第百十六話 『それとも罰か。』
思い……出した!
そうだ、俺は負荷実験を行っていたんだ。
そして最悪の予想が現実のものとなってしまった。魔力切れを起こすと意識が強制シャットダウンするという、魔動感のデメリット並にヤバイ事実が存在する可能性が濃厚極まる事態に陥ってしまっている。
しかし、悲観することはないはずだ。
魔動感にはデメリットもあるが、それと同等以上のメリットがある。つまり、今回の魔力切れによる意識喪失というデメリットにも、それに見合う何らかのメリットが存在することは確定的に明らかである。
回想は負けフラグというのが通説だが、前世がある男の回想は勝ちフラグ。
常識だよなぁ。
「さて、そろそろいいかの」
あれこれ考えている間に粗方の面々が集まって、ゼフィラが口火を切った。
この場には子供たちの他に、クレア、セイディ、メルはもちろん、イヴとミリア、ユーハとベルもいる。みんな俺を心配してくれて、どうして倒れたのかも気にしてくれているのだ。
尚、ウェインは相変わらず鬱々と引き籠もっているらしく、ライムとソーニャとツィーリエ、それにトレイシーは外にいるようだ。今は普段なら就寝前くらいの時間とはいえ、夜行性の魔物も数多いため、いつ何時も見張りは欠かせない。
「待って。ゼフィラさん、なんだか急にローズが汗を掻き始めているんですけど、これは大丈夫なんでしょうか? ローズ、どこか苦しいの?」
黒髪巨乳美女がハンカチで俺の額を優しく拭いながら、気遣わしげに尋ねてきた。
「いえ……さっきも言ったとおり、怠いだけで、他は大丈夫です」
「でも、この汗は……」
「妾にはただの冷や汗に見えるの。半端に聡いそやつのことだ、自らの状況に大方の予想がついて肝を冷やしておるのだろう」
ひ、冷や汗なわけないだろっ、いい加減にしろ!
「一応、治癒魔法を掛けておくわね」
と言って、クレアが静かに詠唱して、上級治癒魔法を行使してくださった。
身体的な怠さに変化はないが、心はだいぶ落ち着いた。
「もういいかの。では始めるぞ」
向かいの二段ベッドの下段で、涅槃仏みたく片手で頭を支えて偉そう横たわるゼフィラが面倒臭そうに口を開いた。
「お主らも既に周知の通り、そやつが気絶するに至ったのは魔力の枯渇が原因だ。問題はなぜ魔女である小童が、魔力の減少あるいは枯渇により、身体的不調が見られるようになるのかだが……」
ふぅ、やれやれ。
またしても俺の秘めたる才能が明らかになるのか。
そうなるとリーゼなんかは『すっごーい、ローズは多才なフレンズなんだね!』など騒ぎ立ててベタ褒めし、俺を調子に乗らせてくることだろう。
まったく、困ったもんだぜ。
「そやつが俗に言う呪子だからだの」
…………まったく、困ったもんだぜ。
「ノロイゴ? なにそれ?」
小首を傾げるリーゼと同様に、他の面々も互いに顔を見合わせたりして、不明を露わにしている。一方で俺は汗が止まらなくなっていた。
な、なんか肝が冷えてるから、多少はね?
「昔どこか聞いた覚えがあるわ。聖神に祝福された存在である魔女とは対照的な存在――それが呪子らしいわね」
さすがは元皇族のお姫様なのか、ミリアは一般的に知られていないはずの情報もご存じだった。たしか呪子の存在って、エイモル教会もとい聖神アーレの威光だか威信だかを保つために、教会が隠匿してるとかなんとか、白竜島でオルガの姐御から聞いたけど……。
「対照的って、それじゃあ呪子というのは、邪神に特別呪われた存在ってことかしら……?」
ベルが筋骨隆々な巨体にそぐわぬ不安をオカマボイスに宿し、恐る恐る尋ねている。
「アタシも詳しい訳ではないし、知識が正確かも分からないから……ゼフィラさん?」
「エイモル教においては、邪神オデューンは全ての女から魔力を奪い取っておるが故に、対抗して聖神アーレが全ての女に庇護を与えておるとされておろう。それにより、魔力の減少や枯渇で肉体に不調を来す男とは異なり、女はどれだけ魔力が減ろうと体調に変化はない……という説が常識なのであろう?」
確認するようなゼフィラの言葉に、各々頷いている。
「しかし、呪子はこの聖神アーレの加護を打ち消すほど、邪神オデューンの吸魔が特別強く作用しておる……というのがエイモル教会の見解だ。魔女が聖神の祝福を受けた女であるとすれば、呪子は邪神の呪詛を受けた女となるのであろう」
「でも、お姉ちゃんは魔女。みんなの中で、一番上手に魔法使えるし、一番魔力も多い」
「そうだっ、ローズは凄い魔女なんだ! 凄い祝福を受けてるのに、呪子とかよく分かんないのなわけない!」
俺が身体だけでなく中身まで女であれば、ルティとリーゼの言い分は最もだろう。
二人からは俺を庇おうとしてくれている気持ちが伝わってきて、心が温かくなる。しかし、だからこそ申し訳のなさも覚える。俺は自分が男であることを黙っているが、それは嘘を吐いているも同然なのだ。
「そう騒ぐでない。説明してやる故、大人しく聞いておれ」
ゼフィラは幼女の抗議を適当にあしらい、流暢な口振りで語り始めた。
「お主らの言う聖神の祝福あるいは加護とやらは、肉体という器に作用しておる。一方で邪神の呪いとやらは、霊魂や精神といった中身に作用しておる。先ほどはエイモル教会の見解として、呪子は聖神アーレの加護を打ち消すほど邪神オデューンの吸魔が強く作用しておると言ったが、これは誤りだ」
教会の見解を臆面もなく否定し、銀髪美少女はベッドに横たわったまま続けた。
「聖神の加護とやらは器に作用することで、器の強度を上げておる。邪神の呪いとやらは器の強度にかかわらず、常に一定の強さで中身に作用する性質を持つ。通常の魔女は邪神の影響力より、聖神に補強された器の強度の方が勝っておるが故に、中身の漏出を防げておる。通常の女は聖神により補強された器の強度より、邪神の影響力の方が強力故に、魔力を吸われてこそおるが、それ以上の悪影響はない」
邪神の力は、女なら古今東西誰にでも平等に働いているが、聖神の力にはムラがある。その不安定さが魔女や呪子という存在が生まれる原因になっている……ということかな?
