間話 『冴えた間者の育ちかた 七』
少し変わった子供だな。
最初はその程度の認識だった。
「両替お願いします」
「アタシもお願いするわぁ」
賭場が営業を開始して間もなく、自分が担当する卓に女児が現れた。
外見年齢は七歳から九歳ほどで、なぜか服装が男物だった。しかし同行者の一人が化粧をした男だったので、そういう趣味の親子なのだと片付けていた。
「畏まりました。ふふ、これは可愛らしいお客さんね」
賭場には様々な客が訪れるため、多少おかしな者はたまに見掛ける。それでも係員が入場を断らない程度なので、特に記憶に残るほど強烈な変人はいない。実際、男装の女児など、ただ可愛らしいだけだ。
その認識は翌々日に覆った。
「あら、今日も来てくれたのね。昨日は別のテーブルで遊んでいたようだけれど」
「はい。今日はお姉さんに会いに来ました」
綺麗な赤毛が目を引く女児は、客たちからは男児だと思われているのか、品のない声で笑われている。それが少し可哀想だったので、腰を屈めて囁いた。
「おじさんたちの言うことは気にしなくてもいいからね。私は君が女の子だって、ちゃんと分かってるわ」
「私も、ツィーリエさんのことはちゃんと分かっていますよ」
「あら、私のこと? どんなことかしら?」
女児は一見すると無害な子供そのものの微笑みを浮かべた。かと思えば、一瞬だけ身体が前方に引っ張られる感覚に襲われる。
「――っ!?」
間違いなく〈霊引〉だった。もう四十二歳とはいえ、立ち眩みで身体が倒れかけたと勘違いするほど、衰えているつもりはない。
今度は〈霊斥〉まで使われて、身体を前後に揺らされた。
「ね? ちゃんと、分かっています」
「――――」
唖然とするあまり、咄嗟に言葉が出て来なかった。
ケルッコはこの丁半賭博によるイカサマが露見する余地はないと確信しており、だからこそ完璧なイカサマなどと豪語していたが、ネリーアは違う。極々一部の者であれば感付かれることを承知していた。
しかし、それはあまりにも低すぎる可能性だった。
「この賭場の代表者の方はいらっしゃいますか? 是非とも一度、ツィーリエさんも交えて、主に丁半賭博のことについて語り合いたいのですが」
「そ、そうね、私も是非一度、君と話がしてみたいわ」
賭場としても、間者としても、二重の意味で不味いことになった。
何とか冷静を装いながら、女児を賭場の奥へと案内し、すぐにケルッコのいる支配人室に直行する。落ち着くためにも、きちんと扉を小突いて返事を待ってから入室した。
「ケルッコさん、緊急事態です」
「おいおい、どうした藪から棒に?」
重厚な机で書類と睨めっこしていたケルッコは怪訝そうに見つめてくる。
「例のイカサマが発覚しました」
「は? んな訳ないだろ、アレは完璧な――」
「いえ、実は完璧ではないんです」
「……何だと?」
十年以上、完璧だと信じたまま何事もなくやってきたところで、唐突に否定されるなど寝耳に水だろう。呆気にとられた様子のケルッコを前にすると、少なからず罪悪感が湧き上がってくるが、ネリーアは感情に流されず冷静に口を動かす。
「一応は機密なので黙っていましたが、この世には魔力を知覚できる者が極僅かですが存在します。魔動感と呼ばれる第六感で、それを有する者は魔女より希少で、非常に有用性の高い人材とされています。なので通常は国家に保護され、その特性を秘匿された上で運用されます」
魔動感はあまりに有用すぎるが故に、危険すぎる。
そして長所相応の短所もあるが故に、その存在を公にすれば、有用性が下がってしまう。諜報のような裏の仕事向きの才能なので尚更だ。
そもそも知識として一般化しようにも、魔女より希少という点に加え、本人にしか知り得ぬ感覚的な才能でもある。諜報員の中ですら知識としては受け入れつつも、本当に実在するのか半信半疑な者も多いため、眉唾扱いされることもしばしばだ。ネリーアはかつて身を以てその異常性を体感しているため、存在を疑ってなどいない。
「ちょ、ちょっと待て……その魔動感云々はともかく、発覚したってどの程度だ? その客だけか? 大っぴらにイカサマだと指摘されたのか?」
「いえ、こっそりと耳打ちされました。ですから、大々的に公表して大事にする気はないように思えますが、それはこちらの出方次第でしょう。先方がこの賭場の代表を呼んでいますので、一緒に来て頂けますか」
ケルッコは座り心地の良さそうな椅子から腰を上げたが、頭痛を堪えるように片手を頭に当てている。そのままもう一方の手でおもむろに葉巻を咥えたため、ネリーアはすぐに火を点けた。
「それは分かったが……その魔動感ってのは何なんだ? 何でまた機密なんだ? オレはてっきり完璧だと思ってたから安心しきってたんだぞ? そういう不意打ちは勘弁してくれよ……」
「私も聞いた話なので実際的なことは分かりませんが、魔動感は魔力の高まりを察知できるようです。無詠唱化した魔法だろうと、体内で魔力を励起させた時点で気付かれるため、無詠唱魔法の最大の利点である奇襲効果が意味をなくします」
説明していると、嫌でも二十七年前を思い出す。
ここチュアリーに赴任するより以前、《麻薬王》を打倒すべく《麻天律》について調べていた頃に、魔動感のことを知った。彼の組織には《八極星》と呼ばれる八人の優れた魔法士が存在するとされ、グローライサ劇場で見掛けたシェアンなる女性、そしてヒセラとヘルマンを殺した青年がそれに当たると思われる。
彼らは八人のうち四人が魔人族の血を引くらしく、魔法的な戦力に限れば《四統会》随一どころかサイルベア自由国とも渡り合える非常に危険な者たちと情報局は評価していた。魔人族は誰もが魔動感を有するという話で、実際にネリーアは例の青年に断唱波で無力化された。まず間違いなく、《八極星》に関する情報は真実なのだろう。
「要はお前みたいな無詠唱の使い手にとっては天敵みたいな奴ってことか」
「いえ、全ての魔法士にとっての天敵です。ケルッコさんも知っての通り、無詠唱の使い手は断唱波を使えますが、それは相手の詠唱が省略されていない場合に限ります。しかし魔動感を有する者ならば、無詠唱化された魔法を種類まで感知し、断唱波で打ち消します」
毛深い丸顔を強張らせて、ケルッコが半信半疑な様子で見上げてきた。
「それは……お前より強いってこと?」
「はい、まず間違いなく。最低でも私と同程度の実力はあるでしょう。先ほど無詠唱で〈霊引〉と〈霊斥〉を使われました。相手はまだ十にも満たない女児にしか見えませんでしたが、念のため特級魔法までは無詠唱で行使可能な魔女と見ておいた方が良さそうです」
とはいえ、先ほど〈霊引〉と〈霊斥〉を行使したのは女児ではなく別の何者かという可能性もある。貴重な無詠唱の使い手を矢面に立たせるのは危険という判断から、さも子供が行使者だと思わせることで油断あるいは畏怖させて、何らかの交渉を優位に進めようとしているのではないか。
