない。関わらなければ安全なはずだろ。


「……その対象とやらの逃走を手伝って、迫り来る脅威とやらを排除しなかったら、みんなに危害が加わるんですか? 本当に? 嘘吐いてないですよね?」

「わたくし共は虚言を弄するような真似はしません。現状のまま対象を放置すれば、貴様が大切に想っている者たちにも危害が及ぶ可能性は高いと言わざるを得ないでしょう」

「もっと具体的に、どこがどう繋がってみんなが危なくなるのかとか、そういうの教えてくださいよ」


 どうにも話があやふやで、嘘か本当か判断が付かない。

 もしここで煙に巻こうとしたり、いい加減な論理でゴリ押しするようなら、信じない方がいいだろう。

 そんな俺の思惑を知ってか知らずか、ドライは動じた様子もなく流暢に語り始めた。


「状況の概要としてはこうです。対象はこの世界にとって不都合な情報を所持しており、それが世に広まるのを良しとしない勢力が存在する。故に、彼らは対象を抹殺すべく動いていますが、同時に拡散した情報の抹消も行っています」

「……要するに、不都合な情報とやらを知っている人はみんな抹殺対象になるってこと?」

「そうです」


 何それ怖い。

 政府の極秘情報を知ってしまった民間人は全員始末されるスパイ映画みたいな展開だな。いや、というよりも、これはパンデミックの予防に近いのか?

 不都合な情報という病原菌の拡散を防ぐために、感染者を抹殺する。死人に口なしというわけだ。本当に病気なら治せば解決だが、情報ともなると殺す以外に確実な防疫措置はない。人の口に戸は立てられないからな。

 そして感染者は一人残らず殺さなければ意味がないとなれば……。


「最悪の場合、現在この街にいる人々全てが鏖殺される事態に発展します。おそらくは覇級以上の大魔法の連発によって、街ごと消されるでしょう」

「……………………」

「理解したのなら、そちらを着用してください。万が一の事態に備え、姿を見られるのは避けるべきです」


 ドライは俺との間に横たわるローテーブルの上を視線で指し示した。そこには先ほどから敢えて無視し続けてきた真っ白い布地が折り畳まれて置かれている。

 この部屋には現在二人しかおらず、うち一人は既に怪しさ満点の白装束を着用している。それと同型と思しき衣類がもう一着存在している状況下において、誰が着ることになるのかなど見た瞬間に察しは付いていた。

 だから意識から締め出してたのに……。


「それを……私が着るんですか?」

「件の対象と接触したことを敵勢力に感知されれば、貴様も抹殺対象に加わることとなります。敵がいつどこから監視し、襲撃を掛けてくるのか不明な状況下で、確実に全ての敵を始末できる自信があるのであれば、そのままでも結構です」


 そのままってお前、今着ている服はシャツとパンツだけだ。シャツは大きめなので丈の短いワンピースに見えなくもないが、こんな格好で外を出歩きたくはない。


「あの、もし私の顔を覚えた敵とやらを取り逃がして、私がみんなと接触すれば、みんなも抹殺対象になるんですよね……?」

「無論です」


 情け容赦なく頷いてくれやがったドライを前に、俺はどうすべきか悩んだ。いい加減、だらけた姿勢でいられるほど暢気な状況でもないので、きちんと座り直す。


「……………………」


 今回の一件には関わるべきではない。それは自明の理だ。闇が深すぎて詳細な話すら聞きたくないレベルでヤバい。普通に生きていきたかったら絶対に関わっちゃいけない裏世界の出来事のはずだ。

 とはいえ、ここで無視を決め込んで、もし本当に街ごと皆殺しになるような事態になって、みんなのうち誰か一人でも死ぬようなことになれば、俺は間違いなく後悔するだろう。

 そこまで考えたところで、ふと疑問を覚えた。


「……そういえば、昼に野外劇場で事件ありましたよね? 知ってますか?」

「もちろん知っています」

「まさかそれが何か関係あったりします?」


 と尋ねはしたものの、少なくとも全くの無関係だとは到底思えない。何かしら繋がっているはずだ。もし完全に別個の事件だとしたら、この国というかこの街は物騒な事件起きすぎてて怖すぎる。


「今回の件とは直接的には関係ありません」

「間接的には関係あるってことですか? というか、アレが誰の仕業で、どうして起こったのか知ってるんですか?」

「貴様は既に察しが付いているようですが、この国には旧王国の残党が今尚存在し、秘密裏に抵抗運動を続けています。昼の事件は彼らの仕業と見せかけた、敵勢力の工作です」


 やっぱレジスタンスはいるのか。

 まあ、どこの国にも大なり小なり反政府組織はいるよね。他国の工作員とか紛れ込んでたりして、有事の際には利用されたりするのだろう。そういう組織とは関わり合いになりたくないな。


「見せかけた工作ってことは、その抵抗運動をしている連中と今回の敵勢力とやらは別物なんですね?」

「別です。しかし、先ほど言った最悪の場合になった際、街を壊滅させた犯人は件の抵抗組織として世に知られることとなるでしょう。その結果、内乱となってこの国は戦火に見舞われるかもしれません」


 おぅふ……聞かなきゃ良かったそんな話……。

 もし俺が今回の件に無視を決め込んだせいで、この街が壊滅して内乱にでもなったら、数千や数万どころか数十万、あるいはそれ以上の人が死ぬことになるだろう。戦火の煽りを受けて全く無関係の人々も生活は貧しくならざるを得ないだろうし、凄まじい被害が出そうだ。

 そう考えても、俺はみんなの安全を優先したいと思う。

 その決意は今でも変わらないが、だからこそ万が一にもみんなが巻き込まれるような事態は避けたい。明日すぐに出発するのはほぼ不可能だし、ドライの話が本当だとすれば今すぐにも大虐殺が起きても不思議はない。

 仕方がないか……と、そう諦め半分の覚悟を固めかけたところで、悪魔的な発想が脳裏を過ぎった。


「……あの、渦中の抹殺対象となっている厄介者を私が代わりに殺してしまっても、それでみんなの安全問題は解決するんですよね?」

「その可能性は否定しません」


 まさにドライなまでに淡々と応じる様子からは驚愕や軽蔑といった念は感じられず、冷静そのものだ。俺が殺人という手段で問題を解決しようとすることは想定の範囲内なのだろう。

 だからこそ、それが実行不可能な状況を用意されていることに気付くべきだった。


「ただし、対象は一節以内に出産すると思われる善良な妊婦です」

「え……?」

「貴様が何の罪もない女性とその身に宿る無垢な命すら容赦なく殺害できる最低最悪のクズにして人の道を外れた極悪人となり一生その罪を背負いながら生きていく覚悟があるならば殺害という方法で今回の一件を解決することも不可能ではないでしょう」