「問題の呪子と呼ばれる者たちは、邪神が特別強力に呪いをかけておるのではなく、聖神の加護の方が特別脆弱なのだ。つまり器が脆いが故に、通常の女であれば耐えられる内圧の低下にすら、器がたわむ」
ん……え? 内圧?
ちょっと待って、どういうことだってばよ……?
「しかし、本来であれば器はたわむものなのだ。だからこそ、男は内圧の低下に――魔力の減少や枯渇によって、倦怠感や虚脱感、あるいは意識喪失などといった肉体面における不調を来す。元来、人は肉体に一定量の魔力を保持しておかねば、健康状態に支障を来す生き物なのだ。それを克服したのが女であり、旧来通りの性質を有するのが男というわけだの」
……な、なるほど?
「……………………」
ゼフィラは一旦区切りを入れるように、みんなの顔を見回している。しかし、誰も彼も幼女もが一様に小難しい顔をして固まっていた。たぶん俺もそんな顔してる。
申し訳ないが、あんたの話はちょっと難しすぎんよぉ。
いや、分かるような気がしないこともないけど……少し混乱している。
「え……ごめん、アタシちょっと話が難しすぎてついていけない……お姉様は分かります?」
「……魔女は聖神の加護を特別強く受けているから、魔力を奪い取られずに済んでいる。対して、呪子は聖神の加護が特別弱いから、魔力を奪い取られている。邪神の呪いは全ての女性に対して常に一定の力で働いていて、聖神の加護の方にこそ人によって強弱の差がある」
白翼が美しい天使めいた美女の問いに、クレアは思案げな呟きで応じている。それに続くようにして、ミリアが腕組みした格好で口を開いた。
「要するに、呪子というのは加護がないという点で、男と同じってことなのよね。でも男と違って、全ての女は等しく邪神の呪いの影響下にあるから、呪子は常に魔力が吸い取られ放題。だから呪子は常に体調が悪くて、今のローズみたいに寝込む人ばかり。もし邪神が男からも魔力を奪い始めたら、男たちは呪子同然の状態になる……そういうことでしょう?」
「うむ、ひとまずはその理解で良い」
なるほど、美女たちのおかげで俺もしっかり理解できたぞ。
呪子というと邪神の影響力が特別強いように聞こえて紛らわしいんだよな。実際は聖神の加護を人より受けられていない薄幸の女って感じだろう。
つまり俺は幸が薄いのか……いや、みんながいれば俺は十二分に幸福だ。
「クレアとミリアの言ってることもよく分かんない! サラ姉っ、どういうこと!?」
「……うーん、わたしはなんとなくでしか分からないから、説明は難しいわ」
「ぼくもよく分からない」
「お姉様のおかげでアタシは分かったわよっ!」
まあ、割と複雑な話だし、子供たちはよく分からなくても仕方がない。でも、だからってセイディはそう自慢げにない胸を張らないでくれ。大人げないし、哀愁を誘われる……。
「では、本題に入ろうかの」
ゼフィラは大人たちが理解できていれば良いと判断したらしい。分からない人には、分かった人が後で教えてやれということだろう。
だからそこの眼帯中年さんよ、そんな焦ったような顔しないでいいんだぜ?