「なんでそんな化物じみたガキが、こんな辺境の賭場に……まさか相手も間者か何かってことじゃないだろうな?」
「分かりません。同行者が成人男性二人だったので、可能性はあるでしょう。最大限に警戒しておくに越したことはありません。それと、こちらは魔動感について知らない振りをした方が良いと思います」
「機密なんだったか? それを知ってたら、お前が間者だと感付かれるかもしれないか」
葉巻を吸ったことで落ち着いたのか、打てば響くような返答だった。これなら大丈夫だろう。
「はい。詠唱省略のできる魔女は貴重ですから、無知を装っても疑われはするでしょう。ですが魔動感のことを知らない振りをすれば、灰色の状態を維持できるはずです」
何はともあれ、二人で支配人室を出て、件の女児が待つ部屋へと向かう。その途中、ケルッコは何度も深呼吸をしており、如何にも緊張した声で弱音を零す。
「クソ、オレは想定外の事態に弱いんだぞ……」
「演技は割と上手ではないですか。申し訳ありませんが、何とか上手く対応してください」
「無茶振りだが、やるしかないか」
ケルッコは鋭く息を吐くと、背筋を伸ばして表情を引き締めた。毛深いことが幸いし、緊張しているような顔には見えない。
そう確認してから、ネリーアは目的の部屋の扉を開けた。
「お待たせしました」
問題の女児はやけに落ち着き払った態で長椅子に腰掛けていた。背もたれにゆったりと上体を預け、寛いでいる。化粧をした巨漢と眼帯の剣士は長椅子の両脇にそれぞれ立っていた。
「はじめまして、お嬢ちゃん。オレはこの賭場の代表をしているケルッコだ」
「はじめまして、ケルッコさん。私のことはレオンとでもお呼びください」
そうして不安すぎる話し合いが始まった。
レオンと名乗った男装の女児は子供とは思えない表情、眼差し、口振りで話しており、その丁寧かつ冷静な様子は外見の幼さに見合わぬ精神年齢の高さを窺わせる。一方のケルッコは異様な女児との突然の状況にもかかわらず、上手く対応できていた。
「それで、お嬢ちゃんはなぜそれを知っているんだ? 誰かから聞いたのか、それともまさか自力で気付いたのか?」
「さて、どうなのでしょうか」
魔動感のことを伏せつつ尋ねるケルッコに対し、レオンは素知らぬ顔を見せている。こちらが気付いていることに気付いているのかもしれない。腹の探り合いはケルッコの得意とするところだが、今回の相手は底が知れなさすぎる。
「…………」
「そう怖い顔で睨まないでください。思わず隠れたくなってしまいます」
おそらくケルッコは睨んでいる訳ではなく、緊張感が増して表情が険しくなっているだけだ。相手はそれを知ってか知らずか、突如として姿を消した。いや、衣服は見えているので、本人の言葉通り隠れたという表現が妥当だろう。
「……あー、ツィーリエ、今のは何級の魔法だ?」
「特級の幻惑魔法ですね。肉体を不可視化することのできる魔法です」
「それを詠唱もなく、か……なるほど、なるほどな」
ケルッコの緊張感がいや増すのが感じられた。
相手が実力を垣間見せたことで、ネリーアとしても身構えざるを得なくなった。少なくとも特級魔法までは無詠唱で瞬時に行使できると明示することで、魔動感による断唱波まで可能だと暗に伝えてきた。
「ケルッコさん、実は私、一昨日ツィーリエさんが壺を振るテーブルで丁半賭博をしたのです。そのとき、幾らか負けてしまいまして」
「お嬢ちゃん、生憎とオレは間怠っこしいのは好きじゃないんでな。ここは単刀直入に言ってくれないか?」
「分かりました。それでは率直に言います。イカサマの件、500万ジェラで手を打ちましょう」
相手の要求が金銭であったことはあまり意外ではなかった。
これまでの遣り取りから、おそらく相手の真の狙いは自らの存在を誇示することだろう。そしてそれは既に達成されている。魔動感でなければ気付けないイカサマをわざわざ指摘してきただけでなく、特級魔法まで無詠唱で行使できることを伝えてきた時点で、ネリーアかムンベール族を威圧していることは明白だった。
「そっちには情報源を明示してもらいたい。誰からイカサマの種を聞いたのか、あるいはどうやって気付いたのか」
中身のない表面的な会話が少し続いた後、いよいよケルッコが切り込んだ。
「……分かりました、いいですよ」
レオンはわざとらしく考え込む素振りを見せてから頷いた。
「それなら、交渉成立だな。じゃあ早速話してもらおうか」
「いいえ、先にお金を持ってきてください。条件を提示したのはそちらなのですから」
「そうだな、分かった」
てっきり部下の一人に持ってこさせるものかと思いきや、なんとケルッコは葉巻を灰皿に押し付けて立ち上がった。緊張感に耐えきれず逃亡する気なのが手に取るように分かった。伊達に十年以上の付き合いではない。
ケルッコは頭脳派を自称するだけあって確かに頭は切れるが、荒事が不得手なせいか肝は太くないのが玉に瑕だ。想定外の事態に弱く、状況に適した言動を即興で披露するのが苦手なのだ。頭でっかちな小心者には荷が重い状況であるとはネリーアも思う。
「今から持ってこよう」
「いえ、貴方はここに残っていてください。お金はそちらの部下の方に取りに行かせてください」
幸か不幸か、逃亡は相手が許さなかった。もはやレオンが見た目通りの子供でないことは確かなので、ケルッコの緊張を見抜いたのだろう。ネリーアは口を挟んで手助けしたかったが、迂闊な行動は相手に余計な情報を与えかねない。ケルッコに頑張ってもらうのが無難だった。
「互いに黙りもなんだし、世間話でもしようか」
それから座り直したケルッコは相手に探りを入れようとしたが、どれも敢え無く失敗し、これといった成果は上がらない。幼い顔に微笑みを湛える女児の姿は悠然と落ち着き、何を考えているのか分からない不気味さがあった。
「そういえば、ツィーリエさんはいつからこの賭場に?」
「ツィーリエはうちで働き出して、もう十五年になるな」
少し調べれば分かる情報なので、ケルッコは何でもないことのように平然と応じている。
「どういう経緯で魔女が賭場の壺振り師に?」
「それは互いのためを思えば、教えられないな」
やはり相手はネリーアの存在を疑っている。詠唱省略が可能な魔女がこんな辺境の賭場にいることを訝しんでいる。自らの戦力、そして疑心を見せ付けることで、何らかの譲歩を引き出そうとでもしているのだろうか。
相手の正体が分からないため、大局的な狙いも読めない。魔動感という諸刃の剣を晒してまで接触してきたことには必ず相応の意味があるはずだ。レオンの瞳は青いので、魔人族の血筋ではなさそうだが、単に血が薄いだけかもしれない。《麻薬王》の手先である《八極星》でない保証はどこにもないのだ。
《麻薬王》には既に見限られたはずだが、世界は常に流動し、情勢は変化し続けている。何らかの理由から、今更になってネリーアを再評価して接触を図ってきているとしても不思議ではない。
