第百十九話 『異世界万事神鬼が計に非ず 後』
「――ぶゎっぷ!?」
突然、顔面に何か冷たい感触がして、一気に目が覚めた。深く沈んでいた意識が急浮上したせいで、寝起き時特有の心地良い微睡みの余韻などは微塵もなく、ただただ何事だという混乱で頭が一杯になる。
「――――――――」
慌てて顔を拭いつつ身体を起こすと、まず目に飛び込んできたのは白だった。不意打ち過ぎて言葉が出て来なかった。脳内まで真っ白になった。
薄らと明るい八畳間ほどの空間に、白がいる……白装束の奴が。
「神はお探しです」
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?
「そう警戒せずとも、貴様に危害を加えるつもりはありません」
やめて……いや、ほんとマジで、今はやめて……。
もう忘れたままでいたかったよ……。
というか、今はウェインとサラのことで一杯一杯なんだよ、あんたらの相手してる余裕はないんだよ。夜なのにどうして非情な現実と向き合わないといけないの? まさかこれが楽しい夢なの?
「…………痛い」
「自らの頬をつねるより先に、まずは立ち上がったらどうですか」
白装束は無感情な声で淡々と言い、俺に背を向けた。そして部屋の中央部にある小さな丸テーブルを回り込み、こちらに向き直ると、椅子の横に佇立する。
俺は深くゆっくりと溜息を零しながら立ち上がった。
とりあえず色々と言いたいことはあるが、まずは一応問わねばならない。
「あの、あなたはどちら様で? アインさんのお仲間ですか?」
「そうです」
短く応じる声は男のそれで、すらりとした長身からして成人だろう。上から下まで白装束に覆われており、目元以外に肌の露出はない。妖しくも美しい金色の瞳がこちらを真っ直ぐに見つめてくる。
「アインさんはどうしたんですか?」
「貴様がアインと呼ぶ者は神のご意向に背いたため、降格処分となりました」
「……神のご意向ってのはつまり、私にキングブル狩りをさせることで館に帰るのを遅らせて、《黄昏の調べ》の襲撃に間に合わないようにしようとしたことですよね?」
温泉宿の露天風呂で、アインさんは確かに言っていた。
『それは…………貴女を足止めするための、口実です』
すぐに帰れと言われた俺がキングブルのことはいいのかと尋ねると、そう答えたのだ。
あれから色々と考えてみたが、この白装束共の言う神ってやつは俺の敵かもしれない。真竜肝について教えてくれた件を含めたとしても、現時点では少なくとも味方とは思えない。
「まずは座りなさい。話はそれからです」
「いいえ、先に質問に答えてください。率直に言って、私はあなた方を信用できません」
ここで言うとおりに座れば相手のペースに乗せられそうだ。
俺は身構えながら、念のため室内を軽く見回してみた。物が少ない小綺麗な内装で、たぶん宿屋の一室だ。ベッドが二つ、収納箱が二つ、丸テーブルには魔石灯が置かれ、丸椅子が二つ、あとは上着を掛けるハンガーとか小物が数点。鎧戸は閉め切られて、魔石灯の明かりが過不足なくそれらを照らし出している。
「良いでしょう。貴様の質問に対する答えは、然りです」
臆した風もなく、堂々と答えやがった。
俺は睨み付けるように白装束を見つめながら、今はまだ冷静に問答すべきだと自分に言い聞かせていく。
「つまり、みんなを《黄昏の調べ》の連中に襲わせようとしたと?」
「襲わせようとはしていません。あの連中がリュースの館を襲ったのは、あの連中が勝手にしたこと。我々はただ状況を見守っていただけです」
「でも私に干渉して帰るのを遅らせたじゃないですか。それさえなければお婆様もアルセリアさんもヘルミーネさんも死ななかったかもしれないのに」
仮定の話など所詮は無意味だということは分かっている。
しかし、もしこいつらに邪魔されず帰宅できていれば、ユーハが初っ端から参戦できていたのだ。敵の戦力的にオッサン一人の加勢では結局館に侵入されていたかもしれないが、ユーハとアルセリアのどちらかが足止めして、その隙にどちらかが館に報せに行けば、みんなは避難できたかもしれない。あるいは転移盤を破壊するのでもいいだろう。
神だの使徒だのが邪魔しなければ、誰も死ななかったかもしれない。
それは白装束も分かっているだろうに、野郎は瞳に感情の揺らぎを見せることなく、変わらず淡々とした声で言いやがった。
「その可能性は否定しません。あのとき我々が貴様に干渉したのは、使命を自覚して欲しかったからです」
「使命……?」
何言ってんだこいつ。
その使命だか何だかがみんなの命より重いってのか?