オッサン同士、お前を見捨てたりはしないからさ。
「最初に告げたように、そこの小童は呪子だ。器が脆いが故に、中身が減少するにつれて肉体的な不調を来す。そして使い切ると、此度のように気を失う」
「でもローズは魔女だ!」
「それは然りとも言えるし、否とも言える。そやつは魔女であって魔女ではなく、呪子であって呪子ではない。中身が特殊であるが故に、吸魔の対象にはならぬから、呪子の身でも魔力を保有できておる。しかし反面、器が呪子の性質を帯びておるが故に、通常の魔女のようにはいかぬのだ」
これまでの話を纏めると、こういうことだろう。
この肉体は紛うことなき女だけど、聖神様の良くも悪くもムラのある加護のせいで、魔女どころか普通の女性並の加護すらない呪子という状態にある。しかし、俺は精神的には男だから、全ての女性に対して平等にマジカルハラスメントをかます邪な変態神の眼中にない。だから、魔力を保有できている。
というか、俺は呪子の身体に転生していたのか……。
オルガから初めて呪子の話を聞いたときには思ってもみなかった。
俺は普通に魔法を使えていたし、何より魔力量が多かったから今まではろくに減らなくて、気付く余地もなかったせいだろう。婆さんですら、俺が呪子である可能性など考えもしなかったはずだ。
しかし、ゼフィラは俺の性別を――人の霊魂だか精神だかの状態を見抜ける魔眼を持つ鬼人だからこそ、魔女のくせに魔力の枯渇で気絶する俺の状態を理路整然と説明できるのだ。
それは理解できたけど……まだ疑問はある。
この世界で俺が俺として目覚めたのは、奴隷幼女たちが満載された馬車の中だった。この肉体の誕生から、俺の意識が覚醒するまで、おそらく三年ほどのブランクがあったはずだ。
もしこの身体が呪子であれば、赤子の頃から寝たきりの状態だったと思われる。そんな役立たずな幼女を工場で働かせる労働力として連れて行くか?
「あの、ゼフィラさん……ところで、呪子の利点とかはないんですかね?」
まあ、今はそれより希望を探そう。
既にどうしようもない過去のことを考えるより、無限の可能性に満ちた未来を見据えて思考すべきだ。
「利点?」
「ほら、魔動感みたいに、弱みを打ち消すほどの強みとか、なんかあったりしません?」
「ないの」
情け容赦のない即答だった。
「お主に限って言えば、むしろ弱みしかない」
ははっ、ぬかしおる。
「此度、お主は気絶してから目覚めるまでに六時間以上を要した。つまり、最低限それだけの時間で回復した分の魔力がなければ、意識すら保てぬという訳だの。未だに起き上がれぬところを見るに、身体を動かすには更なる魔力を保持しておく必要があろう」
前世がある男の回想は勝ちフラグ。
常識だよなぁ。
でも……それは主人公じゃないと適用されないんだよ……うん、分かってた、分かってたよ……でもさ、少しくらい夢見たっていいじゃない……だって男の子なんだもの……。
「待たれよ」
絶望しかけていたとき、ふとユーハの低い声が耳朶を打った。
「ローズは常人より遥かに魔力量が多いのであろう? であれば、単位時間あたりに回復する魔力量も常人より多量のはず。でなくば、これまでに一度くらいは枯渇しておる。にもかかわらず、未だに起き上がれぬのは……些かおかしくはなかろうか?」
そ、そうだ! そうだよオッサン!
俺はこれまで毎日のように、そこらの魔法士より多くの魔法を使ってきた。大量の魔力を消費してきたのだ。それを一日でリカバリーできるほどに、俺の魔力回復能力は優秀なはずなんだ。
さすがユーハ、いざというときは頼りになるぜ!
この事実に基づくオッサン理論をゼフィラが崩せなければ、これまでの彼女の話の信憑性も怪しくなる。つまり、本当は俺が呪子でもなんでもないという可能性が微レ存……。
「愚問だの。先にも説明してやったとおり、肉体と魔力とはすなわち器と水のようなもの。そやつが多量の水を保有しておるということは、その器も相応に巨大なものとなる。例えば、そうだの……お主のその大柄な肉体と小童の小柄な肉体、双方から三割にあたる血液をそれぞれ吸い出し、双方の足下に血溜まりを作ったとする。さて、どちらの血溜まりの方が大きい?」
「……すなわち、割合だと?」
「然り。魔力の減少における肉体の好不調は、その者が有する魔力総量のうち何割を消費したかによって左右される。幾ら常人より魔力回復量が多くとも、一定の割合にまで回復せねば肉体の調子が戻らぬ以上、小童とてそこは常人とさして変わらぬであろうな」
……うん、どうせそんなことだろうとは思ったよ。
「まあ、単位時間あたりにおける魔力回復量にも個人差はある。連日のように常人より大量の魔力を消費しておきながら、これまで一度も枯渇したことがないのであれば、常人より回復する割合が少なくないことは明らかであろう。実際、ここ最近のそやつは一日で魔力総量の五分の一程度、回復しておった」
五分の一か。
つまり俺は枯渇するまで魔力を使い切った場合、全回復に五日掛かるということだ。いや、夜だけ休眠して五分の一なら、一日中休んでいれば、もっと回復量は多くなるか。
「ふむ、そうであるか……」
少しがっかりしたような感じで、ユーハは悄然と頷いている。