「私がイカサマを知り得たのは、自分で気付いたからです」
「どうやって、気付いたんだ?」
「常人には理解し難い方法で、です」
知らぬ存ぜぬで押し通すべく、すっとぼけるケルッコ。対するレオンは決して魔動感と明言はせず、意味深な眼差しで相手を見据えている。
「理解し難くても、その方法を教えてもらいたいんだが」
「私には分かったんです。あぁ、この人〈霊引〉を使ったな……と」
「お嬢ちゃん、この後に及んで悪ふざけはよしてもらえないか」
あまりよくない状況だった。
白を切って相手を問い詰めるケルッコは少々わざとらしい。相手がそれを楽しむ余裕の持ち主であれば良いが、苛立ちを募らせるような者であれば、様子見めいた表面的な会話を切り上げられかねない。そうなれば不味い状況に突入する可能性が高い。
「と言われましても、私はただ正直に話しているだけなので。私は誰がどんな魔法を使ったのか、直感的に判別することができるんです」
「…………」
黙り込むケルッコの後ろ姿を見て、ネリーアは嫌な予感を覚えた。
ゆっくりと息を吐き、葉巻の煙が大きく拡散し、レオンとの間に煙幕ができる。ケルッコは卓上の革袋を手に取り、後頭部を震える手で掻いた。そこでケルッコの緊張が限界にあることを悟り、彼が卓を蹴り上げるという暴挙に及んだ瞬間、ネリーアは覚悟を決めた。
「――っ!?」
想定通り、こちらが〈霊引〉を使ったせいか、相手も〈霊斥〉を使うに留めてくれた。攻撃魔法が使える状況で、敢えて〈霊引〉を行使して見せることで敵意がないことを示しつつ、相手の魔法力を測りたかった。が、全く動かなかったので、やはり魔法力の差は歴然なのだろう。
「ケルッコさん……これは何の真似でしょうか?」
ネリーア自身は問題なかった。今も尚〈霊斥〉で壁に押し付けられているが、これ以上抵抗しなければ害されることはないだろう。
しかし、ケルッコの状況は問題がありすぎた。
眼帯の剣士が殺気も隠さず首元に蒼い刃を突き付けているのだ。レオンはそれを止めるどころか、苛立ちも隠さずケルッコを睨み上げている。魔動感という化物じみた異才を有し、確実に自身を上回る魔法力の持ち主が、今では家族同然の相手に敵意を向けている。
「そっちが約束を違えたからだ」
「私は正直に言いましたよ」
相手が諜報関係者か《八極星》かそれ以外かはともかく、無闇矢鱈と殺しはしないはずだ。強者ほど安易な殺害は避けるもので、あの女児なら弁えているはずだ。そう自分に強く言い聞かせるが、奏功しなかった。
ヘルマンとヒセラを殺されたあのときが脳裏を過ぎった瞬間、全身が震え上がった。また理不尽な強さに屈し、目の前で無残に殺されるのかと思うと、かつてない恐怖心が冷静な思考を彼方に吹き飛ばして、気付いたときには〈超重圧〉の魔力を練っていた。
しかし、当然のように魔力が乱れ、現象しなかった。
「ツィーリエさん、死にたくなければ止めてください。私は言いましたよね、誰がどんな魔法を使ったのか、直感的に判別することができると。実はこれ、正確には誰がどんな魔法を使おうとしているのかも分かりますし、私はそれを無効化することもできます。貴女も無詠唱の使い手なら、断唱波って聞いたことないですか?」
「――――」
「また魔法を使おうとしたら、いま貴女が使おうとした〈超重圧〉で、貴女がた全員を潰します」
怖かった。
あの青年のように落ち着いた素振りで、全員を圧殺すると宣う女児が心底から恐ろしかった。表の世界ではおよそ最強に等しい無詠唱魔法の使い手など、魔動感を有する化物共からすれば、雑魚同然なのだ。
だからこそ、この地に飛ばされることが決まった際、ネリーアは大人しく流されたとも言える。どうせ抗ったところで、《八極星》などという化物集団を制さないことには《麻薬王》に届きはしない。セリオの死を悟って失意のどん底に沈んだなど言い訳で、ただ自らの恐怖心を誤魔化すための方便だ。
到底敵うべくもない連中に挑まねばならない苦行から――心的外傷を掘り返す苦痛から、これ幸いとばかりに逃げ出したに過ぎない。仕方がないと、自己を正当化できるだけの理由を見付けて、諦念塗れの鬱屈とした人生を自ら選んだのだ。ツィーリエという偽名は反面教師として自戒するためでも何でもなく、ただの自罰的な感情の発露だ。なりたくなかった大人の象徴を自ら進んで受け入れることで、罪悪感を和らげようとした。
そして今の今まで、全てを見て見ぬふりをして、平穏な日常を謳歌していた。
「さて、ケルッコさん」
自らの弱さを痛感させられ、恐怖心に抗う気力もなかった。
いっそのこと、ここで殺して欲しかった。
だが下手な行動は自分以外にも被害を及ぼすので、もはや大人しくしているより他にない。
「私が嘘を言っていないと、信じてもらえましたか?」
「……あ、あぁ、信じた、信じたとも」
「そうですか、それは良かった」
その後、緊張の糸が切れたケルッコがその場にへたり込むと、レオンの青い瞳がこちらを向いた。金の詰まった革袋を片手に、ゆっくりと歩み寄ってくる。既に〈霊斥〉は行使されていないが、もう動けなかった。
「ツィーリエさん、私を殺そうとしましたよね?」
「ぁ、いえ、私は――」
上手く言い訳しないと、他の誰かが殺されるかもしれない。
そう焦りかけたが、得体の知れない女児はそっと肩に手を置いてくると、微笑んだ。
「許します」
瞬間、全身が凄まじい衝撃に見舞われた。〈霊衝圧〉だと判じた瞬間には既に意識が遠のいており、身体は全く動かない。
やはりひと思いに殺してはくれないらしく、それどころか許されてしまった。だが、自分は自分を許せそうにない。自己欺瞞は暴かれ、向き合わざるを得なくなってしまったのだ。
夢から醒めたときのような呆然とした心地の中で、意識が途切れた。
■ ■ ■
謎の女児レオンによって、ネリーアの日常は変わった。
安全を考慮して賭場での仕事を辞めざるを得ず、暗殺や破壊工作もしばらく休止し、不用意な外出は控えて様子見となった。本国に連絡してレオンの調査を頼んだので、その結果次第では不味いことになるだろう。
どうやらレオンは賭場から持ち去った金で奴隷の女を一人買ったようだった。奴隷商の話によればレオンと奴隷は古い知り合いで、久々に再会した様子だったという。その翌日には奴隷と共に魔大陸行きの船に乗ってチュアリーを去ったらしいが、船の予約状況からチュアリーで奴隷の女と再会したことは偶然である可能性が高い。無論、そう思わせるための偽装工作かもしれないので、結局のところレオンの目的で確かなことは何も分からない。
「まあ、僕にはよく分からないけどさ、こうしてのんびりするのもたまにはいいんじゃない?」
表の仕事も裏の仕事もなくなり、ムンベール邸で無為な時間を過すことが多くなった。本を読んだり、ディエゴと盤兵戦をしたり、ゆっくりと風呂に入ったり、ジャマルの酒に付き合ったり、穏やかすぎる日々は真綿で首を絞められるようで、日に日に息苦しさが増していく。