はっ倒すぞこの野郎。
「《黄昏の調べ》にリュースの館を襲われて、貴様はどう思いましたか?」
「どうって……そりゃ、最悪ですよ。理不尽ですよ。憎いですよ」
「そうでしょう。我が神は貴様にそう思って欲しかったのです」
「……俺のこの怒りがお前らに向いてもか?」
俺はもうすっかり敬語の口調に慣れきっているものと思っていたが、違ったようだ。腹立たしいクソ野郎相手にはむしろ敬語など違和感しかない。
「それでも構いませんでした。それは今も変わっていません。そもそも実のところ、我が神は貴様を良く思っておられません。むしろ嫌っておいでです」
「へぇ……そいつは奇遇だな、俺もだよ」
「ですが、所詮それは些事です。我が神は情より理を重んじます。貴様が使命に目覚めることが肝要でした。故に、昨年は貴様に干渉して、館への帰還を遅らせようとしたのです」
白装束も依然として着席せず、身動きひとつせず、そこにいる。
いけ好かないが、俺も情より理を重んじるべきだ。こいつをどうこうしたところで、神だとかいう元凶は存在し続ける。今の俺がすべきことは、こいつから情報を引き出して、今後に備えることだ。今後いつまた干渉されても、適切に対処できるように。
クールにいこう、クールに。
「……で、その使命ってのは何なんだ? 《黄昏の調べ》をぶっ潰すことだとでも?」
「それは然りとも否とも言えます。《黄昏の調べ》の壊滅も貴様の使命の一部です」
「もったいぶってないで、さっさと言え」
「貴様の使命、それは――」
妙に熱の籠もった真剣味のある声だった。
金色の輝きを秘めた双眸は俺を真っ直ぐに見つめてくる。その眼差しは切実としていて、目を逸らすことが許されないような、憐情に似た逼迫感を抱かせてくる。
「世界を救うことです」
「……………………」
へぇー、ふぅーん、なるほどねぇー。
せかいをすくうのかぁー。
「鼻をほじらず真面目に聞いてください」
「ならそっちも真面目に答えろや。次ふざけたこと抜かしたら帰るぞ」
もういい加減なことは言えないように、語気強く釘を刺しつつ睨み付けておく。
……ったく、急に緊張感を漂わせて深刻な声で言うもんだから何だと思ったら、何が世界を救うだ。というか、俺だって好き好んで淑女にあるまじき暴挙に及んだわけではない。あまりにアホくさい話に頭が混乱して、思わずほじほじしちゃっただけなんだ。
「いえ、その……私は至って真面目です」
白装束は少し怯んだような様子を見せたが、それだけだ。
真面目に世界を救うとか宣っちゃう奴の相手など、するだけ無駄である。
俺は背後からの不意打ちを警戒して、後方二リーギスほどのところにある扉へ向けて、じりじりと後ずさりし始めた。情報収集も大事だが、今はウェインの方が大事だ。こんなアホに時間を浪費している余裕はない。
「あっ、ま、待ちなさいっ、いえお待ちください! 貴様は――貴女様には、世界を救って頂かねばならないのです! どうかお話だけでも聞いてくださいお願いします損はさせませんからっ!」
「うっせ、もう関わってくんな!」
こいつら、神とか世界を救うとか、ヤバイよ。
頭イッちゃってるよ、絶対危ない宗教だよ。
俺が転生者であることを見抜いている点は気掛かりだが、これ以上関わり合いになるのは不味い気がする。
「ウェインッ、あの少年ウェインのことは良いのですか!?」
「……あ?」
相手の少し取り乱したような素振りはどうでも良かったが、その発言内容は無視できなかった。
「こちらの話を聞いてくださるのであれば、ウェインの居所を我が神にお伺いいたしましょう! ご期待を裏切らない結果をもたらすことをお約束いたします!」
「…………ウェインがどこにいるか分かるって、それマジで言ってんの?」