きっとユーハは俺のために、俺の弱点を否定してやりたかったのだろう。でも、その気持ちだけで十分だよ。
それに、オッサンのおかげで気付けたことがある。
「肉体の不調が魔力総量のうち一定割合を下回ると起きるということは、分かりました。でもそれなら、教会で魔女かどうかを検査する際も、割合で判別してるってことですか?」
「ほう、また妙なところに気付くの」
「えっ、そうなんですか?」
垂れ耳がキュートな獣人美少女が思わずといったように反応した。メルの控えめな性格上、今までは話の邪魔をしないようにと意識して黙っていたのだろうが、彼女にとって意外な情報だったのだろう。いや、クレアとかセイディも興味深そうな顔をしているな。
尚、リーゼは船を漕いでいた。ルティも眠そうに目を擦っている。普段ならもう就寝時間だし、ひとまず俺が倒れた件の真相は解明された。にもかかわらず小難しい話ばかりで、退屈になってきたのだろう。サラは結構興味津々な様子だが。
「何を驚いておる、小娘。言ったであろう、邪神は常に一定量の魔力を女共から奪い続けておるのだ。一定割合ではない、一定量だ。これは裏を返せば、吸魔される以上の魔力回復量を備えておれば、聖神の加護とやらがなくとも多量の魔力を保有できる」
ゲームで例えれば、毒によるスリップダメージを上回る継続回復効果があれば、見かけの上ではHPが減らないどころか徐々に回復していくのと同じ現象だ。
「実際、稀にではあるが、器の強固さではなく潤沢な中身を以て、魔女となっておる者もおる。区別するためにそやつらは魔力魔女、一般的な魔女は耐吸魔女と呼ばれるが、魔女といえば通常は後者を指す」
この鬼ババア、俺たちの知らない知識どれだけ持ってんだ。
婆さんはエイモル教会が擁する聖天騎士団のトップだったから、魔力魔女のことも知っていたかもしれないが、俺たちは教えてもらっていない。
まあ、オルガ曰く、婆さんは『特別な才能は人を幸福から遠ざける。そしてときには無知が平穏をもたらす』というスタンスでいたらしいから、敢えて俺たちには教えなかったという可能性も十分ありそうだ。あるいはもしかしたら、婆さんなら俺のことを魔力魔女だと疑っていたかもしれないが……もはや本当のところは永遠に不明だ。
「魔力魔女は本人にその自覚などない上に、魔力の回復速度は余人より遅いことがほとんどだ。並の魔女より回復量が多くとも、常に吸われ続けておるからの。耐吸性がない故に、エイモル教会が規定しておる魔女の定義からも外れておる。まあ、妾からすればどちらも魔女であることには変わらぬが」
「へぇー、魔女って一口に言っても色々いるのねー。ちなみに、今言ったような魔力魔女ってアタシたちの中にいる?」
「おらぬな」
変わり種は俺だけかよ。
仲間が欲しかった気持ちは少しあるけど、みんなが邪神からマジハラを受けていないのであれば、それに越したことはない。ある意味、一安心だ。
「あの、先ほど言っていた、魔女かどうかを検査する際は割合で判断するという話ですけど……これは赤子だけでなく、大人も検査を受けることがあるから……ということですか?」
「うむ」
メルの遠慮がちな問い掛けに、ゼフィラは相変わらずの涅槃仏姿勢で頷きを返している。
魔女ではない成人女性でも微量なら魔力を有するらしいので、割合判断は妥当だろう。魔力は体力と同じく休息することによって回復するため、睡眠時における回復量が最も多い。つまり睡眠時に限定すれば、魔力魔女ではない女性でも邪神による魔力吸収量を僅かに上回る回復量を備えているのだろう。だから、起床して間もない時間帯なら魔力を保有していてもおかしくなく、それをもってして『成人女性でも微量なら魔力を有する』という説となる訳だ。たぶん。
そういう事情があるから、魔女を詐称できないように、検査する時点で保有している魔力量の割合を測る。最大保有量の七割以上とか、そういう基準があるのだろう。
魔弓杖のように、意識的に魔力を込めずとも使用できる魔法具もあるが、それだと割合までは測れない。魔力検査はどの国も教会が行っているという話で、なぜ各国の政府が独自に行わないのか、それほど教会の権威が絶大なのかと少し違和感を覚えていたが、さにあらず。単純に魔女を詐称あるいは誤認できない特殊な検査用魔法具を教会が独占しているためだろう。
ゼフィラの言う特殊な魔女――魔力魔女は、活動時休息時に関係なく、邪神による魔力吸収量を常に上回る驚異的な超回復力を発揮する人だから、魔力検査では分からないという訳だ。
変わり種の魔女とはいえ、俺とは性質が根本的に違うな。
「付け加えるのであれば、保有する魔力量の割合に加えて、肉体の吸魔耐性――すなわち器の強度も同時に測る。後者は秘密裏に行っておるようだがの」
魔力魔女も魔力検査で判別できるのかよ。
まあ、魔弓杖みたいな魔法具は使用者の魔力を自動的に吸収している訳だから、べつにおかしな話ではないのかもしれない。
でも……あれ? 魔法具で邪神の御業と同じ吸魔現象を再現できるの? いや、無線と有線くらいの違いはあるから厳密には違うだろうけど、でもそれって凄いことだよな? というか、それは聖神アーレを絶対神と崇める教会的にはアウトなんじゃ……あ、だからこそ秘密裏に行われているのか?