「おう、ツィーリエ。お前あれから元気ないな」
三節ほど経った頃、ケルッコに誘われて劇場を訪れた。観るのはもちろん例の忌々しい劇ではなく、古くからある定番の名作だ。史実を元に、戦乱期の獣人族が他種族と戦っていく物語だった。
「不測の事態でしたし、まだ色々と不明な点も多いですからね」
「そんな上辺だけの話はやめろ。お前がオレの性格を熟知しているように、オレもお前のことは分かってるつもりだ」
広々とした個室席からの眺めは良く、舞台全体を広く観ることができる。しかしケルッコはそちらに目もくれず、隣に座ったネリーアをじっと見つめていた。
「あの無茶苦茶なガキのせいで昔のことでも思い出して、うだうだ悩んでんだろ? 最近のお前は時間を持て余してるようだし、余計に考えて深みにでもはまってるんじゃないのか?」
「……どうでしょう。思索に耽る時間が増えたことは確かですが」
「あのな、オレはお前の人生にどうこう口出しする気はなかったから、今まで何も言ってこなかったけどよ……いい加減、これだけは言わせてもらう」
ケルッコは先ほどからろくに吸っていなかった葉巻を灰皿に押し付けると、いつになく真面目な顔で、真剣な声で、真っ直ぐに踏み込んできた。
「過去なんてのはな、所詮もう終わったことなんだ。そいつを吹っ切るのは悪いことでも何でもなくて、むしろいいことなんだよ」
「……………………」
「大事なのは現在と未来だ。変えようのない過去なんて、考えるだけ無駄なんだ。むしろ害悪でしかない。過去に経験したアレやコレやを言い訳にすれば、前に進めない情けない自分を正当化できちまうからな」
そう言ってくれるケルッコの気持ちを有り難いと思う一方で、正論など聞きたくないと思う自分もいた。
「現在を生きるオレたちにとって、悪い過去なんてのは足枷でしかない。なのにお前は自分から枷を嵌めて、過去の奴隷として生きている。少なくともオレにはそう見えるね」
「過去があるから、現在があるんです。過去を蔑ろにはできませんよ」
「そりゃ、『状況が許さない』ってのが大好きな臆病者にはできないだろうさ。未来に向かって進むのが怖いから、進まずに済む仕方のない理由を過去に探さずにはいられないんだ、お前は」
人生に変化はつきものだ。
通常、人は様々な移り変わりの中で生きていく。失ったり、手に入れたりしながら、それが嫌なことでも仕方のないことと受け入れて、折り合いを付けている。
しかし、ネリーアにはなまじ抗えるだけの力があった。非凡な才能があってしまった。だからそれを頼りに、子供のような意地を張った。大事なものを失う代わりに、別の大事なものを手に入れることを受け入れず、変化を否定した。セリオやヘルマンやヒセラを失う代わりに、ディーンと幸福な家庭を築いていくという未来を拒み、過去に固執した。
変化を受け入れ、幸福になるということは、時として非常に恐ろしい難事に思えてしまう。後ろめたさや罪悪感をあっさりと消化して前に進んでしまえば、自分が薄情者になってしまうようで怖かった。だから、状況が許さないことを言い訳に――《麻薬王》の用意した安易な逃げ道に、逃げ込んでしまった。
「昨日よりも、今日と明日に意識を向けろ。変えられないことより、変えられることを考えろ。それができないってんなら、状況が許さないってやつをオレが用意してやってもいい」
「それは……用意とは、具体的にどういう……?」
十年以上前、この薄暗い場所で例の劇を観たときのように、ケルッコはにやりと笑った。
「今年中に過去を吹っ切れ。それができていないとオレが判断したら、お前を孕ませる」
「…………は?」
「女ってのはガキを産めばガキのこと考えるようになるもんだろ。そしてガキってのは未来そのものだ、希望の象徴だ。つまりお前はガキを産めば未来とか明るいことを考えるようになる」
無茶苦茶な理論だ。
しかし、強ち間違っているとも言い難い。
「私は強いですよ。そう簡単に犯されるつもりはありませんが。というか全力で抵抗しますが」
「寝てるときにでも〈霊衝圧〉を喰らわせて、全身を縛り上げれば一丁あがりよ。後はうちの若い連中にヤラせる。安心しろ、お前は熟れた色気むんむんで野郎共には人気だからな。休む間もないぞ」
自らの美貌は客観的事実として承知しているし、この歳になっても未だに男たちから好色な視線を向けられるので、無抵抗な状態にされればケルッコの言うとおりになるだろう。
この地に赴任する以前は、任務のために身体を駆使したことなど一度や二度では済まない。だから安全が保証された状態で、事前に犯されると分かっていれば、絶対に御免被るとまでは思えない。嫌は嫌だが、善意からの行動だと思えば納得できなくはない。
ディーンと結婚していれば、もう今頃は孫がいてもおかしくないので、自分の子供というものに全く興味がないといえば嘘になる。
「……好きでもない相手に無理矢理孕まされた子を愛せる自信はあまりないのですが」
「それが嫌なら前を向け。状況が許さないなら向かざるを得んだろう?」
自分から前を向くか、ケルッコに前を向かせてもらうか。
要はどちらを選ぶかということだ。
「…………そうですね、考えてみます」
と答えつつも、自分から前を向ける自信はあまりなかった。
そして子を産むことにも、さしたる抵抗感はない。間者の中には、任務のために好きでもない相手と結婚して子をもうける者もいるのだ。それを知っているからか、仕方のないことだと思えば受け入れられる。
今後誰かを好きになれるとは思えないし、今以上に歳を重ねれば、子を産むのも難しいどころか不可能になるだろう。今回を逃せば、もう機会はないはずだ。
そう思うと、ケルッコの話も存外悪くないと思えてしまった。
■ ■ ■
結局、過去への気持ちに整理が付かないまま、年末となった。
聖歴八九六年、蒼水期第九節十日。
今年最後の日は最近の日常と変わらぬ穏やかな朝を迎えた。本当にケルッコは強硬手段に出てくるのだろうかと、三割ほどの期待と七割ほどの不安を胸に、ムンベール邸の庭先でディエゴと盤兵戦をする。
そんな昼下がりのひとときに、その一報は届いた。
「お、おおお、おおおおぉぉぉぉぉっ、ケリィィィィィィ!」
どうやらジャマルの娘ケリーとその夫ドラゼンが亡くなったらしい。幸い、ジャマルの孫にあたるライムとその異母妹ソニアは無事のようで、現在チュアリーに寄港中だという。
「ふーん。また面倒そうなことになってるね。それで、例のレオンらしき魔女も一緒にいるって?」
号泣するジャマルとは対照的に、ディエゴは普段と変わらぬ落ち着きを見せていた。報告を上げてきた男に尋ねる口振りに悲壮さはなく、むしろどうでも良いと言わんばかりに気怠げだ。
「はい。例の魔女は仲間たちからローズと呼ばれているようでした」
あの容姿にあの魔法力ともなれば、納得の名前だ。あまりに安直すぎるので間違いなく偽名だろうが、どうやらチュアリーでは魔女であることを隠す気はないらしい。
