第百二十一話 『すばらしいYMCP 後』
夜道を歩くのは結構新鮮な気分だった。
思い返せば、これまで俺は夜の町というものにあまり縁がなかった。まだ幼女だから夜中に起きていること自体が滅多にないし、去年の旅でも寝静まった夜間に町を出歩いたことはなかった。
夜の町というのは、なんだかワクワクする。普段はできないことをしているという非日常感が気分を高揚させてくる。今はウェインにおんぶされているから尚更だ。
「なんか、たまにはこういうのもいいですね」
「……………………」
少年は黙々と歩いている。
少し待ってみても返事がない。
仕方ないので耳に息を吹きかけてみると、ウェインは微かに身震いして、俺から逃げるように首を傾けている。
「……それやめろ」
「ウェインが無視するからです」
「べつに……無視はしてない……独り言だと思ったんだ……」
声には陰鬱とした響きこそあるが、ここ最近の無口な引きこもり状態からすると、かなり喋っている方だ。さっきの宿でも会話の応酬が成り立つ程度には話していた。これはなかなかいい感じだぞ。
いい感じといえば、少しはウェインの心療ができたような気がする。こういうシャイボーイには強引に攻めた方がいいかと思い、さっきはローズ女医として少しアダルティックに対応してみた。ウェインは船に戻るのを渋っていたが、今ではこうして一緒に帰路に就いている。
俺たちはこれまで、ウェインに優しくしすぎたのかもしれない。
こいつは俺たちに対して、本来は感じる必要のない負い目を感じている。だから、ウェインの方からみんなに話し掛けたりはしづらいはずだ。これまではみんなと一緒に過すことを強要しないように、ウェインの好きなようにさせていたが、それでは何も変わらないどころか、鬱を悪化させるだけだ。
ウェインも本当は俺たちと色々話したいと思っていても、後ろめたくて話せないだけなのかもしれない。少なくとも、ニート時代の俺はそうだった。両親に対して負い目を感じていたから、素直に接することができなかった。
多少強引でも、こちらからぐいぐい迫っていった方がいいはずだ。それがウェインを追い詰めることになる可能性は否めないが、そのときはきちんと話し合えばいい。
そうだ、話し合うことが大切なんだ。
「ウェイン、船に戻ったら、みんなには謝ってくださいね。攫われたのは私のせいですけど、黙って私たちの前からいなくなろうとしたのは、酷いことです。みんなに対する裏切りです」
「……ああ」
きちんと頷いてくれた。
うんうん、よしよし。
今回の件は、怪我の功名ってやつかもしれんな。もし獣王国の手先が俺を狙っていなければ、ウェインはどこかに消えていただろう。その場合でもツヴァイたちがウェインを連れ戻してくれたかもしれないが、俺は自責の念に駆られなかったはずだ。自分が敵で、自分が許せなくて、そういうやりきれなさを理解できなかったはずだ。
自分のせいで全く無関係のウェインが誘拐されることになったと思えなければ、先ほどの宿で俺はあいつを抱きしめず、ろくな言葉も掛けられなかっただろう。そして太陽並に暑苦しいエールも送れず、成功体験も積ませられず、何も変わらないままだったと思う。
これからはウェインも多少は心を開いて接してくれるはずだ。俺もぐいぐい攻めていくつもりだし、鬱脱却の道が長いことはユーハのおかげできちんと分かっている。焦らず気長に頑張れると思う。
「……………………」
「ウェイン、そう黙ってないで、何か話してください。女の子を退屈にさせるだなんて、男としてなっていませんよ。将来デートするときの練習だと思って、私を楽しませてみてください」
大事なのはコミュニケーションだ。
幼女とハートフルな時間を過すことの有用性は実証済みだった。
「……例えば?」
「小粋な冗句とか、さりげなく相手の可愛さを褒めるとか、そういうのです」
生憎とデート経験がない童貞野郎なので、エロゲや漫画で得た知識でしか語れなかった。
いかん、なんか虚しくなってきた……俺も少し鬱になりそう……。
「…………何も、思い付かない」
「何もって、私の可愛いところなんて山ほどあるじゃないですか」
「……………………」
「……何もなくても、せめて突っ込んでくださいよ」
鬱病患者に突っ込み待ちは高度過ぎたかもしれん。
いや、それより……実は俺って可愛く思われてないの?
顔立ちは結構整ってるはずだし、リーゼやサラに負けず劣らずな美幼女だと自負してるんだけど……え? 違うの? 単にウェインの好みではないのかな……うん、そうだ、そうに違いない。
ネガティブシンキングはいけないな。
「何も思い付かないなら、女の子の趣味に合った話題を提供するのがオススメです。さあ、練習ですから失敗を恐れずに、どうぞ!」
「…………そういえば」
「なんですか?」
「本……ノックスなんとかの、『隣人の相』っていう本が……好きなんだってな」
少し驚いた。というか意表を突かれた。
まさかウェインが本の話題を振ってくるとは……こやつ、やりおる。
これでぼそぼそとした声でなければ、及第点だったのに。
「確かにそうですけど、ウェインも読んだんですか?」
「いや、ばあちゃんから……話聞いて……」
「そうですか。まあアレは子供向けではないですからね」
『隣人の相』……あの本は童貞の味方だ。
物語それ自体は昼メロみたいであまり好きではなかったが、作者の主張が良かった。隣人においては恋だの愛だのより友が一番とか、恋愛経験が皆無の俺には実に分かり易くて、共感もできた。愛憎の絡んだ利己や利他より、友情による互助の方がいいからな。
「どんな内容の本かも聞きました?」
「……ああ」
「で、どう思いました?」
「べつに……どうとも……」
あらら、せっかく話が盛り上がるチャンスだったのに。
まあ、ウェインにはまだ難い本だったと思うから、いくら婆さんが要約したとしても、何か感想を抱けるほど内容を理解できなかったのだろう。
「ところで、ウェインってユーリとは仲良いですか? 二人が一緒にいるところって、私見たことないんですけど、館にいた頃はどうだったんです?」
ウェインにばかり話題を提供させるのも酷だろうから、俺からも話を振っておいた。ユーリについてなら、特に気兼ねすることなく正直な気持ちを話しやすいだろうし、悪くないチョイスのはずだ。
そんな感じで色々と俺の方から話し掛けつつ、夜の町を二人で歩いていく。いや、歩いているのはウェインであって、俺は奴の背におぶさっているだけなんだけどね。
プラインの町にはあまり馴染みこそないが、昼とは違った様相を呈する町並みは興味深い。少し離れたところにある大通りからは活気や明かりが漏れ伝わってきて、しかし今歩いている付近は水底のように沈静している。決して無音無明なわけでも、人通りが皆無なわけでもないが、どこかしんみりとした空気は落ち着きがあって心が安まる。
手に持つ魔石灯の明かりを消すと、双月と星々の光がよく見えた。初っ端からいきなり飛ばしすぎるのもどうかと思ったので、波止場に出る少し前からは特に何も話さず、ただ綺麗な夜空を漫然と眺めていた。
「ローズさんっ!?」
桟橋を歩いていると、夜空から人影が舞い降りてきた。
我が専属美女騎士のイヴだ。
大方、マスト上部で夜間哨戒をしていたら、俺たちが歩いてくるのが見えたのだろう。
「いつの間に外へ……いえ、それにウェインさんは……あっ、ローズさんどこか体調が?」