「はい」
怪しい。
怪しさ満点である。
しかし、今は藁にも縋りたい状況であることは確かだ。現状、ウェインに関しては何の手掛かりもない。騙されないように十分警戒していれば、話を聞くくらいは問題ないだろう。
それに一応、真竜肝の件もあったし、絶対に嘘とは言い切れない。いや、もちろん嘘かもしれないけど、可能性はあるのだ。相手がカルト宗教の信者だとしても、話を聞くくらいでウェインの件が解決するかもしれないなら、聞くべきだ。所詮、聞くだけだしな。
「いいだろう。聞くだけは聞いてやる」
「ありがとうございます!」
場の主導権を握るために偉ぶって言いながら、どっかりと椅子に腰を下ろす。
すると、感謝感激の念を覗かせた白装束が対面の席に座りやがった。
「おい、何座ってんだ。プレゼンすんならお前は立ってろ、常識だろ」
「ぷ、ぷれぜん……?」
「話があるんだろ、早く始めろ。こっちも暇じゃないんでな」
俺は相手に左半身を向けるようにしてテーブルに左肘を突き、足を組んだ。白装束は慌てたように立ち上がり、モンスタークレーマーを前にした店員のような緊張感を覗かせつつ話し始める。
「え、えー、では、その……貴女様が世界を救うという件についてですが……」
「あくしろよ」
「はいっ、あの……我が神の方針によって、まだ詳細はあまりお話しできないのですが、貴女様には将来この世界を救うべく動いて頂きたく思いまして、しかしそれにはまず、今この世界の有り様が如何に酷いものか、身を以て理解して頂く必要があったのです。ほら、神を崇拝するにはまずその神の素晴らしさを理解せねば、心からの崇拝はできません。それと同様です」
信者特有の例えを持ち出されてもよく分からんが、何が言いたいかは漠然と伝わってくる。
「……要するに、だ。お前らは《黄昏の調べ》が如何にクズい組織かを嫌というほど実感させることで、連中を叩き潰そうと自発的に動いていくように俺を誘導しようとしたと?」
「ゆ、誘導と仰いますと、語弊がありますが……概ね、その通りです」
「……………………」
やっぱ宗教ってクソだわ。
そんな俺の内心を悟ってか、白装束は焦慮を滲ませた声で口早に話を進めていく。
「《黄昏の調べ》はこの世界の歪みが生み出した膿です。《黄昏の調べ》という組織を潰せたとしても、またすぐに代わりの組織が生まれます。貴女様が経験したであろう悲劇的な事件を二度と起こさせぬためには、膿の元凶であるこの世界の歪みそのものをどうにかせねば、《黄昏の調べ》のような組織を幾ら潰したところで根本的な解決にはなりません。聡明な貴女様であれば、やがてそうお考えになるはずです」
「まあ、そうだな。本当に本気で連中を潰そうと思えば、普通は根治しようとするわな」
あ……そうか、なるほど。
だから婆さんは隠居したのかもしれん。
その昔、婆さんは息子夫婦を殺されて、復讐に《黄昏の調べ》と戦っていたらしいが、あるとき虚しさに気付いて戦いを止めたという。それは復讐の無意味さとか、単純に疲れたからとか、そういう事情だったらしいけど、他にも理由はあったのかもしれない。つまり、《黄昏の調べ》のような組織が決して根絶することはないと悟り、諦めたのだ。
この世界において、魔法士の価値は高い。魔物がいるから自衛は死活問題だし、国家は他国に負けないための軍事力を求めるものだから、魔法という絶大な力は非常に重要だ。
にもかかわらず、大半の女性は魔力を持たず、魔法を使えない。だから魔女という存在を考慮したとしても、女性というのは低く見られがちだ。俺はあまり実感したことはないが、女性の社会的地位は男より低い。それは隠然たる事実のはずだ。だから世の男共は自分たちの方が優れた存在だと思い込むようになり、やがては魔女という例外的存在を邪魔に感じるようになる。