「その仲間たちですが、ライム嬢とソニア嬢を除くと、ローズも含めて女は十一名、男は三名です。見るからに成人前の子供は六名でした。問題なのが、ライム嬢曰く女が全員魔女らしいとの話で、まだ真偽のほどは不確かなのですが……」
「十人以上の魔女の集団?」
咄嗟に思い浮かんだのは《黎明の調べ》だった。
しかし、あの組織は多くの国々と同様に、魔大陸にはそれほど注力していない。魔大陸に配置されていた人員全てが引き上げたのであれば納得もできるが、可能性は低い。
「そ……そやつらじゃあああああ! そん魔女共がワシの可愛い娘を殺してっ、最高に可愛い孫を人質に取ったんじゃああああああ! 戦争じゃボケェェェェッ!」
「あり得ない話ではないでしょうが、可能性は低いかと。わざわざケリーさんを殺すより、ライムさんと併せて、生かして利用する方が効果的です。ケリーさんは殺されたというより、何らかの不測の事態で命を落とされたと考えるのが妥当でしょう」
「死因はこの際どうでもええっ、んなもんは後でどうとでも調べればええ! まず何よりも肝要なんはライムの奪還じゃ! 者共っ、総力を挙げてライムを奪還するんじゃああああ!」
「相変わらず頭に血がのぼると馬鹿になるなぁ。いきなり仕掛けたって、もし本当に全員が魔女で、全員がツィーリエさんより強いっていうレオンだかローズだかと同程度の実力者たちだったら、絶対返り討ちに遭うよ。まずは様子を見つつ探りを入れて、それから話し合いでもするのが無難でしょ……まあ、べつに姉さんの娘がどうなろうと、僕はどうでもいいんだけどさ」
言葉の端々から姪にあたるライムとは関わりたくないという意志が感じられたが、少なくとも今このときは明らかにジャマルより族長然とした冷静な判断といえる。
報告を上げてきた男はディエゴの言葉に了解の意を返し、去っていった。
「ツィーリエ行くぞ準備せえ! 誰かワシの装備を持って来んかいっ!」
「ツィーリエさん、父さん黙らせて」
「……仕方ありませんか」
ネリーアは荒ぶる巨漢を魔法で眠らせ、レオンの狙いについて考えてみる。しかし、一期半前の件と合わせれば、幾らでも推測できてしまう。本国からはまだレオンに関する情報が下りてこないし、もし《黎明の調べ》の一員であった場合は政治的要素の絡む面倒事になりかねない。
と、そう考えたところで、唐突にある妙案が閃いた。
もし、あの化物じみた魔女が《黎明の調べ》の一員であった場合。もし、魔大陸から《黎明の調べ》の本拠地であるシティールへと向かっている場合。もし、その船旅にライムが同行している場合。もし、ジャマルの干渉を振り切ってライムが船旅を続ける場合。
仮定に仮定を重ねた先に、好機が見えた。
これがネリーアを陥れる《麻薬王》の計略である可能性は極めて低い。あの男は既にネリーアを見限っている。レオンに《黎明の調べ》の一員である可能性が現実味を帯びるほどに濃くなった以上、そちらの方が《八極星》であると考えるより遥かに妥当だ。
「例の魔女たち、ツィーリエさんはどう見る?」
「……どうでしょう、現段階では何とも。仲間たちが何か情報を掴んでいるかもしれませんから、確認してきます」
ディエゴにそう答えて一人歩き出しながら、密かに溜息を吐いた。
まだそうと決まったわけでもないのに、好機かもしれないと思った自分に呆れ果てる。この分だと、やはり過去は全く吹っ切れていないのだろう。今回の件が何事もなく片付けば、本当に孕まされそうだ。
しかし、もし、仮定が現実となった場合。
《麻薬王》に手が届くかもしれない千載一遇の好機が到来する。
■ ■ ■
翌日。一年と一年の間の白無日。
事態は予想外の方へと急転した。
若い衆が先走って、ライムとソニア、それに以前賭場でレオンといた化粧男を攫ってしまったのだ。しかも三人とも意識がなく、これからすぐにでもレオンが来てしまうという急展開になってしまった。
当然の如く、ネリーアは護衛役として、それに一応は間者としても直接関わらざるを得ず、ムンベール邸を訪ねてきた問題の女児をディエゴと共に出迎えた。
「お久しぶりです、ツィーリエさん。あれから調子は如何ですか?」
邸内に招き入れると、レオンが声を掛けてきた。
ネリーアは厚顔無恥な問いに相応しい態度で応じておく。
「お久しぶりですね、レオンさん。おかげ様で、賭場の仕事は引退しました」
「そうですか、それは何よりです」
見た目通りの子供とは思えない腹芸だ。上辺だけの会話は白々しく寒々しいが、ネリーアには慣れたものなので、少しでも意味のある情報を収集すべく会話を続ける。
「レオンさんの方は如何ですか、調子は。見たところ右腕がなくなっているようですが」
「あぁ、これですか? 魔大陸で幅を利かせていた方々と、少々揉めましてね。腕一本程度の苦労でなんとか話が纏まりました」
「……そうですか、それは何よりです」
真偽のほどがどうであれ、やはり只者ではない。
そう確信できた。
だからこそ、利用価値がある。
「おどれか、この愚弟が世話んなったっちゅう魔女は」
「……はじめまして、レオンです」
その後、ジャマルとレオンの遣り取りが続いた。一応は族長だけあって、ジャマルは感情を抑えて冷静に対応しており、ケルッコの助力もあって何とか平穏に会話が進んでいく。それを端から聞きながら、ネリーアは判断材料となる情報を探していた。
「さて、私としては面倒事など早々に終わらせたく思っています。手紙の通り五千万ジェラを持参しましたから、三人を引き渡してもらえますね?」
「金だけなわけねえじゃろが、こちとら嬢ちゃんから色々聞かせてもらわにゃならん話があるんでのぉ」
「話といいますと?」
「おどれ、どこのモンや」
故意としか思えないほどすっとぼけた様子で小首を傾げる女児に対し、ジャマルは抑え込んだ怒気の滲む威圧的な態度を崩さない。普段は族長らしからず感情的な男だが、いざというときは立場に相応しい振る舞いを見せてくれる。
「それは明かせない決まりなので」
「なんじゃそりゃあ、どんな決まりや」
「強いて言うならば、組織の規約というべきでしょうか。秘密の機関は秘密であるからこそ、意味があるものです」
如何にもな物言いは煙に巻くためか、からかうためか。
ジャマルやケルッコはそう判断するだろうが、ネリーアは直感的に悟った。間者としての経験が、目の前の子供は間者の類いではないと判じている。年齢に見合わぬ落ち着いた言動と異常な魔法力に注意を引かれていたが、所詮それは一要素に過ぎない。大局的に状況を俯瞰すると、間者や工作員にしてはどうにも一貫性に欠ける。辻褄が合わないこともないが、無理に合わせればあまりに杜撰かつ稚拙だ。
おそらく彼女らは《黎明の調べ》で間違いない。であれば、一期半前にイヴという奴隷を買ったレオンの行動にも説明がつく。調べたところ、あの奴隷はタウレルで《黄昏の調べ》関連の施設を単身襲撃し、奴隷に堕とされたという話だ。つまりイヴは《黎明の調べ》の仲間か、それに準じる者だろう。