「じゃあ、その珍しい魔力魔女だって分かった人はどうなるわけ? わざわざ吸魔耐性とやらも測ってるんだから、教会としては何か意味があるのよね?」
好奇心を覗かせるセイディに対し、ゼフィラは呆れたような溜息を吐いて、さも面倒そうな口振りで応じた。
「つい先ほど言ったであろう。魔力魔女はエイモル教会が規定しておる魔女の定義から外れておるのだ。耐吸性――お主らが言うところの聖神の加護を備えておらぬのだからな」
「え、じゃあ何? 魔力魔女は魔女だって判定されないわけ?」
「そうなるの」
うっそだろお前……魔女であることには変わりないのに、もったいない。
あれ、でも待てよ?
「ゼフィラさん、さっきは潤沢な中身を以て魔女となっている者もいるって言ってましたよね? つまり魔女として活躍してる魔力魔女も実際にはいるんですよね?」
「…………ま、その話はまた別の機会にしてやろう。もう本題は済んでおるしの、小童の件を説明するという約束は果たした。今回はここで仕舞いとする」
確かに、俺が気絶した理由は既に解明済みで、魔力魔女の話は自然と発展した話題だ。ゼフィラとしてはもう面倒で、今はこれ以上話したくないのかもしれない。
でも……私、気になります!
婆さんが魔力魔女について教えてくれなかった理由が、そのスタンス故だとすれば、魔力魔女は何か危険なことに絡んでいる可能性が高い。《黄昏の調べ》みたいなこの世の闇に関わることであれば、自衛できるように備えておきたい。
「えー、ここからがいいとこなのに、そりゃないんじゃない?」
ごねるような言い方を見るに、セイディに危機意識はなさそうだった。
「これ以上の知識を得れば、お主ら全員これまで通りに世界と向き合えなくなるぞ。少しでも心安く生きたいのであれば、己が分を越えた領域には踏み込まぬことだ」
「ゼフィラさん、確認させてください。それを私たちが知らないことで、危険を避けられないということはないんですね?」
身体を起こして立ち上がった銀髪美少女に対し、黒髪巨乳美女が言い逃れを許さぬ真剣味を込めて尋ねた。するとゼフィラも割かし真面目な様子で、しっかりとクレアの目を見つめ返し、「ないの」と頷く。
「ただし、そこの小童に教会で魔力検査を受けさせぬ限りだがの。まあ、今更ないとは思うが、念のため忠告はしておいたぞ」
「あの、そう言われると余計に不安なんですが……」
「それほど心配であれば、もしお主かお主の知人が子を産んだ際には、妾が魔女か否かを判別してやろう。それで良いな」
「……そこまで言われるのであれば、ひとまずは分かりました」
あら、クレア引き下がっちゃったよ。
教会に関わらなければ問題ないようだから、大丈夫だと判断したのだろう。なにせ本来であれば、俺たちは北ポンデーロ大陸にある《黎明の調べ》の本拠地らしいシティールを目指すのではなく、オルガの伝手でイクラプス教国に向かうはずだったのだ。しかし、教国ひいては教会は空属性適性者を集めていて、俺も連行されるという話だったので、シティールに行き先が変更となった。
つまり、クレアはもう今後、俺を教国関連のことに関わらせる気など端からなかったはずだ。だから、俺に教会で魔力検査を受けさせぬ限りという条件でも、納得したのだろう。
……まあ、俺もひとまずは納得しておくか。
「うむ。では今回の礼として、お主は何か摘まみでも作れ。葡萄酒に合うものでの」
偉そうに言い残してゼフィラが退室していったことで、この場は自然とお開きになった。みんなは部屋を出て行く前に、依然としてベッドから起き上がれないでいる俺に優しい言葉を掛けてくれた。
既に半分寝ていたリーゼとルティをセイディとメルが寝床に入れていく中、俺はクレアから「お腹空いてない? 何か食べる?」と気遣われる。晩飯を食べていないので、当然空腹感はあった。
「すみません、何か食べたいです」
「謝らなくていいのよ。もうリーゼたちは眠るから、私たちの部屋で食べましょうか。セイディ、ローズを連れて行ってもらえる? 私はゼフィラさんに何か持っていかなくちゃいけないから」
「あー、そんなのアタシがやっときますから、お姉様はローズ見てていいですよ」
「ありがとう、セイディ。お願いね。それじゃあローズ、行きましょうか」
聖母のような慈愛に満ち満ちた美貌で言い、クレアは俺をお姫様抱っこした。きっとこの後、俺は彼女のベッドに寝かされて、『はい、あーん』とでも言われながら、手料理を食べさせてもらえるのだろう。
怪我の功名とはこのことか。
オラ、ワクワクしてきたぞ。
……という高揚感とは別に、手間を掛けさせることへの申し訳のなさもあって、なんだか複雑な気持ちになってしまう。そして、そんなセンチメンタルな気分に関係なく、生理現象は発生してしまうのだ。
「あの、クレア……食事の前に、その……お手洗いに……」
部屋を出たところで、申告した。
大事な話を終えて緊張感から解放されたせいか、急に尿意を催したのだ。思い返せば、魔力切れを起こす前、休憩中に飲んだ水はまだ排出されていない。あのときは結構飲んだ気がするし、気絶中に漏らさなかったことは不幸中の幸いといえる。
「分かったわ。けど、ローズ……今の状態でも、一人でできそう?」
「……………………」
改めて身体の状態を確認するまでもなく、無理だろう。今クレアに落とされても、咄嗟の受け身すら取れないくらいには怠い。というより、虚脱感が酷くて、全身に力が入らないのだ。