そうした考えが育つ土壌がある限り、《黄昏の調べ》のような組織も存在し続ける。世界の在り方そのものが変わらないと、場当たり的な、その場限りの対処しかできない。それで誰かを救えることはあっても、結局は何も変わらない。同じ事を延々と繰り返していくだけだ。
「ですから、その……昨年の一件は、そういうわけでして……」
先ほどまでは淡々としつつも堂々とした振る舞いを見せていた白装束は、今やすっかり恐縮した態で俺の顔色を窺ってくる。
「いやお前、なら普通に頼めよ。それなりの見返りとか用意してさ、まずは誠心誠意お願いするのが筋ってもんだろ? 何いきなり俺の行動を誘導しようとしてんだよ」
「いえ、あの……私はあくまでも使徒であって、我が神の深謀遠慮までは……」
「答えられないってか? なら俺が答えてやるよ。さっきお前、神は俺のこと嫌ってるって言ってたけどさ、それだよ。俺に嫌がらせしてんだよ。俺が嫌いだから俺の嫌がる方法採用してんだよ。違うか? 少なくとも今の話ではそうとしか考えられんぞ」
「い、いえ、私如きには……なんとも……」
上司の思惑を部下に問い質しても無駄か。
真のモンスタークレーマーなら理より情に従って下っ端を怒鳴り散らしていびるのだろうが、俺は理性ある幼女だ。そんな不毛なことをするより、話を前に進めるべきだと分かっている。
「まあいい。で? 具体的にどうやって世界を救えと? 《黄昏の調べ》のような組織を根絶するってことは、この世界の現状を変えるってことだぞ。俺に邪神をぶっ殺せとでも言うのか?」
「はい。まさにその通りです」
「……………………」
マジかよおい。
こいつ正気かよ。
金色の瞳を見る限り冗談ではないっぽいけど……でも相手は信者だしな。信者ってのは神というお題目さえあれば、どんな荒唐無稽なことでも心底から信じ切れる危ない連中だ。
「い、一応訊いてやる。具体的にどうやって殺すんだ?」
「それは今の段階では、まだお話しすることはできません。ただ、非常に大変な難事であることは確かです」
「そりゃそうだ。ていうか……え? 本当に本気で言ってんの?」
「我々は本気です。ですから、今は来たるべき時に備えて準備を進めておりまして、貴女様に強くなって頂くこともその一環です。我々の計画には貴女様の協力が必要不可欠なのです」
「……なるほど」
こいつら、信者は信者でも狂信者かもしれん。
もしそうだった場合は自分たちが狂っていることにすら気付いていないだろう。下手にこいつらを否定するようなことを口走ると、突然キレられて何をされるか分かったものではない。
刺激しないようにしよう……。
「それで、その……ここで最初の話に戻るのですが、神は現在ある人物を探しておいでなのです」
「へぇ、そうなの」
「我々の計画はその人物の協力がないと難航することが予想されておりまして……しかし我が神の御力を以てしても、未だ発見には至っていないのです」
「ふーん。で、ウェインは?」
「なるべく早期に発見し、協力してもらわねばならないのですが……どうにもその人物は相当に癖の強い方のようでして、行動の予測が難しく、また知己以外だと普通に接触して協力を仰いでも拒絶されることが予想されています」
「いや待て、そいつを発見できてない癖に、ウェインを見付けられるのかよ」
「あ、ウェインは大丈夫です。保証します。確実です」
めっちゃ自信満々に即答してきた。
ホントかよ……なーんか嘘臭いんだよなぁ……。
「それでですね、その人物というのは鬼人の方なのです。ですから、あるいは貴女様の莫大な魔力量に興味を惹かれて、あの鬼人ゼフィラのように向こうから接触を図ってくることがあるかもしれません」