昨日、女は全員魔女だと公言した件も含めれば、そう思わせる偽装工作の可能性はある。しかし、一国家の犬として任務を遂行しているにしてはあまりに目立ちすぎているし、何より魔動感持ちの希少な魔女をこんな辺境の地に投入する意味が分からない。
レオンの足跡はハウテイル獣王国の港町までは追えており、少なくとも獣王国からは南下してきている。北から現れている。そして魔大陸へと渡り、片腕を喪失した。
つまり、レオンの目的は魔大陸にあって、そこで《黄昏の調べ》とでも衝突して負傷した。大勢の魔女たちは魔大陸の支部にいた仲間たちで、彼女らを連れて魔大陸を出たのだ。イヴとの再会は偶然に過ぎず、奴隷から解放するための資金がなかったため、賭場で一稼ぎしようとしたら魔動感で偶然イカサマを知った。そして五百万ジェラを脅し取り、イヴを買ってそそくさとチュアリーを去った。
とはいえ、ライムと同行していたのは偶然にしては出来過ぎている。その点に疑問が残る以上、某国の手先と見るのが無難だろう。《黎明の調べ》であるという推論は、レオンが《黎明の調べ》の一員であって欲しいという自らの願望が導き出したに過ぎない。
この場ではムンベール族の安全を考慮するのがネリーアの役目だ。
「大旦那様」
ネリーアはジャマルの耳元に顔を寄せ、囁いた。
「やはり間者の類いである可能性が高いですが、不可解な点が多いことも確かです。少し探りを入れてみてください。ただし、相手の背後にはサイルベア並の大国が控えていることを前提にお願いします。ここは慎重に、落ち着いていかねば、想定外の大事になりかねません」
「…………なに?」
魔女の豊富な《黎明の調べ》ではないとすれば、魔動感持ちの魔女をこんな辺境に投入するなど、大国であっても難しい。イクライプス教国の陰謀であっても不思議ではなく、最大限に警戒すべき事態である。
ジャマルは孫のことに思考を圧迫されて、さほど深刻に考えていないようだったが、これで少しは認識を改めて状況に臨んでくれるだろう。
「おどれ……モグラか」
「……さて、どうなのでしょうか」
直截的に過ぎる探りの入れ方に、さしものレオンも微苦笑を浮かべている。ネリーアもそうしたいところだが、ジャマルの発言は予想外かつ危うすぎて、背筋が凍った。
レオンはジャマルに顔も視線も向けたままだが、もう一人は違う。本来は門前で待たせておくはずだった同行者の女がじっと見つめてきている。紫色の鮮やかな瞳からは確かな知性が覗いており、見透かすような鋭い眼差しを送ってくる。
非常に不味い。
「もし仮に、わたくし共が貴方の仰るモグラ……つまりは間者だったとします」
同行者の女はレオンを庇うようにジャマルの前に立ち塞がり、臆した様子もなく堂々と発言している。そこで一瞬、ちらりと意味深な視線がネリーアを掠めた。
完全に疑われている。
モグラとは確かに間者を指す隠語ではあるが、より正確には二重間諜のことを意味する。それをよりにもよって、ネリーアがこれ見よがしに耳打ちした直後にジャマルが口にしてしまった。チュアリーというムンベール族の治める獣人の地に――こんな辺境の地に相応しからぬ人間の魔女が側近同然に控えているだけでも怪しいというのに、他ならぬ族長が間者を指す隠語としてモグラと言ってしまった。
大雑把なジャマルは普段から間者のことを十把一絡げにしてモグラと言っているが、相手はそんなこと知らない。向こうからすれば、ジャマルにとって間者といえばツィーリエのことで、しかしツィーリエは二重間諜だからモグラで、その彼女から間者に関する何らかの助言を貰ったから、咄嗟にモグラと口を滑らせた。そのようにしか見えないだろう。
実際、レオンはともかく、もう一人の女からは凄まじい疑念を感じる。相手も隠す気はないのか、あるいは疑っていることを見せ付けて反応を見ているのか、ちらちらと視線を送ってくる。
今ここでケルッコに目を向ければ相手に余計な情報を与えかねないので、ケルッコの様子は確認できないが、彼も間違いなく兄の失態に気付いている。
「おどれらがその気ならのぉ、儂は容赦せんぞ? 儂の可愛い可愛い孫娘に近付いた時点で、利害計算なんぞ二の次じゃボケ!」
「い、いや兄者、どこの国のモグラかも分からないのにそれは不味い。もしサイルベアあたりの大国だった場合は――」
「そんなん知らんわぁ! ケルッコおどれなぁにを怖じけづいとんじゃ! どこが相手だろうがのぉ、儂の孫に手ぇ出す輩は断じて許さんぞ!」
もう無茶苦茶だった。
ネリーア自身の疑いを晴らそうにも、この状況で下手な発言は不自然にしかならない。ジャマルは荒ぶり、ケルッコはそれを抑えるのに必死で、他の者たちは役に立ちそうにない。
「止めなよ父さん、ちょっと落ち着きなって」
我慢していた溜息を零しかけたとき、ディエゴが現れた。
その後は彼の介入が功を奏して場は収まり、解散となった。途中、ジャマルのせいで少し荒事になりかけ、どうにか役を演じきって場を凌いだ際、レオン改めローズの実力を再確認できたのは僥倖だった。
やはりあの女児は間違いなく魔動感を有しており、無詠唱化された魔法にも的確に断唱波で対応していた。未だ十に満たないだろう幼さでこの実力であれば、申し分ないどころか過剰ですらある。
ディエゴが介入してからの一連の会話から、ローズたちが《黎明の調べ》である可能性が現実味を帯びてきたこともあり、ネリーアは否応なく期待せざるを得なかった。
「今日は色々とごめんね」
もうローズたちには帰ってもらうべく、ディエゴと共に見送りに出ると、意外にも彼が謝罪の言葉を口にした。今回の件をどうでもいいと言って、ローズを出迎えることも嫌がり、関わりたくない姿勢を見せていたというのに、まるで父親の代わりとでもいうように謝罪した。
「あの、どうして、私たちに味方してくれたんですか……?」
「僕としては、君たちに味方したつもりなんてないんだけどね」
ディエゴはライムを連れてチュアリーを去ってほしいから、先ほどあの場にライムを連れて行ったのだろう。それは分かるが、ローズたちに謝罪するのは彼らしくない。
「そうだね……強いて言うなら、僕は姉が嫌いなんだ。正直、死んでくれて嬉しいくらいなんだよ」
「え……?」
結局、ディエゴの姉に対するわだかまりは解消できなかった。姉が死んだことで、以前よりは幾らか気持ちに整理もついただろうが、きっと一生引きずることになるのだろう。
未だに《麻薬王》のことを引きずっている身であるだけに、彼の気持ちは分からないでもなかった。
「父さんと叔父さんが何をしようが僕には関係ないし、本当にどーでもいい。どーでもいい……と思いたいけど、やっぱり気に入らないんだよね。だから姉さんの形見とか町にいて欲しくないし、というか邪魔だし」
「……………………」