 あらかじめ用意していたかのような台詞を一息に言い切られた。

 それで俺はもう他に選択肢が残されていないことを悟った。


「これまでの説明で、この世界の実情を学ぶという目的の半分は既に達成されています。わたくし共としても、貴様が対象と接触し事情を聞いた後で殺害という方法を選択するのであれば、それはそれで貴重な経験として意義ある学習となるでしょうから問題はありません」


 とか言いながら、俺を見る眼差しがどことなく不安そうなのは気のせいだろうか。気のせいでないとすれば、ドライも人並みに善良な心を持ち合わせていることになる。

 しかし、俺が妊婦を殺すかもしれないと疑われるのは心外だった。


「……やっぱ殺害はなしで、普通にいきます。無事に妊婦さん逃がしてあげます」


 妊婦でなければ、あるいは成人以下の子供でなければ、殺していたかもしれない。今の俺はそれくらいの覚悟でみんなを守ると決意できている。

 でも……さすがに子供はね?

 暗殺が生業の極悪非道なクソガキとかなら未だしも、何の罪もない無垢な命を奪うだなんて、いくら何でもそれはできないよ。みんなだって、そんな非道を為す俺なんか見放すだろう。

 どんな事情があろうと、人には越えちゃいけない一線ってのがある。それを忘れて自分の正義に酔い痴れれば、やがては善悪の区別すら付かない怪物となってしまうだろう。


「では、そちらを着用してください」

「……………………」


 ただでさえリスクを冒して事に当たろうというのに、その上更に狂信者共と同じ格好をするというのは凄まじい抵抗感を覚える。こいつらのことだ、あわよくば俺を信者化してやろうって魂胆かもしれない。

 まだだ……やはりまだ抵抗すべきだ。


「……そもそもの話、私が嫌だと言って関わらなかったら、ドライたちがどうにかするんですよね?」

「しません」

「とか言いながら、それは私に社会勉強とやらをさせるための建前で、本当はどうにかするんですよね? 世界を救おうっていう正義の味方が何の罪もない女性とその身に宿る無垢な命すら容赦なく見殺しにできる最低最悪のクズにして人の道を外れた極悪人なわけないですよね?」


 特大ブーメランでも喰らいやがれ!

 と思って言い放ったローズちゃん渾身の一撃に対して、ドライは全く動じた素振りもなく、国会議員並の図太さで冷静に応じた。


「見捨てます。この街が滅びることになろうとも阻止しません。それで貴様が自らの選択を悔い、この世界の歪みを正す使命に目覚めるのであれば、大事の前の小事として、わたくし共は必要な犠牲と割り切ります」


 もうやだこの狂信者共……。

 優しいアインさんなら、あるいは軟弱なツヴァイなら、俺の口撃も通用したかもしれない。しかし、さすがに三人目ともなると隙がない。


「もたもたしていると、対象が始末されかねません。早く着替えてください」

「……あい」


 もはや頷くより他になかった。みんなの安全は何より大事だし、ついでに善良らしい妊婦さんも助けられるなら、やるしかない。

 俺は渋々ながら白装束を手に取って、シャツの上からそのまま着ようとした。が、ローブの下に隠れて、テーブルにはまだ他にも衣類が置かれていた。


「なしてパンツまでありますのん?」

「いずれも魔導布です。〈幻彩之理メト・シィル〉による隠密行動も必要となってくるでしょうから、下着も着替えてください」


 そう言いながら、ドライは〈幻彩之理メト・シィル〉を無詠唱で行使した。白装束まで綺麗に透明化して、一見しただけでは全く見えない。いや、床を見れば影はできてるけど、夜闇の中ではかなりのステルス効果が発揮されるだろう。


「じゃあ少しあっち向いててください」


 すぐに魔法を解いて現れたドライに言いつつ、俺はまずシャツを脱いだ。いくら同性とはいえ、会ったばかりの奴に全裸を見られたくはないからな。

 魔導布は〈幻彩之理メト・シィル〉を行使した状態で触れると勝手に透明化しちゃうから、行使しながらの着替えはさすがに難しい。両手ならいけるだろうけど、片手ではね。


「手伝いが必要であれば言ってください」

「いりません」


 変なところで気遣いやがって……。

 俺はそそくさと着替えを済ませ、念のためきちんと服ごと透明化するのか確かめてから、「もういいですよ」と告げた。ドライはこちらが何も言わずとも、テーブルに残されていたフェイスベールを手に取って俺の背後に回り込み、装着してくる。後頭部で紐で結ぶタイプだから、片手ではできないんだよね。

 最後にローブのフードを被せてくると、ドライは再び俺の正面に立って、上から下までじっくりと見つめてきた。


「よく似合っています」

「これほど嬉しくない褒め言葉も珍しいですよ……」

「こちらへ」


 案内されたのは部屋の隅に置かれた姿見の前だった。

 この世界で一般に流通している鏡は反射率が低く、前世ほど綺麗に映らない。きちんと反射率の高い良品も存在はするが、高価なので庶民の家庭にはないらしい。無論、館にあったのもドラゼン号にあるのも、綺麗に映る高級品だ。

 ここは高級ホテルなので、据え置かれた大きな鏡は当然のように鮮明な像を映しやがり、自分の白装束姿がこれでもかと確認できてしまう。背格好からしてアインさんを思い出させる姿だ。

 あの美少女エルフとはもう会えないのかなぁ……。


「お揃いですね」

「――嬉しそうに言うなぁ!」


 ドライが横に並んで満足げに頷いたかと思えば、喜色を滲ませた声で突然ほざきやがるもんだから、すぐに飛び退いた。

 こ、こいつ……マジでヤバいぞ……冗談抜きで本当に俺を教化してきそうだ。気付いた頃には洗脳されてましたとか、そういう搦め手も十分にあり得る。宗教の恐ろしさを舐めちゃいけない。


「それでは移動しますが、準備はよろしいですか?」


 ドライはどことなく名残惜しそうな様子を覗かせた後、キリッと引き締まった声を向けてきた。


「いいですけど、移動って場所はどこです?」

「とある宿の一室です。移動後は現地で待機している者と協力して事に当たってください」

「ん? ドライは一緒に行かないんですか?」

「行きません」


 きっぱりと断言され、少し不安になりかけた。

 厄介妊婦さんに関する一件はまだ色々と不明点も多そうなので、こんな狂信者でもいないと困る。まあ、現地で別の誰かが待機しているようだし、そいつに期待するしかないか。

 いや期待はしない方がいいか……などと思っていると、ドライはその名の通りな口振りで続けた。


「これより先は貴様の自主性に任せます。故に、今回の件がどう転ぶかは貴様次第です。貴様の判断や行動によって、問題の妊婦の生死、そしてこの街の運命が決まるでしょう。その方が貴様により多くのことを深く学んでもらえるはずだと確信しています」

「……え? つまりどういうことだってばよ?」


 急に突き放すようなことを言われたせいで、脳が理解を拒んだ。


「言葉通りの意味です」

「……………………」


 お前それだと俺の責任が重大すぎることにならない?