「いえ、大丈夫です。靴を履いてないのでおんぶしてもらってるだけです。ウェインのことは船でみんなに話しますから、行きましょう」
おんぶされたまま、三人でドラゼン号の前に到着すると、ユーハとトレイシーが出迎えた。既に渡し板も掛かっているところを見るに、イヴが俺たちを発見してすぐ報告したのだろう。
「ローズ、これは一体如何なる仕儀で……?」
さすがのユーハも戸惑いを隠せておらず、俺とウェインの顔を凝視している。
船上に戻ったところで、ウェインの背中から降りた。その直後、トレイシーが無言でウェインを抱きしめた。少年の方はされるがままで、抱き返すこともなく、ただ抱擁されている。
ユーハもイヴも空気を読んだのか、トレイシーがゆっくりとウェインを放すまで、俺に何も問い質してこなかった。
「それで、ローズちゃん。どういうことなのかなぁ?」
大きく一息吐いたトレイシーが、なんとも複雑な面持ちを向けてきた。嬉しさと訝しさの混交した声からはまだ気を抜いていないことが分かる。
「えーっと、実は……」
どう説明すべきか今の今まで迷っていたが、やはり正直にいくことにした。
アインさんの属する宗教団体か何かの構成員が接触してきて、俺は転移魔法で宿に連れて行かれ、ウェインのことを助けてくれた。そんな感じの説明だ。
話しながら反応を見る限り、ユーハとイヴは不明が色濃く面に出ていたが、トレイシーはさほど戸惑ってはいないように見えた。既にアインさんのことはクレアに話してあったので、聞き及んでいたのだろう。もう他のみんなにもアインさんやツヴァイのことは話しておいた方が良さそうだな。
「ふむ……要するに、その邪神を殺そうとしている者共はローズを重要人物としておる故、困っているところを助けることで恩を売りに来たと」
「だと思います。ウェインを攫った四人は船の倉庫に連れてってくださいと言っておいたので、もういるかもしれません」
ツヴァイにはみんなに見られず倉庫に置いておけとしっかり言い含めておいた。
みんなにアインさんたちのことは話すが、関わらせる気は毛頭ない。だから俺様世界周遊記の続刊も一度ツヴァイに持ち帰らせ、俺のベッドの枕下に入れておくよう言っておいた。
覇王様のことはみんなに教えておいた方が見付かる確率は上がるだろう。しかし、危ないことはしてほしくない。本を読む限り覇王様は悪人ではなさそうだが、実際は不明だし、連中の探している男など厄介事の種でしかないはずだ。
「倉庫を確認してきます」
イヴが駆け足で船内に入っていった。
その背を見届けていると、溜息か安堵の吐息か判断の難しい音が耳に届いた。視線を転じると、トレイシーは思案げな顔で首筋を揉んでいる。
「まあ、とりあえずウェインは無事だし、その誘拐犯が本当に倉庫にいれば、大丈夫そうかなぁ。そろそろ夜も明けるだろうから、みんなが起きたら説明して、後のことはみんなで考えようかぁ」
「うむ、それが良かろう。だが、念のためまだ気は抜かず、警戒は続けるとしよう」
ユーハの言うとおり、安心しきるのは危険だろう。実際、今日は不寝番としてツィーリエも起きているはずなのに、姿が見えない。おそらくイヴの代わりに見張り台に上がって、今も周囲を警戒しているからだろう。
だが、ウェインは無事なんだし、一区切りは付いたはずだ。
そう考えて、俺が安心しつつも気を引き締め直していたとき。
「トレイシー」
ふとウェインが口を開いた。
陰鬱な顔で、暗澹とした声で、しかし先ほどまでと比べて妙にはっきりとした口振りだった。
「勝手に出ていって、ごめん。迷惑掛けて、ごめん」
「……まったくだよぉ。みんなが起きるまで、ウェインにはもう馬鹿なことできないように、みっちりお説教してあげるからねぇ」
のんびりとしたダウナー系お姉さんの様相を見せながらも、声には紛れもない怒気が宿っていた。
それに怖じ気づいた風もなく、やはりウェインはぼそぼそ声ではなく、明瞭な声で言った。
「もう馬鹿なことはしない。俺が間違っていた」
「本当かなぁ? 口ではなんとでも言えるよねぇ」
そうそう。だからトレイシーにはウェインの尻でもぺんぺんしてもらって、反省を促してほしいもんだね。
「本当だ。今度はきちんと別れの言葉を言って、船を降りる」
「――え?」
という間の抜けた声を漏らしたのは、俺だ。
トレイシーとユーハは真顔で息を呑んでいる。
「とりあえず、トレイシーには先に言っておく。今まで、お世話になりました。ありがとうございました。色々迷惑掛けて、ごめんなさい」
しっかりと頭を下げていた。
鬱々としつつも、淡々としていて、声に躊躇いがなかった。
え、ちょ、ウェインはん……あんた何言うてはるん?
「……それ本気で言ってるの?」
「ああ」
動揺の隠せていないトレイシーに対し、頭を上げたウェインは迷いなく頷いている。
訳が分からない。
どうしてこうなっている。
さっきまでRMCのローズ女医が心療していたじゃないか。もう逃げないって、ウェインだって約束したじゃないか。いや、別れを告げれば、それは逃げではないのか? きちんとした離別になるのか?
「でも、そんな……みんなウェインにはいて欲しいって、思ってるよ?」
「分かってる。でも、俺がいるとみんなに迷惑掛ける。今回のことでも、よく分かった。俺はいない方がいい。絶対にまたみんなの足を引っ張って、誰かが傷付いたり、死んだりする」
夜闇の中、魔石灯の光で照らされた少年の顔には何も表出していなかった。無だった。能面めいた無表情で、虚空を見つめている。トレイシーとは対照的に、震えもない声で揺らぎのない言葉を口にしている。
「みんなに迷惑を掛けると、苦しいんだ。辛いんだ。一緒にいても、お互いにいいことなんてない。だからここで別れるのがお互いのためで、それが助け合うことになるんだ」
「そ、そんなことないですよ!」
「そんなことある」
叫んだ俺に、ウェインは冷静に対応してきた。
既に覚悟が定まっているように見えた。未練もなさそうだった。別離を確定事項として、淡々と事務処理するみたいな態度だった。
「あの……倉庫に四人の男が拘束された状態で気絶していました、けど……何かありましたか?」
戻ってきたイヴがただならぬ雰囲気を前にして戸惑っていた。
「ウェインよ」
そんな美女に一瞥もくれず、ユーハが呼び掛けた。その顔は戦闘時のように硬く鋭く引き締まり、どっしりと腕を組んで、左目で真っ直ぐにウェインを見据えている。
「別れることが助け合うことになると、本気で思っておるのか?」
「ああ」
「お主は先ほど、トレイシー殿に分かっていると申したな。皆に好かれ、必要とされておることを承知の上で、そう応じたのであろうか?」
「ああ」
腹の底に響くような低い声で問うユーハに、ウェインは相変わらずの態で即答している。
そんな少年に対して、オッサンは泰然とした様を崩さない。そのせいか、ピリピリとした緊張感のようなものが漂い始めたのを俺は感じ取った。
「もう一つ問う。先ほどお主はこうも申したな。皆に迷惑を掛けると。皆の足を引っ張ると。つまりそれは、自らの弱さを自覚しておるのだな?」
「ああ。俺は……弱い。雑魚だ。みんなに釣り合わない。足手纏いだ」
ウェインはこれまで動かなかった表情を自嘲的に歪ませて、顎を引くようにして俯いた。
「……なるほど。相分かった」
目を閉じて重苦しく頷くユーハ。
何が分かったのだろうか。納得したのだろうか。
戦闘時みたいな真剣さに少し頼もしさを感じて、オッサンに期待してたんだけど、それだけ?