「だからそいつに会ったら捕まえとけって?」
「はい。ですが、ゼフィラとは知己で彼女からは逃げ回っているようですので、くれぐれも引き合わせたりはしないようお願いします。もし逃げられそうになった場合は、サイルベア自由国の首都グローリーへ向かうように言って頂きたく思います」
なんだ、ゼフィラの知り合いか。
と思ったところで、遅まきながら気が付いた。
「で、つまりウェインはそいつの件と交換条件ってこと? こっちも人を探してやるから、お前も探せと?」
「いえ、その……交換条件と申しますか、貴女様は無償の施しは受けないだろうと、我が神が……」
「まあ、そうだな」
何の見返りもなしに助けてくれるとか、普通は怪しむ。
裏があるんじゃないかって疑うわ。こいつら相手なら尚更な。
「ウェインを見付けてくれるってんなら、引き受けてやる。ただし俺から積極的に探すわけじゃないぞ。向こうが接触してきたら、なんとか引き留めるかグローリーに向かわせてやるってだけだ。期待はするな」
「はいっ、ありがとうございます!」
腰を直角近くにまで折ってきた。
こうも謙られると、馬鹿にされている気分になる。こいつ最初は俺のこと貴様とか言ってたくせに、今では貴女様とか言ってるし……。
「でも勘違いするなよ。お前らのその、世界を救うとか何とかって計画に協力するって言ってるわけじゃないからな。これツンデレじゃないぞ、マジだぞ」
「はい。今はそれで構いません」
存外にあっさりと頷かれた。
今はという部分が引っ掛かるけど……とりあえずウェインだ。今はウェインが重要だ。
「じゃあ早速、ウェインの居所を神とやらに聞いてくれや」
「承知いたしました。では神へと祈りを捧げますので、少々お待ちを」
白装束はおもむろにその場に跪いた。両手を組んで目を伏せた祈りのポーズを取ると、身動きひとつせずに黙り込む。
割と神聖な行為をしているように見えなくもない。
「……………………」
なんだか時間が掛かりそうだから、大人しく待つことにした。
そう思った僅か数秒後。
白装束はゆっくりと芝居がかった動きで目を開け、立ち上がった。俺を真っ直ぐに見つめてくる双眸からは確かな自信が窺える。
「我が神は願いを聞き届けてくださいました」
「早いな。で、なんだって?」
「即座に発見し、今し方こちらに送ってくださったようです。そちらの箱に入っているとのことです」
「は……?」
困惑する俺を置いて白装束はベッドに近付くと、ベッド前にある長持みたいな収納箱の蓋の開けている。俺はまさかと思いつつ駆け寄って、白装束の脇から箱の中を覗き込んでみた。
「……うっそだろ、お前……マジかよ」
紺色の髪の少年が箱の中で膝を抱えるようにして丸まっている。
どう見てもウェインだった。
気絶しているのか、寝ているのか、目を閉じたまま動かない。まさか死んではいないと思うが……え? 本当の本当にウェインなの?
「お出ししましょう」
呆然としていると、白装束が少年を抱えてベッドに寝かせた。
俺は気を取り直して、少年が本当にウェインかどうか、そしてきちんと生きているかどうか、怪我はないかを確認していく。結果、本当にウェインで生きているし、身体に異常は見当たらない。ただ、念のため特級の治癒と解毒の魔法は掛けておく。
「…………あぁ、良かったぁ」
意識はないようだが、そのうち目覚めるだろう。
ほっと胸を撫で下ろした。
すると、俺の横に立つ白装束がふと誇らしげに胸を張って、堂々たる声を上げた。
「これが我が神の御力です」
す、すげえ! ゴッドパワーすげえっ!
こいつの神ならマジで邪神も倒しちまうかもしれねえな! 俺も下手に逆らったら何されるか分からないし、ここはこいつらの計画に協力するのが良さそうだな!