 いやそれより、みんなの安全を考慮した上で動いていくとかいう方針はどうなったんだよ。


「もし私が下手こいて本当に街ごと大虐殺とかになったら、みんなの安全はどうなるんですか。さっきはみんなの安全を考慮するって言ってじゃないですか」

「故にこそ、わたくしは同行できません。貴様が大切に想っている者たちを影ながら護衛せねばならないので」

「い、いやでも……」


 こいつらの論理は破綻していないのかもしれない。

 しかし、これまでの話を聞いた限りだと、妊婦さんどころか今この街にいる全ての人の命運が俺の肩に乗っかるってことになってしまう。そんなの正気の沙汰じゃ――あ、なるへそ分かった。


「要するに、私が上手く事を運べば良し。仮に失敗したとしても、自分のせいで大虐殺が起きたという罪悪感を私に植え付けることで『あの犠牲を無駄にしないためにも世界を救わなければならない』的な悪徳説法で私を教化しようって腹なんですね、分かります」

「……………………」

「おいお前なに黙ってんだよ、図星かよおい」


 だんまりが許されるのは小学生までとクズニートだけだぞ。


「……………………」


 え? いや何か言えよ、マジで図星なの?

 妊婦ごと街一つを犠牲にしてでも俺を洗脳する気なの?


「い、言っとくけどな、そう思い通りにはいかせねえぞ」

「貴様が何を勘違いしているのか、わたくしには分かりかねます」


 これまでは真っ直ぐに合わせてきていた目を逸らされながら言われても、説得力は皆無である。


「もし私が下手こいて大虐殺が起きても、私は責任感じたりなんてしませんよ?」

「わたくし共は貴様を信じています」


 今度は目を合わせてきやがった。

 本当に信用されているのかもしれないが、全く嬉しくない。打算塗れの話で俺を利用してやろうって連中なんぞ、大金積まれても関わり合いになりたくない。

 やはり連中の言うとおりに動くのは不味いな。

 危うく口車に乗せられるところだった。

 今からでもみんなを叩き起こして、無理矢理にでも出港した方がいい。最寄りの別の港町までなら、僅かな食料でも何とかなるはずだ。普段から聡明でいい子ちゃんな俺が必死に訴え掛ければ、きっとみんな分かってくれるさ。魚人護衛のキロスたちだって、福利厚生のしっかりとした超ホワイトな職場環境を提供している俺たちみたいな雇用主が頼み込めば、急な出港にも応じてくれるだろう。


「私を信じてるなら、もしものとき私が何て言うか分かりますよね?」

「……………………」

「『お、俺が悪いってのか……? 俺は……俺は悪くねえぞ。だってドライが言ったんだ……そうだ、ドライがやれって! こんなことになるなんて知らなかった! 誰も教えてくんなかっただろっ! 俺は悪くねぇっ! 俺は悪くねぇっ!』」

「いえ、既にきちんと教えましたが……」

「『なんだよ! 俺はローレルを助けようとしたんだぞ! お、おまえらだって何もできなかったじゃないか! 俺ばっか責めるな!』」

「……………………」


 今更そんな困惑したような様子見せたって、もう遅いんだかんな。

 しかも俺はRPGの主人公みたいに、喚き散らした後で改心なんてしてやらないぞ?

 だって今回の件、そもそもドライたちが仕組んだことかもしれないしな。この街を滅ぼすのがドライたちの自作自演でない証拠など何もないのだ。そうでなくとも、わざわざ俺に何とかさせようとせず、ドライたち自身が何とかしようとしていれば、全て丸く収まったはずと考えることもできる。

 言い訳できる余地を残している時点で、こいつら詰めが甘いよ。


「部屋に戻ります。ここにいると――」

「馬鹿な発言に苛々させられるのはこっちの方だ」


 突然、背後からどっかで聞いたような声が聞こえてきた。しかも俺が言おうとしていた台詞を引き継ぐような発言内容だったこともあり、二重の意味で驚いた。


「――っ!?」


 すぐに振り返ろうとしたが、できない。おそらく両手で挟み込むようにして、頭をがっちりと固定されてしまっている。あまりに唐突すぎる不意打ちに虚を突かれ、俺は一瞬判断が遅れた。


「いいから妊婦に話だけでも聞いてこい。でなければ早晩お前は死ぬことになる」

「な、何者だこの野――」


 〈霊斥ルゥ・ルペリ〉の魔力を練りつつ左腕を無茶苦茶に振り回した、その瞬間。落下感めいたあの独特の感覚に見舞われ、まばたきする間もなく前方にいたドライがいなくなった。それどころか、視界に映る光景全てが変化した。高級ホテルの清潔感ある綺麗な内装から一転、木造建築丸出しの簡素な一室は、直前までの豪華さもあって酷く見窄らしく見える。

 転移って、自分の意によらず突然起きると、理解が追い付かず頭が混乱するね。


「――っ、この!」


 頭を挟み込んでいた手が離れたことで我に返り、すぐに振り返りつつ左手で裏拳を繰り出す。が、当然のように俺の拳は空を切った。あるはずの人影は既になく、代わりに淡い白銀の燐光が中空を舞っていた。それが転移直後の残滓であることはアインさんのときに見知っているし、既に〈瞬転リィロ〉習得済みの身には考えるまでもなく明らかだ。

 というか、魔力波動もなく一瞬で消えやがった。明らかに魔法を使った奴から何も感じなかったことは白竜島以来で二回目だ。それにあの声、銀仮面女の声とそっくりだった。いや、そのものだろう。

 まさか聖天騎士団にまで狂信者共の魔の手が……。


「ふむ、ようやくか。待たせおって」


 今度は聞き慣れた声が耳朶を打ち、右手の方に目を向ける。

 見慣れた銀髪美少女が脚を組んで座っていた。小振りな丸テーブルの上には酒瓶とランタン型の魔石灯が置かれている。


「状況は粗方聞いておるな? では行くぞ」


 ゼフィラは手にしていた瀟洒なグラスを大きく傾けて中身を空にし、立ち上がった。その出で立ちはローブ姿だが、俺と違ってフェイスベールはなく色合いも灰色だ。彼女が以前から使っている自前のローブだった。室内には他にベッドと収納箱が二つずつあるだけで、おそらくここは安宿だろう。