と、そう拍子抜けしかけた瞬間、腕組みして立っていたユーハの姿がぶれた。
「――?」
何が起こったのか分からなかった。
なぜかユーハは拳を振り抜いたような格好で立ち、なぜかウェインは立っていた場所から数リーギス後方で倒れている。トレイシーもイヴも唖然と立ち尽くしていた。
脳が状況の理解を拒んでいた。
「見損なったぞ、ウェイン」
荒ぶってはいないが、それは紛れもない怒声だった。
静かに煮えたぎる溶岩のような、厳しくも激しい熱が込められている。
「互いのためだの、あまつさえ助け合うだの、下らぬご託を並べおって」
ウェインは気絶していなかった。ゆっくりと上体を起こし、愕然とした間抜け面でユーハを見ていた。たぶん俺も同じような顔してると思う。
だって……だって、ユーハはこんな暴力をふるうような男じゃない。子供を殴るような人じゃない。鬱の闇を知っているからこそ、人に優しくできる守護剣士なんだ。
「お主はただ己に敗北し、皆の信を裏切り、逃げ出すだけではないか」
「――――」
「皆にも己にも嘘を吐いて誤魔化しおって。惰弱な臆病者めが」
ユーハは依然としてウェインを見つめたまま、歩き出した。その先には未だに立ち上がっていない――立ち上がれていない少年がいる。トレイシーも、イヴも、ユーハの歩みを妨げるような真似はせず、見守っている。俺も、そうした。
突然すぎて少し驚いたけど、ユーハなんだ。
剣術修行をしてもらっていたとき、ユーハは俺のために頑張ってくれた。自らのトラウマを押してまで、俺に木剣を叩き込んでくれた。あれはそういう男だ。
「某は、お主がずっと踏みとどまっておるものと思っておった。皆に申し訳が立たず、自らの弱さに絶望しながらも、その現実から目を逸らさず向き合ったが故に、塞ぎ込むことで踏みとどまっておるのだと」
ユーハはウェインの前で立ち止まった。肘を突いて上体を起こした姿勢のウェインは呆然と見上げている。
「何よりも辛い苦しみを乗り越えるために、皆の前から逃げ出さず、一人戦っておったお主を某は尊敬した。僅かなりともお主の苦しさが理解できたからだ」
こちらからは背中しか見えない男はその場に跪いた。それは敬意を示すようでもあり、同情するようでもあった。つい今し方まで真っ直ぐに伸びていた大きな背が僅かばかり丸くなったことで、威厳の中に哀愁が覗き見えたような気がした。
そんな後ろ姿を見つめていると、ユーハは呻くような低い声を静かに響かせた。
「守りたい者を守れぬ。男にとって、これ以上の苦しみはない」
その言葉を聞いた瞬間、俺は自らの過ちに気付いた。
「お主は踏みとどまっておった。皆はお主に何かできることはないかと思案しておった。某もだ。しかし、それはウェイン自らが乗り越える以外に道がないことは、某の経験から明白であった」
これまで、俺はウェインのことを男と見做していなかった。
性別的に男であることは当然承知していたが、俺にとってウェインは子供だった。まだ九歳のガキだった。ユーハ相手のように一人の男として認識していなかった。
俺にとってウェインとはまず何よりも子供だった。子供の、男だった。
だが、ユーハにとってのウェインとは、まず何よりも男なのだろう。男で、子供なのだ。
「皆、お主を心底から案じておった。某も、かつての某にとってのローズや皆のように、お主が立ち上がる手助けくらいはできぬものかと考えた」
俺なんかより、ユーハの方がよっぽどウェインを理解していた。
自分はまだ男だと思っていたのに、男の思考を理解し損ねるなんて、俺はもう男ではないのかもしれない。かといって女でもないはずだが、少なくとも数年前よりは確実に男性的思考ってやつへの理解力が衰えている。
「しかし結局、某等は以前までと変わらぬ態で接し、信じて見守ることしかできなんだ。それ以上は手助けではなく、救済となってしまう。無理に立ち上がらせたところで、強くはなれぬ。それは弱さを克服しようと一人奮闘するお主を侮辱する行為だ」
ユーハは確信的な口振りで言い切っている。
少年の前に跪くその背中は厳しさに似た優しさで満ちていた。
「にもかかわらず……ウェイン、お主は何をしておる。自らを欺き貶めて、弱さに屈すると? 諦めるならば、逃げ出すならば、それも良かろう。新たな地の新たな縁がお主を立ち直らせるやもしれぬ。いずれにせよ、某に人のことをとやかく申す資格などない」
激しい怒りばかりと思われた静かな声には、別の情も確かに混じっていた。それは優しさはもちろん、自嘲とか、悔しさとか、歯がゆさとか、身が捩れるようなやりきれなさだ。
「だが、よりにもよってお主は、助け合いなどと抜かしおった。皆もお主も互いに想いあっておるというのに、現状では如何にせば真に助け合えるかなど瞭然であろうに、お主は自らの下らぬ見栄なぞのために、傷付け合うという安易な道を選んだ」
もうお前は完全に一人前だよ、ユーハ。
RMCなんて目じゃないくらい素晴らしいよ、YMCだよ。
さっきみたいなパンチ、俺たちには決してできなかった。優しいだけでは必ずしも人のためにならないだなんて、そんなこと頭では理解しているつもりだったのに……俺は怖かったんだ。
もし自分が間違っていたとき、相手を傷付けてしまうのが、怖かった。取り返しの付かない事態になるのではないかと恐れていた。ユーハだってそれは同じはずだ。
しかし、やってのけた。男として、同じ男のために、自らの心痛など無視して、己を信じて突き進んだ。
「賢しらな言い訳を弄して見栄を張る余力があるならば、無様でも滑稽でも、最後の最後まで抗ってみせよ。どれほど長く険しい道だろうと、お主は決して一人ではないのだ。もしお主の努力を笑う者がいれば、皆で成敗してくれよう」
ちくしょう……もう、ダメだ……。
「ウェイン。己が弱さに打ち勝つべく、まずは立ち上がってみせよ。一歩でも踏み出してみせよ。それだけが、お主が助かり、皆が助かる、唯一の道だ」
視界が滲んで、あの漢の背中が見えないよ……。
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頭が真っ白になった。
自分が何をされたのか、ユーハが何をしたのか、理解が追い付かなかった。
これまでのユーハからは想像も付かない行動だったからだ。いつも己に厳しく、他人に優しく、決して自分から暴力をふるうような男ではなかった。誰かを、ましてや子供を殴り飛ばすなど、絶対にするはずがなかった。
「見損なったぞ、ウェイン」
名を呼ばれたことで、我に返った。
「互いのためだの、あまつさえ助け合うだの、下らぬご託を並べおって」
頬に残る熱い痛みに頭がくらくらとして、立ち上がれなかった。いや、万全の状態でも立ち上がれなかっただろう。ユーハらしい鋭い剣閃のような言葉に不意を突かれ、肘をついて上体を起こすことしかできなかった。
「お主はただ皆の信を裏切り、己に敗北し、逃げ出すだけではないか」
「――――」
「皆にも己にも嘘を吐いて誤魔化しおって。惰弱な臆病者めが」
嘘、嘘など……吐いていない。
みんなに迷惑を掛けたくない。また自分のせいでみんなが傷付くと思うと、苦しくなる。だから、別れるのが互いのためだ。