「とか思うわけないだろ、いい加減にしろ」
「はい? 何か仰いましたか? あ、そういえば、その、非常に恐縮なお願いなのですが、私にもアイ――」
「おいこのペテン野郎!」
裏返った安堵感が怒りとなって湧き上がってきた。
俺はベッドの上に飛び乗って、相手の胸ぐらを掴んだ。幼女の力では上手く引き寄せられないが、構わず白装束の両目を間近から睨み付けて怒鳴る。
「テメェこんなくだらねえイカサマしやがって! これで俺を騙せると本気で思ってんのか!?」
「――ひぃ!? も、申し訳ありませぇんっ!」
情けない声を上げ、萎縮したように身を強張らせる白装束。
こいつ幼女相手に怯むとか、実は結構軟弱な奴なのかもしれん。
「今後俺に色々協力させるためにウェインを出汁にしやがったな!? お前らがウェイン攫ったんだろっ、あぁん!?」
そうとしか思えなかった。
よほどのアホでない限り、俺と同じ考えに至るはずだ。
自作自演は宗教の十八番って、それ一番言われてるから。
「さ、攫っておりませんっ、誓って我々ではありません! 我が神によればっ、神によれば先ほど獣王国の手先も捕縛されたそうでして、そちらの箱に送って頂けたと、今まさに天啓が!」
「最初から入れてたんだろうが!」
「疑われるようでしたらそちらをっ、そちらを尋問してくださいっ!」
白装束は隣のベッド前にある収納箱を指差しながら必死な感じに叫んでいる。
仮にあっちの箱にも人が入っていたとしても、そいつが獣王国の手先とは限らない。むしろこいつのお仲間で、もしそいつが信仰のためなら拷問どころか死すら厭わぬ狂信者だった場合、最後まで嘘を貫くだろう。
信者にとって神は絶対だ。信仰対象の絵を踏まないと生命の危機に瀕する場合だろうと、決して踏まない。信仰は命より重い。それが宗教の力なのだ。
だから、それを逆手に取ってやればいい。
「ほう、つまりお前はこう言うわけか? 獣王国の手先がウェインを攫って、今まさに神の御力とやらでウェインを助けて、その箱の中に転移させたと?」
「そ、そうです、まさに」
「お前それ、神に誓って嘘じゃないって言えんのかよ」
「神に、誓って……?」
呆然と呟き、じっと見つめてくる金色の瞳。俺から目を逸らさず、魅入られたように凝視してくるので、俺も負けじと眼球は動かさず睨み続ける。
「か、神に……いや、でも……僕はただ神のご指示で……神、でも神に対して嘘は……いやいや神のためなら嘘でも……でも神に、誓っては……神は……神が、神で……う、ぅ、うぅぅぅうぅぅぅぅ……」
やはり主は偉大なり。
信者がパラドックスを起こして混乱し始めた。
「嘘は良くないぞ。ほら、正直に話せ。ローズちゃん怒らないから」
「か、神……神は、偉大です……」
「うんうん、その偉大で俺のことが嫌いな神様に指示されたんだよな? うん?」
「…………はい」
ゲロった。
こいつ意外と脆いな。それだけ根が純真ってことなのかもしれんが。
しっかし、なんで神はこんな見え透いた詐術を指示したんだ? 俺が中身まで幼女なら騙せるかもしれないが、転生者だと分かってるなら、こんなチンケなゴッドパワー(笑)を信じるわけがない。相手もそれが分からないほど馬鹿ではないはずだ。
いや……待てよ、まさか……おちょくられてんのか?
この展開も含めて全て神の掌の上か?
そうなると実は本当でしたという裏を掻いたオチもあり得る。つまりあっちの箱に入っているのは本当にウェインを攫った誘拐犯で、そいつは神とか使徒とか関係なく、マジで獣王国の手先ということも……。
ダメだ、もう分からん。深く考えるのはやめよう。
「おい」
と呼び掛けたところで、遅まきながら気が付いた。
アインさん同様に、俺はこいつの名前を知らない。今なら本名を尋ねれば聞き出せそうだが……やめておこう。こんな狂信者とお友達になるつもりはさらさらないからな。
でもアインさんは俺に味方してくれたしエルフな美少女だからもちろん別よ?