「あぁ、べつにライムちゃんが嫌いってわけじゃないんだよ? でもライムちゃんを見てると、姉さん思い出して気分が悪くなるんだよね。だからこの町に腰を落ち着けられると迷惑で、ライムちゃんが遠くに行ってくれるのなら応援したいんだよ」
やはりおかしかった。
別段、ディエゴが自らの心情を明かしてまで、わざわざローズたちに釈明せずとも良いはずだ。にもかかわらず、彼は相手が納得できるだけの理由を与え、虚言も用いず真摯に対応している。
「そ、そうですか。いずれにせよ、今日は助かりました。ありがとうございます。では私たちはこれで失礼させてもらいますね」
「あ、ちょっと待って」
ふとディエゴから微笑みを向けられ、肩を押されてローズの前に立たされた。
「握手して」
「は、はい……?」
突然の、全くディエゴらしくない行動に、戸惑わざるを得なかった。
しかし彼は穏やかで優しい、でも少し寂しげな微笑みを浮かべて、言った。
「二人とも、前は殺し合い寸前にまで対立したんでしょ? だから、まずは二人の間だけでも、ここらで和解しておこう」
その言葉でディエゴの真意を悟った。
彼は父親に似ず、直情的でも馬鹿でもなく、非常に思慮深い男だ。それこそケルッコより頭が切れる。自らを理解してくれている叔父を気遣ってか、盤兵戦ではいつも手加減して負けてやっているようだが、本当はネリーアなど歯も立たないほど非常に強い。おそらく頭脳だけはネリーアより遥かに冴えている。
だからきっと、彼は全てを察したのだ。
「……旦那様が、そう仰るのでしたら」
その優しさを素直に受け入れた。
ジャマルとケルッコには反対されるはずなので、ディエゴが背中を押してくれると思うと、心強かった。この道を進む覚悟が定まった。
「まあ、そうですね、私としても和解したく思――」
ローズは少々怪訝そうな様子を見せつつも異論はないようで、ネリーアが差し出した手を握ろうと手を伸ばす。が、同行者の女ことミリアが反射的といった動きで制止した。
「ミリアさん?」
「…………」
ミリアは美貌を険しく引き締め、ネリーアとディエゴを睨むように見つめている。この女の反応からして、おそらくローズは二重間諜の件に気付いていない。つまりローズは大国の間者でも何でもなく、《黎明の調べ》の援軍として魔大陸に送られただけの魔女という線が濃厚だ。
そして何より、ここで握手を止めたということは、ミリアはこちらの思惑に気付いている。無論、それは二重間諜という危険かつ厄介な存在が同船することに対する懸念だろう。ネリーアの真意までは見透かせないはずだ。
もし仮に、可能性だけでも見抜かれていれば、絶対に同船を許可されない。
「……いえ、邪魔してごめんなさい」
結局、ミリアはローズの手を放した。
向こうも向こうで頭は切れそうなので、何かしらの思惑はあるのかもしれない。その点は不安だが、間者として利用されるとしても、お互い様だ。
「ツィーリエさん、以前はすみませんでした」
「こちらこそ、申し訳ありませんでした、ローズさん」
心底からの謝罪を送りたいところだったが、あまり真摯すぎても不自然なので、悪印象を持たれかねない程度に留めておいた。
「うん、これでローズちゃんたちとツィーリエさんの間に、もうわだかまりはないね。それじゃあ、今日はこの辺にしておこうか。ローズちゃん、明日はこちらから船を訪ねるから、待っててね」
「はい」
「安心していいよ、父さんと叔父さんは説得しておくから。明日はまあ、今の君とツィーリエさんみたいな和解の場になるだろうね」
そうして、ローズとミリアは去っていった。二人の背が見えなくなるまで、ディエゴと共に黙って見送った後、踵を返す。
門から玄関まで戻ったところで、ネリーアは頭を下げた。
「旦那様、ありがとうございました」
「一応確認しておくけど、あの子たちと一緒に行く気ってことでいいの?」
「はい」
こんな好機は今後二度と訪れないだろう。
なにせこの世界に入ってからの二十七年間で初めてのことなのだ。魔動感を有していると確信できた者と出会えることなど、まずない。あっても、それは殺されるときだ。魔動感は致命的な弱点でもあるため、相手に気付かれた時点で普通は始末するという。例外は宮廷魔法士や聖天騎士などの表立って武威を誇示するような輩だが、彼らは政治的に重要すぎて接触すら困難だし、何より目立ちすぎる。
おそらく今回を逃せば、もう《麻薬王》には一生手が届かなくなる。そして一生過去を引きずったまま、後悔と共に生きていくことになる。それはたとえ子を産もうと、決して解消されないはずだ。
「まあ、ツィーリエさんがライムちゃんについていくなら、父さんも何とか納得するだろうから、僕としてはいいんだけど……本業的にここを離れて大丈夫なの?」
「ぎりぎりなところですね。族長の溺愛する孫娘を監視下に置くという名目は、私が動く理由としては少々弱いですが、相手が《黎明の調べ》であれば魔女である私しか潜入できませんから、事後承諾で無理矢理押し通すしかありません」
「あの子たち、本当に《黎明の調べ》だと思う?」
「十中八九は」
もはやそう信じるしかない。
そうでなくとも、ローズに同行できれば、利用する機会は幾らでもあるはずだ。北ポンデーロ大陸に行くらしいので、おそらくは《黎明の調べ》の本拠地であるシティールへ向かうのだろう。いざとなれば《黎明の調べ》の上層部に直接取引を持ちかけてもいい。
十年は掛かる覚悟で事に臨むつもりだ。
「いい顔だね、ツィーリエさん。今までで一番生き生きしてるように見えるよ」
「……我ながら執念深い女だと思います」
「僕としては情が深いって感じで、いいと思うけどね」
ディエゴはどこか遠い眼差しで寂しげに見つめてきた。が、すぐに微苦笑を零して肩を竦め、通りがかった使用人に声を掛けてジャマルとケルッコの居所を訊いている。
どうやら二人はジャマルの寝室にいるようだった。先ほどディエゴが殴って気絶させたせいだろう。目的の部屋に入ると、やはりジャマルは寝台に寝かされており、ケルッコは窓際で思案げに葉巻を吹かしていた。
「ケルッコさん、お話があります」
ディエゴに立ち会ってもらった上で、自らがローズたちに同行し、ライムを保護する旨を伝えた。すると案の定、ケルッコは毛深い丸顔は眉間に深い縦皺を刻んだ渋面になる。
「おいおい、本気かよ? あのミリアって女はお前のこと疑ってるぞ。よしんば同船できることになったとしても、途中で事故死させられかねん。危険すぎるわ」
「そこは何とか上手くやります」
目にも声にも力を込めて、決意のほどを露わにした。
ケルッコはしばし葉巻を咥えたまま見つめてきた後、呆れたように嘆息する。
「お前……やっぱりまだ吹っ切れてないのか?」
「もし今回のことがなければ、状況が許さないという言い訳に縋っていたと思います。ですが、無視できないほどの可能性が目の前に現れた以上、それを追求せずにはいられません」
「……クソ、あいつら来るのがあと三日遅ければな」
忌々しげに呟いて、ケルッコは乱雑な手付きで葉巻を灰皿に押し付けた。