それは紛れもない本心だ。
しかし……惰弱で臆病という指摘には、反論の余地など微塵もなかった。
「某は、お主がずっと踏みとどまっておるものと思っておった。皆に申し訳が立たず、自らの弱さに絶望しながらも、その現実から目を逸らさず向き合ったが故に、塞ぎ込むことで踏みとどまっておるのだと」
違う。
ただ現実を受け止めきれず、無様に立ち往生していただけだ。
そう思ったが、声にはならなかった。すぐ前まで歩み寄ってきたユーハの威迫に圧倒されて、身動きできなかった。
「何よりも辛い苦しみを乗り越えるために、皆の前から逃げ出さず、一人戦っておったお主を某は尊敬した。僅かなりともお主の苦しさが理解できたからだ」
意味が分からなかった。
ユーハは誰かを守れる強い男だ。そんな立派な者が、自分のような弱いガキを尊敬する理由などあるはずがない。強い者に、この苦しさを理解できるわけがない。
「守りたい者を守れぬ。男にとって、これ以上の苦しみはない」
精悍な顔が、確かな悔恨の情で歪んだ。血を吐くような声は眼前のガキに対する言葉というより、ユーハ自身に向けられているようだった。
そんな言葉を脳が咀嚼したとき、先の不明に理解が及んでしまった。
ユーハは決して子供を殴り飛ばすような男ではない。しかし、同じ男相手であれば、殴ることもあるだろう。少なくとも、ウェインならば殴れる。ユーハにどうしようもない憤りを覚えれば、ローズたち相手のような躊躇など一切なく、殴り飛ばせる。たとえ自分より幼く弱いガキ相手でも、同じ男として認めていれば、拳を叩き込める。
「お主は踏みとどまっておった。皆はお主に何かできることはないかと思案しておった。某もだ。しかし、それはウェイン自らが乗り越える以外に道がないことは、某の経験から明白であった」
今このとき、自分は子供として扱われていないのだと悟った。
「皆、お主を心底から案じておった。某も、かつての某にとってのローズや皆のように、お主が立ち上がる手助けくらいはできぬものかと考えた」
そうだった。
かつて、出会った頃のユーハは今ほど立派ではなかった。変な髪型をして、黄色い眼帯をして、陰鬱な気配を纏って、何かあれば簡単に落ち込むような男だった。身体は立派でも、剣術が達者でも、心は軟弱そうな、変な男だと思っていた。
もしそれが、今の自分と同じような状態故であったとすれば、腑に落ちる。
「しかし結局、某等は以前までと変わらぬ態で接し、信じて見守ることしかできなんだ。それ以上は手助けではなく、救済となってしまう。無理に立ち上がらせたところで、強くはなれぬ。それは弱さを克服しようと一人奮闘するお主を侮辱する行為だ」
自信満々に、間違いようのない事実であるかのように、断言された。
しかし、奮闘などしていなかった。ただ、自分の弱さと情けなさに絶望していただけだ。
少なくとも戦っていた自覚など皆無だ。
「にもかかわらず……ウェイン、お主は何をしておる。自らを欺き貶めて、弱さに屈すると? 諦めるならば、逃げ出すならば、それも良かろう。新たな地の新たな縁がお主を立ち直らせるやもしれぬ。いずれにせよ、某に人のことをとやかく申す資格などない」
先の自信はどこへやら、一転して声に揺らぎが生じた。ガキには推し量りきれない種々様々な情念に塗れた顔はかつてのユーハを思わせるが、しかしそこに弱さは感じられなかった。男としての強さしか見出せなかった。
「だが、よりにもよってお主は、助け合いなどと抜かしおった。皆もお主も互いに想いあっておるというのに、現状では如何にせば真に助け合えるかなど瞭然であろうに、お主は自らの下らぬ見栄なぞのために、傷付け合うという安易な道を選んだ」
まさに剣士らしい舌鋒であった。
容赦など欠片もなく、こちらの欺瞞を切り裂いてきた。これまで見ないように、意識しないようにしていた事実を暴き出してきた。
全くもって、もはや言い訳すらできないほど、ユーハの言うとおりだった。
そう……見栄だ。
逃げ出す口実に、助け合いという論理を弄した。自らの無様さを誤魔化すために、ローズの言葉を躱すために、棚上げにしている弱さを忘れるために、助け合うという形を取り繕おうとした。
「賢しらな言い訳を弄して見栄を張る余力があるならば、無様でも滑稽でも、最後の最後まで抗ってみせよ。どれほど長く険しい道だろうと、お主は決して一人ではないのだ。もしお主の努力を笑う者がいれば、皆で成敗してくれよう」
怖かった。
心底から怖じ気づいていた。
自分には絶対に無理だと思っていたのだ。
無様で、滑稽で、絶対に格好悪い。みんなを失望させる失態を今後も晒して、その度に羞恥と自責に耐えて、みんなに助けられる弱さを痛感し続けるなど、想像するのも恐ろしかった。
「ウェイン。己が弱さに打ち勝つべく、まずは立ち上がってみせよ。一歩でも踏み出してみせよ。それだけが、お主が助かり、皆が助かる、唯一の道だ」
跪いたユーハが真っ直ぐに、真摯な眼差しで見つめてくる。
目を逸らせなかった。
「……………………」
強くなる。
もう誰にも負けず、みんなを守れるくらい、強くなる。
強ければ、みんなに迷惑を掛けないどころか、みんなの力になれる。みんなを守ることができる。一緒にいることが辛くも苦しくもなく、むしろ楽しく誇らしく思える。自分が進むべき道は、それしかない。
そんなこと、頭のどこかではずっと前から分かっていた。
だが、それは一朝一夕で叶う容易な願いではない。ユーハやトレイシーのように強くなるには、何年何十年と掛かる。これまでトレイシーから受けてきた修行の何倍も過酷な厳しさを自ら進んで受け入れ、その間もみんなの足手纏いでしかない事実から生じる心苦しさに耐え、しかしみんなにそうと気遣わせぬだけの気概を常に持ち、虚勢を張りながらも自らの弱さを痛感し続ける。そんな辛く険しい、いつ辿り着けるとも知れぬ道を歩まねばならない。
間違いなく難事だ。今より絶対に辛く苦しい日々になる。
だから怖じ気づいて、平易な近道を選んだ。それではみんなも己自身すらも裏切って、自分を含めた全員が不幸になると分かっていながら、易い方に逃れた。あまつさえその事実を隠蔽し、せめてもの見栄を張るために、助け合いなどという詭弁を弄した。
ユーハに殴られて当然の、度し難い愚かしさだ。
そんな情けない男がいれば、誰だって殴りたくなる。
「立ち上がることすらできぬと申すなら……せめて、手くらいは貸そう。引っ張り上げることはできぬが、支えることくらいはしてやれる」
大きな手が差し出された。
いつかの日が思い出された。
『だが……本当に苦しいときは、恥ずかしがらずにな』
跪いてこちらを見据えるユーハは如何にも頼もしそうだ。
しかし、その顔に不安の影が差していることに、今ならば気付ける。この手を取ってくれるだろうかという切実な想いの存在を確信できる。
『相手を助けられないことが、苦しいときもある。自分が助けられることで、相手を助けることになるときもある。それが友で、だからこそ助け合いが大切なんだ』
相手が苦しんでいると、自分も苦しい。