この船のトイレは和式だから、屈み込まないといけない。一応、急な船体の揺れに備えて手摺は付いているが、今の俺はそもそも一人で立つことすらできない。手摺があっても、便器の中に尻からダイブする未来は目に見えている。
「大丈夫よ、手伝ってあげるから。今は動けないんだし、全然恥ずかしいことじゃないわ」
沈黙する俺の気持ちを察し、クレアの方から言ってくれた。
き、気まずい……というか情けなくて惨めで恥ずかしい……。
そんな感情と尿意のせいで、早くトイレに行きたいけど行きたくないという気持ちのまま、トイレに到着する。してしまった。まだ心の準備ができてないのに。
「じゃあ、とりあえず脱ぎましょうか」
便所内に入り、扉を閉めると、クレアがそんなことを仰った。
彼女はお姫様抱っこ状態だった俺を、支えながら床に立たせた。当然俺は自立できないので、クレアは背後から抱き付くようにして左腕を腹に回してきて、右手だけで器用にズボンとパンツを脱がせにかかってくる。
狭い密室に美女と二人きりの状況で、背中に巨乳を押し付けられながら服を脱がされるとか、前世ならハッスルしているところだ。今はただ恥ずかしくて、そんな余裕は微塵もない。
「ローズ、まだスカートは嫌い?」
「…………すみません」
「責めてる訳じゃないのよ。でも、せっかく可愛いんだし、たまには着てみるのもいいと思うわよ。ほら、リーゼとサラとルティの四人でお揃いにするとか、どうかしら?」
普段通りの穏和な口振りで話し掛けてくる。
きっとクレアは俺の羞恥心や緊張感を解そうとしてくれているのだ。その気遣いは嬉しいし、沈黙よりは百倍マシだけど、全然解れないよ……。
そんなこんなで、下半身の脱衣が完了した。してしまった。
「えーっと、どうしましょうか。私がこのまま支えているから、ローズは便器の上に屈み込んでくれる?」
「…………はい」
否応はなかった。
俺が屈み込むというより、クレアが屈み込むことで、俺は力の入らない膝を曲げる。クレアは変わらず左腕でこちらの腹部を抱きかかえていて、右手は手摺を握っている。彼女も屈み込んでいるため、後頭部に巨乳がもろに当たっているというか、半分くらい埋まってる。
「はい、いいわよ」
濡羽色の長い黒髪、形も感触も素晴らしい巨乳、文句なく整った美貌、そして何より優しい性格。そんなスタイル抜群の大和撫子風お姉さん(二十六歳隠れS百合属性)に密着されて、その巨乳に半ば包まれながら、排尿しろって?
なんだこの羞恥プレイは、たまげたなあ。
「……………………」
しかし……しかしだ。
これが最良の選択であることは間違いない。
尿意の強さから、あと一時間以内に堤防が決壊することは確定的に明らかだった。それだけの時間で身体の調子が戻るとは到底思えないほど現在の状態は深刻なので、クレアに申告しなければ、もうベッドで漏らすしかなかった。もしクレアのベッドで漏らした場合、彼女に多大な迷惑を掛けるだけでなく、俺は赤子のようにクレバスを拭き拭きされていただろう。セイディやメルにも赤ちゃんプレイを見られるリスクだってある。
あるいはもし自分のベッドで漏らした場合、リーゼたちに発覚する危険性があった。『ローズがお漏らしした』という事実をあの子たちに指摘された日には情けなさすぎて死にたくなるだろう。これまでに築き上げてきたローズ像が粉微塵になりかねない。
可能であれば、元クズニートらしくペットボトルならぬ瓶にしたかったが、この酷い虚脱感では片手だけで瓶を構えることなど困難を極める。どうせ零れて、クレアやセイディに俺の黄金水を片付けてもらう事態になるのは想像に易い。
つまり、現状こそが、最も被害の少ない選択なのだ。可能な限りみんなに迷惑を掛けず、この醜態をクレア一人に晒すだけで済む、これが最良の選択だ。決して俺が望んで、好き好んで、こんなことをしている訳ではない。
これだけははっきりと真実を伝えたかった。
「ク、クレア……目を瞑っててもらえますか……?」
「ええ、分かってるわ」
優しさが沁みる……痛いほどに、沁みる……。
俺は目頭が熱くなるのを堪えきれず、泣いた。下半身も泣いた。上半身は静かに震えて泣いているのに、下半身の涙は容赦ない水音を立てやがる。
「……………………」
溜まっていたのか、俺の時間感覚が狂っているだけなのか、涙が尽きない。終わらない。
沈黙の中で、滂沱として流れる涙の音だけが響く状況に耐え切れず、俺は現実逃避せざるを得なかった。とにかく無理矢理にでも、思考に没頭する他なかった。
「……………………」
さて、先ほどゼフィラから色々と話を聞けたおかげで、長年の疑問が解消された。
この身体についての疑問だ。
俺はこの幼女体という器に入ることで転生を果たしたが、目覚めたときは奴隷馬車の中だった。俺が覚えている限り、この世界におけるそれ以前の記憶はない。だから、突然憑依するようにしてこの幼女の身体を乗っ取ったのか、あの馬車以前のことを単に覚えていないだけなのか、これまで断定できなかった。
しかし、この身体は呪子で、魔力魔女は魔女だと判定されないという。
であれば、俺はおそらく赤子の頃から既にこの世界にいた可能性が非常に高い。