「な、なんでゼフィラさんが……まさか協力者って……?」

「此度の件、お主の学習が目的であれば、他に適任がおらぬのでな。暇潰しにもなる故、特別に妾が力を貸してやろう」

「いや、貸してやろうって、あの狂信者共に協力してるんですか!?」


 去年、あの温泉でゼフィラとアインさんは初対面な感じで相対していた。それどころかアインさんはゼフィラを警戒していたし、敵対している様子ですらあった。

 しかし、あの後からこれまでの間のどこかで和解し、ゼフィラがカルト宗教に入信したとなると……奴らは既に俺の日常の深いところまで侵食していることになる。


「利害の一致から手を組むことになったのでな。しかし……フフッ、狂信者ときたか。これはまた言い得て妙な呼び方をする」

「利害の一致ってどういうことですか、もっと詳しく」

「奴らとの関係を詳らかにするつもりはない。長く生きておれば奇縁もあるというだけのこと。それで納得しておくが良い」

「いやいや、できないですよ」


 さすがに三千年も生きてるとボケも回るだろうし、悪徳宗教に引っ掛からないとも限らない。お婆ちゃんを狙い撃ちにして籠絡するとは酷い連中だ。

 ……というのは冗談としても、不味い状況なのは確かだ。

 ゼフィラが入信したという話より、利害の一致から協力しているという話は彼女の性格的にも納得できてしまう。だからこそ質が悪い。正直この鬼ババアはいまいち信用に欠けるので、いざというときは俺たちを見捨てるような真似をするかもしれないからな。


「そう案ずるでない」


 俺の心理を巧みに察したのか、ゼフィラはこちらに歩み寄ってきた。そして肩に右手を置いてくると、紅月さながらの瞳で真正面から見つめてくる。


「同じ船に乗る者たちを危機に陥れるような真似はせぬ。でなければ、妾は今この場におらぬし、こうしてわざわざお主に言い聞かせるような手間も掛けぬ」

「……分かりました、信じます」


 俺自身はまだ疑念を捨てきれていない。しかし、イヴの信じたジークは信じられる。あの人はルティを庇って死んだという話で、そのルティをゼフィラも少なからず可愛がっている。ゼフィラ本人は否定するだろうが、明らかにルティにだけ甘いところあるしな。

 それにまあ、ゼフィラだって一応仲間だ。

 俺は仲間を信じるぜ!


「というわけで、あの白装束たちについて知っていることを教えてください。信じ合う仲間は隠し事なんてしないものですからねっ!」

「お主が妾を信じておらぬことはよく分かった」


 笑顔でサムズアップしてウインクまでしてやったのに、ゼフィラの反応は冷め切っていた。

 まあ、さすがに詭弁が通じるほど単純な人ではないよね……。

 ゼフィラは俺の肩から手を放すと、くるりと踵を返して椅子に座り直した。


「であれば、お主一人で事に臨むが良い」


 あ、ヤベ……機嫌損ねちゃったかな?

 もはや事ここに至った以上、厄介妊婦さんには会うだけ会って、話だけでも聞くつもりなのでゼフィラには一緒に来てほしい。何だかんだ言ってもさ、ゼフィえもんが側にいてくれると頼もしいからね。いざというときは四次元なポケット並に便利そうな知恵袋の恩恵にあずかりたいし。


「あ、あはは、冗談ですって。そんな拗ねないでくださいよ大人げない」

「拗ねてなどおらぬ」

「それじゃあ、あの……せめて白装束たちが信用できるのかどうかだけでも教えてくれません? ゼフィラさんが信じられると言うなら、私もゼフィラさんを通して間接的に、一時的には連中を信じることにするので」


 ゼフィラは少女らしからぬ手慣れた仕草でグラスを手にし、軽くこちらに向けてきた。俺はそそくさと丁稚のように駆け寄って、片手で酒瓶を持ち、酌をする。


「少なくとも、妾にとってもお主にとっても敵ではないの。それに渦中の妊婦と関わることで今の世の実情、その一端を知れるという点にも偽りはない。無論、事と次第によってはこの街が滅びる事態とて十分に起こり得る」


 街が滅びるって話、ガチのマジなのかよ。

 この美少女、これで嘘吐いたことは今のところないと思うし、ゼフィラが言うなら本当なのだろう。どうにも半信半疑だったけど、急に現実味を帯びてきたせいか緊張してきた。


「それで、どうするのだ? 妾の手を借りるのか、借りないのか」

「貸してくださいお願いします」


 間髪入れずに頭を下げた。

 ゼフィラは不機嫌そうな様子もなく酒を飲み干すと、グラスを置きつつ腰を上げた。そしてローブのフードを被り、一人そそくさと歩き出す。


「良かろう。では今度こそ行くぞ」

「はい……」


 俺は念のため魔石灯を持ち、ゼフィラの背を追って部屋を出た。

 全く気乗りはしないが、とりあえず問題の妊婦に話だけでも聞く他あるまい。嘘か本当か、聞かないと俺は早晩死ぬことになるらしいし、念のため聞くだけは聞いておきたい。

 それ以上妊婦さんに関わるかどうかは、話の内容次第で決めればいいだろう。




 ♀   ♀   ♀




 ゼフィラによると、ここはローレルにある有り触れた安宿の二階らしい。

 現在は真夜中なので、薄暗い廊下に人気はなく静かなものだ。が、お祭り期間中の街は普段ほど寝静まることがない。この宿は回の字のような構造になっていて、中央部は屋根がなく中庭になっている。二階の廊下は手摺壁となっているため、遠く喧噪が響いてきて、街全体に漂う浮ついた空気がここでも微かに感じられる。

 できればその雰囲気に身を任せたいところだが、状況が状況なせいでどうしても緊張せざるを得ず、肩肘を張ってしまう。


「ここだの。対応はお主に任せる。上手くやってみせよ」


 ゼフィラは先ほど出た部屋の二つ隣にあたる扉の前で立ち止まった。


「上手くって、そんな適当な……。相手には私たちが来ることとか全く伝わってないんですよね?」

「そのようだの。だが、小賢しいお主のことだ。こうしたことは臨機応変にこなせるであろう。これまでに得た情報をもとに虚言でも弄して相手に取り入り、事の詳細を聞き出して逃走を手助けすれば良いだけのことだ」

「無茶振りすぐる……」


 お前それ普通の九歳児にはまず不可能な芸当だからね?