人が手を差し出すのは、相手を助けることが、自分を助けることにもなるからだ。助け合えるから、人は手を取り合うのだ。アルセリアの話が本当の意味で分かった気がした。
だから、ゼフィラの言葉も今は理解できる。
『一度でも結んだ縁は如何ともし難いものだ。意のままに断ち切れず、脆弱でありながら強固であり、刃にもなれば鎧にもなり得る。縁を希望とするか絶望とするか、全ては己次第。努々それを忘れぬことだ』
誰かと結んだ縁は、時に絶望的な苦しみを生み出す。
しかし、勇気さえあれば、それは何物にも代えがたい希望に変えられる。それができるかどうかは、全て自分次第なのだ。
「……………………」
ユーハは自分を一人の男として、殴ってくれた。この弱さを理解して、看破して、真正面から向き合ってくれた。容赦なく己の無様さを暴き立て、惰弱な臆病者と叱ってくれた。
自分のこの苦しさを分かってくれる人が一人でもいる。
それが嬉しかった。恥ずかしくて情けないけど、涙が出るほど無性に安心した。勇気が湧いて、頑張ろうと思えた。みんなのために、自分のために、立ち上がろうと思えた。
「……っ、ぐ……うぅ」
溢れ出る涙を抑えられず、漏れ出る嗚咽を堪えきれず、泣きながら手を取った。すると、しっかりと握られた。ユーハの腕は小揺るぎもせず、こちらが力を込めるのを待っている。
頑強な支えを引っ張るようにして、自らの身体を持ち上げる。合わせてユーハも腰を上げ、しかし引っ張り上げるような力が込められることは最後までなく、一緒に立ち上がった。
「ユーハ……ん、ぐ……おれ……」
馬鹿みたいに涙が溢れ、身体が震えるせいで、上手く喋れない。
しかし、今ここで、ローズたちにも聞こえるくらいの声で、言わねばならなかった。自分とみんなに、宣言しなければならなかった。
「うぅ……っ、つよく……なるからっ……もう、ぜったい……んぐ……っ、まけないから!」
「うむ。お主は今まさに、お主自身という最大の敵に打ち勝ったのだ。己に絶望し、己の弱さを知り、それを制して立ち上がった。もはや何者にもお主の心を負かすことはできぬ」
ユーハは自分のことのように誇らしげに言って、良くやったとでもいうように肩を軽く叩いてきた。無様に泣くガキに対して、頭を撫でるのではなく、肩を叩いてきた。
それが嬉しくて、誇らしくて、更に涙が溢れ出てくる。端から見れば相当格好悪いだろう。ローズたちも見ているし、みっともないことこの上ない。
だが、我慢することなく泣き続けた。
もうこれが最後だから。
恥も外聞もなく、声を上げて泣いた。一生分の涙をここで出し尽くして、もう二度と泣くことのないように、今だけは感情に身を任せた。
泣き止む頃には空が白み、海面がきらきらと輝き出していた。
夜明けだった。
♀ ♀ ♀
尋問した結果、やはり俺は狙われているようだった。
正確には、俺の持つ幼竜とそれに関する情報だ。
タピオがハウテイル獣王国に帰り着いたのかどうか、四人の男たちは知らなかった。連中はここプラインで活動する工作員のような立場にあって、ただ俺に関する情報を本国から報され、指示を受けただけだという。
赤毛で、青目で、今年で九歳の、ローズという魔女。眼帯の剣士ユーハと化粧をした大男ヒルベルタと共に行動している。魔大陸出身で、所属する国や組織はないようだが実際は不明。火竜の赤子メリアを連れている。第一目標は火竜メリアの奪取。第二目標は竜に関する物品もしくは情報の入手。第三にユーハの持つ破魔刀《蒼哀》の奪取。いずれも手段は問わないが、ローズは特級魔法すら無詠唱で行使し、ユーハは北凛流天級の剣士。正面から挑むのは無謀、可能な限り搦め手を推奨。
というような感じで、野郎共はお仕事として勤しんでいたそうな。
一応、四人の中ではヴィヌと名乗った細身の獣人男がリーダーのようで、全てそいつが吐いた情報だ。他の三人は黙りを決め込んでいた。なので情報の照合ができていないが、どうせ捕まったときの対応とかは事前に話し合っているだろうから、無理には吐かせなかった。そもそも工作員が馬鹿正直に情報を漏らすとは思えないので、尋問はあまり意味がないのかもしれないが。
尋問は当事者の俺はもちろん、クレアとトレイシーとミリアと、なぜかミリア推薦のツィーリエを入れた五人で行った。その後、船内の一室で四人の処遇をどうするかという段になったとき、俺は真っ先に提案した。
「ここは殺して死体も灰にしちゃった方が後腐れはないですよね」
ウェインの話では、あのヴィヌとかいう獣人野郎は部下の暴力を止めてくれたという。だから心底から悪い奴ではないのかもしれないが、俺とは敵対関係にあることに違いはない。
敵は始末した方がいい。
しかし、その考えにミリアが反対した。
「いえ、それはやめた方がいいと思うわ。死んだという事実は隠しきれないものよ。連中は他にも任務を抱えているでしょうから、アタシたちが殺したという確信までは得られずとも、第一の容疑者になるくらい必ず疑われる。それは相手にとってアタシたちを狙う大義名分となり得るわ」
「でも、生かしたら追ってきますよ。ドラゼン号の情報を追って、シティールまで追ってきます。禍根はここで断つべきです」
「もうどのみちシティールまで追ってくるわよ。チュアリーで獣王国の手先が絡んで来なかったのは、ムンベール族が先にアタシたちに手を出したからよ。だからまずは様子見していたんでしょうね。でもアタシたちが和解したから、チュアリーでは手を出せなくなったんだと思うわ」
ムンベール族はチュアリーの支配者だ。
親分さんの孫娘ライムがこちらにいる以上、俺たちに手を出すことはムンベール族を敵に回すことと同義。そして今回のように誰かを人質にとって竜を要求すれば、俺は獣王国の仕業だと気付く。確信はなくとも、盗賊のように偽装されても、かなり疑う。そうなれば当然、話はムンベール族にもすぐに伝わり、結果の成否を問わず獣王国はチュアリーにおける活動基盤を失いかねない。少なくとも揺らぎはするだろう。
俺たちはチュアリーに六日しか滞在しなかった。政治的なリスクがある状況を、現場の勝手な判断で押し進めるとは思えない。獣王国にとっては幸い、俺たちは今後北上していく。獣王国に近付いていく。まだ機会はあるから、ここでリスクを冒す必要はない。
そう考えたから、チュアリーでは何もなかったのではないか。
藍白の髪が美しい元姫様は長々とそう説明してきた。
「たぶんだけど、連絡役の翼人がアタシたちに先行して、この町に着いていたはずよ。あのヴィヌってのはその辺のこと何も話さなかったけどね。自分たちがここで始末されれば、アタシたちが油断すると思って伏せてるのよ」
「……でも、工作員とはいえ人ですし、そこまで命懸けますか?」
「場合によりけりでしょうね。諜報関係者は愛国的な人が多いっていうし、祖国のためなら命を擲っても不思議はないわ」
怖いよ、スパイ怖い。
戦いにおいてバンザイアタックほど恐ろしいものはない。
「獣王国とシティールは地理的にかなり離れてるから、政治的問題とかは気にせず行動してくるはずよ。ここで恨みを買うような真似をすれば、向こうも殺しを厭わず仕掛けてくるわよ」
えぇ……この問題シティールまで引きずっちゃうの?