でなければ、この幼女体が魔弓杖の組み立て工場に労働力として移送されるはずがない。もしこの幼女体という器に、俺という中身が入っていなければ――中身が天然物のロリ人格であれば、呪子として寝たきりの状態だったはずだ。邪神によって魔力を奪われ続け、常に今のような虚脱状態にあったことは間違いない。
そんな虚弱な幼女を魔弓杖という大事な兵器の組み立てに、わざわざ駆り出す訳がない。そもそも奴隷としての価値すらない役立たずだったはずだ。それでも尚、奴隷であったとしても、工場へ移送するにあたって奴隷幼女たちの中で健康状態のいい奴を選別していたに違いないのだ。少なくともその時点でこの身体の健康状態は良好だったはずなので、あの馬車内でこの幼女体を突然乗っ取ったという線は、もはやあり得ない。
もちろん、ロリ人格が魔力魔女であった可能性はあるが、ゼフィラ曰く非常に稀だという話だ。呪子な上に魔力魔女とか、どちらか一方だけならともかく、どちらにも当てはまる状態で誕生するなど、天文学的な確率のはずだ。まだ俺の推測の方が現実味があるだろう。
つまり、俺はこの世界に新生児として誕生した。魔力はあったが、肉体は呪子だったので、教会の魔力検査では魔女だと判定されず、ただの幼女として過していた。元から奴隷だったのか、平民だったのかは不明だが、いずれにせよオールディア帝国とグレイバ王国との戦争の戦火に巻き込まれ、オールディア帝国の奴隷とされた。そして何らかの理由によって記憶を喪失し、あの馬車内で目覚めたのだろう。
あるいは俺という中身が、この幼女体という器に馴染むまで、俺の意識が覚醒しなかっただけかもしれない。この世界の通説として、魔力量は大人になるにつれて増えていくらしいので、未熟な器に成熟した中身が入れば、問題が起きて当然だ。それこそ三歳までは普通の幼女然とした人格で過していて、ふと俺という前世の記憶が蘇っただけかもしれない。この場合はそれまでの記憶がないことが引っ掛かるが、前世の記憶が蘇った影響で思い出せなくなっているとも考えられる。
どちらだったとしても、納得できる。
可能であれば奴隷馬車より以前のことを思い出したいが、思い出せずとも、特に今後の人生に影響はないはずだ。まだまだ人生は長いのだから、いつか思い出せればラッキー程度に思っておくのがいいだろう。もしかしたら実の両親や兄弟姉妹が生きていて、いつか再会したりするかもしれないし、そのときに思い出すかもしれない。可能性は無限大だ。
この身体が呪子という先天性のハンデを負っていたことは残念だが、容姿には恵まれているし、魔動感だってあるし、贅沢は言えない。魔力を使いすぎなければ、どうということはないのだ。少しくらいの欠点はローズちゃんの萌え要素だと思えばいいさ。
「もう大丈夫?」
頭上からクレアの声が降ってきたことで、我に返った。
いつの間にか、涙が止まっている。上半身も下半身も、もう目尻に残った雫くらいしかない。
「自分で拭ける?」
「…………いえ」
手なら頑張れば少し動かせたかもしれないが、もう事ここに至った以上、無理せず素直に答えた。クレアは軽く俺のクレバスを拭き拭きしてから、パンツとズボンを穿かせてくれる。そして最後に水魔法で軽く便器内を流して、お姫様抱っこしてきた。
「ごめんね、さすがにローズも恥ずかしかったわよね」
涙の痕が残る俺の顔を見て、クレアは申し訳なさそうな、それでいて微笑ましげな顔で優しく言った。
「私で大丈夫だった? セイディかメルが良かったなら、次からは二人にお願いするといいわ」
「いえ……クレアで大丈夫です……むしろクレアがいいです、もうクレアじゃないとダメです……迷惑掛けてすみません……ごめんなさい……」
「気にしないでいいのよ。でも、これからは倒れるまで魔力を使いすぎないようにね。魔法の練習を頑張るのはいいことだけれど、ローズが具合悪そうにしていると、みんな心配だから」
「……はい」
この慈愛に満ちた表情を前にすると、もう羞恥心すらどうでもよく思えてしまう。クレアの俺を見る眼差しは完全に母親のそれで、遠慮したり突っ張ったりしたところで、全て見抜かれているのではないかと思い、馬鹿馬鹿しくなる。
もう……これはダメだ。完全にやられた。
「それじゃあ、ご飯食べましょうか。あ、お肉とか少し硬いものでも大丈夫?」
「はい、大丈夫です……何でも食べます」
トイレを出て、クレアたちの寝室に向かう途中、俺は自分が折れていることを痛感していた。もう今後クレアに対しては、男としての矜持とか見栄とか、そういうプライドが働いてくれないかもしれない。俺の方が精神的には年上なのに、彼女にはそういう意識を一切持てなくなりそうだ。
前世の俺は、年下にバブみを感じてオギャりたい連中の心理が理解できなかったが、今ならば分かる。分かってしまった……なんてこった。
少なくとも、俺は今後一生、クレアに頭が上がらないことだけは確かだ。
「はい、ローズ。あーんして?」
クレアのベッドに寝かせてもらい、枕を高くした状態で、晩飯となる。
俺は雛鳥同然に口を開けて、与えられるものを食べることしかできない。室内にいるメルとセイディに見られているが、もう知ったことではなかった。この状況、主観的には美女とオッサンだが、客観的には美女と幼女、あるいは母親と娘だ。心温まる微笑ましい光景にしか見えないはずなので、何も恥ずかしがる必要はない。
もうこうなったら、恥は捨てて全力で突き進むのが正解だ。
さあ、ローズ……今こそママにオギャるときだ!