 三十六歳児でもかなりの無理難題だぞ。

 俺のコミュ力もここ数年で成長したとはいえ、全く自信はない。


「必要に応じて妾も口を挟んでやる。ほれ、案ずるより産むが易しとな」

「あっ、ちょっ、待ってまだ色々考えてないのにっ」


 ゼフィラは俺の制止など意にも介さず、ノックとは言い難い乱雑さでドンドンと扉を叩く。寝ていたとしても起きざるを得ない騒音だろう。

 十回ほど続けざまに叩いたところで、扉が空いた。内開きに十レンテほどの隙間ができ、そこから顔の半分ほどが覗き見えた。しかしそれは女性ではなく、白髪をオールバックにしたような温厚そうな爺さんだ。


「どちら様ですかな?」

「……………………」


 部屋を間違えたか、もしくは爺さん顔の妊婦なのか。

 予想外の事態に頭が混乱しかけたところで、はたと気付いた。身重の女性が何者かに命を狙われて潜伏中という状況にあって、誰の手も借りていないとは考えがたい。この爺さんは妊婦さんの旦那か父親か、はたまた祖父か何かだろう。


「お嬢さん方、何かご用ですかな?」


 硬直する俺と無言のゼフィラを前に、爺さんは訝しげな様子を見せた。ただし不機嫌そうな感じではなく、あくまでも口調は穏やかだ。叩き起こされたことに対する憤りも表出していない。

 とはいえ、こんな真夜中に白装束と灰色ローブの二人組が現れれば、いくら相手が子供でも怪しすぎて警戒はするだろう。ましてや妊婦さんは命狙われてるらしいし、子供の暗殺者かと疑われていたとしても不思議ではあるまい。


「夜分遅くに申し訳ありません」


 何はともあれ非礼を詫びてから、密かに深呼吸をして緊張を抑え込む。そしてアドリブ全開とは到底思えないだろう堂々たる態度を心掛け、まずは自己紹介と洒落込む。


「私は…………聖なる神の使い。この度は天啓を授かり参上した次第です」


 懊悩の果てに捻り出した台詞がそれだった。我ながら酷すぎて思わず頭を抱えたくなる。急な事態でなければ、もっとまともなこと言えたのに……。

 これじゃ悪徳宗教のセールスも同然で、ドライたちの一味のようだ。


「……天啓、ですか」

「こちらに妊婦が宿泊しているはずです。迫る脅威からその者を守り、救うようにと、偉大なる主は私に仰いました。聖なる御力により祝福された身として、私は使命を全うします」

「……………………」


 爺さんは呆気にとられたように無言で見つめてくる。

 分かる……その気持ち分かるよ、同情さえするよ。

 でもすまんね、聖神アーレの使いって設定以外、すぐには何も思い浮かばなかったんだ。だっていきなりこんな白装束が訪ねてきて救いの手を差し伸べるとか、怪しいを通り越して怖いでしょ? 一種のホラーだよ。

 しかし、聖神アーレなら、まだ何とか受け入れてくれる余地があるはずだ。命狙われてて困った状況にあるなら、藁にも縋る思いで信じようと思ってくれるかもしれない。前世より遥かに神の存在が信じられているこの世界において、困った時の神頼みはそれほど珍しいことではなく、むしろ人々にとって当然の習性のはずだ。


「……なるほど、そうでしたか」


 爺さんはドアの隙間を微塵も広げることなく、尚も穏やかな様子で小さく頷いた。


「それはわざわざご足労頂き、ありがとうございます。ですが、どうやら部屋を間違えておられるようですな。たしか妊婦の方は、貴女様から見て右隣の部屋に泊まられていたように思います」


 え? それは……マジで?

 やんわりと追い払うための嘘じゃなくて、本当に部屋を間違えちゃってるの? え、どっちなの判断つかない、助けてゼフィえもん!

 と思って隣をちらりと見てみたが、美少女は無表情に突っ立ってるだけだ。


「では、わたくしはこれで」


 爺さんは言い終わると同時に音もなく扉を閉めた――と思ったら、すぐに開いた。今度は十レンテくらいの隙間ではなく、ほぼ全開にまで。


「なかなかに嘘の達者な小僧だの」


 ゼフィラが押し開けていた。

 俺はその突然すぎる強行だけでなく、爺さんが短剣を握っていることにも驚いた。しかも刃はゼフィラの首元に向けられていて、しかし少女の指先が刃先を摘まむようにして止めている。素人には咄嗟に認識することさえ不可能な一瞬の攻防だったのだろう。俺が気付いた瞬間にはそうなっていた。


「皆動いてはなりませぬぞ!」


 先ほどまでの穏やかな口振りから一転、爺さんの声は緊張感に満ち満ちていた。室内には他に三人の姿が確認でき、うち二人は十歳以下の獣人の幼女、残り一人は十代半ばから後半ほどの人間の少女だ。少女のお腹は大きかった。


「ふむ、彼我の力量差は理解できるようだの。こちらが殺す気であれば、お主が扉を開けた瞬間に殺しておる。それを念頭に置いた上で、そこの小童の話を聞くが良い」


 ゼフィラはちらりと俺を振り向き、爺さんもこちらに視線を寄越した。

 急すぎる展開には追い付くのがやっとで、アドリブなんてかます余裕はない。だが、なくてもやらねばならない。


「……騒ぎになるのは避けるべきでしょう。無礼とは思いますが、お邪魔させて頂きます」


 俺はぺこりと一礼して、ゼフィラの横を通って入室した。

 幼女二人と少女から訝しげな眼差しを感じる。三人とも身を強張らせており、室内の空気は張り詰めている。特に幼女ペアのうち一人は身構えた格好や敵意剥き出しの表情から緊迫感が痛いほど伝わってきて、ふとした拍子に飛び掛かってきそうな勢いだ。


「そう警戒する必要はありません。私は貴女がたを救いに来たのです」

「それはどういうことですかな?」


 爺さんは言いながら、三人を背に庇うような位置に立った。既に扉は閉まっており、ゼフィラは俺の隣で悠然と佇立している。素人目には隙だらけにしか見えない。


「言葉通りの意味です。先ほども申し上げた通り、主が私にそうお命じになったのです。しかし、私も事の詳細までは存じません。救うと一口に申しましても、どういった経緯で誰に命を狙われているのかといった事情が定かでなければ、救いようがありません。お手数とは思いますが、どなたか状況をご説明して頂けませんか」

「……………………」


 イヤよ、イヤよ、イヤよ、見つめちゃイヤ~。

 などと内心歌っていないと心が折れそうなほど、無言の眼差しが痛い。四人とも不審感丸出しの目で見つめてくるんだもん。これなら何者だと騒がれた方が、まだやりやすかったかもしれない。


「お話をするのもやぶさかではありませんが、その前に自己紹介をすべきでしょうな」

 

 しばし続いた沈黙を最初に破ったのは爺さんだった。手にしていた短剣を腰の裏に収めて、落ち着いた様子でそう言ってきた。

 すると、敵意を剥き出しにして警戒していた獣人幼女が驚いたように爺さんを見上げる。


「よ、よろしいのですか?」

「少なくとも敵ではなさそうですし、わたくしではそちらのお嬢さんには到底敵いそうにありません。あちらが穏便な対話を望まれるのであれば、それに越したことはないでしょう。先ほどそちらの方が仰ったように、騒ぎになるのは避けるべきです」