と思ってげんなりしていると、クレアが優しい手付きで頭を撫でてきた。
「大丈夫よ、ローズ。私たち魔女がシティールに行くということは、《黎明の調べ》の関係者であることを獣王国側も分かっているはず。《黎明の調べ》の本拠地で魔女に手出しすれば、獣王国内の《黎明の調べ》所属の魔女を敵に回すことになるわ」
「なら、クレアさんはあの四人を殺すべきだと?」
ミリアの問いに、クレアは頭を振った。
「いいえ、ミリアさんの言うとおり殺さない方がいいと思うわ。下手に確執を作ることは避けた方がいいでしょう」
「それじゃ、あの四人の身柄はハイベール族に預かってもらいましょうか。アタシたちが出港して一節くらいの間だけでも牢に入れてもらえれば、ひとまず大丈夫でしょうし」
「そうね。それでお願いできますか、ツィーリエさん」
「分かりました」
紫髪の美熟女は特に嫌がる素振りもなく頷いた。
なるほどね、ミリアがツィーリエを同席させるわけだ。
しっかし……この元姫様はちょっと手際が良すぎるね。たぶん事前にツィーリエに話を通しておいたから、疑問や異論もなくあっさりと了承されたのだ。尋問する前からここまでの展開を予想して伏線張ってたとか、味方ながらちょっと怖いよ。
今後もし何かあってもミリアは敵に回しちゃいけない。
「あの、クレア」
「どうかした?」
いつも通りの穏やかさで応じてくれる黒髪巨乳美女。
彼女を疑うわけではないが、俺は少し疑問に思ってしまった。
「シティールでは本当に大丈夫でしょうか?」
先ほどミリアは獣王国の連中がシティールでも仕掛けてくると言った。それに対するクレアの言い分は納得できるものだったが、ミリアならあの程度のこと承知していたはずだ。彼女は承知の上で、それでも仕掛けてくると発言したのではないか。
ハウテイル獣王国の奴らはシティールでもお構いなしに狙ってくるかもしれない。
「大丈夫よ。シティールは《黎明の調べ》が裏で取り仕切ってる町だし、魔女の味方も大勢いるわ。下部組織として《暁闇魔侠》っていう自警団みたいな人たちもいて、町と魔女はその人たちがいつも守ってくれてるの」
なんか中二病みたいな名前の組織だな。
というか、自警団みたいなって何? 自警団じゃないの?
「工作員とかの相手もしっかりしてくれるし、何か事件が起きそうなら、その前に彼らが対処してくれるわ。もし戦いになっても魔女の代わりに率先して戦ってくれるし、頼もしい人たちよ。シティールでは私たちが直接動くような事態にはならないわ」
まあ、クレアがここまで言うなら、大丈夫なんだろう。
俺のせいで迷惑を掛けているから、みんなの安全に関わる件には神経質になっちゃってるけど、疑うような真似は良くないよな。クレアが大丈夫だというなら、大丈夫だと信じればいい。
《黎明の調べ》の下部組織《暁闇魔侠》。
強そうな名前だし、少し期待しておこう。
「ところで、出港はいつを予定してるのかしら?」
ツィーリエと工作員共についての話を詰めていたミリアがクレアに声を向けた。
「そうね……本来の予定通り、三日後でいいでしょう。今の状況では急ぐ必要もないし、予定の変更はキロスさんたちを振り回してしまうし」
キロスとは護衛のオッサン魚人のことで、六人からなる魚人護衛団のリーダーだ。ドラゼン号の停泊期間が彼らにとっての休暇となるため、出港予定を早めたり遅めたりは必要に迫られない限り控えた方がいい。彼らが航海中に逃げ出せば、俺たちは海中の魔物に対して無防備になるのだ。良好な雇用関係を築いておかないと、いざというとき見捨てられるリスクが生じる。
「三日後なら、今日明日で買い物とか済ませておかないとねぇ」
トレイシーがのんびりとした口調で言っている。
先ほどの尋問時は彼女とミリアがヴィヌと話し、俺たちは傍聴する立場だった。が、今し方の話し合いではトレイシーは特に何も発言しなかった。どうにもこの人はクレアを立てている節があるので、クレアの意見を尊重しているのだろう。
そんなダウナー系お姉さんの表情は、いつになく緊張感がなかった。雰囲気もだらしない一歩手前ほどの緩さで、出会った頃に見た苛烈な戦いっぷりは夢だったのではないかと思えるほどだ。
「じゃあ、みんなで行きましょう。ウェインも一緒にみんなで」
「そうだねぇ。ローズちゃんとリーゼちゃんとサラちゃんとルティちゃんと、たまには子供たちみんなで出掛けようかぁ」
「たまにはというか、初めてですね」
「そうだったねぇ」
トレイシーは嬉しそうだった。機嫌が良さそうなのが一目瞭然だ。
まだYMCPから半日も経っていないが、早くもウェインは見違えるほど快復している。もう引きこもろうとせず、今はおそらく甲板でリーゼと模擬戦でもしているはずだ。
先ほど、こんな遣り取りを見掛けた。
『おーっ、ウェイン今日は外出てるー!』
『あ、ああ……その、もう大丈夫だから……心配掛けて悪かった』
『――――』
『……ごめん』
『元気になったならあたしと勝負だー! ウェインずっと訓練さぼってたからお仕置きしてやる! あとで一緒に魔法の練習もしてアシュリンの散歩も一緒に行くぞー!』
ウェインは少し気まずそうで本調子でもなかったが、リーゼはお構いなしに喜んでいた。《黄昏の調べ》の一件以来、ずっと塞ぎ込んでいた友達が復活したのだ。誘拐事件が無事に解決したことも相まって当然嬉しいし、この調子でサラも記憶が戻るかもしれないと希望を抱けたはずだ。
……昨夜サラと話さなければ、俺も今頃はそう期待していただろう。
「色々大変だけれど、悪い事ばかりでもないわ。希望を忘れずにいきましょう」
嬉しそうなトレイシーを見て、クレアは優しい微笑みを浮かべている。ウェインの復活がみんなにいい影響を及ぼしていることは、まだ半日も経っていない状況でも十分実感できているほどだ。明日にはもっとみんなの表情は明るくなっているだろう。
クレアにはまだサラのことを話していないが……今日はやめておこう。明日か明後日かそれ以降か、いずれにせよ後でいい。せっかくの好事に魔を差すのは無粋ってもんだ。
今は俺も素直に喜ぼう。
この気持ちをみんなと共有しよう。
クレアの言うとおり、希望を忘れないために。
♀ ♀ ♀
ウェイン復活から三日後。
予定の出港日となった。
天気は良好で、空から見た限り海も穏やかだという。船出にはいい日よりだ。
停泊状態から船を動かすのは色々と重労働で、他に多くの船がある港内での操船もデリケートなので、俺の風魔法は港を出るまで使えない。つまり出港作業に幼女の出る幕はなく、更に港は魔物の心配がないともなれば、船縁の手摺にでも腰掛けて悠々と過すのがいい。航海中は突然の波や魔物の襲来に備えて、船縁に長居するのは禁止されているから、しばらくは手摺に腰掛けることもできない。