「個人的にあのガキは気に食わないんだが……まあ、お前に利用されるんだと思えばいい気味だ。せいぜい上手く取り入って、ぼろ雑巾のように酷使してやれ」
「そこまで都合良くいくとは思えませんが、全力を尽くす所存です」
感謝の念を込めて深く頭を下げると、親しげに肩を叩かれた。顔を上げると、見飽きるほど見慣れたケルッコの顔は一言では表現しきれないほど複雑な情念に彩られ、それでも笑みの形を見せている。すっかり中年の面構えになっているせいか、妙に味のある表情だった。
「急にしゃっきりしやがって。お前は本当にどうしようもない女だな」
「はい。自分でも嫌というほど自覚しています」
上手くいけば、《麻薬王》に復讐できる。
そんな希望が見えてしまったのだ。
そうなると、もう如何ともし難く、自分ではどうしようもない。燻って消える寸前だった火に薪がくべられてしまえば、再燃するのも無理はない。
勝機は決して大きくはないが、見過ごせるほど小さくもないのだ。
《四統会》にはそれぞれ後援者が存在し、《武隷衆》は商業組合、《楽春遊》は貴族社会、そして《麻天律》は《黄昏の調べ》、《命賭幇》は《黎明の調べ》が背後にいる。ただでさえ《黄昏の調べ》と《黎明の調べ》の間には因縁があり、《麻天律》と《命賭幇》は共にサイルベア自由国の裏社会で互いを監視し牽制し合う《四統会》という均衡の中にいる。一見すると盤石な、しかし実際は些細なことで崩壊しかねない危うい均衡だ。
火種は十分にあり、上手く衝突させることができれば、戦いになる。《八極星》という化物集団が動けば、必ず《黎明の調べ》も同じ化物を投入する。そこでサイルベア自由国の内情に詳しいネリーアが助力を申し出ることで、投入される化物の手綱を上手く握ることができたなら……。
かつてないほどの勝機が生じるはずだ。
ネリーアは影に潜み、王を守護する化物の相手は同じ化物に任せて、その隙に本命を叩く。
間者の本分はあらゆる環境に適応し、情報を収集し、人を殺すのではなく利用することで、益を得ることにある。今こそ間者としての経験を活かし、この後ろ暗い世界に身を浸すことになった忌々しい元凶に復讐するときだ。
既に《麻薬王》はネリーアを見限り、敵とは認識していないどころか、間違いなく眼中にすらない。ネリーアがあの船に乗ることは奴の脚本になく、今更になって復讐してくるとも思っていないだろう。
「ま、過去に囚われていようと、こんな辺境で腐ってくよりかは、破滅覚悟でも自分の足で突き進む方が未だしも健全か。お前が母親で満足するような女とも思えんしな」
この政治的に複雑な地を取り纏める族長一家の者としては、ネリーアという大国への繋ぎ役が――身内同然に信頼できる繋ぎ役がいなくなることは不利益のはずだ。
しかし、そんな野暮をケルッコが指摘するはずがない。そう信じられる程度には、この一家はもう家族同然だった。おそらくこの先の人生で、この家以上に居心地の良い場所は見付けられないだろう。
「兄者は何とか説得してやる。お前は間者仲間の方にする説明でも考えとけ」
「ありがとうございます……今までも、本当にありがとうございました」
「気の早い奴だな、そいつは出発直前までとっとけ」
ここで過した十五年間は決して無駄ではなかった。
この先どう転ぶことになろうと、それだけは断言できると強く確信できた。
■ ■ ■
翌日、
ローズの仲間が賭場で荒稼ぎしたせいで、予想外にケルッコの怒りが爆発する事態にはなったが、どうにか丸く収まった。ディエゴに助けられた部分は大きく、おかげで何とか無事にローズたちの船旅に同行できる運びとなった。
それから更に五日後。
「改めまして、ツィーリエです。以後、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします、ツィーリエさん」
乗船する前に、渡し板の前でしっかりと頭を下げると、ローズや他の者たちも一応といった様子で挨拶を返される。
ローズ以外の魔女も詠唱省略などはできそうだが、おそらく魔動感は有していない。だからネリーアとしてはローズ以外に興味はなかった。しかし、ローズに取り入るためには周囲の者たちを利用するのが良さそうなので、まずは全員と怪しまれない程度に少しずつ距離を詰めていく必要がある。
「ツィーリエ、頼んだぞ。ライムの危機にゃあ命懸けで守るんじゃぞ」
「手紙を忘れるなよ、ツィーリエ」
「まあ、元気でやっていってね」
見送りに来てくれた三人にも改めて挨拶し、ドラゼン号に乗船した。そして出港する段になったところで、あのミリアという藍白色の髪が目を引く美女が急に船を降り、ジャマルたちのもとへと駆け寄っていく。
それから男たちと何やら筆談してから、駆け足で戻ってきた。
「待たせてごめんなさいっ、すぐに船を出して!」
「おどれどういうつもりじゃ!?」
「ツィーリエッ、そいつは危険だ! 絶対に気を許すな!」
「はは、ツィーリエさん、その人は叔父さんとは役者が違うから注意しなよ」
船が動き出す中、桟橋にいる三人が何やら叫んでいた。ジャマルとケルッコはともかく、ディエゴは笑っているため、そこまで深刻な状況ではないのだろう。元よりミリアが警戒すべき人物であることは承知している。
「アンタ、最後の最後に何したの」
「ちょっとした確認です。それより……ツィーリエさん」
当のミリアから真っ直ぐに目を向けられた。紫水晶のような濁りのない綺麗な瞳には強い意志が感じられ、同時に底知れない不気味さも伝わってくる。
予想以上に不穏な気配で、思わず怖じ気づいてしまいそうになり、腹に力を込めた。
「これから、よろしくお願いしますね」
「え、ええ、こちらこそ……?」
何か不味い。
そう直感するも、既に賽は投げている。
今回ばかりは意のままに賽の目を操作しきれる自信がない。間者としての経験から、人がそう易々と思い通りに動いてくれないことは嫌というほど知っている。だからこれは博打も同然の、人生を賭けた最後の大勝負だ。下手を打てば無残に死ぬか、あるいは相手を利用するつもりが利用されるだけに終わる。ミリアの存在がそうなることを確信させてくる。
しかし、勝機はあるのだ。
《麻薬王》がネリーアを題材として書いた劇作の主人公ほど、自分が冴えているとは思わない。その上、あんな主人公らしい情熱も意気も既にないが、それでも奴には人生を狂わされた報いを受けさせねば気が済まない。大事な人たちの――家族の仇を討ってやらねば、死んでも死にきれない。
「ヒルヒーノ・エクスティア……冴えない間者なりの殺しかたってやつを見せてあげるわ」
声にならない声で呟き、流れ流されて辿り着いた地を自らの意志であとにする。
今度は自分が流れを作り、大勢の者を巻き込んで押し流し、その勢いを利用して奴のもとまで辿り着く。そして必ず、この手で殺してやる。
船上で潮風に吹かれながら、ネリーアはそう硬く決心した。