 どうやら爺さんは冷静らしい。

 総白髪や顔の皺具合、老成した物腰などを見るに、五十から六十歳くらいだろう。背丈は百八十レンテ以上はあり、背筋もしっかりと伸び、口調もはっきりしているため、老人という印象は薄い。先ほどゼフィラを問答無用で攻撃した動きからも、老衰とは程遠そうだ。この分なら判断能力も問題ないはずなので、認知症の心配をすることなく話ができるだろう。


「まずはわたくしから。デュークと申します。先日までは家令として、エミルク王国ダイシー領の領主であられるオリヴェル・マティアーシュ子爵にお仕えしておりました。現在はこちらのユスティーナお嬢様にご奉仕させて頂いております。六十二歳の老骨ですが、よろしくお願いいたします」


 あ、これはどうもご丁寧に……と思わず頭を下げたくなるほど、綺麗な所作で一礼された。元執事というのも納得の礼儀正しさだ。身形は有り触れた平服だが、好々爺というよりは老紳士という表現の似合う爺さんだな。割とイケメンなのもポイント高い。


「そちらもお願いできますかな?」 


 デュークがゼフィラに目を向けると、当の美少女はどこか面倒臭そうな口振りで応じた。


「妾は……ふむ、とりあえずリナリアとでも名乗っておこうかの」

「失礼ですが、お幾つですかな? その身のこなし、見た目通りのお歳とは到底思えませんが」

「さての。そちらが年齢素性を明かしたからといって、こちらにまで求めるのは身勝手であろう。妾はそやつの付き添い故、気にするでない。話なら向こうとするが良い」


 まるで他人事のようにそう言って、ゼフィラは先ほどの部屋にもあったような椅子に腰掛け、丸テーブルに両肘を突いて手を組んだ。どうにも静観する構えに見える。

 いざというとき助け船を出してくれるのか、不安だ。


「では、お嬢さん……で、よろしかったですかな?」

「私の前に、次はそちらの女性に名乗って頂けませんか。交互にいきましょう」


 俺としては爺さんなんて割とどうでも良く、妊婦さんこそが目的の人物なのだ。どうやら妊婦さんは子爵家の娘っぽいが、念のため本人の口から自己紹介してもらいたい。


「あ、あなたっ、無礼なのですよ! こちらの御方は――」

「いいのよ、ニコル。ありがとう」


 食って掛かってきそうだった獣人幼女を宥めて、少女妊婦は腰掛けていたベッドの縁から立ち上がり、デュークの隣に並んだ。


「私はユスティーナ・マティアーシュと申します。先ほどデュークが申したように、ダイシー子爵マティアーシュ家の長女です。一応、今は私が子爵ということになるのでしょうか」

「お幾つですか?」

「さっきは歳を尋ねたデューク様にそちらの方が身勝手だと言ってやがったのにそっちは尋ねるとか無礼千万なのです!」


 幼女は少女の隣から一歩踏み出して睨んできた。

 そんなに怒らなくてもいいじゃない……とは思うが、正論すぎて反論できん。ゼフィラのせいで妊婦の情報が得られなくなっている。責任取って手助けしろよゼフィえもん。


「ニコル、止めなさい。主人の会話に侍女が口を挟む方が無礼です。貴女の醜態はお嬢様の恥じになるのですよ」

「侍女が申し訳ありません。私は十七歳です」

「う、うぅ……ごめんなさい、なのです……」


 少女ことユスティーナは軽く頭を下げつつ、穏やかな声で告げてきた。その隣では爺さんに怒られた獣人幼女が深く腰を折っている。

 幼女メイドとか、萌えるな。今は有り触れた子供服姿で、メイド服姿ではないのが惜しい。


「……………………」


 しかし、ふむ……こうして落ち着いて改めて見ると、ユスティーナは結構な美少女だな。セミロングほどの頭髪は俺と同じような赤毛で、癖もなく綺麗だ。サラのように鮮やかな緑色の瞳も、お嬢様らしい繊細な顔立ちによく似合っている。かといって華奢というわけでもなく、身長体格は同じ十七歳のメルと同程度だろうか。大きなお腹のせいでスタイルの良し悪しは判然としないが、胸はメルより大きそうだ。母乳のせいかな?

 というか、十七歳って前世ならJKだろ。こんな美少女を孕ませやがったうらやまけしからん野郎はどこのどいつだ。


「あの、そちらもお願いできますか?」


 ぼーっとユスティーナを観察していたら、当の本人から先を促された。

 俺はなるべく堂々とした態度を見せるために、急がず慌てず、ゆっくりと口を開――きかけたところで、偽名とか何も考えていなかったことに今更ながら気が付いた。


「私は…………レ……シャ……せ、聖なる神の使い」

「レ? シャ? 申し訳ありません、もう一度お願いしてもよろしいですかな?」


 これまでに名乗ってきた偽名のレオンやシャロンは念のため使用を控えた方がいいだろうし、本名など以ての外だ。となると、もう他に名前はない。咄嗟に適当な偽名も思い浮かばない。

 こ、困ったときはドイツ語だ!


「…………ヌル、私のことはヌルとでもお呼びください」

「ヌルさん、ですか。変わったお名前ですね」


 爺さんは少々怪訝そうに見つめてきた。

 この分だと偽名だってバレてるだろうが、そんなことよりヌルという偽名そのものが痛恨のミスだ。この世界に来てからドイツ語なんて数字くらいしか思い出してなかったせいか、咄嗟にゼロを意味する偽名にしてしまった。これでは本当にドライたちの仲間のようだ。

 ま、まさかあいつら、ここまで全て計算して……やはりこれは俺を教化するための罠なのか……?