という考えから、船尾甲板の片隅で一人気ままに足をぷらぷらさせていると、いつの間にか子供たちが隣に座っていた。まずルティとサラがやって来て、それからリーゼに引っ張られてウェインも来た。左から順にリーゼ、ウェイン、俺、ルティ、サラと並んでいる。
一応、背後の甲板ではアシュリンがお座りし、メルは俺たちが海に落ちないか心配そうに見守っているが、数リーギスほど距離がある。メルが何か空気を読んで、子供たちだけにしてくれたのかもしれない。
「ぼく、ウェインのこと、あんまり知らない」
ゆっくりと船が動き出したとき、ルティが誰に向けるでもない口振りでそう言った。黒い瞳は見収めるように港の方を向いており、長い茶髪は潮風に吹かれるがまま揺れている。まだ朝と呼べる時間帯なので、夜気の名残を含んだ清澄な空気が気持ちいい。
「え、あ……それは、俺も、ルティカのことよく知らないし……」
昨日一緒に買い物には行ったが、ウェインはどうにもルティと距離感があった。ウェインにとってルティは友達の友達という感じなのだろう。
俺たち以外の子供に、ウェインがどう接していたのかはよく知らない。しかし、ウェインのルティに対する態度は明らかにぎこちない。どう接するべきか決めかねている感じだ。
「ウェインっ、ルティはルティって呼ぶんだ! 昨日も言っただろー!」
「そうね。年が近いんだから愛称じゃないと、なんか余所余所しいし友達っぽくないわね」
ウェインはリーゼとサラから即座にダメ出しを喰らっていた。
まあ、俺は野郎の気持ち分かるよ。俺やリーゼやサラと比べて、ルティはあまり自己主張しない大人しい幼女だ。俺たち相手のように接して傷付けてしまわないか、嫌われないか、心配なんだろう。
「うっ……じゃあ、ルティ」
「うん」
ルティは俺越しにウェインを見た。
ウェインも俺越しにルティを見ている。
お見合いかよ……なんだこの初々しい雰囲気は。いや、キョドってるのはウェインだけで、ルティはいつも通りぼんやりしているな。
「これからは五人みんなで魔法の練習だ! サラ姉もルティもちゃんとやるでしょ!?」
「わたしはあまりしたくないんだけど……まあ、いいわ」
「ぼくはリュートの練習したい。でも魔法もへたくそにならないように、復習はする」
サラは以前と比べて魔法が上手くないし、興味関心も薄くなっている。これまで一応という態で俺たちの練習に付き合ってきて、そのスタンスはウェインが加わっても変化はなさそうだ。
ルティも以前ほど魔法が好きではなくなっているようで、練習時はサラと同様に既に覚えている魔法の復習しかしていない。復習を終えると、一人さっさと切り上げてリュートを弄っている。
一方で俺とリーゼは熱心に新魔法を覚えようとしたり、同時行使の練習をしたりしているため、リーゼは二人にももっと真剣に練習してほしがっている節がある。自分が一生懸命やっていることを、仲良しの二人がおざなりにこなしている状況は嫌なのだろう。
「ウェインはちゃんとやるんだぞ! 前みたいにあたしがちゃんと教えてやるっ!」
「それはいいけど……お前のちゃんとはちゃんとしてないんだよな……」
「なんだとーっ!?」
なんだろう、この雰囲気。
こういう和やかな騒がしさは随分と久々な気がする。ウェインは昨日の買い物のときより更に調子が戻っていて、今の遣り取りなんかは館で生活していた頃を思い出させる。
やはりウェインがいるとしっくりくるというか、日常感が増す。
「そ、そういえば、ルティはリュート好きなのか?」
ご立腹なリーゼから逃れるためなのか、意外にもウェインからルティに話題を振った。やはりまだ少しぎこちない感じだが、早く馴染もうと頑張っているのかもしれない。
「うん、好き」
「……そ、そうか」
会話が終わっちゃったよ。
ルティはマイペースだから話題を発展させようとか考えないし、沈黙も気にしない子だから、話したければこちらからぐいぐい行くしかない。
俺は二人の間に座っているが、手助けしない。こういうのは当事者同士で、少しずつ互いに対する理解を深めていくべきだ。
「何がどう好きとか、どうして練習してるのかとか、ウェインに教えてあげたら?」
温かく見守ることにした矢先、サラが合いの手を入れていた。
サラはなんだかんだで優しいねぇ。
おじさんはみんなの声を聞きながら、ゆっくりと流れていくプラインの景観でものんびりと眺めているよ。なんだか今はそういう穏やかな気分でね。ウェインのことは自分が思っていた以上に悩みの種だったらしくて、それがなくなった今は随分と気が楽だ。反動で気が抜けちゃったのだろう。
まだサラのこと、獣王国のこと、他にもリーゼのことやツヴァイたちのことなど色々と懸念すべき問題は残っているが、いずれもすぐには解決できない。焦りは禁物だ。俺一人で全ての問題を抱えているわけではないのだから、みんなで一緒にあたれる問題は、みんなで一緒にやっていけばいい。
ウェインの目を覚まさせたYMCPが俺にそれを教えてくれた。
「リュートは、綺麗な音が出るのが好き。演奏は誰も傷付けないし、上手く演奏できたら、聴いてる人が喜んでくれる。だから練習して、みんなに喜んでほしい」
「そうか……まだ七歳なのに、凄いな」
「あと、いつかジークの歌を作って、みんなにジークのことを知ってほしい」
あら、そんなことも思ってたのか。
俺も見習ってユーハの歌でも作ろうかな。メロディは前世の名曲をパクって、替え歌にすれば、素人でも何とかなる。ヤングボーイを立ち上がらせたYMCPの歌となれば、パクる名曲はあれしかない。
「そのジークって人、どんな人だったのか訊いてもいいか?」
「うん。それじゃあ、ゼフィとイヴと一緒に教えるから、来て」
早速ルティは手摺を降りて、そそくさと歩いていく。急なことに戸惑った様子を見せつつも、ウェインも甲板に降り立って小さな背中を追っていった。
歌を作ろうとしてるくらいだし、好きな人のことは誰かに語りたいのだろう。リーゼやサラに比べて、やはりルティのことはあまり心配する必要はなさそうだ。あの子は自分で目標とかやりたいことを見付けて前に進んでいる。
「ローズ、さっきから何にも喋ってないけど、どーかした?」
リーゼは言いながら、ウェインの抜けた隙間を埋めるようにずりずりと手摺の上を動いて近寄ってきた。
「いやぁ、なんか久しぶりにいい感じの空気で、感じ入ってました」
「ん? 空気? ……べつにいつも通りだよ?」
「そうですねぇ、いつも通りですねぇ」
すんすんと鼻を鳴らすリーゼを見ていると自然と笑みが浮かんでくる。