「あーっと、ツヴァイ」
「……ツ、ツヴァイ? それは僕のことですか?」
懊悩するように眉根を寄せて俯いていた野郎がそっと顔を上げた。俺を映すその瞳には暗雲立ちこめる空に一筋の光が差した様を連想させる希望と喜びが込められている……ように見えた。
俺は胸ぐらから手を放し、左手を腰に当て、背を少し逸らすことで相手を見下しているようなポーズを取って、言い放つ。
「そうだ。お前の本名なんて俺は呼んでやらん。ツヴァイで十分だ。それでさっき獣王国の手先とか言ってたが――」
喜色満面の笑みを浮かべている。
目元以外を隠す布越しでも、そうと見て取れた次の瞬間。
ツヴァイはその場に跪いて、深く頭を垂れてきた。
「洗礼名、頂戴いたしました」
「は……?」
急に何言ってんだこいつ。
全く意味が分からない。
いや、まだ頭がバグってるのかもしれん。
相手は狂信者だし、気にしないようにしよう。
「我は偉大なる神に仕えし第一の使徒、ツヴァイ。私にお答えできる範囲であれば、何でもお答えいたします」
「いや、それ何でもじゃないじゃん。ていうかツヴァイは第二の使徒だから。第二の使徒用の呼び名だから」
「えっ……?」
恭しくも喜々とした様子から一転、愕然と目を見開いて硬直するツヴァイ。
凄いショックを受けているように見える。
「あー、いや、そんなことより、さっき獣王国の手先って言ってたけど、それ一人だけなわけ?」
「……い、いえ……四人、です」
「じゃあそいつら〈霊衝圧〉でも喰らわせて縄でふん縛ってドラゼン号に連れて来い。尋問するから。もし連れて来なかったら、お前の言う鬼人の件は協力しないからな」
本当は協力どころかこれ以上は関わり合いたくもないが、今は安全確保が第一だ。きちんと尋問して、そいつらが本当に獣王国の手先なのか、手先であれば俺たちに関する情報がどの程度伝わっていて、どの程度の規模で捜索されているのか、色々と聞き出す必要がある。
「……はい、承知いたしました。連れて行きます」
ツヴァイは少し落ち込んでいるようだが、気にしない。
「そういえば、例の鬼人についてまだ何も聞いてなかったな。名前とか容姿はどんなだ?」
今回の件、もし本当にこいつらがウェインを助けてくれたとしたら、一応は交換条件ということだから、俺も相手のために動かないと恨まれそうだ。ただでさえ神は俺のこと嫌ってるらしいからな。どうせ今後も何かしらちょっかいをかけてくるだろうけど、向こうに大義名分を与えないためにも、提示された条件はしっかりと呑んで、履行せねばなるまい。
……この思考も相手の思う壺のような気がしないでもない。
「あ、そうでした……まずはこちらを」
ツヴァイは気を取り直すように大きく深呼吸をして肩を上下させると、懐から一冊の本を取り出した。そして跪いたまま、両手で恭しくこちらに差し出してくる。
受け取ってみると、表紙には『俺様世界周遊記~蛮勇編~』と書かれていた。
「え、これは……」
「その者の自叙伝の一冊です。人となりは概ねその本の通りだそうなので、ご参考ください。一応似顔絵も挟んでありますので、併せてご覧頂ければと思います。その他の特徴としましては、基本的に黒眼鏡をして刀を一本持ち歩いており、外見年齢は二十代半ばから後半ほどの男性のようです」
「……え?」
蛮勇編ってなんだよ。続刊かよ。読むわ。
っていや、そうじゃなくて、俺様って鬼人だったの?
本を参考にって、あんな奴が本当に実在すんの?
誇張とかフィクションじゃなくて、マジで?
「普段はベオと名乗っているようですが、本名はベオグラードです」
「…………ん? 鬼人で、ベオグラード?」
「はい。我が神によれば、《覇王》ベオグラード・ハイネスその人のようです」
あ、へー、ふーん。
なるほどねー、覇王様かー。
「頭がパンクするから、そんな一気に話すなボケ」