「お幾つか窺っても?」

「三十六歳です」


 動揺しかけていたところに尋ねられたせいで、思わず素で答えてしまった。


「からかっているのですか!? 嘘を吐くにしてももう少しまともな嘘を吐きやがれなのです!」


 ニコルちゃんのツッコミはもっともだ。

 しかし、九歳と素直に答えれば、きっと侮られて信用されないだろう。無論、俺の背丈で本当に三十六歳だと思われるはずもないだろうが、少なくとも年齢不詳にはなれる。

 幽霊の正体見たり枯れ尾花というし、子供だと軽んじられるよりかは多少不審に思われる方がまだマシだ。それに一応は正直に答えているため、俺は心底から堂々と振る舞える。

 という言い訳をこねくり回すことで、俺は咄嗟のミスを誤魔化した。


「随分と、その……お若く見えますね」

「見た目で判断され、侮られることが多いので、顔を隠している次第です。無礼だとは思いますが、三十六歳児の浅知恵ということで、ご寛恕ください」


 戸惑う美少女妊婦に一礼すると、またもや幼女が「本当に無礼だと思うなら顔を見せやがれなのですっ!」などと興奮し始めたが、爺さんに軽く拳骨を見舞われて大人しくなった。


「それで、ヌル様はわたくし共を救って頂けるとのことですが、それはいったいどういうことなのですかな?」

「先ほども申し上げたとおり、聖なる神が私に救えとだけ命じられたのです。ですから、まずはそちらの事情をお聞かせください。いえ、その前に、残るお二人をご紹介して頂けませんか」


 念のため、可愛い獣人幼女ペアのことも知っておきたい。状況的に友達にはなれなさそうなのが残念だが……。


「あたしはニコル! こっちはニコラ! 歳は間違いなくテメェと大差ない八歳なのです! とりあえずよろしくしてやるのです!」


 主人らしい美少女の一歩前に立ち、両手を腰に当てて堂々と名乗られた。

 ニコルはリーゼみたいな元気さに、中途半端な礼儀正しさと小生意気さを混ぜ込んだような、利発そうな幼女だ。くっきりとした顔立ちからは我の強さが窺え、ちょっと太めで短めの眉が神経の図太さを思わせるが、同時にチャーミングポイントにもなっている。ピンと屹立した獣耳も相まって、可愛さはかなりのものだ。


「こら、ニコル、失礼ですよ。ヌルさん、ごめんなさい」

「こんな真夜中に突然訪ねてきた上に三十六歳児とかほざきやがるような顔も見せない巫山戯た不審者に礼を尽くしてやる必要などないのです! こんなのに礼儀正しくしてやるとユスティ様の格が落ち――りゅぅ!?」


 威勢の良いニコルちゃんはまたもや上司から体罰を喰らっていた。幼女を叩くなんて酷いとは思うが、たぶん俺たちへの見せしめという意味合いもあるのだろうし、余所の教育方針に口出しはしないさ。


「あ、姉が、申し訳ありません……」

「いえ、ニコルさんの仰るとおりですので、お気になさらず」


 妹らしいニコラちゃんが初めて口を開き、ペコリと頭を下げてきた。

 無駄にはきはきとした強気そうな姉とは対照的に、妹の方はおどおどとした感じの気弱そうな子に見える。顔立ちは瓜二つな姉妹なので、たぶん双子なのだろうが、受ける印象は真逆だ。

 二人は背格好も同じような感じだが、姉ニコルはセミロングの黒髪をポニーテールにし、妹ニコラはツーサイドアップテールにしている。

 

「ニコル、貴女は後ろで控えていなさい」

「……はいなのです」


 爺さんに言われ、幼女は身を翻してとぼとぼと美少女の斜め後ろに移動した。そのとき見えた尻尾は柴犬のようにくるりとカールしており、実にキュートだった。他にも、犬っぽい獣耳は内側だけ、尻尾は裏側だけ毛が白くなっているので、まんま黒柴っぽい幼女たちだ。


「では自己紹介も済みましたので、事情を聞かせて頂けますか?」


 俺は敢えて淡々と発言することで、厚顔無恥を装った。

 だって自己紹介とか言いつつ、俺とゼフィラは偽名を名乗っただけで、何者なのかはろくに教えていないしな。ニコラの言うとおり、顔も見せない巫山戯た不審者のままだ。

 ただ、ユスティーナたちも素性を偽っていないとは言い切れないので、お相子の可能性はなきにしもあらずだ……と考えることもできるが、おそらく彼女らは虚言など弄していない。でなければ、もっと非友好的な態度で応じ、追い出そうとしてくるはずだ。しかし実際はさほど迷惑がる様子を見せず(ニコル以外)、好感を持てるくらい丁寧に対応してきた。

 本当に命を狙われていて、切羽詰まった状況にあるからこそ、相手が不審者でも頼りたいのだろう。ゼフィラのおかげで爺さんに実力は示せたし、少なくとも敵ではないことも伝わったはずだ。


「お話すれば、本当に我々に力を貸してくださるのですか? そちらのリナリア様にも?」


 やはりデュークは俺たちに対する不信感を許容してでも、ゼフィラの力を借りたいと思っているのだろう。それほどに妊婦ご一行の現状は芳しくないようだ。


「もちろんです。ただし、嘘を吐かれては十分に助力できず、救いきれないかもしれません。既にご存じの通り、彼女は嘘を見抜けるため、どうか正直にお話ください」

「お嬢様、よろしいですかな?」

「あなたに任せるわ、デューク」


 執事のことは信頼しているようで、ユスティーナお嬢様は間髪入れずに頷いている。しかし、それを受けて爺さんの方は逡巡するような素振りで俺とゼフィラをちらりと見遣り、しばし沈黙する。

 本当に俺たちに頼っていいのか、改めてリスクとリターンを勘案しているのだろう。ちなみに俺が爺さんなら、俺みたいな不審者には頼らない。よほど切羽詰まっていない限りは。


「――どうやら時間切れのようだの」


 ふとゼフィラが立ち上がり、面倒臭げな溜息と共にそう呟いた。


「これはお待たせしてしまい、申し訳ありません。わたくし共としましては、貴女がたにお力を貸して頂きたく――」

「痺れを切らしたわけではない。お主らを狙う連中が動き出したようなのでな」

「え……?」


 と思わず零してしまったのは俺だ。デュークたち四人はもっと不可解そうに、あるいは不審そうにゼフィラを見つめている。高性能な鬼型ガールが搭載している相識感的レーダー機能のことは知らないのだろう。そもそも鬼人だと気付いていないのか。

 俺は説明を求めて灰色ローブの美少女に無言の眼差しを送ると、彼女は傲然と腕組みして口を開く。


「状況から察するに、既にそこの四人は連中に感知されておったのだ。しかし、そやつらがどこぞで追っ手から逃れ、この街に潜伏するまでの間の動向は不明であったとすれば、連中が慎重になるのも頷ける。他に仲間がいた場合、この宿に潜伏中のお主らを襲撃しても、仲間は取り逃がすことになる可能性があるからの」

「……まさか、その仲間というのは私たちのことですか?」

「連中はそう認識するだろうの。この夜更けに外套で姿を隠した二人組が、問題の対象に接触したとなれば、端から見たらどう映るかは自明であろう。たとえそれが同じ宿の部屋から出てきた子供であったとしてもの」


 魔動感は先ほどから特に変化ないし、ゼフィラは平然と宣うもんだから危機感を持ちにくいけど、これって不味い状況なんじゃないの? 既に俺も敵にロックオンされちゃってるってことなんでしょ?