「空気といえば、風魔法はあたしが使うぞーっ!」
突然、幼狐は思い出したように叫ぶと、真っ直ぐ伸ばした両腕を手摺につき、ルティより小柄な身体を丸めるようにして両足を胸元に引き寄せることで、小器用に手摺の上で立ち上がった。かと思えば〈疾風之理〉の魔力波動を放ちながらバク転を決めて甲板に着地し、次の瞬間には走り出す。先ほどのウェインのように、アシュリンが慌てたように後を追っていく。
港町に停泊中は思うように魔法が使えないため、フラストレーションが溜まっていたのかもしれない。風魔法を帆に当てて船を加速させていると、自分の力が直に感じられて嬉しくなるのだろう。
「相変わらず落ち着きのない子ね」
風のように走り去ったリーゼを見送って、サラが呆れたように呟いている。
「逆にあれくらい元気なリーゼでないと調子狂いますよ。ですよね、メル?」
「えっ、あ、うん。そうだね」
メルは急に話を振られて驚きつつも、垂れた獣耳が似合う穏やかな顔で頷いた。それから歩み寄ってくると、先ほどまでルティが座っていたところに手を置いて、嬉しそうに微笑む。
「ウェインが元気になってくれたおかげか、やっと前みたいなリーゼに戻った気がするね」
「メル、わたしはどう? 今のわたしは前みたい?」
「……そういえば、言われてみればそうだね。最近はサラも前みたいな感じだね。なんか雰囲気とか……うん、サラだね。これならきっとそのうち記憶も戻るよ」
今まさに気付いたという様子で、次第に喜色を露わにしていくメル。それを体現するように、サラに背中から抱き付いている。
「ちょっ、いきなり何?」
「ごめんね、なんだか急に抱きしめたくなっちゃって」
二人の間に百合百合しさは皆無で、仲良し姉妹といった光景はただただ微笑ましい。微笑ましいが……やはりサラのことが引っ掛かって、素直に喜べない。
今のサラは自然体として振る舞った結果として前のようなサラらしい雰囲気なのか、それとも意識して前みたいなサラを演じているのか。
後者だった場合、憂慮すべき事態だ。
しかし、悲観するのは早計かもしれない。
本物と見分けの付かない偽物が、本物に劣るとは限らない。最初は演技のつもりでも、やがてはそれが本人にとっても本物となるかもしれない。それでサラもみんなも幸せなら、それが悪いことであるはずがない。
とりあえず今はそう思うことにして、経過を観察していこう。それ以外にできることもないしな。
「あっ、メルほらユーハが来たから放してっ」
「サラは恥ずかしいの? わたしはユーハさんならこれくらい見られても平気だよ」
「いいから離れてっ、そんなに抱き付きたいなら向こうでさせてあげるわよ!」
サラは〈霊斥〉でメルを強引に引き剥がし、走り去っていく。追い掛けようとしたメルは一瞬ちらりと俺の方に目を向けてきたが、こちらに歩いてくるユーハを見て、何の心配もないとばかりに駆け出していった。
ユーハは擦れ違ったメルを優しい眼差しで見送ると、俺の右隣で立ち止まる。
「子供たちの明るい声を聞いていると、こちらまで気持ちが明るくなる」
「なら、私も年相応にきゃっきゃうふふな声を上げましょうか?」
小首を傾げながら戯けた風に言ってみせると、ユーハはふっと小さく笑みを零した。
「それはそれで一興であろうが、自然体が一番だ。殊更に声を上げずとも、ローズの明るい気持ちは伝わってくる。それだけで十分、某も快い気分となる」
「それも全部ユーハさんのおかげですよ。ありがとうございます」
「いや、これはローズのおかげだ」
相変わらず謙虚なオッサンだった。
褒め言葉くらい素直に受け取っておけばいいものを。
「ユーハさんがウェインを立ち上がらせてくれて、立ち上がったウェインがみんなを元気にして、そんなみんなの明るさがユーハさんのもとに返ってるんです。因果が巡ったといいますか、一周回ったんですね」
「うむ……なるほど。きっとその通りなのであろう」
ゆっくりと離れていく港町を穏やかな顔で眺めながら頷くと、ふとユーハがこちらに顔を向けてきた。俺を映す黒い瞳に闇はなく、むしろ光が覗いている。
「しかし、因果が巡ったと申すなら、それこそローズのおかげである。あの日、あの船倉で、ローズが某に手を差し伸べてくれたからこそ、今があるのだ」
「えー、そこからですかー」
「うむ、今ようやく一巡したのだ」
俺が大袈裟に呆れてみせると、ユーハは冗談めかした口振りで応じた。そのくせ声は真剣そのもので、口元に微笑みを湛えて続ける。
「今だから正直に申せるが、あのとき某は恐れていた。ローズの手を取るのが怖かったのだ。だが、勇気を振り絞って良かったと、今ではしみじみ思う。今こうして、皆と共に助け合える環の中にいる己を、某は誇らしく思う」
俺もあの日のことを振り返ってみた。
鬱々と一人暗闇に引きこもっていた男。幼女相手にすら目も合わせられず、陰気な態度で弱気なことを言って、ろくに笑みすら浮かべられず、あまつさえ自殺するために魔大陸に行くという絶望的に狂った思考をしていた。
それが今ではどうだ。
「ローズ、ありがとう」
俺の目を見て、どっしりと二本の足で立って、笑っている。
いい笑顔じゃないか。
「そ、そう改まって言われると、なんか照れますね……」
気恥ずかしくなり、眉のあたりを掻きながら正面に顔を戻す。
そこでふとリーゼの魔力波動が伝わってきた。間もなく船体が加速し始め、潮風が一層強く頬を撫でてくる。
「む、始まったか。そろそろ手摺からは降りるべきであろうな」
「では、お願いします」
俺が両腕を軽く上げてみせると、ユーハは微笑みながら脇の下に手を入れてきた。ひょいっと持ち上げられて、ゆっくりと甲板に下ろされる。
「私を軽々持ち上げるだなんて、頼もしい力持ちさんですね」
「そうであろう」
戯けた台詞にもっともらしい頷きを返す男に陰りはない。
剣ってのは硬すぎると逆に脆くなり、折れやすくなるという。だから良い剣というのはある程度の柔軟さがある。強い力が加わるとしなって、衝撃を受け流したり、元に戻ろうとする力で押し返したりする。だから、折れない。
きっと人もそんな感じなのだろう。
今のユーハなら、これから先何があっても、折れない。
「みんなのところにいきましょうか」
「うむ」
一緒に並んで歩きながら、そんなことを思った。
※19年11月に以下の修正は完了しました。
〈瞬転之理〉について。
次回から魔法名を別名に変更します(今のところ〈瞬転〉を予定)。これまでの分も順次修正していくつもりです。転移魔法の設定が、「之理」と付く魔法の設定から外れていることに気付いたためです。その辺の魔法設定の詳細は後々本編で説明予定です。