「クレア、お風呂入りたいんですけど、いいですか……?」
「ん、いいわよ。でも、身体洗うのは大変そうだから、浸かるだけでもいい?」
「はい」
という訳で、食後は当然のように裸の付き合いとなった。
脱衣所で服を脱がせてもらい、彼女の脱衣する姿を堪能して、お姫様抱っこで運んでもらう。目と鼻の先に、一糸纏わぬ巨大な塊がましましていて、思わず触れてしまった。しかしクレアは気にした様子もなく湯船に入り、崩した両脚の上に俺を乗せて、後ろから軽く抱きしめるようにして支えてくれる。
しかし、これではダメだ。
「あの、後ろは嫌です」
「後ろは? 向き合うみたいな体勢がいいの?」
俺が無言で頷くと、クレアは水中で俺の身体をくるりと反転させた。眼前には浮乳双島が湯面をたゆたい、美女の両腕が背中に優しく回されている。
迷うことなく、突撃した。
「あら、どうしたのローズ。今日は甘えん坊ね」
もたれかかるように顔面を谷間に埋めても、クレアは抵抗など見せない。むしろしっかりと抱きしめてくれて、更に俺の顔を柔らかく艶めいた肌に埋没させてくる。
「もっと強く、お願いします」
「ええ」
ぐっと抱きしめられると、得も言われぬ安心感を覚えた。鮮麗に色付いた奇跡の突端に吸い付こうという邪念が消え去るほどに、ただただ安堵してしまう。そしてやはり、申し訳なくも思ってしまう。
「あの、クレア……私のせいで、色々不安にさせたりして、すみません……」
クレアは俺を慈しんでくれて、心配してくれるが、俺の存在は彼女にとって厄介事の種なのかもしれない。以前からそういった不安が頭の片隅にあった。
俺のせいで教国に行けないことになった結果、色々と大変な船旅生活を送ることになっているのだ。本来であれば、オルガの姐御の庇護下で、魔大陸に聖伐に来ていた聖天騎士団の船で安全快適な船旅が送れていたはずなのに。
今日だって俺が倒れたことで、無駄に心配させたはずだ。更にいえば、ゼフィラが俺を指して『教会で魔力検査を受けさせぬ限り危険はない』と言ったときも、不安にさせたに違いない。
ローズという存在が、クレアに心労を強いている自覚がある。
こうした思考そのものが彼女への裏切りに等しいと分かっていても、俺の胸中に心苦しさは確かにあるのだ。
「いいのよ。謝ったりなんてしないで。子供は親を不安にさせるくらいで、ちょうどいいんだから」
ちらりと顔を上げると、目が合った。クレアは既に本日の入浴を終えていたため、髪はタオルで纏め上げた格好だ。普段は長い黒髪で隠れた首筋が艶めかしい……なんて、思えなかった。
「不安といえば、サラの記憶のことだったり、リーゼの好戦的なところだったり、そっちの方がよほど不安なくらいよ。ローズにはもう少し不安にさせてほしいくらい」
「……はい」
「いつもみんなのことを気に掛けてくれて、頑張ってくれて、ありがとうね。ローズがしっかり者で凄く助かっているけれど、たまにはこうして甘えてくれると、私は凄く嬉しいわ」
「…………では、これからもたまに、甘えてみます」
全身でクレアの柔らかさと温もりを直に感じながら、そっと目を閉じた。
前世の俺は、年下にバブみを感じてオギャりたい連中の心理が理解できなかったが、今ならば分かる。分かるが……実際に相手をママと捉えてオギャるのは、俺には少しレベルが高すぎて無理そうだ。
クレアには申し訳ないが、俺にとって彼女は母親ではない。母親という存在を超越した、もっと大事な何かだ。リーゼやメルたちとは似て非なる、しかし同じ家族という表現が最もしっくりくる、自分より大切だと思える人だ。
「今日は一緒に寝る?」
「……お願いします」
入浴を終えて、ベッドに戻り、クレアと並んで横になる。軽く抱きしめてくれたので、遠慮なく彼女の優しさに包まれて、眠りに就く。
今後も可能な限り、俺はクレアを不安にさせないようにしていくつもりだ。その方針自体を変えるつもりはない。しかし、少しくらいであれば、心配を掛けたり不安にさせたりするのも、いいかと思えた。子供がいい子ちゃん過ぎると、優しい母親としては逆に不安になるだろうからな。
もし心配を掛けたときは、お詫びに甘えてあげれば、安心してくれるだろう。
お互いにね。