「念のため訊いておきますが、ゼフィ――えもんはこの宿に来たときから、見張られてることに気付いてました?」

「妙な呼び方はやめよ。お主ではあるまいし、妾が気付かぬはずなかろう。下らぬことをいちいち聞くでない、戯け」


 た、戯けはそっちだろ!

 お前そういう大事なことは最初にちゃんと言えってんだよ!

 ……い、いや……待て待て落ち着け、冷静になろう。

 顔は隠しているし、今の俺には転移魔法がある。いざというときは一瞬で避難することが可能だ。妊婦と幼女たちを見捨てるのは良心が激しく痛むが、まだ俺は安全だ。


「恨むのであれば、連中が動き出す前にそやつらから事情を聞き出せなかった己が未熟さを恨むが良い」

「いやあの……それ事情を聞く聞かない以前の問題ですよね」


 ゼフィラがこの宿を訪れた段階で敵の存在に気付いていたなら、当然ドライたちもそれを知っていたはずだ。つまり、俺はどうあっても巻き込まれちゃうことが端から確定してたってことになる。

 よくもだましたアアアア! だましてくれたアアアアア!

 と思いかけたけど、ドライたちはべつに嘘を吐いていたわけではないな、うん。あいつの発言を思い返してみても、嘘は言っていない。あいつはただ俺にとって不都合なことを言わなかっただけだ。

 下手な嘘より質が悪いじゃねえか!


「リナリア様のその口振り、わたくし共を狙う輩が何者なのか、ご存じなのですか?」

「少なくともお主らよりはの」

「ほ、本当に敵が来るなら悠長にくっちゃべってないで早く逃げるべきなのです!」


 可愛らしい顔を強張らせ、如何にも切羽詰まった声を上げる幼女。

 ニコルちゃんは本当に正論しか言わないな。


「焦るでない小娘。連中はこちらに抵抗され騒ぎになることを見越して、まずこの部屋以外の者たちを無力化しておる。ここは最後となろう」

「なんでそんなことが分かるのですか!? お前やっぱり敵の一味なのですかっ!?」

「であれば、これほどまどろっこしい真似はせぬ。気配も読めぬ素人は黙っておれ」


 リーダー、それは俺も黙っとれってことですかい?

 いくら〈瞬転リィロ〉で緊急脱出できるとはいっても、詠唱する猶予くらいは欲しいし、逃げるなら早く逃げておくに越したことはない。だから知ってることがあるなら、さっさと教えてほしいんだけど……。


「……無関係の宿の方たちまで、襲うのですか?」


 ニコルは見るからに、俺は密かに浮き足立っている横で、ユスティーナは落ち着いていた。ゼフィラほど泰然とはしていないが、腹の据わった面持ちで、でも重苦しそうな声で問い掛けている。


「お主らと接触を持った疑いがあるのでな。余程の手練れでない限りは無力化して連れ帰り、拷問に掛けて状況の程を確認し、然る後に始末する。それが連中の常套手段だ」

「それで、リナリア様たちはわたくし共にご助力頂けるのですかな?」


 ゼフィラは爺さんへの返事といったように、あからさまにこちらへと紅い瞳を向けてきた。そのせいで他のみんなも一斉に視線を転じ、俺は一瞬で注目されてしまう。

 救うか否かは俺次第みたいな状況というのは事前に承知していたことではあるが、いざ改めて実感させられると、凄まじいプレッシャーで胸が苦しくなる。

 正直逃げたいけど、救うとか言っちゃった手前、ここで手のひらを返すのは躊躇われた。だから明言は避けつつ、今の俺が可及的速やかに知るべき情報を簡潔に求めてみる。


「リナリアさんは彼女らを狙う敵のことを知っているんですよね? なら、どうして狙われているのかも、どういう敵なのかも、だいたいは分かるはずです。とりあえずそれを教えてください」

「ふむ……お主が事情を聞き出してからにするつもりであったが、まあ良かろう」


 拒否られるかもと思ったが、存外にあっさりと頷くゼフィラ。

 彼を知り己を知れば百戦殆からず。敵も分からないうちから戦う判断を下すなど無謀すぎる……という俺の思考を読んで譲歩してくれたのかもしれない。


「そやつらを狙う連中は《夜天やてんくれない》と称する組織だ」


 ……それって紅月のこと?

 邪神の天眼を意味する組織名ってことは、敵は邪教徒?

 いずれにせよ嫌な予感しかしない。


「なぜ、私たちは狙われるのですか? どうしてその者たちはエルヴィンを――屋敷や街の者たちを殺したのですか!?」


 ユスティーナは思わずといった様子でゼフィラに一歩詰め寄りつつ、声を荒げた。

 エルヴィン……というのは旦那さんの名前だろう。

 普通、身籠もった妻の側には夫がいてあげるはずだ。命を狙われている危機的状況なら尚更な。にもかかわらず、今この場にいないということは、既にこの世にいないということだ。


「連中は夜明けをもたらす者を排除するときに動く」

「……夜明け?」


 ゼフィラの落ち着き払った態度か、その言葉が意味するところか、あるいはどちらもが冷水となったのだろう。ユスティーナは冷静さを取り戻したようだが、呟く声からは戸惑いが感じられた。


「夜が明ければ自ずと目覚め、人は夢ではなく現実を見るであろう。故に、夢の秩序を守る番人共は、闇を照らす光は消し去り、目覚めた者は永遠の眠りに就かせ、人々が起き出さぬよう世の静寂を保つ。偽りの夜闇によって、人々に変わらぬ夢を見させ続ける」

「それは……具体的にどういう意味ですかっ?」


 相変わらずの迂遠な物言いは要領を得ないので、俺は語気強く言いながら焦燥感を眼差しにのせて睨んだ。この鬼ババアは不老不死らしいから逼迫した状況でも余裕綽々なんだろうが、本当に敵が動き出して襲撃される直前なら、俺も妊婦も謎かけめいた台詞を解読する余裕はない。

 そんな思いが通じたのか、ゼフィラは微苦笑を浮かべて目を伏せた。それは普段の偉ぶった力強さとは程遠い表情で、どこか自嘲的な苦味が滲んでいる。


「つまり、そやつらは時代を先に進めようとしたのだ」


 ……意味深な様子で言われても、やっぱり意味はよく分からなかった。

 

 

ニコル

挿絵(By みてみん)



ニコラ

挿絵(By みてみん)



双子

挿絵(By みてみん)


企画:Shintek 様


 

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[気になる点] 第百四話で大切なレオナすら切り捨てたローズわなぜ他人の面識がない妊婦のために命の危険を冒すのですか? 黄昏事件前の良心はまだ残っているでしょうか? 断って、みんなを転移魔法で直接にシテ…
[一言] 助けて!ゼフィえも~ん
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